剱岳 剱尾根

2002年5月3日から4日間
浅野、柴田(記)


<概要>

日程は4日間あるので剣尾根のトレース後に三ノ窓に移動してチンネも登れるかと思っていたが実際には降雨の為1日半近く停滞を余儀なくされ剣尾根のみで終わった。

・ 雪は非常に少なく核心の門のピッチはアイゼンを脱いで登った。

・ 雪が少なかったせいもあるかもしれないが幕営適地は聞いていたほど多くなかった。

我々は2-3人用テントを担いでいったがこの寡雪状態でもコルE手前、コルD、ドーム付近、コルA手前の雪渓上であれば比較的安心して張れると思われた。

ツェルトビバークならもう少し範囲は広がるだろう。

コルA、B、Cはナイフリッジになっていて幕営には向かなかった。

・ テント・食糧・燃料をしっかり担いで登った為停滞中は快適だったが登攀中は荷の重さでⅢ級程度でも傾斜が立った所は後ろに体が引かれるようで所々恐い思いをした。

<行動の記録>

池ノ谷にそびえる気品に満ちたリッジ剣尾根と昨年門前払いになったR4を組み合わせて登ろうという計画を4月中旬くらいで浅野さんと固めた。

お互いGWの全てを山に投入すると単身または独身に舞戻る可能性があるため前半は家族と楽しい休みを過ごし、後半の4日間で「すいませんがちょっと山に行ってきます」と言う予定を組んだ。

尚、オリジナルの計画では下半を登ったらテントはコルBあたりに残しサブでR2を下り、R4を登ってテントを撤収して上半につなげるといううまい話だったが行ってみてそんなにうまくは行かない事がよく分かりました。

今年は雪少なく春早く予想通りR4は氷無くカラカラ状態と言う情報が入り、念のために持っていったスクリュー類も結局馬場島で車に残置することになった。

ちっとも寒くない5月3日朝警備隊にご挨拶を済ませて池ノ谷に向けて出発。

 

5月3日

晴れ

白萩川の取入口は堰堤脇の雪渓を歩きタカノスワタリあたりで1度へつりをまじえたのみで渡渉する事もなく池ノ谷出合に着。

池ノ谷ゴルジュは中を覗くとそのまま通過出来そうだったのでヤバかったら引き返す事として入ってみる。

雪渓はしばらくはしっかりしていたが最初に右に曲がるあたりで大穴があいており、轟音と迫力ある飛沫が迸っている。

右岸の露岩沿いにトラバースできそうだったのでちょっと登って見る。

Ⅱ位だが滑って落ちれば大穴にストライクで当分遺体は上がってこないだろうと思うと慎重になる。

幸い上部にボルトとピンで作った下降点がありそこからは懸垂で大穴を越えた雪渓上に降り立つ事が出来た。

念のためにその先もチェックしたが大丈夫なようだ。

浅野さんにOKサインを出し後続してもらいロープをたたみスタスタとゴルジュを進む。

早月尾根からの枝沢が入り三俣になったところを回り込むと谷が開け向こうに二俣と剣尾根が姿を現した。

「割と近くに見えるけどここからが長いんですよ」

と言う浅野さんの言葉どおり1時間半くらいかかってようやく二俣に達し、そのまま進んでR10とおぼしき所で休む。

トポにはR10から容易にコルEに達せられるとあり、その割には草付と岩盤があらわになり渋そうだ。

たぶん例年は雪が付いていて簡単なんだろうと勝手に納得し取り付くが、実はR10はもっと先でここは無名の急斜面だったのでした。

最初ロープなしで取り付き途中結構恐い思いをして露岩を越え、アンザイレンし草付きから雪壁をつなげてコルに出た。

コルには古いトレースが残っていた。

ここからしばらくヤブ、雪稜、岩稜のミックスが続く。

途中浅野さんが左俣側の急斜面に滑り落ちかけたが雪が腐っていたおかげですぐに停止した。

ダンゴになったアイゼンを不用意に置いたとの事だったが浅野さんが滑落した瞬間は心臓が止まりそうになった。

しばらく進み格好のテントサイトの雪面を見送ると眼下にやさしいルンゼとコルが現れ、これが本当のR10とコルEという事がわかる。

コルEから上はヤブの急斜面になっている。

いい加減疲れてきたので先ほどのサイトで幕としたい気もしたが天気はよくまだ2時間程度は明るいので頑張ってコルDまで延ばす事にした。

ヤブ、草付、潅木登りのミックスを我慢しながら進むと10mあまりⅢ級くらいのフェースが現れその手前左側の雪面が整地すれば張れそう。

トポから判断してここがコルDに間違いない。

今日はここまでとした上で浅野さんがフェースにフィックスを張る。

 

5月4日

午前中は曇りで行動できると思っていたが終日雨で停滞。

新品のゴアライトを担いできたおかげで特に濡れる事もなく割と快適に惰眠をむさぼり過ごした。

明日は未明から行動してその日のうちに三ノ窓に移動できれば最終日に午前中チンネを登れるかも、等と取らぬ狸の皮算用をしていた。

なお、山岳しりとりは二人だとつまらなそうなのでやらなかった。

 

5月5日

雨のち晴れ

予報では朝から晴れるということだったので3時起きでスタンバッていたが7時になっても8時になってもジャージャー降っている。

話が違うよと天気予報を聞き直すと微妙に前日から表現を変えている。

午前中一杯降るようだと剣尾根下半部だけで撤退の可能性もあるか、などと悲観的な方向に思いを巡らせていたらテントの外で人の声がする。

ベンチレーターから覗くと3人パーティが我々が2日前にフィックスした壁に取り付こうとしているところだった。

我等も続けと急いで荷物をまとめてテントをたたみ9時30分頃から行動を開始するが、先行する3人パーティはⅢ級程度のフェースに結構時間がかかっておりラストは「ゴボーしまーす」

といっている。

もしかしたら「順番待ち→時間切れ→敗退」

というイヤな予感が脳裏をかすめる。

フェースを抜けるとハイマツ交じりの斜面となりその上の岩稜で先ほどの3人パーティがロープを出していたので「ノーロープで先行させて頂いても良いですか」

とお願いし了解を得て急いで抜ける。

そこからすぐコルCで目の前には垂壁、上部には門の巨大な岩塔が聳えていた。

壁の状況から見てアイゼンは不要と判断し二人とも外す。

コルCのナイフリッジ上の雪を慎重に進み壁に取り付く

1P目(浅野)最初数手フリーのあと人工で右上し右のカンテまで登る。

ここでアブミをたたみカンテ右のフェースをフリーで登りレッジまで。

人工部分はどうということ無いがそのあとのフリーのフェース部分が3泊4日幕営装備入りザックを背負った身には体が後ろに引かれそうで緊張した。

後ろを見ると例の3人パーティのあとにもう一つ別の3人パーティが後続している。

2P目 ロープをたたみハイマツ交じりの岩稜を100Mくらい登ると目の前に門がジャーンと言う感じで現れる。

3P目(浅野)核心のピッチ。

5M位上で2手ほど人工を交えたあとはフリーでバンドを左上し、途中からクラックを直上。

ここでもどうということ無いⅢ級程度のフリーで体が後ろに引かれやけに恐かった。

途中から現れたクラックはバックアンドフットやレイバックなどいろいろ使えてナイスなピッチだった。

クラックの奥にキャメロット1番の新しいのが残置されていた。

山でモノを拾うと必ずそれより高価なモノをなくすというジンクスのある柴田は見向きもしなかったが浅野さんはかなり頑張って頂戴しようとしたようである。

4P目(柴田) ゆるいフェースを登り一旦リッジを下って崩れそうなルンゼを登る。

Ⅲ程度でどうということはないのだがとにかくボロい。

ここで一旦ロープをたたみハイマツ、雪稜、岩稜のミックスを少々歩きドームの頭を通過、R2とアルファルンゼがコルBに突き上げているのが見下ろせる。

コルBは狭くリッジも立っていて幕営には不向き。

R2とアルファルンゼは割と容易に下れそうに見えた。

コルBを越えてやっと上半部の始まりである。

今日中にどこまで行けるのか分からないがまあ進めるだけ進むことにする。

最初のピッチは大まかなフェースを直上し上部のピナクル状まで柴田がリード。

次にリッジの左斜面の雪壁を登り途中からリッジに移りコルまで浅野さんリード。

このあたりでようやく後続パーティがドームの頭に現れる。

ずいぶんと時間がかかっているようだ。

最後の3人パーティはザックの大きさから見てサブ行動のようだったので彼らは今日中にベースまで戻れるのかな、とちょっと心配になる。

3ピッチ目は容易な階段状を登り岩稜に出てロープをたたむ。

時刻も5時近くなり大分日が傾いてきた。

テントを張れるスペースを探しながら岩稜を進むとコルA手前で割と平坦な雪渓が現われ整地すれば張れそうだったので今日はここまでとする。

水作りの後夕食を終えたらいつのまにか9時をまわっていた。

疲れてすぐ眠りに落ちる。

 

5月6日

快晴

休みも今日までで明日からは仕事である。

テントを起き出すと右手にドーム稜から剣尾根の頭が澄んだ空に硬質な姿でたたずんでいた。

テントを撤収して一応アイゼンは着けてコルAに下り、ここから容易な雪壁と岩稜を剣尾根の頭まで登る。

下から鋭鋒に見えた剣尾根の頭も登ってみるとハイマツ混じりの広いピークだった。

すぐ隣の長次郎の頭までも一足投だ。

振り返ると登ってきた剣尾根が自分の足元までつながっていて向こうには毛勝猫又の山並が美しい。

長治郎の頭で無事登攀終了お疲れさんと浅野さんと握手。

いったん長治郎のコルへ下りバケツになったステップを階段のように登り本峰頂上に7時15分に着。

今年は雪が少ないのか頂上の祠もかなり姿を見せている。

八ツ峰を見ると雪稜と言うよりは岩稜に見え、雪の少なさに驚く。

10分程度休んで下降開始。

早月尾根も昨年に比べると雪がとても少なく暑い中途中からシャツ一枚になりスタコラと下る。

伝蔵小屋を少し過ぎた小ピークでの大休止を含め4時間ほどで馬場島に着いた。

途中松尾平を過ぎたあたりでカタクリの群落が現れその横を小さなアゲハチョウが飛んでいるのでもしやと思ったらやはりギフチョウだった。

知らない人のために書くとギフチョウは日本の固有種で春の女神とも呼ばれ天然記念物に指定されている。(ですよね、森広さん。)

登山道沿いに軽やかに舞うギフチョウが4日間お疲れさん、と言ってくれているようで心がなごんだ。

馬場島に着くと緑は濃く既に初夏の陽気。

装備を乾かし、警備隊に下山報告を済ませ、12時過ぎに心の中で剣岳にお礼を言って馬場島を後にした。

<タイム>
5月3日
馬場島(5:30)→池ノ谷出合(6:45)→池ノ谷ゴルジュ終わり(7:45)→コルE(15:40)→コルD(16:30)

5月4日
停滞

5月5日
コルD(9:30)→コルC(11:15)→門取付(12:45)→ドームの頭 (15:30)→コルB(16:00)→コルA手前テン場(18:20)

5月6日
テン場(5:55)→長次郎の頭(6:30)→剣岳頂上(7:15)→馬場島 (11:25)

 

<おまけ…観光編>

上市のアルプスの湯でゆっくりと汗を流すはずだったが折り悪く5月6日に限り休みとの事。

仕方ないので糸魚川方面に国道8号線を走れば風呂なんてすぐ見つかるよ、とお気楽に走り始めたのは良いが一向に現れない。

剣の方を見ると早月尾根、池ノ谷、小窓などが一望のままでそれはそれで素晴らしい景色だったが、温泉が現れない。

たまに高級旅館っぽいのや風呂付きビジネスホテルの看板は現れるが求めているものと異なるので見送る。

既にフロ、メシとプログラムが入力されているのでフロが終わらない事にはメシにもありつけない。

滑川、魚津、黒部、入善と過ぎたところで右側に「ふれあいの湯 →」の看板を発見し大喜びで右折すると「11km先」との表示。

遠いとは思ったがここで見送ると今度現れるか分からないので我慢して車を走らせる。

宇奈月温泉の方に向かっているようだった。

20分くらいでやっと現れた。

建物はちょっと古いがこの際さっぱりできればいい。

料金400円を払い湯殿に入る。

私はいつも最初軽く湯船につかってから体を洗う習慣で、湯船につかりながら鏡の前に座った浅野さんを見ると何故か固まって動かないでいる。

数秒で固まった理由が分かった。

つまりないのである。

シャンプーも石鹸も。

良く見るとおじいさんもおっさんも少年も皆マイシャンプーにマイセッケンを使っている。

洗い場で取り付き敗退を喫した浅野さんが湯船に帰ってくる。

じゃんけんで負けた方が受付にシャンプー石鹸を買いに行く事にしてじゃんけんすると柴田が負けたが浅野さんは「自分が行ってきますよ」と買いに行ってくれた。

すまんのう。

でも10分ほどして帰ってきた浅野さんの手にはシャンプーとリンスしか無かった。

石鹸は売っていないと言われたとの事。

置かないなら売らんかい、と二人して悪態をつくがどうしようもない。

浅野さんは「自分は頭を洗うだけで良いです」

と早々に諦めたが何とかさっぱりしたい柴田は諦めきない。

洗髪を終え隣のおっさんに石鹸を貸して欲しい旨乞うたが「この石鹸、オレのじゃないよ」

と言うつれない返事。

いい加減ツキの無さに嫌気が差してきたが負けるもんか、と離れた所に座っているじいさんの所まで歩いてゆき石鹸を貸して欲しいのですが、とすがると左卜全(知っている人も少ないか)のような笑顔で貸してくれ、何とかツキの無さもろとも洗い流しさっぱりする事が出来た。

糸魚川まで8号線を走ったがフロのあとメシも済ませて柴田は仮眠状態でウトウトしていたら突然車が停止。

外を見ると魚屋の前で浅野さんはダッシュで魚屋に入っていった。

後を追った柴田が事情を聞くと「ますの寿司」を買わなくてはならないという。

こんな魚屋にはないだろなと思いつつ一緒に探すがやっぱりなかった。

「どうしよう、あれを買って帰らないと。。。」と浅野さんは蒼ざめている。

どうやら家族に山行のお土産として約束手形を発行済みのようだった。

きっと高速のサービスエリアにキットあるよ、と根拠レスの慰めをして再出発。

その後柴田は慰めの言葉も忘れてグーグー寝ていたが後から話を聞くと無事高速のサービスエリアで買えたとのことだった。

めでたしめでたし。

北陸道、上信越道、関越とつなぎ9時過ぎに無事帰京。

 

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