越後三山中ノ岳 北ノ又川板倉沢(坂倉沢) – 敗退

2019年9月5日~7日
谷水(単独・記)

泳ぐ系の沢に行きたい。北ノ又川は50mの瀞からなるゴルジュがあり、きっと思う存分泳ぎを楽しめるだろう。板倉沢は中ノ岳にダイレクトに詰められる。越後三山のコンプリートを目指して出発した。
・・・が、記載する理由により途中敗退となった。

コースタイム
9月5日 抱橋(1035)―岩魚沢出合い(1230)―滝ハナ沢出合い(1330)―芝沢出合い(1400)―大ビラヤス沢出合い(1550)―ビバーク地点950m(1730)
9月6日 ビバーク地点(0630)―板倉沢出合い(0640)―涸沢出合い(0740)―幅狭ゴルジュ(0905)―トラバース始(1030)―トラバース終(1230-1330)―左岸尾根上(1700)―ビバーク地点1350m(1800)
9月7日 ビバーク地点(0520)―芝沢合流935m(1005-1035)―北ノ又川出合い(1115)―岩魚沢出合い(1210)―石抱橋(1420)

行動記録

9月5日 薄曇り
岩魚沢から先は泳ぎであるので、日が登り暑くなるのを待ってから監視小屋の登山道から林道を経て、を過ぎた適当なところから河原に入渓。柳沢、坪倉沢を過ぎていくと2hで50mの瀞がまずあるゴルジュ帯が始まる。ネオプレンと雨具、ハーネスを装着して準備する。左側から入りすぐに足がつかなくなる。右の方が流れが弱そうにみえたので、そちらに移動。手がかりは豊富なのでへつりながら左曲がりになるところまで進む。それなりに流れがありスイスイとは進まない。体を冷えるにつれて手に力が入らなくなるが、ここでスタートに戻るわけにはいなかない。最後は左側に移ると足が届いて無事突破できた。

50mの瀞入り口から

体は冷えたが気温が高く、風もないため震えるほどではない。その後は足のつかない釜をもつ滝があるが前半は直登できたり簡単に巻けたり楽しめる。3段10m(?)の滝は落ち口近くまでは左側を慎重にへつって行けるが、2段目3段目の白泡が激しく滝の突破は無理と思い、左岩上に行ける丁度いい場所から登って巻いた。

3段滝の上部

滝ハナ沢出合いから河原になり一度ゴルジュが途切れる。5分ほどで河原は終わり徐々にゴルジュとなっていく。始まりの瀞は穏やか流れだが側壁に手がかりがなく、突破できず、右側の岩伝いにいく。花崗岩にフリクションがよくきき気持ちがいい。芝沢までは瀞や小滝が連続するが、どれも直登できるもので困難なく進んでいける。登山大系では芝沢から板倉沢手前まで巻けるようだが、いけるところまでゴルジュを進もう、と思い芝沢を過ぎてからも本流どうしに進む。大ビラヤス沢が滝となって合流するところを突破できず、巻きに入る。
芝沢から大ビラヤス沢までの方が前半より流れが速く難しく感じた。巻いている間に大きい滝が2つほど見えたので、結局巻くことになったとは思う。時折踏み跡っぽいものがあったが当てにはできない。大高巻きにはならずに、常に下の様子が伺えるのでゴルジュが途切れた適当なところで懸垂して水流に戻った。降りたところから10分ほど歩いたところでビバーク。

9月6日 快晴
今日はいよいよ板倉沢である。雪渓の状況は、中ノ岳までたどり着けるのか、不安はあるが出発した。この後ミスをやらかすことになる。
10分ほどで板倉沢出合い。入って1h位は滝の後河原がありビバーク地に困らない。足のつかない釜があったりするが快適に進める。登山大系の4mCSはよく分からなかった。涸沢を見送ると、くの字5mの滝がかかる。1段目までは簡単だが落ち口がにてがかりが見つからず、少し戻って左側から巻いた。このあと雪渓があったが右側のすきまから進むことができ、幅狭ゴルジュに入っていけた。奥まで進んだが案の定直登不可能な滝が最奥にかかっており右側から巻くことにした。ロープを出して50m上でフィックスし、荷揚げした。

幅狭ゴルジュ

フィックスしたところに小沢があったので小休憩。滝をこえたら下れるだろうと思っていた。水分補給はしたが水は汲まずにトラバース開始。これが間違いだった。時間は11時を過ぎ快晴とあって直射日光を背中にうけながら進む。滝を過ぎても下降ポイントが見つからずひたすらトラバースしていく。そうこうするうちに板倉沢の上部が断続的に雪渓に覆われているのが見えてきた。

板倉沢に残る雪渓、上部も断続的に雪渓が続いていた

またトラバース2hが経過し、脱水のため両腕の痺れ・めまい・ふらつきと無視できない状態になっていた。遠くから見えていた谷地形が支沢ならそこで水補給をと思っていたが水が流れていないのが見えたので潅木でセルフを取る。結局板倉沢への下降に1h位はトラバースが必要であり、降りても雪渓により巻かなければいけないように見えたため、右側の尾根を乗越して隣の芝沢に下降することにした。問題は水がないことだがどうしようもない。300mの標高を登ることになる。時間は1330で一番暑い時間だが、ゆっくりとでも動かないとジリ貧である。体温が上がりすぎないように、痺れてきたら休憩、と亀のペースで尾根上1400mに上がったのはすでに1700になってからだった。しかし日没寸前で涼しくなってきたため、多少動きやすい。芝沢もゴルジュがあり、尾根を乗越して直線的に下降すると沢に降りられなくなるため尾根沿いに進む。1800で行動打ち切りなんとなく平らな場所でビバーク。鍋に一口水がたまっているのを口に含んで、あとは行動食を食べる。まだ唾液が出てくるので明日も動けるだろうと体を休めた。

9月7日 快晴
日の出とともに出発。腕が痺れることはなくなったがふらつきはある。トラバースしなければいけないが、どうしても下っていってしまう。20分ごとに休憩をはさみつつ進んでいくと、下からではなく横から水が流れる音がした気がした。希望をもって進むと水が湧いていた?これで生きていける!と安心し、命の水を飲みまくった。今度は水を汲むのも忘れずに再出発。これまでの疲労が嘘のように体が動く。嫌なトラバースは続いたが水がある、という安心感から焦りはなくなり10時に芝沢を近くに見た。懸垂1回で935mの河原に降りることができた。一昨日遡行したゴルジュを下るためネオプレンを着こみ下降開始。芝沢は板倉沢より花崗岩が目立ち白い印象。登攀より泳ぎ、滝はあるが簡単に巻ける感じであった。入り口だけの話であるが。尾根からは上部は雪渓がついているのが見えていた。流されながらの下降は早い。あっという間に岩魚沢についた。50mの瀞も下るなら流されるだけで楽しい。一昨日よりも日差しがあったため、沢がとても綺麗に見えた。
入渓点よりも早めに林道に入り石抱橋に到着。

※石抱橋を銀山平に向かう最初にかかる赤い橋の手前に駐車した。しかし下山した時にみた、石抱橋隣の監視小屋先右手の四角いスペースの方が適当かと。

水の大切さを痛感した山行となった。巻く時は尾根ビバークも考えて水を調達したい。また、尾根に上がる判断はもっと早くするべきだった。沢に残った雪渓が続いているのを確認した時、暑い中先のみえないトラバースをしている時とポイントはあった。今回は尾根下降中たまたま湧き水と出会えたため楽しい藪漕ぎ山行に終わったが、それがなければ沢下降できず動けなくなっていたかもしれない。繰り返さないよう再チャレンジしたい。

越後三山縦走

1997年12月28日~1998年1月1日
平松、関、水柿、杉浦、瀧島(記)

(みんなで楽しく)これが今回の山行のコンセプト。というのも秀峰登高会は、いい意味で各々が自分の山を追求して、ヘンな強制やシガラミがなく、自分勝手に好みのスタイルで好きな山での小人数の活動がメインだ。普通の週末だけでなく、正月や5月、夏の長い休みも合宿と呼べるようなスタイルの山行は少ないかもしれない。振り返れば自分の正月もいつも自分が首謀者で2人か3人だった。

今回は「行きたい人この指とまれ」方式のオープン参加。ただし事前のトレーニング山行は参加が条件。そして水柿、平松の新人2人と、ブランク明けの太郎、直前入会だが経験のある杉浦、それに少ししぼみぎみの私とメンバーは5人にもなった。今回は縦走登山なので大人数のデメリットよりも大人数の楽しさを優先させた。

越後駒周辺の雪稜は以前から気になっていたが、佐梨川の源流地域に東京電力のダムの計画を知った事が、私の気持ちに火を着けた。ダムのない佐梨川源流に今一度触れたかった。10月には家ノ串尾根と正面尾根の偵察を兼ねて雪山沢に入った。そして例年通り、正月山行に向けてのトレーニング山行を数回こなしたが結果は惨澹たるものだった。ワカンを着けてのラッセル経験のない水柿もいる事だし、2回のトレーニング山行を雪尾根でやった。11月の鹿島東尾根と12月の谷川岳南面の幕岩尾根は両方とも雨と雪不足で、ラッセル訓練には全くならなかった。奥多摩の天狗岩でのアイゼントレーニングと数回のミーティングのみで、準備不足で本番を迎える事になる。

最初の計画では家ノ串尾根からの駒ヶ岳、中ノ岳があくまでメインで、三山縦走は第二の目標だった。雪が少ないためにトレースのない家ノ串尾根が登れそうにないときは、現場で目標を小倉尾根から駒ヶ岳、そして中ノ岳、八海山までの三山縦走に変更する旨は事前に打ち合わせておいた。

12月28日 雨のち雪

最終の新幹線は予想に反してガラガラで、一両をほぼ独占状態で、安全祈願の酒盛りをしつつ、浦佐に向かう。快適なステーションビバークの後、パッキング中にナント太郎がスパッツを忘れてきた事が判明した。太郎の顔から血の気が引いていくのがわかった。電話帳で山道具屋を探して、太郎は長岡までスパッツを買いに行った。あさ7時前に電話で起こされて、店を開けてくれた長岡の山道具屋のおじさんに感謝。そんなこんなで登山口の駒の湯を出発したのは、 10時を回っていた。駒の湯には雪のかけらのなく、シトシト雨が降っていた。こんな状態では、家ノ串尾根への未練は完全にすっ飛んで、目標は越後三山の完全縦走に絞れてしまった。ほとんどラッセルなければ、今日中に駒の小屋も可能と判断して、ハイペースで歩き出した。標高900メートル位で雪が出てきて、雨もいつしか雪へとかわった。百草の池あたりから膝までのラッセル。駒の小屋直下のヘッドランプをつけて、17時45分駒の小屋に到着。10:20駒の湯 17:45駒の小屋

12月29日 ガスのち快晴

あまりに快適な小屋に心の底から感謝。スパッツ忘れ事件の遅れも取り戻す事ができて太郎も一安心のようだ。駒ヶ岳山頂はガスの中。こんなに簡単に登れてしまって、感激もない。稜線を真南に辿り中ノ岳を目指す。途中で天気は快晴に変わり薮に少しの苦労をしただけで昼過ぎには中ノ岳着。ここから見える魚沼の田んぼには相変わらず雪は全くなく、春の甲斐駒あたりから下界を眺めているような気分だ。八海山からはわらじの仲間パーティーが登ってきて、十字峡へ下っていった。今日も小屋の誘惑に負けて、泊まってしまった。アルコールの減りかたはやたらと早い。駒の小屋7:30 駒ヶ岳8:10 中ノ岳小屋13:40

12月30日 高曇り

今日が今回のハイライトのオカメノゾキの通過だ。気圧配置は南岸低気圧型で東京では冷たい雨が降っているとラジオは伝えている。ここ越後はどんよりとした高曇りで視界も利く。正月としては、風はあまりに生暖かい。ここ、中ノ岳からの下りも視界が利けばなんてことはない。まずは大斜面をがんがん下る。御月山は約100メートルの登りかえしだ。ここからは、尾根がやせて、このやせ尾根は延々、五龍岳まで続く。良好な視界と、トレースにも助けられて、ピッチが上がる。何ヶ所かある岩場も、鎖が使える。水無川から、荒山あたりには、魅力的なリッジが突き上げている。五龍岳には1時40分に着き、今回初めてテントを張った。ロープは一度も使わず、あまりにあっけないオカメノゾキの通過、だった。中ノ岳小屋6:05 五龍岳13:40

12月31日 風雪

夜中に50センチ位積もったようだ。テントは周りからかなり押されたが、何とか除雪はせずに朝を迎えた。一人で、ツエルトビバークの練習をした水柿はほとんど埋もれていた。やっと冬山らしい天気になり、気合いも入る。テントを出る前に、ルートを頭に叩き込んで出発する。視界は良くて20メートル位、風も強い。入道岳でルートが45度左に振れるが、この天気の中では、わらじの仲間の赤布に助けられた。八ツ峰の岩峰は30メートル位までの小粒な物だが、この天気ではロープはフル稼動。鎖にピックとツエアッケをねじ込んでの登りと、懸垂下降の連続で時間がかかる。後半のピークはどれがどれだか解らなかった。最後の地蔵岳を雪崩に気をつけながら左から巻いて、千本桧小屋に転がり込んだ。五龍岳8:10 千本桧小屋16:30

1月1日 晴れ

好天の中、スキー場へ下山。越後の湿った雪と悪天を覚悟してのいたのに、あまりに呆気なく終わってしまった。達成感、満足感も今一。

ど吹雪の八ツ峰は厳しかった。