明星山 P6南壁 左岩稜

2000年11月11日から2日間
三好、他(記)


今週末は大学山岳部の人達と明星へと思っていたら、土曜は日本海側が雨。

違う場所に行こうかと、S氏に電話をかけると、「本ちゃんじゃないと意味がない(1年生が本ちゃんをまだやっていないそうなので)。現役は三つ峠や小川山は何回も行っているから(実は行っていなかった)。」と言う。

でも、「土曜は確実に登れる場所にして、それから移動しても・・・」と言っても、金曜の夜から明星に行くのだと人の話に耳を貸さない。

なんて頑固なの奴なのだ。

11月10日(金)

八王子10時集合。

ここまでが核心であった。

眠い、とにかく眠い。

S氏に運転を変わって、がーが-眠る。

長野までは晴れていたが、白馬まで来ると、ざんざん降りの雨。

H君に運転がいつのまにか変わっており、車の後ろをガードレールにぶつけたショックで目が覚めた。

それほどひどくはない。

よかった。

H君、出世払いでよろしく。

とにかく雨が強いので、とても絶望的な気分になって、S氏に喧嘩をふっかけるが、私の戯言には耳も貸さない。

また、腹が立つ。

キャンプ場にはさすがに誰もいないので、売店脇にテントを張り、ビールを飲んで寝る。

11月11日(土)

朝から雨。

糸魚川に移動し、日本海を見てこようということになる。

糸魚川の観光案内所で、魚がうまい食事処を紹介してもらい、昼飯。

雨が止んだとしても、川が増水して渡れなかったらいやだし、これから移動しようかといった話になる。

S氏の「俺は明星に残る。」

という発言に、皆、疑心暗鬼になりながらも、折れる。

焼山温泉に移動し、温泉に入り、卓球をして、ソファで仮眠する。

懐かしい感じのする温泉であった。

夜はキャンプ場に戻り、和田君が持参したモツ鍋を囲み、ビール。

11月12日(日)

一応雨は降っていない。

昨日までの濁流がうって変わって、水が引いていて、徒渉も楽そうだ。

先週は腰までの徒渉になったというので、背の低い私じゃ、胸くらいまでになって徒渉できないかもしれないと不安だったが、よかったよかった。

まだ乾かないだろうということでのんびり出発。

いつのまにか先行パーティが取り付いている。

飛び石伝いに取り付きまで行き、準備する。

とりあえず、他は岩が久しぶりな人達と本ちゃん初めての人達なので、私が1、2ピッチをリード。

ザイルをつけて登り始めようとすると、ビレイの準備をなかなかしてくれない。

私はいつも一番とろくて、急かされる立場なので、なんだかのんびりしている山岳部の人達を見ると不思議に思う。

1ピッチ目はV-というがそんな感じはしない。

リッジに出てすぐのビレイ点できる。

2ピッチ目。

右にトラバースして、左に戻るといったルートをたどる。

なんだかもろそうなので注意して登るが、途中、残置ハーケンにプロテクションを取ろうと思うと、チビな私には今ひとつ手の届かない場所がある。

届かん、届かんと頑張ってたら、スタンス全体が大きく崩れてがらがら落ちてゆく。

怖かった。

それからはビビリが入って、さらに慎重に進む。

3ピッチ目は現主将のH君にリードさせたいとのことなので交代する。

ザックを代わりに背負ったら、何が入ってるのかわからないが重い。

3ピッチ目の終了点は狭くて3人居られないと言って、ずっと待たされる。

さっき登り始めた人達はすばやくてあっと言う間に追い付いてきた。

後ろのパーティも4人パーティなので入れ替わるのも難しい。

すいません、すいませんと言いながら、世間話を楽しんでしまった。

白馬から来たというとても気さくな人達でよかった。

そのうち日が当たって、岩も乾き始める。

暖かくていい天気になった。

やっと登っていいよと声がかかる。

リズミカルとはいい難い人工で登る。

後発パーティの人が、以前このピッチをリードした時、ボルトが抜けてかなり落ちたことがあって、それ以来トラウマなんですよね、なんてことを言っていたので、ちょっとビビったがさすがにフォローは気が楽だ。

4ピッチ目、フリーで行けるかと試すが、駄目。

荷物が重いせいにして、素直に人工。

もう、後発パーティも待っているので、人工ばしばしで登った。

あとは、岩を落とさないように登って、上に到着したのが14:30くらいで、テープに従って、下りたのが15:30くらい。

雨に濡れていたりしたら、嫌だろうなぁと思うような下降路だった。

とりあえず、登れたので嬉しかった。

何がなんでもというS氏をたまには誉めてあげよう。

さすが、若い(?)頃、この人について行くと殺されると言われただけの頑固さ(無謀さ)だけあった。

 

 

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