ヨセミテ エルキャピタン南東壁・ゾディアック

2001年9月1日から16日間
向畑、倉田(記)


エルキャプ南東壁登りたい。

その思いに共感してくれた向畑さんに感謝。

向畑さんは、今はそんなに登れない体なのにヨセミテまでわざわざ付き合ってくれました。

出発前まで二人で行きたい所の意見が合わずそのままヨセミテに突入したのですが、結局、私のわがままを通していただき、ゾディアックに。

今回、壁で5泊もすることになり登ること以上に生活面、精神面で勉強してきた感じでした。

クリーンクライミングなので、アメリカンエイド独特なギアをヨセミテで買い足しました。

必要なガチャとして、(ピトンスカーにセットする為のもの)オフセットナッツを2セット、あとボールナッツなど買い足しました。

本当はハイブリットエイリアンも欲しかったのだけど(小さい方から4つを1セットしか持って来てなかった。)

マウンテンショップでは売れ切れで買い足す事が出来なかった。

 

9月1日(土)

成田発、サンフランシスコ経由でフレズノへ。

レンタカーで買い物後、ヨセミテを目指す。

途中のモーテルは休日前でいっぱい。

もちろんヨセミテ内の宿泊施設もいっぱいだと国立公園のゲートのおじさんに言われ、どこでもいいから泊まりたいんだー!と主張すると、駐車場付き無料のキャンプ場を教えてもらえた。

 

9月2日(日)

朝8時だと思っていたキャンプ4の受付は8時半だった。

取り合えず最後尾に並んでいると、信州大学の中村君という好青年(去年会った事が会ったのか?声を掛けてきた。)や、わらじの村山さん・小田さんが居た(新婚旅行だそうで、私も新婚旅行はヨセミテがいいなあと羨望の眼差しで見てしまう)。

その後、向畑さんを案内がてら買い物。

 

9月3日(月)

ルートの取り付きを下見に行く。

まず、シールドとサラテの下見で、Heart Ledgeに垂れていると言うフィックスロープを見に行くがボロボロで使い物になりそうも無かった。

途中、YCCの道家さん・船山さんにあう。

日本人が居るとなんとなくほっとする。

そのままゾディアックの下見に行っても大丈夫?と向畑さんに聞かれて大丈夫だよーと言ったのだが、サンダルで食料も持たないで歩いていくとかなり遠く、帰りに使ったゾディアックガリーでは向畑さんの冷たい視線が痛かった。

すみませんでした。

この日の夜、どこのルートにするかでもめたが、私の意見が通り、ゾディアックに決定。

 

9月4日(火)

昨日の下見で疲れてしまい、この日のFIXの予定は止めて、休養。

準備をもくもくとする。

チェコスロバキアの男性が、袋に入った新品のフレンズを売りに来た。

 

9月5日(水)

重いガチャが入ったホールバックを私が担いで、少し軽めのを向畑さんに持っていただく。

体力不足の私は非常に疲れ、向畑さんにこの日はすべてリードしてもらう。

1ピッチ目は左側ラインがC3Fのオリジナル。

右側のラインはダイレクトに2ピッチ目に届く単なる、ボルトやコパーヘッドなどのラダー。

と言うことで左のラインを登ることに。

1ピッチ目でピトンを打つかどうかで、ゾディアックが登れるか登れないかが判る。と言われていたせいか、向畑さんは少し意識していた様だ。

結局、かなり久しぶりの本ちゃんで、しかも勝手の違う場所、腰痛持ちの向畑さんはフォール1回、ピトン2本打ちこんだ。

30m。

2ピッチ目。

右にトラバースして、直上後フリー5.7かC2。

エキスパンドフレークをC2+で。

27m。

時間が無常にも過ぎ、日が隠れる頃から風が強くなりビレーしている私はずーと鳥肌。

3ピッチ目。

C2+。

42m。

ユマールでの回収は暗闇の中。

向畑さんお疲れ様でした。

登り始め8時。

終了後、懸垂して取り付きに21時45分頃。

 

9月6日(木)

前日の長時間ビレーで風邪をひき、喉・頭が痛くしばらく臥せっていたが改善し無そうなので公園内の診療所へ。

140ドル取られ、タイレノールという薬をもらう。

 

9月7日(金)

この日のGo upの予定は取りやめ。

私は臥せっていたが、午後から気分が良くなり、明日の準備。

勝手のわからない所に行くからと水20リットル(一人一日2リットルで5日分)に缶詰8個・パン4袋・行動食にはチョコレートバー・飴(日本から持ってきた)など詰めこんだ。

夕食はカリービレッジの食べ放題に行く。

近くの屋外舞台でなんか放映されていたのを少し見た。

 

9月8日(土)

ホールバックを担いで取りつきにつく7時頃。

ゾディアックの周辺に人がわらわら。

何本かFIXもある。

聞くと当パーティが張ったFIXをユマーリングして上に行ってしまった人も居るらしい。

ゾディアックは南東壁では一番の人気ルートらしく、結構渋滞していることが多い様だ。

結局、先頭に3人パーティ(外人)、2番目にブライアン(ソロの外人クライマー)、3番目が雲表クラブの2人で、当パーティは4番目になってしまった。

本来ならこの段階で中止にすべきであったと向畑さんは思っていたようだ。

5日分の水も有るし、日程的にも余裕あるし大丈夫だろうと思っていたら予想どうりなかなか進めずこの日から壁中で5泊、おまけに下降中に暗くなってしまってルートがよくわからず、さらにもう1泊してしまうことになる。(通常は3泊4日のルートだそう。)

取り合えずユマールして3ピッチ目終了点で先行が進むのをまつ。

この日4・5・6ピッチを倉田が登ることにしていたが結局4ピッチ目しか登れなかった。

4ピッチ目は5.6のフリーで左上してC1直上、42m。

先行が7ピッチ目終了点、2番目ソロクライマーは6ピッチ目終了点、雲表さんが5ピッチ目終了点、私達は4ピッチ目終了点で泊まることになる。

始めてのポーターレッジは、なかなか怖かった。

軽量化のため2人で1人用のポーターレッジで泊まる。

夜は毎日お星様が綺麗だった。

 

9月9日(日)

朝起きると北極星とオリオン座が見える。

今日も登るのは倉田が担当。

5ピッチ目、ボルトラダ-から5.8のフリーまじえてC1、27m。

6ピッチ目、5.6のフリーで右上後ボルトラダー直上して5.8フリーまじえてC1。24m。

7ピッチ目、思っていたより小さいBlack Towerに向かって5.8フリーにC1を交えて、C3Fの核心へ。

ハイブリットエイリアン、オフセットが良く効く。45m。

登っていると、終了点近くで、雲表さんにここで泊まるので下で泊まって下さいと言われ、FIXだけして6ピッチ目終了点で泊まることになる。

数パーティ繋がって登っている為に起きた怖いできこととして、2番手ブライアン(ソロ外人)の荷揚げの最中、風が強く、ポーターレッジも畳んでいなかった為、羽の生えた荷物がヒュンヒュンいって雲表さんの居るレッジ周辺で右往左往。

登っている私も非常に怖かった。

 

9月10日(月)

この日は向畑さんが担当。

この日も待つ時間が多く、いつ頂上につくのかと勘定ばかりしてしまう。

8ピッチ目、C2。33m。

9ピッチ目、真っ直ぐに同じ幅のクラックが伸びている。

カムフックを多用する所らしい。C3からC2F。43.5m。

途中、2回目のフォール。

そのあと、3回目のフォール。

1箇所ピトンを打っていたが、打ったあとテストして、あまり効いていないエイリアン青に体重を戻した所3回目のフォールしたらしい。

ちなみに、2番手ブライアン(ソロ外人)もここでフォールしたらしい。

9ピッチ目終了点でこの日は泊まる。

向畑さんはかなり疲れたらしく可愛くなっている。

私がもっとしっかりしてくれと怒るとムッとしてしまった。

お疲れ様でした。

 

9月11日(火)

この日は倉田の担当。

下見していた時から気になっていたNipple。

遠めでも良くわかり自分が登ることが出来て嬉しかった。

その後のMark of Zoro も。

10ピッチ目、C3F。45m。

Nipple(乳首)に辿りつくまでボロい残置、残置ハーケンをつないで行く。

幅が広くなる前にバックロープでキャメの4番・4.5番を引き上げる。

かつてここを初登した人はレイバックで越えたらしいが確かに掴みやすい。

ちょっと試してみたがすぐに止め、エイド。

終了点で雲表さんとこんにちは。

11ピッチ目、C2+からC3F。36m。

Z型になっているハング下を登り真っ直ぐに伸びるクラックへ。途中フック使用。

ビレー点で荷揚げをしていると、雲表さんに僕達は次で泊まりますのでそこで泊まってくださ‐い。

と言われ、フィックスだけしてもいいですか?とすかさず聞いて了承してもらう。

結局、どうせ頑張っても繋がっているから待つだけだから、、、とFIXは止めて泊まる準備をして早めに休む。

 

9月12日(水)

本来なら今日頂上につくのが標準。

でもまだあと、5ピッチある。

あともう一泊だなあ。

と思いつつ今日が始まった。

今日は向畑さんの番。

だけど二人ともだんだん疲れてきているので、結局つるべになった。

12ピッチ目、向畑さん。

C3Fで、途中フックトラバースが入る。42m。

初めてC3で落ちなかったと言って喜んでいた。

13ピッチ目、倉田。

岩壁上部になってくると風が強くなり怖かった。48m。

最初ボルトラダ‐のあと、5.9かC2だがフリーでは行けませんでした。

途中、フリーからボルトラダーに移る所でレッジに立ち込めなく、初めてチョンボ棒を使ってみる。

紐の結び目の穴が小さすぎてフィフィが入らず、結局ごぼうで握ってボルトにエイダ‐を掛けた。

最後の真っ直ぐなクラックはハンドがかなり決まったけどやっぱり人工C1。

最初の所でかなり屈曲する所が有り、ユマールの人には怖い思いをさせてしまった。

途中のボルト数個ある所から戻って回収した方が親切だった。

14ピッチ目、向畑さん。

風が強く滅入ってしまった倉田は向畑さんにバトンタッチ。C1、33m。

かなり広いクラックの横に数カ所ボルトが打ってある。

クラックは広くキャメ4番・4.5番を使用。

この日はここで泊まる。

後で聞いた話では、雲表さんはこの日に頂上に抜け、下へ下ったそうだ。

 

9月13日(木)

帰る飛行機は15日土曜。

あと残すは今日と明日。

でも残すはあと2ピッチ。

でも下降路も心配だしギリギリだなあと思いながらこの日は始まる。

14ピッチ目、向畑。

傾斜のない所をジグザク縫って登る。

15ピッチ目、倉田。C3の27m。

すぐ上が見えている。

最後のピッチ。

これで終わってしまう。

どっちが登っても良かったのだが、私になった。

待ってばっかりの今回は岩を堪能するより、精神的にストレスがたまり、楽しむことがあんまり出来なかったような気がする。

仕方ない。

最後のピッチだけでも楽しもう。

1箇所遠いのと、ボールナッツしか決まらない所があった。

上につくと何にもない。

あとは、ただひたすら、荷揚げが死ぬほど辛く(レッジでロープが擦れる為)、向畑さんに変わってもらった。

ありがとうございました。

でも、最後も撮っていたというカメラを向畑さんはユマール中に落としたらしい。

ああ残念。

上についてガチャを片付け、パッキング。

ホールバックの肩紐・腰紐のつけ方を忘れてしまって試行錯誤。

早速下りにかかる。

しかし、ヒジョーに重いホールバックに私はヨロヨロして向畑さんに追いつくのがやっと。

取り合えずトレース沿いに下りていくと木からラッペルできる所につく。

ホールバックをかついでのラッペルは非常に心配だったが傾斜が無かったので大丈夫だった。

次のピッチで空中になり、二人ともホールバックはハーネスにぶらさげる。

途中レッジで一回切って、3回目のラッペル。

わりとしっかりした足場の所につく。

薄暗い中、4回目のラッペル場所を探し、向畑さんが偵察兼ねて約50mほど下ってユマールして登ってきてくれた。

こうゆう時本当に頼ってしまって、申し訳無く思う。

4回目のラッペルした所で広い広場になっていたのでそこで泊まる。

夜中、「ウキキー・ウキキー…フギャーフギャー」と声がする。

向畑さんの足に飛び乗った小動物は一体なんだったんだろう。

 

9月14日(木)

ホールバック担いで下るには足場が悪いので2回ほど木を使ってラッペル。

だいぶ歩きやすくなったので、後はひたすら歩いて下る。

お昼頃マニュアルパイルバットレスの駐車場につく。

向畑さんに待ってもらって、車を取りに行く。

その場で、ガチャわけをして、帰り際、今登ってきた所を遠目で確認して、やっと満足。

途中、アメリカ国旗を掲げている車と擦れ違う。

なんかの記念日だっけなあ?といいつつ、そのあしで、ビレッジストアーで買い物後ハウスキーピングでシャワーを浴びカリービレッジのマウンテンショップへ。

お土産を買ってゆったりしていると、雲表さんに会う。

明日帰ります。

と告げると、今、飛行機止まってますよ。

テロで…。

ホントかいなあ。。

と夢見ごこち。

カリービレッジのバーカウンター近くのTVを見に行くとCNNにブッシュさんがでて、戦争がどうのと言っている。

マジダ、、。

取り合えず、今日はお土産買って、食い放題してフレズノ空港に行くことに。

少し時間があったのでアワニーホテルに行ったりしてほとんどしていない、観光を少しする。

夕方頃日本に電話してみると私達が乗るユナイテッドは全部止まっているらしいと言われる。

だんだんサンフランシスコ見物か、ヨセミテに戻る感じになってきた。

向畑さんはなる様にしかならないから、と言ってサンフランシスコは中華街だ。と言っている。

私は私の語学能力で帰れるかが不安でたまらなかった。

真夜中にフレズノ空港に車を横付けするとすぐに警察官が寄ってきてここには止めては行けないと追い払われる。

しょうがないので、空港の目と鼻の先のHoliday Innにチェックインして、寝床を確保。

空港でいろいろと聞いてみるが「明日の朝また来い。」と言われるだけで事情は全くわからない。

仕方なくホテルに戻ってCNNを見ているとビルに飛行機が突っ込む映像が何度も流れる。

実際テロは11日。

3日間も何も知らないで岩にしがみ付いていたのだなあとしみじみとしてしまった。

CMとCNN番組の間に「ビンラディンの顔が出て、ビルが激突される映像、「New War」とでっかく字幕が流れる。

これが繰り返されていた。

 

9月15日(土)

朝、空港に予定通り向かう。

手荷物検査では私達は丸腰なのでさっさとあっちへと言われるが、他の一般人は体中、調べられていたようだ。

出発時間は荷物検査の為かなり遅れたが、早いジェット機でサンフランシスコに定時ちょい過ぎぐらいに着いた。

(来る時はプロペラ機だったので時間がかかった。)

国際線もほとんど定時運行していた。

乱れたのは昨日までだった様だ。

 

9月16日(日)

日本に夕方着く。

重いホールバックを配達やさんに頼んで帰る。

ドルがテロのせいで安くなっていた。

(1$=120円→119円)。

以上