2003年3月29日から2日間
木下徳彦(日本山岳会青年部)、神出直也(法政大学山岳部)、
瀧島久光(記)
下山後に味わう山での緊張から解き放たれたときの開放感が好きだ。
白銀の世界と下界の新緑、山の冷たい風と下界のそよ風、山の冷気と下界ののどかな空気、数時間前まで自分がいた世界との落差は何回体験してみても心地よい。
満足できる山登りができた時のそれはさらに心地よい。
今回は最高の開放感、心地よさを味わうことができた。
1年ぶりの雪山で、暖めていた計画を予定通りにこなせたのだから。
昨年2002年3月中旬に檜又谷のススケ沢右稜を登った。
この尾根は変化に富んだ静かで楽しめる雪稜だった。
ススケ沢右稜の隣の尾根が今回のルートだ。
昨年の印象ではススケ沢右稜よりも細いリッジが主稜線まで続いていて悪そうに見えたが登って登れない事はないだろうと思った。
檜又谷には他にも魅力的な尾根や大滝沢の圧倒的な氷があるけれど、ススケ沢右稜の隣の尾根は1年間なぜか気になる存在でありつづけたのだ。
アプローチが近くて静かで楽しめる谷が檜又谷。
この谷は楽しめる雪稜の宝庫なのだ。
前回のパートナーの木下君を誘い計画を進めていた。
はじめ僕は三の沢、四の沢中間リッジなんていうぱっとしない呼び方をしていたが、木下君は武能岳ダイレクト尾根という勇ましい名前を計画書に書いた。
たしかに武能岳に直接突き上げてはいるけれど、ダイレクト尾根と呼ぶのにふさわしいか?そんなことを考えつつアプローチをした。
若い神出君が加わり、にわかパーティーは結成されたのだ。
土樽パーキングでいつものように前夜祭をして少し飲みすぎてしまった。
まったく学習が足りないのだ。
でも快適に熟睡できた。
天気予報では週末の天気はばっちりのはずだけど、ガスに覆われて小雨がぱらついているが、そのうち晴れてくるだろう。
若者たちに遅れないように頑張ろう。
すぐにワカンを付けるが雪は締まっていて快調に進む。
昨年よりも時期が半月遅いが雪の量は今年のほうが圧倒的に多い。
勝手知った谷だがこのガスの中では現在位置を確認しながら進むのが賢明だ。
各沢、尾根を丹念に確認しながら進んだ。
左岸から滝沢、大滝沢が出会い、右岸からススケ沢が出会う。
取り付きと思われる場所で大休止して天候待ちをするがガスは晴れてくれない。
一瞬の晴れ間で登るべきダイレクト尾根の取り付きにいることを確信した。
末端からいきなり急傾斜で始まった。
少し登ると左側のルンゼに自然と導かれていった。
傾斜はあるが締まった雪のルンゼを快調に高度を稼ぐ。
さらに傾斜が強まったところでロープを結び合った。
適度に締まった氷雪壁にピックは心地よく刺さる。
神出君がダブルアックスで草付きの氷雪壁を2ピッチ引張ると尾根上に出た。
やっと視界が開けて、気持ちも落ち着いてくる。
3ピッチ目は緩い尾根状を段差の基部まで。
4ピッチ目、被り気味の岩を強引に摺上がってから(Ⅲ+)緩い尾根状を小ギャップの上まで。
潅木を支点に8mの懸垂だ。
ここで大休止。
快適な幕場だが泊まるには早すぎる。
5ピッチ目、ドーム状の岩の上まで木下君がロープを延ばすが先は切れ落ちているようだ。
懸垂の支点を作ろうとするがワードホッグを1本しか決まらない。
先のコルまでは8m程なのでそのままテンションで下っていった。
6ピッチ目急な雪壁を登って少し進んだ所に快適な幕場を見つけた。
3人でウイスキーが200ccとは。
寂しいが楽しい夜は更けていった。
翌朝起きると谷側に寝ていたはずの自分はツエルトの真中付近まで侵略していた。
真中に寝ていた神出君はさぞきつかった事だろう。
おかげで熟睡できた。
まだまだ人間ができていないようだ。
おだやかな朝だった。
山の朝はいつも寒くアイゼンを付ける時は指先が痛い。
でもやっぱり春山だ。
なんとなく先が見えてきた事もあり緊張感はそれほどないが、気を引き締めて出発する。
正面の大きな岩まで雪の斜面を進み、大岩の左のルンゼ状に入る。
7ピッチ目、草付をダブルアックスで越えた。
8、9ピッチは雪稜にロープを延ばした。
稜線はもうすぐそこに見える。
後は大丈夫だろうとロープを外し、頂上を目指す。
いきなり稜線に飛び出すとまさに武能岳の頂上だった。
やっぱり頂上に直接突き上げるのは気持ちいいものだ。
三の沢、四の沢中間リッジなんていうまだるっこしい名前より武能岳ダイレクト尾根がふさわしい。
満足りた気持ちで景色を堪能して、都会でたまった体中の毒素を吐き出す。
山のエネルギーを吸収するのは最高の贅沢だ。
下山は蓬沢。
シリセードを交えながら下った。
3月29日
ガスのち晴れ
土樽パーキング発6:30 ダイレクト尾根取付き9:25~10:10 BP14:20
3月30日
晴れ
6:15発 武能岳8:45から9:20 土樽パーキング12:30