2001年3月17日
向畑(記)
三ルンゼは昨年、一昨年とやはり3月に計画したが、アプローチで雪の状態に不安を感じ、2回とも本谷の途中から引き返した。
今回で3度目のトライになるが、過去2回と比べて雪も締まっていて状態はかなり良かったように感じた。
しかし、それでもルンゼ内に入ると、明るくなると同時に上部のあちこちから小規模な雪崩が落ちてくる。
また、技術的にはそれほど難しくないが、ほとんどが岩の上に乗った氷や雪を使いながら、だましながら登るような不安定なクライミングを強いられる。
特に、安定した厚みのある氷はあまり得られず、今回登った感じではどちらかというと雪の要素が強く、仮にロープを使ったとしても、おそらく満足な支点は得られないような気がする。
また、最大のポイントは、やはり、天候や雪の状態を読んで好条件をつかむことと、取り付くにあたっての的確な判断だと思う。
午前1時に土合を出発する予定だったが、もたもたしていたら1時15分発になってしまった。
天候は、星が出ているので晴れているようだが、残念ながら月明かりは期待できない。
おそらく、14日の移動高による雪崩で落ちた後は、それほどの降雪量はなかったはずだ。
また、16日も1日晴れていたはずで、予報では、17日の午前中くらいまではお天気も持ちそうだ。
2時45分一ノ倉沢出合着、ハーネスを付けてアイゼンをはいていると、後ろから後続の2人パーティが来て、やはり3ルンゼに行くと言って追い抜いていった。
「みんな考えることは同じなのかな。」
と思って後続したが、2人はすばらしいスピードで本谷を詰めていく。
腰痛持ちの40代にはとても追いつけない。
そして、予想どおり、本谷の傾斜が上がってきたあたりから腰が痛くなってきたが、今回を逃したら、次の好機はいつ来るかわからない。
途中のクレバスは、確か過去2回は左から回りこんで越えたが、今回は先行パーティのトレースに従って右から越えた。
4時50分、三ルンゼの出合から登攀開始、先行パーティは雪の状態が良いと判断したのか、中央奥壁に変更するという。
お互いに「気を付けて。」と言って別れた。
同行者がいなくなりちょっとだけ残念な気もしたが、ここまでもトレースでずいぶんと楽をさせてもらったし、わずかでも弱気になりかけたことに対しても、「こんなことではいかん。」
と思いなおしてルンゼに入った。
雪のルンゼを50mほど登るとチムニー状のF2になる。
トポには60~70度と書いてあるが、登って見ると結構立っている。
また、下部は比較的氷が安定しているが、上部に行くほど雪混じりとなり、抜け口は完全な雪壁になっている。
上部に行くにつれてアックスが決まらなくなってきて、じたばたともがいていると、最近あまりアルパインクライミングをやっていなかったせいか、まず右足がつってきた。
「まずい。」
と思いながら右足をかばって登っていると、今度は左足がつってきた。
足が思うように動かないが、登らない訳にはいかない。
強引にF2を乗っこし、F3下の雪壁に立った時、F3上部で雪煙が上がった。
少し遅れて、F3落ち口から小雪崩が落ちてきたが、足が痛くて身動きができない。
ピッケルとバイルを打ちなおして耐えていたが、早く終わることと、これ以上規模が大きくならないことを祈るしか、他にどうすることもできない。
雪崩をやり過ごし、真っ白になったまま動こうとするが、まだ足が痛くて動けない。
こんなところに止まっているのは危険この上ないことはよくわかっているがどうしょうもない。
夜明け前の薄明かりの中、F3の状態を観察しながら、足の感覚が戻るまでしばらくじっと待っていた。
F3には氷は付いておらず、直登はちょっと無理そうなので、右のルンゼから高巻くことにした。
こちらも上部に行くにしたがい傾斜がきつくなってくる。
浅い凹角に詰まった氷や雪をめがけてアックスを振るうが、2回に1回くらいは決まらないので、ここもだましながら強引に越えていく。
足をあまり高く上げすぎると、また、足がつりそうになるので思いきったムーブができず、ペースは全く上がらない。
しかし、「ここまできてしまった以上、もう登るしかない。」
と思いこんでしまうと、さっきまで猛烈に感じていたプレッシャーもなくなり、かえって気合が入ってきた。
でも、気合は入っても体が思うように動かないことには変わりはなく、自分の体のふがいなさが結構なさけなかった。
トポでは、F3を巻いた場合は上部の雪壁を左にトラバースし、ルンゼ中央部の小氷瀑を越えるとある。
見ると、ルンゼの中央部にはきれいにラビーネンツークが走り、小氷瀑はその途中にある。
しかし、そのラビーネンツークから小氷瀑に沿って何回も雪崩が滑り落ちており、とてもそこを登る気にはなれない。
右側の雪壁をひたすらラッセルするが、その雪壁の上部岩壁帯からも、しょっちゅうスノーシャワーが落ちてくるので全く気が抜けない。
ルンゼが狭まり右側の雪壁が登れなくなったので、ラビーネンツークを渡り、今度は左側の雪壁を登る。
登っているすぐ横を、またまた小規模な雪崩が滑り落ちていく。
左に見えている雪稜に這い上がりたい誘惑に駆られるが、早くリッジに出すぎるとはまってしまうのは夏に登った時に経験済みだ。
ルンゼをほぼどん詰まりまで詰めたあたりから左の雪稜へと出て、雪稜から上部草付きへ。
この草付きも結構傾斜があって以外と悪い。
草付きから最後の雪壁を登り、雪庇のもっとも傾斜の緩そうなところを選んで切り崩しにかかるが、不安定な体制での雪庇の切り崩しには20~30分かかった。
ここからでもスリップすると、一気に取り付きまで落ちていってしまいそうな傾斜だ。
全く最後まで楽をさせてもらえない。
安定して乗っこせるような傾斜になるまで、徹底的に切り崩した。
取り付いてからはずっと上ばかり見上げていたが、ピッケルのブレードで雪庇最上部を掻き落とすと、急に前方に視界が広がった。
ピッケルとバイルのシャフトを根元までねじ込み、倒れこむようにして国境稜線に這い上がった。
国境稜線着8時10分。
雪庇の上にいるのはわかっていたけど、しばらくはそこでごろごろしていた。
何気なくバイルを見ると、かなり岩を叩きまくったみたいでピックの先端が見事に欠けていた。
高いバイルでなくて、カジタで良かったと思った。
休憩後、立ち上がって歩き始めたが、3ルンゼ上部ではほとんど感じなくなっていた足の痛みが、緊張感が切れたためか再び復活してきた。
国境稜線が右傾斜のためか、山足側になる左足が特に痛くて、足を引きずりながらトマの耳に向かった。
トマの耳着9時10分。
まだ時間が早いためか、あるいは午後からは天候が崩れる予報になっていたからか、トマの耳には誰も登ってきていなかったが、そのうちに、天神尾根から山スキーヤーが上がってきた。
降りようと思って西黒尾根に行ってみたら、土曜日の朝なのでまだトレースが付いていない。
でも、まだ時間が早いため雪は結構締まっていて、気持ち良く降りることができた。
途中、西黒尾根を上がってきた、境町山の会の大山さんという方にお会いした。
何でも、日山協かなんかの講習会に講師として呼ばれていて、昼間は暇だったから登ってきたそうだ。
この人、結構なご年配のようにお見受けしたけど、三スラをソロで登ったり(私と1日違いで登っている)、遭難が続出した今年の正月に八ツ峰を完登したりしたすごい人で、足腰が痛いのも忘れて、結構長い時間その場で立ち話をしてしまった。
土合着11時30分。
10時ごろまでは晴れていたが、予報どおり、その頃には曇り空に変わっていた。