上越国境 ススケ沢右稜から武能岳

2002年3月16日から2日間
木下(日本山岳会青年部)、瀧島(記)


サブタイトル:檜又谷春うらら

パンプが家の近くに来てくれたので週1~2回くらい通っている。

2時間もやればお手軽に心地よい筋肉の疲労感を味わうことができて何より楽しい。

でも、たまには山の匂いを嗅がないと、なぜか居心地が悪い。

上越の静かな雪稜をと思っていたが今年は春が早く特にこの1週間は暑いくらいだ。

里山の金城山にしようと思ったが雪が少なそうなので、檜又谷の大滝沢右稜を目指すことにした。

檜又谷は数年前に支流の滝沢を登った。その時、隣の尾根が登れそうかなと考えていたが同じことを考えるやつはいるものだ。

パートナーはマイナーな山が好きな木下君だ。

3月16日

雨のち快晴

土樽駅には先客が大勢で宴会をしていたが、寝たのは俺たちが最後だった。

寝不足のまま目を覚ますと雨の音はかなり強い。

しめしめもう一眠りできるかと思っていたが、天気予報によると天気は急速に回復するようだ。

ゆっくり用意して足首にテーピングして雨が完全にあがった8時半に出発。

除雪された舗装道路は10分程であとは雪の上を歩く。

橋を渡って左岸を進む。

茂倉谷を渡り檜又谷出合のダムまで1時間半くらいか。

谷から離れて左岸の林の中を適当に進む。

目指す大滝沢右稜と思われる尾根が谷からせりあがっている。

しばらく進むと檜又谷の目ぼしいルートがすべて見えてきた。

右岸から落ちるススケ沢右稜とその奥のリッジ2本、大滝沢の左稜も魅力的だ。

目移りしてしまう。

大滝沢の氷もすごい迫力だ。

この頃になると完全に快晴だ。

汗だくになりながらの谷底のラッセルはきつい。

大滝沢右稜よりも変化に富んで魅力的に見えたススキ沢右稜を登ることにした。

太陽ぎらぎら暖かくてこれから取り付くと言うのに緊張感はあまりない。

大休止を取ってから取り付いた。

目指すススケ沢右稜は下部が2本に分かれている。

取り付きやすい左側の稜を登りだした。

この稜には中間部に岩峰が聳えていて、心惹かれる。

谷底から離れるとラッセルは少し楽になった。

しばらく登って早めにハーネスを付ける。

その前にもう一度、大キジをして準備は万全だ。

初めの3ピッチは稜上をブッシュをつかみながら登るが易しい。

4ピッチ目、5ピッチ目は傾斜が強くなり右側を巻き気味に。

木登りやダブルアックスで難しさ、恐ろしさ、楽しさも適度なすばらしいピッチだ。

辿り着いたテラスを均して今夜のねぐらとした。

傾いている上に、狭い。

それに寒い。

セルフビレーを外せない窮屈な一夜だったが、素敵な夜でした。

シチューの素にマカロニをぶち込んだだけのディナーもおいしかったよ。

木下君ごちそうさま。

 

3月17日

快晴

根性がないのか寒さに負けて2時40分に起きてコンロを点けた。

飯と準備にゆっくりと時間を費やして、明るくなった6時10分に出発。

6ピッチ目急傾斜の木登りを木下君がロープを延ばす。

7、8ピッチは傾斜が落ちてロープをぐんぐん伸ばすと最初のギャップへの下降点に着く。

ギャップへは傾斜はないがあまりに狭いカミソリリッジなので馬乗りになりながら懸垂で下った。

降り立ったギャップも入れ替えも難しい。

9ピッチ目、次のピークの頭まで25mロープを延ばす。

出だしが庇気味の懸垂15mで泊まってくださいと山が語りかけてくるほどの見事な快適なコルへ。

ここで大休止。

10、11ピッチは快適にロープを延ばす。

傾斜も緩んでロープを外して焦らず登ると武能岳の頂の100m位北側にの西尾根上に辿り着いた。

10時30分 空荷で武能岳の頂へ。

おだやかな快晴の下、満ち足りた気分で周りの山々を眺める。

名もないマイナーなリッジやスラブ沢筋を見据えて語り合うと、あまりに趣向が似ている事が恐ろしい。

下りは蓬沢の大斜面を尻セードーを交えて下り15時前に土樽駅へ着いた。

春の日差しを浴びながらのすばらしい二日間だった。

おそらく一ノ倉沢や幽ノ沢は盛況だっただろう。

それに引き換え檜又谷はアプローチも便利で安全、谷は貸切だった。

現場で実物を見て気に入ったラインに取り付けたのもうれしい。

春の穏やかな天気の下、ゆったりと流れる時間の中で刺激の少なすぎる山では心は満たされなかっただろう。

今回の山は適度な厳しさ、恐ろしさ、緊張感を保ちながら登ることができて、心は十分に満たされた。

また近いうちにこの谷に来よう。

今度は雪のない時期の大滝沢あたりにしようかな。

 

八ヶ岳 赤岳 西壁主稜

2002年3月17日
池﨑、一ノ瀬(記)


池崎さんと「どっか易しいとこ行きたいねぇ」と石尊稜を計画したが「石尊の前に赤岳主稜だな」とみんなに言われ、即変更。

そして初めてのリーダー、無事登れるだろうか、緊張とワクワク感が交互にくる。

3月16日

西国分寺朝発。

身支度して10時前に美濃戸口バス停出発。

13時前に行者小屋に着いてしまった。

無風快晴、今日はのんびりひなたぼっこ。

3月17日

6:10文三郎道をゆく。

先行Pに習い、真ん中あたりの道標よりロープ出してトラバース、8時取付。

1P目:順番待ち。後続がぞくぞく控えているのでもう変な格好でもなんでもいいや登れれば、と自分に理由をつけてかなりのへっぴり腰でチョックストーンを乗越す。

2P目:先行Pに「左だよ」とルートを教えられ、笑顔で左に廻りこむ。

3・4P目:雪付きガレを適当に。

5P目:凹角の右ラインをいく。左ラインより楽?

6P目:雪付きガレを池崎さんに適当にいってもらう。

7P目:凹角。右ラインのピンは使用中なので仕方なく(私には)難しめの左ラインをとる。私はここが核心だった。

ここから2・3P雪付きガレ、最後稜線までは惰性でロープを延ばす。

池崎さん、そのまま先行けばいいのに「いや、一ノ瀬さん、どうぞっ!」というので行かせてもらう。

稜線12時。

赤岳頂上で嬉しくて力いっぱい握手。

あとは文三郎道を下る。

池崎さんは元気に下るが私は気が抜けたのか、膝へろへろ。

行者に着く頃、滑落事故があったようだ。内容はよく分からなかったが、ヘリで負傷者が輸送されるのをぼーっと見届けたあと行者をあとにする。

ふろふろめしめしと言いながら夕暮れ前に駐車場に着。

ほとんどのピッチ、長スリングを岩に引っ掛けて支点とする。
ピンがないので短スリングはあまり使用しなかった。
ロープ2本あったのだが1本で通してしまった。(池崎さんロープ背負いっ放し、ごめんなさい)時間短縮にはなったと思うが簡単なルートではこれでいいのかな。

分からないのでなんかいろいろ持っていったがリードしたことによってどんなルートで何がどれだけ必要か少しだけ分かった。

かかった時間も渋滞のおかげで後押しされたのや、ルートの迷いもなかったことで大して遅くはなかったが、渋滞でなければどうだったのだろう・・・。

うーん、まだまだなのだ。

 

谷川岳 一ノ倉沢 滝沢第3スラブ

2002年3月14日
浅野、柴田(記)


今年は滝沢第3スラブが登りたいな、と言うことで浅野さんと意見が一致し3月第2週の週末を予定し、ルートの情報を入手したり(特に3年前に登っている向畑さんのアドバイスは実践的かつ貴重でした)谷川の天気を1週間前くらいから追いかけたりしていた。

期待と不安のうちに迎えた週末ではあったが、急な事情でその週は行けなくなり予定した日曜日は爽やかな青空の下、子供と遊んで過ごした。話を聞くと浅野さんも子守りをしていたようだった。

我々が空振りしたその週に谷川に入ったパーティの報告だと今年は春の訪れが例年より早そうだ。モタモタしていると条例に基づく入山禁止になってしまう可能性もありそれでは悲しすぎる。二人で相談の結果条件の良い平日に仕事を休んで行ってみる事になった。

3月13日(水曜日)

夜東京発。

関越を交代で運転しながら午前1時30分過ぎに駐車場に着。

準備を整え指導センターに計画書を提出の後一ノ倉沢出合に向かう。

駐車場で一緒になったノコ沢に向かうというパーティの話では3スラに単独の人が入っているとの事。

我々を含めて3パーティ、平日でも結構いるもんだと思いながら一ノ倉沢出合から本谷方面を見上げるとはたしてヘッドランプが一つ光っている。

本谷は一ノ倉尾根からのデブリが沢筋を埋めており半月前とはすっかり変わった姿になっている。

東尾根に向かうトレースと一ノ沢で別れ、滝沢下部氷瀑下で先行のソロの人が登っているのに追いつく。

我々もここで登攀準備をしアンザイレン、ヘッデンをつけて柴田リードで発進。

半月前に観察した通り右側は氷瀑が大きく発達し被っているので左側を登る事にする。

雪と氷を混ぜて固めたような壁だがアックスの食い込みは良く登りやすい。

所々で岩が出ておりうっかりアイゼンを蹴り込むと線香花火のような火花が飛ぶ。

右下から左上しその後直上するようなラインを取る。

ほぼ50mいっぱい伸ばして浅野さんにコールをかける頃にはだいぶ明るくなってきた。

次のピッチは浅野さんがリードするが50mでランナー1つ、アンカーポイントも不安定なスタンディングアックスなので「落ちないで登って来てね」とのコールに「了解」の返事をする。

まあ傾斜も緩く、気をつければどうと言う事はない。

見上げるとドームが意外な近さで見える。

以後F4まではロープを引きずりながらの同時登攀。

F4はハングを右に回りこんで2ピッチで抜ける。

F4でビレー中に小規模なチリ雪崩が数度起き、第2スラブとの境界のリッジにスノーシャワーが舞い降りるがしばらくするとおさまった。

前日午後からは好天が続いていると言う事でB~Dルンゼ方面も小規模なのが一発出た以外は静かだ。

F4から上はまたロープを引きずっての同時登攀で進む。

氷を交えた緩い雪壁が続き、容易だが絶対落ちられない。

やがて上部草付帯が近づくが確かにスラブ内よりはこちらの方が傾斜も立っていて危険そうだ。

雪を払い除けて現れた氷にスクリュー3本でアンカーをセットしてセルフを取り浅野さんを迎え、草付帯1P目を浅野さんリード。

正面の大きな露岩を右から回り込んで抜けるが雪は顆粒上で踏み固めてもスタンスが崩れる事が多くなり、結構悪い。

柴田が残りロープの目測を誤りアンカーポイントの選定がやり直しになり迷惑をかける。

2P目は柴田が登るが緩い雪壁でどうと言う事は無い。

それにしてもあれだけ近くに見えたドームがなかなか近づかない。

「無理するな、近くに見えてもドームは遠い、か」と一人ごちるが面白くも何ともない。

ビレーポイントが取れないのでやむなく中指くらいの太さの潅木3本とアックスでセルフを取るがリードの墜落には到底耐えられない事は最初からミエミエ。

3P目浅野さんリード。

傾斜も所々垂直になり多少太めの潅木でランナーは取れるもののアックスも効かずスタンスも崩れるところがありフォローでも緊張した。

ようやくドームが目の前に姿を現す。

4P目はドーム正面までの雪のリッジで傾斜はあるがスタンスがわりと決まるようになり緊張感は少ない。

見下ろすと滝沢リッジが美しいラインでドームまで延びている。

ようやくドームに辿り着きシュルンドの内側で岩壁を背に浅野さんを迎える。

我々はドーム正面の横須賀ルート付近に出たが上部草付帯はあとから人の記録を読むとみんな色々なところを登っていて、また年によって条件も変わるようだ。

ドーム基部で小休止の後Aルンゼへの下降点まで短いトラバース。

確かに余り気持ち良くないがドームに打たれたボルトが使えたので上部草付帯に比べれば精神的には楽。

秋野・中田のレリーフに心の中で合掌し、懸垂下降点からAルンゼを見下ろすと着地点まで結構遠い。

50m一本で足りるか心配になるがまあ最悪はロープをシングルでフィックスすれば帰れるしそもそもダブルでないと届かないと言う記録など読んだ事ないぞ、と浅野さんと話す。

先に降りた浅野さんの「末端が雪面に届いている」の声にほっとするが着地した浅野さんの足下で大きなシュルンドが突然開き浅野さんが落ちかけるのを見て驚く。

表面に積もった雪がシュルンドを隠していたようだ。

幸い懸垂ロープを離す手前だったので大事には至らず。

Aルンゼは北向きである事と新雪が降っていないことで安定していた。

先行した単独の人のトレースが点々と残っている。

向畑さんのアドバイス通り途中から左に折れドームのコルを経由し気持ちの良い雪のリッジを登り国境稜線に抜けた。

浅野さんと握手し、ギアもハーネスもザックに仕舞いこんでオキの耳経由で西黒尾根を下る。

急に重くなったザックと安全地帯に抜けた安心感でヨレるが途中休んでパンを食べ水を飲んだら急に元気が出てきた。実は単なるシャリバテだったのでした。

樹林帯に入り在京の櫻井さん宅の留守電に状況を入れる。

ついでにアイゼンも外すが2年前の片山さんの骨折事故はそういえばこの辺りだったなあと、ふと思い出す。

シリセードで先行する浅野さんに追いつき、腐りかけた雪の上にステップが縦横に踏まれて無茶苦茶になったトレースを一気に下る。ヘッデンになるかと思われたが何とか明るいうちに指導センター着。

【タイム】
指導センター(2:15) → 一ノ倉沢出合(3:05)→ 下部氷瀑取付(4:40) → 上部草付帯(9:30) → ドーム基部(13:15) → オキの耳 (15:15) → 指導センター (17:45)

【主な携行ギア】

・ スクリュー8本(maxでも6本までしか使わず)

・ スノーバー1本(使わず)

・ 50mロープ1本(1本で十分と感じた)

・ エイリアン2本(使わず)

・ シュリンゲ適数(実際に使用したのは上部草付帯で数本程度)

 

足尾 松木沢 ウメコバ沢左岸尾根から皇海山

2002年2月9日から3日間
深沢、三好、瀧島(記)


クライマーに足尾松木沢と言えば、普通はアイスエリアとして思い浮かべるだろう。

私も初めての松木沢は87年の1月に黒沢でのアイスクライミングだった。

その後も数回、松木沢にはアイスに行ったことがあると思う。

89年の9月に初めてアイスではない松木沢を体験した。

宇都宮白峰会の水口君に案内してもらいウメコバ中央岩峰の凹角ルートを登り、余った時間でスーパーフレークの1P目に触った。

この時に松木沢の魅力はアイスだけではないことを知った。

中央岩峰の岩は堅く豪快なムーブを楽しめてアプローチも短い。

おまけに人が少なくいたって静かだ。

うまい、安い、早いは吉野家。

近い、堅い、静かは松木。

吉野家も好きだけど、松木はもっと好きだ。

東京近郊でこれだけのスケールと内容がありながらこんなに静かなのはなぜだろうか?ガイドブックや雑誌にはあまり載らないのが大きな理由だろう。

それだけではなくアイスクライミングで松木沢を訪れたクライマーは荒涼とした風景と、入り口から見えるジャンダルムのいかにももろそうな岩場のおかげで食指がわかないのかもしれない。

その後もウメコバ沢の両側のルートには数回訪れたが、毎回満ちたりた気持ちで帰ってきた。

凹角ルートはお気に入りで5回くらい登っている。

自分にとっての松木沢はお気に入りの岩場なのだ。

気がついたらすでに40歳を過ぎていて自分が今までやみくもに登っていた山とはなんだったのかなと考えていたのだ。

そこでこれからはしばらくの間なんとなく好きな松木沢周辺を四季折々、さまざまな方面から深めて楽しんでみよう。

幸い松木沢は家からも比較的近く、日帰りでも楽しめて今の自分の生活リズムで十分にやれる山域なのだ。

今回の計画はその第1段階のもので中央岩峰からいつも見上げていた岩尾根を辿って、未だ見たことのない皇海山まで行ってみようと考えた。

 

2月9日

快晴

間藤駅でビバークしてからゲートの少し先まで車で入った。

以前は松木川の林道はすぐに崩れるが復旧も早かった。

ウメコバ沢出合まで車で入れたことも何度もあったがここしばらくはゲートを越えてすぐの川原を車で越えることはできない。

これも公共事業削減の影響なのだろうか?ウメコバ出合まで本流に注ぐ沢と岸壁の写真を撮りながら歩いた。

目標のウメコバ沢左岸尾根はオロ山から北に延びるオロ山尾根の1682m台地から一気に高度を下げている。

松木川の広い川原から700m強の標高差がある。

ウメコバ沢は出合の奥にすぐにF1が見えるがそのすぐ右側の岩場は悪そうだ。

出合から本流を80m位進んだあたりの薄い樹林帯から取り付いた。

本流の広い川原からいきなり急登だ。

この尾根の下部は岩が露出しているが岩を避けてグングン高度を上げる。

樹林がほとんどなく風当たりが強いので雪は飛ばされて余り付いていない。

岩の部分は木があってもほとんどが立ち枯れなので支点を作るには頭を使う。

途中1ヵ所念のためにロープを使った。

弱点をついて登っていく。

慣れ親しんだ中央岩峰を見下ろし、対岸にはウメコバ尾根に突き上げるチャンピオン岩稜あたりがゴジラの背のようだ。

振りかえれば松木川の広い河原に注ぐ小足沢が深く切れ込みゴルジュの壮絶さを想像してしまう。

1682m台地に上がるとこの尾根は豹変する。

まるでどこかの高原の雰囲気だ。

木々の間からはじめて見る皇海山も姿を見せた。

ここでワカンをつけた。

あとは歩いてオロ山へ。

ラッセルも苦にはならない。

オロ山を過ぎて、広い尾根を少し南に回りこんで風を避けて幕場とした。

8:30車発、9:20~40ウメコバ沢出合、12:30~13:00 1682台地直下、16:30オロ山泊

 

2月10日

高曇り~晴れ

朝なのに誰も起きずに出発が8時になった。

関東平野を横切る利根川が光っているのが見える。

松木沢には何度も通っているが思えば稜線に立ったのは今回が初めてだ。

東南を見れば関東平野が広がっているけれど北西方面には雪雲が沸いている。

今日の前半の庚申山までは広い尾根を濃い樹林帯を避けながら進む。

時折、赤布もある。

庚申山で銀山平からの登山道に出会った。

ここから先は夏道を進む。

いくつか小さなピークを越えると鋸山の岩峰群に差し掛かった。

2.5万図以外の情報は調べずに来た訳だがここから6Pもロープを使う事になるとは。

鋸山という名前からこの山はかなりギザギザしているのかなと思っていたが、2.5万図を見る限り稜線がそんなに痩せているとは思えなかった。

庚申山あたりから見てもそんなに険しそうには見えない。

1P目懸垂25mでコルへ。

2P目雪壁を左にトラバース40m。

3P目雪壁を直上し小ピークへ50m。

4P目細いリッジを進む。

5P目リッジを進んで梯子を下ってから上り返し。

6P目懸垂20m。

難しくはないが落ちたら止まらない。

新人の深沢君を連れているので迷わずロープを着けた。

支点はすべて潅木が使えるから安心だ。

予想に反して岩峰群の登高を楽しめたのがうれしい。

少し進んで狭いコルを均してテントを張った。

オロ山BP8:00鋸山頂上直下のコル16:45

 

2月11日

晴れ時々曇り

コルからほんの一登りで鋸山の頂上に着いた。

ここまで来てテントを張れば良かったけど後の祭りだ。

南に袈裟丸山と関東平野。

北には皇海山がでかい。

今日も冬型で皇海山は雪雲に隠れたり出たりしてしている。

皇海山までの道は夏道があるもののはっきりはしていない。

等間隔で赤テープがある。

鋸山からの下りはロープを出さないで済んだ。

下り切った鞍部が不動沢のコルで、ここまでは西側の栗原川林道の終点から登り出して2時間くらいで辿り着くそうだ。

100名山ハンターも楽チンだ。

コルからは樹林帯にルートを探しながら皇海山を目指した。

途中、振り返ると鋸山の岩峰群カッコよく見えた。

カメラを出して移そうとしたが突然のトラブルでシャッター落ちない。残念だけど諦めよう。

コルから250mを登ると頂上に着いた。

ここで大休止。

後は下るだけだが下山路は西に伸びる尾根を考えていたが見た感じブッシュがすごそうなので北に伸びる縦走路を下ってから松木川の本流に下ろうと考えた。

もし沢に入ってしまったらそれもOK。「ロープも持ってるし懸垂すればいいや」と気軽に考えていた。

急なブッシュの中をどんどん下った。

左に見える縦走路に戻るのもしんどそうだ。

「はまったら、その時に考えればいいや」という雰囲気で沢を下りる事にした。

これがはまりの始まりだった。

初めの懸垂は40m位で氷のない涸棚だった。

その後も次々と懸垂して20mから30mクラスの適度なアイスが4つ位あった。

最後の涸棚を含めて皇海山を目指すアイスルートとしてもいいかもね。アプローチをいとわない立派な岳人にお勧めです。

滝の数だけ懸垂をした。

やっと傾斜が緩くなり滝も無くなると当然のごとく水が出てくる。

広い河原をラッセルと飛び石の渡渉をワカンを着けたまま何度も繰り返す。

もういいかげんにしてくれと思っていた時にウメコバ沢の出合にやっと辿り着いた。

放心状態でワカンを外そうとするが、凍ったワカンのバンドはこれが外れないんだよ。

何度も谷を下っているけれど、今回は谷を下ったおかげで楽しめたけれど、ルートを探しながら尾根を下るのが順当だったのだろう。

今回も失敗はあったけれど会心の山ができたと思う。

BP7時頃、皇海山10時30分ころ、松木沢ゲート19時頃

思えば18歳の深沢君と年の差は倍以上、20代のみっちょんが加わってくれたから年の差は平準化された。

今後も登っていれば自分の孫と一緒のようなパーティーも結成できるかも。

こんな事を考えるのは早すぎるかもしれないが20年後に是非実現したいものだ。

その時まで体力と気力を持ち続けていたいものだ。

マイナーな山域で自分で思い描いたルートをトレースできたことがうれしい。

 

富士山(馬返し~吉田口ルート)

2002年2月3日
浅野、柴田(記)


湯河原幕岩からいったん待ち合わせの八王子まで戻りそこから浅野号で富士吉田に向かう。

高速の終点手前では富士急ハイランドの恐ろしげなコースター「フジヤマ」がライトを浴びて夜空に浮かんでいる。

岩登りはするがああいうのは恐くて嫌いだ。

浅野さんはどうか、と聞くと「自分もイヤですね。恐いです。」と同類のようである。

中の茶屋でチェーンを着け、馬返し少し手前の空き地で2時間ほど仮眠。1時に起きる。

天気予報によれば南岸低気圧が接近し下り坂だがまあ体力トレーニングとして7、8合目あたりまで行くだけでもいいか、風が強くなってきたらとっとと帰ろっと思いつつ眠い目をこすりながら支度をし2時に出発する。

荷物は軽いが睡眠不足にヘッデンの灯かりもぼんやりかすみ雪まで降り出す始末で低調なプロムナード。

1時間に1回は休憩を要求し、その度にヘタヘタと座り込んで睡眠を補充する。

こういうアプローチを今年は甲斐駒と北岳で2回やったがいずれも浅野さんと一緒だった。

睡眠不足は苦手である。

3時間ほど歩きようやく佐藤小屋に到着。

小屋の人によれば昨日単独の人がひとり登ったのみで今日はいまのところ我々だけとの事。

六角堂で再度睡眠補充の後膝前後のラッセルで登高を続ける。

このあたりでようやく明るくなってきてヘッデンを消す。

6合目を越えるとラッセルは随分浅くなり、かわってクラストした雪面が出てきたのでアイゼンを着ける。

ようやく眠気がとれて頭も平常状態に戻ってきた。

甲斐駒黒戸尾根の5合目状態に相当か。

ずっと小雪で風は比較的穏やか。

ラッセルはスネから膝くらいで大した事はないがなるべくクラストした所を選んで登高を続ける。

9時過ぎに7合目着。

吉田大沢をはさんでガスの向こうに屏風尾根が見える。

浅野さんによるとあそこはロープは出さないがずっと休める所がないとの事で風が吹くととんでもなく恐い所らしい。

7合目以降は乱立する小屋や防砂堰堤を縫ってチンタラと登り続ける。

8合目は上から下までずいぶん幅が有りどこが本当の8合目なのかよくわからん。

9合目から上を仰ぐと雪煙に霞む鳥居が見え、あと少し、と自分を励ましかつだましゆっくりと登り続ける。

浅野さんはタイムリミットを1時と設定したが頂上着はこのペースだと丁度そのくらいか。

このあたりは通常ならブルーアイスの危険地帯のはずだが降り続く雪のため蒼氷は隠れキックステップで簡単に登る事が出来、風も穏やかでいささか拍子抜け。

鳥居手前の最後の斜面は高度の影響かゼーゼー言いながらカメのような歩みでようやく石碑のある頂上に着いた。

時計は1時を数分回った所だった。

ヤレヤレ疲れた。

でも頂上まで来れてよかった。

風に吹かれながらレーションを少々食し子供たち用に頂上の石を数個拾う。

これで少しは尊敬してくれるだろうか。

お鉢巡りの元気も時間も無しで来たルートをそのままスタコラと戻るが降り続く雪のためトレースはかなり不明瞭になっている。

まあ夏道の鎖や建造物がずっと続いているので道迷いの心配は全くない。

不意の事故だけは気を付けようと自分に言い聞かせる。

雪はもう少し多いと雪崩がまじめに心配になる所だがいまのところそこまでの気配はないようだ。

ヨレながら雪を蹴散らし8合目・7合目とゆっくり高度を下げる。

終始元気が良かった浅野さんもここに来て結構ヨレ始めている模様。

佐藤小屋に4時着。

既に閉っているが喉が渇いたので水を作る事としてしばし小休止。

学生っぽい10人以上のパーティが上がってくる。

これから雪訓のため合宿との事。

休んで水を飲んでたら元気が回復した。

雪は依然として降り続いているがここからはトレースも有り黙々と下り続け夕闇迫る5時40分に車止めに到着。

約16時間行動。

これでも北岳の時よりは1時間少ない。

浅野号は50cmほど雪をかぶりダルマ状態になっていた。

車が出せるかどうか少々心配だったがチェーンの威力はたいしたもので無事脱出成功。

コンビニで食料を調達し下山報告した後はベチャ雪の富士吉田を後に中央道で東京を目指した。

 

大谷不動

2002年1月30日から3日間
森広、大滝(記)


1月30日

峰の原スキー場10:10発 快晴 13:30不動尊着 本流へ下見に行く。
17:00テント場着。

1月31日

午前 雪
11:30発 右側壁の氷瀑へ向かう。
13:30取り付き
15:30終了
17:20テント場

2月1日

5:20起床 晴れ
7:00発 不動裏の氷瀑へ向かう。
11:30テント場着
12:00発 15:00峰の原スキー場

 

去年初めて大谷不動に行って虜になってしまった。

今回で2回目だ。

東京から須坂は遠いので、中央道梓川Pで仮眠した。

スキー場の端でスキーシールを外し順調に林道を行く。

去年、森広さんの板がワックス不足で雪が付着して苦労した。

しっかり準備したらしく今回は問題ない。

わかんらしき跡がある。

ここはスキーのほうが楽だ。

不動尊に着いたらテントが1張あった。

後で会ったら、2人パーティで1人は森広さんの知人だった。

わかんとスノーシューでの入山で1日かかったそうだ。

13:30中途半端な時刻なので、本流へ下見に行く。

早目に沢に降り詰めて行く。

F1が大きい。

去年はたいしたことがなかったのでノーザイルで越したが、8M程垂直。

下は壷が口を開けている。

そのまま行こうかと思ったが、森広さんがロープを欲しがったので、アンザイレンした。

ここを越すと本流F2と右側壁の氷瀑が現れる。

F2は去年より下部が易しく見える。

前回、右側壁に取り付こうと思って近づいたら、雪の塊がぼたぼた落ちてきてそそくさと逃げ帰った。

近くで観察すると、中央は良く凍ってはいるが少し雫が垂れている。

右端が登れそうだ。

右端の垂直を登り、左にトラバースし、切れればピッチを切って直上する。

そう言う作戦で行こう。

テントに帰って美味しいおでんを食べた。

 

1月31日、起きたら雪が降っていた。

天気待ちをして、昼前に出発。

F1を越し、右側壁に着く。

本当は中央を行くべきだろうが、ぶっ立っているし、でこぼこしていてランニングが採り難そうだし、雫も落ちている。

ここは右に逃げよう。

力が付いたらいつか中央を登ろう。

右端に取り付く。

10m程垂直に近い。

途中、オフィズスみたいにへこみがあったので身体を入れて休んだりした。

緩傾斜になり左上する。

上部垂直部の下に着く。

ピッチを切ろうと思ったが、下から見るより傾斜があるし、氷がすかすかしていて、ビレー点には心許ない。

このまま登ろう。

一休みして登り始める。

段々と腕が疲れて来る。

うー、辛い。

うー、苦しい。

うー、まずい。

手首で振ると言うよりも、腕全体で振る。

はあー、なんとか垂直部は抜けた。

良かった。

ビレー点の木は10m位先の左だ。

遠くてコールが聞き取り難い。

後で森広さんの言うには、ロープが一杯になったので登ってきたそうだ。

懸垂したら50m一杯だった。

右から登ったので足りなくなったんだ。

使用スクリュウ6本

 

2月1日、帰る日なので早く起きた。

不動裏に向かう。

去年は左だけ登った。

今年は右ルートを登ろうと考えていたが、会ったパーティに聞くと、右ルートをトップロープで登ったそうだ。

左ルートを登って、回り込んでロープセット出来るらしい。

左ルートは前回より垂直部が短く見えた。

それでもやはり緊張する。

上部で容易に右に歩いて行って、立木にトップロープをセットする。

下降してみたら、ハングになっていた。

とてもじゃないがリード出来ない。

上で確保してもらって、トライしたが、疲れて、疲れて、2回程、ぶら下がって休んだ。

森広さんは5回程休んだ。

暫く前から、ペツルのルベルソーを使っているが、セカンドのビレー時にフルロックするので、この様な時はとても楽が出来た。

今回も満足した。

来年の計画を思案しながら、快調にスキーを滑らして、明るいうちにスキー場に着き、「湯っ蔵んど」の温泉に入って帰京した。

 

戸台川 上ニゴリ沢、舞姫の滝、歌宿沢

2002年1月12日から3日間
森広、神谷(同流山岳会)、柴田(記)


1月12日

急行アルプスと飯田線を乗り継いでようやくたどり着いた北伊奈駅の待合室はクッション付の椅子で暖かそうに見えたが「朝7時30分まで閉鎖」との張り紙にガックリ。

寒さに震えながら1時間以上バスを待つのも気乗りしないので3人で協議の結果戸台までタクシーで行く事にする。

7650円を支払い放り出された戸台はまだ薄暗くて寒々しいが支度をしているうちに大分明るくなってきた。

河原に沿ってチンタラ進むと1時間少々で上ニゴリ沢出合いに着き、登山道脇にベース設営後上部の上ニゴリ沢に向かう。

赤い鉄製堰堤を越えて暫く進むと左から小百合沢F1が出合うのでウォームアップでここを3人で登る。(このときはここがカミニゴリ沢F1と思っていた。)

Ⅲ+くらいで難しくはないが氷はもろい。

今回は年末に買ったライトマシンの筆おろしなのだが期待を込めて振っているのに5回に1回くらいしか決まらず「おっかしいなー」。

小百合沢F1を全員が登った後本当のカミニゴリF1に移動。

2パーティほど先行しており、左のV+はある一番難しいラインを立った所を神谷さんリード。

フォローの気楽さで「これで登れるか」といろんなムーブをためしてみたら全部NGで何度も落ちてしまった。

氷は岩と違いだましだまし、というのは通用しない事が良く分かった。

左にトラバースしてスーパー林道に上がりF2を森広さんが難なくリード。

やや氷は薄い。

F3は10m程度で短く易しく茶色がかったF4は結構大きく左下から右上のライン20mくらいを柴田リード。

ここで元秀峰会員の杉浦さんに会う。

今は箕輪付近に住んでいてここから1時間ですよ、と言っていた。

下りは途中からヘッデンになってしまったがF1をヘッデンつけてトレーニングしているパーティもいた。

1月13日

赤河原を経由して舞姫の滝に向かう。

出合いからきれいな姿のF3が上に見えている。

F1~F2は森広さんによれば普通ロープなしで行ってしまうとの事だが今回はロープを付けて短いが立った所を選んで登る。

舞姫の滝F3に着くとちょうど先行パーティが取付いた所で、トップは核心3本目の支点を飛ばして登っている。

先行のセカンドがフォローした後は神谷さんの是非との希望でリード。

フリーで要所にきちんと支点を取りきれいに抜けていった。

柴田・森広と続く。

氷結状態は概ね良好だが時々ピックを打つと氷がまとめてはがれてくる。

F4、F5はなんと言う事なく、F6は右の氷柱部を登り左にトラバース、中央の氷柱部をまた登る。

雪でおおわれた急斜面のガレを登りタッチの氷柱にタッチ。

森広さんは何やら氷の彫刻をタッチの氷柱の下にピッケルで製作していた。

舞姫はF3で帰ってしまうパーティが多いようだが最後まで詰めるのはそれなりの達成感がある。

出合いにザックをおいてきたので空腹を抱えて懸垂を繰り返して出合に戻る。

時間が余れば舞姫ルンゼでもと思っていたがこれからだと前日に続いてのヘッデンになりそうなのでおとなしくテン場に戻る。

1月14日

歌宿の沢に入り歌姫の宿を捜すがトレース通りだと氷瀑に出ないままスーパー林道に出てしまいそうだ。

途中から一本左の沢に入った所でにぶく光る氷瀑が現れたのでそちらに進むが、更に右手にそれよりも大きなガイド本通りの氷瀑が現れこれが歌姫の宿である事が分かる。

小滝とナメ状を越えて取付きで支度を終え「さあて、リードしたい人は」となるが神谷さんは「私は昨日舞姫をやらせてもらったので今日は結構です」と控え目である。

森広さんに希望を聞くと「先に登って」との事なので1P目柴田、2P目森広ということで登攀開始。

中央部の氷柱状はしずくが垂れているので傾斜の緩い下部15mくらいを終えた後でやや左にトラバース。

前日ガレをガシガシ歩いたせいかここまでの緩傾斜帯でもアイゼンのフロントポイントが全然決まらず蹴り込んでもつるつる滑り焦る。

またスクリューは7本のうち既に3本を使ってしまっておりどうも足りそうもないので下から3本補給してもらう。

できればフリーでリードしたかったがこのゴタゴタであっさりフィフィ使用。安全第一と言い訳しつつ実力不足でした。

堅い氷質の立った所を5mほど登ると傾斜が緩み今度は右にトラバースし直上する。

左の潅木で切る事が出来るかな、と思っていたが少々遠くまた簡単でもなさそうなのでもう一段上の潅木を目指す事とする。

氷質は水氷に変り食いつきが良くなっている。

ライトマシンも2回に1回は決まるようになってきた。

下からは「あと10m」のコールがかかるが10mあれば何とか届くだろうと登り続ける。

IV級程度を7mほど登ると左手に潅木の生えた雪を付けない斜面と右手すぐ上部にスーパー林道が突然現れ、終了点直前まで登ってしまった事が分かった。

左手の潅木でセルフを取り森広さん、神谷さんの順番でフォロー、そのままスーパー林道まで上がる。

2P目リードのはずだった森広さんはルートが殆ど終わっているのを見ると「あれーっ」と驚いていた。

3人が林道に揃った所でお疲れさまと握手。

時計を見ると既に12時45分。

ずいぶん時間が掛かってしまった。

大急ぎで左岸の尾根を下降し歌宿沢経由でテン場に戻る。

テン場を撤収のして2日前に歩いた道を戸台に戻るが暖かで春のような陽気だった。

 

【タイム】

1月12日:戸台 6:45→カミニゴリ出合 8:15

1月13日:テン場 8:00→舞姫の滝出合 9:20→F3上12:00→タッチの氷柱13:30→F1下15:00

1月14日:テン場7:30→歌姫の宿取付9:30→終了点(スーパー林道)12:45→テン場 14:10/14:30→戸台15:30

 

赤岳 天狗尾根から真教寺尾根

2002年1月1日から3日間
一ノ瀬、池﨑、瀧島(記)


そもそも八ヶ岳に来るはずではなかった。

大晦日に五竜岳を目指してまさに歩き出そうとしてザックを背負った瞬間に池崎のザックがバキッと嫌な音を発した。

点検してみると背負うために一番大切な背負い紐が背中の中心部分から切れている。

このザックで予定通りに計画をこなすことは不可能だし今後の天気も好天は期待薄だし、この時点で五竜岳の計画は中止した。

今回は止めとけという、天の声だったのか?こんな事で中止とは昔ならば腹の虫が収まらなかっただろうけど、年とったのか、丸くなったのか。すぐに気持ちを切り替えることができた。

松本でザックとその他の装備を揃えて、いろいろ考えた末、短期間で十分にこなせる八ヶ岳東面の天狗尾根に転進することにした。

 

1月1日

晴れ

美しの森駐車場で奥秩父の山々の上に昇った初日の出をしっかりと目に焼き付けてから出発。

地獄谷に続く林道をつめ途中から沢通しに進む。

トレースを追いかけて堰堤をいくつか過ぎて地獄谷の小屋を通過する。

さらに進むと目指す天狗尾根を登ってツルネ東稜を降りてきた3人パーティーと出会った。

彼らのものと思われるトレースは右の赤岳沢に延びていた。

今回は地獄谷の本流側から天狗尾根に取り付こうとしていたので、地獄谷本流をしばらく進んだ。

本流の川原はラッセルが深く、樹林の少ない斜面から天狗尾根の尾根上に出た。

しばらく進むと先行パーティーのトレースに出会った。

風も防げる樹林の中で快適なテントスペースを見つけ、少し早いけれどテントの中にもぐり込んだ。

樹間からキレットが見えるが現在地はキレットより少し低いようだ。

 

1月2日

風雪

テントから外を覗くと視界はほどほどだったが、出発時には遠景は全く見えなくなっていた。

しばらく樹林帯を進んだ。

はじめは先行パーティーのトレースも残っていた。

樹林帯では雪も風もほとんど気にならない。

最初の10m程の岩場は左のバンド状から簡単に巻けた。

次の30m程の岩場で初めてロープを使った。

ここには右側を巻くフィックスロープがあったが正面左側から右上する凹角を登って抜けた。

このあたりで森林限界を抜けたようだが東面なので風はそれほどでもない。

しばらくガスの中を登ると大きな岩場にぶつかった。

ルートを探ると50mくらい右下に岩場の弱点を発見した。

ビレー点にちょうど良い岳樺にはテープが張ってある。

かぶり気味の凹角に残置ハーケンも見える。

ここを強引に超えて一段上のバンドに上がりバンドを右に抜けた。

きっとこのあたりが大天狗や小天狗の岩峰のあたりだろうか。

後は風雪の中ひたすら高きを目指した。

銃走路に出てからも意外と長い。

頂上では誘惑に負けて小屋で休憩してお汁粉を食べた。

山頂小屋は年末年始には営業しているのだ。

ここは正月の赤岳山頂、でも小屋にはお客はいないみたいだ。

こんな天気には誰も登ってこないのか?

権現岳まで縦走してからツルネ東稜を下ろうと思っていたが、風の強い銃走路を避けて真教寺尾根を下ることにした。

東面の真教寺尾根に入ると風はかなり弱まってくれた。

後は尾根を外さないように慎重に下る。

1ヵ所、不安定な雪壁で懸垂した。

風は弱まったけれど風下の東面の雪の量は想像以上だ。

腰から胸まで潜りながらも傾斜があるので雪崩に気をつけながらどんどん下った。

もちろんトレースはなかった。

途中に懸垂も1回。

2500m付近で少し傾斜が緩みテントを張れる場所を発見。

テントに入ったらすぐにヘッドランプが必要だった。

 

1月3日

小雪のち晴れ

この日も下りラッセルを続ける。

傾斜がなくなってくると空荷でのラッセルで進む。

牛首山を過ぎると雪も大分減ってちょうど12時頃に美しの森駐車場に着いた。

今回は予想以上の充実感を味わうことができた。

それは正月なのにほとんど人に会わない静かな山であったこと。

二日目の風雪で先行パーティーのトレースも無くなり、冬山の厳しさを味わえたこと。

下山路の真教寺尾根は予想を超える雪の量だったこと。

この3点が充実した理由だと思う。

40才過ぎた体にはよい刺激になった。

自分にとっては新鮮味の薄い八ヶ岳で新しい発見ができたのがうれしい。

鉱泉や行者小屋で定着したり、軽荷の日帰りで駈足で登るだけが八ヶ岳ではないのだ。

慣れた山だからできる創造的な山登りを八ヶ岳では目指してみたい。