富士山

2017年4月2日
薄田、川上(記)

薄田さんから富士山に行こうという提案があり、一度行ってみたかったので、喜んで夜行で出発。天気予報では、午後から崩れるとのこと。正午になったら、どこにいても引き上げようということになった。
この1週間でかなり雪が降ったようで、薄田さんの愛馬のレガシィは馬返しまで入ることができず、吉田口の中ノ茶屋を5時半発。馬返しを越えると、ひざ下くらいまでの積雪がある。でもトレースがあったので一安心。三合目には7時45分ごろ、五合目の佐藤小屋には9時半頃に着いた。雲は多少あるものの、青空が広がり、無風。本当に午後3時ごろから天気が崩れるのだろうかというくらいの好天だった。

五合目付近で休憩

「この調子なら8合目くらいまではいけるかな」と期待したのも束の間、佐藤小屋より上にトレースがなく、ひざ下~腰くらいまでのラッセルとなる。本格的なラッセルはあまり経験がなく、よい勉強になったが、とてもきつかった。でも、不思議なもので、途中から少しだけ楽しくなってきた。六合目に11時45分到着。
六合目に到着

すると、ほどなくして、下から2人の外国人(ドイツ人?)が上ってきた。「もうちょっと早くきてくれ」と心の声あり。薄田さんは「もう時間だから引き返すか」とのこと。もう少し上まで行ってみたかったが、後ろ髪を引かれるように下山を開始した。ドイツ人?たちは頂上を目指すらしい。天気予報のことと、われわれは引き返すむね、英語で伝えて、薄田さんと「be careful」と見送った。
六合目から上を見る

下山は楽チン。みるみるうちに高度を下げて午後3時に車に到着した。と、その瞬間、雪が舞いだす。「すごい、ぴったりだ」。きっと上の方はかなり荒れているだろう。さすが薄田さんの判断+さすがの天気予報。我々の車の後ろには、六合目で会った外国人のものと思われるベンツが置いてあった。近くの温泉につかって、東京へ帰った。都内では路面がぬれていなかったので、雨は降ってなかったようだ。
とてもよいトレーニングになった。また再び来て、今度は頂上まで行ってみたい。薄田さん、ありがとうございました。

富士山

2015年12月19日~20日
薄田(単独、記)

行程:
12月19日(土)
富士山駅(旧富士吉田)750m 11:00 – 五合目(佐藤小屋)2,450m 16:00
12月20日(日)
五合目 5:30 – 九合目手前3,450m 10:50

「頭を雲の上に出し♪」歌い出しでありますが「え、そんな歌知らない!」という声が聞こえそう。
「山、高きが故に尊からず」は夏の話。冬は違います。
岳人(死語かも)には格好のトレーニング場と化すGoodな山なのです。
富士山駅から頂上まで標高差3,000mも有るのです。
その上、雪が早く(今年はご多分に漏れず無い)、その昔は皆さん吉田の駅から重いキスリングを背負って登ったらしい(私も見たことは無い)。

前置きが長くなりましたが、前日の忘年会が響いて19日は遅めのスタート。
吉田の駅を出ると、いつもの「ビリッと」する寒さが無い。やはり暖冬。
仕方が無いので、オーバーズボン(サイドファスナー無し)だけ履いて登り出す。
中の茶屋 → 馬返し → 一合目 → 四合目・・・雪が無い。全くない。
五合目の手前から、申し訳なさそうにやっと白いものが現れるが、水を作るのは無理(ガーン!)。
前日、関越道から見たときには五合目から上は白く輝いていたのに・・・。
水はテルモスも含め1.5Lしか持参していない。
佐藤小屋を頼りにするしか無い。
その佐藤小屋の周りも雪無しだったが、流石に営業小屋、天場代含む800円で水が貰えた。
「助かった。」

20日、天場を5:30に出る。
六合目、七合目と雪が無く、七合半でやっとアイゼン装着。
10:30、3,450mで時間切れ。
九合目手前
残す高度は300m、目の前に頂上が見えるが、所要時間を見積もると往復で一時間強は見ないといけない。
もう一時間早く出るべきだった。反省。
只、そこは「冬富士」。「ギラギラ」に輝く一面の青氷(青くないけど)のはず。
それを見て、オジサンクライマ-は思わず「ウオリャー!」と叫んだのでした。近くに同年代オジサンがいるのも構わず・・・。
ウオリャー!
老婆心ながら、ここからのテカテカ氷には、アイゼンの爪を鋭利に研がないと危険です。
当日は春のように風がおとなしいが、30m/sを越える突風も有り、友人もやられて佐藤小屋のブルドーザーに御世話になっております。

 

富士山(馬返し~吉田口ルート)

2002年2月3日
浅野、柴田(記)


湯河原幕岩からいったん待ち合わせの八王子まで戻りそこから浅野号で富士吉田に向かう。

高速の終点手前では富士急ハイランドの恐ろしげなコースター「フジヤマ」がライトを浴びて夜空に浮かんでいる。

岩登りはするがああいうのは恐くて嫌いだ。

浅野さんはどうか、と聞くと「自分もイヤですね。恐いです。」と同類のようである。

中の茶屋でチェーンを着け、馬返し少し手前の空き地で2時間ほど仮眠。1時に起きる。

天気予報によれば南岸低気圧が接近し下り坂だがまあ体力トレーニングとして7、8合目あたりまで行くだけでもいいか、風が強くなってきたらとっとと帰ろっと思いつつ眠い目をこすりながら支度をし2時に出発する。

荷物は軽いが睡眠不足にヘッデンの灯かりもぼんやりかすみ雪まで降り出す始末で低調なプロムナード。

1時間に1回は休憩を要求し、その度にヘタヘタと座り込んで睡眠を補充する。

こういうアプローチを今年は甲斐駒と北岳で2回やったがいずれも浅野さんと一緒だった。

睡眠不足は苦手である。

3時間ほど歩きようやく佐藤小屋に到着。

小屋の人によれば昨日単独の人がひとり登ったのみで今日はいまのところ我々だけとの事。

六角堂で再度睡眠補充の後膝前後のラッセルで登高を続ける。

このあたりでようやく明るくなってきてヘッデンを消す。

6合目を越えるとラッセルは随分浅くなり、かわってクラストした雪面が出てきたのでアイゼンを着ける。

ようやく眠気がとれて頭も平常状態に戻ってきた。

甲斐駒黒戸尾根の5合目状態に相当か。

ずっと小雪で風は比較的穏やか。

ラッセルはスネから膝くらいで大した事はないがなるべくクラストした所を選んで登高を続ける。

9時過ぎに7合目着。

吉田大沢をはさんでガスの向こうに屏風尾根が見える。

浅野さんによるとあそこはロープは出さないがずっと休める所がないとの事で風が吹くととんでもなく恐い所らしい。

7合目以降は乱立する小屋や防砂堰堤を縫ってチンタラと登り続ける。

8合目は上から下までずいぶん幅が有りどこが本当の8合目なのかよくわからん。

9合目から上を仰ぐと雪煙に霞む鳥居が見え、あと少し、と自分を励ましかつだましゆっくりと登り続ける。

浅野さんはタイムリミットを1時と設定したが頂上着はこのペースだと丁度そのくらいか。

このあたりは通常ならブルーアイスの危険地帯のはずだが降り続く雪のため蒼氷は隠れキックステップで簡単に登る事が出来、風も穏やかでいささか拍子抜け。

鳥居手前の最後の斜面は高度の影響かゼーゼー言いながらカメのような歩みでようやく石碑のある頂上に着いた。

時計は1時を数分回った所だった。

ヤレヤレ疲れた。

でも頂上まで来れてよかった。

風に吹かれながらレーションを少々食し子供たち用に頂上の石を数個拾う。

これで少しは尊敬してくれるだろうか。

お鉢巡りの元気も時間も無しで来たルートをそのままスタコラと戻るが降り続く雪のためトレースはかなり不明瞭になっている。

まあ夏道の鎖や建造物がずっと続いているので道迷いの心配は全くない。

不意の事故だけは気を付けようと自分に言い聞かせる。

雪はもう少し多いと雪崩がまじめに心配になる所だがいまのところそこまでの気配はないようだ。

ヨレながら雪を蹴散らし8合目・7合目とゆっくり高度を下げる。

終始元気が良かった浅野さんもここに来て結構ヨレ始めている模様。

佐藤小屋に4時着。

既に閉っているが喉が渇いたので水を作る事としてしばし小休止。

学生っぽい10人以上のパーティが上がってくる。

これから雪訓のため合宿との事。

休んで水を飲んでたら元気が回復した。

雪は依然として降り続いているがここからはトレースも有り黙々と下り続け夕闇迫る5時40分に車止めに到着。

約16時間行動。

これでも北岳の時よりは1時間少ない。

浅野号は50cmほど雪をかぶりダルマ状態になっていた。

車が出せるかどうか少々心配だったがチェーンの威力はたいしたもので無事脱出成功。

コンビニで食料を調達し下山報告した後はベチャ雪の富士吉田を後に中央道で東京を目指した。

 

富士山 サミットフォール(見ただけ)

1999年5月29日~30日
森広、三好、中嶋(記)

朝の7時に高尾山口に集合。

有楽町線の始発に乗ってなんとか間に合った。

三好さんの車で富士山の富士宮口5合目に向かう。

富士吉田からの有料周遊道路ははじめて利用した。

10時半ころ登り出して、だいたい4時間半位で頂上。

頂上直下までは運動靴だったが、気温が下がってきて雪も堅くなってきたので念のためプラブーツにはきかえた。

8合目くらいからは気温も氷点下になり、風もかなり強まってきたので本格的にヤッケや目出帽をかぶってしまった。

前日の東京の気温は30度に迫る勢いだったので、まさかフル装備になるとは思ってもみなかった。

あなどりがたし、富士山。

富士宮口は吉田口と比べると、心身の疲労がかなり軽減される。

頂上からサミットフォールを眺めたら、とても登れるような感じではなかった。

2年前に途中まで登った森広さんは、氷の量が3分の1位だと言っていた。

覚悟はしていたがやっぱりがっかりした。

しかたが無いので今回の目的は高度順化と云うことにして、日頃の睡眠不足を補うべく少しお酒を飲んで早々に寝た。

朝は6時くらいに起きて、ご飯を食べたらまずお鉢一周ダッシュ、続いてお釜におりてサミットフォールの記念撮影。

退屈したときにまた来てもいいかなと思った。

その時は是非スノボを背負って来よう。

帰りはシリセードで6合目まで一気に滑り下りる。

この長大なシリセードで森広さんの雨具は破れてしまったのだった。

山中湖マラソンのおかげで帰りは渋滞に巻き込まれてしまったが、時間はいくらでもあったので道志村経由でのんびり帰った。

気持ちの良い春の週末だった。

<fin>

 

 

富士山 サミットフォール

1997年5月31日~6月1日
森広(記)、板橋

吉田口から火口壁にに出て、火口をのぞくとそれらしい氷瀑が見える。銀名水へ向かって火口の縁を歩きながら観察する。登るラインは何通りか取れそうだが、特に上半分は不安定に見える。31日は銀名水付近に泊まり、1日に火口の中に降りる。

1日は快晴。気温が上がってくると雨のように水が滴ってくるし、細かい氷片や石まで落ちてくる。左寄りは氷が薄く、氷柱も細い。中央は下まで達しないので、右寄りから登る。一段登って岩の凹角の下から氷柱に取り付くが、正面は壊れて登れなくなったので、左に回り込む。傾斜の緩いところには中途半端に固まったザラメ雪が載っているので、バイルはあまり効かない。ザラメ雪の下には氷があるはずだが、とどかない。スクリューもほとんど効いていないようだ。腕よりも細い氷柱は触れるだけで折れてしまう。

下部はそれでも太めの氷柱があるが、傾斜の強くなる上部は細い氷柱しかない。近くで見るととても登れるような状態ではない。岩の凹角から登って左にトラバースするとしても、一番氷柱の細い所を通らなければならない。3段ほど登った所から敗退。

ここまで登るには登ったが、降りるのはかなり怖い。板橋君に凹角の下まで登ってきて確保してもらい、慎重にクライムダウン。凹角下から岩にハーケンを打って懸垂下降で戻る。岩は脆くてハーケンの効きもいまいちなので、そっと降りる。

今年は雪が少ないから氷の発達も悪いのか、気温の変化がうまくいかなかったのか、この氷瀑を登るチャンスを捕まえるのは、難しそうだ。