大洞川 和名倉沢~市の沢下降

2000年7月1日~2日
中嶋、椛島(記)

7月1日 出合8:45 幕営地(2段10m滝の上)14:00 快晴→豪雨→晴れ
7月2日 出発7:30 和名倉山頂上9:00 大洞ダム13:00 快晴→豪雨→晴れ

6月のはじめに大洞川の本流である井戸沢に行った。奥秩父有数の名渓と謳われるだけのことはあった。身を刺すような冷たい水と、踏み跡に幾層にも重なる鹿の糞に秩父の山深さを知った。新緑が目にまぶしい山行であった。その時林道から目にして気になる沢があった。それが今回行った和名倉沢と市の沢である。特に市の沢の深山幽谷たるたたずまいは岳人の心を打つに値するものだと思う。

社会人山岳会に属していると、普段の山行の足に車を使うことが多い。時間に余裕の無い社会人クライマーにとって、電車の山行はそれだけでひとつの試練だといえる。今回我々は果敢にもその試練に立ち向かった。車の利便性よりも電車とバスによる「味わい」を求めた。意固地になって時刻表とにらめっこし、大慌てでパッキングを済ませ、まだ明るいうちに家を出て電車に飛び乗った。車内で地元のおじちゃんたちに山の話を聞き、飛び交う虫たちと戯れる。いやが上に気分が高まる。

土曜の朝、三峰口から始発のバスに乗り込む。乗客は我々と学生二人組。外は快晴。終点秩父湖でバスを降りる。小1時間林道を歩いたのち入渓。さすがに梅雨の最中、水量は多い。豪快な滝ときれいな瀞が続く。40m大滝はかなり立派だった。全体的に巻き路もしっかりついていて、ザイルを出すところも無い。

昼過ぎになると、空模様が怪しくなってきた。上に抜けるかどうか判断しかねていたところに、素敵なテンバを発見。すかさず幕営するも焚火がなかなかつかない。梅雨で枯れ木が湿っている。そうこうしているうちに霧雨が舞い出す。しかしそこはガッツと根性と気合でがんばる。持参した日刊スポーツのエロ記事を惜しみながらも種火につかうと不思議と火は燃え盛った。しばし焚火を楽しんでいると、今度はすさまじい雷雨が襲って来た。テントを打つ雨音が重い。閃光と雷鳴が交錯する。和名倉の神様はエロ記事が嫌いなのか?それとも東スポのほうがよかったのか?などと考えているうちに雨はやみ、空を見上げればまばゆいばかりの青空と紅の陽。

翌朝も快晴。新緑の燃え盛る源頭をつめる。トポでは猛烈な藪こぎを強いられるとあったのだが、まだ時期が早いのかたいしたことない。しかし稜線に出てからは、頂上まで浅い踏み跡があるのみ。点在する赤布を見ないようにして、オリエンテーリングの練習を敢行。地図とコンパスを手にルートファインディングするにしても、雪稜と藪の稜線じゃ勝手が違う。なかなかいい勉強になった。

頂上は視界ゼロ。完全に藪の中。三角点の周囲半径2mぐらい刈り込みがあるのみ。虫の天国だった。落ち着いてレーションも食えない。将監峠から来たというおっさんが我々の後から頂上にきて「むしはむし」と一人でぶつぶつつぶやいていた。さすがの中嶋さんでも対処できなかったようだ。頂上からは明瞭な踏み跡をたどり市の沢へ下る。潅木が実に美しい。なめ滝も美しい。いい沢だ。

市の沢を半分ほど下ったあたりで、前日と同じく激しい雷雨に見舞われる。あっという間に沢が黄濁し、激流と化す。壮絶極まりない。なんでもないところの渡渉が、けっこう命がけ。びびった。山の恐ろしさとは、こういうところにあるんだな、と実感する。ほんと、一級の沢もなめたもんじゃないね。

市の沢を出合まで下り、雨も小ぶりになる。そこから2時間の林道歩き。かったるい。しかしそこは日頃の善行のおかげか、捨てる神もあれば拾う神もあるものだ。和名倉の神は我々を拾ってくれた。パンク修理で困っていた金持ち釣師に出会い、彼を手伝った我々は、なんと秩父の駅まで送っていただいたのだ。バス代と電車代儲かった。ただひたすら感謝である。

そんなこんなで、なかなか味わい深い山旅であった。