甲斐駒ケ岳 Aフランケ~Bフランケ(Bフランケ3P目で敗退)

2001年9月15日~17日
浅野、柴田(記)


3日間でA/Bフランケから奥壁に3つの壁を継続だァ、と意気込んで入山したが結果的にBフランケ3P目で敗退となった。

Bフランケの状態と天気もイマイチだったが主には実力不足と準備不足でした。

 

9月15日

は3時起き4時発で霧雨の中ヘッデンで黒戸尾根を登り始める。

睡眠不足と視界不足で体調は最悪。

休憩時には少しでも睡眠をとり返そうとザックの上に横になり雨に打たれるまま目をつむる。

粥餅石経由の登山道は先日の15号台風のせいか荒れていた。

刃渡り、刃利天狗、5合目と登るにつれて柴田の体調は徐々に回復。

8合目に11時40分に着き、シャリバテの体に燃料補給の後八丈バンドを右ルンゼまで水汲みに行く。

入山前は涸れていることを心配していたがこの日は大滝状態だった。

各自Aフランケの頭のデポ分も含め4リットルの水を汲みAフランケ目指し下降開始。

途中ちょっと迷ったりと何のかんので午後2時前にAフランケ赤蜘蛛に取付き登り始める。

ビバーク予定の大テラスまでは4Pあるが何とか暗くなる前に着けるだろうと思っていた。

1P目 (浅野) A1。

2つめのピンが確かに遠い。

2P目(柴田) フリーでテラスからカンテを回り込むと有名なジェードルが一直線に天に伸びていて思わず歓声あげる。

途中のビレーポイント以降は徐々に難しくなり結局A0してしまう。

3P目(浅野) クラックから離れて左壁をA1。

比較的短い。

4P目(柴田) V字ハングを左から越えその上の被った四角フェースをボルトに沿ってアブミで登りハングを越えたらフリー。

自分では気がつかなかったがロープをZクリップにしていた為にムチャクチャ重くなっていた。

本来はこのピッチで大テラスに辿り着けるはずが短く切ってしまったために浅野さんにヘッデンで大テラスまで登ってもらう。(浅野さん、ゴメンね。)

大テラスにヘッデンで辿り着き恐竜カンテに近い壁ぎわにツェルトを張るが風がゴーゴーいっている。

V字ハングを越えたあたりで先行パーティのコールを聞いた気がしたが、彼らは何処にいることやら。

水を入れるだけで食べられる山菜おこわと海草サラダを食べ、長い1日を終える。

 

9月16日

5P目(柴田) クラックからフリーで上部レッジまで。

Ⅳくらいで容易。

6P目(浅野) 恐竜カンテ横のクラックを辿る有名なピッチ。

クラックの中には初登の際のアルミハーケンや残置フレンズが残っていて歴史を偲ばせる。

途中から残置がなくなりキャメ・エイリアンのAA1に。

リードは虚空でアブミビレー。

7P目(柴田) 恐竜カンテをクロスしボルトラダーを上部レッジまで。

2本目のボルトが確かに遠く、最上段に乗っても届かず、シュリンゲで短い足輪を作りそれに左足を入れたらようやく届いた。

やれやれ。

8P目(浅野) レッジよりワンポイント人工の後フリー。

その後5.10aくらいのフェースを人工で越えてブッシュでピッチ切る。

9P目(柴田) ブッシュの中を木の根や枝を使いながら登る。

ロープの流れを考え25mくらいでピッチを切る。

10P目(浅野)9P目と似たようなブッシュの中をしばらく進むとポンッ、という感じで岩小屋の前に出た。

時間的にこれからBフランケの第2バンドまでと言うのは少々きつそうなので今晩はここで泊り、翌日Bフランケを登って下山することとしてデポした水の回収とアプローチの偵察に向かう。

Aフランケ頭の岩小屋から少し戻って左へ降りる踏み跡でBバンドに降りられることを確認。

 

9月17日

4時起き5時発でヘッデンでBバンドを下り途中1回のラッペルをまじえ赤石沢本谷に慎重に降りる。

明けゆく空に赤石沢奥壁がひときわ美しかった。

本流でBフランケを観察。

2P目のアンカーポイントも確認し、身繕いの後出発。

1P目(柴田) 濡れた草付・泥付なのでクライミングシューズでなく運動靴でロープを引いたがランナーは取れず、Ⅲくらいだが30mほどランナウト、とっても緊張した。

2P目(浅野) 最初は古い残置ピンがあるが数手後は草取りでクラックにキャメをかませて前進となる。

暫くすると残置ボルトは現れるがおしなべて古くリングが伸びているものも多い。

ハング越えの所など間隔も遠くAフランケ赤蜘蛛よりはこっちの方が難しかった。

最後は傾斜の緩いフェースをフリーで登り、ビレーポイントへ。

赤石沢本谷では晴れていたのにいつのまにか霧ション状態で気分も暗い。

3P目(柴田) フェースをフリーで左上しその上の草付と泥まじりのフェースをだましながら登る。

V+とのことだが、濡れているので悪く感じ、下部はA0で逃れたが泥まじりのフェースをやっとの思いで登るとカムロックは使えず残置は5mほど上のフェースに古いボルトが1本見えるのみだった。

まあ行くしかないな、と思い浅野さんに声を掛けて登ろうとしたら左足がズルっと滑り危うく落ちそうになりモチが急低下、結局ここを最終到達点にロワーダウンをお願いする。

柴田敗退後浅野さんもトライするが結局同様に最終到達点から「降りましょう」

ということでランナーを回収しながらクライムダウンしてくれた。

2P目、1P目を慎重にラッペルで下り赤石沢出合いでギア整理をしながら壁を見上げるが既に霧の中で良く見えない。

天候や状態も今一つではあったがやはり実力不足と戦略不足だったなー、と食い残しのレーションを口にしながらうなだれる。

Bバンドから8合目まで登り返し、長い黒戸尾根をチンタラと下り明るいうちに竹宇の駐車場にたどりついた。

悪くても2勝1敗としたかったが結局3日間でAフランケとBの3ピッチ目までしか登れなかった。

後から考えるに2日目にAフランケを登った後ぼんやりのんびりと過ごしてしまったことが悔やまれる。

今度はBフランケから奥壁への継続でもやりますか、浅野さん。

以上

 

【コースタイム】

9月15日
竹宇(4:00) → 8合目 (10:40) → Aフランケ赤蜘蛛取付(13:30 /14:00) → 大テラス(19:20)

9月16日
大テラス(8:10) → Aフランケの頭 (13:20)

9月17日
Aフランケ岩小屋(5:00) → 赤石沢本谷(7:00) → Bフランケ3P目(10:40) → 赤石沢本谷(12:00)
→ 8合目(13:40) → 竹宇(17:35)

 

ヨセミテ エルキャピタン南東壁・ゾディアック

2001年9月1日から16日間
向畑、倉田(記)


エルキャプ南東壁登りたい。

その思いに共感してくれた向畑さんに感謝。

向畑さんは、今はそんなに登れない体なのにヨセミテまでわざわざ付き合ってくれました。

出発前まで二人で行きたい所の意見が合わずそのままヨセミテに突入したのですが、結局、私のわがままを通していただき、ゾディアックに。

今回、壁で5泊もすることになり登ること以上に生活面、精神面で勉強してきた感じでした。

クリーンクライミングなので、アメリカンエイド独特なギアをヨセミテで買い足しました。

必要なガチャとして、(ピトンスカーにセットする為のもの)オフセットナッツを2セット、あとボールナッツなど買い足しました。

本当はハイブリットエイリアンも欲しかったのだけど(小さい方から4つを1セットしか持って来てなかった。)

マウンテンショップでは売れ切れで買い足す事が出来なかった。

 

9月1日(土)

成田発、サンフランシスコ経由でフレズノへ。

レンタカーで買い物後、ヨセミテを目指す。

途中のモーテルは休日前でいっぱい。

もちろんヨセミテ内の宿泊施設もいっぱいだと国立公園のゲートのおじさんに言われ、どこでもいいから泊まりたいんだー!と主張すると、駐車場付き無料のキャンプ場を教えてもらえた。

 

9月2日(日)

朝8時だと思っていたキャンプ4の受付は8時半だった。

取り合えず最後尾に並んでいると、信州大学の中村君という好青年(去年会った事が会ったのか?声を掛けてきた。)や、わらじの村山さん・小田さんが居た(新婚旅行だそうで、私も新婚旅行はヨセミテがいいなあと羨望の眼差しで見てしまう)。

その後、向畑さんを案内がてら買い物。

 

9月3日(月)

ルートの取り付きを下見に行く。

まず、シールドとサラテの下見で、Heart Ledgeに垂れていると言うフィックスロープを見に行くがボロボロで使い物になりそうも無かった。

途中、YCCの道家さん・船山さんにあう。

日本人が居るとなんとなくほっとする。

そのままゾディアックの下見に行っても大丈夫?と向畑さんに聞かれて大丈夫だよーと言ったのだが、サンダルで食料も持たないで歩いていくとかなり遠く、帰りに使ったゾディアックガリーでは向畑さんの冷たい視線が痛かった。

すみませんでした。

この日の夜、どこのルートにするかでもめたが、私の意見が通り、ゾディアックに決定。

 

9月4日(火)

昨日の下見で疲れてしまい、この日のFIXの予定は止めて、休養。

準備をもくもくとする。

チェコスロバキアの男性が、袋に入った新品のフレンズを売りに来た。

 

9月5日(水)

重いガチャが入ったホールバックを私が担いで、少し軽めのを向畑さんに持っていただく。

体力不足の私は非常に疲れ、向畑さんにこの日はすべてリードしてもらう。

1ピッチ目は左側ラインがC3Fのオリジナル。

右側のラインはダイレクトに2ピッチ目に届く単なる、ボルトやコパーヘッドなどのラダー。

と言うことで左のラインを登ることに。

1ピッチ目でピトンを打つかどうかで、ゾディアックが登れるか登れないかが判る。と言われていたせいか、向畑さんは少し意識していた様だ。

結局、かなり久しぶりの本ちゃんで、しかも勝手の違う場所、腰痛持ちの向畑さんはフォール1回、ピトン2本打ちこんだ。

30m。

2ピッチ目。

右にトラバースして、直上後フリー5.7かC2。

エキスパンドフレークをC2+で。

27m。

時間が無常にも過ぎ、日が隠れる頃から風が強くなりビレーしている私はずーと鳥肌。

3ピッチ目。

C2+。

42m。

ユマールでの回収は暗闇の中。

向畑さんお疲れ様でした。

登り始め8時。

終了後、懸垂して取り付きに21時45分頃。

 

9月6日(木)

前日の長時間ビレーで風邪をひき、喉・頭が痛くしばらく臥せっていたが改善し無そうなので公園内の診療所へ。

140ドル取られ、タイレノールという薬をもらう。

 

9月7日(金)

この日のGo upの予定は取りやめ。

私は臥せっていたが、午後から気分が良くなり、明日の準備。

勝手のわからない所に行くからと水20リットル(一人一日2リットルで5日分)に缶詰8個・パン4袋・行動食にはチョコレートバー・飴(日本から持ってきた)など詰めこんだ。

夕食はカリービレッジの食べ放題に行く。

近くの屋外舞台でなんか放映されていたのを少し見た。

 

9月8日(土)

ホールバックを担いで取りつきにつく7時頃。

ゾディアックの周辺に人がわらわら。

何本かFIXもある。

聞くと当パーティが張ったFIXをユマーリングして上に行ってしまった人も居るらしい。

ゾディアックは南東壁では一番の人気ルートらしく、結構渋滞していることが多い様だ。

結局、先頭に3人パーティ(外人)、2番目にブライアン(ソロの外人クライマー)、3番目が雲表クラブの2人で、当パーティは4番目になってしまった。

本来ならこの段階で中止にすべきであったと向畑さんは思っていたようだ。

5日分の水も有るし、日程的にも余裕あるし大丈夫だろうと思っていたら予想どうりなかなか進めずこの日から壁中で5泊、おまけに下降中に暗くなってしまってルートがよくわからず、さらにもう1泊してしまうことになる。(通常は3泊4日のルートだそう。)

取り合えずユマールして3ピッチ目終了点で先行が進むのをまつ。

この日4・5・6ピッチを倉田が登ることにしていたが結局4ピッチ目しか登れなかった。

4ピッチ目は5.6のフリーで左上してC1直上、42m。

先行が7ピッチ目終了点、2番目ソロクライマーは6ピッチ目終了点、雲表さんが5ピッチ目終了点、私達は4ピッチ目終了点で泊まることになる。

始めてのポーターレッジは、なかなか怖かった。

軽量化のため2人で1人用のポーターレッジで泊まる。

夜は毎日お星様が綺麗だった。

 

9月9日(日)

朝起きると北極星とオリオン座が見える。

今日も登るのは倉田が担当。

5ピッチ目、ボルトラダ-から5.8のフリーまじえてC1、27m。

6ピッチ目、5.6のフリーで右上後ボルトラダー直上して5.8フリーまじえてC1。24m。

7ピッチ目、思っていたより小さいBlack Towerに向かって5.8フリーにC1を交えて、C3Fの核心へ。

ハイブリットエイリアン、オフセットが良く効く。45m。

登っていると、終了点近くで、雲表さんにここで泊まるので下で泊まって下さいと言われ、FIXだけして6ピッチ目終了点で泊まることになる。

数パーティ繋がって登っている為に起きた怖いできこととして、2番手ブライアン(ソロ外人)の荷揚げの最中、風が強く、ポーターレッジも畳んでいなかった為、羽の生えた荷物がヒュンヒュンいって雲表さんの居るレッジ周辺で右往左往。

登っている私も非常に怖かった。

 

9月10日(月)

この日は向畑さんが担当。

この日も待つ時間が多く、いつ頂上につくのかと勘定ばかりしてしまう。

8ピッチ目、C2。33m。

9ピッチ目、真っ直ぐに同じ幅のクラックが伸びている。

カムフックを多用する所らしい。C3からC2F。43.5m。

途中、2回目のフォール。

そのあと、3回目のフォール。

1箇所ピトンを打っていたが、打ったあとテストして、あまり効いていないエイリアン青に体重を戻した所3回目のフォールしたらしい。

ちなみに、2番手ブライアン(ソロ外人)もここでフォールしたらしい。

9ピッチ目終了点でこの日は泊まる。

向畑さんはかなり疲れたらしく可愛くなっている。

私がもっとしっかりしてくれと怒るとムッとしてしまった。

お疲れ様でした。

 

9月11日(火)

この日は倉田の担当。

下見していた時から気になっていたNipple。

遠めでも良くわかり自分が登ることが出来て嬉しかった。

その後のMark of Zoro も。

10ピッチ目、C3F。45m。

Nipple(乳首)に辿りつくまでボロい残置、残置ハーケンをつないで行く。

幅が広くなる前にバックロープでキャメの4番・4.5番を引き上げる。

かつてここを初登した人はレイバックで越えたらしいが確かに掴みやすい。

ちょっと試してみたがすぐに止め、エイド。

終了点で雲表さんとこんにちは。

11ピッチ目、C2+からC3F。36m。

Z型になっているハング下を登り真っ直ぐに伸びるクラックへ。途中フック使用。

ビレー点で荷揚げをしていると、雲表さんに僕達は次で泊まりますのでそこで泊まってくださ‐い。

と言われ、フィックスだけしてもいいですか?とすかさず聞いて了承してもらう。

結局、どうせ頑張っても繋がっているから待つだけだから、、、とFIXは止めて泊まる準備をして早めに休む。

 

9月12日(水)

本来なら今日頂上につくのが標準。

でもまだあと、5ピッチある。

あともう一泊だなあ。

と思いつつ今日が始まった。

今日は向畑さんの番。

だけど二人ともだんだん疲れてきているので、結局つるべになった。

12ピッチ目、向畑さん。

C3Fで、途中フックトラバースが入る。42m。

初めてC3で落ちなかったと言って喜んでいた。

13ピッチ目、倉田。

岩壁上部になってくると風が強くなり怖かった。48m。

最初ボルトラダ‐のあと、5.9かC2だがフリーでは行けませんでした。

途中、フリーからボルトラダーに移る所でレッジに立ち込めなく、初めてチョンボ棒を使ってみる。

紐の結び目の穴が小さすぎてフィフィが入らず、結局ごぼうで握ってボルトにエイダ‐を掛けた。

最後の真っ直ぐなクラックはハンドがかなり決まったけどやっぱり人工C1。

最初の所でかなり屈曲する所が有り、ユマールの人には怖い思いをさせてしまった。

途中のボルト数個ある所から戻って回収した方が親切だった。

14ピッチ目、向畑さん。

風が強く滅入ってしまった倉田は向畑さんにバトンタッチ。C1、33m。

かなり広いクラックの横に数カ所ボルトが打ってある。

クラックは広くキャメ4番・4.5番を使用。

この日はここで泊まる。

後で聞いた話では、雲表さんはこの日に頂上に抜け、下へ下ったそうだ。

 

9月13日(木)

帰る飛行機は15日土曜。

あと残すは今日と明日。

でも残すはあと2ピッチ。

でも下降路も心配だしギリギリだなあと思いながらこの日は始まる。

14ピッチ目、向畑。

傾斜のない所をジグザク縫って登る。

15ピッチ目、倉田。C3の27m。

すぐ上が見えている。

最後のピッチ。

これで終わってしまう。

どっちが登っても良かったのだが、私になった。

待ってばっかりの今回は岩を堪能するより、精神的にストレスがたまり、楽しむことがあんまり出来なかったような気がする。

仕方ない。

最後のピッチだけでも楽しもう。

1箇所遠いのと、ボールナッツしか決まらない所があった。

上につくと何にもない。

あとは、ただひたすら、荷揚げが死ぬほど辛く(レッジでロープが擦れる為)、向畑さんに変わってもらった。

ありがとうございました。

でも、最後も撮っていたというカメラを向畑さんはユマール中に落としたらしい。

ああ残念。

上についてガチャを片付け、パッキング。

ホールバックの肩紐・腰紐のつけ方を忘れてしまって試行錯誤。

早速下りにかかる。

しかし、ヒジョーに重いホールバックに私はヨロヨロして向畑さんに追いつくのがやっと。

取り合えずトレース沿いに下りていくと木からラッペルできる所につく。

ホールバックをかついでのラッペルは非常に心配だったが傾斜が無かったので大丈夫だった。

次のピッチで空中になり、二人ともホールバックはハーネスにぶらさげる。

途中レッジで一回切って、3回目のラッペル。

わりとしっかりした足場の所につく。

薄暗い中、4回目のラッペル場所を探し、向畑さんが偵察兼ねて約50mほど下ってユマールして登ってきてくれた。

こうゆう時本当に頼ってしまって、申し訳無く思う。

4回目のラッペルした所で広い広場になっていたのでそこで泊まる。

夜中、「ウキキー・ウキキー…フギャーフギャー」と声がする。

向畑さんの足に飛び乗った小動物は一体なんだったんだろう。

 

9月14日(木)

ホールバック担いで下るには足場が悪いので2回ほど木を使ってラッペル。

だいぶ歩きやすくなったので、後はひたすら歩いて下る。

お昼頃マニュアルパイルバットレスの駐車場につく。

向畑さんに待ってもらって、車を取りに行く。

その場で、ガチャわけをして、帰り際、今登ってきた所を遠目で確認して、やっと満足。

途中、アメリカ国旗を掲げている車と擦れ違う。

なんかの記念日だっけなあ?といいつつ、そのあしで、ビレッジストアーで買い物後ハウスキーピングでシャワーを浴びカリービレッジのマウンテンショップへ。

お土産を買ってゆったりしていると、雲表さんに会う。

明日帰ります。

と告げると、今、飛行機止まってますよ。

テロで…。

ホントかいなあ。。

と夢見ごこち。

カリービレッジのバーカウンター近くのTVを見に行くとCNNにブッシュさんがでて、戦争がどうのと言っている。

マジダ、、。

取り合えず、今日はお土産買って、食い放題してフレズノ空港に行くことに。

少し時間があったのでアワニーホテルに行ったりしてほとんどしていない、観光を少しする。

夕方頃日本に電話してみると私達が乗るユナイテッドは全部止まっているらしいと言われる。

だんだんサンフランシスコ見物か、ヨセミテに戻る感じになってきた。

向畑さんはなる様にしかならないから、と言ってサンフランシスコは中華街だ。と言っている。

私は私の語学能力で帰れるかが不安でたまらなかった。

真夜中にフレズノ空港に車を横付けするとすぐに警察官が寄ってきてここには止めては行けないと追い払われる。

しょうがないので、空港の目と鼻の先のHoliday Innにチェックインして、寝床を確保。

空港でいろいろと聞いてみるが「明日の朝また来い。」と言われるだけで事情は全くわからない。

仕方なくホテルに戻ってCNNを見ているとビルに飛行機が突っ込む映像が何度も流れる。

実際テロは11日。

3日間も何も知らないで岩にしがみ付いていたのだなあとしみじみとしてしまった。

CMとCNN番組の間に「ビンラディンの顔が出て、ビルが激突される映像、「New War」とでっかく字幕が流れる。

これが繰り返されていた。

 

9月15日(土)

朝、空港に予定通り向かう。

手荷物検査では私達は丸腰なのでさっさとあっちへと言われるが、他の一般人は体中、調べられていたようだ。

出発時間は荷物検査の為かなり遅れたが、早いジェット機でサンフランシスコに定時ちょい過ぎぐらいに着いた。

(来る時はプロペラ機だったので時間がかかった。)

国際線もほとんど定時運行していた。

乱れたのは昨日までだった様だ。

 

9月16日(日)

日本に夕方着く。

重いホールバックを配達やさんに頼んで帰る。

ドルがテロのせいで安くなっていた。

(1$=120円→119円)。

以上

 

甲斐駒ケ岳 黄蓮谷右俣

2001年9月15日~16日
赤井、櫻井(記)


40歳を過ぎて肩が一年ほど痛く、治ったあともスムーズに回らず油が切れたままになっている。

この夏の滝谷の帰りではつまらない所で足を挫き、剱岳でも同じところをもう1回やってしまった。

ランアウトで頑張りすぎたせいか指の筋が痛いのが続いているし、ラットプルダウンという懸垂のようなトレーニングのせいかひじがいつも疼いている。

おまけにここ数日は時々腰に電気が走る
痛みもあって、とにかく応対に非常に忙しい。

仕事は忙しくないのに...
そんな体を試してみる、ハードな刺激を与えてみるつもりで今回は一泊二日の黄蓮谷にトライしてみた。

9月15日

7時過ぎ竹宇神社を出発。

A、Bフランケの柴田、浅野パーティーはもうとっくに出発してしまったようだ。

12時半 五合目の小屋。

心配していた腰は今のところ文句を言わないでくれている。

小屋の裏手の水場からトラバースの道に入る。

10分もすると道が判然としなくなる。

左に五丈の沢が見えているので方向は悪くないのだが踏みあとはほとんどない。

赤や黄色のテープがときどきついている。

沢に沿って30分以上よくわからない下降(懸垂は不要)を続けると急にきれいな道に出る。

その道をたどって10分程度で岩小屋につく。

13時半 岩小屋。

先客が1パーティー3人。

水量が多いのと天気がはっきりしないので今日はここで泊り明日天気が良かったら一気に抜けて帰るとのこと。

一応、谷の様子を見に行ったが、暗くで水量も多くガスで見通しも悪いので岩小屋泊まりとする。

ガスと小雨が続いてうっとおしい。

酒は豊富だったので早くから飲み始め、さっさと寝た。

9月16日

5時 岩小屋発。

昨日ほどガスは濃くない。

晴れ間も出るという天気予報を信じて黄蓮谷に入る。

すぐに左岸の高巻き。

しばらくすると坊主の滝が出てきてこれも左岸の高巻き。

沢に降りるのを嫌っていたら二俣に出てしまった。

二俣からは流水に沿って快適に登る。

しかしほとんどがシャワー気味で体がとても冷えてくる。

櫻井は雨具を着る。

長いナメが見えてきた。

これが奥千丈だ。

200mというが上部は左に折れていて見えない。

1ピッチ目、赤井さんが流水沿いに25mほど登って肩がらみ確保。

アンカーは流れのなかにある。

やはり増水しているということだろう。

2ピッチ目同じように流水沿いに登り、途中から右に水流から離れテラス状のところで潅木にアンカーを取る。

3ピッチ目テラスのバンドを登って草付きの流水溝を右上し潅木でアンカー。

ここからブッシュを登って左に下降気味に滝の中段に出る。

さらにスラブを左上するバンドを伝っていけるところまで行きスリングを頼りに滝上に立つ。

これが4ピッチ目。

結局連続した3ピッチとロープなしの2ピッチ分、最後に滝上に降り立つところで1ピッチ(15mほど)の4ピッチになった。

天気が良ければ爽快な景色だろうと、晴れないガスがうらめしい。

9時、奥千丈滝上。

インゼルを超えて、30mの滝を右から巻くと黒い3段60mの奥の滝だ。

左岸を高巻くが、トラックぐらいの大きさの岩が崩壊し10mくらいずれていた。

新しい断面が見えていたが、今年の台風のせいだろうか?
3段の滝の2段目を巻いたところでポッと水流に戻る。

見ると右岸のコーナーが登れそうなので取りつく。

取りついて見るときびしくて、ロープを出して真面目なA0を5mほどやってしまった。

これが今回一番の登攀だった。

普通は左岸を巻きつづけて上に出るのだろう。

12時半 3段の滝上。

あとはスケールの落ちた谷を少し登って源頭の雰囲気になる。

小さなスラブなどを適当に巻いていくとうんざりする前に頂上から50mほど下の縦走路に出た。

13時半から14時頂上。

少し青空も見える。

16時 五合目

19時半 竹宇神社

奥の3段の滝で登攀をやることになって予想外に時間を使った以外は、順調だった。

安定した登りの赤井さんと降らずにがまんした天気に感謝。

街では出ていた腰痛も出ず、降りて来れた。

いろんな意味で気を良くしている櫻井だった。

 

北岳バットレス ピラミッドフェース~中央稜

2001年9月15日
柴田、浅野(記)


天 候 :晴れ

形 態 :岩登り(夜行日帰り)

メンバー:柴田、浅野

行 動  :広河原発(3:30)~大樺沢二股(6:00)~下部岩壁着(6:50)、登攀開始(7:15)

十字クラック~ピラミッドフェース(横断バンド)~4尾根~中央稜(ノーマルルート)~終了点(16:30)

北岳山頂(16:50-17:15)~八本歯のコル~大樺沢経由広河原着(20:15)

装 備 :個人用登攀用具一式(ライト、フラットソール等)、カム(エイリアン1セット+#1~#3?各1)、ピトン(厚×2、アングル×2)

ボルトキット、ロープ9ミリ×2、ツェルト

1.カムは下から4つあれば十分かな(エイリアン)。

2.同ルートの場合フリーで5・7?程度をこなせる人ならアブミはいらないと思う(無雪期、ライン取りによる)。

3.ボルト、ネイリングは使用しなかった。

BPにおいても補強等行わなかった。

十字クラック及びピラミッドフェース、四尾根はランニング、ビレイ点共にピンの状態は比較的良好。ただし中央稜は今後補強する等が必要になってくるかもしれない。

食 料 :行動食のみ(非常食含む)

その他 :

1.横断バンドは大変脆い為、バンド上に人がいる場合に下部の登攀は特に注意。

2.4尾根の懸垂ポイント(Dガリー奥壁側に下降する場合)は50mシングルで下降可能。

枯れ木テラスから中央稜取付までは50mダブル1回で下降可能。

但し途中に懸垂ポイントが有り、2回に分けることも可能。

行動概要:

北岳バットレスに柴田さんと行くことになった。

その何週か前にやはり柴田さんと甲斐駒の継続に行き敗退をしていたので今度はスッキリ繋げたいと思っていた。

金曜日の夜、八王子駅に集合する。

21時位に出発したので広河原につくのは、0時頃と読んでいたのだが、甲府昭和ICを降りてから道に迷ってしまい中々夜叉神峠に行く道が見つからない。

どっちに進んでも鰍沢の文字が出てくるのだ。

「んだよいったい・・・」とひょっとして甲府敗退かなどと本気で思えた頃ようやく道を発見。無事広河原に向かうことが出来た。

それにしてもICを降りてから、道は暗く誰もいないのに開いているコンビニが結構あるのには驚いた。

助かるけど。

1時過ぎに広河原に着く。

駐車場は結構空いていて問題なく駐車できた。

早々に就寝。

15日、朝3時に起床。

朝飯にサツマ芋を食べ用意をすませ出発する。

テケテケ歩く。

眠い他は特にどうとゆうことない道なので報告はここで一気に二股に飛んでしまうのです。

二股に着く頃にはライトがいらなくなって来た。

ここまで来ると紅葉が綺麗だ。

天気は快晴でバットレスに朝日があたると紅葉とあいまってなんだかすごい景色になる。

こんな瞬間には滅多に会えるものではない。

バットレス沢を詰めて下部取付に向かう。

飛び石を飛ぶ時、やけに滑るなと思ったら凍っていた。

ここはもうすぐ冬がくるんだね。

4尾根と言う超人気ルートを抱えているだけあってアプローチは登山道のように踏まれている。

十字クラック取付を確認し登攀用意をする。

この取付はガイド図によれば「顕著な・・・」

と表記されているがまさしくその通りである。

それにしても何でルート図というのは、この「顕著な・・」

を多用するのか? 顕著な凹角、顕著なカンテ、顕著なハング等など・・・。

自分はこの「顕著な・・」

と言う表現があまり好きではない。

例えば「顕著なハング」

を期待して上を見上げると、至る所が顕著、顕著、顕著、顕著、顕著、顕著、顕著、顕著・・・でえらい目にあったことは一度や二度ではない。

単にルートを見る目が無いとは思うのだが、どうしても「顕著な・・」

と書かれていると身構えてしまうのだ。

はたして十字クラックは顕著であった。

だがしかしもっと右上の方にチムニーサイズ?とおぼしきやはり十字の形状が見える。

そこが取付ではないことは位置的から言ってもすぐに解るのだが「顕著って言うならあっちの方が顕著だよな・・・」

と一人で文句を言いながら登攀を開始する。

おそるべし・・・顕著!

1P:浅野が受け持つことになる。

見上げる十字クラックに向かって浅い凹角~クラックが伸びており残置も確認出来る。

出だしは若干傾斜が強い。

計画段階では今回はオールフリーの予定であった。

(生意気にも柴田さんに力強く宣言した浅野でした)だが5~6mで「A0入りま~す。」

この部分、雪に磨かれているのか?ツルツルであまりフリクションはよろしくない。

御岳のボルダーを連想してしまう。

まあいつものことだが、家で考える行動は得てして壮大である。

(今の時代バットレスのオールフリーくらいなら壮大とは言えないけど)そして自分の実力と現実の厳しさを思い知らされた時いつも出てくる言い訳がある。

「まっ!今回は安全第一と言うことで・・・」

しかしこの日安全第一は随所に出てくることになるのであった・・・。

所々にカムを決めて十字クラック1ピッチ目終了点に着く。

十字の向かって左端になるのかな・・20M位か?狭いながらもスタンスがあるので安定している。

ビレイピンはベタ打ちである。

2P:柴田さんリード。

頭上のガリー状に入り直上。

ハング下でピッチを切る。

ちなみにフォローピッチはどうしても印象が薄くなってしまう。

(すみません柴田さん)だから文章が短くなってしまうが決して手抜きではないことを明示しておくこととする。(本当か?)

3P:出だしの小ハングを超える。

このハング見た目程ではないと思う。

ハングを越すとすぐに傾斜が無くなりルンゼ上のスラブとなる。

スラブ途中の残置を使ってビレイ。

頭の上はやはり大きめなハング形状になっている。

はっきりしていると思うハングだがやっぱり「顕著」

は使わないのである。

ピレイはここで良かったと思うのは、4ピッチ目を柴田さんが登り始めてからだった。

4P:ハングを避ける為に2~3m左にトラバースして傾斜がない所を直上。

柴田さんの姿がハングの上に出た為見えなくなる。

しばらくして音が聞こえてくる。

「落石だな・・」と思っていると後から後から落ちてくる。

しかしハング下の為、石は全て自分の背中のずっと後ろを落下するだけだった。

良かった。

自分も登ってみるとハング上から横断バンド入り口までガレ状の箇所が多い。

今後登る人はご注意下さい。

横断バンドを左にトラバース。

ここはコンテで進むことが可能。

踏み跡も明瞭。

継続ということでピラミッドフェースは5P目からということにさせて頂きます。

5P:ピラミッドフェース横断バンドからを柴田さんがリードする。

出だしブッシュで登り15m位上のテラスでビレイ。

6P:スラブ状のフェースを直上。

逆層気味で岩の構成が見た目ゴチャゴチャしておりラインは不明確に見えるが、実際登るとスッキリしていて中々楽しめる。

要所要所でランニングも取れるし結構いい感じ。

7P:柴田さんリード。

6P目とよく似たピッチ。

8P:スラブ状にクラックが走っている。

カムが良く決まるので#2~#3があれば心強い。

クラック出口がこのピッチの核心かな。

大変安定したテラスでビレイ。

9P:柴田さんリード。

やはり6、7Pと似た感じ。

途中一箇所フリクションが良くないスラブから一段上がったところが「ムム!なんの、なんの・・」と感じさせる。

この表記で「ぜんぜん解んないよ」と言う方は是非バットレスに行ってみて下さい。

10P:ピラミッドフェース核心の一つ手前。

9Pより10mも進んでいないが、そのまま伸ばすとロープが屈曲するのでめんどくさいけどピッチを切る。

ビレイにはハイ松が使える。

すぐ右上が4尾根のようで登っている人がいる。

11P:柴田さんリード。

ピラミッドフェースの核心ピッチ。

すっきりした白いスラブ状フェースが5m程の短いジェードルに続いている。

ジェードル終了地点がビレイ点のようだ。

左上して柴田さんが登りだす。

グレードからみれば残地の数もこんなもんかな。

ここを登らずに右に行けば4尾根に出ることも可能と思われる。

でも見れば登りたくなるよ。きっと。

12P:右にトラバース約10mで4尾根に合流。

自分は合流後も直上してビレイしたが、トラバースが終わった所でビレイをした方が良い(ハイ松が使える)。

その後の直上距離にもよるが残地(リングボルト)までロープを伸ばすと風もないのにコールが全然聞こえなくなる。

13P~15P:言わずと知れた4尾根の為、記載省略。

Dガリー側への懸垂ポイントまで。

(マッチ箱のコルって言うのかな?)

16P:ここで4尾根の先行パーティー含め、フランケからDガリー奥壁からとわらわらと人が集中した。

人気あるね。バットレスって。

17P:浅野リード。

やさしいスラブを枯れ木テラスまで。

中央稜に行く懸垂ポイントにロープをセットして下降。

二回に分けて懸垂出来るが、途中で区切ると上に人がいた場合、落石が危険。

ロープが濡れている等回収が困難な場合で無い限り一回でおりた方が良いと思う。

見た目「本当に一回で降りられるの?」と思う高さだが、50mロープなら問題無い。

18P:ノーマルルート取付を確認。

浅野リードで中央稜1Pを登攀開始。

ルート数が少ないから取付はすぐに確認出来た。

(残置有り)中央稜はそれまでのルートと比較すると脆そうだし、なにより谷底の為、暗い感じがする。

初対面の印象は良くないって感じだ。

ルートは傾斜の強いフェースを強引に5~6m直上。

トラバースしてリンネに入る。

このトラバース、ハング状箇所をのけぞるように足を送る箇所がある。

ここはしゃがみこんで姿勢を低くして超えることをお勧めする。

少し下を探せばその為のスタンスはいっぱいある。

残置でビレイ。

19P:柴田さんリード。

ルート図によればリンネを抜けて1P。

右にトラバース1Pで中央稜3P目終了点になるようだが、リンネを抜けた箇所よりフェイスを右上。

1P終了点より直接3P目終了点に抜けられた。

この間残置も取れるのでその方が時間が短縮出来る。

最近は皆そうしているのかもしれない。

20P:浅野リード。

フェースを右上しハング帯に突き当たる。

そこかしこに残置があるがどれも続いていない(ように見えた)。

「さてさてどちらに行こう」と考えた挙句、ハングの切れ目を右上するラインを辿った。

少し被っていてしかも高度感があり、大変気分の良いフリーピッチ。

2~3個ランニングも取れた。

ハングを抜けるとガクンと傾斜が落ち、広々として視界が広がった。

北岳の頂上がもう少しだ。

残置まで直上してロープを伸ばし柴田さんをビレイする。

しかしここで失敗が発覚。フォローで上がってきた柴田さんによるとノーマルルートのラインはもっと右じゃないかとのことだ。

3P終了点より思っていた程右に登っておらず直上気味だったのが原因らしい。

残置がある所を見ると何がしかのラインだとは思うのだが、たまたまそこが現状で登れるラインだから良かったのであって予定していたラインを外したのは大変危険だと思う。

大失敗だ。

21P:柴田さんリード。

Ⅱ~Ⅲ級の露岩を登る。

ここに来て明るい内に壁を抜けることが出来ることを確信し少し嬉しい。

22P:ガレた狭いルンゼ状を直上。

ロープは要らないかもしれないが念の為、スタカットで登る。

約30m程で終了。

残置で柴田さんを迎え入れルートを抜けた。

ここでロープを外し頂上へ向かう。

頂上までは15分位。ルート図通りだ。

北岳頂上の風はもう冷たかった。

日が暮れ始めていてなんだか朝同様すごい風景が広がっていた。

一日に2回もこんな風景を経験できたのは大変幸運だったと思う。

中央稜は直接頂上に抜けられると聞いていたがまさしくそんな感じだ。

下部の暗いイメージからは全然想像出来ないルートだった。

甲斐駒で天気に泣いた分今回は天気に恵まれたとも思った。

柴田さんと握手を交わして記念写真をとる。

ガチャを整理、行動食を食べて明るいうちに下山を開始する。

しかしまー八本歯のコルより大樺沢までよくこんだけ梯子を作ったものだ。

大変だったろうなと思いながらスタコラ下山。

夜20時過ぎに無事駐車場に戻りました。

柴田さん有難うございました。

次は下部~上部フランケ~Dガリー奥壁、んでもってもう一回中央稜ですね。

 

瑞牆山 十一面岩末端壁 調和の幻想

2001年8月25日
倉田、井上(記)


森がすっかり無くなった遊歩道をアプローチする。

1ピッチ目 (5.9、20m、倉田リード クラック)ジャムの良く効くクラックを登る。

2ピッチ目 (Ⅳ級A1?、20m、井上 クラックとスラブ)初手から最後までビショビショ。

クラックでエイリアンの人工を数手まじえ、その後濡れたスラブを登る。

残置ピトンから右上しようとしたところ、左にビレイ点が見えたため、クライムダウンして戻る。

3ピッチ目 (5.8、20m、倉田 フェースとクラック)残置が幾つかあった。

フェースのぼりで、クラックでプロテクションを取るという印象を持った。

4ピッチ目 (5.10a、20m、井上 スラブとクラック)スラブからクラックを登る。

所々濡れていた。

ルーフ下から上部に抜けるクラックは、ジャミングで登った。

このクラックをレイバックで行った中嶋さん(1997年の記録)は、力持ちだと思った。

5ピッチ目 (5.8、40m、倉田 クラック)とても綺麗なワイドフレークが空に向かってのびていた。

その後、オフィズス。

ワイドフレークではかなりランナウトしていた。

このピッチは登っていて本当に気持ちがよかったので、リードしたいと思った。

終了点から少し登ったテラスで、のんびりしてから懸垂で下った。

クラックを登りこんでいる倉田さんは上手だった。

カムのセットのスピードと登るスピードに違いがあると思った。

トポは中嶋さんの記録が参考になった。

ルート中のプロテクションは取りやすかった。

この日の十一面末端壁には人がたくさんいた。

次は末端壁のクラックルートやベルジュエールを登りたい。

翌日は、ヨセミテ行きの準備がある倉田さんと別れて、赤井さんと三好さん達に合流させてもらって小川山に行った。

ビクターの下地がまっ平らに整地されているのにびっくりした。

 

湯川の岩場、越沢バットレス

2001年8月18日から2日間
三好、浅野、柴田(記)


8月18日(土) 湯川
三好、柴田

金曜日の昼前、会社に「今晩から小川山に行きましょう」とみっちょんからメールが入る。

土曜日は久しぶりにのんびりしようと思っていたが、事業計画も終わり比較的早く帰れそうなので何とか対応できる。

ま、それでは行きましょーか、と言うことで鶴ヶ峰に10時に待ち合わせ信州峠で仮眠の後土曜日朝に廻り目平に入る。

翌日は細かい雨が降っていてなかなか止まず。

11時過ぎまで待ったものの結局止みそうもないので諦めて湯川に転進。

湯川は初めてで、午後からの遅いスタートだったのでやさしめのところ3本しか登れなかったが面白かった。

また行きたい。

– デゲンナー (5.8 FL) 屈曲したクラック。

側壁にスタンスあるが、久しぶりのクラックに少々もたつく。

– 台湾坊主(5.9 FL) 上部に真っ直ぐ伸びるクラック。

美しいがこちらも側壁に比較的容易にスタンスが見つかる。

途中のテラスでゆっくり休める。

– 北風小僧 (5.9 FL) 下部はレイバック気味に、中間の核心手前にキャメを決め、核心ではエイリアン黄色をセットしてガバを掴んではい上がる。

全てみっちょんが先に登り、その後をロープを抜いて柴田が登った。

5.9クラスでも自分でプロテクションをセットして登ると充実する。

最後にコークスクリュー(5.9)を登ろうとしたが時間切れで登れず。

名古屋ACCの山田(がっちー)さんと一緒になり言葉を交わす。

甲府駅前でほうとうを食べてみっちょんとは別れる。

この日は大月駅前の自販機横で浮浪者状態で仮眠。

 

8月19日(日) 越沢バットレス
浅野、柴田

9時過ぎに鳩ノ巣駅で待ち合わせ浅野さんと越沢バットレスに向かう。

管理料金が200円に値上げされていた。

– 第2スラブルート(Ⅳ+ リード)

1年前に登っている。

浅野さんはアイゼンでフォローしてきた。

– 鋸ルート(Ⅵ)

1P:リード。

ハングはガバをつかんでサクッと越える。

エイリアンが使える所が結構有る。

2P:フォロー。

期待していたⅥを登らせてもらう。

核心は2ヵ所あるが落ち着いていけば大丈夫。

フェースの5.8くらいか。

今度はリードしよう。

– 左ルート(Ⅴ リード)

檜のテラスから左上するクラックをのぼる。

右足をクラックに突っ込んだりとなかなか楽しい。

ややかぶり気味で左足のスタンスはあまりないが、右壁上部にガバがあったりする。

この日登った中では一番楽しかった。

 

剱岳 八ツ峰Ⅵ峰、チンネ

2001年8月13日から5日間
櫻井、高橋、大滝(記)


8月13日

内蔵ノ助平経由で真砂沢へ。

テント場は混んでいたが、平らな所に張ることが出来た。

テント場の端がすぐ雪渓だ。

悪い事に、櫻井さんが真砂沢のすぐ手前で足を挫いてしまった。

8月14日

5時起床6時出発かな。

他のテントは3時、4時に起きている。

なんて偉いのだろう。

櫻井さんも「行ってみる。」というので3人でⅥ峰CフェースRCCルートに向かい長次郎雪渓を登る。

テント場からずっと雪だ。

途中で6本爪アイゼンを着ける。

櫻井、高橋は12本爪を着ける。

剱沢から歩いてきたクラックスの本郷パーテイに会う。

岩場に着くと混んでいた。

A、B、C各フェースとも順番待ち。

特にCフェース剣稜会ルートは数珠繋ぎだ。

目当てのRCCルートには誰も居なかったが、到着直前にワンパーテイに入られてしまった。

遅い先行で嫌だったが、お盆だから仕方ない。

明るく快適な岩を楽しんだ。

(全ピッチ大滝リード)2本目も登りたかったが、時間的に駄目だった。

まあ、いいや、降りてビール飲もう。

8月15日

櫻井さんは、足が腫れたので休養。

この日はDフェースなので4時起床5時発

Dフェースは、A、B、C、とは格が違う。

怖い。

取付きも雪が阻んでいる。

雪渓を左から回り込み、苦労して到達する。

取付きは暗く、じめじめしている。

思った通り誰も居ない。

以前、富山大ルートを登ったので、久留米大ルートを選んだ。

(全ピッチ大滝リード)

1P目 直上は怖いので、左から巻いて行く。

明るいフェースに出ると楽しくなる。

小川山物語を簡単にしたような、わくわくするピッチだ。

2P目 右に行くのか、左に行くのか迷ったが、左に進んだ。

それで良かったみたいだ。

3P目 出だしの4-5mのスラブはフリークライミングの様で楽しい。

ハング下からアブミトラバースし、ハングの切れ目をA0でぐいぐい登っていく。

残置はしっかりしている。

アルパイン的興奮に満ちてくる。

核心部が終わっても、頭までロープは着けたままだ。

取付き9:20Dフェースの頭12:30 2本目は、やはり無しにして真砂に降りた。

8月16日

櫻井さんは下山。

この日はチンネ左稜線なので、3時起床4時発。

何と真面目な。

長次郎右俣は上部雪が繋がっていない部分があった。

左稜線の取付きに、ほいほいと向かった。

壁には誰もいない。

15日、16日で結構下山したようだ。

ところがここで大失敗。

取付きを通り越し、その先のルンゼを、変だ。変だ。と思いながら登った。

でも難しくて、2P目が登れない。

散々悩んでいると三ノ窓側に人が来た。

大声で、「すいませーん。左稜線の取付きはそっちですか。」

とても恥ずかしかった。

いそいそと戻り、正しい取付きに着いた。

本来8:30には取り付けたのに、11:00になってしまった。

随分昔に来ただけなのに、慢心でしっかりと取り付きを確認しなかった。

大いに反省しました。

先行は4人で2パーテイ。

待たされることなくさっさか登る。

ガイドされているが如くだ。

ただ、ハング越えのピッチでは待たされた。

ここは右のフレークがぐいぐい掴めるので右寄りに登ると楽だ。

先行のトップが登っている時、ガスが出て幻想的でとても格好良かった。

寒くなったので長袖を着た。

上部のナイフエッジから下の雪渓を見下ろすと眩暈を覚える。

時間がとても気に掛かったが15:20に終了。

ほっとした。

(全ピッチ大滝リード)

真砂沢17:30着。

8月17日

良く晴れたなか下山した。

 

 

北穂高岳 滝谷ドーム中央稜、北西カンテ

2001年7月20日から4日間
櫻井、井上、一ノ瀬(記)


7月19日夜

21:30西国分寺駅→稲核ダムで仮眠

7月20日

7:00頃稲核ダム出発。

寝不足だがさわやかな朝。

8:15上高地、ここで朝食。

今日は北穂・南稜テン場までの予定、だがさすが連休の上高地、やっぱり人、人、人、で富士山夏山状態!追い越してもまた人の列が途切れずその行列の一員のまま14:00涸沢へ。

自分だけがへろへろだと思ったら2人もお疲れの様子、北穂高小屋までゆっくりと時間をかけて登り、16:40テン場着。

夕食の焼き肉丼がへろった腹に染みわたった。

7月21日

起床。

ラーメン食って7:30発。

北穂小屋経由で登山道から三尾根をかなり慎重に下り、20m懸垂して9:00取付きへ。

「私ら3時間待ちですよ」

と順番待ちの1パーティー、前を登る3パーティーとやはり三ツ星ルートだけある。

遅く出た我らは10:30登攀開始。

昨日の暑さで軽い熱中症にかかった井上さん、調子はまずまずだが念のため、と櫻井さんがトップ。

さすが3,000mの高所、もう下からガスがあがりはじめている。

少し寒い。

1P目、短いチムニー。

どう登んねん?手も足も私には取っ掛かりがなく、うろうろしていると上と下から叱咤する櫻井さんと井上さん。

突っ張るのね、なになにザックを降ろして自分と一緒に上げるですか、うんこらどっこいしょ、わーわー言いながらなんとか突破。

3P目からは井上さんトップ。

3人ギリギリのビレーポイントで5P目、最初の一手、左を回り込むにも下が切れててない!ここどうやっていくの!?後続のトップがもう横にいる、早く登らなくては。

しかし右を見上げても打ち手は読めず、やはり左か。

「こわいよう、どどどこに足を手ををー?!いやーわわかんないーっ!!」

焦りと恐怖で半泣き状態、口が勝手に喋りまくる。

「スリングかけてそこに足掛けろ」

ぎゃーぎゃーうるさいので仕方なく櫻井さんが指導。

ようやく体が上にあがる。

(あとで「トラバースであんなに怖がる奴めずらしいよ」と言われた)多分私以上に櫻井さんと後続のトップがほっとしたに違いない。こわかったーこわかったー登れたよぉーよかったぁーと小鼻を膨らませながら、いやいやまだあるんだ落ちれないぞ、と気を引き締めてあとはバリバリA0でなんとか登り切る。

ちょっと調子に乗った頃、終わりが近づく。

ラストのハングを右にいき、全7ピッチ。

終わりだ終わりだ!もう周りはガスで真っ白だった。

ドーム頭16:00。

終了点少し過ぎたところで靴を履き替える。

小屋まで戻り、水をたっぷり買って我が家へ。

小雨降るあやしい空に明日が心配だ。

7月22日

3時、他のテントからのでかい声に起こされる。

暫くして静かになり2度寝を決め込もうとしたら「あ、朝日」

の声に仕方なく5時起床。

すがすがしい青空。

北穂小屋を経由し登山道少し行って、8:30北壁取付き。

左ルート・右ルートを観察したらピンがヤバそうなので、北西カンテに決定。

取り付き準備中、登山者の落とす落石、早くもどこか登攀終了してまた北壁上部をいく5、6人パーティーのガラガラさせる音が滝谷に響く。

トップの井上さんが奥へと進むにつれ、ロープが流れにくくなる。

暫くしてアブミに乗ってがんばってる姿が見えた。

よし、私もアブミだ!初めてのA1にわくわくして進むとまたもやピンチ。

アブミを掛けるピンに届かない!うぇーうぇーいってたら上から井上さんが「桜井さんに助けてもらいなよ」

あ「さくらいさーーん!」

・・返事がない。

数回叫んだら、「あやいち抜けるの遅いからと思って気持ちよくひなたぼっこしてたのによー」と返ってきた。

今日もご指導を賜りやっとこさアブミに足を掛ける。

「私は落ちない、大丈夫」

と願をかけ、ばしばし打ってあるピン古いのまで余すことなく使い、リズムに乗ったころテラスへ這い上がる。

登り終えた嬉しさで最後に乗ったアブミを回収しそこねあせっているとせかされるように桜井さんに回収されてしまった…。

2P目もなんなく?クリア。

いやーしかしアブミって楽しい!と思ってしまった。

終了点12:00。

少しすぎた安定したとこで靴を履き替える。

えさをパクつき小休止していると、「握手しませんか」と急に井上さんが言う。

あらたまられると照れてしまうが3人握手。

「おつかれ」

「ありがとうございました」

せめて今日は午前中には登り終えたいと思っていたが12時ジャストに登攀終了!で一人でむふむふ喜んでいた。

テン場に戻るとなんと20張位あったテントが私達の1張しかなく、さみしそう。

今夜の寝床は涸沢なので我々も撤収、テントをばさばさやっていたら、ポールを折ってしまった。

ごめんなさい。

涸沢ではのんびりまったり。

周りの山々を眺める。

やっぱり山頂付近は午後ガスるのだなぁ、次はあそこいきたいなあ、と夢を馳せる。

7月23日

また周りの人々の声で目覚める。

今日で下山か…あっという間だった。

寂しいな…。

下山中、屏風や穂高を眺め、いつかこようとまた夢を馳せる。

後半単調な道は一人のおじさんと2人のバトルについてってあっという間に昼頃バスターミナルへ到着。

沢渡で久しぶり櫻井カーに乗り込み新島々バスターミナル前の「妙鉱の湯」(400円)で汗を流したあと、少々の渋滞を経て帰京。

車窓からの都会臭い風を受けて思わず穂高へ戻りたくなった。

<感想・反省>

あいかわらず、登攀中の余裕のなさ・記憶力のなさゆえ記録とはいえない感想文だ。

ベースを置いて高所での初めてのクライミングだったが、前週落ちたときの恐怖感・左手首の捻挫をかばうためとはいえ、ヌンチャクスリング掴みまくりの登りや先を考えない登りかたは情けない。

しかしあの滝谷を登ったことはかなり嬉しい。

もっと写真とっとけばよかったなぁ。

 

 

錫杖岳 前衛フェース3ルンゼ/左方カンテ

2001年7月20日から3日間
石原(愛媛大WV山岳部OB)、赤井(記)


7月20日

槍見温泉手前の駐車場に8:00集合、装備をザックに積め9:00出発

10:30頃 錫杖沢出合に到着テントを張る。

出合を出て12:30 3ルンゼの取り付きに到着した。

私らが準備をしていると、3人組の1パーティがきた。

12:50登攀開始、岩は多少濡れており、ガラガラした感じだが4ピッチ目までは順調につるべで登る。

途中、後ろのパーティがでかい落石(岩雪崩れのような音がした)を起こした時はビビったが・・・。

このルートは前に他のパーティがいるときは要注意です。逃げ場はなし。

5ピッチ目、石原君リードで残置のスリングがかかっている、右側の壁をトラバース気味に登っていく。

途中悪いため少々てこずっている様だったが無事抜けていく。

6ピッチ目、右側には残置のハーケンがある濡れた壁。

真中はチョックストーンに2箇所ほどスリングがかかっている、難しそうな壁。

左側はボルト1本に5mほどスリングが連結されている壁。

どれを行くか迷ったが途中支点が取れそうな右側を行く。

途中カム、ハーケン等で支点を補強しつつ人工で登るが、最後、4メートルほどの左へのトラバースが濡れていて踏み出せない。

手持ちのガチャで左横に補強して人工しようとするが、ハーケンが入らず、石原君に交代してもらう。

彼は、私の行き詰まったところからもう1歩上がり青のエイリアンをかまし。

テンショントラバースのようにし、その先に、もう1個キャメJr.をかまして、抜けていく。

7ピッチ目、やさしい草付きを抜け稜線に出る。

16:30終了。

1回懸垂を交えて逆側の谷のほうに行き、やぶをトラバースしFIXの張ってあるピナクルに出る。

FIXロープ沿いに降りクリヤ谷に向かって降りていった。

7月20日

7:00 左方カンテ取り付き。

すでに2パーティの順番待ち。

取り付きに戻ってくる予定なので、ザックを一ヶ残置する。

8:00頃登攀開始。

赤井、石原の順番にてつるべで登る、途中順番待ちで待たされるもののおおむね岩は硬く快適に登っていく。

最終ピッチ、貝の化石のあるフェースを私のリードで取り付く、石原君は”太古のロマンにひたりながら登ってください”などと余裕の発言をしていたが。

途中のフレークが触ると動き、また、所々濡れており結構悪かった。

同ルートを下降。

注文の多い料理店などを見物し、テン場に戻ったのは15:00ごろでした。

7月21日

烏帽子岩を登る予定でしたが寝坊をし、途中のアプローチの大滝まで行くも、帰る時間が遅くなりそうなので、やめて撤収した。

帰りは温泉に入りビールに焼肉を食べ、結構満足な3日間でした。

 

 

谷川岳 幽ノ沢 中央壁左フェース

2001年6月10日
浅野、倉田、向畑、井上(記)


土曜夜11時過ぎに高麗駅発、夜1時頃に一ノ倉出合いに着く、雨が降っていた。

次の日4時に起きると雨は上がっていたので、幽の沢に向かう。

5時頃出合い発。

幽の沢はほぼ雪渓上を行けた。

7時30分頃登攀開始。

浅野・倉田と向畑・井上で登った。

登攀は浅野・倉田が先行し、向畑・井上がその後に続いた。

私の登攀スピードが遅いのを向畑さんがカバーする形となった。

特にリードのピッチでは、ルートを外したり、濡れた岩のスメアリングの感覚がつかめなかったりで、時間がかかってしまった。

ルート自体は部分的に濡れていたが、ホールドは豊富で、ピンも思ったよりもあった。

核心のZピッチは、良く濡れていて皆あぶみを使っていた。

私は、トラバースの場所を間違えて下から行きすぎてしまい、1手ごぼうをしてしまった。

登攀中はずっとガスがかかっていて、13時頃、最後のリッジの所で雷雨にみまわれ、雹が降ってきたので、ツェルトを被ってしばらく待機した。

その後、中央壁ノ頭でロープを解き、堅炭尾根に16時に着いた。

私は堅炭尾根への登りでも遅れていたが、堅炭尾根からの下りの途中で足が笑い出して思いっきり遅れ、芝倉沢の出合いに19時30分頃ついて、一ノ倉の出合いについたのは21時前になってしまった。

皆さんに迷惑をかけてしまい大変申し訳無かった。

〈雑感〉

もっと登れるようになりたいという思いから、どうすれば登れるのかを考え、今回の山行は、自主性をもって登ることをテーマにしました。

計画書を自分で書くことから始めて、山行中に無意識のうちに他人に頼ってしまうので、そうならないように自分で判断して登ろうと思っていました。

そして、ルートに取り付いてからはつまらない敗退はしたくなかったので、絶対に登ってやるとだけ考えていました。

しかし、登攀中にボロッボロッと向畑さんに頼る発言をしてしまいました。

その時に置かれていた状況は、全て3手位進んで周りを見れば自力で解決できたことだったので、自分の頑張れなさに腹が立ちます。

このような甘えのある限りいつまでたっても上手くなれないだろうから、次の山行はもっと意識を強く持とうと思います。

体力・気力・技術に反省点が残る山行でした。

本当に悔しいです。