ヨセミテ ショートルートいろいろ

2002年8月22日から13日間
倉田、中嶋(記)


ヨセミテのショートルート

8月22日~9月3日の滞在中 1日づつ

*Reed’s Pinnacle
課題の数はそれほど多くないけど、Reed’s Pinnacle Directは素晴らしい。
・Reed’s Pinnacle Direct 5.9
・Lunatic Fringe 10c
・Stone Groove 10b

*El Cap Base
SalatheとEast Buttressの取り付きの偵察をかねて行った。Sacherer Crackerはグレードの割りに難しく感じたなあ。素晴らしいラインだけど。
・Sacherer Cracker 10a
・La Cosita Right 5.9

*The cookie
素晴らしい課題がたくさん。今回は10の三ツ星だけだったけど、もうちょっとうまくなったらまた来よう。でも正直、この辺の美しいクラックは10位までが多い。
・Outer Limits 10a
・Waverly Water 10c
・Wheat Thin 10c
・Catchy 10d

*Arch Rock朝からギンギンに日が当たるのに、この時期の昼に行ったのは厳しいものがあった。これだけは登りたいと思っていたMidtermを登って、そそくさとマーセド川に遊びに行った。
・Midterm 10b
・Short Circuit 11d (Tr)

 

小川山の夏休み

2002年8月29日から4日間
K嬢、Tさん、柴田(記)


今年の夏も相変わらず暑い。

子供の頃は夏が一番好きだったが、おっさんになった今は一番苦手な季節になってしまった。

だいたい自分が子供の頃はこんなに暑くはなかった。

現在の仕事は例年一番暑い頃に仕事量が極大化する。

終電間際の電車に揺られて帰宅(日付は翌日に変っている)、食事とシャワーを済ませて寝るのが午前1時30分過ぎという生活を7月下旬から8月20日頃まで続けてようやく繁忙期が終了し、ささやかな3日の夏休みを手にした。

元々アルパインに行きたかったのだが諸々の事情で難しそうで、秀峰会員はヨセミテに行ったり夏休みを既に取ってしまった人ばかり。

結局以前所属した会の友人K嬢とそのお友達のTさんに付き合ってもらい週末も加えて4日間を小川山で過ごす事となった。

Tさんとは今回が初めてだが、何と野辺山に山荘をお持ちで、我々は毎日朝ここから廻り目平に通い夕刻にナナーズ経由で野辺山に帰ってくるという生活パターンだった。

TさんはK嬢の師匠のような方でK嬢もTさんの指導を受けてわずか半年で5.8からイレブンクライマーに成長したとのことである。

8月29日

(Tさん、柴田の二人)

手始めに西股沢対岸の母岩・兄岩などを目指す。

【母岩】

タジスラ(5.9)FL
十分ストレッチして取り付いたはずなのに高いところのホールドに手を伸ばしたらちょっと胸が痛かった。最初ということも有り少々動きが硬い。

サドン・ストーリー(5.10a)FL
ホールドはガバが多くやさしい。

レッドストーム(5.10b)OS
傾斜の緩い左側から登り中央のクラックを使って抜ける短いルート。

パンピー(5.10c)OS
登る前に観察した際には中間部の凹角が細かそうに見えたが登ってみればどうということもなく、最後のハング越えもガバフレークを使い問題なく越えられた。5.10cのOSは初めてで気分良い。

【ままこ岩】

ルート名不詳(5.10bくらい?)
傾斜が寝た側のカチフェース。
右に寄るほど難しい。
最初は左側をリードしたが、2回目は細かい右側のフェースをTRでトレーニング登る。
終了点のロープが古くて少々不安。

【おばさん岩】

レール・デュタン(5.11a) 3便目でRP
以前登れなかった母子草5.10cを登るつもりだったが、せっかくだからイレブンを触ったら、とのTさんの声によりレール・デュタンに取り付く。イレブンとしてはお買い得なルートとのことでK嬢もここをRPしている。
最初はTさんが模範クライミングでヌンチャクを掛けてくれる。最初の細かい部分をこなしたあと上のガバをとり立ち込むまでが核心。スタンスは見かけ以上に滑るのでガバをとっても安心は出来ず、1、2便目はガバに手がかかりながらフォールしてしまう。
やはり初日からイレブンに取り付くのは早かったかと思いつつしばしレスト。
「これで最後にします」と3便目を出したが今度はうまく上のガバが掴め腕力で小ハングを越えた。十分休み上部のフェースを登るが所々で落ちそうになる。
せっかく核心を越えたのでここで落ちては勿体無いと気力で終了点に辿り着く。

【兄岩】

タジヤンⅣ(5.10a)FL
スラブ。
右からのルートとの合流の手前あたりが核心?

ピクニクラ(5.10b) X(A0 x 1回)
長くて良いルートだったがさすがに疲れてた。
最後の立ったフェースを越える所で力が尽きかけ「もういいや」とヌンチャクを掴んでしまう。
また今度登ろう。

8月30日

(Tさん、K嬢、Sさん、柴田)

Tさんの知り合いのSさんと前夜到着したK嬢を交え4人で登る。

【リバーサイド】

ブラックシープ(5.9+)OS
やや長めでいろんなムーブを要求される良いルート。
取付きが核心だったような気がする。
Sさんの無駄の無いムーブが印象的。

アウトオブバランス(5.9)FL
クラックを使い登る。

【マラ岩あたり】

レギュラー 5.10b/c(Xその後TR)

オンサイト狙いで取付くがホールドに迷っているうちにあえなくパンプ。TRでTさんの指示のままにホールドを選んだらノーテンで簡単に登れた。
うーん。こういうもんか。

卒業試験(5.10a) RP
4つめのボルトのあたりで登り方がわからず一度テンション。
2回目でRP。
ヤレヤレ。

このあとはSさんと別れてスラブ状岩壁の水曜日のシンデレラに向かう。

取付きで午後5時位だったのでK嬢と自分とで30分ずつくらいのトライかなと思っていたが、結局K嬢が1時間奮闘しているうちに暗くなったので帰る。

この日はナナーズで大量に食材を買い込みオデン大会。

夜K嬢と同じ会のHさん合流。

8月31日

(Tさん、K嬢、Hさん、柴田)

【ガマスラブ】

高い窓(5.10b)OS
バンド上のハングはちょっと左に廻り込みすぎた。途中でヌンチャクが足りなくなり、間引いたり最後は安環付カラビナを使ったりしてギリギリで終了点に到達。

穴があったら出たい(5.10a/b)OS
下部のスラブでラインを一度ミスる。
その後は特に問題なし。

水曜日のシンデレラ(5.11a) X2

(1便目)
ガマスラブで2本登りアップも充分。
先に登りRPしたK嬢のムーブも参考にしながらFL狙いで取付く。
下部にキャメロット#1を一つ使用。
微妙なトラバースとその上の遠いフレークを取る所まではクリアしたがその上のアンダーを取る手前のフェースがこなせない。せっかく無傷で来たのだからと登れないたびにクライムダウンして別のムーブを試みるがどれも上手く行かない。
何度か繰り返しているうちに結局力尽きテンション。

(2便目)
1便目でかなり消耗した上にムーブも解決できていなかったので自信はなかったがトライを継続。今回は遠いフレークを取る所であっさりと落ちてしまい緊張感が散逸して行く。
1便目で散々苦しんだ所のムーブはやってみれば簡単だった。
そのまま上に抜け上部の核心も確認して終了点に達する。
ムーブも繋がりこれなら明日は登れると明るい気分でロワーダウン。

【リバーバンクス】

チコリータ(5.10d)FL
カンテを絡んで登るルート。
体感グレードは5.10b/c位でお買い得。
これならOSトライをするんだった。

9月1日

(Tさん、K嬢、柴田)

今日が小川山合宿の最終日。Tさん、K嬢には申し訳無いが水曜日のシンデレラに今日も付合ってもらう。昨日の2回目で核心のムーブは大体つながっていたので「きっと今日最初のトライでRP出来る」そんな気持ちで取付きまでビーサンで林の中をスタスタと歩く。

Tさんが最初に登りヌンチャクを掛けてくれる。
全くいつも有り難くも申し訳無い。
ストレッチを済ませて心のリズムを合わせてビレイヤーのK嬢に「お願いします」と一声かけて静かに登り始める。

簡単な下部を越えてトラバースまでは問題なし。最初の核心は遠いフレークを取る所で1便目は左手で取れたが2便目では右手で取ろうとして失敗しフォール。でもここはやはり右手で取るのが正解ムーブのようだ。

右足を遠いクラックに決めて左足をボルト下の岩のふくらみに置いて、左手でガバを掴みつつ右手でフレークを取りに行こうとして…、気がついたら落ちていた。
とりあえず降ろしてもらい休む。

フレークに手を掛けてから落ちたようで両手とも擦り傷で少々血がにじんでいる。
Tさんは「ゆっくり休んだらいいよ」と言ってくれるが腕は結構パンプしている。
登れるかなと思っていたのに落ちてしまったことで、まわりもかける言葉が見つからないようで白い雰囲気。

いつまでもこうしていても始まらない。

今日で小川山の夏休みはひとまず終わりだが仮に今日登れなくても次にまた来て登れば良いのだと考えたら少し気が楽になった。

20分くらい休んでから「これで最後にします」と言い残してラストトライ。

下部のボルト2本目の上は落ちるとは思わないがイメージが悪いと少々苦労してしまう所。
(アルパインだとVくらいか。)
トラバースも無事越えてさっき落ちた所まで。
大分くたびれた腕をシェイクし慎重に足を決めて右手でフレークをそっと取りに行く。
取れた。
すかさず左手も添えて体を引き上げる。
下から二人の声援が聞こえる。
少々レストの後2つめの核心へ。
ここは1便目で登り方がどうしても分からずさんざん粘って結局落ちた所。
でも2便目の経験でムーブは大体分かっており問題なく越える。
すぐにアンダーを取りクリップの後最後の核心へ。
二人の声援が遠い所から聞こえる。
フレークの下のガバを右手で掴み左手は奥のフレークをアンダーで取り、左足を高く上げて後はパワーで核心を越えた。
上部で十分レストしその後のトラバースを慎重にこなす。
ここまで来て落ちる訳には行かない。
易しいフェースをブッシュを使わず忠実に登りとうとう終了点に着いた。

ヤレヤレ4便目でやっとRP。

セルフを取りながらも安心感と嬉しさが交錯。

ギア回収の為にフォローしたK嬢とラペルで下ると別パーティがやってきており足掛け4便出したシンデレラに心の中でお礼を言ってガマスラブを後にした。

気がつくと手指はボロボロのピンク色で岩に触るだけでも痛い状態。

母岩に戻り5.9を1本登った所でもう営業終了状態だったので少々早かったが店仕舞いとした。

4日間毎日快晴で幸せな日々だった。
本数は余り稼げなかったがイレブンも2本登れて満足。

本チャンには行けなかったがたまにはこうした夏休も良いもんだ、と4日間通った川上村の県道から遠ざかる八ヶ岳の裾野を眺めていた。

 

錫杖岳 左方カンテ・1ルンゼ

2002年8月22日から2日間
石田、大滝(記)


アプローチ短く、岩小屋は沢で水が取れて快適。

岩は明るくしっかりしている。

焚き火が出来て無料温泉もある。

3回目だがもっと行きたい。

8月22日

槍見温泉対岸の無料駐車場は舗装されていて快適。

ヘリポートが併設されて居る。

7:45発 9:40岩小屋10:15左方カンテ取り付き。

石田君は、登る力はあるがルートファインディングの力は分からないので大滝が全てリード。1、2P目、おおまかな岩をぐいぐいと登って行く。

3P目は初めての時はアブミに乗ったが、今回はアブミを出しはしたが、A0風にしてホールドの形状を確かめながら登った。

被り気味だがホールドは大きい。

石田君はフリーで登ってきた。

流石に上手だ。

5P目のチムニーでは、ザックを股の下にぶら下げて登ると背中が空いて楽になる事を教えた。

その上のフェースは綺麗な素晴らしい壁。

バランスクライムの格好の練習場だ。

7P目の出だしのオフウィズスはやはり嫌らしいが短いので何とかなる。

その上のフェースは前回恐かったが、今回は全然恐くなかった。

ルートを覚えたせいだろうか。

高度感も出て気持ちいい。

13:30終了 同ルート下降。

15:00取付きに戻る。

このルートはロープの回収時に気をつけなければいけない。

7P目の回収時にゆっくりと引いたにもかかわらず引っ掛かった。

石田君が少し登り返して回収した。

3P目の懸垂では、降り立った反対側にピナクルがあるので勢い余ったロープがピナクル側まで行ってしまい易い。

実際、回収不能になったロープが5m位の長さで残されていた。

我々はすごくゆっくりと引いたのでクリアー出来た。

そのロープを回収して岩小屋に渡して、ツェルトをぴんと張った。

8月23日

6:40 1ルンゼ取り付き。

ここは出だしから立っているので恐い。

シュリンゲがあちこちぶら下がっているのでつい握ってしまう。

本番だからいいやと自分をごまかす。

3P分緊張すると、大テラスに着く。

5P目はルートが分かり難い。

中央より登り始めて右上し、その後、左上して行く。

ランニングを長くした方が良い。

6P目は素直にアブミを出す。

ハーケンの効きを確かめながら静かに加重してゆく。

リードで落ちたら抜けると思われるハーケンが何箇所かある。

前回、上部でカンテ左のフェースに行ったが、ルンゼを直上出来ないものかと少し登って見たが、びしょびしょ濡れ濡れで、残置ハーケンは在るがとても登れたものではない。

正規ルートに戻り、快適なフェースを進む。

このピッチは好きだ。

最終ピッチは開脚で登る広いチムニー。

その後、右に岩は堅いが恐いトラバースをすると広い横断バンドに出て終わり。

11:30同ルート下降で12:40取り付きに戻る。

今回、石田くんのロープが8.3ミリだった。

懸垂下降時、空中になるとすべりが良すぎて辛かった。

細いロープの時はグローブをはめた方が良いかも知れない。

 

北岳バットレス 下部フランケ~Dガリー奥壁

2002年8月17日
浅野、柴田(記)


困った時のバットレスと言う訳ではないが谷川が雨で登れそうも無い時にはよくバットレスに転進を考える。

無雪期に日帰りのアルパインが楽しめる壁としては谷川と共に貴重な存在であるがバットレスは余りルート数が多くないのでバットレスカードは大切に使わなくては、と思っている。

計画3度目の二ノ沢右壁も結局天候不順で取り止めとなった。

「ここ3日間午後は必ずしとしと降っているよ」

との指導センターの情報でやむを得ない。

現代のサラリーマンクライマーはこういうところであっさりしていると言うか物分かりが良いので事故も少なくなっているのだろう。

大切な家族もいる身としては全くその方向に異論はない。

山は少しずつ遠ざかるが無理する事はなく、55才まではアルパインクライマーでいられると思っている。

という事で夕方にバットレスに転進を決めたのは良いが既に谷川の予定で自宅を出てしまった自分はトポしか持ってきてないのでエアリアか地形図を持ってくるようにこれから一度帰宅してから来ると言う浅野さんにお願いした。

お互い仕事が遅くて結局午前1時30分に八王子集合となる。

交替で運転し、夜明け前の4時に広河原に着いたのは良いが二人とも睡眠不足でフラフラな上、雨もジャンジャカ降っている。

やむを得ず1時間だけ眠ろうと言う事にして爆睡に落ちる。

7時頃一度ウトウトしたがまだ雨が降っているようだったので眠り続け結局8時少し前にようやく起きる。

雨は止んでいるが言い逃れの仕様が無いお寝坊である。

「やっちゃった」と諦めのよい私は早くもインドアへの転進が頭をよぎるが浅野さんは大して動じる事もなく「じゃ、行きますか」という反応。

今からだと壁に取り付くのが昼近くなるがまあ仕方ない、下部フランケ~上部フランケ~Dガリー奥壁の計画だったが上部フランケをスキップすれば何とか日のあるうちに頂上に抜けられるだろう、と概要を判断して(結局その通りになった)8時30分頃に出発。

バットレスのアプローチは行きは大して長いと思わないが帰りがいつも長く疲れる。

やはり日本第二の高峰、ナメてはいけない。

チンタラ歩き二俣に着くと自動発電トイレはいつもながらのポンポン蒸気船のような軽快な音を立てていた。

ひょっとして昨年来ずっとポンポンいっているのかな、と思ってしまう。

下部岩壁帯に11時過ぎに着き、身繕いの後登攀開始。

時間が無いのでいちばん簡単な5尾根支稜を選ぶ。

<5尾根支稜>

1P目(柴田) Ⅲ級の傾斜の寝た容易なリッジ。

2P目(浅野) 小フェースを越えてハイマツ混じりのリッジを進む。

3P目(柴田)ちょっと歩きその真中のルートからのフェースっぽいところを登ると下部フランケが目の前に展開する。

<下部フランケ>

1P目(浅野)大きな畳のようなツルンとしたフェースに走るクラックを使い登る。

畳に立ち込む所とバンドに上がる所が難しい。

浅野さんはバンドに上がるところであっさりとA0を使って越え、ビレイ中の柴田は「これぞアルパインクライマーの鏡」と感心する。

フォローした柴田が涼しい顔をしてA0で抜けたのは言うまでもない。

2P目(柴田)頭上のクラックからフェース。

フレンズ残置有り。

3P目(浅野)ピンがベタ打ちのチムニーからフェース。

4P目(柴田)同じようにチムニーからクラックを登り左のフェースに抜ける。

上部フランケの取り付きらしきものが右側に見えるところでピッチを切る。

5P目(浅野)ハングの下をトラバースして左下に続くバンドを渡り終了。

ロープをたたみ左側の草付からdガリーを登り奥壁の取付のハング下に出る。

<Dガリー奥壁>

1P目(柴田)最初のハングはちょっとロワーダウンしてもらい何とか越える。

2つ目はガバなのだけど右足が決まらず情けなくもテンションをかけてしまい最後は意地で越える。

上部のクラックではセットしたカムにA0してしまうというイメージとは程遠いクライミングのピッチ。

ハングを抜けたあとのフェースを10m位登ったところでロープが一杯になりピナクルに掛けた長シュリンゲとカム2本でビレーポイントを作る。

2P目(浅野)ビレーポイントから上のフェースを一直線に延びるクラックを登り、4尾根寄りのフェースを登る。

少々右に寄り過ぎたみたいで正規ルートと離れてしまう。

3P目(柴田)ほぼ4尾根ルートに沿って登り枯れ木テラスから左に回りこむ。

最終ピッチは右の易しいチムニーと左の城砦ハングの前傾フェースと聞いていたがその間にⅣ級程度のやや凹角っぽいフェースルートがあったのでその手前で切る。

4P目(浅野)最終ピッチ。

凹角を登る。

両者ともⅢというほど簡単ではなく感じたがその理由が単に下手クソなのか疲れていた為なのか今となっては分からない。

ロープをたたみ靴を履き替えて夕闇迫る北岳頂上までチンタラ歩くが頂上付近でサルの軍団に遭遇。

ボスザルの雄叫びはなかなかの迫力だった。

北岳頂上からは草すべり経由で下る事にしたが肩の小屋あたりで暗くなる。

谷川から転進した事もあり二人ともトポのコピーは持ていても地図は持っていない。

(浅野さん、持ってくるよう頼んだのに。。。)

一般登山道だが草すべりへの分岐を見落とし小太郎山に進みはしないかと少々心配しながら歩きつづけるとようやく白根小屋から広河原の指導標が現れ、これで帰れるとほっとする。

白根御池小屋で少憩の後「相変わらずワンデイバットレスは疲れるのう」

とボヤキながら歩き続け広河原に着くと時刻は丁度午後10時だった。

交替でフラフラになりながら横浜まで車を走らせた。

 

<タイム>
広河原 8:30 → 下部岩壁取付11:05 → 下部フランケ取付 12:30 → Dガリー奥壁取付 15:30 → 北岳頂上 18:00頃 → 広河原 22:00

 

農鳥岳 大井川東俣 滝ノ沢

2002年8月14日から3日間
深沢、大滝(記)


積年の目標である正月のアイスクライミングに向けて地形を知るために夏の滝ノ沢を目指した。

8月14日 晴れ

奈良田の発電所7:35出発 10:50大門沢小屋 14:35稜線 15:05上河内岳。

現在は誰も歩いていないだろうが、大門沢下降点より上河内岳、さらにその先までしっかりした道が続いている。歩かないのは勿体無いくらいだ。

塩見岳が格好いい。

ここからいよいよ池ノ沢池を目指して降る。

歩き難いガラ場を下り、時々道を確認しながら進む。

意外と踏み跡がある。

時々、新しそうな黄色いテープもある。

16:30 ひょっこりと池に出た。40x50m位か。

水深は浅く、枯れた木が何本も水底に横たわっている。

左から小沢が入っているので水は綺麗だ。

池畔の草地にツェルトとタープを張り、焚き火をした。

深山の山上池は静かだ。

8月15日 晴れ

6:00出発 シュラフカバーだけで寝たらとても寒かった。

踏み跡があったり、なかったりする道だが7:35池ノ沢小屋にたどり着く。

小屋は現在使用されていないようで、陰鬱としていた。

この頃より曇りだす。

大井川東俣と出合い、その広い河原を歩く。

釣り人4人に遭う。

太いワイヤーの残置が多い。東海パルプの木材切り出しの名残かも知れない。

9:45白峰沢出合通過。10:10滝ノ沢出合。

出合から15分ほど行くと、2段50mが見えた。

下段は緩い。上段は冬になったら、立っているのは15から20m位か。

丁度ここで、雨になってきた。

出合に戻って停滞するか、雨の中登るか、迷った。

様子を見ていると、弱く降ったり、止んだりしているし、対岸の山も見えているので大降りにはならないだろうと判断し、登ることにした。

深沢君が居るのでロープを出して左から巻いた。

短く切って、3Pで巻き終わるとすぐ60m滝だ。

落差は大きいが、右から巻きながら見ると、4段で構成されていてそんなに大変でないかも知れない。

この後は容易なスラブ滝と6、5、4、6mと小滝が続き、40mの滝を迎える。

水流の右を登っていくが、少し被った形状になる。

ハーケンが1本あって、古いシュリンゲが付いている。これを登るのは恐い。

右から巻こうと行って見るが、そこも岩の乗り越しが難しいし、確保も出来ない、また滝に戻って残置シュリンゲを捨て、ランニングを採り覚悟を決める。

左足を遠いスタンスに伸ばし手はぬめったホールドをまさぐる。

重荷に耐え、えいやっと越す。

ハーケンがもう1本あったのですぐランニングを採る。

次は空中にせり出した右へのトラバース。

お腹の前のロープの結び目が岩に当たって動き難い。

岩登りの要諦は、落ち着く事だと自分に言い聞かせながら登っていく。

氷登りとしては難しく無い滝に見える。

登り終わって、右下を見たら急な草付きで、とても来られそうにない。

強引に右から行かなくて良かった。

ルートファインディングは、やはり難しい。

居る所は、後半のゴルジュ帯を見下ろすかなり上の方、ここから上部が遠望出来る。

30、20、6、6、50mとあるが、傾斜は緩く見える。

最後の滝、2段60mは物凄く大きい。

近くで見る事が出来ないので良く分からないが、一番大変かも知れない。

ゴルジュの両岸は立っているので、小さく高巻くことは出来ない。右から延々と大高巻きとなる。

右岸は岩峰になって居て巻けない。

所々、踏み跡があり、シュリンゲが1本落ちていた。たまには人が来て居るらしい。

3:00ナメ通過。

唯一、美しい場所だ。

ここから泊まる所を探しながら進むがいい所がない。

二俣を過ぎると水流が消えるらしい。

その上はハイマツ帯なので泊まれない。

先程、右岸に傾斜の緩い草地があったので、そこまで戻り、整地して、ツェルトを張る。

岸より高くなっているので、増水の心配はない。

雨模様なので焚き火は無し。

夜中、とても寒かったので外を見たら、満天の星だった。

深沢君も寒そうなので、コーヒーを沸かして身体を温めた。

8月16日 快晴

6:00出発 ハイマツ帯で20分ほど奮闘し、後は高山植物を愛でながら、高度を稼ぐ。

森林限界なので、藪漕ぎはない。

降り向けば塩見岳の勇姿。何時か行こう。

稜線を歩く人が見えてきた。

農鳥岳も西農鳥岳も行った事がなかったので、左寄りに登って行ったら西農鳥岳の頂にぽんと出た。

7:35到着 8:20出発 9:40大門沢下降点 12:00大門沢小屋

途中、前会長の浅田家族に会う。

時間が早かったので帰ることにする。

深沢君の祖父母の家が奈良田の旅館だったので、お風呂に入れて貰い、気持ちよく帰った。

アイスクライミングの作戦

初日は池ノ沢まで行く。

池まで行かなくてもいい、手前の平らなところで泊まる。

2日目は滝ノ沢F1下に荷物を置き、2段50m、60mを空身で登る。

もしも、F1上及びF2上が安全そうならば、降りて滝を巻いて荷物を上げ、幕営。

危険そうなら、滝ノ沢出合で幕営。

ここが上手く行けば、翌日が楽になる。

3日目は、恐らく小さな滝はロープレスで行けると思う。

問題は、最後の2段60mだ。

頑張るしかない。

ここで荷揚げをするだろう。

この日は何処で泊まる事になるか、時間との兼ね合いだろう。

予想では、夏と同じ二俣手前かも知れない。

上がりすぎると風が強いだろう。

上がるなら、大門沢側まで行かねばならない。

 

冬の瀧 朝日夕日も なき巌  野沢節子

冬瀧の 真上日のあと 月通る  桂信子

 

大井川 信濃俣河内本谷

2002年8月11日から3日間
池﨑、瀧島(記)


初めに少しだけ薀蓄(ウンチク)を。

年々、山道具は改良されて使い易くなるが反面、要らないと思われる道具も少なくない。

良い道具に頼れば快適に、簡単に登れるし最高グレードも上がるだろう。

特にアイスクライミングでは道具のウエートが大きい事は誰もが認めるところだろう。

自分の技術が無い分を道具でカバーする。

こういう考え方はきわめてノーマルだし自分もそういう考え方を今も持っている。

でも道具偏重主義が登山のすべてのジャンルに入り込む必要はないのでは?特にのんびりした計画を立てたときの沢登りには。

こういう沢ではクラシックスタイルがよく似合う。

沢に限らず山は本来できるだけ体一つで登るべきなのだ。

自分の皮膚感覚を大切にするには裸が一番。

体一つで山の空気に触れるのが山と一体になる早道だろう。

厳しい冬山に裸で登るわけにはいかないので必然的に重装備になってしまう。

でも夏の沢ならば軽装で皮膚感覚を総動員して山と取り組むことが可能だ。

当然立派なテントなんか必要ない。

だいたいテントは稜線などの風が強い場所でも快適なように作られているのだろう。

沢では雨露をしのぐ布があればじゅうぶんだ。

食料は現地調達、調理は焚き火、道具は最小限、こんなスタイルが理想だし山を一番遊びつくせるのではないか?
こんな考えの下、信濃俣河内に向かった。

のんびりとシンプルに山に溶け込んで、沢に抱かれるために信濃俣河内を遡ったのだ。

 

8月11日 晴れ

途中で仮眠したので、畑薙ダムの1キロほど下の駐車場を出発したのは10時になっていた。

今回は急ぐ旅ではないからのんびり行こう。

目指す信濃俣河内は畑薙湖に右岸から直接注ぐ一大支流だ。

ダムから40分くらい林道を進む幅50mくらい完全に崩れていた。

ロープを出して崩壊を横切ろうとしたが、1箇所踏ん切りがつかない。

しょうがないので大きく高巻いた。

そんなこんなで川原に下りたのは13時50分になっていた。

川原は広く大河の雰囲気だ。

先の行程の長さを思わずにはいられない。

初日はアシ沢手前の大屈曲の入り口付近の左岸に快適にタープを張った。

時間は早いがこういうのんびりした時間を過ごすために来たのだ。

乾いた薪はよく燃える。

8月12日 晴れ

二日目もしばらく川原歩き。

西河内の先で短い瀬戸があり腰まで浸かるが、すぐに単純な川原歩きに戻る。

中俣沢出合いまで大きく蛇行しながらやさしく流れている。

中俣沢を過ぎてから沢登りが実質的に始まった。

釣れそうな大きな釜をいくつも超えながら初めのゴルジュを進む。

オリタチ沢を過ぎてしばらくすると第2のゴルジュ。

100mほどだがまさに井戸の底でなかなかの迫力だ。

さらにきれいな滝をいくつか越えて左岸に適地を見つけタープを張った。

少し先の釜で岩魚を3尾釣り上げた。

池ちゃんは今回が初めての釣りだ。

上州屋で一番安い竿を買ってきたが見事に釣り上げた。

くつろいでいると単独行者登ってきて、一緒に焚き火を囲んだ。

聞くと名古屋渓稜会の石原さんとのこと。

足が完全でないのに来ちゃったと笑っていた。

朝一で3つ連続する釜を左岸から高巻き、10mほどの懸垂で沢に戻る。

西沢を分けるあたりは沢が開けてビバーク適地だ。

大岩を過ぎてもう一度ゴルジュを抜ける。

しばらく進むと右岸が大きく崩壊している。

大崩壊の中に4段50mのねじれた滝を掛けているが慎重に登ればロープは必要ない。

最後の小ゴルジュを抜けるといよいよ源流の趣だった。

ヤブこぎはほとんどなく、喜望峰から南に続く稜線に突き上げた。

主稜線から外れた仁田岳を往復した。

こういう静かなピークに惹かれてしまう。

茶臼岳から横窪沢まで下る。

石原さんは痛い足を引きずりながらウソッコ沢まで下っていった。

8月13日 晴れ

畑薙ダムへ下山。

ほとんどの滝が直登できて、きれいな沢だった。

初めはまさに大河の趣で、源流まで詰めれば自然と達成感は生じる。

のんびりした沢旅ができたことで満足している。

 

錫杖岳 前衛フェース北沢側フランケ しあわせ未満

2002年6月1日から2日間
倉田、中嶋(記)


府中本町に夜8時に集合して、なんと錫杖には12時前に到着した。

駐車場のエスティマの中でシュラフに入る。

5:30起きで6時半頃出発。

他にも3~4パーティはいて、結構この時期は込み合うようだ。

重荷で疲れるが、天気も良いし気持ちがいい。

「しあわせ」のある北沢フランケには雪渓がたっぷりあって、取り付きまでで手間がかかってしまう。

倉田さんにロープを着けて先行してもらい、雪渓から壁に取り付いて一段上がったところに残置ピンがありそこでビレー。

1ピッチ目 中嶋 ビレー点からはどう見ても50mで足りそうなので、トポの2ピッチ分をまとめてリード。

もともとエイドのピッチだったのがすぐにフリー化されていて5.10c。

クラックの中がややイレギュラーでカムが少し決めづらかったが、なんとかオンサイト。

クラックからちょっと離れてフェースを利用したりするところがやや恐い。

2ピッチ目 倉田さんがこのピッチをやりたいというのがルートを選んだ理由。

大きくハングしたなかのリス~クラックを拾っていくAA2+、やはり迫力がある。

なんとこのピッチのリードにゆうに3時間かかっていた。

マイクロナッツを決めづらそうにしていたが、結局ネイリングで越えなければならないところが多かったようだ。

フックにのっていたりもして、実に恐い。

果敢に挑む倉田さんはすごいと思った。

でも物落とさないように注意ですね。

3ピッチ目 中嶋 これもトポでは2ピッチ分に分かれているが、どう考えても続けてしまって問題ない。傾斜も微妙で、岩が安定していなかったから恐かったけど、かなりの程度までフリーでいけると思う。

ほとんどカムで、2回ほど大き目のナッツ。

架け替えや間引きも多用してなんとかギアを足らせた。

ブッシュに突っ込んで終了。

岩がいずれ安定して、さらにクラックの泥を掃除すればフリー化は問題なさそう。

2ピッチ目のラインを変えてオールフリーになればかっこいいいな。

4ピッチ目 倉田 ほとんど草つき。

左方カンテの最終ピッチのビレー点で終了。

左方カンテを5回の懸垂下降で取り付きまで。

クリヤ谷に張ったテントでビールを飲みながらおいしい夕食。

テン場はクリヤ谷がベストかも。

それより上はアプローチが悪い。

夜9時過ぎに寝る頃までは星が見えていたが、何時かわからないけどすごい雷雨になって、結局翌日は岩が乾かないだろうということでそのまま下山。

快晴のなか露天風呂に入り、道の駅で飛騨牛の串焼き食べて帰京した。

帰りも5時間かからず、意外と近い山だなあというのが感想。

 

土樽駅前白板スラブ(大滑沢白板スラブ)

2002年5月26日
木下(日本山岳会青年部)、一ノ瀬、瀧島(記)


このスラブは土樽の毛渡沢橋付近から良く見える。

これがまた、けっこうでかいんだ。

なぜか惹かれる存在なので駄目元で行ってみることにした。

大滑沢出合に車を置いてタカマタギの懐にあるこのスラブに向かった。

駅前と言ってもアプローチには1時間位かかった。

大滑沢をつめるといきなり右岸に傾斜の緩いスラブが広がる。

雪渓の上を歩いてからスラブに移りフラットソールに履き替えた。

真ん中の藪尾根で右側と左側に別れている。

まずは右のスラブ。

緩傾斜なのでロープはどんどん延びる。

ロープがいっぱいになるとビレーャーも動いたので4ピッチで右スラブを終了とした。

振り返れば足拍子と荒沢山がゴーキョ手前あたりからのカンテガとタムセルクのように見えた。

ちょっと褒めすぎかな。

かたやクーンブに君臨する世界的な名山、かたや越後のチンケな迷山?そんなことはない。

俺にとってはやっぱり足拍子と荒沢山がいとおしい。

カンテガやタムセルクはでかすぎて、とんがりすぎて、難しすぎる。

中央の藪尾根を懸垂4回でスラブの中央付近まで戻った。

次は左スラブに向かう。

2ピッチ左にバンドを辿ってのトラバースをしてから4ピッチ直上した。

左スラブは傾斜が少し増して5級クラスのピッチも出てきたが、フリクションも効くので問題ない。

セカンドはわざと難しいラインにトライしたりした。

最後に泥壁を左上して尾根に出て終了。

尾根を少し下ってから白板スラブの裏側のスラブに下る。

スラブをクライムダウンして(途中懸垂1回)あとは沢を下って車に戻った。

沢からのアプローチ、思ったとおりのスラブ、藪漕ぎ、ルートファインディングと、いかにも上越という山を堪能できた。

車に戻って毛渡沢橋付近から登って下りたスラブを満ち足りた気持ちで眺めた。

駅からアプローチ1時間で平和なスラブ登り、たまにはこんな山登りも楽しいよ。

 

剱岳 八ツ峰主稜上半

2002年5月7日から4日間
石田、森廣、大滝(記)


扇沢~黒部ダム~内蔵助平~ハシゴ谷乗越~真砂沢~長次郎谷Ⅴ・Ⅵのコル~八ツ峰の頭~剣岳~前剣岳~武蔵谷~真砂沢~ハシゴ谷乗越~黒部ダム~扇沢

7日、未明より扇沢は小雨に煙っていた。

桜がまだ咲いていて小さく喜んだ。

7:30のトロリーバスで黒部ダムに行き、雨具を着て8:00出発。

外に出て観ると、今年は本当に雪が少ない。

五月下旬のようだ。

別山南尾根は全然雪が無い。

黒部川沿いの道も夏道を行ったり、雪の上を進んだり、大岩の間を縫ったりと目まぐるしい。

平年なら河原をとことこ歩けるのに苦労する。

丸山東壁を石田君に説明しながら登っていくと、岩壁を過ぎた辺りに大きく前傾している岩があったので、雨宿りをした。

夏には見たことの無い場所だ。

この先、雨の中、真砂沢まで頑張るのも辛いし、翌日に真砂沢に入っても日程としては、大丈夫なので、早いけれどこの快適な場所で泊まる事にした。

雪を整地したら立派なテント場になった。

すぐ下に水流もあったし、ハングからの雫でもあっと言う間に水が汲めた。

11:30たっぷりと昼寝をした。

 

8日、9:00起床。

朝まで降っていたのでゆっくりと起きた。

11:00出発。

いい天気になった。

森広さんが「雨の後だから今日は八ツ峰の上に上がるのは止めましょう」と言う。

雪崩を考慮した堅実な考えに感嘆する。

少ない雪で出た藪に苦労しつつ内蔵助平に着く。

雪のあるここは初めてだ。

やはり、スキーにうってつけの地形だ。いつかスキーで来たい。

ハシゴ谷乗越からは、尾根ではなく谷を下る。

Ⅰ峰3稜が目標だったが、見事に雪が少ない。

やはり、そこは登れない。

谷は剣沢まで雪が繋がっていて快適。

剣沢の流れは真砂沢近くまで出ていた。

13:50真砂沢。

他にはスノーボードの人が一人居た。

風を避けるため斜面を切り崩して幕営した。

 

9日、3:00起床。

満天の星が素晴らしい一日を約束してくれる。

4:30出発。5℃。

初めからアイゼンを着けて歩く。

事前に聞いていた長次郎の雪崩跡は、その舌端は別山沢出合まで達していた。

沢幅一杯に想像を絶する土砂と岩と雪のデブリ。

後で上部から見て分かったが、これは雪の崩壊ではなくⅠ・Ⅱ峰間ルンゼより一本下側ルンゼ上部の土の斜面が4日の大雨で緩んで崩れ落ち、雪を巻き込んで流れて行ったものだった。

歩き難いデブリを登り、Ⅰ・Ⅱ峰間ルンゼ下に着く。

上部に1ヶ所雪が切れている所があるため、協議の結果Ⅴ・Ⅵのコルから登ることにした。

6:55、Ⅴ・Ⅵのコル。

二人組の先行パーティーが居たが、ここで追い着く。

Ⅵ峰は夏の懸垂支点まで雪が無い。

石田君に「ロープ要る?」と聞くと、即座に首を横に振った。

大滝、石田、森広、の順で、ロープ無しで登り始める。先行はガイドさんらしい。

彼のトレースを有り難く追う。

白馬岳、鹿島槍ケ岳、爺ケ岳、針ノ木岳、蓮華岳、槍ケ岳、見える筈の山は全て見える。

雪は、ぐしゃぐしゃ。

切れ目も良く出てくる。

懸垂下降3回、どれもロープ1本。

一ヶ所、懸垂しようとしてロープをエイト環にセットして、一段降り、最終チェックをしたらロープが一本しかエイト環に入っていなかった。

自分がこんな事になるとは何と言う事。皆さん、チェックは入念に。

快適に登り、9:55八ツ峰の頭。

所要3時間の八ツ峰主稜上半。

登る為にロープは結ばなかった。

頭からは北方稜線の山々。どっしりとして重々しい。

いつか行ってみたい。

小窓尾根は雪がほとんど無い。

先行のガイドさんの言うには、R4には氷瀑は無いようだ。

11:35剣岳山頂。

富山平野は雲海の中だ。

そこからは雪が所々消えていてアイゼンでは歩き難い道を下って行く。

前剣を過ぎた地点では、急な雪面を体を山側に向けて長い距離を下った。

武蔵谷が下まで綺麗に雪が着いているようなので下りた。

雪は適度に締まり、快適だった。

スキーで滑りたい。

15:20真砂沢。

石田君が上げた缶ビール1本を三人で分けて乾杯した。

 

10日、3:00起床。

5℃。曇り。

5:00出発。

6:20ハシゴ谷乗越7:00内蔵助平10:30黒部ダム

今春の奥山参りは終わった。

所々、咲いている桜を愛でながら帰京した。

 

剱岳 剱尾根

2002年5月3日から4日間
浅野、柴田(記)


<概要>

日程は4日間あるので剣尾根のトレース後に三ノ窓に移動してチンネも登れるかと思っていたが実際には降雨の為1日半近く停滞を余儀なくされ剣尾根のみで終わった。

・ 雪は非常に少なく核心の門のピッチはアイゼンを脱いで登った。

・ 雪が少なかったせいもあるかもしれないが幕営適地は聞いていたほど多くなかった。

我々は2-3人用テントを担いでいったがこの寡雪状態でもコルE手前、コルD、ドーム付近、コルA手前の雪渓上であれば比較的安心して張れると思われた。

ツェルトビバークならもう少し範囲は広がるだろう。

コルA、B、Cはナイフリッジになっていて幕営には向かなかった。

・ テント・食糧・燃料をしっかり担いで登った為停滞中は快適だったが登攀中は荷の重さでⅢ級程度でも傾斜が立った所は後ろに体が引かれるようで所々恐い思いをした。

<行動の記録>

池ノ谷にそびえる気品に満ちたリッジ剣尾根と昨年門前払いになったR4を組み合わせて登ろうという計画を4月中旬くらいで浅野さんと固めた。

お互いGWの全てを山に投入すると単身または独身に舞戻る可能性があるため前半は家族と楽しい休みを過ごし、後半の4日間で「すいませんがちょっと山に行ってきます」と言う予定を組んだ。

尚、オリジナルの計画では下半を登ったらテントはコルBあたりに残しサブでR2を下り、R4を登ってテントを撤収して上半につなげるといううまい話だったが行ってみてそんなにうまくは行かない事がよく分かりました。

今年は雪少なく春早く予想通りR4は氷無くカラカラ状態と言う情報が入り、念のために持っていったスクリュー類も結局馬場島で車に残置することになった。

ちっとも寒くない5月3日朝警備隊にご挨拶を済ませて池ノ谷に向けて出発。

 

5月3日

晴れ

白萩川の取入口は堰堤脇の雪渓を歩きタカノスワタリあたりで1度へつりをまじえたのみで渡渉する事もなく池ノ谷出合に着。

池ノ谷ゴルジュは中を覗くとそのまま通過出来そうだったのでヤバかったら引き返す事として入ってみる。

雪渓はしばらくはしっかりしていたが最初に右に曲がるあたりで大穴があいており、轟音と迫力ある飛沫が迸っている。

右岸の露岩沿いにトラバースできそうだったのでちょっと登って見る。

Ⅱ位だが滑って落ちれば大穴にストライクで当分遺体は上がってこないだろうと思うと慎重になる。

幸い上部にボルトとピンで作った下降点がありそこからは懸垂で大穴を越えた雪渓上に降り立つ事が出来た。

念のためにその先もチェックしたが大丈夫なようだ。

浅野さんにOKサインを出し後続してもらいロープをたたみスタスタとゴルジュを進む。

早月尾根からの枝沢が入り三俣になったところを回り込むと谷が開け向こうに二俣と剣尾根が姿を現した。

「割と近くに見えるけどここからが長いんですよ」

と言う浅野さんの言葉どおり1時間半くらいかかってようやく二俣に達し、そのまま進んでR10とおぼしき所で休む。

トポにはR10から容易にコルEに達せられるとあり、その割には草付と岩盤があらわになり渋そうだ。

たぶん例年は雪が付いていて簡単なんだろうと勝手に納得し取り付くが、実はR10はもっと先でここは無名の急斜面だったのでした。

最初ロープなしで取り付き途中結構恐い思いをして露岩を越え、アンザイレンし草付きから雪壁をつなげてコルに出た。

コルには古いトレースが残っていた。

ここからしばらくヤブ、雪稜、岩稜のミックスが続く。

途中浅野さんが左俣側の急斜面に滑り落ちかけたが雪が腐っていたおかげですぐに停止した。

ダンゴになったアイゼンを不用意に置いたとの事だったが浅野さんが滑落した瞬間は心臓が止まりそうになった。

しばらく進み格好のテントサイトの雪面を見送ると眼下にやさしいルンゼとコルが現れ、これが本当のR10とコルEという事がわかる。

コルEから上はヤブの急斜面になっている。

いい加減疲れてきたので先ほどのサイトで幕としたい気もしたが天気はよくまだ2時間程度は明るいので頑張ってコルDまで延ばす事にした。

ヤブ、草付、潅木登りのミックスを我慢しながら進むと10mあまりⅢ級くらいのフェースが現れその手前左側の雪面が整地すれば張れそう。

トポから判断してここがコルDに間違いない。

今日はここまでとした上で浅野さんがフェースにフィックスを張る。

 

5月4日

午前中は曇りで行動できると思っていたが終日雨で停滞。

新品のゴアライトを担いできたおかげで特に濡れる事もなく割と快適に惰眠をむさぼり過ごした。

明日は未明から行動してその日のうちに三ノ窓に移動できれば最終日に午前中チンネを登れるかも、等と取らぬ狸の皮算用をしていた。

なお、山岳しりとりは二人だとつまらなそうなのでやらなかった。

 

5月5日

雨のち晴れ

予報では朝から晴れるということだったので3時起きでスタンバッていたが7時になっても8時になってもジャージャー降っている。

話が違うよと天気予報を聞き直すと微妙に前日から表現を変えている。

午前中一杯降るようだと剣尾根下半部だけで撤退の可能性もあるか、などと悲観的な方向に思いを巡らせていたらテントの外で人の声がする。

ベンチレーターから覗くと3人パーティが我々が2日前にフィックスした壁に取り付こうとしているところだった。

我等も続けと急いで荷物をまとめてテントをたたみ9時30分頃から行動を開始するが、先行する3人パーティはⅢ級程度のフェースに結構時間がかかっておりラストは「ゴボーしまーす」

といっている。

もしかしたら「順番待ち→時間切れ→敗退」

というイヤな予感が脳裏をかすめる。

フェースを抜けるとハイマツ交じりの斜面となりその上の岩稜で先ほどの3人パーティがロープを出していたので「ノーロープで先行させて頂いても良いですか」

とお願いし了解を得て急いで抜ける。

そこからすぐコルCで目の前には垂壁、上部には門の巨大な岩塔が聳えていた。

壁の状況から見てアイゼンは不要と判断し二人とも外す。

コルCのナイフリッジ上の雪を慎重に進み壁に取り付く

1P目(浅野)最初数手フリーのあと人工で右上し右のカンテまで登る。

ここでアブミをたたみカンテ右のフェースをフリーで登りレッジまで。

人工部分はどうということ無いがそのあとのフリーのフェース部分が3泊4日幕営装備入りザックを背負った身には体が後ろに引かれそうで緊張した。

後ろを見ると例の3人パーティのあとにもう一つ別の3人パーティが後続している。

2P目 ロープをたたみハイマツ交じりの岩稜を100Mくらい登ると目の前に門がジャーンと言う感じで現れる。

3P目(浅野)核心のピッチ。

5M位上で2手ほど人工を交えたあとはフリーでバンドを左上し、途中からクラックを直上。

ここでもどうということ無いⅢ級程度のフリーで体が後ろに引かれやけに恐かった。

途中から現れたクラックはバックアンドフットやレイバックなどいろいろ使えてナイスなピッチだった。

クラックの奥にキャメロット1番の新しいのが残置されていた。

山でモノを拾うと必ずそれより高価なモノをなくすというジンクスのある柴田は見向きもしなかったが浅野さんはかなり頑張って頂戴しようとしたようである。

4P目(柴田) ゆるいフェースを登り一旦リッジを下って崩れそうなルンゼを登る。

Ⅲ程度でどうということはないのだがとにかくボロい。

ここで一旦ロープをたたみハイマツ、雪稜、岩稜のミックスを少々歩きドームの頭を通過、R2とアルファルンゼがコルBに突き上げているのが見下ろせる。

コルBは狭くリッジも立っていて幕営には不向き。

R2とアルファルンゼは割と容易に下れそうに見えた。

コルBを越えてやっと上半部の始まりである。

今日中にどこまで行けるのか分からないがまあ進めるだけ進むことにする。

最初のピッチは大まかなフェースを直上し上部のピナクル状まで柴田がリード。

次にリッジの左斜面の雪壁を登り途中からリッジに移りコルまで浅野さんリード。

このあたりでようやく後続パーティがドームの頭に現れる。

ずいぶんと時間がかかっているようだ。

最後の3人パーティはザックの大きさから見てサブ行動のようだったので彼らは今日中にベースまで戻れるのかな、とちょっと心配になる。

3ピッチ目は容易な階段状を登り岩稜に出てロープをたたむ。

時刻も5時近くなり大分日が傾いてきた。

テントを張れるスペースを探しながら岩稜を進むとコルA手前で割と平坦な雪渓が現われ整地すれば張れそうだったので今日はここまでとする。

水作りの後夕食を終えたらいつのまにか9時をまわっていた。

疲れてすぐ眠りに落ちる。

 

5月6日

快晴

休みも今日までで明日からは仕事である。

テントを起き出すと右手にドーム稜から剣尾根の頭が澄んだ空に硬質な姿でたたずんでいた。

テントを撤収して一応アイゼンは着けてコルAに下り、ここから容易な雪壁と岩稜を剣尾根の頭まで登る。

下から鋭鋒に見えた剣尾根の頭も登ってみるとハイマツ混じりの広いピークだった。

すぐ隣の長次郎の頭までも一足投だ。

振り返ると登ってきた剣尾根が自分の足元までつながっていて向こうには毛勝猫又の山並が美しい。

長治郎の頭で無事登攀終了お疲れさんと浅野さんと握手。

いったん長治郎のコルへ下りバケツになったステップを階段のように登り本峰頂上に7時15分に着。

今年は雪が少ないのか頂上の祠もかなり姿を見せている。

八ツ峰を見ると雪稜と言うよりは岩稜に見え、雪の少なさに驚く。

10分程度休んで下降開始。

早月尾根も昨年に比べると雪がとても少なく暑い中途中からシャツ一枚になりスタコラと下る。

伝蔵小屋を少し過ぎた小ピークでの大休止を含め4時間ほどで馬場島に着いた。

途中松尾平を過ぎたあたりでカタクリの群落が現れその横を小さなアゲハチョウが飛んでいるのでもしやと思ったらやはりギフチョウだった。

知らない人のために書くとギフチョウは日本の固有種で春の女神とも呼ばれ天然記念物に指定されている。(ですよね、森広さん。)

登山道沿いに軽やかに舞うギフチョウが4日間お疲れさん、と言ってくれているようで心がなごんだ。

馬場島に着くと緑は濃く既に初夏の陽気。

装備を乾かし、警備隊に下山報告を済ませ、12時過ぎに心の中で剣岳にお礼を言って馬場島を後にした。

<タイム>
5月3日
馬場島(5:30)→池ノ谷出合(6:45)→池ノ谷ゴルジュ終わり(7:45)→コルE(15:40)→コルD(16:30)

5月4日
停滞

5月5日
コルD(9:30)→コルC(11:15)→門取付(12:45)→ドームの頭 (15:30)→コルB(16:00)→コルA手前テン場(18:20)

5月6日
テン場(5:55)→長次郎の頭(6:30)→剣岳頂上(7:15)→馬場島 (11:25)

 

<おまけ…観光編>

上市のアルプスの湯でゆっくりと汗を流すはずだったが折り悪く5月6日に限り休みとの事。

仕方ないので糸魚川方面に国道8号線を走れば風呂なんてすぐ見つかるよ、とお気楽に走り始めたのは良いが一向に現れない。

剣の方を見ると早月尾根、池ノ谷、小窓などが一望のままでそれはそれで素晴らしい景色だったが、温泉が現れない。

たまに高級旅館っぽいのや風呂付きビジネスホテルの看板は現れるが求めているものと異なるので見送る。

既にフロ、メシとプログラムが入力されているのでフロが終わらない事にはメシにもありつけない。

滑川、魚津、黒部、入善と過ぎたところで右側に「ふれあいの湯 →」の看板を発見し大喜びで右折すると「11km先」との表示。

遠いとは思ったがここで見送ると今度現れるか分からないので我慢して車を走らせる。

宇奈月温泉の方に向かっているようだった。

20分くらいでやっと現れた。

建物はちょっと古いがこの際さっぱりできればいい。

料金400円を払い湯殿に入る。

私はいつも最初軽く湯船につかってから体を洗う習慣で、湯船につかりながら鏡の前に座った浅野さんを見ると何故か固まって動かないでいる。

数秒で固まった理由が分かった。

つまりないのである。

シャンプーも石鹸も。

良く見るとおじいさんもおっさんも少年も皆マイシャンプーにマイセッケンを使っている。

洗い場で取り付き敗退を喫した浅野さんが湯船に帰ってくる。

じゃんけんで負けた方が受付にシャンプー石鹸を買いに行く事にしてじゃんけんすると柴田が負けたが浅野さんは「自分が行ってきますよ」と買いに行ってくれた。

すまんのう。

でも10分ほどして帰ってきた浅野さんの手にはシャンプーとリンスしか無かった。

石鹸は売っていないと言われたとの事。

置かないなら売らんかい、と二人して悪態をつくがどうしようもない。

浅野さんは「自分は頭を洗うだけで良いです」

と早々に諦めたが何とかさっぱりしたい柴田は諦めきない。

洗髪を終え隣のおっさんに石鹸を貸して欲しい旨乞うたが「この石鹸、オレのじゃないよ」

と言うつれない返事。

いい加減ツキの無さに嫌気が差してきたが負けるもんか、と離れた所に座っているじいさんの所まで歩いてゆき石鹸を貸して欲しいのですが、とすがると左卜全(知っている人も少ないか)のような笑顔で貸してくれ、何とかツキの無さもろとも洗い流しさっぱりする事が出来た。

糸魚川まで8号線を走ったがフロのあとメシも済ませて柴田は仮眠状態でウトウトしていたら突然車が停止。

外を見ると魚屋の前で浅野さんはダッシュで魚屋に入っていった。

後を追った柴田が事情を聞くと「ますの寿司」を買わなくてはならないという。

こんな魚屋にはないだろなと思いつつ一緒に探すがやっぱりなかった。

「どうしよう、あれを買って帰らないと。。。」と浅野さんは蒼ざめている。

どうやら家族に山行のお土産として約束手形を発行済みのようだった。

きっと高速のサービスエリアにキットあるよ、と根拠レスの慰めをして再出発。

その後柴田は慰めの言葉も忘れてグーグー寝ていたが後から話を聞くと無事高速のサービスエリアで買えたとのことだった。

めでたしめでたし。

北陸道、上信越道、関越とつなぎ9時過ぎに無事帰京。