谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩中央稜

 

2003年2月23日
浅野、柴田(記)


昨年4ピッチ目で敗退した中央稜のリターンマッチ。

いつもの通り上里で運転を交代し、天神平スキー場の立体駐車場まで。

身支度を整え3時頃出発。

やけに暖かく雪も昨年に比べると少な目。

1時間ほどで一ノ倉沢出合いに着きそのまま本谷から衝立スラブを途中まで登りテールリッジに移り中央稜取り付きの安定したビレーポイントまで。

天候は小雪だが風はたいしたことなくまずまずの日和。

午前6時頃準備を整え昨年同様浅野さんリードで登攀開始。

1P(浅野)取り付きの雪の段差を越すのに少々苦労する。

その上は傾斜も寝た感じで昨年より登り易い。

ビレーポイント手前の左にトラバースするところも無難にクリア。

2P(柴田)カンテを左に回りこんで緩いルンゼを登るがビレーポイント手前の一手は結構緊張。

トレーニングを積んでいないと何でもないところが恐く感じる。

3P(浅野)カンテを右に戻り第2フェースを登る。

昨年はアブミまで出したがことしはA0で何とか登れた。

4P(柴田)第2フェース上部。

毛の手袋を脱ぎ素手にミトンで登ったこともあり割と快調にすぐ上のビレーポイントまで。

その上部を登りかけた所で昨年苦労した記憶が蘇り、浅野さんにリードとしてもらうべくピッチを切る。

後続パーティが近くまで迫ってきた。

5P(浅野)フェース上部をA1で進み、途中から右のルンゼに入りダブルアックスで登り、最後は凍ったチムニーを突っ張りで持たせてダブルアックスで抜ける。

リードする浅野さんからは何度か「頼むねー」のコールが入る。

フォローでも緊張消耗するピッチだった。

リードした浅野さんを尊敬する。

ここで既に12時を回っていた。

隣の烏帽子奥壁には南稜フランケあたりに女性のコールがこだましている。

6P(浅野)最初は柴田がリードしたが、5mくらい登ったところにあるピトンで暫く休んでいるうちにピトンが抜けて墜落して浅野さんに体当たり。

幸いルンゼ状だったのですぐに停止し宙吊りになることもなかったが垂壁だったら危なかった。

これでモチベーションが急低下した柴田は選手交代でフォローに回る。

7P(浅野)ルンゼ状を詰めてピナクル状のアンカーポイントに這い上がりその上のすっきりとしたフェースを登る。

ピナクル状を登り切った所で午後2時15分だったので浅野さんにここまでとしないか話し、下ることにする。

懸垂50mダブルで3ピッチ。

安全環付ビナにロープを通すのが大儀なほど手指が疲れていた。

隣の烏帽子奥壁の大氷柱は中間部がバラバラになっている。

やはり昨年よりもだいぶ氷雪は少ない様だ。

ロープを仕舞い気がつけば腹ペコ。

中央稜取り付きでレーションを一気に食し、テールリッジを慎重に下り、何度も振り返りながら出合いに戻る。

何はともあれ無事に帰れてよかった。

まあピナクル状まで抜ければほぼ完登と思いたいが、トレーニング不足により随分浅野さんに迷惑をかけ申し訳なかった。

タイム
駐車場(3:00) → 一ノ倉沢出会い(4:07) → 中央稜取り付き(6:00) → ピナクル状テラス(2:15)→ 一ノ倉沢出合(16:35) → 駐車場(19:00)

 

谷川岳 幽ノ沢 中央壁正面フェース

2002年9月20日
森広、大滝(記)


幽の沢は3回目だ。過去に中央壁右フェース、左フェースと登った。

5:50一ノ倉出合。
7:25カールボーデン上部。
14:45堅炭尾根。
16:55旧道。
17:50一ノ倉出合。

快晴の中、カールボーデンに向かう。やはり所々緊張する。カールボーデンを快調に登り、行き詰まった所でアンザイレンし、2P伸ばす。ここは結構怖く感じた。

ルートに入り、1目は草つきを左上して行くPとブッシュがあるので、それにランニングを採る。

左下を見ると、草付き帯が終わった所にボルト2本のビレー点があった。豆腐岩の右上10m位の地点だ。

2P目はホールド、スタンスともに豊富で快適だが、残置は無いので森広さんは20m程進んだ所にハーケンを打った。これはしっかり効いていた。最後、リッジに出て切る。

3P目はやや左寄りに行く。傾斜がきついのでゆっくり登る。残置は適度に有る。ハング下で、左上にビレー点らしきものが有ったが、納得出来ない。右のリッジに向かって確実にトラバースする。高度感が凄い。リッジ上にて切る。

4P目は出だしが少し難しいリッジを登って行って、ハング帯の切れ目を乗越すが、切れ目なので難しくなくA0にはならなかった。左上すると、草付きテラスだ。

5P目は右にトラバースしてカンテを回り込むと、後半の緩い大スラブ帯に出る。急に気分が明るくなる。真白なカールボーデンが遥か下だ。

この感覚はたまらない。この後、4P分進むと、草付き帯に達する。意外と残置があったので、ハーケンは打たなかった。

草付き帯はロープを外すべきか迷ったが、出だしが少しやばそうなので着けたままにしたら、引いてもらう時に見事に流れ難くなった。草付き帯を1Pで終えると、踏み跡に出た。

堅炭尾根に着くと半袖では寒い位だった。

気を使う嫌らしい道を下って行った。

 

谷川岳 一ノ倉沢 滝沢第3スラブ

2002年3月14日
浅野、柴田(記)


今年は滝沢第3スラブが登りたいな、と言うことで浅野さんと意見が一致し3月第2週の週末を予定し、ルートの情報を入手したり(特に3年前に登っている向畑さんのアドバイスは実践的かつ貴重でした)谷川の天気を1週間前くらいから追いかけたりしていた。

期待と不安のうちに迎えた週末ではあったが、急な事情でその週は行けなくなり予定した日曜日は爽やかな青空の下、子供と遊んで過ごした。話を聞くと浅野さんも子守りをしていたようだった。

我々が空振りしたその週に谷川に入ったパーティの報告だと今年は春の訪れが例年より早そうだ。モタモタしていると条例に基づく入山禁止になってしまう可能性もありそれでは悲しすぎる。二人で相談の結果条件の良い平日に仕事を休んで行ってみる事になった。

3月13日(水曜日)

夜東京発。

関越を交代で運転しながら午前1時30分過ぎに駐車場に着。

準備を整え指導センターに計画書を提出の後一ノ倉沢出合に向かう。

駐車場で一緒になったノコ沢に向かうというパーティの話では3スラに単独の人が入っているとの事。

我々を含めて3パーティ、平日でも結構いるもんだと思いながら一ノ倉沢出合から本谷方面を見上げるとはたしてヘッドランプが一つ光っている。

本谷は一ノ倉尾根からのデブリが沢筋を埋めており半月前とはすっかり変わった姿になっている。

東尾根に向かうトレースと一ノ沢で別れ、滝沢下部氷瀑下で先行のソロの人が登っているのに追いつく。

我々もここで登攀準備をしアンザイレン、ヘッデンをつけて柴田リードで発進。

半月前に観察した通り右側は氷瀑が大きく発達し被っているので左側を登る事にする。

雪と氷を混ぜて固めたような壁だがアックスの食い込みは良く登りやすい。

所々で岩が出ておりうっかりアイゼンを蹴り込むと線香花火のような火花が飛ぶ。

右下から左上しその後直上するようなラインを取る。

ほぼ50mいっぱい伸ばして浅野さんにコールをかける頃にはだいぶ明るくなってきた。

次のピッチは浅野さんがリードするが50mでランナー1つ、アンカーポイントも不安定なスタンディングアックスなので「落ちないで登って来てね」とのコールに「了解」の返事をする。

まあ傾斜も緩く、気をつければどうと言う事はない。

見上げるとドームが意外な近さで見える。

以後F4まではロープを引きずりながらの同時登攀。

F4はハングを右に回りこんで2ピッチで抜ける。

F4でビレー中に小規模なチリ雪崩が数度起き、第2スラブとの境界のリッジにスノーシャワーが舞い降りるがしばらくするとおさまった。

前日午後からは好天が続いていると言う事でB~Dルンゼ方面も小規模なのが一発出た以外は静かだ。

F4から上はまたロープを引きずっての同時登攀で進む。

氷を交えた緩い雪壁が続き、容易だが絶対落ちられない。

やがて上部草付帯が近づくが確かにスラブ内よりはこちらの方が傾斜も立っていて危険そうだ。

雪を払い除けて現れた氷にスクリュー3本でアンカーをセットしてセルフを取り浅野さんを迎え、草付帯1P目を浅野さんリード。

正面の大きな露岩を右から回り込んで抜けるが雪は顆粒上で踏み固めてもスタンスが崩れる事が多くなり、結構悪い。

柴田が残りロープの目測を誤りアンカーポイントの選定がやり直しになり迷惑をかける。

2P目は柴田が登るが緩い雪壁でどうと言う事は無い。

それにしてもあれだけ近くに見えたドームがなかなか近づかない。

「無理するな、近くに見えてもドームは遠い、か」と一人ごちるが面白くも何ともない。

ビレーポイントが取れないのでやむなく中指くらいの太さの潅木3本とアックスでセルフを取るがリードの墜落には到底耐えられない事は最初からミエミエ。

3P目浅野さんリード。

傾斜も所々垂直になり多少太めの潅木でランナーは取れるもののアックスも効かずスタンスも崩れるところがありフォローでも緊張した。

ようやくドームが目の前に姿を現す。

4P目はドーム正面までの雪のリッジで傾斜はあるがスタンスがわりと決まるようになり緊張感は少ない。

見下ろすと滝沢リッジが美しいラインでドームまで延びている。

ようやくドームに辿り着きシュルンドの内側で岩壁を背に浅野さんを迎える。

我々はドーム正面の横須賀ルート付近に出たが上部草付帯はあとから人の記録を読むとみんな色々なところを登っていて、また年によって条件も変わるようだ。

ドーム基部で小休止の後Aルンゼへの下降点まで短いトラバース。

確かに余り気持ち良くないがドームに打たれたボルトが使えたので上部草付帯に比べれば精神的には楽。

秋野・中田のレリーフに心の中で合掌し、懸垂下降点からAルンゼを見下ろすと着地点まで結構遠い。

50m一本で足りるか心配になるがまあ最悪はロープをシングルでフィックスすれば帰れるしそもそもダブルでないと届かないと言う記録など読んだ事ないぞ、と浅野さんと話す。

先に降りた浅野さんの「末端が雪面に届いている」の声にほっとするが着地した浅野さんの足下で大きなシュルンドが突然開き浅野さんが落ちかけるのを見て驚く。

表面に積もった雪がシュルンドを隠していたようだ。

幸い懸垂ロープを離す手前だったので大事には至らず。

Aルンゼは北向きである事と新雪が降っていないことで安定していた。

先行した単独の人のトレースが点々と残っている。

向畑さんのアドバイス通り途中から左に折れドームのコルを経由し気持ちの良い雪のリッジを登り国境稜線に抜けた。

浅野さんと握手し、ギアもハーネスもザックに仕舞いこんでオキの耳経由で西黒尾根を下る。

急に重くなったザックと安全地帯に抜けた安心感でヨレるが途中休んでパンを食べ水を飲んだら急に元気が出てきた。実は単なるシャリバテだったのでした。

樹林帯に入り在京の櫻井さん宅の留守電に状況を入れる。

ついでにアイゼンも外すが2年前の片山さんの骨折事故はそういえばこの辺りだったなあと、ふと思い出す。

シリセードで先行する浅野さんに追いつき、腐りかけた雪の上にステップが縦横に踏まれて無茶苦茶になったトレースを一気に下る。ヘッデンになるかと思われたが何とか明るいうちに指導センター着。

【タイム】
指導センター(2:15) → 一ノ倉沢出合(3:05)→ 下部氷瀑取付(4:40) → 上部草付帯(9:30) → ドーム基部(13:15) → オキの耳 (15:15) → 指導センター (17:45)

【主な携行ギア】

・ スクリュー8本(maxでも6本までしか使わず)

・ スノーバー1本(使わず)

・ 50mロープ1本(1本で十分と感じた)

・ エイリアン2本(使わず)

・ シュリンゲ適数(実際に使用したのは上部草付帯で数本程度)

 

谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩ダイレクトカンテ、烏帽子奥壁変形チムニー

2001年6月9日から2日間
赤井、柴田(記)


昨年9月の午前様の下山遅延以来の谷川だ。

メンバーはその時と同じ赤井さんとの二人きり。

きっとまた何か不幸なことが起きるのではとの悪い予感が。。。

6月9日

曇り時々晴れのちガス

湯檜曽駅で一晩明かし途中指導センターに登山届けを提出し6時過ぎに出合を出発。

トイレは建て替えられチップトイレになっているが男性用個室は1つしかなく以前に比べて落ち着かない気がした。

アプローチはよっぽど運動靴にしようかと思ったが迷った末に軽登山靴にした。

(正解だった事が後からわかる。)

快適にテールリッジ取付きまで雪渓を歩き、汗をかきかき約1時間で中央稜の取付き着。

ここで身支度をして衝立スラブをトラバースし、アンザイレンテラスに向かう。

二人ともアンザイレンテラスに行ったことが無いのでトポを見ながら見当をつけて草付まじりを登りアンザイレンテラス着、右斜め下に懸垂でダイレクトカンテ取付きらしき所につく。

頭上には見間違い様ない顕著な大カンテが延びておりルートが正しいことを確信。

1P(柴田)

取付きから直上するボルトラインも見えるが右斜めに登りブッシュでランナーを取り、フェースを直上したあと左に大きくトラバース。

ロープの流れがやや悪い。

2P(赤井)

小ハングの下までフリーでそこから人工が始まる。

大ジェードルの下を平行して左上にラインがのびており、古い残置ボルトのリングものびている。

さわると一部砂鉄化してこぼれる腐食ハーケンもいくつか。

途中遠いからとリードした赤井さんが打ったピンは素手で簡単に回収。

数手のフリー有り。

股間には衝立スラブが広がる。

久しぶりの人工に興奮しながら2P目終了点に到着。

3P(柴田)

レッジから延びるクラックに沿ってアブミの掛け替え。

フィフィを使うと随時休めるので楽チン。

時折現れるペツルには必ずランナーを取り「こんなとこフリーで登るなんてすげーなー」と感動しつつ進む。

右側のカンテに回り込む手前はややピンが遠くターザンのようになりながらアブミを掛け3P目終了点に到着。

残置5つくらいから支点を取りハンギングビレーで赤井さんに「登っていいよ」のコール。

赤井さんが登っている間にすっかり尻と腰が痛くなってしまった。

4P目(柴田)

順番では赤井さんリードだがモチも今一の様子でまた自分としても早くハンギング状態から解放されたいので代わってリードさせてもらう。

ビレーポイント右のカンテを越え傾斜の落ちたフェースを途中まで人工まじりで登り途中でアブミを手仕舞いフリーで終了点まで。

中吊りが恐いのでこまめにランナーを取る事を心がけた。

終了点でシューズを脱ぎ裸足でビレーしていたらこの近辺に住むブヨから大歓迎を受け、水虫のCMに出てくるオジサン状態でビレーを続ける。

終了点から少し上がると北稜の踏み跡に合流、懸垂4回でコップスラブ上のルンゼに降りる。

衝立前沢の雪渓の状態が悪く、ランナー無しのスタカットで各自必死のトラバース。

運動靴にしなくて良かったと思った。

その後も途中まで薮を進んだりと遅くなり出合に戻ったら真っ暗になっていた。

出合(6:15) → ダイレクトカンテ取付(8:15) → 終了(15:30) → 出合(20:30)

6月10日

曇り後雷雨

前日に引き続き湯檜曽駅で夜を明かす。

きっと雨で休めるだろうと踏んでいたが朝起きると雨は降っていない。

仕方ないと前日と同様のパターンで一ノ倉沢出合まで。

所沢ナンバーのシビック(向畑車)がチョコンと停っている。

彼らは何処に行ったかなー、と赤井さんと話しながらテールリッジを登る。

雪渓を歩いていた時は涼しかったがテールリッジに上がると突然暑くなる。

ブッシュの葉の朝露で顔を洗ったり喉を潤したりしながら歩く。

沢屋出身の自分は渇きに非常に弱いことを実感。

変チ取付が濡れていて水が流れているといいなーなどと妙な願望を抱いたりしてる。

変チには先行2パーティが取付いておりのんびりと身支度をしながら待つが残念ながら水は流れていない。

昨年中央カンテを登っているし天気も早めに崩れそうなので今日は中央カンテと合流する手前の変チを抜ける所まで、と決めて赤井さんリードで登攀開始。

1P(赤井)

大まかなフェースを直上。

前が混んでいることもありわりと短めにピッチを切る。

2P(柴田)

濡れたフェースを左上する。

残置が思ったより少なく途中ランナウト。

途中濡れたフェースを水が流れている所で喉を潤し横断バンド右寄りのレッジまで。

3P(赤井)

レッジ右側の濡れたクラックを滑らないよう注意しながら登る。

(先行のおばさんは滑っていた。)

あとは階段状の容易な岩場を越えて変形チムニーの下まで。

トポの3Pと4Pをまとめて登った事になる。

4P(柴田)

変チは赤井さんリードと思っていたが自分の順番になってしまったので赤井さんに「いいの?」

と聞くが「気にしないからどーぞ」との事。

先行のセカンドのおばさんが登り始めるのをのんびりと二人で見物する。

おばさんは出だしでいきなりフォール、バラバラと落石が起き3人で下に向かい「ラックー!!」

その後もなかなか進まずチムニー出口で左に抜ける所で何度もフォールし苦労している。

ビレイヤーから蜘蛛の糸のようにお助けシュリンゲが降りて来るが、それを掴むが力が残っていないのかそれでも登れない。

何度も我々に「ごめんねー」と声を掛けてくれるがどうせ我々はここを抜けるまでなのだからと「いえいえ、のんびりやって下さい」と応じる。

それでも幾度となくフォールを繰り返すおばさんを見ているうちに「そんなに難しいんだっけ」

と不安になってきた柴田は『IV、A1 or V+』とトポにあるのを見て「フリーで登りたいし」

と言い訳しつつザックを置いて登る事にした。

ようやくおばさんが登り終え我々の番になった。

チムニー手前の浮いている大岩に注意しつつ濡れたチムニーに入る。

要所に残置が有り途中からバックアンドフットでおばさんが苦労していた出口手前まで。

手の平サイズのクラックに左手を決め、濡れた岩角に右足を決め暗いチムニーから明るい外へ出る。

チムニーの亀裂を慎重にまたいで右側に戻りビレーポイントへ。

赤井さんも問題なく登ってくるが最後の所で腰のバイルハンマーが岩に引っかかっていた。

さて、予想通り天候も悪化の前兆が見えてきたのでスタコラと登った所を懸垂で下る。

登っている最中もそうだったが中央カンテ、凹状方面では頻繁に落石が起き「ラクーッ!」の絶叫がこだましている。

こんなところに長居は無用と中央稜取付きまではクライミングシューズを履いたままスピーディに戻る。

中央稜取付きでポツポツ降り始めテールリッジから雪渓に移る所でとうとう豪雨・あられ・雷の大合唱になる。

赤井さんは有名な変色した元ゴアのカッパを取り出して着ているが自分はもういいや、と濡れるに任せる。

振り返ると烏帽子スラブが一条の滝になっている。

出合に戻り着のみ着のままで一ノ倉沢を後にした。

向畑車がまだそのままだったことが気になったがまあ途中から倉田さんの携帯に電話すればいいや、と思っていた。

結局帰途では倉田さんの携帯は留守電のままでしたが、あの時間どこでどうしていましたか?

出合(6:15) → 変チ取付(7:45) → 変形チムニー上(11:00) → 出合(13:40)

 

 

谷川岳 幽ノ沢 中央壁左フェース

2001年6月10日
浅野、倉田、向畑、井上(記)


土曜夜11時過ぎに高麗駅発、夜1時頃に一ノ倉出合いに着く、雨が降っていた。

次の日4時に起きると雨は上がっていたので、幽の沢に向かう。

5時頃出合い発。

幽の沢はほぼ雪渓上を行けた。

7時30分頃登攀開始。

浅野・倉田と向畑・井上で登った。

登攀は浅野・倉田が先行し、向畑・井上がその後に続いた。

私の登攀スピードが遅いのを向畑さんがカバーする形となった。

特にリードのピッチでは、ルートを外したり、濡れた岩のスメアリングの感覚がつかめなかったりで、時間がかかってしまった。

ルート自体は部分的に濡れていたが、ホールドは豊富で、ピンも思ったよりもあった。

核心のZピッチは、良く濡れていて皆あぶみを使っていた。

私は、トラバースの場所を間違えて下から行きすぎてしまい、1手ごぼうをしてしまった。

登攀中はずっとガスがかかっていて、13時頃、最後のリッジの所で雷雨にみまわれ、雹が降ってきたので、ツェルトを被ってしばらく待機した。

その後、中央壁ノ頭でロープを解き、堅炭尾根に16時に着いた。

私は堅炭尾根への登りでも遅れていたが、堅炭尾根からの下りの途中で足が笑い出して思いっきり遅れ、芝倉沢の出合いに19時30分頃ついて、一ノ倉の出合いについたのは21時前になってしまった。

皆さんに迷惑をかけてしまい大変申し訳無かった。

〈雑感〉

もっと登れるようになりたいという思いから、どうすれば登れるのかを考え、今回の山行は、自主性をもって登ることをテーマにしました。

計画書を自分で書くことから始めて、山行中に無意識のうちに他人に頼ってしまうので、そうならないように自分で判断して登ろうと思っていました。

そして、ルートに取り付いてからはつまらない敗退はしたくなかったので、絶対に登ってやるとだけ考えていました。

しかし、登攀中にボロッボロッと向畑さんに頼る発言をしてしまいました。

その時に置かれていた状況は、全て3手位進んで周りを見れば自力で解決できたことだったので、自分の頑張れなさに腹が立ちます。

このような甘えのある限りいつまでたっても上手くなれないだろうから、次の山行はもっと意識を強く持とうと思います。

体力・気力・技術に反省点が残る山行でした。

本当に悔しいです。

 

谷川岳 一ノ倉沢 一・二ノ沢中間稜

2001年3月20日
三好(記)、他1名


3/18の戸隠敗退で、いつもの通り悔しくて悔しくて無言になったまま懸垂を終えた私に向かって、森広さんとK君が「みよしさんが喜ぶようなことを思いついたよ」とにやにや笑っています。

ずっとにやにやしてなかなか教えてくれないのですが、なんとか聞き出すと、20日は以前から行きたかった谷川の一ノ沢・二ノ沢中間稜にK君が付き合ってくれるとのこと(森広さんは元々20日は仕事だったので駄目)。

そりゃ素敵なプランです。

3月20日(火)

快晴

指導センター3:50~一ノ倉出合5:00~取付5:20~ピナクル上8:10~オキノ耳9:10~
指導センター10:55

出発前にK君が散歩に行って来るとメールで流していたのを読んで、ほんまかいなと思っていましたが、急雪壁にも、泣きそうになるという噂のナイフリッジにもトレースばっちりで、天気もよく、本当に快適でした。

ロープはピナクルで1P出しただけで済みました。

でも、日の出直後からシャツ1枚でも暑いくらい気温が高くて、第一岩峰が見えてくるあたりで、足もとの雪面にぴしーっと亀裂が走ったりしてかなりびびって、第一岩峰も素直に巻いて、すたこら逃げる感じでした。

烏帽子スラブの雪は見ている間にほとんど雪崩れて、幽ノ沢でもどでかい雪崩が見られました。

どどーん、どどーんと景気よかったです。

湯テルメで風呂して、水上の道の駅で昼飯していたら、ヘリは飛ぶし、救急車は来るし、彼氏殿から携帯が入るしで、事故の発生を知りました。

事故は滝沢リッジとのことでしたが、あんなに気温高いとほんと怖いです。

戸隠を敗退する時も天気がよくて、隣の尾根でばっかんばっかんキノコが落ちるのが見えたので、あのまま進めば、キノコと一緒にダイブだったかもしれません。

戸隠は戻ってきてよかったということでしょうか。

 

谷川岳 一ノ倉沢 三ルンゼ

2001年3月17日
向畑(記)


三ルンゼは昨年、一昨年とやはり3月に計画したが、アプローチで雪の状態に不安を感じ、2回とも本谷の途中から引き返した。

今回で3度目のトライになるが、過去2回と比べて雪も締まっていて状態はかなり良かったように感じた。

しかし、それでもルンゼ内に入ると、明るくなると同時に上部のあちこちから小規模な雪崩が落ちてくる。

また、技術的にはそれほど難しくないが、ほとんどが岩の上に乗った氷や雪を使いながら、だましながら登るような不安定なクライミングを強いられる。

特に、安定した厚みのある氷はあまり得られず、今回登った感じではどちらかというと雪の要素が強く、仮にロープを使ったとしても、おそらく満足な支点は得られないような気がする。

また、最大のポイントは、やはり、天候や雪の状態を読んで好条件をつかむことと、取り付くにあたっての的確な判断だと思う。

午前1時に土合を出発する予定だったが、もたもたしていたら1時15分発になってしまった。

天候は、星が出ているので晴れているようだが、残念ながら月明かりは期待できない。

おそらく、14日の移動高による雪崩で落ちた後は、それほどの降雪量はなかったはずだ。

また、16日も1日晴れていたはずで、予報では、17日の午前中くらいまではお天気も持ちそうだ。

2時45分一ノ倉沢出合着、ハーネスを付けてアイゼンをはいていると、後ろから後続の2人パーティが来て、やはり3ルンゼに行くと言って追い抜いていった。

「みんな考えることは同じなのかな。」

と思って後続したが、2人はすばらしいスピードで本谷を詰めていく。

腰痛持ちの40代にはとても追いつけない。

そして、予想どおり、本谷の傾斜が上がってきたあたりから腰が痛くなってきたが、今回を逃したら、次の好機はいつ来るかわからない。

途中のクレバスは、確か過去2回は左から回りこんで越えたが、今回は先行パーティのトレースに従って右から越えた。

4時50分、三ルンゼの出合から登攀開始、先行パーティは雪の状態が良いと判断したのか、中央奥壁に変更するという。

お互いに「気を付けて。」と言って別れた。

同行者がいなくなりちょっとだけ残念な気もしたが、ここまでもトレースでずいぶんと楽をさせてもらったし、わずかでも弱気になりかけたことに対しても、「こんなことではいかん。」

と思いなおしてルンゼに入った。

雪のルンゼを50mほど登るとチムニー状のF2になる。

トポには60~70度と書いてあるが、登って見ると結構立っている。

また、下部は比較的氷が安定しているが、上部に行くほど雪混じりとなり、抜け口は完全な雪壁になっている。

上部に行くにつれてアックスが決まらなくなってきて、じたばたともがいていると、最近あまりアルパインクライミングをやっていなかったせいか、まず右足がつってきた。

「まずい。」

と思いながら右足をかばって登っていると、今度は左足がつってきた。

足が思うように動かないが、登らない訳にはいかない。

強引にF2を乗っこし、F3下の雪壁に立った時、F3上部で雪煙が上がった。

少し遅れて、F3落ち口から小雪崩が落ちてきたが、足が痛くて身動きができない。

ピッケルとバイルを打ちなおして耐えていたが、早く終わることと、これ以上規模が大きくならないことを祈るしか、他にどうすることもできない。

雪崩をやり過ごし、真っ白になったまま動こうとするが、まだ足が痛くて動けない。

こんなところに止まっているのは危険この上ないことはよくわかっているがどうしょうもない。

夜明け前の薄明かりの中、F3の状態を観察しながら、足の感覚が戻るまでしばらくじっと待っていた。

F3には氷は付いておらず、直登はちょっと無理そうなので、右のルンゼから高巻くことにした。

こちらも上部に行くにしたがい傾斜がきつくなってくる。

浅い凹角に詰まった氷や雪をめがけてアックスを振るうが、2回に1回くらいは決まらないので、ここもだましながら強引に越えていく。

足をあまり高く上げすぎると、また、足がつりそうになるので思いきったムーブができず、ペースは全く上がらない。

しかし、「ここまできてしまった以上、もう登るしかない。」

と思いこんでしまうと、さっきまで猛烈に感じていたプレッシャーもなくなり、かえって気合が入ってきた。

でも、気合は入っても体が思うように動かないことには変わりはなく、自分の体のふがいなさが結構なさけなかった。

トポでは、F3を巻いた場合は上部の雪壁を左にトラバースし、ルンゼ中央部の小氷瀑を越えるとある。

見ると、ルンゼの中央部にはきれいにラビーネンツークが走り、小氷瀑はその途中にある。

しかし、そのラビーネンツークから小氷瀑に沿って何回も雪崩が滑り落ちており、とてもそこを登る気にはなれない。

右側の雪壁をひたすらラッセルするが、その雪壁の上部岩壁帯からも、しょっちゅうスノーシャワーが落ちてくるので全く気が抜けない。

ルンゼが狭まり右側の雪壁が登れなくなったので、ラビーネンツークを渡り、今度は左側の雪壁を登る。

登っているすぐ横を、またまた小規模な雪崩が滑り落ちていく。

左に見えている雪稜に這い上がりたい誘惑に駆られるが、早くリッジに出すぎるとはまってしまうのは夏に登った時に経験済みだ。

ルンゼをほぼどん詰まりまで詰めたあたりから左の雪稜へと出て、雪稜から上部草付きへ。

この草付きも結構傾斜があって以外と悪い。

草付きから最後の雪壁を登り、雪庇のもっとも傾斜の緩そうなところを選んで切り崩しにかかるが、不安定な体制での雪庇の切り崩しには20~30分かかった。

ここからでもスリップすると、一気に取り付きまで落ちていってしまいそうな傾斜だ。

全く最後まで楽をさせてもらえない。

安定して乗っこせるような傾斜になるまで、徹底的に切り崩した。

取り付いてからはずっと上ばかり見上げていたが、ピッケルのブレードで雪庇最上部を掻き落とすと、急に前方に視界が広がった。

ピッケルとバイルのシャフトを根元までねじ込み、倒れこむようにして国境稜線に這い上がった。

国境稜線着8時10分。

雪庇の上にいるのはわかっていたけど、しばらくはそこでごろごろしていた。

何気なくバイルを見ると、かなり岩を叩きまくったみたいでピックの先端が見事に欠けていた。

高いバイルでなくて、カジタで良かったと思った。

休憩後、立ち上がって歩き始めたが、3ルンゼ上部ではほとんど感じなくなっていた足の痛みが、緊張感が切れたためか再び復活してきた。

国境稜線が右傾斜のためか、山足側になる左足が特に痛くて、足を引きずりながらトマの耳に向かった。

トマの耳着9時10分。

まだ時間が早いためか、あるいは午後からは天候が崩れる予報になっていたからか、トマの耳には誰も登ってきていなかったが、そのうちに、天神尾根から山スキーヤーが上がってきた。

降りようと思って西黒尾根に行ってみたら、土曜日の朝なのでまだトレースが付いていない。

でも、まだ時間が早いため雪は結構締まっていて、気持ち良く降りることができた。

途中、西黒尾根を上がってきた、境町山の会の大山さんという方にお会いした。

何でも、日山協かなんかの講習会に講師として呼ばれていて、昼間は暇だったから登ってきたそうだ。

この人、結構なご年配のようにお見受けしたけど、三スラをソロで登ったり(私と1日違いで登っている)、遭難が続出した今年の正月に八ツ峰を完登したりしたすごい人で、足腰が痛いのも忘れて、結構長い時間その場で立ち話をしてしまった。

土合着11時30分。

10時ごろまでは晴れていたが、予報どおり、その頃には曇り空に変わっていた。

 

谷川岳 一ノ倉沢 烏帽子沢奥壁南稜

2000年12月9日
向畑、倉田(記)


はじめて12月の谷川に入る今回、雪や氷がどれだけ壁についているかが気になってしょうがなかった。

ヒョングリはもうちょっとで雪で埋まりそうだった(例年12月中旬ぐらいから埋まるそう)。

テールリッジはヒザぐらいの雪が積もっていた。

また、当初行こうとしていた変形チムニーは、取付き周辺に脆いベルグラがびっしり付着していた。

結局、南稜に転進したが、天気が良く、初冬の壁登りが楽しめた。

3時起床。

4:30駐車場発。

5:30一ノ倉出合着。

準備して6時に出合を出発。

先行パーティが2つ。

マーモットの二人とARIの二人。

11時に中央稜の取付き。

準備して変形チムニー取付きへ。

状態が悪く、南稜へ転進。

南稜登攀開始11:30。

1P目倉田。

外傾した岩に、ぱふぱふの新雪や薄い氷がついている。

丁寧に叩き落しながらゆっくり登る。

途中、どうしてもフリーだと怖く、A1する。

2P目向畑。

チムニーは人工のしまくり。

3P目倉田。

細かくて素手で登ってしまう。

幸いお天気が良く冷たく無い。

4P目向畑。

ヒザぐらいの雪が積もったブッシュ帯。

5P目倉田。

ガバのフェース。

ハングの下なので雪は気にならない。

6P目向畑。

岩稜を右から回り込んで、雪がのった細かいフェース。

7P目倉田。

簡単な岩稜から右のチムニー。

チムニーは人工のしまくり。

8P目向畑。

フェースの始めにキャメを決めて残置ピンをたどって人工。

ワンポイント微妙な草付きフリーが混じってかなり怖かった。

終了点に18:45着。

同ルート下降で鎌形ハング下に21時着。

下山途中、ARIの二人と一緒に懸垂して出合いに0時ごろ着。

駐車場に1時過ぎ。

又明日中央稜に行きましょうかと言う向畑さんをほっといて、ビールをがぶがぶ呑んで、本願を遂げ3時頃寝た。

以下蛇足…。

スキーの人達のおかげで、日曜朝は6時に起こされ、仕方なく高速の赤城高原で朝飯。

なんかもったいないので埼玉・久須美上流にある小岩井サンセットロックへ。

倉田は生まれてはじめて5.11a(名残雪)をフラッシュした。

(パワー系が好きな倉田の最高レッドポイントは二子のクレーター5.11b。)

充実した2日間でした。

 

 

谷川岳 幽ノ沢 V字状岩壁右ルート

2000年10月22日(日曜日)
向畑、倉田、高橋、柴田(記)

タイム:
一ノ倉沢出合5:05 幽の沢5:30 V字右取付7:30終了13:45
中芝新道14:25/14:35 旧道16:00 一ノ倉沢出合17:00

以前から一度行きたいと思っていた幽の沢にようやく行ける事になった。

秋の蒼空の下黄葉に彩られた快適なスラブを登るイメージを描きつつ関越道を北に向かう。

指導センターで山行計画を提出し既提出分をチェックするとV字右が2パーティある。

明日は早く出発せねばと思いつつ一ノ倉沢出合の駐車場に着くが紅葉目当てのカメラマンのせいか既に大賑わいで車を止める場所を探すのに苦労する。

何とか道路わきに駐車し高橋さんとも無事合流、軽く飲んで1時頃寝た。

見上げれば満天の星空で「よしよし、予定通り」である。

翌朝は4時に起き5時過ぎに出発、まだ暗いのでヘッデンをつけて旧道を幽ノ沢出合まで歩くが空は曇天で天気はイマイチの模様。

幽ノ沢出合に着くと2人組が準備をしていた。

我々もここで身支度をして幽ノ沢に入る。

ナメ床や小滝を過ぎると先行した2人組が何故か戻ってきた。

「何やってんだろ、この人たち」

と思いつつ下降する2人組をやり過ごす。

沢が右に回りこむと高差4m程度のナメ滝が現れる。

釜は結構深そうで10月下旬のいま落ちたらなかなか刺激的だろう。

右岸は濡れたスラブでホールドは結構高い位置にありいやらしそうで、左岸はというと立った草付きでナヨナヨした草はホールドにならずこちらも難しそう。

4人であれこれ観察したが結局「展望台経由にしますか」と言う事になりUターンする。

「なーるほど、あの2人組が戻って来たのはこういうことか」

と思っていると2パーティ9人くらいが登ってくるのに出会い、下を向いてやり過ごす。

しばらく戻ってから左岸のルンゼに入り展望台への巻き道を探すが判然としない。

仕方なく本流に戻り再度先ほどのナメ滝の見える所まで戻るとナメ滝上に中年の男女と犬一匹が休んでいる。

ゲゲッ、犬でも登っている、そんなはずはない、とよく見ると右岸の低い位置に細かいホールドが続いていてスリングまで掛かっており、取り付いてみると問題なく滝上に立つ事が出来た。

飼い主によれば「いやぁ、犬はスラブには結構強いですよ。」との事である。

この時は気づかなかったが向畑さんは「犬でも登れるところを登れなかった」事に衝撃を受けていたようである。

(正確に言うと「登れないと思った」なのだが。)

あとは大滝を右岸から快適に登りカールボーデンに着くと紅葉とスラブが素晴らしい景観で中央壁、V字状岩壁がいらっしゃい、と出迎えてくれる。

アプローチ2ピッチはやさしいスラブ、リッジ登りで先行パーティ10人以上が登るのを待って我々もロープを結ぶ。

右股リンネをトラバースするあたりで先行のセカンドが派手に落ちており、迫力を感じつつV字の要に着く。

見上げると10人くらいがファッションショーのように思い思いのスタイルで壁に張り付いている。

中にはどういう訳か懸垂下降をしている人もいてまるでクライミングジムのような混雑ぶりである。

左ルートに転進する事も真面目に検討したが柴田と倉田さんがアブミを持ってきてない事もあって結局計画通り右ルートを登る事にした。

さて、我々はトップが登ったWロープでセカンドとサードがフォローし、サードが引いたバックアップロープでラストが登るパターンをアプローチから終了点まで続けた。

サードがトップの、セカンドがラストの確保を同時にする事で所要時間を節約出来ると言う向畑式計画だったが、前が詰まっていて4人揃っても時間待ちとなる事が多かった。

1、6、7、8ピッチを倉田さん、2、3、4、5ピッチを柴田がリードで登る。

岩は順層でホールドもしっかりしているが時々濡れて滑りやすい。

3ピッチ目の終了点で時間待ちの間に「冬の石楠花尾根の取付きはどの辺りなんですか。」と向畑さんに聞くと「さあ、私は犬も登れるところを登れなかった人間ですから。。。よく分からないです。」との返事。

結構傷ついていたようである。

4ピッチ目を登るあたりからガスが岩肌を舐めだしたのでカッパを着て登りつづける。

最後は笹薮の中の踏み跡を辿って1時45分頃登攀終了。

さすが幽ノ沢でも最も良く登られているルートだけあってピンは充分あるが古くて腐食しているのも結構多い。

また簡単なルートでも濡れているとそれなりに悪くなるのでナメてはいけないと思った。

中芝新道をスタコラと下り黄葉に彩られた旧道を約1時間歩き一ノ倉沢出合に着いた。

トイレ工事は大分進んでいるようだ。

初めての幽の沢は今ひとつの天気だったがカールボーデンの美しさは素晴らしく、今度は新緑の頃にまた来たいと思った。

向畑さん、高橋さん、倉田さん、有難うございました。

また行きましょう。

 

 

谷川岳 幽ノ沢 V字状岩壁右ルート

2000年9月30日
本郷(記)、三好、その他2名

幽ノ沢は、中央壁以外行ったことがなかったが、左俣の方やV字など前から一度は行って見たかった。

今回は三好さん、玲峰の中澤さん、大島さんを誘って実現となった。

アプローチも良く乾いていて快調にカールボーデンに入っていったら、先行の2人パーティが石楠花尾根に取付いていた。

無雪期には珍しい人達がいるなと思って呆れていると、どうやら間違えて登っていたらしく、後から来た我々に気づいて、悪そうな所を派手な落石を起こしながらクライムダウンしてきた。

取り付きには、我々が一番のりで、他には右俣リンネ付近から右フェースを登ろうとしているパーティがいた。

このパーティも右フェースの取り付きをトラバースして通り越し、正面フェースも通過して直登ルートあたりで、はまって動かなくなっていた。

よっぽどルートを教えてやろうかとも思ったが、人のやりたいことをあれこれ言うのも何なので、取りあえず黙っていた。

さて、我々4人は取りあえず本郷トップで登り始めたが、先程の石楠花パーティが後続で付いてきた。

右俣リンネへの1ピッチからアンザイレンし、リンネを跨いで一度ピッチを切って、クライムダウンして要に着いた。

後続パーティは、ピッチを切らずに要に来たため、ロープがビンビンに張ってセカンドが中釣り状態ではまって動けなくなっていた。

我々は4人パーティだったので、後続に迷惑がかかるようなら、先に行かせようと思っていたが、その心配はまったくなかった。

途中で、リードを三好さんに変って、後はエンジョイクライミングだった。

右ルートは、テラスもいい所ばかりで、気にしていた草付も気になるほどではなかった。

最後は、石楠花尾根に飛び出して終了。

のんびりと堅炭尾根を下降し、芝倉沢に降りた。

芝倉沢にどでかいカモシカがいた。

私が先頭を歩いていたのだが、全然逃げる雰囲気もなく怖かった。

その後、都岳連の指定旅館「永楽荘」で御風呂に入り、「お好み屋」で乾杯して、湯桧曽駅で宴会した。

関さんが、翌日湯桧曽本谷に単独で入るため、合流したがその頃は宴の後で誰も起きなかった。

翌日は、雨だったので全員エナジーに転身した。