ネパールヒマラヤ クスムカングル北稜

1998年4月15日~5月13日
荒井、森広(記)

4月15日

早朝にもかかわらず、雨の中を畠中君が羽田空港まで見送りにきてくれた。

羽田から関西空港へ飛び、上海を経てネパール・トリブバン空港に着いたのが日本時間の22:40、ビザを取り、ソナムさんに迎えられて、タメル街にあるチベットゲストハウスにチェックインする。

4月16日

晴。

午前中に登攣活動中の食料や一部の道具を買い出しする。

午後は街の中を適当に見物。

4月17日

9時過ぎにソナムさんから電話があり、明朝5:45に迎えに行く、ということであった。

高山病の特効薬、ダイアモックスを、薬屋を探し出して買う。

郵便局を探して手紙を出したり、行動食の追加分を買ったりして午前中は終わり、午後は荷物の整理とパッキングをする。

夕食は上平夫妻と近所の怪しい店に行く。

客引きの男は「わたなべ」と名乗っている。

4月18日

ソナムさんの手配で国内線にチェックインし、ルクラでの世話人であるこマ・ヌル・シェルパあての書類とお金と卵を持たされて、意外に待たずに7:25、小型機は飛び立った。

雲が多い。

ルクラに着くと、ニマ・ヌルにエベレストロッジに案内され、サーダーのアン・パサンと、コックのパサンを紹介された。

ニマ・ヌルの話では、咋日まで天気は良かったとのこと。

午前中は付近を探検し、午後は荷物をトレッキング用に整理する。

雲が増えて、午後には飛行機が飛べなくなった。

15時半くらいから雨になる。

4月19日

朝は快晴だが14時過ぎから雨になる。

8時出発の予定が遅れて9時発になる。

バグデインで昼食、ここは橋を架け替えている最中だ。

今日の行程は少々長く、モンジョまでで、荷物を持たない私たちでも到着は16:30になった。

ポーター2名が遅れて、暗くなっても到着しないので、先に着いたメンバーのうち、何人かが明日迎えに行くことになった。

4月20日

今日は朝から雲が多く、昼前から雨になる。

雨期が近づいて、天気は不安定になってきているようだった。

3600mのダーラカルカまではひたすら登る。

我々とコックのパサンが先頭を歩くが、パサンのペースは速く、道草を食っていると追いつかない。

真っ赤な花の咲いたシャクナゲの森を抜けると、残雪を見るようになる。

11:30にダーラカルカ着。

大きな岩小屋に石組の壁を作ったところで、テントは張らずにこの小屋を利用する。

ポーターのうち4人が風邪でダウンしてしまった。

昨日は一番元気だったおしゃれな少年も、熱があるらしく目を潤ませている。

風邪薬は持ってこなかったので、のど飴を渡すと、少しは良いようだった。

夕方この石小屋の持ち主の爺さんが上がってきた。

奥にいる登山隊に荷物を届けに行くところだという。

いかにも精悍で強そうだし、身のこなしも軽い。

4月21日

ポーター4人は風邪で倒れてしまったので村へ下ることになり、残り4人のポーターとパサンですぐに必要なものだけ持って、先にBCに入る。

朝には見えていたクスムカングルは、まもなく霧の中に消えた。

9:30出発。

ここからはゆっくりが原則、コックのパサンのペースに巻き込まれては行けないと思いながらも、結局パサンのペースで歩いてしまった。

12:30、BC着。

石組で囲った岩小屋を利用して、ベースキャンプとする。

広い谷の真ん中あたりにたくさんのテントがある。

イタリアの登山隊だということだった。

3人のポーターは14時頃着いて荷物を置くと、すぐに下って行った。

コックのパサンはいつも鼻歌を歌いながら仕事をしている。

霧の隙間からチラチラとクスムカングルが見える。

ルートを確認しようとするがわからない。

遅い昼食の後、小山のようなキヤシャール氷河の末端モレーンを回り込んで取り付きの方に行ってみる。

やっぱりよくわからなかったが、途中に大きな垂直の氷潅が見える。

17時過ぎに4人下りてくるのが見えた。

18:30には暗くなってくる。

夜には星空になった。

4月22日

5:44、クスムカングルに日が当たる。

タベ軽い頭痛があったが、朝にはすっかり消えている。

昨日いたキッチンボーイはモンジョに帰る。

午前中に取り付きとルートを確認に行く。

昼にはアン・パサンがポーターと共に登ってきた。

ポーターたちは荷物を置くとすぐに帰り、BCには我々とアン・パサン、パサンの4人だけになった。

昼にはまた霧に閉ざされ、霞が降りだした。

荒井さんは午後いっぱい寝ている。

よく寝る人だ。

タベは頭痛がかなりあるらしく、ダイアモックスを飲んでいたが、これなら大丈夫だろう。

4月23日

高曇りから霧になるが、雪は落ちてこなかった。

高度順化を兼ねて、登挙兵を4600mの取り付きにデポしに行く。

気が付くと谷の真ん中のたくさんのテントがなくなっている。

明日からBCを離れるので、パサンが青トウガラシ入りのモモ(餃子)を作ってくれた。

パサンの作る料理はどれもおいしいが、中でもこのモモは特別においしい。

夜には星が出た。

アン・パサンは我々の安全を祈願して?火をたき、お経を唱えていた。

省略型の「オンマニペメフム」でなく、ちゃんとしたお経だった。

4月24日

6:20出発。

モレーンを登り、10:20にはデポ地に着くが、同時に真っ暗になって雪が降りだしたので、少し下ったモレーン上に11:10テントを張って避難した。

一時避難のつもりが霰のような雪が激しくなる一方で、そのうち霙になって降り続き、もうここで泊まることにした。

ひっきりなしに落石の音が響き、雪崩も何度か出た。

夜になって星が出る。

朝はまあまあいいが、昼近くから雪になり、そのまま夕方まで止まない、という天気変化は、この後もずっと続いた。

4月25日

夜明け前には高曇りでそのうち雪が降りだしたが、7時頃、西から青空がやってきたので、8:15、まだ降っているうちに出発。

雪渓を渡って草付を登り、チムニーの下でザイルを出す。

チムニーからリッジに出て、しばらく歩き、大岩にぶつかって2ピッチ登ると、テントを張った跡がある。

4900mのこの場所にテントを張って、次のピッチにフイツクスしておこうとしたら、まもなく雪になり、気温が高いためずぶぬれになった。

雪は夕焼けの頃にやっと止んで、またも星空になる。

ナムチェやクンデの村の、明かりが見える。

BCのパサンとライトで交信する。

4月26日

曇りで始まる。

昨日のフイツクスを登って、ハングを右から回り込み、リッジに戻る。

残置ピンは少ないながらある。

ハーケン、ロックス、フレンズ、岩の突起などでプロテクションを取っていく。

9ピッチ登って、5100m付近で使えそうな所を整地して泊まる。

少し上に壁が見えているが、壁下まで行ってみても他にいい場所は見つからない。

少し頭痛があったが、甘いお茶を飲むと軽くなり、翌朝には解消している。

4月27日

夜の間に降った雪がかなり積もっていて、壁は真っ白だ。

雪を払い落としながら登ると、気温が高いのでビショビショになる。

気温が上がると雪崩の音も頻繁に聞こえる。

右寄りから取り付いて凹角まで登って荷上げし、左に回り込んで一段登るとバンドがあり、これを右にたどるといいビバークサイトになっている。

下降用らしいボルトも残っている。

今日はここまで。

夕方になるとまた軽い頭痛があり、甘いお茶を飲むと軽くなって、翌朝には解消している。

荒井さんは時々ダイアモックスを飲んでいる。

脈拍は二人とも、安静にしていても少し速い。

呼吸も速くなっている。

そして文句も一言、「毎日ダラダラ降るんじゃない!」

4月28日

すぐ上の四角い岩を右から回り込んでリッジに戻り、少し進むとザレの細いリッジになって第二の壁に続く。

正面は無理なので、少し右に寄ったところから空身で登る。

荒井さんがリードして、苦労してザイルを40m伸ばし、荷物を持ってフォローして確保点に着くなり、「森広さん、ごめん。これ以上登れない。ここから帰ろう。」

ルートは左のリッジとなっていて、ここからトラパースはできないから、一旦下って登り返すことになる。

確かに今日でもう5日目だし、下ることを考えると、頂上まで行くのが無理なことはわかる。

でも、この壁だけは解決しておきたい気がしたが、しょうがない。

左のリッジはスラブ状になって上に続き、2ピッチくらいで傾斜が落ちるようだ。

下ることには同意したが、「もう一度ここに釆よう」と思った。

またも雪になり、今朝のテン場に戻る。

4月29日

2回の懸垂下降で第一の壁を下り、アンザイレンして下る。

ハングの部分は登ったルートをクライムダウンして4900mの天場を過ぎたあたりで真っ暗になり、霰が降ってきた。

雷鳴のようなものも聞こえたので、少し戻って4900mのテン場に一時避難する。

雪が激しくなってきたので、テントを張ってしまおうとポールを伸ばしたら、ポールが雷に反応した。

ポールを放り出してテントを被って伏せる。

今朝は今までで一番いい天気だと思っていたのに。

まもなく間近で雷鳴がして、ついでに雪崩の音もする。

このまま3時間の我慢となった。

17時、やっと開放される。

4月30日

昨日の雪が凍っているので、アイゼンを付けて下る。

取り付きのチムニーを懸垂下降してデポ地に戻ると、もう雪はすっかり消えている。

取り付きの雪渓もずいぶん小さくなっている。

13:45にBCへ戻る。

アン・パサンが途中まで迎えに釆てくれて、荷物を運んでくれた。

久しぶりにパサンの作った昼食を食べ、パサンの鼻歌を聞いた。

その間にアン・パサンは荷物を干しにかかる。

気が付けばBCの後ろのルンゼに豪快な滝がかかり、そのうち今までなかった小川が流れ出す。

昨日の雪が水源らしい。

夕食は青トウガラシ入りのモモをリクエスト。

登れなかったけれど、無事に下りてきたお祝いに、ピザやケーキを焼いてくれた。

でも、灯油のバーナーと鍋だけで、どうやって焼いたのだろう?

5月1日

一日休養。

荒井さんがすっかりむくんでいるが、私も似たようなものなのだろう。

午前中は広い谷を歩き回っていたが、平らなところだけしか歩いていないのに、ひどく疲れる。

シェルパの男が一人、登ってきた。

10日後にヤクを連れてくるのだという。

午後、アン・パサンがモンジョまでポーターを呼びに行くついでに、一部の荷物を下ろすというので、ついでにトレッキングで使わないものをまとめてパッキングしていたら、全部持って下りてしまった。

コックのパサンは「彼は強いから大丈夫」とはいうけれど、それにしても荷物が多すぎる。

アン・パサンが出発した直後から霰が激しく降り出したので、ますます心配になる。

霰は雪に変わり、降り続いた。

5月2日

朝起きると、びっくりするはど白くなっている。

午前中は広い谷の中を歩き回っていた。

11時にBCへ戻ると、アン・パサンが戻ってきている。

13時に出発。

登ったときより多くの植物が動き出し、残雪はほとんどなくなっていた。

アン・パサンは重荷にもかかわらず、確実な足取りで下っていく。

「強いね」というと、「前はもっと強かったのだけど、年を取ってから膝が弱くなってね」と嘆いていた。

17時過ぎ、モンジョ着。

登るときにも泊まったロッジに泊まる。

アン・パサンは「今日は疲れたから」といって、早々と酔っぱらっている。

明日からは奥の村、夕一メまでトレッキングすることになった。

荒井さんはエベレストの方に行きたいようだったが、そっちは「日数が足りない」とのこと。

5月3日

アン・パサンと我々だけでナムチェに向かって出発。

BCまでの道と違って、こちらには観光客が多く、道も整備されて広い。

道ばたの草も木も、春。

12時にはナムチェに着いて、アン・パサンにロッジヘ案内された。

裏の山に登ると、山が見えるはずだが、あいにく天気が悪い。

明日の朝天気が良ければ行ってみることにして、今日はあきらめる。

午後には、通りに沿って立ち並ぶ店を冷やかしていたら、荒井さんが日本語のできるおばさんに捕まって、マフラーを2枚買うはめになった。

夕方、雨。

5月4日

今日は朝から天気が悪い。

エベレストを見るのはあきらめて、まっすぐターメ近くのアン・パサンの家に向かう。

その前に、手紙を出しに郵便局に立ち寄ったら、10時からだと言われたので、そのまま通過しようとしたら、5分前に開けてくれた。

雲が多く、雨も落ちてくる。

アン・パサンの足取りはいつになく速い。

白いシャクナゲの咲く道を、12時にはアン・パサンの家に着き、2階に案内される。

学校から10、9、7才になるアン・パサンの子供たちが帰ってきて、さっそく家の手伝いをする。

15時過ぎ、チベット人のドルチェという男がやってきて、アン・パサンはふかしジャガイモとチャンでもてなす。

私たちもふかしジャガイモをごちそうになった。

ドルチェはナムチェで商売をして、帰る途中で、アン・パサンとは親しい間柄なのだった。

今日はターメまで行く予定で、アン・パサンの上の男の子二人が付いていった。

アン・パサンには少なくともこの上に独立した息子が二人いる。

荒井さんが「奥さんは?」と何度か尋ねたが、それには答えなかった。

暗くなる頃、次男がゾッキョを連れて帰ってくる。

次男はナムチェに家があり、明日はターメのセカンドハウスへゾッキョを連れていくという。

今日はアン・パサンがコックを兼ねる。

荒井さん日く「パサンより腕がいい」。

パサンの料理は外国人用にアレンジされているが、アン・パサンのは自分たちが食べてきた料理なのだ。

5月5目

早朝、タムセルクとクスムカングルが大きく見えていたが、まもなく曇って見えなくなってしまった。

今日はアン・パサンの家からターメを往復するだけで、ゆっくり行っても2時間程度なので、出発も急がない。

ゾッキョを連れた次男と一緒に出かけるが、途中の畑にマウンテンゴートが群れで出てきていたので、山の方に追い払う。

ゴンパ(お寺)を見て、チョー・ユーが見えるところから谷の奥の雲を眺めて、アン・パサンの家に戻ると13:25。

今回、「見る山」にはとことん恵まれなかった。

今日は学校が休みなので、子供たちは水汲みや掃除をして働きながら遊んでいた。

縄跳びなどして一緒に遊ぶ。

今夜もアン・パサンが腕を振るい、とっておきのご馳走、シャクパのスープやカレーなど、食べきれないはど作ってくれる。

残しては悪いなと思っても、とても食べきれない。

子供たちも料理を運んだり、チャンを注いでくれたりと、一人前にもてなしてくれる。

食事の後、本を読んでいたら、好奇心いっぱいにのぞきこむので、英語とネパール語とシェノレバ語をまぜて説明する。

本といっても「地球の歩き方」とか、暇つぶしの文庫本しかなかったが、絵や写真のページを端からめくって解説した。

5月6日

夜に大雨が降った。

朝食にジャガイモをすり下ろして炊いたチャパティを作ってくれたが、アン・パサンの創作なのだろうか。

おいしかった。

昼近くに家を出て、途中アン・パサンの次男の嫁さんの茶店でモモをごちそうになり、モンジョヘ。

ここでパサンと再会し、アン・パサンはポーターを捜しに出かける。

天候はますます不安定になり、霧のような雨が降ってくる。

BCから下った頃はまだ乾いた感じだったが、今は湿って土挨も立たない。

5月7日

アン・パサンはポーターをもう一人探してくるというので、パサンと一緒に出発する。

パサンのペースは速いし、私はいろいろな草が出てきているのでつい道草を食って遅れることになる。

バグデインで昼食にしようとする頃雨。

一時はかなり激しかった。

弱くなった雨の中を歩いて、16:20ルクラに着いたときにはすっかり上がっていた。

この天気で今日は飛行機が飛ばなかったので、ルクラにはいつになく人が多い。

暇にしていたらBen Davisというニュージーランド生まれのイスラエル人と話がはずんだ。

軍隊を辞めてフリーになって、アジアを巡っている23才。

我々のフライト予定は9日、別に急がないが、7日のフライトがキャンセルになったので、8日の席は満杯で割り込めない、と、ニマ・ヌルさんは聞かないのに説明した。

Benはカトマンドゥヘの飛行機の便がとれないので、ヘリでジリに飛んで、ジリからバスかプライベート・カーでカトマンドゥに戻ることになった。

「バスの達ちゃんはクレイジーで怖いから、飛行機で帰りたい!」

と譲らなかったBenは、最後にはニマ・ヌルのこの案に同意した。

ニマ・ヌルはこうした交渉で、今日一日忙しく動き回っていた。

5月8日

その辺にいた人の話では、今日は18便が飛ぶ予定だという。

昨日の分も運んでしまおうというわけか。

今日は十分時間があるから、朝のうちにガチャ分けをして、パッキングを終えたら、飛行場のまわりをうろうろしていた。

のんびりしていたら、ニマ・ヌルさんがやってきて、席が空いたからすぐ支度するように、という。

どうせ明日だからと、生活用具などは散らかしたままだったので、急いでテントに戻ろうとすると、アン・パサンが手際よくパッキングして持ってきてくれた。

すぐにチェックイン。

なんとも慌ただしく、あっけないお別れだ。

パサンはどこかに行っていて、このまま会えないかと思っていると、しばらくしてパサンがやってきた。

12時には離陸。

窓側の席に座ったのに、見えるのは雲の山ばかり。

13時過ぎにはカトマンドゥのホテルにチェックインして、シャワーを浴びる。

カトマンドゥは暑い。

14:30を過ぎて、近くのヤク・レストランで遅い昼食。

夜は「渡辺」の店へいく。

5月9日

街で見物がてらお土産を買ったりして過ごす。

荒井さんの希望でクスムカングルのTシャツを作る。

昼はラサ・レストランに行くが、それほどおいしくなく、ウェイターがおしゃべりだ。

午後は一人でニューロード方面に出かけ、お茶や香辛料などを買う。

夕食にKC’Sでステーキを食べたら、これが良くなかったらしく、夜から腹の調子が悪い。

5月10日

朝になると、荒井さんもおかしいという。

原因は咋日のKC’Sに間違いない。

インドラチョークを見て、昼前にはホテルに戻る。

昼食を食べる気にはならない。

荒井さんは一人で食べに行った。

荒井さんは帰ってくると、レストランでルクラヘ行く飛行機で一緒だった日本人と会って、明日スワヤンブナートへ行く約束をした、という。

体調は、夕方には回復したので、夕食はヤク・レストランに食べに行く。

ここはいつもおいしく、おすすめの店だ。

5月11日

曇り。

大久保さんと待ち合わせてスワヤンブナートヘ。

何だか知らないけど、お祭りだ。

人でごった返している道を、登ったり下りたり、流れに逆らわないで一巡したら、雨が降ってきた。

かなり激しいので近くの茶店に避難し、止むのを待った。

雨期近し、なのだろうか。

帰り道でまた降ってきて、かなり濡れてしまった。

午後になってほんとうに上がった。

夕食はまた大久保さんと待ち合わせて渡辺の店に行ったが、ひと味足りない。

ここは同じ料理でも出来にむらがあって、明らかに失敗と思えることもあった。

変な店だ。

5月12日

今日が最後の日だと思って街を歩き回るが、疲れてしまった。

2時間ぐらいが限度だ。

20:45、ソナムさんと待ち合わせて空港へ行く。

ソナムさんは実は山が大好きで、毎年日本の山にも登っているが、今年はバイク事故で足の怪我が直りきっていないので行けないかも…という。

冬の槍ヶ岳にも登ったそうだ。

出身はルクラの近くだそうだ。

22:20には出発ロビーに入る。

5月13日

長く待たされるものだと思っていたら、定刻の出発で、かえって驚いた。

明るくなってからも外は雲の海で、日本も梅雨前線におおわれる季節になってきたようだ。

10:50関西空港着。