1999年8月7日~9日
瀧島、三好、本郷(記)
8月6日
の夜、免停中の本郷の車で八王子を出発。
(もちろん運転はしていない)1時過ぎに扇沢に到着し、少し飲んでから寝た。
今回の計画は、別山チムニー状ルンゼから丸山東壁である。
暑いことは最初から解っていたが、結局最後まで苦しめられた。
8月7日
寝過ごして1番バスに乗れず、飯も食わずに8:00のバスに乗った。
あいかわらず物凄い人の数で面食らってしまう。
黒部ダムで水を汲んで出発。
先頭を行く瀧島さんは張り切ってズンズン歩き、最後尾の三好さんはコンパスの違いからずっと走っている。
内蔵助谷出合に9:00に到着。
ここから日電歩道となるがまだ開通前なのでところどころ悪い部分もある。
大タテガビン沢出合にもデカイ雪渓が残っており、通過する時涼しい思いが出来る。
大ヘツリ左ルンゼのあたりでついに通過不可能かと思えるブロックに遮られる。
ここで水汲みをして1時間くらいどうするかミーティングするが先の雪渓が悪そうで行けそうもない。
そしたら、日電歩道を整備しているオッチャンが向こうからヒョコヒョコ歩いてきた。
「そちら行けますか~」と聞いたら
「ここから先は問題ないチャ。」と言うので拍子抜けした。
そんなことで、結局チムニー状ルンゼについたのは12:30になってしまった。
さて登ろうかと思ったら、ザーと雨が降り出した。
なんでこう~なるの。
1時間以上待って小降りになってきたので瀧島さんのリードで出発するころには14:00になっていた。
全装備を背負っているが、ルートは快適で、フリクションの効くスラブが続いて気持ちがいい。
8か9ピッチ登ったあたりで二俣になり、どっちに行くか迷ったが右へ行った。
(本当は左、後で調べたらここはチムニー状ルンゼ右俣で一応ルートになっているようである。)
そろそろビバーク地を探しながら登るがいいところが無い。
本郷がロープを付けて奥壁が見える方へ2ピッチ程さらに登ってみるが傾斜が強く寝るところがない。
そこでいいところまで降りようと懸垂を始める。
1ピッチ降りたところで懸垂ロープを回収しようと引いた時、足場が崩れそこをきっかけに落石が起こる。
本郷のヒザに5、6発命中。
ヒザが伸びたところに上から当たったので、外側側副靭帯を傷めた。
そこで、明日は上に抜けるのを諦めて、同ルート下降することにしてビバーク地で酒を飲んだ。
翌日、下降に入るが残置は少なくほとんどブッシュでの懸垂であった。
足の具合を見ながら2人に遅れてゆっくり歩いて内蔵助沢出合へ向かった。
明日の丸東はなんとか登れそうだ。
14:00にテン場について、早速酒を飲みだした。
しばらく、飲んでいると大荷物を背負った寡黙な人がテン場に歩いてきた。
なんとビックリ小谷さんであった。
畠中君が付き合ってくれず一人でのデポ回収だとのこと。
ダブルボッカで往復しているとのことで真の岳人は違うなあと感動した。
その晩は小谷さんを交えての楽しい夜となった。
翌日は、気合入れて3:00に起きて、3:30に出発。
小谷さんに見送られて丸東へ向かう。
取り付きに4:30。
5:00に本郷リードでダイレクトに取付こうとするが、なんだかトポとずいぶん違う。
草付クラックで階段状となっているが、ぜんぜん階段状でなく、草が元気に生えすぎていて、しかもほぼ垂直。
古い残置ハーケンが所々草の間から見えるが、登っている感じがしない。
無理すれば登れるが、下部は登研ルートを登ることにした。
1ピッチ目と2ピッチ目は、特に悪くもなく3ピッチ目を三好さんに変ったらここがかなり悪かった。
草付をだましながら登る神経を使うピッチであった。
4ピッチ目は、島テラスまで。
この辺から太陽が昇りもの凄い暑さで、昔の岩雪に書いてあった8月の丸山はフラットソールの底が融けるようだというのを思い出した。
本当に融ける寸前であるのが解る。
以前に8月の丸東は3回登っているが、これだけの暑さは始めて。
島テラスからは、瀧島さんのリードで登りだす。
2m程のハングを超えてハンギングビレー。
三好さんは、本格的なハングは始めてということで少し時間が掛かったが乗っこしてきた。
次の5mのハングを超したら終了なのだが、あまりの暑さにここで敗退することにした。
根性無しと言われようとも、もう我慢の限界であった。
同ルートを空中懸垂で降りる。
今回は、満足の行く結果ではなかったが、暑さがある程度の充実感を与えてくれた山行であった。
特に、別山には惚れた。
帰ってからルートを見ていたら行きたい所がいっぱい出てきた。
しばらく、通いたいところだ。
最後に、瀧島さん、三好さんにはけがで迷惑をかけて申し訳なかったです。
以上