1999年10月7日(木)~10日(日)
瀧島夫妻、本郷、高津、大滝、森広、三好、白沢、森田、中嶋(記)
これだけは覚えよう「カムサ・ハムニダ」(ありがとう)
白雲山荘の皆さんのおかげで、短い期間のわりには非常に充実したツアーとなった。
学生の頃は海外旅行のガイドブックは「発見」の喜びを無くしてしまうから邪道だと思っていた。
でもいざ就職してみて、かつてのような時間をまったく気にしなくてよい旅行が出来なくなると、効率よく「発見」するために事前の勉強が重要だと思うようになった。
今回の韓国行きが決まった直後に「地球の歩き方・韓国」
を購入し、基礎知識や言葉のページを中心にかなり丹念に読んでおいた。
ハングルは話に聞いていたとおりとてもシステマチックに出来ていて、アルファベットに相当する「記号」を覚えてしまえば近い発音は出来るようなる。
とりあえず発音出来るだけで意味はまったくわからないけど、それっぽく発音するのがとても面白い。
当然、町を歩くときなど何かにつけて役に立った。
歴史の章はあらためて読んでみるとかなり重い。
日本と比べるととても苦労の絶えない国だったのだなあとつくづく思った。
日本は何回も苦労の種を蒔いてきたわけで、申し訳なさでまともに旅行なんか出来ないのではないかという気すらしてきた。
実際はそのたぐいの難しいことを考える暇がないくらい、クライミングだけで充実した旅になったわけだけど。
10月7日(木)
<出国から山小屋まで>
飛行機が夕方の便だったので午前中仕事をしてからでも間に合いそうだったが、一応午前中も休みをとって朝たっぷり寝てから準備をして、万全の体勢で成田に向かった。
飛行機には何度乗っても嬉しくて興奮するが、エアポート成田に乗る時にすでに興奮している。
飛行機は整備不良なかんかで一度滑走路に出てからもう一度戻ったりして、予定より1時間ほど遅れて離陸、待ちに待った機内食は量が少なくてかつまずかった(ノースウェスト)。
キンポ空港では白雲山荘(世話になる山小屋)の李さんが迎えに来てくれていて、車に乗ってまっすぐトソンサ(登山口の町)に向かった。
はじめての国の夜は迫力が5割増しくらいになる。
キムチの香りのする車の外をひたすら眺めていると、不意に真っ暗な漢河が現れて、あんまり大きいから海かと思ってしまった。
なんと言っても怖いのは教会の赤い十字架。
数があまりに多くて町中がお墓のように見えてしまう。
マンションの窓がやたら大きくて、オープンだったのも印象的だ。
車は80km位平気で出していて、てっきり高速だと思っていたら一般道らしいことが後でわかった。
トソンサで満場一致で軽く食事を取ることに決まった。
おでんとカップラーメン、キムチをつまみに真露を飲んだ。
おかげでこのあと白雲山荘までの登りがそうとうきつくなった。
この時トソンサが特殊な宵っぱりのスポットかと思ったが、ソウルっこは概して宵っぱりみたいだ。
10月8日(金)
<1本目のクライミング>
すぐ上で寝ていた2人組が早くからクライミングの準備をしていたので、軽く目は覚めていたのだが誰も起きようとしない。
かなりのぐうたらパーティだ。
山荘の人に朝食の準備ができてるぞと言われてはじめて動き出した。
飯は6種類くらいのおかずに、豆入りのご飯、草のみそ汁。
野菜比率が高くて健康には良さそうだ。
キムチは結構辛めだがうまい。
腹一杯食べてからインスボンに向かった。
便所の裏の踏み後をたどっていって、少しクライムダウンするともうインスボンの基部に着く。
この日はオアシステラス(岩場の中程にある大きなテラス)をベースにいくつか楽しもうという計画で、テラスまでの2ピッチのスラヴはみんなで適当に登った。
その後グーパー等で苦労して決めたパーティ編成ごとにそれぞれのルートに向かう。
本郷・森田・中嶋パーティは弓形クラック、最初のピッチは本郷さんのリード。
正規ラインのスラヴから攻めるが、リードだとどうにも恐い一歩があり左のインスAに逃げてしまう。
でもすぐに正規のビレーポイントに合流。
中嶋はフォローだったから1ピッチ目上部のクラックも楽しめた。
なかなか快適。
2ピッチ目がこのルートのハイライト、かなりの長さにわたってクラックが続いてとてもかっこいい。
真中らへんに核心があって、右から岩がかぶさってきて恐いところをハンドジャム頼りに攀じ登る。
それを越えてもまだまだクラックが続いていて嬉しくなってしまうピッチだ。
3ピッチ目は出だしがノーピンでちょっと恐くて、それをクリアした後もさらにクラックの出口が大きく左に出ていくのでちょっと落ちられない。
抜けると耳岩と本峰との基部まですぐで、実質終了。
大滝・高津・三好パーティと合流してオアシステラスまで戻る。
テラスでは現地クライマーが太巻きとワカメスープとブドウを沢山くれた。
儒教の施しの教えなのだろうか?なんにしてもおいしくって、彼等とかたことでも話したのがとても嬉しかった。
森田さんはオアシステラスを勝手に友情テラスと名付けた。
中途半端に時間が残っていたので、4時までで登れるところまで行くということで再び同じパーティ編成でそれぞれ違うルートに出発。
前半戦で瀧島パーティが取り付いていたウジョンBを大急ぎで登る。
2ピッチ分つなげて登ってしまったが、本来の2ピッチ目に当たるクラックがなかなか快適でいい。
瀧島さんがリードしたということで、皆落ちられないとかなり張り切っていた。
<夕食後の登山>
小屋に戻って楽しい夕食(内容は朝とほとんど同じ)を済ました。
しかしこの日はこれで終わらず、酔った足で白雲台(1時間位登った所の頂上)に遠征した。
ソウルの夜景は想像以上にきれいで、寒い中30分程景色をみながら日韓関係や東海村の事故等について語り合った(本当だよ)。
小屋に戻ったら2階の福岡パーティもまじえて宴会がはじまっていて、けっこうくまで飲んでいた気がする。
弓形クラックを登っていたところをずっと見ていたということで、珍しくほめられたので嬉しかった。
10月9日(土)
<2本目のクライミング>
昨日同様、2階の人達の準備で目が覚めるが誰も起きようとしない。
午後は町に買い物に行くことになっていたので、あまりゆっくりもしてはいられない。
相変わらず困難なパーティ分けを済ましてそれぞれのルートを目差して出発。
中嶋・三好パーティはあこがれのシュイナードA。
土曜日とあって前日よりは大分人が多い。
一番乗りを目差してがんがん取り付きに向かったら、いつの間にか1ピッチ目をパスしてしまっていた。
おかげで後続に悪いけど終始トップにいることができた。
取り付きからは見上げたルートは空までずっと同じクラックが続いていて、まだ見ぬヨセミテ(アメリカの花崗岩の山)に思いを馳せた。
2ピッチ目は中嶋リード、クラック登りと言うよりジェードル登りで意外と難しかったりする。
3ピッチ目は三好さん、クラックはほとんどリードしたことがないということでえらく緊張してのぼっていた。
レイバック姿勢を基本にして登るきれいなコーナークラック。
4ピッチ目核心のピッチ、なんと言っても長い。
まずはちょっとしたハング越えから、情けないけどA0してしまった。
難しいと言うよりは怖い。
これをクリアするとずーっとクラック。
クラックはフレアーぎみのところが多くてジャミングを決めづらい。
またザックを背負っていたので非常に窮屈だった。
空荷がおすすめ。
三好さんは泣きそうになりながら頑張って登ってきた。
弓形クラックの核心よりも確かに難しい。
5ピッチ目、目の前のチムニーを登ると残置物のないきれいなスラヴが広がっている。
とても登れそうにないので右のクラックへトラバースして、これを登ってスラヴの中のビレーポイントに達した。
6ピッチ目は耳岩の医大ルートを登るつもりで目の前のボルトめがけて取り付くが、かなり傾斜のあるスラヴでまったく歯が立たない。
ふと左の方をみると本物の医大ルートを登っている現地クライマーがいたので、懸垂下降してからスラヴを左にトラヴァース、ちゃんとしたビレーポイントと登れそうなスラヴにペツルの支点が続いていた。
最終ピッチ、今度こそ医大ルートの正規ルート。
出だしのステップの下が切れ落ちていて、この一歩が結構恐い。
10ノーマル位のスラヴを快適に登り、支点が無くなってきた頃に傾斜も落ちてきてすぐに耳岩頂上につく。
瑞牆の十一面の頂上に似ていて気持ちがいい。
本郷パーティの声が届いていて、先に行って待っていると言われていたのですぐに懸垂下降を開始、インスボンの頂上まで急いでいった。
みんな丁度懸垂下降にとりかかっているところで、2ピッチでコルまで降りることが出来た。
<町でお買いもの>
この日は一度町まで買い物に行って夜にもう一度戻ってくる予定だったが、小屋のお兄さんの「町で泊まった方がいいのではないか?」
というもっともな問いに賛成し、東大門に宿を取ってもらうことにして急いで荷物をまとめて小屋を後にした。
トソンサからバスを2回乗り継いで東大門市場の登山用品店まで一気に行った。
バスの中は絶えずラジオがかかっている。
いつも思うが、海外旅行で一番面白いのはバスに乗るときだ。
看板の文字がほとんどハングルなのが不思議。
普通の人達の普通の生活が目の前に展開していて、ほっぺをつねりたくなる瞬間だ。
山道具はほとんどの物が日本よりも安いが、特にファイブ・テンの靴がやすい。
みんなの買い物もほとんどその辺に集中していた。
私にしてはなんと3足も買ってしまった。
・モカシム 5000円
・ボルダー用クライミングシューズ 7500円
・最新ファイブテニー 7500円
これだけのためにソウルに来るのもありかもしれない程の安さだ。
ソウルには観光しに仕方なく来てしまったクライマーもこれは覚えておいた方がいい。
<町での豪遊>
夕飯は焼き肉屋で「プルコギ」や骨付きカルビをを食べた。
かなりうまい。
さんざん飲んで食べて一人1500円程。
後は夜のソウルをそれぞれ楽しんだ。
ほろ酔いでソウルの町を歩いていると夢の中の世界みたいだった。
宿は完全に「連れ込み宿」でひとり1000円、一昔前は東京にも沢山あったのだろう。
電気を完全に消しても赤い明かりが灯るようになっている。
本郷・森田の部屋で最後の宴会をした。
10月10日(日)
李さんに起こされた。
朝から雨が降っていて、天気に関しても本当に恵まれたツアーだと思った。
バスに乗って空港まで一本。
雨のソウルの町並みもなかなか。
空港では便所でえらい人に話しかけられて名刺までもらった。
待ちに待った飛行機の朝食はやっぱり少なくてあまりおいしくなかった。
<おしまい>