中央アルプス 麦草岳 西面小野川奇美世の滝、正股沢

2000年12月31日から3日間
櫻井、森広、大滝(記)


「奇美世ノ滝」は昔、ルート図集で知ってから、その妖しい名前に魅力を感じ、いつか登ってみたいと思っていた。

桜井さんに誘われ快諾した。

12月30日

21:00 府中本町駅を大滝車で出発。

木曾谷を目指す。

12月31日

7:00 起床。

寒くなくどんより曇っている。

朝食を摂っていると、雨がぱらつき、慌ててフライを被せる。

雨はすぐに止んだが、フライをべースまで持参する事にした。

8:00 キャンプ場出発 林道を歩いて行く。積雪数センチ。

9:00 林道終点 広い工事現場にテント設営。

仮設トイレもあり、すぐ脇の沢から美味しい水も汲める。

林道が工事中の為迂回路を行く。

10:10 奇美世ノ滝着 滝は2ピッチある。

上部は凍っているが、下部は水流がばしゃばしゃ落ちていて全然駄目。

左側から登れないかとラインを目で追うが、途中、氷が薄くなっていてどうにも危険性大だ。

左壁に幅40m高さ40mの物凄く大きな氷壁が待ち構えているが、上部がいまいちボリュームに欠ける。

気温も高く左端の方で時々落氷が発生している。

しばらく三人で協議したが、危険な為、今日は中止。

ばっちり凍ったら素晴らしい氷の伽藍だ。

思いつづけていた奇美世ノ滝は想像以上だった。

仕方ないから、テントに戻って昼寝して、夜は新開発の「キムチおでん」で2000年の幕を閉じる。

内張り、フライ、冬シュラフで暖かい年越しが出来た。

1月1日

7:20 出発 雲多めだが晴れている。

迂回路から正股沢に入る。

延々と河原歩き。

9:00 40mナメ状に着く。

良く凍ってないが右岸をダブルアックスでロープレスのまま越えていく。

10m、10mと滝が出てくるが、各自勝手に越える。

核心部のゴルジュ帯、12mもそのまま通過。

2段30mは大き目だが、段々になっているのでロープレス。

40m大滝は流石に大きいので、ロープを結ぶ。

大滝がリード。

下部は3級だが上部は右が4級、左が4級プラスに感じられた。

取り付く時は、左を登ってやろうと考えたが、泊りがけの荷物を背負ってでは苦しくて、結局右ラインにした。

ロープピッチは28m位。

左岸のブッシュで確保。

アイススクリューは3、4本必要。

13:00 終了。

二俣を過ぎると、20mの滝。

大きいが段々になっているのでそのまま行ってしまう。

後続を待っていると森広さんが登って来て、下の桜井さんの為にロープを用意している。

勝手に登ってきて悪いことをしました。

この辺りからラッセルがきつくなり、四つん這いになったりして懸命に進む。

最後、沢が左に曲がっているのに気が付かず、右方の氷壁がいい感じなので喜んで登って行ったら、「あれ、ルートは左だ。」

ロープを持っていないので、森広さんに登って来てもらってブッシュで懸垂した。

容易な滝を越えると、全ての滝は終わった。

細い詰めに入るが、延々と終わらない。

15:40 ほんの数分御来光を拝んだ。

谷だから仕方ない。

いいテント場を探しながら進むが、なかなか無い。

17:00頃、林の中にぴったり3人用テントを張れる場所があった。

何と幸運なんだろう。

18:00 テントの中でようやく落ち着く。

星、月、少しの町明かり、風もなく、静かな元旦の夜。

1月2日

6:40 起床 夜半より降雪。

風少々、視界悪し。

9:00 出発 ひたすら樹林帯のラッセル。

左寄りに進む様にする。

這松に変わった所で吹雪になる。

激しい風に耐え、稜線に出る。

そこは福島Aコース分岐の少し下辺り。

すぐに樹林帯に入り、吹雪から逃れられた。

立派な道標のある道を赤布に導かれて下る。

12:20 奇美世ノ滝  13:53 キャンプ場。

帰りの林道が場所によってスケートリンク状態になっていて、車が3回スピンした。

あー、怖かった。

 

 

前穂高岳 屏風岩東稜

2000年12月30日から3日間
井上、赤井(記)


12月29日

小田急線 向ヶ丘遊園駅に20:00集合、私の車で沢渡へ行く。

釜トンネル手前のスペースにはすでに車が在って止められないため、トンネルをひとつ戻ったところにあるスペースに車をとめ車の中でビールを飲み仮眠。

12月30日

7時半頃起床。9時出発。

釜トンネル手前の県警に登山届を出す。

屏風東稜と提出した所、昨日先行パーティがいたと県警の人が教えたくれた。

釜トンネルの中は所々凍っており歩きずらい。

井上君は途中アイゼンを出して歩いていた。

途中休み休み歩き、横尾の避難小屋着15:00ぐらい。

中には4人ほど先着がいた。

早めに食事し、18:00ごろ睡眠。

12月31日

3:30起床。

朝飯を食べ、5:00ごろヘッデンをつけ出発。

一ルンゼに向かうトレースはあり。

6時過ぎにT4取り付き手前につき準備する。

T4取り付きにはツエルト2張りがあった。

(YCCと九州の人だった。なんと前日10:00に取り付きに着いたが、16:00まで順番待ちで、T4にロープのフィックスだけしたとのこと。)

YCCパーティ3人がユマーリングにて先行していき、7:00登攀開始。

1P目赤井。

左側から取りつき右に7メートルほどトラバースする。

そこから上にあがろうとするが、フリーでは何気に悪く、アブミを出す。

このころより雪が降り始める。

途中、九州パーティの先頭にユマーリングで追いつかれた。

声をかけられて、話をしたら、10月に丸山東壁でお会いした人だった。

世の中は狭い。

ビレイ点にはフィックスロープもあり邪魔くさい。

もうすこしあがろうかどうしようか、考えていると左上にあがった所に雪に半分隠れた残置のスリングがあり、これを掘り出してビレイ点にした。

ここで、セカンドのビレイしていると先行が落とす雪であまり快適なビレイ点ではなかった。

2P目 赤井。

右上の潅木目指して人工。

潅木にもスリングを巻きつけ人工で5mほどの壁を越える。

下をみると一ルンゼを詰めてくるパーティあり。

ここからは楽かと思ってが期待したのとは逆に、凹状の草つきに雪が乗っかり悪い。

ひたすら悪くカメのような進行スピードである。

(ただ単に私がヘボなだけのような気もするが。)

途中のホキげなブッシュや立ち木にスリングを巻きつけて支点として登ってく。

途中遠くから雪崩の音が聞こえた。

井上君から「一ルンゼが雪崩れた。」との声がかかりピッチの途中だったがロワーダウンにて下降した。

(ビナ2個、スリング多数残置。は、恥ずかしい。)

もう一ピッチ懸垂して取り急ぎ撤収した。

小川を越え安全地帯に着いたのが11時。

とりあえず行動食をくい、写真を撮って、小屋に戻る。

小屋でお茶を飲んでいると、私の愛媛時代の友人,石原君と横田君が3時ごろきた。

少し酒を飲み、19:00睡眠。

1月1日

天気は晴れであるが、風あり。

井上君の体の調子が悪く(夜中2回ほど吐いたとのこと、私は全然気付くかずぐっすり寝ていた。)

また、明日からの天気も悪い様なので撤収することにした。

9:30頃出発。

15:00頃釜トンネルの出口着。

温泉に入って、帰京した。

井上君お疲れ様でした。

 

 

八ヶ岳 大同心雲稜ルート

2000年12月16日から2日間
井上、赤井(記)


12月15日

八王子駅22:00集合。

南沢の大滝へ行く予定の森広、柴田組が同乗し、私の車で美濃戸山荘の駐車場へ。

一杯飲んでからテントと車に分かれ睡眠。

12月16日

(ジョウゴ沢)

7:30起床。9:00出発。

柴田・森広組と別れ一路赤岳鉱泉へ。

途中から雲行きが怪しくなってきて、「コリャー、小同心クラックは無理か」と思うがとりあえず赤岳鉱泉まで行ってテントを張った。

上部の視界は悪く上のほうは見えず風も強そうなため、小同心はあきらめ、ジョウゴ沢へ行くことにした。

13:00 F1取付2パーティほどトップロープで練習している脇をとおり上にぬける。

F2には左側のなめ気味の所を一パーティが取り付いており一パーティが順番待ちしていたため、右側の滝を登る。

上で井上君のビレイをしていると2パーティ程後続がきた。

F3はしょぼい5mほどのなめた滝で、そこを越えると視界が悪くなり風が強くなってきた。

そのためここから下降した。

12月17日

(大同心雲稜ルート)

4:00起床。6:30発。

途中私がメガネを忘れテントに取りに戻る。

8:00取り付きにつく。

2パーティほどおり順番待ち。

取り付きはボルト1本のみ。

1P目 赤井
最初左にトラバースし取り付く。

3mのぼり今度は右にトラバース。

5mほどフリーでのぼり人工に切り替わる。

ここで少し順番待ち。

人工の途中に3mmの細い残置スリング2本あり、アブミをかけためしに体重をかける。

大丈夫そうなのでホットすると。

“ぶちぶち”とスリングの切れだす音がする。

ひえー、とすぐに、つぎの支点にヌンチャクをかけフィフィをかけてのっこす。

手を抜くんじゃなかったと少し後悔した。

ビレイ点は順番待ちのため手前でしばらく休んでからビレイ点へいった。

フォローの井上君をビレイしていると。

終了間際でなんと彼のオーバミトンの紐が切れ下に落ちてしまう。

予備を持ってきていないとのことで下に拾いに戻ることになった。

ホキ。

下に降り。

行動食をくい。

ミトンを探す。

みつかったので登り返すことになった。

2P目 赤井 ひたすら人工で進む。

途中リングの細く伸びきったボルトもあったりしたが問題なし。

人工が下手なため少々時間がかかる。

ここで、14:00くらいになっていたので降りることにした。

赤岳鉱泉に戻るとテレビの撮影でアイゼン付けの競争をやっていた。

マッターホルン登頂部と思われる。(今時、大学の山岳部でもやっていないのじゃーなかろうか?)
テントを撤収し、帰りについた。

18:00美濃戸山荘駐車場へ付く。

車には雪が積もっていたので、ワイパーを回した。

すると雪に埋もれた飴玉が落っこちボンネットとウインドの間に挟まってしまい取るのに苦労した。

ホキ。

でもおいしかったです。

ご馳走様。

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 烏帽子沢奥壁南稜

2000年12月9日
向畑、倉田(記)


はじめて12月の谷川に入る今回、雪や氷がどれだけ壁についているかが気になってしょうがなかった。

ヒョングリはもうちょっとで雪で埋まりそうだった(例年12月中旬ぐらいから埋まるそう)。

テールリッジはヒザぐらいの雪が積もっていた。

また、当初行こうとしていた変形チムニーは、取付き周辺に脆いベルグラがびっしり付着していた。

結局、南稜に転進したが、天気が良く、初冬の壁登りが楽しめた。

3時起床。

4:30駐車場発。

5:30一ノ倉出合着。

準備して6時に出合を出発。

先行パーティが2つ。

マーモットの二人とARIの二人。

11時に中央稜の取付き。

準備して変形チムニー取付きへ。

状態が悪く、南稜へ転進。

南稜登攀開始11:30。

1P目倉田。

外傾した岩に、ぱふぱふの新雪や薄い氷がついている。

丁寧に叩き落しながらゆっくり登る。

途中、どうしてもフリーだと怖く、A1する。

2P目向畑。

チムニーは人工のしまくり。

3P目倉田。

細かくて素手で登ってしまう。

幸いお天気が良く冷たく無い。

4P目向畑。

ヒザぐらいの雪が積もったブッシュ帯。

5P目倉田。

ガバのフェース。

ハングの下なので雪は気にならない。

6P目向畑。

岩稜を右から回り込んで、雪がのった細かいフェース。

7P目倉田。

簡単な岩稜から右のチムニー。

チムニーは人工のしまくり。

8P目向畑。

フェースの始めにキャメを決めて残置ピンをたどって人工。

ワンポイント微妙な草付きフリーが混じってかなり怖かった。

終了点に18:45着。

同ルート下降で鎌形ハング下に21時着。

下山途中、ARIの二人と一緒に懸垂して出合いに0時ごろ着。

駐車場に1時過ぎ。

又明日中央稜に行きましょうかと言う向畑さんをほっといて、ビールをがぶがぶ呑んで、本願を遂げ3時頃寝た。

以下蛇足…。

スキーの人達のおかげで、日曜朝は6時に起こされ、仕方なく高速の赤城高原で朝飯。

なんかもったいないので埼玉・久須美上流にある小岩井サンセットロックへ。

倉田は生まれてはじめて5.11a(名残雪)をフラッシュした。

(パワー系が好きな倉田の最高レッドポイントは二子のクレーター5.11b。)

充実した2日間でした。

 

 

明星山 P6南壁

2000年11月23日から3日間
森広、柴田(記)


季節的に若干遅すぎるかという気もしたが、最近は冬の訪れが遅いのできっと大丈夫ではないかとの期待でもって勤労感謝の日を使った3日間で明星山を目指した。

明星に関しては森広さんは遠い娘時代に一度行った事が有るだけ、私は初めてである。

11月23日

減水待ち

急行アルプス号で信濃大町・南小谷と乗り継いで小滝駅に降り立つと目の前に真っ白な明星山が現われ二人とも呆気に取られる。

履き物はボロスニーカーとニュートンだけなので転進も考えたがP6は大丈夫かもと僅かに期待しながらヒスイ峡に向かい歩き始めるとP5、P6が黒々とした姿を現し「なーんだ、これなら登れるジャン」と二人して急に明るい気分になる。

ヒスイ峡キャンプ場にBCを設営し、「今日は手始めに左フェースでも行きましょう」

と小滝川に降り立つ。

しかし流れが急で渡れない。

左ルンゼの押し出しあたりを目標に何とか徒渉のラインを目測し中州まで渡る。

森広さんも腰上迄浸かりながら続くがあやうく流されかける。

中州から対岸を見るとまだまだヤバそうな所があるので泣く泣く本日の登攀を諦め引き返す事にした。

帰路は柴田もフリースの胸まで浸かり森広さんはロープで確保されて何とか帰還。

二人ともビショビショである。

仕方ないので日当たりの良い駐車場で濡れたものを乾かしつつ日向ぼっこで一日中過ごす。

この辺りを縄張りにするドラネコに柴田は行動食のパンを1つ盗まれたが、このドラネコ、森広さんの昼食の入った袋はなぜか一跨ぎで去ってしまうのでした。

11月24日

クイーンズウェイ2Pの後左フェースへ

朝8時過ぎにBCを出て小滝川に再度降り立つ。

今日はクイーンズウェイを登るつもり。

前日と比べると大分水量は減って透明度も増している。

膝くらいまででなんなく渡りきり、身繕いをしてクイーンズウェイに取付く。

1P目(柴)草付交じりのフェースを左上。

残置少ない。

2P目(森)クラックを直上する5.9のピッチだが、ヌレヌレで足が壁に置けず登れない。

柴田に交代してトライしてみるもフリーでは登れず。

この程度でマゴついているようでは明るいうちに終わらないかも、とあっさり左フェースへ転進する事に決める。

乾いていれば楽しそうなルート。

フリーで登れるコンディションの良い時にまた来よう、と森広さんと話す。

左フェース(11:00 ~ 16:10)

1P目(柴)バルジを上のガバを頼りに越えるとあとは容易なリッジ。

バルジのすぐ上に新しいピンが打ってあり15mでビレーポイントに出る。

2P目(森)上部のフェースではなく右のカンテを越えて右上。

3P目(柴)フェースを右にトラバースし5mほどブッシュを掴んでクライムダウンし更に右へ右へとトラバースし狭いフェースを直上すると大きなテラスに出る。

50mいっぱいで潅木とピトンでビレー。

4P目(森)草まじりの階段状のフェースをやや右上に登る。

途中森広さんは袖からトポを出して何度もラインを確認している。

なーるほど、袖にトポを入れるのはなかなかうまいアイデアと感心。

5P目(柴)カンテを越えてしばらく右に進んだが判然としないので結局元に戻り直上。

残置はピン1つしか無くあるいは正規ルートを外したかもしれない。

松の大木でビレー。

6P目(森)ブッシュ帯を左上。

ルートファインディングが難しいのか悩みつつ抜けている。

このあたりでだいぶ日が陰ってきた。

残り時間が少ない。

7P目(柴)左に10mほどブッシュ交じりを登ると左岩稜の明瞭なリッジに出てピッチを切る。

8P目(森)Ⅱ~Ⅲ級の容易なリッジ。

9P目(柴)傾斜のゆるい凹角を登る。

10P目(森)左に10m弱トラバースして大木に黄色のテープが巻かれた終了点に達する。

踏み跡を右へ右へ下るが途中でヘッデンモードになる。

小滝川は土管用の橋を渡り、土管に馬乗りになってぬれることなく対岸に帰還成功。

キャンプ場でローソクを灯して夕飯。

ドラネコがメンバー面してテーブルに現れたが「シッシッ」と追い払う。

11月25日

フリースピリッツ(4P目まで)

本日は午後3時頃のJRで帰る必要があるのでBC撤収を午後1時30分として、昼頃までしか登れない。

森廣さんと相談のうえフリースピリッツを登れる所まで登り時間が来たらそこから引き返す事とし8時前にBCを出発。

1P目(森)ブッシュ混じりバンドを左上。

ランニングはブッシュで。

2P目(柴)バンドの上の小垂壁を登り更に左のビレーポイントまで。

3P目(森)大まかな階段状から凹角、ついでクラックを登る。

登っていて気持ちの良いナイスなピッチ。

4P目(柴)頭上にはボルトラダーが見えるが左のテラスにビレーポイントが見え、それに吸い寄せられるようにスラブを左にトラバースしてジェードル状を登りテラスに辿り着いてランニングを取る。

ルートは左のハングの下端に沿って右上するように思えたのでブッシュを利用しながらその通り登るが残置が全く無く、キャメロット#0.75でランニングを取った後さらに進もうとかぶったフレークを使い一歩上がった所で手にしたレンガ大のフレークが壁から剥離、森広さんにコールした上で下に落とす。

時計を見ると既に11時30分近いので森広さんに了解を求めた上でここまでとし、テラスまで慎重にクライムダウン。

(帰宅後「日本のクラシックルート」を見たら4P目はボルトラダーのラインの右を登るとあり、ここでルートファインディングをミスっていたのかも知れない。)

3P目終了点から懸垂2回で小滝川の河床に降り立つ。

まあクイーンズウェイもフリースピリッツもとても面白そうな事が分かったのでまた来年コンディションの良い時にきっと来ようと明るい気分で南壁に別れを告げる。

BC撤収中にドラネコが例によってもの欲しそうな顔をして現れたのでパンの残りを分けてあげる。

小滝駅は何時の電車かなと時刻表のコピーで確認したら1時間後である事がわかりスタコラと駅までの道を戻り、発車の10分ほど前に辿り着いた。

● 天気は3日とも良かったのですが、壁はしみ出しがあるのか、濡れている部分も有りました。

石灰岩なので濡れているととても滑りやすい。

● それを除けば壁の状態は良く、また他のパーティは全くいませんでしたので落石への懸念も無しで、明星を登るには結構良い時期かもしれないと思いました。

● ただし日は短く5時にはヘッデンが必要になるのでスピーディに壁を抜ける事が必要なようです。

 

広沢寺アイゼントレ

2000年11月19日
三好(記)、他2名


東京岳人倶楽部の木下さんとは、日本山岳会青年部の例会で知り合った。

でも、これは偶然ではないのだ。

行きたいと思う山域やルートを検索していると(それは冬剱雪黒部であり、戸隠であり、ついでに、あのマイナーリッジなども含まれる)、木下さんにぶち当たることが多くて、敗退してもまだモチベーションを保っていられる人で、また、固定したパートナーが居るわけではないらしいことがわかって、これは何としても知りあいにならなくてはいけないと思って頑張った結果なのだ。

以前から、日本山岳会青年部に所属している(だけの)彼氏殿に、青年部には所属しなくても、例会では色んな報告やスライド上映があるので顔を出してみればと誘われていた。

でも、青年部というものがどのような組織なのか今ひとつわからなかったし、うちの彼氏殿みたいに山岳部出身の仲間意識の強い人や現在はほとんど山に行けない人ばかりだったら全然面白くないなと思っていたし、ついでにあまりにも例会場所が自宅から遠いので躊躇していた。

しかし、どんな人が来るんじゃいと聞くと、木下さんも来るという。

試しにとある所に質問書き込みをしてみると木下さんが返信してくれたのもあり、ついでに土日の山行がぽしゃってしまったのもあり、金曜の夜に仕事をなんとか片付けて市ヶ谷まで出掛けることにする。

市ヶ谷にたどりついた時には、すでに報告及びスライド上映は終わっていて、懇親会となっていた。

彼氏殿にどれが木下さんかと聞くと、でかい声でしゃべっている重そうな後ろ姿の人がそうだと言う。

紹介してくれと彼氏殿に言うと、自分で話し掛ければいいじゃんと言って冷たい。

異常に人見知りをする私が、どうしよう、どうしようと思っているうちに、懇親会も終了、片付けに入ってしまった。

とりあえず、ごくごくっとビールを飲んでその勢いで、話し掛けることがやっと出来た。

ちょっと話し始めた段階で、いきなり「薬師のメンバーが一人足らないんです。一緒に行きましょう。」と言われる。

かなり酔っ払っている様子であり、大丈夫なんだろうかこの人はと心配になるが、山岳部の合宿に行くことになっているのでと断る。

しかし、日曜にアイゼントレに行きたいと言っているのを聞きつけ、彼氏殿をたたきつけて、いきなりその場で約束して、日曜は一緒にアイゼントレに出掛けたのであった。

懇親会が終わったのに、市ヶ谷の街中で紙コップを持ってふらふらしながら、山の話ばかりしている木下さんを見て、のんべえなりの直感で、私はこの人とは一緒に山に行ける気がした。

えーと、アイゼントレはというと、確か、左の方を2ルート、右の方を2ルート、あと、大ハングを登っていたら、もう辺りは暗くなっていた。

久しぶりのアイゼンだったので、緊張しまくり、左の方の直登ルートはぶら下がってばかりだった。

重そうな木下さんも、ブランクありありの彼氏殿も安定して登っていたので、非常―に情けなかったっす。

もっと頑張らんとねぇ。

ついでに、土曜は千葉大の体育館にあるボルダーをやった(最近授業用に作られたらしい)。

ホールドが少ないのもあって、とにかくリーチの必要なルートが多かったので、ちびっこ専用手足限定ルートを2つばかし作ってみた。

後日、山岳部の後輩があのルート登れないと言っていたし、自分でルート設定するのも面白いなぁと思った。

おわり。

 

二子山 西岳中央稜

2000年11月19日
赤井、櫻井、倉田、一ノ瀬(記)


赤井号で前夜発、二子山登山道入口手前の林道脇でテント泊。

獅子座流星群が今夜ピークを迎えると聞いていたが、なんとも寒すぎて星座観測どころではなかった。

桜井さんだけが1つ流れ星をみただけとなった。

翌朝快晴、秋晴れのクライミング日和を迎える。

しかし風が寒い!
ちょっと車を走らせて登山道入口着、けっこう車がある。

順番待ちを覚悟して出発。

15分程登山道を歩いて取付着、8:45。

2パーティー6名を待って登り始める。

1P目、日陰の為、寒くて冷たくて手の感覚がない。

2P目、うれしい日なたで順番待ち。

しかし風が吹くと寒い!
景色はよかったがここで10:30を過ぎ、このままじゃ日が暮れる、核心の3P目で終了とするかの意見がでるがとりあえず登る。

途中、日陰で凍っている場所あり。

登るのにはあんまり関係なかったけど冬を感じた。

そういえば登山道で霜柱も見たなあ。

3P目、赤井さんがてこずっているのを下でみる一ノ瀬、本番2度目でこの試練、くぐり抜けられるのか?いや、登らにゃならぬ。

レイバックもどきで必死で切り抜ける。

(実はヌンチャク掴んだり右にあったボルトを踏んでズルをした。)

腕がパンパンだ。

ぜいぜいしながら大テラスに着き、後続の桜井さんに「なんだかうるさかったなー」との指摘、
「ダメだー、落ちるー、恐いよ-!」いつもの独り言がデカかったようだ。

ここで終了の予定だったが2P、3Pと核心をクリアした前パーティーも見えないのでこのまま続行、最終点までいくことにした。

4、5Pは、ん~大丈夫かなあーという感じが実は手がかりがちょこちょこあったりしてなんとかクリア。

最終ピッチは草付きを登って終わり、14:30。

全行程、リード赤井、一ノ瀬、桜井、倉田の順で登った。

さて、下りだが、前情報で「危なく恐い下り」と聞いていたが本当だった。

足を滑らせれば一貫の終わりの岩稜をゆっくり慎重に下る。

途中、「ここ本当に下山道か?」

と不安がよぎったが登山者1人にすれ違い、不安解消。

1時間もしないで股峠、朝通った登山道分岐に着く。

二子山は石灰岩の岩場、ということだが気をつけないと手が切れる感じの岩だった。

雨が降ると滑ってだめだめになるらしいが今回は天気もよく岩も乾いていてよかった。

各テラスからは両神山が正面に見え、渋滞のお陰か?ひなたぼっこしながら黄葉も景色も楽しめた。

おまけ:帰り道、秩父市街で今度は車の渋滞にハマる。

赤井さん、桜井さん、倉田さん、ありがとうございました。

 

明星山 P6南壁 左岩稜

2000年11月11日から2日間
三好、他(記)


今週末は大学山岳部の人達と明星へと思っていたら、土曜は日本海側が雨。

違う場所に行こうかと、S氏に電話をかけると、「本ちゃんじゃないと意味がない(1年生が本ちゃんをまだやっていないそうなので)。現役は三つ峠や小川山は何回も行っているから(実は行っていなかった)。」と言う。

でも、「土曜は確実に登れる場所にして、それから移動しても・・・」と言っても、金曜の夜から明星に行くのだと人の話に耳を貸さない。

なんて頑固なの奴なのだ。

11月10日(金)

八王子10時集合。

ここまでが核心であった。

眠い、とにかく眠い。

S氏に運転を変わって、がーが-眠る。

長野までは晴れていたが、白馬まで来ると、ざんざん降りの雨。

H君に運転がいつのまにか変わっており、車の後ろをガードレールにぶつけたショックで目が覚めた。

それほどひどくはない。

よかった。

H君、出世払いでよろしく。

とにかく雨が強いので、とても絶望的な気分になって、S氏に喧嘩をふっかけるが、私の戯言には耳も貸さない。

また、腹が立つ。

キャンプ場にはさすがに誰もいないので、売店脇にテントを張り、ビールを飲んで寝る。

11月11日(土)

朝から雨。

糸魚川に移動し、日本海を見てこようということになる。

糸魚川の観光案内所で、魚がうまい食事処を紹介してもらい、昼飯。

雨が止んだとしても、川が増水して渡れなかったらいやだし、これから移動しようかといった話になる。

S氏の「俺は明星に残る。」

という発言に、皆、疑心暗鬼になりながらも、折れる。

焼山温泉に移動し、温泉に入り、卓球をして、ソファで仮眠する。

懐かしい感じのする温泉であった。

夜はキャンプ場に戻り、和田君が持参したモツ鍋を囲み、ビール。

11月12日(日)

一応雨は降っていない。

昨日までの濁流がうって変わって、水が引いていて、徒渉も楽そうだ。

先週は腰までの徒渉になったというので、背の低い私じゃ、胸くらいまでになって徒渉できないかもしれないと不安だったが、よかったよかった。

まだ乾かないだろうということでのんびり出発。

いつのまにか先行パーティが取り付いている。

飛び石伝いに取り付きまで行き、準備する。

とりあえず、他は岩が久しぶりな人達と本ちゃん初めての人達なので、私が1、2ピッチをリード。

ザイルをつけて登り始めようとすると、ビレイの準備をなかなかしてくれない。

私はいつも一番とろくて、急かされる立場なので、なんだかのんびりしている山岳部の人達を見ると不思議に思う。

1ピッチ目はV-というがそんな感じはしない。

リッジに出てすぐのビレイ点できる。

2ピッチ目。

右にトラバースして、左に戻るといったルートをたどる。

なんだかもろそうなので注意して登るが、途中、残置ハーケンにプロテクションを取ろうと思うと、チビな私には今ひとつ手の届かない場所がある。

届かん、届かんと頑張ってたら、スタンス全体が大きく崩れてがらがら落ちてゆく。

怖かった。

それからはビビリが入って、さらに慎重に進む。

3ピッチ目は現主将のH君にリードさせたいとのことなので交代する。

ザックを代わりに背負ったら、何が入ってるのかわからないが重い。

3ピッチ目の終了点は狭くて3人居られないと言って、ずっと待たされる。

さっき登り始めた人達はすばやくてあっと言う間に追い付いてきた。

後ろのパーティも4人パーティなので入れ替わるのも難しい。

すいません、すいませんと言いながら、世間話を楽しんでしまった。

白馬から来たというとても気さくな人達でよかった。

そのうち日が当たって、岩も乾き始める。

暖かくていい天気になった。

やっと登っていいよと声がかかる。

リズミカルとはいい難い人工で登る。

後発パーティの人が、以前このピッチをリードした時、ボルトが抜けてかなり落ちたことがあって、それ以来トラウマなんですよね、なんてことを言っていたので、ちょっとビビったがさすがにフォローは気が楽だ。

4ピッチ目、フリーで行けるかと試すが、駄目。

荷物が重いせいにして、素直に人工。

もう、後発パーティも待っているので、人工ばしばしで登った。

あとは、岩を落とさないように登って、上に到着したのが14:30くらいで、テープに従って、下りたのが15:30くらい。

雨に濡れていたりしたら、嫌だろうなぁと思うような下降路だった。

とりあえず、登れたので嬉しかった。

何がなんでもというS氏をたまには誉めてあげよう。

さすが、若い(?)頃、この人について行くと殺されると言われただけの頑固さ(無謀さ)だけあった。

 

 

小川山 有名ルート ミーハークライミング

2000年11月5日
柴田(記)、他6名


昨年11月初めに小川山に行ったところ寒くなく登れたので今年も同じ時期の小川山ツアーを企む。

朝4時頃廻り目平入りし準備していたら駐車場で本郷さん・三好さんに偶然会った。

この時期の小川山はすいている。

今回はミーハーにもこれまで混んでて登る機会がなかった小川山ストーリーと小川山レイバックという人気ルートに目標を絞りまず父岩に向かう。

(細かく書いてしまいました。まだ登っていないOS狙いの人はここで読むのを止めてください。)

小川山ストーリー (5.9) OS

父岩の取り付きには予想通り誰もいない。

西に向いているので朝は日陰になっていて少々寒いがフリースを脱ぎ、ヌンチャクを沢山ぶらさげて登り始める。

今回はデジタルビデオを持ってきており、今野さんが左側のテラスから撮影していてくれる。

カチ系のしっかりしたホールドが続き、フリクションが充分効く上、ところどころで休めるので快適に登る事が出来る。

しかし長い。

ハンガー5個目で結構登ったなあと思って上を眺めるとまだまだ終了点が遠い。

結局全部で9つにクリップしてやっと終了点にたどり着いた。

終了点では風が強いが日があたり暖かい。

50mロープではトップロープに出来ないので2番目の千代川さんにロープを引いて上まで登って来てもらい2人でラペルで戻る。

3・4番目の片山さんと今野さんには50mロープ2本を使いトップロープにしたが50mロープで登る場合はこのルートは終了点でビレーしたほうが良いのかもしれない。

日帰りなのでのんびりとは出来ない。

小川山ストーリーを登ったあとはいったん廻り目平に戻り、行動食を食べつつ飯田ファミリーと合流し7歳のりなちゃんを交えて親指岩を目指す。

小川山レイバック (5.9) OS

写真で何度も見ているがやはり美しいルートだなあ、と思いしみじみと眺める。

ナチプロで登らねばならないというプレッシャーを感じつつ準備を整える。

考えてみたらクラックを始めてまだ数回目でナチプロのリードはこれが最初だ。

それにここは案外事故が多いと言う記事がロクスノにあったなぁ、と思いつつ、今野さんにヘルメットを借り覚悟を決めて発進。

出だしをレイバックで数手登ったあとステミングに移る。

3-4m位で最初のキャメロット1番を取り出しセットしたが若干クラックには大きかったようでキャメロットは窮屈に身を縮めて何とかクラックに収まる。

数度引っ張ってチェックしたが大丈夫のようなのでこのままとする。

その後もステミングとクラックの中途半端なジャミングで登り続け中間テラスの下で2つ目のランニングをキャメロット0.75番で取ろうとしたら小さすぎてスカスカ。

「クッソー」と思いながら2番をセットする。

これも窮屈そうだが何とかクラックに収まった。

カムロックの番手を一つ間違えるだけで精神的にも疲れ、これがナチプロの厳しさか、と思う。

右のガバに手がかかり中間テラスに着いてヤレヤレである。

しばし休ませてもらう。

ここでフレンズ2.5(だったと思う)で満足の行くランニングが取れほっとする。

上を見ると終了点まではもう3-4mと言うところで結構かぶって見えるが、左右の壁にスタンスになりそうな凹凸もあるようだ。

3つ目のフレンズを信じて登り始めるが、途中でランニングを取っていると力尽きて落ちてしまいそうな気がして結局中間テラスから終了点まではランニングを取ることなく一気に登ってしまった。

(ひどいねー。)

終了点にあがるところも本来はクラックにジャムを決めて登るところなのだろうが、クラック初心者の自分にはそれが恐くて結局左のホールドを使ってしまった。

(情けない。)

下ではりなちゃんも含めて5人がトップロープを待っているので2ピッチ目はまた今度の機会としてロワーダウンで降ろしてもらう。

今野さん、片山さん、飯田さん、りなちゃん、千代川さんと順番に登る。

それぞれに個性的な登り方をするので感心してしまう。

7歳のりなちゃんは勿論登れなかったが途中まで補助で支えてあげると自力でレイバックの体勢を決めたのには感心、将来大物になるかもしれない。

(そのあとの「あいつが高校くらいになって小川山レイバックを登れてももうオンサイトとはいえないもんねー」と言う父親の飯田さんのつっこみにも笑えた。)

全員が登り終え廻り目平に戻りビールを飲むともう登る気が失せてしまった。

今回目的ルートを何とか2つともオンサイトで登れたのは嬉しいが登り方は満足できるほどではなかったので「嬉しさも中くらいなり小川山」と言うところである。

「まあでも怪我することなく登れた事だけでも感謝しなくては、よかったよかった」

と思いつつ陰りゆく屋根岩を眺めていた。

以上

 

 

利根川水系 武尊沢

2000年11月4日
森広、高橋(記)


朝起きたら,自動車の窓が凍っていた.

出発時には車が続々と駐車場に入ってきた.

入渓点から遡行を開始すると,所々凍っていることに気づく。

この季節,沢は選ばなければならない。

足跡が残っており,先行に1パーティ(1人)がいるよう。

滝も岩の表面が凍っており,凍ったなめ滝はこわい。

崩壊して谷は埋まっており,核心の4段25mの滝も半分埋まって2段15m位になっていた。

夏ならば快適であろうが,滝が凍っているために危険度がかなり上がっていた。

源頭ではつららが下がっていた。

凍っているため源頭部も手こずってしまったが,尾根沿いに笹藪を10~20m詰めたら縦走路で,頂上はすごい人だかりだった・
下山時,山葡萄をとっている人たちがいて,食べてみたら酸っぱかった。

森広さんといると,食べられるものがわかっていい。

タイム:
駐車場(武尊神社)(7時過ぎ) - 入渓点(9時過ぎ) - (11時半頃)武尊山
(12時過ぎ) - 駐車場(2時半頃)

参考にした遡行図:
「武尊沢」

(上信越の谷105ルート:山と渓谷社)