谷川岳 一ノ倉沢 一・ニノ沢中間稜

1998年3月21~22日
荒井・森廣(記)

3月21日

夜半に土合に着いた時は霙が降っていたが、明るくなると晴れ間も見える。

南稜目指して一ノ倉沢をつめていると、上の方で妙な音がした。

見上げると、滝沢から雪煙が広がりながら落ちてくる。

逃げた。

怖いから一番取り付きの近い一・ニノ沢中間稜へ、戻って取り付く。

2月に登ってかなり苦労した記憶があるが、今日の雪は締まって安定しており、一足早く五月の山の感覚だ。

懸垂下降してからスタカットで登っても、駆け上がるような勢いで、先行パーティにもまもなく追いついた。

核心の雪綾では2パーティ待ちになる。

時刻も早いし、天気も曇りだがすぐに崩れる気配はなく、視界も良い。

雪稜の雪も安定していて、拍子抜けするはど快適だった。

東尾根の第一岩峰には先行パーティが張り付いていて、さらに1パーティが待っていたので、めんどくさいから巻いてしまった。

国境稜線へはしっかりした踏み跡に従って、雪庇の切れ目を越えて出る。

出口が少し登りにくい。

17時、下ることもできる時刻だが、肩の小屋に泊まる。

ビバークの予定でシュラフカバーだけのはずが、荒井さんはしっかりシュラフを持っていた。

小屋の中で食べ物も水もあるので気楽だが、やはり寒い。

荒井さんはさっさと熟睡している。

3月22日

曇~晴

ホワイトアウトで西黒尾根の下降点を見つけることができず、天神平に下ることにする。

こちらのルートは大勢登ってくるので舗装道路になっている。

少し下ると視界が良くなり、まもなく晴れてきた。

けれども谷川岳の山項は変わらず雲の中。

天神平からは歩いて下りたかったが、またも通が見つからず、仕方なくロープウェイで下る。

 

 

八ヶ岳 横岳西壁石尊稜

1998年2月26日
荒井・森広(記)

曇~雪~曇

6:20くらいに美濃戸山荘下の駐車場から歩き出す。

北沢に入るとモナカ雪のラッセルになり、進まないので、最初は日ノ岳稜を登る予定だったが、一番近い石尊凌に変更した。

スラブ状の取り付きの壁を登り、安定した岩稜から雪稜になる。

アプローチでは咋日降った雪はほとんど積もっていなかったが、登るにつれて新雪が増えてきた。

上部岩壁の基部では不安定な積雪がかなりあったので、トラパースして縦走路に出るのは危険に感じた。

上部岩壁はすべてガバホールドで易しく、不安は全くなかったが、雪壁になってから少し登ると、アイゼンの爪で硬い旧雪を掟えることができなくなった。

「感じ悪いな」

と思いながらも5mほど上に見える岩を目指してさらに登ると、スリップしたような感覚があって、雪が動き出した。

自力では止められずに、ザイルにぶら下がって止まった。

易しいからといって9ミリ1本で登っていたのだが、止まってよかった。

自分で雪崩を出したのは初めてで、これで危ない雪の感触がわかったような気がする。

もう1本のザイルで確保してもらって登り返し、そのまま雪壁を登る。

かなり広範囲の雪が落ちたようで、硬い旧雪しか残っていないからこの場はもう安心だ。

確保支点を作ろうとして首にかけていたシェリンゲがなくなっているのに初めて気付いた。

やはりあわてていたのかもしれない。

縦走路に出ても、踏み跡は全く残っていないし、ホワイトアウトしてしまって、ルートがわからず、時間がかかる。

雪面をトラパースしなければならないところが出てきたので、危ないからザイルで確保してトラパースしたら、期待に応えて再び雪崩がおきた。

何とか見えるうちに地蔵尾根の下降点までたどり着いたが、まもなく暗くなり、迷いながら下降する。

下ると新雪は浅くなり、行者小屋付近にははとんどない。

時刻は18:40になっていた。

 

 

丸山東壁左岩稜~丸山中央山稜~剱岳

1997年12月26日~1998年1月3日
向畑、小谷、畠中(記)、森広

いよいよこの日がやってきた。黒部丸山東壁から剱、想像もつかない岩と雪の世界に期待よりも少し重い不安をザックに詰めて出発した。

12月26日

まだ真っ暗な信濃大町よりタクシーでゲートへ向かう。途中、ホテルの前で富山県警よりヤマタンを渡された。ヤマタン…この物体を手にいろいろ考えてしまいいまさらにザックが重たくなった。6時10分ゲートを出発。朝日を浴びた扇沢をすぎ、長い長いトンネルをぬけ9時10分ダムの外に出た。快晴である。雪も少なくトレースもばっちりついている。ラッキー。入山初日の重い荷物でペースは上がらないものの13時に左岸稜の基部に着いた。壁を見てもほとんど雪は着いていない。左岸稜の基部にテントをはり、向畑・小谷にてフィックスに向かう。夕暮れせまる16時40分 2Pフィックスして帰幕。

12月27日

今日も快晴である。6時45分にユマーリング開始。今日は向畑さんがリードし、洞穴をこえて大テラスまで行くが、大テラスでは雪がとれないため、真っ暗な中懸垂1Pで洞穴まで戻った。20時だった。快適な洞穴でザコ寝するが、小谷さんは眠れなかったようだ。

12月28日

7時50分にユマーリング開始。大テラスからの1Pを向畑さんが快調にリード。しかし、ここでユマーリング・荷上げ部隊がびっくりするほど手間取り、屋根付き大バンドに着いたのはもう正午であった。今日はここでビバークと決め、向畑・畑中でフィックスに向かう。雪が降る中、チムニーの上まで2Pフィックスした。チムニーの登攀では、チムニーに入らず右側の右上するボルトラダーを登った(ラダーといってもボルトは3つぐらい。あとは垂れ下がった木を人工で。ちなみにこのユマーリングは大変だった)。屋根付き大バンドに戻ると、テントが張ってあった。よくこのスペースで張れたなと関心した。

12月29日

7時50分ユマーリング開始。快晴の中、今日は小谷さんがトップ。雪壁を登り岩小屋へ。そこから東壁ルンゼ側のバンド状を50m左上し、右に回り込んでピナクルへ。ここより1Pで北峰に続くと思われる踏み跡に出た。ここでロープをはずし踏み跡をたどって露岩(八ツ峰六峰のフェース群みたいな)の下に17時幕営。丸山の大岸壁を抜けられてとりあえずほっとした。

12月30日

7時30分に出発し、8時30分北峰に到着。途中5mの岩場でロープを出した。今日は曇りで気温も高い。4人でラッセルを代わりながら黙々と進む。12時40分内蔵助峰着。もうひと頑張りし、15時30分雪が降り始める頃、テントを発見。G登攀クラブのパーティだった。ここまでとし、いかにも気分の悪い斜面を切ってテントを張る。2725m直下か。ああ焼肉が食べたい。(テント設営中にGパーティに鍋いっぱいのミルクティーをいただいた。何というかあまりのおいしさに味を覚えていないが、舌がびっくりしていたことだけは覚えている。)

12月31日

昨晩降った雪が積もり、朝2時頃少し雪崩れてきた。テントが1/3ほど埋まり、あせりにあせって風雪の暗闇の中撤収し、下のハイマツ帯にツエルトを張って逃げ込んだ。さっそく朝食を食べて落ち着く。外は相変わらず天気が悪いので、震えながら回復をまつ。10時頃青空が見えたので出発。Gパーティと交代でラッセル。雪が少ないと聞いていたが意外と多い。Gパーティはここまで3人でラッセルが大変だっただろうなとつくづく思う。富士の折立に直登せずカールをトラバースし、14時内蔵助山荘到着。丸山中央山稜は快適な雪稜で楽しかった。天気が崩れてきたのでここまでとする。ザックを置いて休んでいると、YCCパーティの3人が到着した。半分埋まった小屋から入り口らしきものを見つけ、スコップで掘り出した。広い小屋の中にテントを張り、快適な大晦日となった。年越しジフィーズを食べ、ラジオを聞いていると、早月尾根での遭難事故の報が流れた。両親が心配しているだろうと考えると、なんともいえない気持ちになる。親に心配だけはかけたくないとつくづく思うが、山を続けている限りは無理なことだろうか。今回は一体いつ親を安心させることができるのか。家族のことを思いちょっと切ない夜となる。

1月1日

元旦。ひどい風雪。まずYCCパーティが出発。視界のない中、7時40分にGパーティとともに出発。真砂岳からのルートを間違え、すごいラッセルの雪壁をトラバースし、主稜線にはい上がる。立っているのがやっとのもう訳の分からない状況の中、10時45分に剱御前小屋到着。小屋のわきに雪洞を掘ることにし、かたい雪にスコップを振るい。5時間かけて4人がなんとか横になれるぐらいの雪洞が完成した。今日は行動中ずっと焼肉のことを考えていた。この世に生をうけて21年になろうとしているが、ここまで焼肉のことを深く考え、なによりも求めたのは初めてだった。富山に下りたら焼肉を食べよう、いやヤキニクを食べてやろうと心に誓った。こんなことばかり考えているからだろうか、雪洞の夜は一睡もできなかった。

1月2日

昨日に引き続き天気が悪い。5時から天気回復をまつ。10時頃青空が見えてきたが風が強い。10時30分 3パーティ一緒に出発する。秀峰パーティは自分がバテバテとなり終始ビリを歩く。見事なまでのラッセル泥棒となってしまった。14時30分前剱の登りにさしかかる。G・YCCは、はるか上方をガシガシラッセルしている。あのように強くなりたいと下山してからのトレーニングを誓う。16時頃前剱についた。稜線上での寒い夜となった。明日はどこまでいけるかな、ひょっとしたら富山かななどと考えていた。さて今日は何を食べたかったかというと、それは『すし』である。昨日の夜、向畑さんに富山で何を食べたいか聞いたら。「富山湾といったらなんといっても海の幸。すしでしょう。」と。これには驚いた。自分自身がすしの存在を忘れていたことに驚いた。すしか焼肉か…・入山8日、夢に出てきてもおかしくない。

1月3日

テントから外に出ると、一番に剱岳本峰が目に入った。りりしい色男だ。多くの岳人が憧れるこの冬剱にしばらく見とれていた。前剱からの小ギャップをYCCがフィックス1P、そして懸垂1Pで抜ける。10時45分平蔵のコルに着き小休止。ここから鎖を頼りにカニノヨコバイを登る。事故のためかヘリコプターが2機飛んでいる。G・YCCに大きく遅れて早月の分岐に着き、一人で頂上に続く雪稜をのんびり歩く。風は強いが心地よい。11時15分何もない快晴の頂上に着いた。360度の大展望だ。遠くに丸山が見える。11時30分秀峰パーティ4人がそろってかたい握手を交わす。とても気持ちが良い。入山9日目にして剱の頂上に立つことができた。出来すぎである。思えばここまでたくさんのヘマをした。力のない自分を向畑さん、小谷さん、森広さんが何も言わずに引っ張ってきてくれて、冬の剱に立つことができた。とても良い経験ができた。今回は毎日が楽しく、これからもこのような山登りができたらと思う。何年先になるか分からないが、次は自分がリードして登りたい。このような思いを胸に、そして富山での宴に思いを馳せ、慎重に長い長い早月尾根を下った。(早月小屋14時50分、馬場島17時30分)

 

 

越後三山縦走

1997年12月28日~1998年1月1日
平松、関、水柿、杉浦、瀧島(記)

(みんなで楽しく)これが今回の山行のコンセプト。というのも秀峰登高会は、いい意味で各々が自分の山を追求して、ヘンな強制やシガラミがなく、自分勝手に好みのスタイルで好きな山での小人数の活動がメインだ。普通の週末だけでなく、正月や5月、夏の長い休みも合宿と呼べるようなスタイルの山行は少ないかもしれない。振り返れば自分の正月もいつも自分が首謀者で2人か3人だった。

今回は「行きたい人この指とまれ」方式のオープン参加。ただし事前のトレーニング山行は参加が条件。そして水柿、平松の新人2人と、ブランク明けの太郎、直前入会だが経験のある杉浦、それに少ししぼみぎみの私とメンバーは5人にもなった。今回は縦走登山なので大人数のデメリットよりも大人数の楽しさを優先させた。

越後駒周辺の雪稜は以前から気になっていたが、佐梨川の源流地域に東京電力のダムの計画を知った事が、私の気持ちに火を着けた。ダムのない佐梨川源流に今一度触れたかった。10月には家ノ串尾根と正面尾根の偵察を兼ねて雪山沢に入った。そして例年通り、正月山行に向けてのトレーニング山行を数回こなしたが結果は惨澹たるものだった。ワカンを着けてのラッセル経験のない水柿もいる事だし、2回のトレーニング山行を雪尾根でやった。11月の鹿島東尾根と12月の谷川岳南面の幕岩尾根は両方とも雨と雪不足で、ラッセル訓練には全くならなかった。奥多摩の天狗岩でのアイゼントレーニングと数回のミーティングのみで、準備不足で本番を迎える事になる。

最初の計画では家ノ串尾根からの駒ヶ岳、中ノ岳があくまでメインで、三山縦走は第二の目標だった。雪が少ないためにトレースのない家ノ串尾根が登れそうにないときは、現場で目標を小倉尾根から駒ヶ岳、そして中ノ岳、八海山までの三山縦走に変更する旨は事前に打ち合わせておいた。

12月28日 雨のち雪

最終の新幹線は予想に反してガラガラで、一両をほぼ独占状態で、安全祈願の酒盛りをしつつ、浦佐に向かう。快適なステーションビバークの後、パッキング中にナント太郎がスパッツを忘れてきた事が判明した。太郎の顔から血の気が引いていくのがわかった。電話帳で山道具屋を探して、太郎は長岡までスパッツを買いに行った。あさ7時前に電話で起こされて、店を開けてくれた長岡の山道具屋のおじさんに感謝。そんなこんなで登山口の駒の湯を出発したのは、 10時を回っていた。駒の湯には雪のかけらのなく、シトシト雨が降っていた。こんな状態では、家ノ串尾根への未練は完全にすっ飛んで、目標は越後三山の完全縦走に絞れてしまった。ほとんどラッセルなければ、今日中に駒の小屋も可能と判断して、ハイペースで歩き出した。標高900メートル位で雪が出てきて、雨もいつしか雪へとかわった。百草の池あたりから膝までのラッセル。駒の小屋直下のヘッドランプをつけて、17時45分駒の小屋に到着。10:20駒の湯 17:45駒の小屋

12月29日 ガスのち快晴

あまりに快適な小屋に心の底から感謝。スパッツ忘れ事件の遅れも取り戻す事ができて太郎も一安心のようだ。駒ヶ岳山頂はガスの中。こんなに簡単に登れてしまって、感激もない。稜線を真南に辿り中ノ岳を目指す。途中で天気は快晴に変わり薮に少しの苦労をしただけで昼過ぎには中ノ岳着。ここから見える魚沼の田んぼには相変わらず雪は全くなく、春の甲斐駒あたりから下界を眺めているような気分だ。八海山からはわらじの仲間パーティーが登ってきて、十字峡へ下っていった。今日も小屋の誘惑に負けて、泊まってしまった。アルコールの減りかたはやたらと早い。駒の小屋7:30 駒ヶ岳8:10 中ノ岳小屋13:40

12月30日 高曇り

今日が今回のハイライトのオカメノゾキの通過だ。気圧配置は南岸低気圧型で東京では冷たい雨が降っているとラジオは伝えている。ここ越後はどんよりとした高曇りで視界も利く。正月としては、風はあまりに生暖かい。ここ、中ノ岳からの下りも視界が利けばなんてことはない。まずは大斜面をがんがん下る。御月山は約100メートルの登りかえしだ。ここからは、尾根がやせて、このやせ尾根は延々、五龍岳まで続く。良好な視界と、トレースにも助けられて、ピッチが上がる。何ヶ所かある岩場も、鎖が使える。水無川から、荒山あたりには、魅力的なリッジが突き上げている。五龍岳には1時40分に着き、今回初めてテントを張った。ロープは一度も使わず、あまりにあっけないオカメノゾキの通過、だった。中ノ岳小屋6:05 五龍岳13:40

12月31日 風雪

夜中に50センチ位積もったようだ。テントは周りからかなり押されたが、何とか除雪はせずに朝を迎えた。一人で、ツエルトビバークの練習をした水柿はほとんど埋もれていた。やっと冬山らしい天気になり、気合いも入る。テントを出る前に、ルートを頭に叩き込んで出発する。視界は良くて20メートル位、風も強い。入道岳でルートが45度左に振れるが、この天気の中では、わらじの仲間の赤布に助けられた。八ツ峰の岩峰は30メートル位までの小粒な物だが、この天気ではロープはフル稼動。鎖にピックとツエアッケをねじ込んでの登りと、懸垂下降の連続で時間がかかる。後半のピークはどれがどれだか解らなかった。最後の地蔵岳を雪崩に気をつけながら左から巻いて、千本桧小屋に転がり込んだ。五龍岳8:10 千本桧小屋16:30

1月1日 晴れ

好天の中、スキー場へ下山。越後の湿った雪と悪天を覚悟してのいたのに、あまりに呆気なく終わってしまった。達成感、満足感も今一。

ど吹雪の八ツ峰は厳しかった。

 

 

関西クライミングツアー(蝙蝠谷、烏帽子岩、駒形岩、六甲不動岩、小赤壁)

1997年12月27日~1998年1月1日
中嶋(記)、菊池、曽根、李

12月26日

八重洲口発大阪行き夜行バス

菊地さん曽根さんと八重洲口で集合。大阪行き8630円。渋谷あたりで仲間のバスがエンコして首都高で20分程停車していたので、外に出てくつろいだりした。乗客の大阪人のおじちゃんが「わしらこれから大阪に帰るんやで!」と道行く女の子達に叫んでいた。

27日

大阪~神戸 李さん宅 蝙蝠谷

神戸まではJRで390円、東京・横浜くらいか。神戸駅で李さんが待っていた。李さんの下宿は狭めの6畳間、4人生活するとなかなか賑やかだ。落ちついてからそのままマーク2ワゴンで蝙蝠谷へ、30分程で着く。サイクルセンターの便所が便利。

右岸岩壁は下地がとてもきれいに整備されていて快適。マーメイドは傾斜がないので足の指が痛くなった。わりと寒いのでモチが少ない。震災エリアというのが結構傾斜が強くガバなので取り付く。11cがかなり面白くて3回ほどトライしたけどRPできなかった。

午後は対岸の方に日が当たるので移動。でも時間があまりなく、やったのはボルダーちっくな12aとかいうのだけ。7手ほどで本当にボルダーなんだけど、結構面白かった。2撃で登れたけど、せいぜい11cくらいだと感じた。一度帰ってから銭湯に行って神戸の夜景をみて、夜は鍋と宴会。かなり飲んだ。

28日

烏帽子岩 駒形岩

車で1時間くらい。烏帽子は日当りがよく暖かい。駒形は夕方近くにならないと日が当たらない。此の岩場は人が適度に多くて、また親切な人が多くてとても楽しめた。岩もすっきりしていて良い。駒形の方はあまり時間がなくて1本しか触れなかったが、いずれ又来てみたいと思わせる岩場だった。プロミネンスや北斗の拳など触ってみたい。

夜は三宮でお好み焼きを食べた。お店の人が作ってくれるところで、待たされる分かなりうまかった。

29日

不動岩

前日の烏帽子のすぐ近くで半分アルパインの岩場。スケールは大きく、25mいっぱいのルートも多い。最後の10cが久々のアルパインみたいで印象的だった。此の夜はわざわざ神戸カツ牛を食べに町に繰り出した。ハーバーランドで観覧車に乗ったりもした。

30日

雨 観光

晴れていたら蝙蝠に行くはずだったけど残念ながら雨。神戸異人館、高い珈琲屋、中華の定食など。神戸一の山や、コージツに行って北山公園の話を聞いた。この日の夕方、菊地さんと曽根さんが18切符で帰っていった。

31日

小赤壁

場所は姫路市で今までで一番遠く、行きは車で丁度1時間くらい。海に面した岩場で、とてものんびりした雰囲気。でも風が強かったので一応寒かった。こんな日に蝙蝠だったら大変だったと思う。スケールはどのルートも小さい。変形した花崗岩らしく、フリクションはものすごく良い。でも指の先が無くなってしまって困る。11d、12aを登ったが、グレーディングが甘いか、限定がある気がする。夜はなんとか紅白を見て、年を越してから寝ることに成功した。

1日

雨 帰京

李さんの学校で華僑の新年会があったので見物してきた。中国獅子舞がかわいかった。日本にいながら中国の新年会だからとても不思議だった。思うことは多かった。 午後2時神戸発の普通列車で10時間かけて帰京。

 

・神戸のエスカレーターは急ぐ人は左。

・震災の復興で作った建物が多いからか、新しい建物が多くゴージャスに見える。

・仮設住宅もけっこうあった。

・神戸カツ牛は量も多く満足できる物だった。550円。

・野郎ーズで神戸のデートスポットをかなり制覇した。

・神戸にはなぜか喫茶店がかなり多い。

・神戸の床屋850円、ホテルのレスト2400円、一部の物価が安い。

・神戸の銭湯ではやたら話しかけられた。フレンドリーなおじちゃんばかり。

 

 

越後駒ヶ岳 佐梨川雪山沢

1997年10月10日~11日
瀧島(記)、水柿、平松

正月に行く予定の家ノ串尾根と近い将来是非行きたい正面尾根の偵察を兼ねて雪山沢に入る事にした。前から気になっていたこの山域を積極的に考えるきっかけになったのは、佐梨川にダムの建設計画がある事を知ったからだ。日本が世界に恥じる、数々の必要の全くないダムがこの場所にも造られようとしている。自然な姿の佐梨川の最奥部に今一度触れておきたかった。

10月10日 晴れ

あまりの眠さに関越トンネルの手前のパーキングで夜を明かしてしまった。長距離ドライブには本当に弱い。急いで佐梨川の林道に入り、8時半に車発。

桑ノ木沢出会いから桑ノ木沢を眺めると奥に登攀意欲をそそられるリッジを発見。いつの日か登る事を誓いフィルムに収める。

ここで林道から離れて川床に降りる。いきなり小川谷ゴルジュのような井戸の底でへつったり、腰まで漬かりながら進む。それでも金山沢出合いまでは1時間程で着いた。金山沢を分けてからすぐの垂直の40メートルの三階の滝は左岸から滝で落ちているルンゼから巻く。

1ピッチ目は滝の途中にヘビがいて超ビビった。ヘビが近寄らない事を祈りつつ登るが、ワンポイント悪く、ハーケンを叩き込んで超えた。後はトラバースぎみに滑りそうで恐い草付きを登り5ピッチと懸垂2回で川床に戻った。この三階の滝の高巻きに3時間ほどかかってしまった。

小滝をいくつか越えると左岸から緩傾斜の沢が入る。エスケープに使えると思った。2段の滝を左岸から2ピッチと懸垂1回で巻くと沢は少しだけ穏やかになった。このあたりから上は紅葉が始っている。正面にはロータリーピナクルという岩峰がそそり立つ。河原を整地してビバーク。

タイム: 8:00頃車発 夕方16:00頃着

10月11日 雨

出発と同時にぽつりと雨粒を感じた。何とか本降りにならないでくれと山の神に祈りつつ、初めの滝を越える。次の緩い傾斜のナメ滝は直登できず右岸のロタリーピナクルの正面の草交じりの壁を強引に登る。しかし1ピッチ登った所で無情にも土砂降りとなり、先の長さとメンバーを考えて退却する事にした。濡れたロープは重く、すぐにキンクしてしまい、頭を使う懸垂を繰り返す。

昨日エスケープに使えると思った沢は、少し登るとすぐに悪い滝が出て結局、沢通しに、忠実に下る。三階の滝は懸垂のロープが届いているか心配だったが、何とかクリアーした。後は増水したゴルジュを震えながら下った。かなりの雨の割にはゴルジュを無事に通過できて車に戻った時には放心状態だった。

タイム不詳。

敗退はしたけれども、正面尾根と家ノ串尾根の取り付きは確認した。地味な沢だけれども、内容はすばらしい。近い将来もう一度訪れようと思う。

 

 

瑞牆山 十一面岩正面壁 ベルジュエール

1997年9月28日
中嶋(記)、板橋

瀧島、石原も行く可能性があったが、次々にキャンセル。当初の予定通り板橋、中嶋でパーティを組む。金曜の夜まで雨が降っていたので土曜は昼からパンプ、その足で黒森に直行。関係ないがパンプ近くのそば屋のスープは天かす入りでくどい。

28日 晴れ

朝はかなりの気合いを入れ5時前に起きる。この頃はけっこうな寒さなので車の中でお湯を沸かしラーメンを食い、5時30分に出発。ちなみに今回は道の一番奥からアプローチした。沢沿いより早くて楽。慣れた道を行き取り付きが7時30分。

1ピッチ目、40m 板橋さんから。木が近くにある間は4級ぐらい、そこからA1になる。フリーだと11bとなっているが、貧弱なリングボルトではとても行く気になれない。でもフリーでいけたら素晴らしいラインだと感じた。このピッチが終わったところでアブミを捨てる、といけばかっこいいのだが、しっかり持ってあがる。

2ピッチ目、15m スラブのビミョーなフリー、かなり恐い。もしかしたら一番恐かった。一度明瞭なバンドになり木もあるので切ってしまったが、もうすこしのばしたほうがよかったかも。

3ピッチ目、45m トポには4級なんて書いてあるがとんでもない、コーナーからフェースにでないとかなりつらそう(リードの板さんはずっとコーナー)。泥臭くてちょっと嫌なピッチ。

4ピッチ目、15m 5.9 ここから上は泥なんかほとんどなくて素晴らしい。このピッチがまた素晴らしいクラックで、自分の限界に近いグレード。慎重にジャムを決めてカムでプロテクションをとっていく。出口がいきなり難しくて焦ってしまった。

5ピッチ目、20m 10a 写真にも載っている大フレーク、とにかくかっこいい。若干しめっているようだが板橋さんが果敢に挑戦。下の方は結構休めるのでプロテクションも取り易そう。中間からはかぶり気味のフレークにレイバックの体勢で入っていかなければならないので、最後のところでプロテクションをばっちり決めて突っ込んでいった。フレークの掛かりが良いこともあって無難に抜けていった。フォローしたが、いずれまたリードしたいようなピッチだった。

6ピッチ目40m5.8チムニー はじめのうちは快適なチムニー登りだが徐々に狭くなりオフィズス気味になる。フォローはザックをうまく処理しないと不可能だろう。抜けるとブッシュにはいるのでできるだけロープを伸ばす。

7ピッチ目 40m チムニーからコーナー、くの字型フレーク はじめのチムニーも難しいがやはりくの字型は難しかった。リードは板さんだったが途中まで頑張ってから人工。フォローなのでフリーで挑戦してみたが、2手ほどがリードではどうしてもつながりそうになかった。アンダーフレークを使ったレイバックだからプロテクションがとれない。かなりくやしいが相当練習してからでないとリードはできないだろう。ここからはロープいっぱいで頂上。途中5.9のクラックがあるがジャムがうまく決まって華麗に登ることができた。フィストで引きつけてハンドを決めるというムーブが決まったときは感動ものだった。

全8ピッチ、5時間 微笑み返しよりも速かった。下降はいつもの通り。末端壁には沢山人がいた。帰りは黒森でなく増富から帰った。増富の温泉はなんと1000円!もう二度とこないだろう。ただしさすがに内容は良かった。宿のほうとう定食(1000円)は素晴らしかった。渋滞もさほどではなく、雨上りの週末にしては大成功に終わった。

 

 

愛鷹山 鋸ルンゼ

1997年9月28日
桜井、瀧島(記)

晴れのち曇り

変わった所へ行こうという事で、愛鷹へ向かう。行きは桜井さんのレックスで中央経由で、須走まで。そこから少しで登山口の愛鷹神社に着いた。海と富士山の眺めを期待していたが、天気予報に反して富士も太平洋もほんの少し見えただけだった。最高峰の越前岳まで縦走し、峠からがらがらのルンゼを下り取り付く。あまりにもろいのに嫌気がさし、1ルンゼと2ルンゼもトレースする予定だったが、上級向けの3ルンゼのみ登った。核心は黒い大滝でもろい。その上のナメ滝ももろく悪い。ハーケンを3本ほど打ったが利いていない。稜線に抜けて、位牌岳に登ってからもどった。とにかくもろかった。

 

 

瑞牆山 十一面岩末端壁・調和の幻想、カサメリ

1997年9月20日~9月21日
中嶋(記)、石原

前の週が3連休にもかかわらず雨で中止になったため、wingの加藤さんからの情報を元に「調和の幻想」を急遽登りに行くことにする。八王子集合、黒森の部落はやたら工事していてあせった。

20日 はれ

起きたら10時だった。末端壁でアプローチが近いということもあって完全になめている。でもルートそのものは恐そうなのでびびっていた。取り付きまで来てみると、クラック沿いに濡れていてひどい状態。とりあえずはということで石原から登りはじめる。

1ピッチ目、5.9、20m
途中のハンドが濡れていて悪い。

2ピッチ目、5.9、20m
これは傾斜が落ちたところのクラックが流水溝になっていて悪かった。

3ピッチ目、5.8、10m
中盤のフェースでクラックにしか目が行かないとはまる。

4ピッチ目、スラブ10a?
オフィズス?ハンド?一番恐いピッチだった。特に出だしからクラックにはいるまでのスラヴが最高に恐い。オフィズスはレイバック気味に行ったが、その姿勢ではプロテクションが取りづらく恐かった。ハングした岩に行く手を阻まれたところで左にトラヴァース。

5ピッチ目、ワイドフレーク5.8、40m
出だしでフレンズ#2をきめてから8m程ランナウトしつつレイバック。リングボルトで取ってからまた8mのランナウト。ワイドフレークが終わってほっとしていると、けっこう悪いオフィズスがでてくる。ヒール・トゥと肘・ハンドを駆使して越えると終了点。短いが中だるみがまったくなく、とても充実したルートだった。ギアはフレンズ、エイリアンが1セットずつで足らせた。5ピッチ目のワイドはキャメ#5がきけばそんなにランナウトしないかも。

黒森でビールを買って宴会。

21日 曇り時々雨

どこに行っても濡れていて登れそうにないので、カサメリのモツランド上に行くことにする。途中で細田さんと、アニキさんがテントで寝ていた。ミルクミルクでウォーミングアップ。念願のプラチナムに取り付いてみた。オンサイトは当然無理で、けっこうな無理をして5mほどフォール、石原さんを焦らせた。もしかしたら行けるかもと思っていたのだ。下半分くらいは傾斜を完全に殺せるので、実質途中から上の10手ほど。カチを使ってのきわどいムーブが続く。完全にムーブを覚えてから、石原さんのビレーなどして回復を待つ。Tシャツまで脱いでのトライ。ばっちりチョークアップして深呼吸して取り付く。核心に突入してから頭は真白、よどみなくムーブがつながり気が付くとマントル返していた。思わず叫んでしまった。こんなに気もちのいいのは本当に久しぶり(はじめて?)だった。此のあとカサメリの他のエリアを偵察に行ったがどこも濡れていた。奥のアプローチは結構悪い。いいルートは3本ほど、いずれは行きたい。

 

 

足尾 集中合宿

1997年9月6日~7日
瀧島、板橋、水柿、桜井、石原、細田、中嶋(記)、平松

よくよく思えばクライミングは大人数ではできないので、二人か三人で出かける事が多い。特に最近は各々の趣向の多様化でみんなでお出かけする機会がほとんどなっかった。という事で静かな松木での合宿を思い付いた。直前の集会で参加者を募り、8人で楽しめた。人がいない静かな岩場、楽しい登攀内容、広々とした河原、近いアプローチなどみんなで合宿するには最適に思えた。

初日は瀧島、板橋、水柿パーティーでチャンピオン岩稜を目指すがルートを間違え隣の隣の稜を登ってしまった。桜井、石原パーティー細田、中島、平松パーティーの二組で大凹角を登った。夜の宴会も楽しかった。翌日は夜からの雨で岩が乾いていなかったので、古賀志にトラバース。久々のフリーを楽しんだ。(瀧島(記))

6日 晴れ 夜雨

車止めからベースまで1時間の林道歩き。ビールやら食い物が沢山あったので重い。凹角ルートパーティ(チャンピオン以外)と、チャンピオン岩稜パーティ(瀧、板、水)とに別れて登る。

凹角ルートは板さんとかにさんざん恐いと聞かされていたので、心構えはばっちりだった。うちのパーティは私がずっとリードで、細田さんと平松氏がつづいた。1ピッチ目、20m、ラストで左にトラヴァースするところが少し悪い。2ピッチ目、15m程、出だしが濡れていて悪かった。ノーマルとダイレクトの分かれるところできる。3ピッチ目核心、40m、コーナーを使ったり左のカンテに出たりしながら登る。コーナーはすっきりしていて、露出感もあり興奮した。次のビレー点はハンギングビレー。4ピッチ目、40m、出だしが難しいがそれをのっこすと易しいのがずっとつづく。5ピッチ目、ほとんどルートは終わって、ガレガレのところに出る。6ピッチ目、20m,チムニーを登ってすぐに頂上直下に出る。全体的によい残置ピンは少なく、ナチプロ、特にナッツが役にたった。ハーケンはほとんど必要ない。ビレー点は全て整備してあり、そこをはずすと恐い思いをしそう。

ベースに戻ったら即ビールを飲んでのんびりした。 チャンピオン岩稜チームはどうやらルートを間違えたらしく、R7右稜を登ったみたい。チャンポン岩稜と命名された。此のチームが下山してきたのは暗くなる直前だった。夜はもちろん宴会となったが、その途中から雨が降りだした。

7日 曇りのち晴れ

明け方まで雨が降っていたので、松木沢は諦め、古賀志の岩場に転身する。しかし現地も雨が上がったばかり、あれこれ手を尽くし1時間ほど悩んだが、とりあえず基部までいく。下の岩場は濡れていたがなんとか登れそうなので私は2本登った。上のマラ岩は乾いていて快適だった。11-と11ノーマルをフラッシング、グレードの判らないのをフラッシングした。

帰りは2チームに分かれて、うちらは温泉、地ビール、ラーメン屋コースをたどった。宇都宮インター近くにはすごいの(クラインガルデン)ができていた。