谷川岳 一ノ倉沢 三ルンゼ

2001年3月17日
向畑(記)


三ルンゼは昨年、一昨年とやはり3月に計画したが、アプローチで雪の状態に不安を感じ、2回とも本谷の途中から引き返した。

今回で3度目のトライになるが、過去2回と比べて雪も締まっていて状態はかなり良かったように感じた。

しかし、それでもルンゼ内に入ると、明るくなると同時に上部のあちこちから小規模な雪崩が落ちてくる。

また、技術的にはそれほど難しくないが、ほとんどが岩の上に乗った氷や雪を使いながら、だましながら登るような不安定なクライミングを強いられる。

特に、安定した厚みのある氷はあまり得られず、今回登った感じではどちらかというと雪の要素が強く、仮にロープを使ったとしても、おそらく満足な支点は得られないような気がする。

また、最大のポイントは、やはり、天候や雪の状態を読んで好条件をつかむことと、取り付くにあたっての的確な判断だと思う。

午前1時に土合を出発する予定だったが、もたもたしていたら1時15分発になってしまった。

天候は、星が出ているので晴れているようだが、残念ながら月明かりは期待できない。

おそらく、14日の移動高による雪崩で落ちた後は、それほどの降雪量はなかったはずだ。

また、16日も1日晴れていたはずで、予報では、17日の午前中くらいまではお天気も持ちそうだ。

2時45分一ノ倉沢出合着、ハーネスを付けてアイゼンをはいていると、後ろから後続の2人パーティが来て、やはり3ルンゼに行くと言って追い抜いていった。

「みんな考えることは同じなのかな。」

と思って後続したが、2人はすばらしいスピードで本谷を詰めていく。

腰痛持ちの40代にはとても追いつけない。

そして、予想どおり、本谷の傾斜が上がってきたあたりから腰が痛くなってきたが、今回を逃したら、次の好機はいつ来るかわからない。

途中のクレバスは、確か過去2回は左から回りこんで越えたが、今回は先行パーティのトレースに従って右から越えた。

4時50分、三ルンゼの出合から登攀開始、先行パーティは雪の状態が良いと判断したのか、中央奥壁に変更するという。

お互いに「気を付けて。」と言って別れた。

同行者がいなくなりちょっとだけ残念な気もしたが、ここまでもトレースでずいぶんと楽をさせてもらったし、わずかでも弱気になりかけたことに対しても、「こんなことではいかん。」

と思いなおしてルンゼに入った。

雪のルンゼを50mほど登るとチムニー状のF2になる。

トポには60~70度と書いてあるが、登って見ると結構立っている。

また、下部は比較的氷が安定しているが、上部に行くほど雪混じりとなり、抜け口は完全な雪壁になっている。

上部に行くにつれてアックスが決まらなくなってきて、じたばたともがいていると、最近あまりアルパインクライミングをやっていなかったせいか、まず右足がつってきた。

「まずい。」

と思いながら右足をかばって登っていると、今度は左足がつってきた。

足が思うように動かないが、登らない訳にはいかない。

強引にF2を乗っこし、F3下の雪壁に立った時、F3上部で雪煙が上がった。

少し遅れて、F3落ち口から小雪崩が落ちてきたが、足が痛くて身動きができない。

ピッケルとバイルを打ちなおして耐えていたが、早く終わることと、これ以上規模が大きくならないことを祈るしか、他にどうすることもできない。

雪崩をやり過ごし、真っ白になったまま動こうとするが、まだ足が痛くて動けない。

こんなところに止まっているのは危険この上ないことはよくわかっているがどうしょうもない。

夜明け前の薄明かりの中、F3の状態を観察しながら、足の感覚が戻るまでしばらくじっと待っていた。

F3には氷は付いておらず、直登はちょっと無理そうなので、右のルンゼから高巻くことにした。

こちらも上部に行くにしたがい傾斜がきつくなってくる。

浅い凹角に詰まった氷や雪をめがけてアックスを振るうが、2回に1回くらいは決まらないので、ここもだましながら強引に越えていく。

足をあまり高く上げすぎると、また、足がつりそうになるので思いきったムーブができず、ペースは全く上がらない。

しかし、「ここまできてしまった以上、もう登るしかない。」

と思いこんでしまうと、さっきまで猛烈に感じていたプレッシャーもなくなり、かえって気合が入ってきた。

でも、気合は入っても体が思うように動かないことには変わりはなく、自分の体のふがいなさが結構なさけなかった。

トポでは、F3を巻いた場合は上部の雪壁を左にトラバースし、ルンゼ中央部の小氷瀑を越えるとある。

見ると、ルンゼの中央部にはきれいにラビーネンツークが走り、小氷瀑はその途中にある。

しかし、そのラビーネンツークから小氷瀑に沿って何回も雪崩が滑り落ちており、とてもそこを登る気にはなれない。

右側の雪壁をひたすらラッセルするが、その雪壁の上部岩壁帯からも、しょっちゅうスノーシャワーが落ちてくるので全く気が抜けない。

ルンゼが狭まり右側の雪壁が登れなくなったので、ラビーネンツークを渡り、今度は左側の雪壁を登る。

登っているすぐ横を、またまた小規模な雪崩が滑り落ちていく。

左に見えている雪稜に這い上がりたい誘惑に駆られるが、早くリッジに出すぎるとはまってしまうのは夏に登った時に経験済みだ。

ルンゼをほぼどん詰まりまで詰めたあたりから左の雪稜へと出て、雪稜から上部草付きへ。

この草付きも結構傾斜があって以外と悪い。

草付きから最後の雪壁を登り、雪庇のもっとも傾斜の緩そうなところを選んで切り崩しにかかるが、不安定な体制での雪庇の切り崩しには20~30分かかった。

ここからでもスリップすると、一気に取り付きまで落ちていってしまいそうな傾斜だ。

全く最後まで楽をさせてもらえない。

安定して乗っこせるような傾斜になるまで、徹底的に切り崩した。

取り付いてからはずっと上ばかり見上げていたが、ピッケルのブレードで雪庇最上部を掻き落とすと、急に前方に視界が広がった。

ピッケルとバイルのシャフトを根元までねじ込み、倒れこむようにして国境稜線に這い上がった。

国境稜線着8時10分。

雪庇の上にいるのはわかっていたけど、しばらくはそこでごろごろしていた。

何気なくバイルを見ると、かなり岩を叩きまくったみたいでピックの先端が見事に欠けていた。

高いバイルでなくて、カジタで良かったと思った。

休憩後、立ち上がって歩き始めたが、3ルンゼ上部ではほとんど感じなくなっていた足の痛みが、緊張感が切れたためか再び復活してきた。

国境稜線が右傾斜のためか、山足側になる左足が特に痛くて、足を引きずりながらトマの耳に向かった。

トマの耳着9時10分。

まだ時間が早いためか、あるいは午後からは天候が崩れる予報になっていたからか、トマの耳には誰も登ってきていなかったが、そのうちに、天神尾根から山スキーヤーが上がってきた。

降りようと思って西黒尾根に行ってみたら、土曜日の朝なのでまだトレースが付いていない。

でも、まだ時間が早いため雪は結構締まっていて、気持ち良く降りることができた。

途中、西黒尾根を上がってきた、境町山の会の大山さんという方にお会いした。

何でも、日山協かなんかの講習会に講師として呼ばれていて、昼間は暇だったから登ってきたそうだ。

この人、結構なご年配のようにお見受けしたけど、三スラをソロで登ったり(私と1日違いで登っている)、遭難が続出した今年の正月に八ツ峰を完登したりしたすごい人で、足腰が痛いのも忘れて、結構長い時間その場で立ち話をしてしまった。

土合着11時30分。

10時ごろまでは晴れていたが、予報どおり、その頃には曇り空に変わっていた。

 

荒沢山東面 風穴沢マイナーリッジ(3Pまで)

2001年3月12日
三好、他1名(記)


ある人が言った。

「マイナーリッジには行ってみたい」。

マイナーリッジ、マイナーリッジ、その言葉は何故か私の頭の中に刻みこまれ、そして、いつしか、行かなくてはならないと思うようになっていた。

その後、年報わらじにマイナーリッジが載った。

やはり、マイナーリッジは、グレードがどうのこうの言って取付くルートではなく、思い入れを持って挑むところなのだと再認識した。

思い入れがある分、一緒に行くのは誰でもいいというものではない。

やはり、行きたいと思っている人と行くのがいい。

実は、NくんとYさんはマイナーリッジ経由で知り合ったと言っても過言ではなく、なんとか運良く?強引に?知り合うことも出来たので、NくんかYさんとマイナーリッジに向かおうと、私の頭の中では固まり始めていた。

3月第一週。

とりあえず、マイナーリッジを見てこようとクロガネノ頭北尾根を計画する。

Nくんに来週はクロガネノ頭に行く予定とメールを出したら、返信が着ていた。

「ラッセル頑張って下さい。僕は、トレースをあてに平日にマイナーリッジに向かいます。」

そりゃまずい。

「ちょっと待った。」

と即刻メールを返すと、「実はまだ誰も誘っていないんです。」との返答。

決まった。

後日、Yさんと電話していたら、「マイナーリッジに行くそうですね。いいなぁ。僕も休みとろうかな…」ラッセルには3人居た方がいいが、マイナーリッジのビレイ点は狭くて貧弱そうなので、2人がいい。

思わず、聞こえなかったフリをしてしまう。

Yさん、ごめんなさい。

3月11日(日)

土日の行きも帰りもラッセルの充実した刃物ヶ崎山のあと、上毛高原駅にたどりついたのはすでに登りの電車がなくなった時間だったが、ここでIさんとYさんを捨て、Nくんを拾う。

少ない時間でもぐっすり眠ろうと、K大ワンゲルの山荘に移動し、眠ったのは0:00近くになっていた。

3月12日(月)

快晴

4:00 旭原 ~ 7:30 林道終点 7:45 ~ 9:30 風穴沢出合 ~ 11:00 マイナーリッジ取付 ~
14:20 3P終了点 ~ 15:15 風穴沢出合 ~ 17:30 旭原

朝2:00過ぎに起床。

天気の読みは当たって快晴だが、土日にこんなに積もるとは…先週のトレースはものの見事に消えており、股下ラッセルがいきなり始まる。

林道終点まで2km、そこから取付まで1.5km。

土日の積雪を考えれば、取付まで行くのも、かなり非現実的に思えた。

しかし、先週は先行のトレースに甘え、満足行くラッセルが出来なかったのは確かだ。

せめて、危険のない林道終点までは行きたい。

歩き始めて30分、Nくんが「どこまで行って判断するんですか?」と聞く。

もちろん、「林道終点まで」と答える。

呆れた顔をしながらも、やめようとは言わないNくんが有り難い。

でも、自分では根性なしでと冗談ぽく言うが、本当にやばい時には突っ走った私を止めてくれるだろう。

8:00に林道終点だったら、マイナーリッジは諦めようと言っていたので、頑張って頑張ってラッセルしていたら7:30に林道終点に到着できた。

40kg近い体重差があるので、私のラッセルはあまり役立たないのに、Nくんはまだ元気だ。

そして9:30にマイナーリッジのある風穴沢出合。

沢の上部に不安定な雪がひっかかっているのが見えたので、急ごうと言いながら急傾斜の谷を詰めるが、雪が腐っているので、ずっと胸ラッセルなってしまい、スピードが全く上がらない。

その間にも小さい雪崩は頻発している。

目と鼻の先の取付まで1時間半もかかってしまった。

結局、取付まで7時間もかかってしまったのだ。

N君が前回敗退したときは5時間、昨年成功したわらじの仲間パーティーは4時間ちょっとなので、私たちはかなり馬鹿すぎる。

1P 三好 15m
取り付こうとして、いきなりシュルントに落ちてあせる。

リスの少ないカンテ40mのはずが雪壁となり、下部は雪で埋まって20mほどもない。

左足は不安定そうな雪に足を乗せて雪が崩れないようにと祈り、右足は蹴り込むとすぐ岩に当たるので雪を掻きスタンスを探して足を置く。

ランナーは、小指ほどのブッシュ2本を精神安定剤として取るだけ。

ビレイ点となる潅木にたどり着いたらぐったりしてしまうくらい、しびれるピッチだった。

取付でビレイしている間に、Nくんは上からのチリ雪崩でどんどん埋まり、体の半分が埋まってしまったそうだ。

2P N 40m
出だしの小ハング左側の垂直に近い雪壁を越える。

が、ちょっと削り取ると、そこはステキなスラブ。

頼りなさ過ぎの雪壁に自分の体重が支えられるかなぁと思いながら、冷や汗カキカキ。

支えるのがやっとという感じ。

7m登って、掘り返して出てきたやっと小指以下のブッシュ1本。

その後、大雪庇のくっついた急傾斜のリッジを登る。

結局、取った支点はブッシュ1本、決まってるのか?かなり怪しいスノーバー1本のみ。

2P目ビレイ点に達しようかというときに、左側の沢から強烈な爆風雪崩。

空気が揺れた。

目が点になる。

ここも中指ほどの太さのブッシュ3本で支点を造るが、ユマーリングすると、ビレイ点がぎしぎしきしむ。

超おっかない。

(N(記))

3P 三好 20m
目の前に広がるのは、カーテンのようなひだのある雪の壁。

直上はハング気味で掻いても掻いてもどんどん雪が落ちてゆく。

どうにか不安定な雪を削りながら、トラバースするが、7~8mに40分かかった。

その後数m直上し、あと10mほど左上すれば太めの木があるのは見えるのだが、その下の雪はさらにグサグサで、その上に硬い雪が前傾してキノコ状に付いているので、とても怖くて左上できずに右上してしまった。

ここも中指ほどのブッシュ3本で切る。

さらにしびれまくりのピッチであった。

ここまでで時間は14:20になっていた。

あと10ピッチもあるのだから絶対上まで抜けられないし、例えもう一日あったとしても、この雪の悪さではP4もきっと下れないだろう。

また、ここを越えると、次は6P目まで支点がなく戻ることもできなくなる。

Nくんが登ってきたので、「もう帰ろう。」と声をかける。

ほっとしたような顔で、Nくんも頷く。

懸垂50mで右側の急傾斜のルンゼに降り立つ。

Nくんはビレイ点でシュルントに落ちそうになり、実はビレイ点の足場に使っていたのが単なる雪塊(高さ10m・幅3m)だとわかって、やばいやばいと叫んでいる。

ついでに私が懸垂した時に根元に大きなひびが入ったそうだ。

安全地帯まで尻セード&走って逃げる。

こんなの直撃されたら、本当にやばい。

帰りも帰りで行きのトレースが腐って、足が前に進まなくて、非常に苦しい思いをする。

もう、私はへにょへにょだ。

もっと持久力をつけんとなぁと思いながら、それでも、ほとんど休みをとらずに歩いて、旭原に17:30に到着した。

その後、定食屋でご飯を食べて、仮眠してから帰ろうと、ワンゲルの山荘に酒とつまみを持ち込んで、帰ってこれてよかったと祝杯をあげる。

日本酒にも手をつけて、久しぶりに全く記憶がなくなるほど飲んだ。

火曜は仕事で、朝4時にこっちを出なくてはいけないのに、案の定寝すごし、吹雪の中、車を飛ばして帰る。

相模原についた時には、まだ車の上に雪がのっている状態だった。

この後、Yさんはこれに触発されて、3月26日にマイナーリッジを登ったが、雪がほとんど落ちていて、不完全燃焼となってしまったそうだ。

雪は本当に難しいなぁ。

来年の雪はどんなかなぁ。

 

 

刃物ヶ崎山 東南稜

2001年3月10日から2日間
三好、他2名(記)


今回一緒に行ったのは、日大山岳部OBのIさんと慶応山岳部OBのYさん。

1月に一緒にJ-WALLに行ったことはあるが、山に行くのは初めてだ。

でも、IさんやYさんがどんな山に行っていたかある程度知っていたので不安はあまりなくて、逆に私の方がついて行けるだろうかという不安の方が大きい。

元々、このハモンの話が出る前に月曜にマイナーリッジに行く計画は立っていたので、土日は楽な所に行こうかと考えていた。

しかし、刃物ヶ崎山には前から惹かれていたし、ハモンの水先案内人ことIさんとヤブ漕ぎ界のユージことYさんが行くというのだから、みよし号出せませんか?という誘いに心は揺らいだ(いわゆるアッシー)。

メールで送られてきたハモンの写真を見ていたら、そして、なんと言っても未踏の稜に取り付くというので、俄然行く気になってしまった。

長期山に入っていると考えれば、連日でもどってことないし、越後湯沢で眠って待っていればいいのだからこっちの方が楽かもしれないと思いつつ。。。

3月9日(金)

練馬高野台駅に集合、車を走らせる。

私はとにかく車に乗るとすぐ眠くなってしまうので、長時間の運転が出来ない。

しかし、二人とも運転が出来ないことが判明。

私にとって、全部運転するということは、かなりハイグレードな課題だ。

眠れなくなるドリンクを飲んで頑張って運転していると、関越の途中で重大な、かなり重大なことに気付く。

そう、酒を忘れてしまったのだ。

水上で降りても店がない。

思わず、酒を探すためだけに渋川で高速を降りてしまった。

我ながら偉い。

夜は、寝酒(浦◎浪漫では装備表に寝酒と入っているらしい)を飲みながらの語りが楽しくて、遅くまで聞き入ってしまった。

IさんもYさんも無人島に何を持ってゆくかと問われたら、地形図と答えるに違いない。

二人とも山と地形と愛を語らう人なのだ。

3月10日(土)

雪のち晴れのち雪

7:40電力館出発~9:20ダムの建物~10:10尾根取付~12:00, 1200m付近~
15:30, 1400m付近

雪の降る中、出発。

デンコちゃんが居なくて記念写真を取れなくてちょっと寂しい。

頑丈すぎるくらいのゲートをくぐってさらに進む。

除雪の跡があり楽だ。

しかし、平坦な道だと、チビな私は時々走らないことには他の人達から遅れてしまう。

8:50、除雪車が私達を追い抜いて行き、さらに歩くのは楽になり、さらに私は時々走らなくてはいけなくなる。

ダムの建物のすぐ横で水を汲み、さらに進んで、やっと尾根の取り付き。

嘘のように天気がよくなった。

晴天の中、時々地図を見ながらニヤニヤしてはいるが、Iさんも、Yさんもガンガンラッセルして、なかなか交代しない。

私が一番へたれで、すぐラッセルを交代していた。

睡眠不足のため、トップを代わると歩きながら眠ってしまうような感じだ。

眠いし、風も強く、雪も降ってきたので、今日は、急な登りの手前の1400mくらいの所でテントを張る。

夕飯はフランスパンやらトマトやらチーズやらが出てきて、さすが、沢屋さんは持ってくるものが豪華だと感動した。

酒は結構あったのに、すぐ眠くなってしまって飲み切れなかった。

さて、結構手前にテントを張ってしまったのもあり、明日はどうするかなぁと思うが、Yさんが「明日の朝早く出ればいいですよね!」

と素直に言うので、そうだねと頷く。

やる気がある人と山に行くと話は簡単で、なんだか心地よい。

3月11日(日)

雪のち曇り

5:20出発~9:00頃ロープ出す~10:50頂上~12:50ロープ外す~15:40テント撤収後出発~16:30, 1250m付近~18:00ダム~20:50電力館

朝から雪が降っている。

必要な物だけ持って出発。

ラッセル、ラッセルの登り。

第一尾根の下降点に到着するが、視界もなく雪も降り続いているので、東南稜に変更することにした。

しばらく経つと、傾斜も強くなり、雪が割れているので、ロープを出す。

計6ピッチほどだったか。

ブッシュでビレイ、または、スタンディングアックスでビレイ。

雪庇がぱっくりわれた跡をルートを選びながら進む。

とても楽しい。

途中、Iさんの姿がぱっと消え、声も聞こえなかったりして結構びびるが、のそっと這い出してきた。

山頂直下は急な斜面で、雪庇も見える。

順番から私になるが、Yさんがキャビアのようなつぶらな瞳で「行っていいですか」と言うので、姐さんたる私は「どうぞ」と譲る。

下からでも目立つ露岩の所からだと、50mロープでは足りず、途中で、少し上にあがって、アックスビレイ。

山頂に到着。

雪庇も大きくなく、Yさんも少し拍子抜けしたみたいだ。

東南稜が傾斜が強いのに比べて、のっぺりした山頂。

写真を取ってから下り始める。

下りは、ロープを出したままクライムダウン。

傾斜がゆるくなるところでロープを解く。

下る途中、これまで全く展望がなかったのに、ぱーっと雲が晴れ、東壁の全貌があらわになる。

写真で見たのと大違いで、雪がべっとりと付き、シュルントが所々に開いているのも見える。

「ハモンには神様がいるんだなぁ」

「そうですねぇ」。

ハモンの神様の粋なはからい。

「今年は駄目だよ、またおいで」

と言っているような気がした。

テントまで到着、撤収してから下りはじめると、昨日までのトレースはほぼ完璧に消えており、ラッセルし直しとなる。

もう、充実しすぎな山だ。

ハモンの神様に会いにまた行かないと。。。

ちなみに、Yさんは女性と山に行くのは初めてだったらしい。

それが、こんな変な奴でごめんなさい。

でも、慶応大山岳部の行動食がギンビス一袋というのはなかなか渋いです。

上毛高原駅で、IさんとYさんを捨て、待ち合わせたNくんとあのマイナーリッジに向かう。

さてさてどうなるか。。。

 

甲斐駒ケ岳 尾白川下流ガンマルンゼ、鞍掛沢橋横の氷柱

2001年3月7日~8日
大滝、森広、櫻井(記)


休みを取って狙っていた谷川岳のノコ沢は、新雪の量と天気予報を見て中止にした。

谷川岳特有のプレッシャーをモチベーションに代えてきたところでの変更は、気持ちの切り替えが難しい。

仕方ない、ビーコンやトランシーバを置いて、より安全なところで純粋に氷を楽しもうっと。

3月7日

意外とゲートが奥にあってアプローチは水平になってからの林道を錦の滝まで30分程度歩く。

錦の滝はハングした中間部の氷が完全に落ちてつながってないのであきらめる。

テントを張ってさらに10分程度林道をラッセルしガンマルンゼに入る。

林道のすぐ上に立派な15mの氷瀑がある。

大きいがIII+程度で快適に越す。

その上は雪面が続き2ピッチ分ほどひざまでのラッセル。

続いて10mほどのベルグラの滝。

ここは左のコンタクトラインに沿って登るが岩を避けながらバイルを振る。

さらにやはり2ピッチ分程度急なラッセルを続けると直径10mほどもあるような大岩が何個もルンゼにかぶさって洞穴状になっていた。

とりあえずその中に入っていくと正面と左奥に出口が見えた。

ここは左奥の上部に雪面の見えるところをコーナームーブで越えるがアルパインチックで面白かった。

この先二俣状のところまでラッセルを続ける。

時々踏みぬく雪の下には氷が立って見えていて雪が連瀑の地形を滑らかにしていることがわかる。

二俣を左奥に進むとこのルンゼで一番すっきりとした氷が出てきた。

15mほどある堅くて透明なもので本流の左に立っている。

ここで私のカジタで手足を固めたクラシックな装備を見ていた大滝さんが「使ってみませんか」とナジャと北辰を貸してくれる。

この滝は中間部が80度ほどあってIV+だったと思うが、いいアックスは体力的にも楽で足にも負担がかからないことが良くわかった。

上部では高度感も出て爽快。

不評な緑のカジタで登ってくれた大滝さんはあとで、けっこう怖かったと言っていた。

正月の正股沢でもそうだったが、このパーティーではいつもIV程度ではよほどスケールが無い限りロープを出さない。

結局ガンマルンゼもラッペル以外ロープを出さなかった。

で、大滝さんはIV+を緑のカジタでフリーで登って怖かったと言ったのだった。(良い子の皆さん、真似はしないこと!)

ルンゼはこの上で小さな登れない氷柱を掛けて終わり。

10:00に取り付いて12:00ちょうど終了。

同ルートを途中3回ほど懸垂下降して林道に14:00着。

時間が余ったので林道を奥までラッセルし刃渡り沢をチェック。

この時間になるとかなりあられ雪が降っていて見通しは良くなかったが、両翼の滝とその前後の滝を広くて急な雪面がつないでいるのが良くわかった。

アプローチのラッセルと雪崩の危険を感じたので、翌日の刃渡り沢は中止にして林道途中の鞍掛沢橋の下に見つけた氷柱で遊ぶことにする。

テントに帰り、具の相談をしないで持ち寄ったおでんと日本酒で恒例の大宴会。

3月8日

前日見つけた鞍掛沢橋の氷柱に行く。

橋のすぐ脇にあって高さ5m幅1m程度の氷柱1本とつららの帯状で幅3mのものなどがある。

ここで岩とのコンタクトラインを登ったり、レイバック、フッキング、シングルアックス、ノーアックスなどいろいろな登り方にトップロープでトライ。

わいわいと昼まで遊んで終了。

けっこう前腕がパンプしていたのは私だけだろうか?

(おまけ)

幸福温泉が閉鎖になったらしい。

そこで新しくできた武川の湯に行って見た。

デイケアセンターも兼ねた村営の施設で、平日でもけっこう賑わっていた。

露天、サウナ、休憩の広間もあって500円。

新しくてきれいでおすすめです。

 

 

足拍子山群 クロガネノ頭北尾根~東尾根

2001年3月3日から2日間
井上、三好(記)


最近、クロガネノ頭がメジャーな人が周りに多く(?)て、ついでに、先日うちから徒歩1分くらいの所に住んでいる黒部の衆の方から「荒沢山の東面が・・・」

という話が出たりして、それ以外にも色々思うところあってクロガネノ頭に行くことにした。

3月2日(金)

出発直前で、気管支炎をこじらせてしまった倉っちゃんが不参加となる。

井上さんと雪山に行くのは初めてだったが、他の方から色々アドバイスを頂いて、出発することにする。

今回のテーマは足拍子川の方から足拍子山群を見ることと体力作り。

決して無理はしないで行こう。

東村山から所沢までの区間が工事中でぴくりとも動かず時間ロス。

ついでに、旭原周辺もよくわかっていなかったので時間ロス。

寝たのは4時近くになっていた。

3月3日(土)

晴れ

8:20旭原発~9:20北尾根取付9:40~11:30尾根上900m付近~18:30, 1300m付近

旭原の車道脇に車を置いて出発。

井上さんがわかん履くの初めてと言って、ドギマギする。

とりあえず、ヒザ下ラッセル。

しかしよく見ると、トレースが続いているのが見える。

トレースにすぐ合流。

ストックの数からすると3人以上が入山しているようで、すたすた歩ける。

1時間で取付きまで到着。

北尾根もなかなか突っ立って見える。

北尾根と前手沢手前の尾根にトレースが続いているようだ。

来る人いるんだなぁとちょっとがっくりとした気分。

まぁ、今回はトレース追うだけになってもきちんと歩くことが大切だし、ちょっとほっとした気持ちもあって、無理しないをずっと頭の中で唱えつづけて、北尾根のトレースをたどってゆく。

尾根に登りあげる手前で、ロープを出している3人組に追いつく。

やっぱりという感じでわらじの人たちだった。

集中山行で他にも3パーティ入山しているという。

2ピッチロープを出し尾根に上がったところで、こちらもかなりゆっくりペースだったので申し訳なかったのだが、前に出させて頂いた。

しばらく歩くと、ナイフリッジ。

ロープを出して進む。

きっちりナイフリッジで気持ちいいが、先月の戸隠を思い出し、びくびくしながらなのでスピードが出ない。

途中途中も、ロープを出しっぱなしにして、合計15ピッチ以上くらいになったか。

ナイフリッジや雪庇の出ている部分は全部トップでかなり充実する。

1,200m付近でテントが張れそうな場所があるが、もう少し進んで、ちょっと傾斜のある所を削ってテント設営。

すぐ暗くなり始めるが、下でテントを張るかと思っていたわらじの人たちが上がってきた。

東尾根との合流点がいいテン場だそうで、明日、他のパーティと足拍子岳南尾根で集中するのでもう少し進んでおくという。

夕飯を食べて茶を飲んで、井上さん発案で倉っちゃんにいたずら電話をして、眠くなってきたのですぐ寝てしまう。

3月4日(日)

曇りのち雪

6:20出発~7:50クロガネノ頭付近~11:30東尾根懸垂~13:00北尾根取付~14:40旭原

夜はかなり強い風がテントをバタバタさせていたが、風の音が少し遠くに聞こえるようになった。

トレースばかり辿るのも今ひとつなので、足拍子岳まで行かずに、サブルートとしていたクロガネノ頭東尾根を下ることにして出発。

トレースが残っているので、ロープを出さずにスタスタ進む。

しばらく行くとわらじの人たち。

足拍子を越えないで、このまま北尾根を下るという。

そこから再びロープを出し、3ピッチくらいで東尾根との合流点。

クロガネノ頭まで本当にあとちょっとだが、風が強いので、そのまま東尾根に下ることにする。

時々耐風姿勢になりながら、東尾根をクライムダウンを交えて下る。

途中、傾斜のきついところまで差し掛かるころには雪もかなり腐ってきたので、懸垂する。

湿った雪がかなり強く降ってきた。

東尾根を途中外してしまい、沢に降り立ってしまったのでロープをつけたまま駆け下り、途中でまた尾根に登りあげ、ヒザラッセルを頑張ると、行きのトレースに合流した。

私は何も考えず進んでしまう方なので、井上さんのように、ここは自分には判断がつかないとか、ここはきちんとビレイして欲しいとか、冷静に言ってくれるのはとても有難く、また、自分自身も一緒に行く人にもっと気を使わないと駄目だなぁとかなり反省。

井上さん、たまにはこんな山もいいでしょう?

 

 

菅平 大谷不動の氷瀑群 アイスクライミング

2001年2月15日から3日間
森広、大滝(記)


2月15日 峰の原高原スキー場より大谷不動尊のベースまで

2月16日 本流(一の滝、二の滝の途中まで)

2月17日 不動裏の氷瀑F2左ルート 下山

米子(よなご)不動の存在を知ってからどれくらいの年数が経ったのだろう。

ここ数年難しい氷を登り込んで来た僕は、米子不動に行って見たいと思うようになっていた。

でもおののきが付き纏う。

あまりにも大きく難しい。

ガイドをよく読むと、大谷不動の方が少しはやさしそう。

それでも凄い所だ。

自分なんかに登れるだろうか。

たとえ登れなくてもいい、見るだけでもみて見よう。

現地に行かなければ登れるものも登れない。

出発前に経験者に会えたので、宇原川沿いに行くべきか、峰の原高原スキー場より入山すべきか、聞いたら、宇原川沿いの方が帰りに下りになるのでいい、と言われそっちから行ったら、すぐに深い雪に阻まれ車がスタックしてしまった。

今年は雪が多いのでこっちの方は駄目みたいだ。

すったもんだして、峰の原スキー場に着き、出発出来たのは11:40だった。

快晴。

スキー場内を横断して端っこに来ると、何と遥か向こうに氷が見えているではないか。

林道を板を履いたまま、ジグザグに緩く下って行く。

15:30大谷不動着。

こんな山奥に立派なお堂が建っている。

トイレもある。

広い敷地にテントを張る。

ここに居ながらにして、左岩壁の左ルート、中央ルート、右ルートが間近に見える。

ど肝を抜かれる凄さだ。

遅くて登れる時間ではないので、偵察に行く。

不動裏の出会はほんの数分。

本流まで行こうと思ったが、ラッセルになったので止めた。

ラジオが良く入り、須坂の夜景は綺麗だった。

2月16日

7:30出発 晴れ 風強し

本流に向かうが、雪が多くてトラバース道が急な雪壁になっている。

進み難いので途中で沢に降りて、詰める。

8:20一の滝、滝の右側から水が出ていて、温くて美味しかった。

ここをロープレスで越え、いよいよ二の滝だ。

でかい。

この頃より曇ってくる。

大滝リード。

左は雫が落ちているので右より取り付く。

氷柱状なのでビレイヤーは裏で確保する。

腹にぐっと来る傾斜と大きさだ。

覚悟を決めつつ寡黙に用意する。

いやー、大変だ。

声を出しつつ慎重に決めて行く。

新製品のミゾーの北辰(ほくしん)が研ぎ澄まされた日本刀の如く良く刺さる。

途中で傾斜が緩くなり、最後の立っている15mの手前で切る。

雪が降り出しおまけに
風も強まり、雪崩の心配が出てきた。

セカンドの森広さんをスノーシャワーが襲う。

登って来た彼女の眼鏡は真っ白だった。

あと15m登ると終わりだが、彼女がもう登れないと言うのでブッシュで懸垂した。

下りながら、なんて凄い所を登ったのだろうと思った。

帰りに右側壁の氷瀑の基部まで行ったが、雪の塊が音も無く落ちてきたのでさっさと逃げ帰った。

二の滝ではランニングスクリュウ5本使用。

2月17日

5:00起床 6:50出発 晴れ

不動裏のF1は距離があるのでロープを着ける。

F2は左右とも凍っているが左の方が登り易そうなのでそっちにする。

右側より取り付く。

大滝リード。

ここもビレイヤーは氷の裏。

裏で諦めを決め、行って来ます、と言う感じで表の無情な垂直の海原に嫌々飛び出す。

ここもやっぱり凄い。

北辰、ナジャ、ランボー、道具と己を研ぎ澄ませ、繊細かつ大胆に一歩一歩高みへ。

無になる自分を見出す。

やがて、傾斜は緩くなり右のブッシュでビレー。

森広さんを迎え、下降して9:10
帰京日なので右ルートは次回の楽しみにする。

テント場に戻って11:00下山開始。

13:20スキー場着。

須坂では「湯っ蔵んど」と言う湯船が幾つもある温泉センターが良かった。

次回は不動前、右側壁、不動裏の右、の各ルートを登りたい。

そう思うと胸がきゅうんとする。