黒部横断 敗退(赤岩尾根のみ)

2000年3月17~19日
横山(昭和山岳会)、堀内(昭和山岳会)、小谷(記)

黒部の記憶にはいつも畠中がいた。

「畠中!ビレー解除!」

このコールと雪をかぶった黒部の風景が交差する。

後立から黒部別山~剱へのラインを、いつも熱く話し合えてきたが、彼も卒業。

休みさえ取れれば行きたいと、熱い人も何人かはいるが社会は厳しい。

居ても立ってもいられず、年末に黒四で一緒になった堀内さんのいる昭和山岳会の集会に出て話したところ快諾をもらった。

横山さんも大滝尾根を登りたかったとのこと。

お二人とも私より遙かに体力・気力が充実している。

3月17日

風雪時々曇り

信濃大町で急行アルプスを降りると、長野県警の方に登山者カードへの記入を呼びかけられた。

今年は異常に積雪が多いらしい。

その県警の人に混じって(地元山岳会の長老?とおぼしき)人にいきなり「中止した方がいいよ!」と。

「何でですか?」

と正面切って聞くと、ぼそぼそとなにやら口ごもって顔をそむけ、また別の登山者に・・・。

気分が悪い。

6:30頃大谷原入り口でタクシーを降りるといきなりラッセルが始まる。

誰も入っていない。

橋は欄干の上3~40cmの積雪で一枚の雪面になっている。

途中からワカンを付けるが、雪がふかふかで腰まであるラッセルを、途中から単独行の人を交え4人で繰り返す。

赤岩尾根取り付きには、まだデブリがない。

ここで単独行の人はリタイア。

急登になると腰を越える雪を膝で踏みかため進むがペースは上がらない。

高千穂平まで行けず幕営(4:30)。

結構疲労した。

堀内さんが風邪で震えが止まらなかったが、翌日には回復。

3月18日

晴れ

5:30出発。

多少雪は落ち着いてきたが、ラッセルはきつく7:45高千穂平着。

ここより上部は、膝からもものラッセルになる。

途中から頭痛がひどく、堀内さんのラッセルに追いつかない。

戦力にならないまま遅れがちになり、稜線直下の斜面は横山さんが一気に登り詰めてくれた(12:30)。

冷小屋の冬季開放部屋にテントを張り早々に休養。

夕方、冷尾根からの登山者3人が着いた。

3月19日

晴れ

3時半に起床し朝食を作るが、体の不調は相変わらず。

横山さんの調子もおもわしくなく、いろいろ話し合った結果、本日の天気は崩れるだろうということで、停滞・休養日とする。

6:30 昨夕来た登山者3人が出発するので挨拶すると、十字峡から北尾根~三の窓尾根~剱へ行く明大OBパーティだった。

がっくり。

このままだと彼らのトレースを追うだけになる。

このとき横山さんの頭痛が更にひどくなってきたようだとの事なので、計画は中止して下山することにした。

小屋発8:00、高千穂平9:40、大谷原
雪は嘘のようにしまり始め、腰までのラッセルをした林道など信じられなかった。

終わった。

情けなさで胸が一杯。

せっかく計画に賛同してくれ、一緒に登った横山さんと堀内さんに申し訳ない気持ちではち切れそうだ。

天候やルート状況等でリタイアするならまだしも、自分の体調不備。

願わくば、もう一度お二方と一緒にリベンジしたい。

 

 

海金剛 スーパーレイン

2000年3月18日(土)~19日(日)
倉田、森広、中嶋(記)

<思い入れ>

例年だとこの3連休は快適な雪山に行くことが多い。

でもこのところはめっきり乾いた岩ばかりになってしまっていて、いきなり雪を踏むのは面倒くさく、またちょっと怖い気もするので、かねてから行きたいと思っていた海金剛に行くことにした。

1月に倉田さんが向畑さんと登っているのでアプローチや取り付き情報は心配ない。

天気は連休真ん中の日曜に雨の予報だったので、土曜に一本登り切るつもりで気合いを入れる。

海金剛は92年頃にクライミングの対象となった比較的新しい岩場で、開拓当初から最近までは「冬でも登れるエイドルート」として利用されてきたようだ。

エイドにやたら憧れていたときはそういった意味でとっても行きたい岩場のひとつだった。

でも、自分も含め冬にこういう所に行こうという人は少なくて、ようやく今回行けることになって内心かなりうれしかった。

そしてフリーが前よりもちょっぴり上手になった今、オールフリーでトライできるということがなにより嬉しかった。

<雲見まで>

土曜の21:30に京王片倉に集合し東名経由で沼津をめざすが、こともあろうに御殿場から沼津まで事故による大渋滞。

文句も言わず運転してくれた倉田さんはけっこうえらい。

けっこう見慣れた大仁町をすぎると伊豆の深南部、土肥で海岸沿いにでると海がきれいで気分はリゾート。

それにしても雲見は遠い。

オートキャンプ場についたのは1:30頃だったかな。

朝は何と8:00起き。

でも体調が悪くてクライミングが楽しめるわけがないからこれでいいのだ。

カップラーメンを食べたらガチャをそろえて即出発。

倉田さんのおかげで判りづらいといわれるアプローチもスムーズにこなして取り付きまで。

<登攀開始>

・1p目

取り付きはジャングルの中で判りづらいが、薮が比較的薄いルンゼ状があたり。

倉田さんにリードしてもらい様子を見るが、不快そうな所もなんだか頑張って登っている。

終了直前の右トラバースが悪いがテンションしなかったのはえらい。

・2p目

ビレーしないで薮テラスの右端まで歩く。1p目のおまけ。

・3p目

唯一ラインをはずしたピッチ。

出だしは面白めの3手くらいのフィンガークラック。

あとはいまだによく判らない。

・4p目

右上するアンダーフレークをレイバックぎみに。

面白いのだが出だしの浮いたフレークに全身を預けなければならないのが本当に嫌だった。

これを抜けると直上クラックでハンドからフィスト、最後はもちょっと広くなる。

フォローの二人も多分一番苦労していた。

・5p目

古ーいボルトラダーがあって先人クラックという名前がついてる。

フィンガークラックの素晴らしいピッチ。

もろい所も比較的少ない。

・6p目

唯一ノベンバーレインからはずれるピッチ。

右端のクラックに果敢に手を入れていって、バッチリ決まるのはいいが岩が浮いていて気持ち悪かった。ドキドキ。

・7p、8p目

倉田さんに最後のピッチをやっつけてもらうことにする。

出だしのクラックがなかなか登れなくて泣きそうな顔をしていたが、どうにかして登っていった。

全ピッチノーテンション、オンサイトorフラッシング。

小川山のクラックグレードにすれば確かに5.9位かもしれない。

でももろいからもっと「怖いグレード」は高い。

頂上は気持ちの良いところで、ずいぶん長い時間のんびりした。

懸垂下降4回(60mロープ)で取り付きだが、薮が多くて大変だった。

夕焼けで赤い海を見ながらの帰り道がよかったな。

・かかった時間は10時から15時くらいまで(あやふや)。3人の割には早かった。

・持っていったのはフレンズ1セット、キャメ2セット、エイリアン2セット強、その他色々、ちょっと多すぎたみたいで重かった。エイリアンがあればナッツはいらなくて、カム類は大きめサイズは1セットで十分。中間以下は2セットあったほうが良さそう。ハーケン類は使わなかった。

<その後のレジャー>

雲見のオートキャンプ場の露天風呂は良い。

石鹸をつかってはならないため、やることがないから夕暮れどきの海を見ながらぼけっとしているほかない。また行きたいくらいだ。

雲見には食い物屋が無い。

「仲嶋食堂」なるものがあったが6時ですでに閉まっている。

松崎まで戻って、完登祝いに刺し身定食をたべた。

至福のひととき。

食後は松崎の町をうろうろした。

酒屋で酒を買うついでに変な手作りアイスを買って食べた。

あれはおもしろいから食べたほうがいい。

<幕営地について>

泊まる場所をさがしつつ夜道を下田に向かう。

波勝崎が第一候補だったが、気味が悪いからやめた。

もうちょっと先に、「海の見えるパーキング公園」ふうの所があったのでそこにした。

怖い話をしてたら本当に怖くなってしまって(あの辺は人気もなく雰囲気が不気味なのだ)、その上テントにいきなりネコが入ってきたりしてびびった。

<レジャー>

翌日は南伊豆の海岸沿いのドライブからはじまった。

ひなびていてとても感じの良い地域だ。

伊豆七島のいくつかがよく見えた。

平地が一面、菜の花畑の地域があってしばし見とれてしまった¥。

下田の町をうろついてのち、寝姿山でクライミングを志すも、ケーブルカーの高値のまえになすすべなく城ケ崎へ向かう。

八幡野港のそば屋のそばはうまい。

シーサイドには知り合いがいて、難しいルートこそ登らなかったが数年ぶりだったこともありけっこう楽しめた。

八幡野港の風呂は景色がまあ良い。

帰りは湯河原で降ろしてもらった。

おもえば伊豆半島を一周したことになる。

おわり

 

 

西伊豆波勝崎 海金剛 SUPER RAIN

2000年3月18日~19日
中嶋、森広、倉田(記)

3月18日

雲見の駐車場で、以前は車の駐車代1日500円だったのでそのつもりでゆっくりしてたら駐車代の他にテント代を取られてしまう。(一人一泊3000円らしい。)

でも見晴らしのいい露天風呂やお湯の出る炊事場、お花の飾られているきれいなトイレを考えると仕方ないか・とあきらめる。

海金剛までのアプローチにあったビニールひもは誰かが撤去したらしくきれいに無くなっていた。

一部転んだら海に直行という外傾したところを気を付けながら通過して、フィックスを降りると海金剛につく。

誰かいるかと思ったがいなかった。

以前登ろうとした(アメリカンエイドの)VAGABONDと同じようなラインでNOVENBER RAINというラインがある。

今回はNOVENBER RAIN(6p除く)を全てオールフリー化したSUPER RAINを登る。

この前の課題をよりいい形で登れることとなりかなり嬉しかった。

以前はアメリカンエイドにかなり興味があったが登り終わった時にはクラックをフリーでがんがん登れるようになりたくなった。

あと、今回このルートに挑めるのも中嶋さんのお陰でした。

感謝です。

1P

トポの1ピッチ・2ピッチを60mロープで一気につなげようということで登り始める。

変なルンゼを登って途中キャメを決めるがどうも怪しい(脆い)。

立ち木を通過してスラブを右にトラバース。

草付きを詰めたところでトポの2ピッチ目終了らしいがロープの流れが悪くなりそうだったので、草付き入ってすぐのところの立ち木で1ピッチ目をきる。

2P

草付きてくてく歩く。

3P

ここからクラックが始まる。

中嶋さんリード。

なんかよくわからないところで、直上してから左上する。

で左により過ぎるとブッシュがあるのでその手前の溝みたいなクラックを右上するのが正解ぽい。

4P

中嶋さんは簡単に登っていく。

私はフレークを正対で登ろうとして足をばたばた。

だめだ間違えたと気づいてレイバックにして登るがなんか信用のおけない岩でちょっと不安。

途中の普通のジャミングが利くところは快適。

最後のワイドクラックなるものがどんなものかドキドキしていたが、あっこれは本で読んだあれができるではないかと太目の体半分を押し込め、じりじりと登る。

フレークより難しいけど楽しかった。

5P

フィンガークラックの5.9。

核心だ。

中嶋さんの登りをじーと見て真似して登る。

気合を入れて登る。

なんか良くわからないうちに登り終わってしまう。

でも振り返ると入り江が沖縄みたいで(行ったこと無いけど)気持ちいい。

6P

ここが一番もろくて怖い。

以前、向畑さんと来たときにここのテラスから人工でクラックを少し登って右のフェースに移ったが、今回はクラックをづたいに直上。

クラックが大きな岩がはがれそうな感じのところのことなのでかなり怖い。

7P

クラックで運良くここまでテンション無しでこれたもののリードをするのはやはり別もの。

でもせっかくだからと練習のつもりでリードすることに。

はじめのちょっとしたクラックに右足ジャムを効かせられなくて何度もちょっと登って降りるを繰り返す。

仕方ないので、左に有るかないかのスタンスに左足をのせて右のガバをとる。

あっけない。

これでクラックは終わってしまう。

ここから上はスラブで、ランニングがとれない。

仕方ないので、気休めで、シンクラックにロックスをセットして登る。

いかにも怪しい。

落ちる方向を考えてしかも抜けない方向にセットするのはムヅカしい。

60mロープなので最後までロープを引っ張る。

下山後の風呂・飯・観光・怪談(猫)・楽しかった。

3月19日

雨だろうとなんかだらだらとする。

そうゆうときに限って雨は降らない。

とりあえず南伊豆を観光するが東伊豆と違ってすれていなくてとってもいい所だった。

観光好きの中嶋さんに山の別な楽しみ方を教わった気がする。

以前からの課題がある城ヶ崎に行くことになり2時ごろから登り始める。

結局また登れなくて挫折。

いろいろと登らないとまだ登れないと痛感する。

中嶋さんはガンガン登っていた。

すごい。

5時で引きあげる。

帰り際、以前から気になっていた八幡野港にある展望風呂500円に入る。

雨も降るだろうととりあえず帰宅。

湯河原に向かう途中でやっと雨が降ってきた。

ざーざー降る中、渋滞にはまると帰れなくなる中嶋さんと森廣さんと別れる。

公衆便所にいって一人車で帰るが有料道路手前で金が無いことが判明。

さてこのあとどうなったでしょうか。

世の中まだまだ捨てたものではありませんでした。

 

 

荒船山 艫岩 昇天の氷柱

2000年2月27日
向畑(記)、森広、倉田

「荒船山に行こうかな。」

と誰かに言ったら、アイスクライミングの情報には素早い森広さんから、早速、「一緒に行きましょう。」と誘いの電話が入った。

週末は冷え込みそうな予報だったが、昇天の氷柱は滝と違って染み出しが凍る。

急に冷え込んでも氷柱は形成されていない可能性も高いが、取りあえず出かけてみることにした。

ベースとなる内山峠に上がるのには、ノーマルタイヤのシビックでは非常に不安だったので、多分パートナーにあぶれていそうな倉田さんをだまし、スタッドレスタイヤのマークⅡで行くことにした。

上信越道の下仁田インターから254号をたどり、内山トンネルを抜けてから内山峠に上がった。

登山口の駐車場には23時30分頃着いたが、既に車が1台止まっていてテントが張ってある。

早起きする自信のない我々パーティは、「クライマーならこんなに早く寝るわけがない。」

とか訳のわからないことを寝る前には言い。

翌朝には、当たり前のように男女ペアのパーティが自分たちより早起きして出かけていったが、ヘルメットやロープなどが目に付かなかったので、「もしかしたら普通の登山者かも。」

といった勝手な甘い期待を抱いていた。

しかし、一杯水で追いつくと、先行の2人はしっかりとハーネスを着けて用意を済ませていた。

出遅れた当パーティは6時50分に内山峠を出発、7時40分に一杯水に到着。

ここで一通りの装備を身に付け、余分なものをまとめてザックを1つデポ。

一杯水の看板の裏から艫岩の基部をトラバースし、氷柱取り付きには8時40分に着いた。

先行パーティは既に取り付いていたが、ビレーしている女性をよく見ると、YCCの小柳さんだった。

氷柱の幅は予想通り狭く、落氷直撃の危険があり取り付くかどうか迷ったが、戻って転進するのもめんどうだ。

1段目の上が比較的広く、2段目の入り口は右に回り込む感じになっているのが下から見てもわかる。

先行パーティが2ピッチ目に抜けてしまえば、取りあえず1ピッチ目は登れそうだ。

1ピッチ目、先行が完全に抜けきるまで待ったので、取り付いたのは10時。

スラブ上にたれた幅2m程度の氷から、上部は50cm位のチムニー内の氷へ。

途中、窮屈な体勢でチョックストーンをくぐり抜ける。

立ち木でビレー。

2ピッチ目、出だしのつららが下まで届いていない。

右側の階段状の岩場を2mほど登り、氷に移る。

さらに一段上がると傾斜が落ち、3段目の取り付きへ。

3ピッチ目、ここが核心となっていたが、氷がつながっていない。

しかし、岩の部分に残置があるらしく、先行は果敢にもA0で登っている。

ここで当パーティは、おもむろにザックからアブミを取り出す。

出だしの氷を2mほど登り、氷が途切れたところから岩に移り、ベタ打ちにされているボルトとハーケンをたどる。

残置が途切れたところから、今度は右側の狭いルンゼに詰まった氷に移る。

4段目の取り付きには、ペツルボルト2本の立派なビレーポイントがある。

4ピッチ目、ルンゼに傘のような氷がかかり、行く手をふさいでいる。

傘の天井には穴が開けてあるようで、小柳さんが傘の中に入り、奮戦的なクライミングを続けている。

ラインはルンゼ内の氷をオポジションで登って傘の中にもぐり込み、穴をくぐって傘の上にいったん乗る。

そこから左のかぶった氷を乗っ越すと樹林帯に出て終了。

先行2人が穴を広げ、余分なつららも落としてくれたので割と楽に越えられたが、それでも穴は人間が抜けることができるぎりぎりの大きさしかなく、腰に付けたアブミがつっかえてかなり苦しかった。

終了は16時。

登山道経由で一杯水に戻り、デポを回収後内山峠に戻ったのが17時20分。

国道沿いにある荒船の湯を目差し、峠を下った。

 

柄沢山~荒沢山~足拍子岳

2000年2月5~6日
板橋、三好(記)

ラッセルしたい気分になった。

足拍子には南尾根からラッセル訓練と称して4年ほど前に登ったが、雪庇が発達していて怖かったという印象が残っている。

しかも、その頃はへにょへにょで、結局ラッセルに〝ついて行く〟訓練になってしまったことだし、今度はきちんと歩いてみよう!と計画する。

2月5日(土)

晴れ

土樽駅で仮眠した後、越後中里スキー場に移動して車を置く(2日間置いて1,000円)。

7:20歩き出し。

ちょっと歩いてから、私はわかん、板橋さんはテストとしてスノーシューを装着する。

ちょうどリフトが動き始める時間となったので、あまり人の入っていないコースの端をこそこそ辿り、高速リフトの終点についてからはひたすら尾根上を行く。

雪も少なめでラッセルはきつくないが、ヤブが所々出てきて歩きにくいし、急傾斜で息が上がる。

板橋さんが元気にトップを行き、9:55には小さなプレートがある柄沢山に登り上げる。

暑くて、ヤッケなんて着ていられない。

その後は、「春山JOY、JOYですねぇ」とかなんとかしゃべりながらの、のんびりペースでのラッセルとなる。

体がすぽっとはまってしまう(私ははまらずに通過したが)ギャップと、ヤブが出たり、岩が出た急斜面となっているポイントで注意するだけ。

雪庇も発達していないので、それほど慎重にならなくてよい。

ただ、スノーシューはトラバースや下りに弱く、登りも傾斜が強くなると、蹴りこみがし難いので辛くなるとのこと。

岩が出てくるところでは、わかんだけよりは歯のついたスノーシューが登りやすそうではある。

1148m手前の尾根の方向が変わるあたりに11:00過ぎに到着。

荒沢山がきれいな三角錐となって見えるが、それからがひたすら登りとなるのだった。

昨日か一昨日かに降った雪を落として、雪を固め、足を一段一段上げて行く。

荒沢岳山頂に到着したら15:10になっていた。

山頂には今日、カドナミ尾根を往復したらしいトレースが残っている。

念入りに整地をしてブロックまで積んで、ツェルトを張る。

17:15くらいには4~5人のパーティが荒沢尾根から上ってきたが、1分も山頂に居ないで下って行ってしまった。

手足が少し汗で濡れてしまったが、寒くもないし全然大丈夫と思っていたら、板橋さんは足が少ししびれた感じがすると言い、寒そうにしている。

一度、凍傷になると弱くなってしまうというのは本当なのだなぁ。

気をつけねば。

2月6日(日)

高曇り

板橋さんと行くと朝飯はラーメンではなく、リゾットなどになる。

すると不思議なものでラーメンが食べたくなり、下りたらラーメンだぁと決意し、7:20、アイゼンをつけ出発する。

ホソドノコル手前には立った岩が現れるそうなので、潅木を支点に懸垂10mほどでコルに立つ。

今回は始め、足拍子から荒沢山へ逆方向で行こうと思っていたのだけど、岩は直上できないし、岩を避けてのヤブ泥アックス登りもしんどそうだ。

それから足拍子岳まで、ひたすらトレースをつけるのが楽しい。

しばらく行くと股まで潜ってしまうので、私はわかんをつけたが、まだ下りも所々あり、足拍子直下の登りは傾斜があるので板橋さんはスノーシューを履かずにつぼ足ラッセルだ。

ぜぇぜぇしながらも足拍子岳には10:30到着。

前回は天候も悪く冬山っぽくて、この先に高いところはもうないってことでやっと山頂だとわかったくらいだったのだが、今日は高速の車の音も聞こえっぱなしで、高速道と平行して歩いて妙な気分だ。

足拍子からは少しトレースを戻って南尾根に取付き、もういいよって思うくらいに後ろ向きにずかずか下り続ける。

急斜面だが、雪の状態は悪くない。

というわけで、そのまま尾根を下る予定が、土樽駅の見える方向、栗ノ木沢を下ろうなんて悪い誘惑に負けてしまう。

しかし、大きな滝はないものの、案の定、雪にはまりまくり、ブッシュを掴みながらトラバースしまくりのバテバテコースで余計に時間がかかった。

土樽駅には13:30到着。

下り電車は13:48、その次は16:32だから、かなりきわどい時間だった。

今回はずーっとトレースを付けて行くことができたので満足満足ではあったけど、2週間後再び来たら雪がかなり増えていて、もっと楽しそうーと少し残念な気分になった。

その時はえせスノーボーダーになってしまったのだけど、また、この周辺を歩きに、登りに来てみようと思う。

 

 

八ヶ岳 旭岳東稜

2000年1月29~30日
森広、倉田、三好(記)

1月29日(土)

晴れ

八ヶ岳の東面にもそろそろ雪がついてきただろうかと、旭岳東稜に出かけることにする。

日曜から天気が崩れるようなので、なんとか土曜日中に決着をつけたい。

美しの森の駐車場に車を置き、珍しく酒を飲まずに仮眠した後、6:30に歩き出す。

林道に車が入った跡もあるが、すぐにあきらめてUターンしたようだ。

出合小屋8:50。

踏み跡は出合小屋までしっかりあるけど、旭岳東稜には続いていない。

ラッキー。

少し沢に入ったところから尾根に取付くが、赤布等には気付かなかった。

9:45頃には尾根に登り上げる。

雪はヒザ程度、時々ズボッと深くはまり、急登はヤブを掴みアックスを効かせながら進み、14:30上部岩壁の取付きに着く。

倉田さんはやる気満々なので、リードしたいと言いきる。

しかし、非情にもジャンケンとなるのだった。

結果、珍しく、本当ーに珍しいことに森広さんがジャンケンに勝つ。

しかし、思ったより傾斜もきつくて右か左かとやっているうちに疲れてきたらしく、一旦下りる。

で、二番目に勝った私が交代して取り付くと、いいホールドに手が届かない。

すなおに、スリングをアブミにして登ってしまった。

2段目はいい所に木もあるし、簡単と思いきや、やはり手が届かない。

細かいところに立つのも怖い。

えいっと体を伸ばすとなんとか届くが、届いたら届いたでバランスが取れなくなって、足ブラになる。

息を吐き吐き、パワーで登ってしまった。

もたもたして時間もむっちゃかかるし、登り方も全然駄目だ。

3段から先は左手の草付きを登ると登山大系には書いてあるが、傾斜がきつく回りこむのが難しそうで、よくわからない。

ほぼ正面通し右側を草付きアックス登りで倉田さんに行ってもらう。

結局、岩壁が終わったのは16:30過ぎで、暗くなってきた。

暗い中、そんなに安定しているわけでない雪のナイフリッジを通るのは怖いので、ずっとロープは出しっぱなしで、旭岳に到着したのは20:20。

よかったーと硬い握手を交し合う。

しかーし、稜線上のトレースは見事に消えており、疲れた体に股まで埋まるラッセルはきつい。

ヘロヘロな私がすぐにラッセルを交代すると、倉田さんが「もぉーっ」と叫びながら、這い這い進む。

確かにその方が速い。

途中、懸垂も1回やって、21:30ツルネ手前でやっとテントを張ることにした。

風がちょうど当らないらしく、樹木が稜線にまであるよいテン場だ。

今まで飲んだ酒の中で一番好きな屋久島の焼酎をちびちび飲んで、22:30消灯。

1月30日(日)

晴れ?

6:00起床。

夜中から風がかなり強く吹いている音はしていたが、テントには全く風が当らない。

7:45出発。

風が強くて時々立ち止まらなくてはならないほど。

昨日中に登りきれてよかった。

あとはツルネ東稜をひたすら下る。

下りは派生する尾根に入らないようにと思っていたら、赤布がべたべた付けられていて迷いようがない。

ラッセルしていると、雪の表面の凍ったところがちょうどヒザ下に当り、むちゃくちゃ痛くなってきたのには参ったけど。

9:30ツルネ東稜を下りきり、11:55には駐車場に到着。

後ろを振り向くと、稜線上にはレンズ雲が何重にもなって掛かっている。

なかなかお腹一杯、充実のよい山行でした!!

追加:温泉・風呂の入浴料は小渕沢や茅野方面では600円なのが、清里から韮崎あたりでは1,000円になっているらしい。

高いぞー。

 

 

甲斐駒ヶ岳 戸台川 舞姫ノ滝

2000年1月22~23日
関、椛島、本郷(記)

1月22日(土)

晴れ

前日、関さんの新車のワンボックスで八王子を後にしたが、中央自動車道のトラック横転事故で笹子トンネルから出られなくなり、戸台まで行けず途中の道の駅に着いたのが午前3時過ぎになってしまい予定がすっかり狂ってしまった。

少しだけ飲んで、少しだけ寝ようとしたら10時になっていて、急いで準備をして、朝飯も食べず、戸台に着いたのが11時であった。

戸台川の河原歩きから丹渓山荘についたのが、午後2時。

玄関にツェルトを張ってベースを作成した後、時間も中途半端なので「舞姫ノ滝」F1へ偵察を兼ね、出かけた。

アイスクライミングが3回目のカバ君が、最初に取付くがパワフルなクライミングでなかなかうまかった。

ちょうど、CMCのパーティーが降りてきて、カバ君の登りを見ていたが片手ムスタングで登っている姿を見て呆れていた。

CMCの人にF3(舞姫ノ滝)の結氷状況を聞いたら、ツララの集合体でヤバそうなので登らなかったという。

我々は、明日登ることにしてベースへ戻る。

小屋は、毛布もあって非常に快適に寝ることが出来た。

 1月23日(日)

気合を入れて、5時に起床。

6時30分の暗いうちに出発した。

しかし、なんと「舞姫ノ滝」F1前に先行がいてビックリ。

彼らが先に取付いて、その後を追って登ることにした。

F1は、最後の出口が氷柱状の垂直部分があるが短いので問題なく、F2もクリアし、核心のF3へは歩いて100M程で着く。

先行は、見ただけで帰ってしまった。

カバ君に本郷のプレデター2本を貸して、取付いたが片方のセミチューブがツララには決まりにくく一旦降りて来て、関さんのナジャを1本借りて再度取付く。

スクリューを5本打ちながら、垂直部もクリアしていく姿はとてもアイス3回目とは思えない頼もしさがあった。

関、本郷の順でフォローし、なんとか登ることができた。

舞姫ノ滝自体は、気温も高かったので氷の状態も良くなく、大同心大滝より困難に感じた。

とりあえず、舞姫ノ滝が登れたので3人で機嫌良く帰ることができ、非常に楽しい山行だった。

帰りは吹雪になり、車で峠を越えるのが今回の核心であった。

 

 

甲斐駒ヶ岳 大武川支流唐沢キャトルキャール

 

Quatre-Quarts
仏語で四分の一ずつと言う意味(難しい氷瀑が四段繋がっている)。

 

2000年1月19(水)~21日(金)
大滝(記)、森広

キャトルキャール、何と素敵な響きだろう。

昔、実力のなかった頃 クライミングジャーナル34号に発表されていた記録を
憧れと共に大事にしてきた。

何時か登れるとも思わず、時々、思い出しては
未だ見ぬ大氷瀑を夢想した。

先シーズン、篠沢七丈瀑と八ヶ岳摩利支天沢大滝をリード出来た僕は、氷に対して少し自信がもてる様になった。

僕が今思っている氷登りの基本とは、落ち着いて振っていない方の腕は引きつけておく、と言うことだ。

こうすれば疲れずに先を読める。

このルートの初登は、1987年12月30日、北川勇、中根穂高、のお二人。

第二登は、二日後、池学、白井秀明の両氏。

北川さんは数年前、南の島のスキンダイビング中に落命された。

面識はないが昔から雑誌に発表されていた沢山の記録は、登攀意欲を沸き起こしてくれた。

池学さんは昨年12月単独で北鎌尾根に向かい、行方不明のままだ。

池さんも親しい訳ではないが僕には一つの思いがある。

6、7年前だろうか。

池さんがカモシカに買い物に寄られた。

有名人なのですぐに気づいた。

何かの部品を買い求め、レジにいた面識のない僕に向かって、「田舎に住んでいるんで、こう言う物が手に入らないんですよ。」と言った。

凄い登攀実績を持った、あの池さんが知らない僕に向かって、「田舎にいるから・・・」などと、地味な事を言う。

僕は、「あー、この人は素朴でいい人なんだろうなあ。」

と感じ、その後、ずっといいイメージを抱いて来た。

白井君は好青年だったが、黒部丸山の1ルンゼでアプローチ中落石で亡くなった。

池さんの事故を知って少し経ったら、「キャトルキャール」の事が不意に浮かんできた。

そうか、今の力なら登れるかもしれない。

よし、北川、池、白井氏の追悼登山を計画しよう。

柄にもなく殊勝な事を考えた。


1月19日(水)
7:25 人面ダム出発 曇り 0℃
8:30 1100m地点 途中に平地があって赤松が植林されていた。無風、曇り。
9:50 1350m地点 笹藪 踏み跡あり
12:30 つづみ 1714、8m 笹藪の少し窪んだ所。どんより曇り。積雪10cm。
16:00 ヤニクボの頭 2165m 晴
17:00 燕の巣(岩小屋)1830m 3人用ツエルト張る。5m下に水流有り。

1月20日(木)
6:20 起床 薄曇り
7:40 出発
8:30 キャトルキャール着 快晴
9:00 登攀開始
14:25 終了
15:25 左岸を歩いて下降し、河原着
16:10 燕の巣帰着

1月21日(金)
4:20 起床 晴
6:35 出発
8:00 ヤニクボの頭
10:05 つづみ
12:40 取り付き


1月19日

取り付きは、篠沢橋を渡って
人面ダムの看板のある、緩く右に回り込む、少し広くなった所。

車3台くらい置ける。

踏み跡に沿って登っていくと、仕事道に合わさる。

緩く進むと湿原が現れる。

冬の為か水は無い。

夏に水があるなら来てみたい所だ。

950m地点で尾根に上がる。

段々と道が無くなる。

1140mで坊主尾根に出る。

伐採の跡がある。

そこからは所々仕事道がある。

途中、岩場で越えられないギャップがあって困ったが、少し戻って右の藪を下って迂回出来た。

その後、猛烈な笹藪に奮闘し つづみに着いた。

延々と踏ん張って登り続けて、ヤニクボの頭に着いたのは 夕方になった。

ここで泊まるとすると、雪を溶かして水を作らなければならない。

それも嫌だし陽もまだあるので 燕の巣まで行くことにした。

浅い沢状を下っていくと宮の大岩が登場してきた。

確かに大きいが藪っぽくて余り魅力を感じない。

岩場の中央辺りを下っていくと5、60m位の所に燕の巣はあった。

3人用ツエルトを張る。

4人は泊まれると思うが、5人はどうだろう。

岩小屋は段に成っていて2mのスラブを登って、ツエルトに達しなければならない。

酔っぱらうと危険なのでお酒は少なめがいい。

1月20日(木)

ついに来た決戦の日。

去年の暮れからずっとナイーブになっていたが、今日は戦うしかない。

落ち着いてじっくりやろう。

登り続ければ何時か氷は傾斜が無くなって終了点に着く。

この当たり前の法則を頭の中で繰り返す。

燕の巣からトラバースし、唐沢本流を下る。

巨岩累々たる明るい沢を下りていくと、キャトルキャールは明瞭だ。

良く凍っている。

快晴。

風弱し。

明るい。

対岸のヤニクボルンゼが指呼の間だ。

1P目 Ⅱ~Ⅲ 50m
大滝、確保無しでロープを引いて行く。

登り終わって下を見ると高度感があるので、森広さんを確保する。

50m程斜面を歩くと

2P目 Ⅳ 40m
森広リード。

出だし厚くない氷にスクリュウ2本を埋め、ランナー4本、終点2本。

乾燥してばりばりと壊れ易い氷。

3P目 Ⅳ 40m
大滝リード。

ここはヴァーチカル。

来たぞ!意気込む。

ビレー点は登り出す中央でしか作れず、氷をたたき落としたら、森廣さん すいません! 表面が凹凸していてスクリューを埋め難い。

落ち着いて、一歩一歩、ランナー3本で切り抜ける。

傾斜が緩くなって、巨大ハングの軒下でスクリュー2本でビレー。


取り付きから見た、このハングの氷柱は思ったより細く、人二人分位しかなく、とても登れる代物ではない。

フォローの森広さんに、「右か左か登れそうですか。」と大声で聞くが、右には恐そうな岩がある、左にも氷は繋がっていない、との返事。

うわー!うそー!去年の暮れからこの日の為に研究して、垂直に負けそうな心と戦って来たのに、胸の中の握り拳に力を込めて来たのに、追悼登山もこれで幕切れか。

やりきれない。

下降は、右岸に15m程歩くと大木があるので、そこから懸垂下降が出来そう。

森広さんに先行してもらう。

僕が未練一杯で氷のない壁を見ながら、フォローして行くと氷から4m程離れた所に、古いリングボルトがあった。

これは87年に中根穂高さんが打った物に違いない。

壁を暫く観察した。

直上はスラブなので、到底無理だし危険だ。

しからばボルトにランニングを取って右に岩をトラバースして行けないか。

ボルトを叩いたりシュリンゲをかけて力一杯引いてみた。

効いている。

もし、落ちたとしても、今歩いてきた雪の上にどさっと落ちるだけだから、怪我はしないだろう。

ボルトの右方4m先のスラブに2~3cmの厚さの氷がある。

薄いけど効きそうな感じがする。

傾斜も緩い。

落ちて元々、行ける可能性25%位。

ここ数年、世界のトップクラスの間で、モダンミックス、ドライツーリングが標榜されている。

この動きがなければ、こんな壁を見て考え込まなかっただろう。

さっさと懸垂下降の準備をしていただろう。

賭けてみよう。

ふつふつと登攀意欲が沸いてきた。

ボルトにランニングを取り、スタンスを捜す。

小さく雪がこんもりしている所がある。

左手のシモン・ナジャのピック先端をリングボルトのリングに掛け、左腕を一杯に伸ばし、思い切り体を右に振る。

体を移動したら右向きの縦クラックがあるのが分かった。

ジェフ=ロウのビデオや本を思い描き、右手のカジタ・マークⅡベントのピックをごりごり差し込んでみる。

決まった。

両足をクラックの下に持ってくる。

ずっとボルトに掛けていた左腕をいよいよ外す。

恐い。

やっ、外してカジタの上のクラックをまさぐる。

決まった。

次にカジタを上に決める。

OK。

更にナジャを上に、ところが、幾らまさぐっても虚しくがりがり鳴くばかり。

どうしよう。

クラックの右に厚み5mm程度の氷がある。

これにナジャのピックをコチンとあてがい、外れぬことを祈りつつ、右足を厚み2~3cmの氷に向かって大きく振る。

OK。

すかさずカジタを抜き右にカチンと決め、左足も揃え、ナジャをそっと移動した。

ほっ。

ふう。

ここまでのムーブ、まるで夢のようだ。

その後はそんなに難しくなく、40mをスクリュー3本で終える。

ビレー点は直径20cm程の氷柱を使う。

近くにぼろぼろのハーケンがあったが、氷の方がましだ。

5P目 Ⅳ+ 45m
大滝リード

さっきボルトに掛けたナジャを握っていた腕を疲れない様に伸ばしていたのに、少しだけ萎えてしまった。

森広さんに代わって欲しかったが、ここもヴァーチカル。

僕が行くしかないかと考える。

ビレー点は左で、登るのは中央凹角。

うーん、立っている。

落ち着いて確実に行こう。

途中、左腕がふらついて来た。

まるで初心者の女の子の様にナジャを何度も叩く。

これはまずい。

右のカジタに荷重を懸ける様に努力する。

氷が凸凹していて、ランニングが取りにくい。

さっき2本取っただろうか。

3本目を取りたいが取りにくい。

下を見ると結構ランナウトしている、上を観察すると、立ってる部分はそろそろ終わりに近い様に見える。

迷うが、そのまま登る事にする。

確実に一手一手決めていく。

緩傾斜になり左上にブッシュがあるので、ピッチを切る。

あー辛かった。

6P目 Ⅲ 40m
森廣リード

傾斜の緩い最終ピッチをスクリュー3本で通過する。

池パーティーは左岸を歩いて下っているので、右のブッシュで切る。

2時45分 登攀終了 実働5時間45分 大いなる氷だった。

下降は、50m程トラバースして行くと尾根上になってくるので、そこを降りる。

本当にロープ無しで歩いて下れた。

唐沢本流3時25分。

握手を交わし、この山行が追登山の積もりであった事を森広さんに話した。

巨岩を乗り越え、燕の巣には明るいうちに戻れた。

ツエルトでくつろいで居ると、上空を飛行機が何度か飛来してくる。

森広さんが、あれは関西方面に向かうのでしょう、と言う。

頭の中に日本地図を描き、遙かな西国を思う。

19日の夜は寒くはなかったが、20日の夜は風が強く、冷えた。

1月21日(金)

下山も時間がかかるので、真面目に早起きをする。

朝焼けが宮の大岩をいっぱいに染め、真っ赤な勇姿が我々を何度も振り向かせた。

途中、つづみを過ぎたところで左へ行くべきを真っ直ぐに下りてしまい、何度かトラバースする羽目になった。

幸いそんなに危険な個所も無く済んだ。

笹藪を漕ぎながら、高校の時覚えて以来、山で口ずさむ歌を一人詠んだ。

笹の葉は 全山もさやにそよげども 我は妹思う 別れ来ぬれば
みやまいもこ

下山もどれだけ時間がかかるかと不安だったが、12:40意外と早く戻れた。

登り始めに810mに合わせたトーメンの高度計が、山中数度補正したが、車の所でぴったり810mだった。

流石トーメン、やったね!

ギヤ:使用したスクリューは8本だったが10本程度は持参した方がいいと思う。

注意点:岩小屋下の水流は夜間凍結の可能性有る為、寝る前に汲もう。

文献:クライミングジャーナル34号
岩と雪128号

 

谷川岳 一ノ倉沢 αルンゼ

2000年1月8~9日
瀧島(記)、小谷、椛島

正月山行では穂高の継続クライミングを計画したが、屏風岩の取り付きまで行っただけで、壁には取り付かずに敗退となってしまった。

おかげで年末年始はコタツで紅白を見て、近くの神社に初詣に行って、まさに幸せなお正月を過ごしたのだった。

もちろん体重、体脂肪率ともに増加してだるま状態となった。

このままではミレニアムは良い年は望めないと思い、心を入れ替えて一ノ倉にリベンジに出掛けることと成りました。

はじめの計画では12月に衝立の北稜に行ったときに見つけたアルファールンゼの横の尾根だったけれど現場で急きょルートの変更をしました。

1月8日

快晴

ロープウェーの駐車場を5時ころ出発、積雪は少なく、しばらく降っていないようだ。

おかげで一ノ倉の出合には1時間くらいで着いた。

テールリッジの上部にヘッドランプの灯りが二つ動いている。

彼らはきっと、一ノ倉の中核をなすメジャーなルートへ向かうのだろう。

雪崩の危険は感じなかったのでコップスラブを直接略奪点目指して登って行った。

アルファー、ベーター中間リッジは登ったと言う話は聞いていないが、出合付近からも割と良く見える。

見栄えも捨てたものではありません。(少し誉め過ぎかも)

取り付きは略奪点のすぐ上、コップスラブの目印になるピナクルの近くまで末端が迫っている。

アルファールンゼ側に回り込んで取り付こうとした。

ところが目指すリッジの上はこのところの好天のおかげでブッシュがうるさそうだ。

それに引き換えアルファールンゼは雪も安定していて魅力的に感じられた。

悪く言えば優柔不断、良く言えば状況に応じた現場での適確なルート変更をして、アルファールンゼをつめることとした。

中間リッジにはもう少し雪がついて良い状態のときにまた来よう。

アルファールンゼの下部は今日の雪質ならば問題ない。

コップの広場と同じ位の高さでルンゼの幅は一気に狭まる。

雪質も不安定になりロープをつける。

1P目椛島トップで傾斜は緩いが不安定な雪質のルンゼをじりじりと進んで行く。

岩の上にうっすらと雪を付けているだけでピックは岩を叩いてしまって決まらない。

マサに嫌らしいピッチをノーピンで登って行った(50m)。

山を始めてまだ1年なんて思えない登りを見せてくれた。

今回はリッジルートなので岩と雪稜を想定したギヤを持ってきていたのでアイスハーケンなんか一本も持ってこなかった。

おまけにアイゼンはカジタの10本爪だ。

2P目小谷トップ。

今度は安定した氷からワンポイントのおっかないトラバース。

3P目瀧島トップ。

正面は発達の悪い氷曝。

おもわず右の急な草付にルートをとった。

途中ピックがきまらず、墜落寸前までいったが、ファイト一発なんとかクリアー。(50m)

このままリッジを登って行くと50mで一ノ倉尾根に飛び出した。(15時)

ここから眺める幽の沢も雪は少なく黒々としていた。

一応そのままロープをつけたままで50m進むとルンゼの入り口に着いた。

ここでロープをはずして後はひたすら上を目指す。

衝立尾根との合流したところでワンポイントロープを使った。

夕闇迫るころ一ノ倉岳に着いた。

頂上直下の雪壁に穴を掘って今夜の宿とした。

几帳面な小谷さんのおかげで超快適なねぐらが完成した.酒も食料も豊富にあり幸せな夜を過ごした。

1月9日

ガスのち快晴

西黒尾根経由で無事に下山。

今回、成り行きでルンゼルートを登ってしまった。

今までのセオリーだと積雪の多い山域のルンゼルートは雪の安定した3月にねらう事が多かったと思う。

しかしここ数年の冬の天候パターンと山の状態を考えると時期にとらわれずに積極的に谷を詰めてから取り付くルートやルンゼルートを計画しても良いのではないかと感じていた。

だから今回アルファールンゼを登れたことは自分の考えがある面では正しいことが判ったので満足している。

とはいえ、下部では雪崩の危険を感じずに登れた適度に締まった快適な状態の雪が、傾斜が変わる核心部の滝の手前では、いつ雪崩てもおかしくない不安定な状態に急変した。

締まった雪の上にチリ雪崩となり落ちてきたふかふか雪が重なったものと思われる。

ハンドテストをすると上層の雪はいとも簡単に動き出した。

雪質の見事なまでの急変を身をもって感じる事ができて良い経験ができたと思っている。

特に年末年始の積雪量はここ数年概して少ないように思える。

従来の常識にとらわれずに頭を柔らかくして柔軟に考えると今までにない面白い計画も考えられるだろう。

ただし突っ込むか戻るか、あるいは転進するかの現場での判断の重要性は今まで以上に大切になる。

 

波勝崎 海金剛 左壁秀峰ダイレクトルート

2000年1月8~9日
向畑(記)、倉田

トポはここをクリックして下さい

もともと記録をとっていなかった上、仕事が忙しくてほってあったので、記憶があいまいになっており、結構間違えているかも知れません。

また、結局適当に登ってしまい、ライン自体も記録としての価値は高くはないと思いますが、これから行こうとしている人もいるようなので、アプローチや岩場の概念等も含めて、参考にしていただければと思います。

正月山行を情けないことに腰痛で敗退し、実家に帰ってごろごろしていたらさらに悪化して、とても冬山に行けそうな状態ではなくなってしまった。

暖かいところにリハビリに行こうと考えていたら、ヨセミテを目指すという倉田さんから西伊豆の海金剛に誘われた。

エイドの重い道具一式背負って歩けそうにないことや、暖かいところでもアルパインのようなクライミングには不安があったが、フレンズやピトンなど、重いものは一切持ってくれるということだったので、せっかくの連休でもあり出かけてみることにした。

取りあえず雲見を目差すが、埼玉の田舎からは西伊豆はかなり遠い。

出発したのも遅かったが、着いたのは2時半頃になっていた。

途中、雨具を忘れてきたことに気付き、セブンイレブンでビニールガッパを買ったが、冬山との気持ちの切り替えができず、他にも何か忘れているような気がして怖かった。

雲見集落から枝道を右に入り、オートキャンプ場の受付を通り過ぎたところにある造成中の空き地で車中ビバーク、翌朝起きてから海金剛へのアプローチを探すことにした。

翌朝、それらしき踏み跡を見つけて、近くの路肩に車を止めてラーメンを作っていると、通りがかりのおじさんに、「そこは止めちゃだめだよ」と言われた。

キャンプ場の手前にキャンブ場のお風呂があり、駐車場に1日500円と書いてあったので、管理人のおばさんに聞きに行くと、「がけ登りに来たのかい」と言われてしまった。

どうやら、最近は皆さんこちらを利用されているようだ。

踏み跡は、ところどころ崩れているがよく踏まれており、危なそうなところにはフィックスまで張ってある。

ただ、ビニールのひもが張り巡らせてあるところがあり、それがはずれて風になびいている。

目印はもっと簡単なマーキングで充分だと思うし、ごみになるのでやめるべきだと思う。

30分ほど歩き、最後のフィックスを懸垂すると海金剛の基部についた。

先行の2人パーティが中央稜末端を乗っこし、右壁側へと回り込んでいる。

とりあえず、初登ルートであるVAGABOND(バガボンドと読むらしい、放浪者の意)を登ろうと思っていたが、彼らも同じルートを登るらしい。

右壁樹林帯の下にテントを張り、ゆっくりと食事をして、もうだいぶ登ったかなと思ってVAGABONDの取り付きに行ってみると、まだ下でしゃべりこんでいて取り付いていない。

しかたがないので倉田さんがトポを持っていた、SURF&SNOW(サーフアンドスノーと読む、意味不明)というルートを登ってみることにした。

SURF&SNOWは左壁なので、来たところを下って登り返さなければならない。

めんどうなので、そのまま中央稜を乗っこして草付き帯をトラバース、取り付きと思われる岩場と草付きのコンタクトラインを目指し、「この辺かな」

と思ったところから登はん開始。

登り始めは、多分お昼ごろだったと思う。

8日

1ピッチ目、35mⅢ級、向畑リード、もろい岩場を直上し、バンド状の立ち木まで。

2ピッチ目、30mAA1+、Ⅳ級、倉田リード、凹角の右のリスをネイリング、リスは右上のハング沿いに続いており、この段階でなんとなく全然違うルートを登っていることに気付くが、おもしろそうなラインなのでそのまま登ってもらうことにした。

リスはハングを越えてルンゼへと延びている。

ユマーリングで回収しながらルートを追うと、タイオフの連続でリスも一部脆そうだ。

ただ、タイオフが多いのは、ピトンのサイズが合っていないだけのような気もするが、初めてのネイリングで3時間かけてリードした倉田さんに敬意を表し、AA1+にしといてあげよう。

ナイフブレード、ブレード、アングル、ロストアロー、エイリアンなどを使用。

2ピッチ登っただけで、早くも薄暗くなりかけてきたので、ロープをフッィクスして下降。

テントに戻ったのは18時頃だと思う。

9日

4時ごろ起きて用意するが、外は結構寒く、6時頃までテントの中にいた。

再び中央稜を越えて取り付きに戻り、ユマーリングを始めたのは7時近かったと思う。

岩場の前の入り江には、岩礁に漁船で釣り人が次々と運ばれてきて、岩登りをしている下では釣りをやっているというちょっと変な光景だ。

3ピッチ目、45m、Ⅲ級、向畑リード、一枚岩のきれいなスラブだが、木がいっぱい生えている。

傾斜はないが、足を置くのが苔だらけでちょっと怖い。

できるだけ岩の露出している部分を登り、ロープを目いっぱい伸ばす。

どん詰まりには、スラブを取り囲むように扇状の岩場が立ちはだかり、その手前の立ち木でピッチを切った。

4ピッチ目、25m、Ⅲ級、倉田リード、クラックにプロテクションを求め、扇状の岩場の切れ目を右上。

フレンズ、キャメロットなど使用。

5ピッチ目、30m、Ⅲ級、向畑リード、右側のルンゼに回り込み、木登りから左側の外傾テラスへ。

ブッシュ帯はここで終わり、上部はすっきりとしたフェースとなっている。

ルンゼ内の木に、かなり古そうなスリングが巻きつけてあり、初めて残置物を発見。

さらにピッチを切った外傾テラスには、ビレーポイント用らしいピトンが2本残置されていた。

支点を打ち足そうと思い、リスにピトンを叩き込んでいると、横の岩が浮いてくる。

取りあえずスリングで連結してアンカーを作ったが、とてもユマーリングしてもらう気になれず、フォローで登ってもらった。

6ピッチ目、30m、Ⅳ級、向畑リード、岩が積み重なったような逆そうフェースで、見た目は脆そうだが、選んで登ると意外と硬い。

縦横にクラックが走っているので、ナッツ、エイリアン、フレンズなどでプロテクションは取れる。

右のクラックから、バンド状をトラバースし中央稜を回り込むと、RCCボルトの立派なビレーポイントがあった。

当初登る予定だったVAGABONDへと合流したようだ。

7ピッチ目、25m、AA1、Ⅳ級、倉田リード、正面は前傾フェースで、その切れ目である右側のクラックを登る。

フリーで登るつもりで取り付くが、力尽きて、すぐにフレンズ架け替えの人工となる。

でも、多分フリーでも登れそうな感じだ。

クラックから右の凹角に移る。

凹角の手前にプロテクション用のRCCボルトが残置されていた。

8ピッチ目、50m、Ⅲ級、向畑リード、右側に回りこみ、脆いルンゼを直上、ロープを目いっぱい伸ばし、海金剛の頭へ。

12時40分着。

海金剛の頭からは、さらに伊豆半島中央部への山稜へと尾根が続いている。

下の入り江では、相変わらず釣り人がのんびりと釣りをしていてロケーションはなかなかいい。

下降は、ほぼVAGABOND沿いに下れた。

ここを降りる人が多いようで、残置のカラビナがあったりして下降ルートが整備されていた。

降りる途中でVAGABONDを登ってきた、昨日のパーティと擦れ違った。

テントに戻ったのは15時、のんびりと片付けて16時に歩き始めたが、VAGABONDパーティが上から3ピッチ目あたりで、「ロープが来ない」とか言ってはまっている。

明日は雨の予報なので、今日中に降りられるといいなと思ってしばらく見ていたが、下で心配していても仕方がないので歩き出した。

結局、ずいぶん簡単なルートを登ってしまったことになりますが、個人的な好みとしては、弱点をついたよいラインだったと思います。

ただ、倉田さんの目的であったエイドクライミングの練習という点では、かなり物足りない山行になってしまいました。

ほんの一部分しか登っていないので間違っているかも知れませんが、海金剛は大きな一枚岩の岸壁ではなく、小川山や瑞垣のように、いくつもの岩場が積み重なったような構成になっているので、岩の部分を選んで登らないと、結構簡単に巻けてしまったりしそうです。

特にエイドクライミングの場合、難しそうなラインをあえて選んで登らないと、あまり練習にもならないような気がします。

また、クラックやリスは豊富にあり、立ち木も多いので、既成のルートにこだわらずに、自分でラインを引いて登ってみても、そう難しくはないと思います。

行き詰まっても、割と容易に下降できそうです。

逆に、クラックやリスが多くて残置が少ないので、既成のラインを追うこと自体もなかなか大変そうで、あまり意味のあることでもでないように感じます。

ボルトを打つのはすすめませんし、打つ必要性も低いと思います。

また、砂岩のような岩質なので、打つ場合も手打ちで充分、ボッシュ等はいらないような気がします。

ただ、ビレーポイント用には、リングボルトよりもRCCやペツルの方が良いかも知れません。

中央稜の古いボルトラインでは、チップが浮いているボルトを多く見かけました。

これは多分浅打ちではなく、脆い岩質と、海岸でもあるため風化が激しいため、リングが浮いてきているんだと思います。

私たちは岩場の基部までテントを持って行きましたが、そう広いスペースがあるわけではありません。

上から見ると、左壁下にもテントスペースが整地されていましたが、落石からは、あまり安全ではではないかも知れません。

駐車場から海金剛までは30分程度なので、そちらをベースにしてもよいかも知れません。

管理人さんによると、VAGABONDパーティはいったん戻って駐車場にテントを張り、お風呂も入って翌日再び岩場へと出かけていったそうです。