黒部丸山東壁 左岩稜

2004年6月17日から2日間
大滝(記)、森広、菅野、長門


今回は大いなる反省の山行になった。

丸山東壁に行く時は、何時も梅雨入り前の6月上旬を考えていた。

壁で泊まることになるので6月の夜は寒くないし、壁が大きいので長い日照時間は有り難いし、内蔵の助谷出合手前の雪渓がその頃までは安定している。

しかし、今年は休みの関係で梅雨真っ只中の頃になってしまった。半分諦めていたが、天気に恵まれた。

6月17日

扇沢 朝7:30のトロリーバスに乗る。内蔵の助沢出合手前の雪渓は、この時期やはり薄いスノーブリッジになっていた。厚みを横から確認し恐々一人ずつ渡る。

クリアー。

順調に歩を進める。

1ルンゼ押し出しに着いた。と思ったのが大間違い。

マーフィーの法則によれば、【考え得る事故は、いつかは必ず起きる。】なんと、1本手前の沢に入ってしまった。6月初めの印象で頭が占められていたので、6月中旬は雪の残り具合はこんなものかなあと思いながら登って行った。何回も来ている所なのに、人間の思い込みはいい加減な物だ。初めてではない森広さんも付いて来る。急なブッシュを登って行くと岩場に行く手を阻まれた。やっと間違った事に気付いた。

右に移動して行くと下に1ルンゼが見えた。何たること。

簡単に間違った自分が不思議だ。後続してこない森広さんを暫く待っていると、なんと、1ルンゼにひょっこりと現れた。大分下の方でトラバースしたそうだ。懸垂で1ルンゼに降り立った。本物の1ルンゼを詰め、取り付き11:30。

何時もだと10時頃だ。

いかん。

大滝、菅野。

森広、長門。

でアンザイレンし、大滝組が先行する。

最初のブッシュ登りを終えるとバンドに出る。ハーケン、ボルトの支点はない。右の木でビレーする。左側を登るが凸凹した岩でルートっぽくない。初めの方から木を掴んで登る。3P目は頑張って木を登って行くと素直にボルトに届く。

4P目は分かり難かった。ルート案内では「カンテを左にブッシュから巻き・・・」とあるが、左には行けそうもなかったので、右のカンテを登った。抜け口にクラックがあり、左手をジャミングしたりして恐かったが面白かった。

洞窟に14:50。

今日はここまでとした。洞窟は広さ3畳程もあるが、大きな石が凸凹しているので泊まり難い。大バンドを左に行ってみた。

20m程行くと行き止まりで二人が横になれるスペースが2ヶ所ある。大滝、長門は奥の方に寝た。森広さんと菅野さんは小さいので手前の方に寝たらどうですかと提案したが、森広さんは、狭くて嫌だからと、洞窟に寝に行った。

6月18日

翌日は、オープンビバークだから眩しくて目が覚めるだろうし、行程も短いからとゆっくり寝ていたら森広さんに6時前に起こされた。7時に登り始める。最初の10mを登ったら広場に出た。広くはあるが、凸凹で泊まり難い。

壁に懸垂支点があったので皆のザックを荷揚げした。洞窟からの懸垂はロープが流れない心配があった。

10P目はアブミを掛けるとしなるハーケンが何本かある。13P目のチムニー右壁の人工は抜け口に下に向かって伸びている木にシュリンゲが巻いてある。遠かったので残置シュリンゲの下にシュリンゲを巻いてアブミにぶら下がった。お猿のアブミ芸みたいだ。抜けたら左のテラスにて終了とした。11:10。

同ルートを懸垂。潅木が多いのでロープは投げずに繰り出していった。
洞窟上の大テラスに13:00。

6P目の下降ではロープ回収の時にブッシュに絡まったので登り返した。森広組も同じ目に遭ったそうだ。ここは途中にビレイ点があった。

登っている時には必要性は感じなかったが、下降の時はそこで切れば絡まないのかも知れない。

最後の懸垂では降りて来てバンドに成って居る所があったが、取り付きまで届くかも知れなかったので通り越して降りて見たが、5m程足りなかった。バンドまで戻るのが面倒だったので、左のブッシュ帯に振り子トラバースしてブッシュにシュリンゲを巻いて支点にした。取り付き着14:50。

後続する森広さんにそれを伝えたが、バンドにある支点を見つけて懸垂して来た。

内蔵の助沢出合手前のスノーブリッジは1日でかなり薄くなっていた。でもそこしか通る所がないのでびくびくしながら渡った。

黒部ダムに着いたのは、6時前になってしまった。心配していたが、トロリーバスは終了していた。仕方なくトンネル内を歩いた。30分ほど歩いた頃、発電所の車が来て拾ってくれた。ラッキー。

反省点:
①慣れていた筈の1ルンゼ押し出しの地点を間違えた。
②2日目の起床時間を登攀時間を甘く見てゆっくりにした。
③懸垂の最後でバンドがあったのに支点をしっかりと捜さなかった。

これらの事を反省しつつ、新刊の「続 生と死の分岐点」

を読んで初心に帰る日々です。