前穂高岳 屏風岩トリプルジョーカー

2000年8月13~16日
向畑(記)、倉田

倉田さんからタイムレコードを渡され、「私はアメリカに行ってしまいますので記録をお願いします。」と言われてしまった。

でも、そうこうしているうちに、早くも9月になってしまった。

日本に帰ってくる前に記録を書いておかないとおこられそうなので、さっさと書いてしまおう。

とりあえず、本当にヨセミテ行きの直前になってしまったけど、なかなか実現できかったエイドの練習に、何とか付き合うことができて良かったと思った。

実際、ハーフドームもフリー主体で登るはずなのに、エイドクライミングの練習が必要なのかどうなのかは私にはよくわからなかったけど、次に考えている課題のこともあるのかなと思った。

私の腰の調子は結局良くならず、出かける3日くらい前に行った、西武ライオンズの選手も通っているという新所沢の整体の先生にも、山に行くのは「無理です。絶対にやめた方がいいです。」と断言されてしまった。

けれど、今まで10年近くも無理をしながらやってきたので、もう1回くらい無理をしても、別にどうってこともないだろうと思って出かけることにした。

当初、屏風の取り付きまでザックを背負って歩けるかどうかがとても不安だった。

担ぐ自信がなかったので、めずらしく酒も持って行かなかった。

そんな状態でも、倉田さんに引っ張ってもらって、何とか登ることができてしまった。

ただ、腰痛だけでなく、最近全然山に行っていなかったこともあって、荷物をたくさん持ってもらっていた倉田さんに、常に遅れて歩いていた自分が結構情けなかった。

まあ、そういったいろいろなことは差し置いて、トリプルジョーカーは、斉藤3兄弟(注、本当の兄弟ではない)のルートなので、以前から一度登ってみたいと思っていた。

青白ハング沿いのコーナークラックを目指せば良いので比較的ラインもわかりやすく、屏風のエイドルートのなかでも登りやすいルートだと思う。

8月11日

台風がきている。

進路予想では日本列島に上陸しそうだし、天気予報も13日以降は雨になっている。

事前の打ち合わせでは、①とりあえず突っ込む。

②12日は横尾泊まりとし、様子を見る。

③中止にし、小川山等に転進する。

④中止にする。

という4案が出された。

私は内心③④を期待していたが、倉田さんによって①と④は直座に却下され、②にするか③にするかは出かけてから考えることにした。

21時に出発。

中央道に乗ってから、とりあえず、晴れの予報の12日は小川山に行って様子を見ることにしたが、万一の場合、一度インターから出てしまうと高速料金がもったいないので、八ヶ岳サービスエリアのバス停から階段で下に降りたところにある、高速バス利用者のための駐車場にテントを張った。

8月12日

台風の速度が遅く、朝の予報でもはっきりしないので、一度高速を降りて予定どおり小川山に行った。

その日のうちに再び中央道に乗り沢渡を目指すが、駐車場に車を入れるとお金がかかってしまうので、手前の奈川渡ダムの駐車場にテントを張った。

8月13日

朝起きたら晴れている。

天気予報を聞くと、台風は東の方にそれて行きそうな気配だ。

とりあえず横尾まで行ってみようと思い、連絡先の小谷さんに最終下山を15日から16日に変更してもらって、沢渡から上高地行きのバスに乗った。

上高地から横尾に向かう途中、自分のザックの上にさらにザックを乗せ、ダブルボッカしてトレーニングにはげんでいる本郷さんと息子さんに遭遇した。

倉田さんは、耳のピアスをいきなり本郷ジュニアに引っ張られて痛がっていた。

おもしろかった。

後から、しばらく遅れてうわさの奥さんと娘さんにも会うことができた。

娘さんには、飴をめぐんでもらった。

徳沢までは晴れていたが、横尾に着いた頃から雨がぱらつき始めた。

それでも、もう少し行ってみようと思って歩いて行ったが、梓川を渡渉した頃から本降りとなったので、13時頃対岸の1ルンゼ出合いにツェルトを張った。

こんなことなら横尾で泊まればビールが飲めたのにと思ったが、もう遅かった。

渡渉する時、最初の飛び石に乗ったらいきなり滑って川にはまり、靴が濡れてしまったので靴をはいたまま渡渉した。

靴は、16日に上高地に着くまでずっと湿ったままだった。

その日は、暇だったので雨の中、流木を集めて盛大な焚き火をした。

小川山と違い、立派な薪がいくらでも落ちていた。

8月14日

4時30分起床。

連日の睡眠不足で、前日2人とも明るいうちに寝てしまったにもかかわらず、早起きができずに出発は6時頃になった。

横尾を朝出てきたクライマーに次々と抜かされていく。

天気は1日中晴れで、とっても暑くて、この日は2人合わせて水を2.5リットル程度飲んだ。

T4尾根取り付きに7時、T4に9時、緑ルートの1ピッチ目をトラバースし、トリプルジョーカー取り付きへ。

このⅢ級のトラバースが意外と悪く、「ホールドがはがれて落ちそうになった。」とかしゃべっていたら、倉田さんに「下に道があるのに、なんでわざわざ難しいところを登るんですか。」

と冷たく言われてしまった。

トリプルジョーカーに取り付いたのは10時。

荷揚げの練習もしたいとのことなので、1つのザックに荷物をいっぱい詰め込んで荷上げした。

特に、デポしていくものもないので、フォローはほとんど空のザックを背負いユマーリングした。

1ピッチ目、倉田リード
緑ルートから、右のクラックに移る。

倉田さんはけなげにも残置には触れずに登っていたが、クラックと緑ルートのピンは50㎝くらいしか離れていない。

2ピッチ目、向畑リード
見栄えのするコーナークラック。

カム類が足りなくなるかもと思い、上でも使いそうなギアは回収しながら登る。

かなり斜上するので、フォローは苦労したみたい。

私の方は、今年に入ってからはまともに壁を登っていない。

また、エイドクライミングにいたっては2年ぶりなので、慣れるまで怖くて腰が引けているのが自分でもわかった。

ビレーポイントについて久しぶりに荷揚げをしてみたが、荷揚げはとっても腰に悪いことがよくわかった。

3ピッチ目のバンドをトラバースして16時30分に大テラスへ。

ザックを置き、バンドを少し戻ってフイックスに向かう。

4ピッチ目、倉田リード
緑ルートの左にあるクラックやリスをつなげ、フリーフォールと合流する緑ルートのビレーポイントへ。

ラインが多少わかりづらい。

ビレーポイントは上と下に2ヵ所あり、下から指示して上の方まで行ってもらったが、ルートの形状やテラスの安定度から「下で切るべきです。」と言われてしまった。

自分も次の日に登ってみてそのとおりだと思った。

また、倉田さんに「右のクラックがフリーフォールですね。」と言われるまで気づかなかったが、6年前に登った時にリードした、逆三角形ハングのトラバースがはっきりと見えて懐かしかった。

フィックス終了18時30分。

大テラスに戻りビバーク。

事前に場所取りしていたにもかかわらず、この日の大テラスは貸切だった。

8月15日

5時起床。

取り付きまで戻り、6時30分ユマーリング開始。

ザック1つを大テラスにデポしたので、フォローも空荷となった。

この日も1日晴れたが、風があって前日よりも涼しかったためか、水は2人で1.5リットル程度しか飲まなかった。

5ピッチ目、向畑リード
緑ルートのラダー。

トラバースなので、荷揚げを終えてからセカンドもフォローで登った。

6ピッチ目、倉田リード
緑ルートのビレーポイントから、すぐ横を通過しているディレッテシマのラダーをたどり、ディレッテシマがハングを直上するところで分かれてハング下を左にトラバース。

ハングに沿ってクラックを使い回りこみ、青白ハング下の立ち木まで。

7ピッチ目、向畑リード
小倉ルートのラダーに移り、小倉ルートが青白ハングを右に超えているところで左に分かれ、ハング下のコーナークラックへ。

一応、ここがAA2で核心となっているようだ。

ただ、下のコーナークラックと異なりこのピッチはネイリングも必要なため、回収できなくなったと思われるピトンが数本残置されている。

コーナークラックの出口からはフリーになる。

それほど難しくはないが、多少岩がもろそうなのと、緑ルートと合流するまでの5mほどはピンが取れない。

8ピッチ目、倉田リード
緑ルートのラダー。

ここから上部は緑ルートをたどる。

9ピッチ目となる緑ルートの最終ピッチの草着きバンドを右にトラバース。

立ち木のところから、さらに上部の樹林帯へと踏み跡は続いているが、懸垂できそうなのでここから下降することにした。

終了は15時30分。

大テラスを目指し、右へ右へと斜めに下降。

懸垂2回で鵬翔ルートと思われるビレーポイントへ。

ここから45mの空中懸垂で大テラスへ。

大テラス下側の支点に回りこみ、50mいっぱいの懸垂でT4へ。

T4着17時。

T4尾根下降は多少の順番待ちがあり、T4尾根取り付きに戻ったのは18時30分。

横尾着は19時30分。

私は例によってらふらになりながら、倉田さんに大きく遅れてついていったが、「遅くなって小屋が閉ってしまうとビールが買えなくなってしまう。」

という私の切実な訴えを聞いたとたん、倉田さんは横尾に向かって猛然とダッシュ。

ものすごい勢いで横尾の小屋に駆け込んで、ビールや酒、つまみなどを買い集めていた。

一応、下山の連絡を入れてからツェルトを張ったが、外の方が気持ちが良いので表で飲んでいたのがいけなかった。

寒さで目がさめると、1人だけツェルトの外で寝ていた。

ツェルトの中に入って入り口を閉めようとしたら、どういう訳か入り口のチャックが壊れていて締まらず、結局朝まで寒かった。

8月16日

何時に起きたか不明、出発も不明。

とりあえず午前中は天気が良くて、とても暑かった。

2日酔いで頭が痛かったが、多分上高地には昼前に着いた。

沢渡行きのバスには長い順番待ちの行列ができていたが、不景気のためかタクシー乗り場はガラガラだった。

同じような2人組が来るまでちょっとだけ待って、乗合タクシーに乗った。

沢渡に着くと同時に雨が降ってきた。

逆巻温泉もちょっとだけ飽きたので、少し足を伸ばして白骨温泉に行ってみた。

ちょうどお盆の観光シーズンのため、人がいっぱいで日帰りの露天風呂も込んでいた。

倉田さんが順番ノートに名前を書いてもらって待っていたら、名前を呼ばれたので受付に行くと、受付のおじさんは、倉田さんの顔をまじまじと見ながら「男性の方2名ですね。」といって男性用のロッカーキーを渡そうとしたらしい。

激怒した倉田さんに、「男1人、女1人です。」

と言われたおじさんは、恐れおののいて、慌てて1つを女性用のロッカーキーと交換して渡してくれたらしい。

その時私はその場にはいなかったが、多分おじさんはその場にいなかった私のことを女だと思って、女性用のロッカーキーを渡したのだと、内心思っている。

●持って行ったギアなど

ロープ 10.5㎜×50m=1本

9  ㎜×50m=1本

フレンズ         =1セット

キャメロット       =#1~4.5(#3、4は2個ずつ)+#0.5、0.75

エイリアン        =1セット(#3/8、1/2、3/5は2個ずつ)

ロックス         =1セット

ピトン          =ナイフブレード、ロストアロー、アングル、普通のクロモリ、軟鉄ウェーブなど適当

※ピトンはあんまり使わなかった。

ナイフブレード、ロストアロー、アングルが数枚ずつあれば十分でしょう。

スカイフック、ラープなど =各種
※使わなかった。

水            =6リットル

●その他

白骨温泉では、私たちは旅館がやっている日帰り露天風呂(800円)に入ってしまったが、公営の日帰り露天風呂(500円)もあった。

観光客の多さに比べて駐車場が少ないのが難点。

下山した3日後、倉田さんと中嶋夫妻がヨセミテへと旅立った8月19日、私は再び新所沢の整体を訪れた。

その時の先生と私の会話。

先生「やっぱり行ったんですか。まあ、断れない約束とかもありますからね。でも、もう絶対だめですよ。」

私 「山じゃなくって、フリークライミングとかもだめですかねえ。」

先生「そういうことは関係ありません。絶対にだめです。」

私 「大体いつ頃までだめそうでしょうかねえ。」

先生「期間の問題じゃなくて、私がいいと言うまでは絶対にだめです。」

私 「・・・・・・・。」

最後にとどめの一言。

先生「私は、普段はだめだということはあまり言わない方なんですが、それでも、絶対にだめです。」

ということで、また、しばらくはクライミングができない苦しい日々が続くことになってしまいました。

 

 

前穂高岳 屏風岩雲稜ルート

1998年12月30日~1999年1月3日
向畑(記、♂37歳)、富安(♂25歳)、倉田(♀25歳)

~最初に感想~

雲稜ルートは、当初比較的軽く考えていたが、T4尾根を含めて部分的に悪く、結構登りがいがあった。

積雪状況は、いろいろな人の話を総合すると、平年よりは少なく、寡雪であった昨年よりはかなり多いという感じだが、入山前夜の29日夜から30日、31日夜から1日未明、2日とかなりの量の降雪があり、割と充実した冬壁登りとなった。

年齢が1回り離れた若手2名は、次々と浴びせ掛けられる小言にもいやな顔一つせず、重荷にもめげすよくがんばっていた。

おかげで、良い正月山行になったと思う。

12月29日

夜行で松本へ。

12月30日

タクシーで釜トンネルゲートへ、途中から小雪がちらつき、釜トンネルでは本格的な降雪となり、上高地では吹雪。

横尾の冬季小屋には13:00過ぎに付いたが、やることもないので、明るいうちからさっさと寝てしまった。

12月31日

3:00起床、4:30出発。

天気は曇り、たまに晴れるが一時雪。

1ルンゼをつめ、7:00頃にはT4尾根取付きに到着。

順番待ちの場合は、ディレッテシマルート経由でT4まで登るつもりだったが、先行は1パーティのみ、しかも2人パーティなので、そんなに時間はかからないだろうと思い待つことにした。

結果はかなりの時間を待つことになってしまったが、スラブには氷はなく、ホールドには氷雪の付着が激しく、登ってみるとかなり悪かった。

1ピッチ目、アブミからダブルアックスでビレイポイントへ、一気に2ピッチ目の終了点までロープを伸ばしたかったが、上がつかえているので細かく切って行くことにする。

2ピッチ目はさらに悪く、先行パーティはセカンドまではまっている。

おまけにアブミが1台と、プレート1枚だけの簡易アブミがヌンチャクとともに残置されている。

残置アブミ最上段から、さらに支点にかかっているカラビナにアイゼンの前爪をねじ込んで立ち込み、フリーからダブルアックスで潅木帯に抜ける。

アブミは後続のユマーリング隊に回収してきてもらう。

さらに潅木帯と尾根上を2ピッチ、ルンゼ状の岩場1ピッチでT4へ。

時間は既に14:00を回っている。

しかも、別パーティが雲稜ルートを登っている。

蒼稜ルートを登っているパーティもいるため、大テラスをあきらめT4泊りとし、荷物を置いてフィックス工作を開始。

せめて2ピッチはフィックスしておきたかったが、上に人がいるため、1ピッチ目終了点から下降、16:00ごろ終了。

1月1日

夜から降雪が激しくなり、何度か除雪を考えたがそのまま朝まで寝てしまった。

4:00に起きるが、ツェルトが埋まって身動きが取れない。

1人ずつ靴を履き除雪、ツェルトをはり直し、再び潜り込んで朝食。

快晴のなか、登り始めたのは8:00近かった。

フィックスをユマーリングし、2ピッチ目へ。

5mほど登ったところで、フリーを1ポイント省略しようと思いアングルピトンを打ったが、カラビナにアングルがたくさん通るよう携帯用に付けてあった4mmスリングに、不用意にアブミをかけたらスリングが切れて墜落、せっかく登ったのにビレイヤーのすぐ上まで戻ってしまった。

再び登り直し、ピナクルを回り込んで3ピッチ目のビレイポイントへ。

3ピッチ目は最初ピンが全然見当たらなかったが、雪を払うと次々と現れ、ほぼ人工でピナクルへ。

さらに雪の詰まったバンドをダブルアックスで扇岩テラスへ。

時間は既に14:00、この時点で当初計画していた屏風の頭経由での下山をあきらめ、テラスに不要な荷物をデポする。

4ピッチ目はA1の人工、5ピッチ目は後続のユマーリングを考え、オリジナルの直上ルートを登ろうと思っていたが、気が付いたら既に右トラバースルートに入っていた。

ハング下をトラバースし、東壁ルンゼに回り込んだところでピッチを切る。

後続2名は、斜上のユマーリングにかなり苦労しながら上がってきた。

17:00を回っていたので本日はここまでとし、50m目いっぱいの懸垂で扇岩テラスへ戻る。

後続2名は、今度は斜め懸垂のランナーの架け替えで苦労している。

さらに大テラスに下り、19:00ごろビバークに入った。

1月2日

寝たのが22:00と遅かったため、5:00起きにした。

今日は朝から雪が降っている。

扇岩テラスに登り返し、50mのユマーリングで昨日の到達点へ。

6ピッチ目、東壁ルンゼ内の1ポイントのフリーが悪く、エイリアンの人工でテラス状のビレイポイントに這い上がる。

続く最後の2ピッチが核心となった。

7ピッチ目、ルンゼ状スラブに氷がびっしりと張り付いている。

傾斜は約60度、アイスグレードで4級程度だと思うが、何分氷が薄い。

多分使えないと思うが、アイスハーケンのたぐいは1本も持参しておらず、残置地支点も下から見る限り1本も見当たらない。

何よりも、満月のような前爪の岩専用のアイゼンが心もとない。

ビレイポイントは浅打ちボルト3本だが、周辺にハーケン、ボルトが数本乱れ打ちされているうえ、テラスの下部には立派な立ち木まである。

一応ロングフォールに備え、立ち木にテンションが掛かるように上のビレイポイントと分散荷重にしてもらい、周辺のハーケン、ボルトを連結し、最初の衝撃はそこにかかるようにロープをセットして出発。

10mほど登り、傾斜が一段と強まる手前でアックスにテンションを取り休憩、ぶら下がりながら右側壁の氷雪を叩き落としたら残置ハーケンを発見。

ついでにクラックにエイリアンをねじ込み、固め取りする。

使える氷の幅は狭く、流心をはずれると、アックスが岩をたたき火花が散る。

このころから降雪が一段と激しくなり、ものすごい量のスノーシャワーを一発食らった。

さらに10mほど登ったところで右側壁にボルトを発見、さらにロープを伸ばし、左露岩の雪を払ったらボルトが出てきたところで「あと5m」のコール。

ハーケン2枚をねじ込んだが、1枚の効きがあまい。

しかたなく、生涯使わないと心に決めていたボルトを1本打ち足した。

8ピッチ目、ルートは氷から雪交じりになってくる。

傾斜は幾分落ちてきたが、氷雪は安定しておらず、だましながらの登はんが続く。

残置支点も発見できなくなり、あまりにも頼りないブッシュを掘り出し、一応ランナーをセットする。

25mほど登ったところで金属物のようなものを発見。

待望の支点かと思って雪を払ったら、バイルが氷雪壁に刺さっていた。

リストループにはカラビナがかけてあり、ここまで来て行き詰まり、バイルを支点にして下降したらしい。

有り難く回収させていただき、さらにロープを伸ばす。

「あと10m」のコールがかかったころ、雪壁のどん詰まりにある最初の潅木に到着。

掘り返して見ると、下からハーケン、ボルトが連打された岩も出てきた。

正確な終了点はどうもよくわからないが、この辺で多分終わりだろうと思い、ここから下降開始、13:30。

東壁ルンゼ沿いに2ピッチ、そこからルンゼを離れ、オリジナル直上ルートどおしに2ピッチの懸垂で、ほぼダイレクトに扇岩テラスに到着、15:00。

かなりの降雪量で、朝登り始めた時よりテラスが一段上がっている。

テラスで上の2人を待っている時、朝から気になっていた1ルンゼの雪崩の一発目が出た。

大テラスに下って大急ぎで装備を撤収。

大テラス下側の支点からだと1回の懸垂でT4に届くが、埋まっていて使えないため、通常の支点から目いっぱいスリングを伸ばし、その末端から懸垂したら下まで届いた。

T4の支点は埋まっているので、1本目の立ち木までクライムダウンし、そこから懸垂。

さらにブッシュを支点に1ピッチ下るが、尾根の形状が変わるほどの雪で、途中から左に寄り過ぎたため、腰までの深雪にあえぎながら軌道修正、40mほど伸ばしたらロープが引けなくなってしまった。

富安君に途中まで降りてもらいロープを掛け直したら、今度は引きロープと反対側のロープがブッシュにからまって来なくなった。

仕方がないので富安君に尾根を少し登り返してもらい、できるだけ上の方でロープを切ってもらったら40m以上回収できた。

もたもたしているうちに真っ暗となり、ヘッドライトを付けての下降となる。

50mロープシングルでT4尾根2ピッチ目の終了点へ。

1ピッチ目上の支点に行くには、かなり左に寄った斜め懸垂となるため、回収できた40数mのロープをフィックス、末端に八の字を作り、そこからさらに懸垂するという荒業を敢行。

しかし、降雪と尾根上からのスノーシャワーで、2日前に登り始めた時より取付きが2m近く上がっており、1回目のフィックスロープの懸垂で、あっけなく下まで届いてしまった。

続いて倉田さんが降り立った時に、1ルンゼ上部から轟音が聞こえてきた。

2人で側壁に張り付いていると、約30秒間程度、暗闇と風雪で何も見えないが、背後を雪崩の音が通り過ぎて行った。

規模の大きなものはしばらく出ないとは思うが、降雪は続いており危険な状態に変わりはない。

デブリの跡を下るのが最も早いが、恐ろしいので、左側の樹林帯沿いに下降する。

途中からトップを代わってもらった富安君が、腰までのラッセルを物ともせず、ものすごい勢いで駆け下って行く。

「1分1秒を争うから急げ。」

と言っていた本人は、最も荷物が軽いのにもかかわらず、2人から遠く遅れながらよたよたと付いて行く。

樹林帯に入ると、2人の姿は完全に見えなくなった。

もう大丈夫かと思ったが、5年ほど前、当時はまだあった樹林帯の岩小屋の中で休んでいたら、上を雪崩が通過していったことや、出合いの川原に達する規模の雪崩も出る事を聞いていたので、休まないで下降を続けた。

ふらふらになって川原を渡り、対岸の登山道についたら、2人はずいぶんと長い間、荷物も置かずに待っていてくれた。

横尾の小屋に入ったのは、20:00近かった。

1月3日

8:00ごろ起きたが、なかなか誰も寝袋から出ようとしない。

ゆっくりと朝食をとり、装備を整理して10:30ごろ出発。

天気は晴れたり曇ったりで、たまに雪もぱらついていた。

途中、徳沢、明神、上高地、大正池ホテルと、各お休みポイントごとにのんびり休憩しながら帰路についた。

釜トンネルゲート着15:00ごろ。

~最後に~

収穫:
バイル = 1本(ブラックダイヤモンド製)
アブミ+簡易アブミ = それぞれ1台
ヌンチャク = 1本
カラビナ = 7~8枚(どういう訳かいっぱい残置されており、あちこちにぶら下がっていた)

損失:
ロープ = 1本(50m)
カラビナ = 2枚(落とした)
アングルピトン = 1本(前進用、「抜いてきてくれー」と主張するのを忘れた)
ナイフブレード = 1本(懸垂支点用)
リングボルト = 1本(アンカー用)
スリング = 多数