奥鐘山西壁 中央ルンゼ

2000年10月7日
本郷(記)、三好

ついに奥鐘に行くことが出来た。

今まで、計画しては天気が悪かったり、交通事故にあったりとかでなかなか実現できなかった。

今回も大阪のクラックスで登っている時に、腰をおかしくして、これはだめかなと思ったりもしたが、歩くのは問題なくなってきたので、行くことにした。

さて今回は、天気の関係で半分フリーターの三好に、金曜に休みを取って貰って、他パーティより1日早く入山した。

6日金曜の早朝に車を飛ばして、宇奈月を目指す。

助手席の三好は、食事とトイレ以外には起きることもなく、大きな口を開けている。

孤独な旅だった。

午後1時過ぎに、宇奈月に着き、鱒寿司とビールで景気を付けてからトロッコに乗った。

平日の割にトロッコは混んでいたが、ここでも三好はずっと寝ていて、呆れるばかりであった。

欅平からは、黒部川に降りて歩き出す。

途中で沢靴に履き替えて徒渉を何度か繰り返したらあっという間に、壁の前についた。

40分から50分位ではなかったか。

京都ルートと浦島太郎ルートに取付いているパーティが見えた。

寝床を作ってから、明日登る中央ルンゼの取付きを確認しに行った。

取付きは草付の踏み跡の中であった。

その後、焚き火をして、早々に寝た。

翌日、早起きして草付の踏み跡を登ると、露岩に出て、そこからアンザイレンした。

右上にくさびの切れ目が見えるので、それを目指してスラブを右上する。

残置はほとんどないが、傾斜もないので問題ない。

くさびの切れ目は三好がリードしたが、残置もあるので難しくはない。

むしろ次のピッチが悪く、凹角から左のスラブを行ったりきたりして登った。

本郷がリードしたが、残置が無くここが一番怖かった。

次から人工が入るピッチが出てくるが、本郷は腰が痛くてアブミに乗れず、苦労する。

アブミの一番下段と二段目にしか乗れず、その上は腰が曲がらず乗れない。

痛くて痛くて、もう降りたかったが、ここで降りようと言ったら、三好が可哀相なのでとても言えずこのピッチから先は、人工のピッチは三好にリードしてもらった。

その上は、スラブが2ピッチ続くが、下のピッチでは残置ピトンが40mに1本しかないので、本郷が途中に2本ナイフブレードを打った。(回収済み)

次のピッチで三好が、「左へ」

という声を無視して、直上してはまった。

結局、ピトンを2本打って、左へ振り子トラバースする。

(2本のハーケンとシュリンゲを残置。申し訳ありません、回収不能でした。)

この上のテラスで大滝さんパーティの残したシュリンゲを発見、回収した。

最終ピッチは、屋根付バンドまで人工で登った。

懸垂下降に入って、後続パーティに「あれ、本郷さん」と言われ、見たらYCCの川端さん達であった。

このまま、途中のテラスでビバークするそうだ。

さらに降りていくと、後続がまた京都府岳連の宮永さん達で「あれ、本郷さん。なつかしいなあ」と声を掛けられた。

宮永さんと森さんは、このまま一緒に降りて、宴会することに決定。

くさびの切れ目から先の懸垂は一致和合ルートを降りる。

くさびの切れ目を出てすぐの所に、左と右の2個所に支点を発見したがハング下なのでロープ回収で引っかかりそうで、もっと下にないか捜したら、右下15m位のスラブに支点があったのでそこまで伸ばそうと降りたが、3m程足りない。

そこでロープ末端からエイト環を外して、ディジーチェーンをセットして伸ばしたが、それでも足りないので2m程上にあった新しいペツルのボルトにアブミをセットして、ビレーを取って先程の支点までアブミで連結した。

三好を迎えて、後はまっすぐ2ピッチで河原に降りられた。

降りたら、YCCのパーティがもう宴会を始めていた。

我々もすぐ焚き火の準備をして、京都、JECCの廣川さん、風来坊の大野さん、山形CCの滝口さん達と宴会。

楽しい一夜を過ごした。

翌朝、三好が「紫岳会ルートの取付きでも見に行きましょう。」と言うが、行ったら絶対登らされると思ったので、寝たふりをする。

無理すると、再起不能になりそうなので。

三好も中央ルンゼを登れたことで満足らしく、あっさり承諾してくれた。

廣川さん、大野さんと一緒にトロッコで帰る。

中央ルンゼは、永年憧れたルートで、しかも私が以前所属した岩峰登高会の海津さん達が拓いたルートなので、今回登れて大変嬉しかった。

来年は、京都ルートへ行きます。

 

 

北アルプス 奥鐘山西壁 中央ルンゼ

2000年9月20日(水)~22日(金)
森広、大滝(記)

20年前に岩登りを始めて以来、「奥鐘」は、長くとても難しく危険な壁、充分に経験を積んだ者しか取り付いてはいけない場所。

ベテランが真剣な思いで行く神格的な壁と言う存在だった。

その姿を想像するだけで恐ろしさを感じていた。

9月19日

23:54上野駅 急行能登

9月20日

6:01富山駅 09:33檜平欅平 黒部川を1時間程遡って奥鐘の下の岩小屋に着く。

何度も川を渡るので沢靴で助かった。

水はそれほど冷たくなく、深さは股の半分くらい。

岩小屋はとても立派だが天井が低くツェルト1張りで一杯、3人までだろう。

砂地なので平らになれる。

川から数メートル高くなっているので増水の危険は少ない。

午後は昼寝をし、薪を山程集め夕方から焚き火を楽しんだ。

夜は寒くなく長袖一枚で夏用シュラフに入り、それで充分だった。

9月21日

05:30起床 07:00取り付き 話し通りブッシュをロープなしで漕いで行く。

くさびの切れ目の2ピッチ手前でロープを結ぶ。

くさびの切れ目は被り気味だがホールドが大きくて楽に越せて楽しい。

V角左壁は、大滝がコーナー沿いを行ってみるが、チムニーみたいな広いクラックが開いていて、レイバックではクラックが広すぎ、かと言って体が入る程広くない。

おまけにランニングも採れない。

諦めてアブミを出すが1ヶ所左にトラバースするがピンが遠く苦労した。

セカンドの森広さんも手間取ったがどうやって越えたのだろう。

振り子トラバースでは、トップの森広さんが「シュリンゲが古くて恐いよー」

と嘆くので、「静荷重だから大丈夫」と応援する。

次のスラブ2Pは草付きは少ないが、ピンも少なくランナウトする。

谷川岳の幽の沢にいるみたい。

真剣にルートを考える。

ブッシュ登りでなく、岩を登ってるんだ、と言う意気込みでこの2Pが一番喜びを感じられた。

次の凹角は再びブッシュ&アブミ。

この頃より天気が良すぎて頭がくらくらしてくる。

やっとこさ草付きテラスに着いたら、もう駄目。

日射病になっている。

9月中旬過ぎに日射病になるなんて想像だにしなかった。

必死の思いでロープ操作をして森広さんを引き上げると、同様にふらふらだと言う。

今回ポカリスエットを作って各自500cc持った。

相談して間に合うだろうと踏んだが、もっと持つべきだった。

起床時間についても、他に誰も居ないし、早朝は寒いだろうからとわざとゆっくりした。

もっと早く取り付いていれば良かった。

時間は14:40 最終ピッチのクラック=バンドはとてもじゃないが登れない。

回復を待って登ったとしても下降で暗くなるかも知れない。

相談し頭がはっきりしてから懸垂下降をすることにした。

下降ではシュリンゲを5、6本残置した。

特にくさびの切れ目からの下降が要注意。

切れ目を過ぎて50m一杯降りるとスラブの真ん中に着く。

でもそこには支点は無い。

左のブッシュに大きくトラバースすると根元にシュリンゲが見える。

次はしっかりしたボルトの支点。

但しシュリンゲは古い。

その次は降りて行くと河原にロープが届かずぶらぶらしているのが見える。

小ハングを過ぎた所の木の根にシュリンゲを残置した。

大ハングを空中懸垂して17:00に河原に着けた。

腹一杯黒部川の水を飲んだ。

夜は盛大に焚き火をして完登出来なかった悔しさを天に昇華させた。

*ハーケンは森広さんが1本打ったが、回収は手でぐらぐら揺すったら抜けた。

殆ど草付きを登っていた感じだった。

右方の人工ルートは登られているのだろうか。

今の時代にあってハングをぐいぐいと上っていく人工ルートに二人とも余り魅力を感じられなかった。

ボルトも古くて危険性が高くなっているだろう。

帰路、欅平の露天風呂600円で汗を流した。

 

 

北ア 黒部丸山 1ルンゼ~剱岳 平蔵谷フェース中央ルンゼ~名古屋大ルート

2000年8月17~20日
本郷、関、宮島(記)

今回のプランは、丸山から立山、さらに剱岳と3つの壁を登攀しながら縦走するという壮大なものだ。

岳人に憧れる私好みのプランであるが、何せ復帰2戦目でもある。

同行の二人には本当に感謝したい。

~入山日(丸山1ルンゼ 左ルート)~

1ルンゼ取り付きは落石の集中する所だ。

取り付き手前でザイルをつけ登攀開始。

全装備、水を背負っての登りはIII級でもシンドイ。

特に核心のIV+は泣きそうだった。

トップの関くんを本郷さんとほめたたえる。

終了点で傾斜はぐんと落ちる。

ザイルをといて、踏み跡を歩き出す。

が、そのうち草がやたら濃くなり、所々現れる露岩もいやらしく、再びザイルをつける。

そうこうしていると、ついに草におし戻されるように、前に進めなくなってしまった。

稜線まであと3ピッチ程度という所で、検討委員会を開く。

壁にとどまり不確定要素の多い状況下で翌日再び稜線を目指すか、より確実(快適そう)な内蔵助平へ下降するかだ。

安全重視(快適重視)の我々は全会一致でアプザイレンを開始(16:30頃)。

明るいうちに1ルンゼの下降を終了した。

後はダラダラを内蔵助平へ下るだけだ。

~2日目(内蔵助平~真砂沢)~

再び検討委員会を開く。

結局予定を変更し、行ってみないとよくわからない立山ではなく、勝手知ったる真砂沢を目指すことにする。

入山2日目ではあるが休養を兼ねて本日は移動日としたのだが、キャンプ場に着いた頃は、みんな必死の形相となっていた。

本郷さんの友人の加藤さん一行のテントで酒と食事をごちそうになり生き返った。

~3日目(真砂沢~平蔵谷下部上部~剱沢)~

みんな今日が勝負の日と心得ている。

今日登っておかないと、丸山の1本だけで合宿が終わってしまうかもしれない。

平蔵谷の雪渓は、取り付きがバックリと口を開けている。

本郷さんトップでボラードにてアプザイレンするが、恐ろしかった。

中央ルンゼルートは壁の中の自然なルートでいかにもクラシックという感じがする。

それにしてもルート図はメチャクチャだ。

合っているのはラインだけで、ここまでいい加減なルート図も初めてだった(「日本の岩場 下」)。

大休止のあと上部岩壁へ。

成城大ルートは先行パーティがおり、天候も不安定な様子の為、(本郷さんには申し訳ないが)以前登っている名古屋大ルートを登攀する。

まさにこれしかないというライン取りに感動する。

あわよくば成城大ルートもなどとのたまわっていた私が一番ホキている。

源治郎尾根の下降では、少々遅れてしまった。

翌日の為、テント場を剱沢へと移動するが、新人の頃のホキホキだった事を思い返したり、今日の充実した登攀をかみしめていた。

~4日目~

最終検討委員会を開く。

計画を遂行する為にも、立山を目指すか。

早めに安全地帯である、室堂を目指すかだ。

だが決をとるまでもなく、パーティの心は一つになっていた。

敢えて最終日に危険を冒してギリギリのアタックをかけるべきではない(早く温泉につかり、下界のメシを食らおう)と英断したのだ。

「桜」では合宿が無事終了した事、天候にも恵まれた事などを、ギョーザを8人分注文して祝った。