大井川 信濃俣河内本谷

2002年8月11日から3日間
池﨑、瀧島(記)


初めに少しだけ薀蓄(ウンチク)を。

年々、山道具は改良されて使い易くなるが反面、要らないと思われる道具も少なくない。

良い道具に頼れば快適に、簡単に登れるし最高グレードも上がるだろう。

特にアイスクライミングでは道具のウエートが大きい事は誰もが認めるところだろう。

自分の技術が無い分を道具でカバーする。

こういう考え方はきわめてノーマルだし自分もそういう考え方を今も持っている。

でも道具偏重主義が登山のすべてのジャンルに入り込む必要はないのでは?特にのんびりした計画を立てたときの沢登りには。

こういう沢ではクラシックスタイルがよく似合う。

沢に限らず山は本来できるだけ体一つで登るべきなのだ。

自分の皮膚感覚を大切にするには裸が一番。

体一つで山の空気に触れるのが山と一体になる早道だろう。

厳しい冬山に裸で登るわけにはいかないので必然的に重装備になってしまう。

でも夏の沢ならば軽装で皮膚感覚を総動員して山と取り組むことが可能だ。

当然立派なテントなんか必要ない。

だいたいテントは稜線などの風が強い場所でも快適なように作られているのだろう。

沢では雨露をしのぐ布があればじゅうぶんだ。

食料は現地調達、調理は焚き火、道具は最小限、こんなスタイルが理想だし山を一番遊びつくせるのではないか?
こんな考えの下、信濃俣河内に向かった。

のんびりとシンプルに山に溶け込んで、沢に抱かれるために信濃俣河内を遡ったのだ。

 

8月11日 晴れ

途中で仮眠したので、畑薙ダムの1キロほど下の駐車場を出発したのは10時になっていた。

今回は急ぐ旅ではないからのんびり行こう。

目指す信濃俣河内は畑薙湖に右岸から直接注ぐ一大支流だ。

ダムから40分くらい林道を進む幅50mくらい完全に崩れていた。

ロープを出して崩壊を横切ろうとしたが、1箇所踏ん切りがつかない。

しょうがないので大きく高巻いた。

そんなこんなで川原に下りたのは13時50分になっていた。

川原は広く大河の雰囲気だ。

先の行程の長さを思わずにはいられない。

初日はアシ沢手前の大屈曲の入り口付近の左岸に快適にタープを張った。

時間は早いがこういうのんびりした時間を過ごすために来たのだ。

乾いた薪はよく燃える。

8月12日 晴れ

二日目もしばらく川原歩き。

西河内の先で短い瀬戸があり腰まで浸かるが、すぐに単純な川原歩きに戻る。

中俣沢出合いまで大きく蛇行しながらやさしく流れている。

中俣沢を過ぎてから沢登りが実質的に始まった。

釣れそうな大きな釜をいくつも超えながら初めのゴルジュを進む。

オリタチ沢を過ぎてしばらくすると第2のゴルジュ。

100mほどだがまさに井戸の底でなかなかの迫力だ。

さらにきれいな滝をいくつか越えて左岸に適地を見つけタープを張った。

少し先の釜で岩魚を3尾釣り上げた。

池ちゃんは今回が初めての釣りだ。

上州屋で一番安い竿を買ってきたが見事に釣り上げた。

くつろいでいると単独行者登ってきて、一緒に焚き火を囲んだ。

聞くと名古屋渓稜会の石原さんとのこと。

足が完全でないのに来ちゃったと笑っていた。

朝一で3つ連続する釜を左岸から高巻き、10mほどの懸垂で沢に戻る。

西沢を分けるあたりは沢が開けてビバーク適地だ。

大岩を過ぎてもう一度ゴルジュを抜ける。

しばらく進むと右岸が大きく崩壊している。

大崩壊の中に4段50mのねじれた滝を掛けているが慎重に登ればロープは必要ない。

最後の小ゴルジュを抜けるといよいよ源流の趣だった。

ヤブこぎはほとんどなく、喜望峰から南に続く稜線に突き上げた。

主稜線から外れた仁田岳を往復した。

こういう静かなピークに惹かれてしまう。

茶臼岳から横窪沢まで下る。

石原さんは痛い足を引きずりながらウソッコ沢まで下っていった。

8月13日 晴れ

畑薙ダムへ下山。

ほとんどの滝が直登できて、きれいな沢だった。

初めはまさに大河の趣で、源流まで詰めれば自然と達成感は生じる。

のんびりした沢旅ができたことで満足している。