2000年8月17~20日
本郷、関、宮島(記)
今回のプランは、丸山から立山、さらに剱岳と3つの壁を登攀しながら縦走するという壮大なものだ。
岳人に憧れる私好みのプランであるが、何せ復帰2戦目でもある。
同行の二人には本当に感謝したい。
~入山日(丸山1ルンゼ 左ルート)~
1ルンゼ取り付きは落石の集中する所だ。
取り付き手前でザイルをつけ登攀開始。
全装備、水を背負っての登りはIII級でもシンドイ。
特に核心のIV+は泣きそうだった。
トップの関くんを本郷さんとほめたたえる。
終了点で傾斜はぐんと落ちる。
ザイルをといて、踏み跡を歩き出す。
が、そのうち草がやたら濃くなり、所々現れる露岩もいやらしく、再びザイルをつける。
そうこうしていると、ついに草におし戻されるように、前に進めなくなってしまった。
稜線まであと3ピッチ程度という所で、検討委員会を開く。
壁にとどまり不確定要素の多い状況下で翌日再び稜線を目指すか、より確実(快適そう)な内蔵助平へ下降するかだ。
安全重視(快適重視)の我々は全会一致でアプザイレンを開始(16:30頃)。
明るいうちに1ルンゼの下降を終了した。
後はダラダラを内蔵助平へ下るだけだ。
~2日目(内蔵助平~真砂沢)~
再び検討委員会を開く。
結局予定を変更し、行ってみないとよくわからない立山ではなく、勝手知ったる真砂沢を目指すことにする。
入山2日目ではあるが休養を兼ねて本日は移動日としたのだが、キャンプ場に着いた頃は、みんな必死の形相となっていた。
本郷さんの友人の加藤さん一行のテントで酒と食事をごちそうになり生き返った。
~3日目(真砂沢~平蔵谷下部上部~剱沢)~
みんな今日が勝負の日と心得ている。
今日登っておかないと、丸山の1本だけで合宿が終わってしまうかもしれない。
平蔵谷の雪渓は、取り付きがバックリと口を開けている。
本郷さんトップでボラードにてアプザイレンするが、恐ろしかった。
中央ルンゼルートは壁の中の自然なルートでいかにもクラシックという感じがする。
それにしてもルート図はメチャクチャだ。
合っているのはラインだけで、ここまでいい加減なルート図も初めてだった(「日本の岩場 下」)。
大休止のあと上部岩壁へ。
成城大ルートは先行パーティがおり、天候も不安定な様子の為、(本郷さんには申し訳ないが)以前登っている名古屋大ルートを登攀する。
まさにこれしかないというライン取りに感動する。
あわよくば成城大ルートもなどとのたまわっていた私が一番ホキている。
源治郎尾根の下降では、少々遅れてしまった。
翌日の為、テント場を剱沢へと移動するが、新人の頃のホキホキだった事を思い返したり、今日の充実した登攀をかみしめていた。
~4日目~
最終検討委員会を開く。
計画を遂行する為にも、立山を目指すか。
早めに安全地帯である、室堂を目指すかだ。
だが決をとるまでもなく、パーティの心は一つになっていた。
敢えて最終日に危険を冒してギリギリのアタックをかけるべきではない(早く温泉につかり、下界のメシを食らおう)と英断したのだ。
「桜」では合宿が無事終了した事、天候にも恵まれた事などを、ギョーザを8人分注文して祝った。