八ヶ岳 小同心クラック、無名峰北稜

1999年12月11~12日
水柿、三好(記)

以前の会で岩に行く人が居なくなってしまったので、大学の山岳部に顔を出した時期があった。

でも、合宿以外ほとんど岩も山も行かないし、誘ったとしても様々な理由で断られてしまうのだ。

今回(直前ではあったけど)、たまにはと山岳部の人々を誘ってはみたが、状況は変わっていないらしく、自分のモチまで下がってしまいそうで怖くなった。

そんなこんなで、秀峰横浜支部の水柿さんが行けることになったので、ほっとする。

さてさて、どこに行こう。

人の居ないルートがいいなぁ。

順番待ちは嫌いだし。

そういえば、S太郎さんが、人の居ないルートだと自分の実力やスピードがばれないからいいんだよねぇてなことを言っていた。

私は実力もないし、トロいのでそれも当ってる。

でも、たまにはよく知られたルートにするかと小同心クラックに行くことにする。

プラス、無名峰北稜で渋く行こう。

12月11日(土)

曇りのち晴れ

美濃戸口に到着したのは0:00くらいだったろうか。

焼酎がかなりあるので、少し飲んでから眠るかということになったのだが、いつのまにか4:30。

もう歩き始めている人もいるのに、私達はそれから仮眠を取る。

「飲んべぇだと立派なクライマーにはなれないなぁ」と言ったら、「4:00過ぎてからさらに〝注げー〟と言ったのは三好さんですからね」とのこと。

もちろん都合よく覚えていない。

バスで到着した人の声で起きたのか、やばいやばいと歩き始めたのは8:50。

赤岳鉱泉には10:30に到着し、テントを張ってから取付きへ向かう。

八ヶ岳もよく知らない二人だったので、小同心クラックには小同心右稜から取付けばいいかということになっていた。

しかし、小同心ルンゼの一本手前の沢に入ってしまい、小同心左稜を登ることになった。

倒木を避けながら尾根にのり上げ、ぜぃぜぃしながら進んで、小同心クラックに取付いたのは15:00。

もう、下りようかとも思ったのだが、小同心はほとんど2ピッチだけだし、1ピッチくらい行ってみるかぁとなったのだ。

1ピッチ目、三好リード。

ホールドたくさん。

ぐいぐい登れる。

水柿さんが上がってきたのは15:25.まだ、暗くならないね。

2ピッチ目はそのまま水柿さんリードに。

こっちの方が体が外に出る箇所があって少し緊張した。

さぁ、さっさと下りるぞ。

しかし、当たり前のようにロープがひっかかりまくり、1回めの懸垂でもう暗くなってきた。

2回目の懸垂、最後の方になって、またロープが引っかかる。

もがいていると、あっ、ヘッドランプが落ちた。

途中で止まったのが見え、ほっとしたのもつかの間、ランプの明かりが見えなくなった。

とりあえず、取付き地点まで下れたので、ヘッデンを探す。

あった!しかし、今回デビューのヘッデンなのに割れてしまい、明かりもつかない。

水柿さんのヘッデンも接触不良で、ついたり消えたりする。

そんなぁ、と言っているうちになんとか私のヘッデンにも明かりがついた。

よかったー。

さて、大同心稜ってどこだ?行ったことないし、暗いし、ついでにガスもかかってしまった。

あっち?もっと先でしょう。

うろうろ。

あっ、踏み跡だ!!ばっちり付いた踏み跡を見て、生きて帰れる喜びをかみ締めながら、テントに急ぐ。

テント着、19:00。

初めて、赤岳鉱泉でビールを買って飲む。

なんて社会人っぽいんだ。

その後、座りながら眠る私に、水柿さんは「はいっ」と焼酎を渡し続けた。

飲む、眠る、飲むを繰り返し、どれくらい飲んだのか全然わからない。

12月12日(日)

晴れ時々曇り

今日は間違えないぞと小同心ルンゼに入る。

北稜に登り上げる付近まで来ると、小同心右稜から下っている新しい踏み跡があった。

取付きには二人組。

他にも北稜に行く人がいるんだねと話していたら、「ここ無名峰南稜だと思ってるんですけど」と言う。

違うっす。

とりあえず、先行が行くのを待ち、10:00頃取り付く。

ロープを出したのは3ピッチほど。

途中、中山尾根からみよしさーんと叫ぶ倉田さんの声が聞こえたが、続けて叫んだらしい○ブーは聞こえなかった。

岩というよりは、木につかまり、草付きにアックスを効かせて登って行く。

水柿さんが、岩よりこっちが好きだなぁと生き生きしてきて、少しでも気を抜くとさっさか離れてゆく。

高度な下ネタといい、あの妙な落ち着き(?)といい、20前半じゃない、きっと年齢を偽っているんだと信じていたが、なんのかんの言って元気なのを見ると水柿さんはやっぱり若いのかもしれんと年寄りみたいなことを考えながら登る。

あと、ロープを出したのは1ポイントだけ。

最後の岩場はちょっとやだなと思いつつもロープを出さずに右を巻いてしまった。

14:30に稜線にたどりつき、久しぶりに硫黄岳まわりで下山した。

赤岳鉱泉に16:30着。

途中ヘッデンが消えたりしてスッテン転んでばかりいたら、車についたのは18:30だった。

あっち?、いや、こっちだよと考え、歩き、登るのはとても楽しかった。

今までの八ヶ岳の中で一番かもしれない。

もうヘッデンは落とさないように注意しますので、水柿さん、また一緒に行きましょうね(嫌がっているらしい!?)。

 

 

八ヶ岳 ししヶ岩(中止)~権現岳~三ツ頭

1999年12月4~5日
森広、三好(記)

12月4日(土)

晴れ

向畑・倉田コンビの車に同乗して八ヶ岳に向かう。

しかも、船山十字路まで送っていただいてしまう。

以前来たときはバス停からずーっと歩いたので、かなり嬉しい。

車でぐっすり眠っていた私は、半分寝ている状態で荷物を下ろす。

じゃあ、また。

車が走り去った後、荷物を移動すると、カモシカバックがない!!下ろすのを忘れた!お金、は森広さんから借りられる。

行動食、も森広さんから。

メガネ、はコンタクトがあるから大丈夫。

よかった、なんとかなるじゃん。

テントを張って仮眠する。

そのうち、森広さんの寝息が聞こえてきた。

アッ!!突然気づく…メットもバックの中だ。

やってしまった。

S太郎さんの顔が頭の中をグルグル巡る。

結局、この私が4時過ぎまで眠れなかった…。

で、いつのまにか寝てしまい、6時。

寝坊だ。

森広さんにメットのことを話す。

ししヶ岩の第一尾根は人工もあるし、中止。

阿弥陀の南稜なら大丈夫でしょう。

まぁ、ここまで来たらどうしようもないから、行ってみよう。

今日はいい天気だ。

向畑さん・倉田さんのバリバリコンビは順調に登っていることだろう。

森広さんに申し訳ない気分で歩き始めた。

旭小屋から南稜に上がる地図上の道を行ってみたが、旭小屋から先は明確ではない。

南稜にいるパーティの声を聞きながら、出てくる岩場を避けつつ、右へ右へと進むと結構上部に出てしまった。

精神的にも参っているので、余計疲れた気分。

青ナギ到着。

10:00。

ししヶ岩の基部まで行ってみることにする。

ざれざれの場所に雪が乗っただけで歩きにくい。

立場川のゴルジュはまだ凍っていないので、高巻く。

登ったり下りたり。

そろそろ大丈夫かなという所で河床に降り立つ。

時々、ズボッと氷に穴を空けながらも慎重に歩く。

ししヶ岩が見えてきた頃にはすでに13:00になっていた。

風がかなり強くなってきたが、ししヶ岩の基部からはまわりがよく見渡せる。

明日の天気は悪そうだし、高巻きを戻るのは嫌だから、キレットの方に登り上げて、権現岳を通って小淵沢に下山しようということになった。

とりあえず、テントを張って焚き火をし始める。

ますますS太郎さんっぽい。

でも違うのは、ノンアルコールで早々に寝てしまったところ。

12月5日(日)

曇り時々雪

雲が分厚く覆っていて6:30になっても薄暗いが、気温は高く、八ヶ岳らしくない。

キレットの少し南側あたりを目指してハイマツをかき分け登り上げる。

あとはひたすら尾根上を辿るだけ。

小淵沢までと言ったけど、二人とも行ったことがないコースということで、三ツ頭を越えて甲斐大泉駅に下りることにした。

途中の道は走ってもフカフカしていていい感じだが、下の方は立派すぎる林道が出来ていて(今年の施工)、走れなかった。

途中の水場は枯れていてかなりがっくり。

甲斐大泉駅近くの名水百選の湧水は水量が多いけど、それほどおいしくなくてさらにがっくり。

さて、カモシカバックを回収しなくてはいけないが、火曜の忘年会に持ってきてもらうにも荷物が大きいので悪いし、行動食のパンの賞味期限が過ぎてしまう!!倉田さん宅なら帰りがけに取りに行けるかなぁと思い、電車乗り換えの度に電話するが通じない。

で、甲府駅で携帯にやっと通じたら、向畑・倉田コンビも何故か甲府に居たというのが事の真相。

久しぶりに筋肉痛にもなって、いい運動をしてきたという感じではありますが、森広さん、向畑さん、倉田さんには本当にご迷惑をおかけしました。

今後はこんなことのないよう気を付けます。

 

 

八ヶ岳 横岳西壁大同心中央ルート

1999年12月4日
向畑(記)、倉田

12月3日夜八王子集合、4人乗ると荷物が積めなくなるので、シビックの屋根にザックを載せたりしていたら、出発は4日0時頃となってしまった。

途中、ししが岩に向かう森広、三好の師弟コンビを舟山十字路で降ろし、美濃戸へと向かう。

この時、誰も気付いた人はいなかったが、サイフ、眼鏡のほか、ヘルメット、食料などが入ったカモシカバックが車の中に忘れられていた。

師弟コンビがその後どのような経過をたどったか、それは本人達の記録発表を待ちましょう。

八ヶ岳は全然雪が無く、シビックでも美濃戸まで問題なく入れる。

ちなみに、以前乗っていた軽自動車も含めて、自分の車で美濃戸まで入れたのは初めてだ。

美濃戸には夜中の2時30分頃到着。

このまま用意して出かけるとちょうどいい時間になりそうだが、ちょっとだけ仮眠しようとして車の中で寝袋に入ったら、駐車場係のお兄さんに6時15分くらいに起こされてしまった。

私はともかく、決めた時間に必ず起きて起こしてくれる倉田さんが寝過ごすのは珍しいと、変なことで感心してしまった。

用意して美濃戸を出たのが7時15分くらい。

まわりの車の人達は大方が出発しており、すでにかなり出遅れた雰囲気だ。

赤岳鉱泉から大同心稜へ向かったが、この辺に来るのも久しぶりだったので、大同心稜には末端から取り付いてしまい樹林を掻き分け進んでいたら、大同心沢を詰めてから上がってくる立派なトレースに合流、大同心基部には10時30分頃到着した。

当初、雲稜ルートを予定していたが、既に3人パーティが取り付いている。

右フェースにも2人パーティが取り付いており、両方ともまだ1ピッチ目にいる。

ゆっくり用意しながら様子を見ていたが、どちらもかなり時間がかかりそうなので、真中の中央ルートを登ることにした。

このルートは、以前当会にも在籍したことのある新保おじさんが数年前の岳人に発表していたが、初登者等は不明、中央ルートも仮称で正式にはわからないらしい。

また、中央ルートは4年前に雲稜ルートと間違えて取り付き、ホールドがはがれて墜落した、私にとってはいわく付きのルートで、前々から多少心の片隅に引っかかっていた。

その時は、ノーピンでのフォールにもかかわらず止めてくれた瀧島さんや、下山後捻挫で歩けなくなった私を車で自宅まで送ってくれた板橋君には大変ご迷惑をおかけしました。

前置きが長くなりましたが、以下記録です。

1ピッチ目、11時に登り始める。

ビレーポイントはリングボルト1本、目の前のフェースを右から回り込んで登るが、出だし5mほどはピンがない。

バンドの上に浅打ちのリングボルトが、八ヶ岳特有のはがれそうな突き出たホールド状の岩に打ってある。

バンドをトラバース後左上、ここもピンがなくて怖い。

さらにフリーと人工で直上、ロープを40mほど伸ばすとボルト4~5本の立派なビレーポイントがある。

人工からフリーに移り、また人工のピンを取るまでがちょっと難しい。

問題の2ピッチ目、前回は登っていてもルートを間違えていることに気付かず、雲稜ルートのトポを見ながら右の凹角状を登ろうとして墜落した。

その後、新保さんの記述を見ると、左に回り込むことになっていた。

左のカンテをトラバースして回り込むと、上部にピンが連打されている。

ここも、出だしから5mほどランナウトする。

数回アブミを架け替えると、草付き混じりのフェースになる。

フリーとダブルアックスを交えて登り、草付きのバンドを左にトラバースすると雲稜ルート4ピッチ目あたりに合流する。

このピッチも40mほどで、草付きフェースから雲稜ルートと合流するまでの20~30mほども、難しくはないがピンはない。

時間は15時。

2ピッチでたっぷり4時間かかってしまった。

以降、雲稜ルートをたどりドームの基部へ。

すでに16時30分になっていたのでドームは割愛。

この時間でもドームに取り付いているパーティがいて、暗くなるのに大変だなと思っていたら、当パーティも1回目の懸垂でロープが来なくなり、倉田さんに登り返してもらったりしていたら真っ暗な中での懸垂になってしまった。

大同心の基部に戻ったのが19時15分頃。

美濃戸に戻ったのは22時を過ぎていた。

5日の日曜日は雨の予報だったので4日のうちに帰るつもりだったが、帰っても夜中になってしまうのであきらめ、美濃戸口から少し下ったところでビバーク。

5日朝、取りあえず雨は降っていない。

国道20号を南下するが、甲府に近づくにつれだんだん晴れてきたので太刀岡山に行った。

そして、17時頃帰ろうとして甲府昭和インターから中央道に乗ろうとした直前、車中に携帯の音が鳴り響いた。

その後、荷物が錯乱していた車中から忘れ物を発掘し、甲府駅まで届けに行くことになる。

改札口に荷物を届けに行った倉田さんによると、どうやら師匠の方はあきれて先に帰ったしまったらしく、弟子が1人で待っていたそうだ。

それにしても、どうしてその時間に、弟子が甲府駅にいたのかは謎のままである。

 

 

八ヶ岳 赤岳西壁主稜

1999年2月28日
小谷、畠中(記)

3時45分に月明かりの中、美濃戸を出発。

満天の星空と遠く街の灯りが美しい。

外気はよく冷えている。

6時に行者小屋着。

文三郎尾根をつめ、7時30分に取り付く。

初めのチムニーで畠中てこずる。

かっこわるい。

風が強く寒いため手足の指先は痛い。

顔も痛い。

10時30分に赤岳に到着。

景色が美しい。

寒いのでそそくさと地蔵尾根を下降し、11時40分に行者小屋着。

春山のような陽気だったので、1時間ほどのんびりとする。

美濃戸には13時30分着。

私は、久しぶりの山登りだったが、今回の山行で「山登りは痛い」ということを思い出した。

 

 

八ヶ岳 横岳西壁 無名峰南稜

1999年2月21日
宮嶋、関、板橋(記)

7時45美濃戸
9時30 赤岳鉱泉
10時45取付き
15時45終了点

前日のマークⅡスタック事件と宴会のおかげで起床が6時を回ってしまい、あわてて出発する。

三叉峰ルンゼに入りしばらくして、左側の無名峰北尾根を目指し、ラッセルで雪壁を登っていく。

尾根上でアイゼンをつけるが雪が深く、腰まで埋まるところもある。

尾根がやせてきて、ザイルをつける。

雪辱戦の関がトップで登攀開始。

1ピッチ目は岩稜から木登り。

2ピッチ目はハングに突き当たり右の凹状を登るが悪い。

セカンドの板橋の泣きが入る。

3ピッチ目は草付ダブルアックスで中間雪稜に出る。

コンテに切り替え、岩稜混じりの雪稜を歩く。

正面にチムニーのある上部岩壁が見えてきて、スタカットに戻す。

板橋トップでやせた雪稜から、草付登りで上部岩壁基部へ。

エイリアンでビレイ点を作り核心部へ。

最初のⅢ級の凹状はノーピンで15m、チムニー下のテラスで、腐ったハーケンをエイリアンとキャメロットジュニアで補強しチムニーへ。

2、3手登ると古い残置シュリンゲが掘り出せる。

ここから、バックアンドニーでチムニーを抜け、カンテ状を登ると縦走路が目前に見えてきて登攀終了。

感想 横岳西壁の雪稜系のルートはほとんど登ったが、この無名峰南稜は1番楽しかった。

一緒に登ったメンバーが年齢も近く、気心も知れていて、足並みも揃っていたこともあるが、ラッセルありそこそこのナイフエッジあり岩のグレードも4級以上で、手応え充分の本当にお勧めのルートである。

時期的には、積雪の多くなる2月頃が楽しめるのではないか。

中山尾根や阿弥陀北西稜より1グレード上の難しさはあると3人

yatu1下部雪稜を登る関、宮嶋

yatu2上部岩壁へ向かう板橋

yatu3中間雪稜を登る宮嶋、関

八ヶ岳 横岳西壁石尊稜(これからバリバリ登りたい若いクライマー達へ~八ヶ岳解説と懸賞付)

これからバリバリ登りたい若いクライマー達へ
八ヶ岳解説と懸賞付

1999年 2月2日
板橋(記)、嶋崎

6時30美濃戸 – 8:15赤岳鉱泉 – 9:45取付き – 12:15 終了点

強烈な冬型で、上空5000mでマイナス40度以上の寒波がやってきます。

美濃戸からいつもは見える阿弥陀岳が見えません。

美濃戸の小屋の前のおじさんも少しさびしそうにポーズを決めてます。

幸いまだ雪は降っていませんが、時間の問題でしょう。

八ヶ岳は太平洋側の気候とはいえ、冬型が強いと天気は悪い。

その辺は十分理解しておきましょう。

赤岳鉱泉への柳川北沢沿いの道を歩き、しばらくすると左側にショートカットコースの入口があります。

多分5分くらい短縮できます。

でも御用心。

沢沿いなので、雪の下はナメ氷です。

こんな所でこけてはダサいので、慎重に。

カットの後はまた、林道です。

鉱泉の車が頻繁に入っているので、運動靴でも行けちゃいます。

左に大きくカーブする所でもカットができます。

ここの堰堤はアイスができるくらい凍ることもありますが今年はだめそうです。

しばらく歩くと林道終点。

ここで一本とってしまうようではアカンですな。

橋を渡り登山道に入りますが、ここも運動靴でも大丈夫でしょう。

一回目の橋を渡る所で後ろを振り返るとそこには登れそうな氷が見える。

これは「大岩ルンゼ」と呼ばれるアイスのゲレンデです。

しばらく沢の左側の歩きますが、右に渡り返し、もう一度左に渡ったあたりでパラレルツインの氷柱が見えます。

これが「赤岩の氷柱」です。

この辺は「峰の松目沢」

の出合いらしく、赤岩の氷柱を登りにトレースを追っかけたら峰の松目を登ってしまった事もある。

ダサー。

正面に、大同心や小同心が見えます。

その間のルンゼが大同心ルンゼ。

大滝も良く見えます。

大滝の左や正面は歯が立つが、右のラインは難しかったです。

赤岳鉱泉に着きました。

ここでアイゼン以外のガチャを着けてしまいましょう。

忘れ物はないか最終チェック。

食料や燃料などはここでも購入できます。

でも高そうです。

さあ出発しましょう。

行者小屋への道をじゃらじゃら音を立てて歩いていきます。

10分も歩くと左にトレースが分かれます。

このトレースは柳川北沢沿いにつけられています。

少し、雪が深そうなので、もう少し一般道を進みましょう。

指導標が立っているところにも左へ行くトレースがあります。

このトレースに入り、古いロープをくぐると柳川北沢に降りれます。

トレースが無いとラッセルになってしまいますが、三叉峰ルンゼや石尊稜など人気ルートが奥にあるのでトレースが消えることはないでしょう。

左へカーブして倒木に覆われたルンゼが、「小同心ルンゼ」の出合です。

「無名峰北尾根」へはここをつめていきます。

更に進み、左にカーブして出合うのが「三叉峰ルンゼ」です。

新雪期には、氷が出ているのですが、今は雪の下になっています。

大滝の手前でアイゼンをつけ、右の雪壁を登りましょう。

簡単に「石尊稜」に上がれます。

右から回り込み少し登ると下部岩壁です。

我々は1ピッチ50mで抜けきりましたが、ぎりぎりなので、途中で切ったほうが無難でしょう。

ビレイ点は潅木で取り放題です。

中間雪稜は所々露岩が出ていますが、ロープ無しでも進めます。

ロープをつけていると6~7ピッチになるでしょう。

眺めのいい雪稜のつきあたりが上部岩壁です。

右を回り込めるらしいですが正面のカンテ状を登るのが自然です。

1ピッチ目は伸ばせるだけ伸ばして、岩角をうまく使ってビレイ点を作りましょう。

岩角支点と草付アイスフックは八ヶ岳では必須の技術です。

2ピッチ目で岩稜帯を抜けてしまい、縦走路に出て終了です。

風が強いので、岩陰に隠れて、ガチャをしまいましょう。

下山は地蔵尾根経由がよろしいでしょう。

このあたりの縦走路は、雪山歩きとしては手強いらしいですが、吹雪かれようがヘッデンをつけようが下山できるようになれれば、精神的にも余裕が出てきます。

ほとんど左側を巻くのですが、1ヵ所だけ右を大回りで巻くところがあります。

ここは、ヘッデンでは判りづらいので、周囲の地形を頭に叩き込んでおきましょう。

45分ほどで地蔵尾根の分岐です。

地蔵尾根も吹雪かれると西風をもろに受けたり、雪崩れたりするので注意が必要です。

途中で2ヵ所ほど、尾根が分かれて迷いやすいところがありますが、右に行けば道を外さないでしょう。

雪に埋もれた階段のところから尻セードで一気に下ると樹林帯に入ります。

ここでアイゼンを外し、グリセードとスケートを屈指すれば10分もかからず行者小屋へ到着します。

ここから直接美濃戸への道を下るより、中山乗越から赤岳鉱泉に戻ったほうが道も良く早く下れるでしょう。

赤岳鉱泉からは美濃戸まで走って下るのもよいでしょう。

秀峰登高会若手諸君へ

赤岳鉱泉から美濃戸まで30分を切ったらルノアールでコーヒーをおごりましょう。

板橋は無名峰南稜の登攀後30分で降りました。

健闘を祈ります。

 

 

八ヶ岳 横岳西壁石尊稜

1998年2月26日
荒井・森広(記)

曇~雪~曇

6:20くらいに美濃戸山荘下の駐車場から歩き出す。

北沢に入るとモナカ雪のラッセルになり、進まないので、最初は日ノ岳稜を登る予定だったが、一番近い石尊凌に変更した。

スラブ状の取り付きの壁を登り、安定した岩稜から雪稜になる。

アプローチでは咋日降った雪はほとんど積もっていなかったが、登るにつれて新雪が増えてきた。

上部岩壁の基部では不安定な積雪がかなりあったので、トラパースして縦走路に出るのは危険に感じた。

上部岩壁はすべてガバホールドで易しく、不安は全くなかったが、雪壁になってから少し登ると、アイゼンの爪で硬い旧雪を掟えることができなくなった。

「感じ悪いな」

と思いながらも5mほど上に見える岩を目指してさらに登ると、スリップしたような感覚があって、雪が動き出した。

自力では止められずに、ザイルにぶら下がって止まった。

易しいからといって9ミリ1本で登っていたのだが、止まってよかった。

自分で雪崩を出したのは初めてで、これで危ない雪の感触がわかったような気がする。

もう1本のザイルで確保してもらって登り返し、そのまま雪壁を登る。

かなり広範囲の雪が落ちたようで、硬い旧雪しか残っていないからこの場はもう安心だ。

確保支点を作ろうとして首にかけていたシェリンゲがなくなっているのに初めて気付いた。

やはりあわてていたのかもしれない。

縦走路に出ても、踏み跡は全く残っていないし、ホワイトアウトしてしまって、ルートがわからず、時間がかかる。

雪面をトラパースしなければならないところが出てきたので、危ないからザイルで確保してトラパースしたら、期待に応えて再び雪崩がおきた。

何とか見えるうちに地蔵尾根の下降点までたどり着いたが、まもなく暗くなり、迷いながら下降する。

下ると新雪は浅くなり、行者小屋付近にははとんどない。

時刻は18:40になっていた。

 

 

八ヶ岳 獅子ヶ岩第一尾根、裏同心稜左稜

1997年2月20日~2月23日
大滝、中嶋(記)、畠中[獅子ヶ岩]
滝島、細田、中嶋、水柿[裏同心稜]

20日

晴れ 獅子ヶ岩第一尾根

21日

雪  立場山~阿弥陀南稜上P1のコルBV

22日

吹雪 BP~阿弥陀頂上~行者小屋~赤岳鉱泉

23日

晴れ 裏同心稜左稜

獅子ヶ岩第一尾根

獅子ヶ岩と言ったらこれしかないと云うような良いルートだと思います。

広河原の方から南稜にでて青ナギから尻セードで下り、深雪のラッセルをして獅子が岩に取り付く。ラッセルで時間を食い取り付いたのは14:00。3人パーティだったので全てのピッチ私がリード、全6ピッチ。全体的に岩はコケっぽく残置も少ない。良いホールドとなる岩が多いが脆い岩も多い。1ピッチ目は快適な岩登り、ピンは少ない。3ピッチ目に当たる人工のピッチは意外にもボルトが多く、まあ効いている感じで楽にこなせた。4ピッチ目で第4フェースに出るが、この時にはもう暗く、ラインが分からなくなったので左から卷いてしまった。獅子ヶ岩の頭に抜けたのが(19:00)。

阿弥陀南稜

21日、前線が通過しひどい天候のため、無名峰を越えP1を越えたところで行動中止。ここは大系にも書いてあるナイスなBPだ。22日、前日と比べると風が弱まったので吹雪の中出発。吹雪の中からP3立ちはだかって見えるのがかっこよく、とてもあの南稜とは思えない。P3の巻きは快適な氷雪が詰まっていてダブルアックスで楽に抜けた。P4もなんの苦労もく越えると一瞬ホワイトアウトになり、突然お地蔵さんが目の前にあった。頂上に雪屁なんかが出来ていて、穏やかなときとはまるで違う阿弥陀の頂上だった。視界がほとんど無かったので中岳のコルまでの下降には気を使った。鉱泉(10:30)

裏同心稜

体系にも記録がでていない稜で、会の瀧島さんの「初登かもしれない」という呼びかけに5人も集まりました。実際は残置があったわけですが。朝から快晴、アプローチに裏同心ルンゼをとるがラッセルがかなり辛い。下から見て一番右手の、大同心よりの稜に取り付く。登攀中大同心をじっくり見ることが出来る。1ピッチ目が一番難しく、かなり傾斜のある草付のダブルアックス。2~4ピッチ目、雪稜とたまにやや悪い草付。5ピッチ目、ちょっとした岩を右上してカンテを回り込む一番岩らしいピッチ、取り付きにはリングボルトが打ってあった。残置があったのはこのピッチだけだったが、やはりどこでも登られているものだ。6ピッチ目で稜の上にでて後はコンテで行く。最後のせこい岩の下で大休止、ここでロープを解いて後はひたすら縦走路を目指して登って行く。実質登攀時間3~4時間。

裏同心稜は全部で3本くらいあるが、今回登った稜の1本左の稜が岩が多く、手応えがありそうだった。


八ヶ岳 ししヶ岩 第二尾根

1995年2月25日~26日
大滝、中嶋

2月25日

曇り-5℃ 雪少なし 7:10舟山十字路発 8:10旭小屋-2℃曇り無風 10:10立場山 10:30青ナギ0℃ 11:30出合 12:30取り付き

1P:岩から草付きのリッジへ。ランニングはブッシュで。40m。

2P:急で悪いブッシュ登り20m。ほとんど雪なし。

3P:草付きとブッシュ20m。草付きにバイル効く。

4P:容易なリッジ35m

5P:リッジ左側を草付きとブッシュ30m

6P:リッジ右の雪面もなか雪のラッセルに苦労 35m

7P:右寄りに雪面を斜上し終了、20m。 16:10曇り 小雪 弱風 17:30立場山山頂にてツエルト泊

2月26日

小雪 6:15出発 7:10旭小屋 8:00舟山十字路

取り付きにビレーピンがなかったので小型フレンズでとった。あとはすべてブッシュでランニングをとった。ロックハーケンは打たなかった。打つリスもない。ブッシュが多いのでブッシュで充分。