甲府幕岩

2000年7月20日(木)
瀧島、倉田、三好、森広、柴田(記)

朝、林道の車止めで増子さんと一緒になり、饅頭を貰う。

イエローマウンテン(5.9)とHIVE(5.10b)を登るが、ダダ(5.10b)が登れずもがいているうちに雨が降ってきて一時間ほど岩の基部で雨宿り。

ザックカバーを頭とお尻に引っ掛けてカッパ代わりにしているねずみ男のようなアンチャンがいて結構笑えた。

(ねずみ男氏は倉田さんと私が笑っているのが耳に入ったのか、我々の前からは姿を消してしまった。)

雨がやんでもしばらく岩は濡れていたが、三好さんがリードしてTRを掛けてくれた木の実がイッパイ(5.10c)を何度も落ちながら漸くムーブを見つけて登る。

最後は瀧島さんが掛けてくれたTRでピリカ(5.10b/c)を登る。

ボルト3本目までが核心、上に抜けると岩も乾いていて風が吹いていて気持ち良かった。

車に戻った後はWEBで紹介されていた山宮温泉(500円)で入浴しそのままここで小宴会。

飲んで騒いで一人1200円と安かった。

お勧めです。

いい気持ち状態の森広さんと柴田は9時前に竜王駅に捨てられる。

 

 

大洞川 和名倉沢~市の沢下降

2000年7月1日~2日
中嶋、椛島(記)

7月1日 出合8:45 幕営地(2段10m滝の上)14:00 快晴→豪雨→晴れ
7月2日 出発7:30 和名倉山頂上9:00 大洞ダム13:00 快晴→豪雨→晴れ

6月のはじめに大洞川の本流である井戸沢に行った。奥秩父有数の名渓と謳われるだけのことはあった。身を刺すような冷たい水と、踏み跡に幾層にも重なる鹿の糞に秩父の山深さを知った。新緑が目にまぶしい山行であった。その時林道から目にして気になる沢があった。それが今回行った和名倉沢と市の沢である。特に市の沢の深山幽谷たるたたずまいは岳人の心を打つに値するものだと思う。

社会人山岳会に属していると、普段の山行の足に車を使うことが多い。時間に余裕の無い社会人クライマーにとって、電車の山行はそれだけでひとつの試練だといえる。今回我々は果敢にもその試練に立ち向かった。車の利便性よりも電車とバスによる「味わい」を求めた。意固地になって時刻表とにらめっこし、大慌てでパッキングを済ませ、まだ明るいうちに家を出て電車に飛び乗った。車内で地元のおじちゃんたちに山の話を聞き、飛び交う虫たちと戯れる。いやが上に気分が高まる。

土曜の朝、三峰口から始発のバスに乗り込む。乗客は我々と学生二人組。外は快晴。終点秩父湖でバスを降りる。小1時間林道を歩いたのち入渓。さすがに梅雨の最中、水量は多い。豪快な滝ときれいな瀞が続く。40m大滝はかなり立派だった。全体的に巻き路もしっかりついていて、ザイルを出すところも無い。

昼過ぎになると、空模様が怪しくなってきた。上に抜けるかどうか判断しかねていたところに、素敵なテンバを発見。すかさず幕営するも焚火がなかなかつかない。梅雨で枯れ木が湿っている。そうこうしているうちに霧雨が舞い出す。しかしそこはガッツと根性と気合でがんばる。持参した日刊スポーツのエロ記事を惜しみながらも種火につかうと不思議と火は燃え盛った。しばし焚火を楽しんでいると、今度はすさまじい雷雨が襲って来た。テントを打つ雨音が重い。閃光と雷鳴が交錯する。和名倉の神様はエロ記事が嫌いなのか?それとも東スポのほうがよかったのか?などと考えているうちに雨はやみ、空を見上げればまばゆいばかりの青空と紅の陽。

翌朝も快晴。新緑の燃え盛る源頭をつめる。トポでは猛烈な藪こぎを強いられるとあったのだが、まだ時期が早いのかたいしたことない。しかし稜線に出てからは、頂上まで浅い踏み跡があるのみ。点在する赤布を見ないようにして、オリエンテーリングの練習を敢行。地図とコンパスを手にルートファインディングするにしても、雪稜と藪の稜線じゃ勝手が違う。なかなかいい勉強になった。

頂上は視界ゼロ。完全に藪の中。三角点の周囲半径2mぐらい刈り込みがあるのみ。虫の天国だった。落ち着いてレーションも食えない。将監峠から来たというおっさんが我々の後から頂上にきて「むしはむし」と一人でぶつぶつつぶやいていた。さすがの中嶋さんでも対処できなかったようだ。頂上からは明瞭な踏み跡をたどり市の沢へ下る。潅木が実に美しい。なめ滝も美しい。いい沢だ。

市の沢を半分ほど下ったあたりで、前日と同じく激しい雷雨に見舞われる。あっという間に沢が黄濁し、激流と化す。壮絶極まりない。なんでもないところの渡渉が、けっこう命がけ。びびった。山の恐ろしさとは、こういうところにあるんだな、と実感する。ほんと、一級の沢もなめたもんじゃないね。

市の沢を出合まで下り、雨も小ぶりになる。そこから2時間の林道歩き。かったるい。しかしそこは日頃の善行のおかげか、捨てる神もあれば拾う神もあるものだ。和名倉の神は我々を拾ってくれた。パンク修理で困っていた金持ち釣師に出会い、彼を手伝った我々は、なんと秩父の駅まで送っていただいたのだ。バス代と電車代儲かった。ただひたすら感謝である。

そんなこんなで、なかなか味わい深い山旅であった。

 

 

北ア 錫杖岳 前衛フェース北沢側フランケ 這松山岳会ルート

2000年6月15(木)~16(金)
大滝(記)、森広

(注文の多い料理店)を目指したが力量不定で登れなかった。

14日の夜、大滝車で出発。

遠いのでふらふらになって、朝4:30に槍見温泉着。

仮眠するが眠気が取れず、10:30まで快晴で心地好い空の下眠り続けた。

栃尾温泉の無料露天風呂にゆっくり浸かり、11:40登山道を歩き始めた。

途中、クリヤ谷を渡る所では永量が多くて、森広さんは石を飛べず靴を脱いでするはめになった。

錫杖沢に入ると所々雪渓が出てきた。

僕はずっと沢の中を行ったが、森広さんは途中から左岸の踏跡を辿っていた。

14:00錫杖岩舎着。

ツェルトを張り、(注文の多い料理店)の下見に行く。

前衛フェース手前から雪渓が現れる。

北沢側フランケの草付をシェルンドに落ちないように進んで行く。

取り付きがはっきりしないが、巨大ハングの右のコンタクトラインがルートだろうと目星をつけて引き上げた。

壁全体が強い傾斜があって威圧感がある。

以前登った1ルンゼの取り持きまで行ってみる。

左方カンテの下に蕾ばかりのこぶしの木があった。

署舎に戻り酉穂、麓岳め景軌を堪能しながら、焚き火をし、満月を愛でながら酒を味わった。

夜は夏用シュラフで寒くなかった。

6月16日(金)

6:40 岩舎出発 快晴

7:40登り出す。

昨日見当を付けていた所を少し登ると、こ広いテラスがあり登挙用具を身に着ける。

一旦左にトラパースし、右上すると1P目終了点の大テラスに着く。

帯状にはなっているが大テラスとは言い憎い。

ルート図に書いてある(ピトン連打)は真上ではなく、左上の浅いリスに打ってある。

2P目 森廣リード
Ⅴの草付きクラックが難しく二人ともA0になる。

桔れ木テラスヘのトラパースも恐い。

3P目 大滝リード
右にトラパースし、人工のピッチをフリーで行こうとするが、上を仰いでいきなりアブミを用意する。

三本目のボルトにランニングを採り左にトラパースしようとするが、難しい。

トラパースも難しければ、その後クラックにどう乗り移るのか自分の動きが想定出来ない。

クラックの下はすっぱりと切れていて、右足左足を何処に置くのか、広いクラックなので手をどめように保持すべきか分からない。

落ちても振り子で右に振られるだけなので怪我はしないと思うが踏ん切りがつかない。

森廣さんも交代する気は無い様なので、A1を直上する。A1と言えどもボルトの間隔が遠かったり、右にトラパースするためのピトンはぐらぐらしていた。

ワイドクラックに着く手前でもA0になってしまった。

4P目 森廣リード
(注文の多い料理店)は左のワイドクラック。

仰ぐとA1が直上している。

クラックを登る為には一々右めボルトにランニングを採りに行かなければならない。

それにクラックには所々泥が詰まっていて余り快適とは言い難い。

という言い訳のもとアブミで進んで行く。

セカンドの大滝はクラックをフリーで行くが最後のトラパースでアブミの御世話になる。

こめルートは恐いトラパースが多い。

5P目 大滝リード
左上するとバンドに着く。

右に10m行けば左方カンテめ終了点から2P下の広いテラスだ。

(注文の多い料理店)は真っ直ぐに伸びたフィンガークラック。

なかなかに難しそうだが、所々草が生えている。

という逃げ口上のもと、右のオフウィズスを登る。

エイリアンの1番ぐらいを噛ませる。

クラックではあったがオフウィズスと言う感じではない。

そめ後傾斜の緩い藪になり、ロープの流れを考えてピッチを切り、クラックにフレンズ1番辺りを2ヶ噛ませてビレー。

最後は森広さんに行ってもらって左方カンテの最終ピッチに合流し登攀お開きとする。

11:50下降は同ルートは下に雪渓が口を開いて持っているので、左方カンテを懸垂下降。

最後の方で二回もロープがひっかかったので、皆さんも気を付けて下さい。

取り付きに着くと昨日蕾だったこぶしの花が真っ白く咲いて我々の帰還を祝ってくれた。

13:20岩舎に戻り森広さんが見つけたうどを分けて貰い、左岸め踏み後を下った。

槍見温泉着15:20 只の岩呂に入り、家に帰ってうどを酢味噌和えと天麩羅にして食べたら、うどめ苦みと(注文の多い料理店)を登れなかった梅しさが口中に広がって、何とも言えない味になった。

 

 

丹沢 小屋の沢

2000年6月10~11日
櫻井、高橋、中嶋、赤井(記)

天気:曇りのち雨

6月10日

8:00 府中本町駅集合、櫻井さんの軽自動車に4名分の荷物と人を詰め込み出発した。

東名川崎インターより高速にのり幡野中井ICで降りた。

途中、”7-11”にて行動食買出し。

10:30管理センター手前の橋の所に車をとめた。

管理センターより上は車が入れないようになっていた。

11:00 出発。

使われていないキヤンプ場の中を通り15分程いくと登山道は川から右上にあがっていった。

(地図上は川沿いを行く筈ですが去年の大雨で道が変わっている様です。)

金網を通り過ぎさらにしばらく登ると,また川沿いに向かって下りになり、川に合流。

12:00 分岐点着。

ここで、靴を履き替え左の寄沢本流に入った。

しばらく、遡行すると、5mほどの滝を左から超えると、イイハシの大滝にブツカる。

中段25mの滝は草つき+濡れており、その上結構立派に立っていた。

あまり、よさげじゃないので、右から巻こうとしたが悪く、結局、中嶋さんがトップで滝を直登した。

下から、見た時はわからなかったが、登ってみると、ビレイ点はあまりよくなく、(斜めっており、また、4本のハーケンのうち2本は腐っており、他1本は半分しか入っていなかった。)

その上の、3段目の滝の巻き道も、ぜんぜん、踏まれておらず、丹沢の沢とわ思われなかった。

トップで行った櫻井さんも苦労してロープを伸ばしていった。

今回、ロープを出したのはこの2ピッチだけだった。

しばらく、いくと開けたガラ場に出、そこを過ぎると、二俣に出た。

(小屋の沢出会い)

14:30くらい? ここで昼飯を食い、しばらく休んでから、遡行再開した。

ここから先の滝は水流もなく、涸れていた。

3番目の滝(だったと思うが?)にて中嶋さんが先頭で登り、1箇所スタンスの遠いところを、ハイステップで超えていった。

2番目に行ったが、健全な日本男児として股間の硬い・・・ではなく、股関節の硬い私は、核心の部分であと5cmどうしても足が上がらない。

しょうがないので、膝をそのスタンスに上げた。

すると、下から、”あいつ膝使ってらー”の声とともに櫻井さんと高橋さんの含み笑いが聞こえてきた。

しまった、もうすこしボルダーでハイステップを練習しときゃーよかった、と思ったが、時すでに遅かりしだった・・・・・。

最後の涸れ滝を左に巻いた。

その先で、右側へ稜線にむかって上がっていくと稜線についた。

16:30くらい?帰りは水棚沢をくだる予定でいたが、途中で、暗くなりそうなので、登山道をくだる事になった。

雨山峠まで行き、登山道をくだっていったが、途中、水が流れていたり、道が崩れていたりして、結構、馬鹿に出来ず、楽しめた。

18:00 管理センター着。

途中の旅館で食事をし、勘七の沢へ向かう。

この沢の入り口までの道がわからず、何度か道を行ったり来たりしたが結局最初の道が正しく、車1台がやっとこ通れる未舗装道を、進んでいった。

雨も降り出してきたころ、中嶋さんが、”人が1人いなくなる度に、テントの外に血の痕と、ケルンが立っている”という恐怖映画の話をしだし、非常に、不気味だった。

出合いに着くとバンが1台とまっているだけだった。

少し道を戻ったところにテントをはり、雨の中、宴会して寝た。

6月11日

雨のため、勘七の沢は中止になった。

途中、車がパンクしてしまったが。

交換し、J・ウォールに向かった。

皆さんお疲れ様でした。

<感想>
丹沢の2級の沢だからたいしたことないと思っていたが、結構、馬鹿に出来なかった。

特に、巻き道が悪く、全然、踏まれておらず、結構、いやらしく、怖かった。

また、私の1500円の渓流靴下では、足が痛く、(歳のせいか?)今度はケチらずにちやんとした、靴を買って行こうと思いました。

高橋さんが、アプローチ用の地下足袋と、渓流足袋を使い分けているのには驚きました。

沢に対する、思い入れの違いを感じました。

以上。

 

 

巻機山 スキー山行

2000年4月22~23日 (晴れ;曇り;みぞれ;雷;晴れ)
瀧島夫妻(テレマーク)、中嶋(ボード)、白沢、川口(Bush: スキー)、
高橋(スキー)[記]

前日の天気予報では、晴れか雨かわからない予報だったので、前夜祭でいつものごとく遅くまで飲んでいた。

朝は一応晴れていて、7時に起きるところが8時になり、サービスエリアでくつろいだりしていたら、結局、清水出発は11時過ぎになってしまいました。

清水入り口を出て、1時間もたたないうちに林間の結構な急坂が出てきた。

これぞ山スキーの醍醐味とがんばって登っていったが、技術・体力不足と気合いを入れてシールにワックスを塗りすぎていて、木の根っ子に落ちたり、はまったりしたために早々にスキーをはずし壺足で登る。

遙か上に上っていたBushのお二人も最後には断念。

中途半端な雪質で登りつらかったよう。

緩やかな斜面を登り、樹林帯を抜けちょっとした急坂を登ったところ(井戸尾根の手前)で1日目の行程を終了する(3時頃)。

行動時間の割には、疲労していてビールがうまかった。

目的の一つである雪洞堀を開始する。

皆さん手慣れたもので、坑道堀の様に黙々と作業を続ける。

ビール・ワインを飲みながらの作業で、2時間もたたないうちに6畳くらいの雪洞が完成する(高橋は腰が痛かった)。

ちょうどよい時間なので、夕食の準備と酒盛りを開始する。

雪洞の中は天井が高く、仕上げも念入りだった。

内容はよく覚えていないけれど、食事はものすごく手が込んでいておいしい鍋であった。

10時の気象情報を聞いて、就寝する。

 

23日は5時半起床。

7時過ぎに出発した時には晴れ/曇りであったが、井戸尾根を登るうちにみぞれ混じりの雪が降ってきた。

ガスがかった中、1時間半くらいでにせ巻機山に出てシールをはずして滑降。

あっという間に竜王平に下る。

巻機小屋は雪に埋まっていた。

空身で御機屋をピストンして米子沢を下る。

すぐにデブリの大群に出くわす。

左の斜面のトラバースとデブリに突っ込むルートで、中嶋さんと白沢さんがデブリコースを難なく通過していったので、デブリコースを選択すると大はまり。

空では雷が鳴っていた。

途中、もう一つのデブリを通過すると、滝が出てくる。

滝から先は、軽快な斜面で堰堤で登山道に合流する。

もう一つの目的である、ビーコン探索を行う。

探索範囲を狭めて、掘り出すまでには5分はかかってしまう。

しかし、使い方を一度は実践していないと、うまく扱えないのではないかと思う。

登山道を下り、清水入口に着いたのは1時くらいであった。

山スキーを堪能した、なかなか充実した山行だったと思う。

惜しむらくは、高橋のスキー技術が未熟だったので、練習をしなければと思った。

帰りは、おきまりの温泉、駒子の湯に入った。


[中嶋 記]

<湯桧曽>

・金曜の夜は得意の湯檜曽駅で宴会を開催しました。

雨の日には便利ですが、その際傘を開いたまま置いておくと非常に危険ですので注意しましょう。

今回1本の傘が殉職しました。

合掌。

<清水>

・今年の雪の多さのため車は駐車場まで入れず、雪で道がふさがれて行き止まりになっているところで車をとめました。

そこの横の家のおじいさんらしき人が「停めていいよ」と言ってくれたので勇気を出して停めましたが、普通はもっと下のほうの道の脇に邪魔にならないように停めるべきでしょう。

でも、おかげさまで行きも帰りも車からすぐに雪の上に乗っかれるのでとても楽でした。

<米子沢>

・有名な沢ですが、まだ夏にトレースしたことがありませんでした。

今回は白沢さんが夏の様子をよく知っていたので助かりましたが、積雪期の滑降をこころざすなら夏にトレースしておいたほうが良いと思いました。

今後は上越の夏の沢登りはそのへんも意識して登ると楽しさ倍増でしょう。

・沢の滑降でコンディションをつかむのは基本的に難しいと思いますが、尾根を下るよりもかなり真剣になるためトレースした後の充実感もひとしおです。

・山を滑ったのは初めてなので他の沢と比較できないですが、とにかくまた来たくなるくらい滑るのに良い沢だと思いました。

次はもう少しデブリの少ない時期に来たいです。

<スノーシュー>

・今回中嶋はスノーシューを初トライ。

結論から言うとすでに雪の落ち着いているこの時期だと大きなメリットはありませんでした。

急傾斜にはワカンよりも弱いようですが、そんなときは労を惜しまず脱げばよいでしょう。

歩くときの感じはとても快適で、ふかふかの雪の上を歩いてみたくなりました。

<スノーボード>

・登りは他の皆がスキーをはいて快適にすすんでいく後ろを、ペタペタついて行かなければなりません。

たまに寂しくなりますが、自分で選んだので文句を言ってはいけません。

・今回はモンベル製のボード用アタッチメントを、普段使っているザックにつけてボードを背負ったのですが、これはザックの本体と雨蓋の開閉がとても不便でした。

ボード用のザックが欲しくなりました。

・山本さんの言う通り、ボードとはいえストックが必携です。

今回1本だけ持っていきましたが、緩傾斜の登りのことを考えると2本あってもいいかもしれません。

・登りで苦労した分、滑走は快適、感動、面白いことこのうえありません。

ボードはパウダーだけでなくデブリ等の悪雪にも強いようでした。

<雪洞>

・天井の仕上げが上手だったのでまったく滴がありませんでした。すばらしい。

・雪洞を掘るのってけっこう疲れるのですが、ベストの掘りかたってあるのでしょうか。誰か教えてください。酒飲みながらだから疲れるのかな?

<温泉>

・今回湯沢駅近くの「駒子の湯」というのに入りましたが、この周辺には他にもいくつかのこうした温泉があるようです。すべてトライしたくなりました。

ちなみに「駒子の湯」の前にはおいしい定食屋さんがあります。メニューはヒレカツ定、エビフライ定、日替わりだけですが、充実のうまさです。

おじさんがいい人で、かわいい犬もいます。


[瀧島 記]

重登山と軽登山

所属している山岳会によって山の登り方がこんなにも違うものかとびっくりさせられました。

今回は私が計画を作ってみんなに声を掛けました。

秀峰登高会から3人、ブッシュから2人と、おまけで私の相棒が参加しました。

食事の用意はブッシュの白沢さんにお願いしました。

夜は豪勢な鍋でした。

もちろん、生野菜、ほたて、たらなど入っている、我が秀峰登高会ではお目にかかることは不可能な内容でした。

朝はビーフン、これは安くて軽くて(一人分100円、量もあって、うまい。腹持ちも良い)積極的に使って良いメニューだと思う。

各種調味料はもちろん、そろってます。

野菜や、魚、ほたては事前にきってありその場での手間も時間もかからなかった。

ちなみに酒は十分過ぎるほどありました。

だから夜の宴はいつもの味気ないつまみとは大違い。

白沢さんごちそうさまでした。

いつもはガスコンロではなく石油を使っているそうです。

それだと当然修理道具、毎回のプレヒートなど安全だけど手間もかかります。

ちなみに白沢さんのザックはもちろん巨大でした。

中にはいろんなものが入っていることでしょう。

秀峰登高会では重さ、大きさを最優先していて、あると便利なものはほとんど持っていきません。

きっと白沢さんのザックにはあると便利なものが見事に整理されて入っていることでしょう。

ちなみに私がフリースを忘れたことに気づくとすかさずダウンベストが出てきました。

荷物をデポして空身でスキーを引っ張って山頂を目指そうとしたときは長めのちょうど良いスリングが出てきました。

名づけてドラえもんザック。

ちなみに私はザックはでかいですが整理が悪く中にはたいしたものは入ってません。

もう一人一緒に行った川口さんは子供がすでに大学生と高校生だそうです。

それに毎日仕事してるらしい。

山にも行って仕事もしてきっと家事は手を抜いているのでは?生活全てをやりくりして山に行くなんてかっこいい。

偽マキハタの山頂では不吉な音がしてました。

きっといつ落雷を受けてもおかしくない状態だったのでは。

昔、鹿島東尾根の1の沢の頭で泊まったときもテントの中で頭を上げると髪の毛が逆立ったり、手を上に上げるとびりびりきたことがあります。

今思い起こせば、悠長にシールをはずして滑る用意なんてしてないで急いで避難小屋方面に逃げたほうが良かったのでは?米子沢の雪崩の恐怖より雷をより警戒すべきだったのでは?
以上のように、いろいろと新鮮な体験ができました。

たまには他の会のお友達と山に行くのも楽しいですよ。

 

 

北ア 八方尾根~唐松岳~不帰Ⅱ峰付近まで往復

2000年4月15日から3日間
森広、三好(記)


土曜は天気が悪い。

日曜の天気予報から回復傾向だが、寒気が入ってきているんだから山を甘く見てはいけない。

それはわかっていても、休暇をとってしまったこともあって山に行きたい気持ちが勝ってしまい、とりあえず出かけてみましょうと無理押ししてしまう(とてもよくないパターン)。

森広さんは、仕方ないなーとあきらめムード。

4月15日(土)

8:30ゴンドラ乗り場~9:30第一ケルン~14:30唐松山荘~16:30テント設置

急行アルプスで白馬に到着。

6:40のバスに乗り、ゴンドラ乗り場へ。

今日は下降がダメそうなら唐松山荘近くで泊まろうと話していたので、時間的には余裕があり、ゴンドラに乗った後はスキー場の隅をのんびりと歩いて進む。

結局雪が降り続けているので縦走に決定する。

スキーの跡はあるが、つぼ足ではすねまで潜らせながら歩くことになる。

途中、真新しいテントが埋まっているのを発見。

恐る恐る中を除くと、マットだけ残っているのが見える。

硬くしまった雪にテントはびくともしない。

ここに泊まっていた人はどこに行ってしまったのだろうか。

唐松山荘近くで硬い雪をかなり頑張って掘り、半雪洞としてテントを張る。

4月16日(日)

6:20出発~6:50唐松岳~12:00折り返し地点(不帰2峰付近)~15:00唐松岳~
18:40ゴンドラ乗り場

鎖はほとんど埋まっていて、尾根を忠実に、または尾根を右に左にと巻きながら進む。

わかりにくい場所もあって行ったり来たりを繰り返すうちに、段々雪も風も強くなり、雪面と空の区別もつかなくなってきた。

不帰Ⅱ峰付近で、尾根を巻き気味に雪面を下ってゆく。

傾斜がどんどん強くなる。

方角もいつのまにか違っている。

間違えに気付き登り返す。

尾根上を探したら、鎖を発見し進行方向がわかったが、すでに12時だ。

この先進んでも幕営できそうな場所に着くことも難しい。

「でも、行きたいなぁ。」

「行きたいって思うだけでいいんだったら、誰でも行けるよ。」

と森広さんにピシッと言われる。

そりゃそうだ。

戻りましょうということになる。

戻ってよかった。

これからが核心となる。

今までなんなく通った箇所も新雪が付き、足もとから雪がガンガン落ちてゆく。

体ごと持っていかれそうだ。

唐松岳までたどりつけるかも不安になる。

ロープを出し、森広さんが躊躇なくトップで進む。

こういう所では本当に経験の差が出る。

雪山を、悪天をなめてはいかんのだ。

だだっ広い八方尾根で磁石をフル活用し、ゴンドラ乗り場に到着した時には日が暮れていた。

ゴンドラはすでに止まっていたので、入り口の屋根のある所にテントを張った。

実は出発前からここまで森広さんに色々と怒られ通しで、しゅんとしていた。

黙々と荷物の整理をしながら甘い紅茶を入れて、森広さんに手渡す。

「うまい」

と言って、にこにこしている。

森広さんはやっぱり可愛い女性だなと思う。

森広さん、もっと勉強して、無茶せず頑張るんで、これからも呆れずにお付き合い下さいね、と心の中で思いながら笑い返す。

気付いたら、山を初めて10年近く使い続けて来た磁石が枠だけ残して無くなっていた。

4月17日(月)

快晴になった。

周りの山々を見渡して、また来るぞーと思いながらゴンドラに乗る。

下りたら、もう春の風情でぽかぽか暖かい。

仕事はいくらでもたまっているので、特急に乗って職場に直行。

風にやられて黒くなった頬のまま仕事した。

ついでに残業していたら、今度結婚する先輩の前祝いだからと言っていきなりカラオケ屋に呼び出され、山の格好のまま(仕事中は作業着だったけど)、〝Can you celebrate〟やら〝長い間〟やらを歌うことに。

ハードな3日間であった。

悪天も小出しに経験しておかないといかんのだということで、森広さん、お許し下さい。

今回、本当に行ってよかったです。

今度は天気のよい時に、もう少し日数を持って向かいます。

おわり。

 

三峰ボルダー

2000年4月8日(土)
倉田、井上、中嶋(記)

秀峰はアルパインの会なのでフリーの記録などは遠慮していましたが、こういう遊びもあるということを紹介したいのでたまには書いてみたいと思います。

三峰ボルダーは秩父の奥、電車では「三峰口」の近くにあります。

休日は池袋から三峰口行きの快速電車があり、一人で急に登りたくなったとしても靴とチョークとお弁当(※重要)を持って気軽に出かけることが出来ます。

ロープや難しい道具を必要とせず、このように気軽に取り組めるというのがボルダーの魅力の一つでしょう。

またロープをつけずに登るととても自由な感じがして良いです。

この日は10:00飯能という遅いスタートでしたが、他の二人はこの日の夜から谷川に行くというのでのんびりするのもよいでしょう。

お花見のピークということもあって交通量はえらい多くて、三峰に着いたのはちょうどお昼の12時頃でした。

ちょこっとだけ触ってからお弁当を食べて、その後課題を一つずつゆっくりやっていきました。

自分は前に来たときにほとんどやっていたけど、もう一度やっても不思議とつまらなくありません。

気持ちの良い河原なのでこの日のように天気が良いときはお昼寝したくなるのがつらいところです。

迷わず寝ていた倉田さんのような楽しみ方もまた良いでしょう。

どんな課題を登ったのかを説明するのはめんどうくさいので省略しますが、中嶋はこの日有名なクラシック課題「池田カンテ」

を登ることが出来たのでとても嬉しかったです。

登りきった瞬間は頭の中で音楽が流れました。

課題の詳細について興味のあるかたは市販の「ボルダー図集」

をご覧になるとよいでしょう。

<観光>

・電車で来るときは電車に乗る前にお弁当を忘れずに用意しましょう。駅前にコンビニ等がないので、前に一緒に行ったとき友達のお弁当は駅前で唯一売っていた「みそ田楽」でした。コンニャクでカロリーが低いためすぐに腹を減らしていたのには泣かせました。

・温泉はまず「鳩ノ湯」というのにトライしましたが、客が多いということで敗退、前に行ったことのある「クアハウス小鹿野」で妥協しました。このさい荒川村から小鹿野町に向かう峠越えの道すがらはひなびていてとてもいい景色でした。夕暮れどきで空が桜色に染まっていました。

・この日のテーマは蕎麦。温泉のお兄さんにおいしい蕎麦屋を聞いて探しに行きましたが見つからず、結局秩父駅近くの蕎麦屋まで我慢することになりました。ここの蕎麦屋の名物「わらじカツ丼」には注意が必要です。ソバも期待しすぎていたためかそれほどおいしく感じませんでした。

おわり

 

谷川岳 一ノ倉沢 衝立岩中央稜

2000年4月2日
森広、三好(記)


一ノ倉尾根に行こうと秀峰メールを出したが、一緒に行く人が居ない。

がっくりきて、メールを持っていない森広さんに電話をかけると、日曜日だけならいいよとのことで、中央稜に向かうことになった。

立体駐車場で仮眠をとり、3:40に出発。

日帰りは、山に来たなぁという気分が今一つ盛りあがらない。

ただ単に、酒を飲んでうだうだ出来ないのが悲しいだけかもしれないけど。

一ノ倉出合に到着して、装備をつけ、テールリッジに向かったのは5:30頃。

すでに明るくなっている。

テールリッジの上部は雪が割れて落ちかけており、岩の上にうすく雪が乗っているだけの場所もあり、少しやらしいが、トレースを追ってゆく。

最後、1ピッチ分だけロープを出して、中央稜の取りつきに到着する。

烏帽子沢の雪はゴソッと落ち、上部に残っている雪もいつでも崩れてしまいそうだ。

他にテールリッジを登っていたのは1パーティだけで、南稜に向かおうとしていたが、雪が不安定なため、中央稜に取りつくと言って戻ってきた。

こちらものろのろと準備をして、先行パーティに続いて取りついたのが8:00くらい。

1p、三好。

技術的には難しいとトポに書いてあるが難しく感じない。

下部に雪がついているからか。

しかし、遅いのがなさけない。

途中でロープが重くて切ってしまう。

2p、森広。

次の支点に移動する。

3p、三好。

泥壁から右にトラバースした後でピッチを切る。

トラバースは少し怖い。

4p、森広。

フェース。

ロープの流れが悪くなり、すぐ切ってしまう。

5p、三好。

フェースの続き。

途中、先行パーティの人が懸垂で降りてきたが、話をする余裕はない。

一見、登りやすそうだったのに、足の置場がわからない。

フラットソールなら、フリクションで楽々なのに。

アイゼンは厳しいなぁ。

6p、森広。

途中疲れたので降りて、三好に交代。

チムニー状のところを登る。

ハーケンを打ち、アブミも使い、異常に時間が掛かった。

登りきったら、お助け紐っぽいのがちょうど見えない位置に隠れていた。

ここまでで14:00になっており、この後も実は結構悪いとの話なので、下降することにする。

テールリッジを何回か懸垂も交えながら降りる。18:30。

さすがに4月はまだ明るい。

今日は一日中、風もなく、天候的にも恵まれていた。

帰りは、行きに見られなかったデブリもたくさん見られて、シーズンの終わりを告げている。

立体駐車場に戻った時には、19:30。

もう暗くなっていた。

本当に、後発パーティが居なくてよかった。

もっと、アイゼン岩登りもロープワークもうまく、素早くなりたいと切実に思った。

そして、またチャレンジしよう!

 

八ヶ岳 赤岳 東壁Aルンゼ中央稜

2000年4月2日
関(記)

今回目指すのは赤岳東稜の予定だった。

このルートは2月に夜間登攀による日帰りでのトライをしたが、あまりの眠気とはかどらないラッセルを理由に取付き手前で敗退している。

2月の日帰りは無謀だった。

4時半に出発して1時間ほどたつと周囲も明るくなり始め、東壁の全容が明らかになってきた。

なるほど東稜はナイフリッジとなって真教寺尾根へつきあげている。

おもしろそうだ。

けど、東稜は2月でも登れる、というか2月頃の方が充実するだろう。

雪の充分にしまったこの状況では、興味はルンゼの最奥から赤岳に直接つきあげるリッジに移ってしまう。

トポをみるとちゃんと「Aルンゼ中央稜」

と命名されてルートになっている。

「よーしあれにしよう!」

勝手にルート変更しちゃいました。

東稜取付きの大門沢二俣を過ぎると傾斜が強まっていく。

アイゼンを装着しダブルシャフトでぐんぐん高度をかせぐ。

日も差し始めいくつか雪片も落ちてくるようになる。

しばらくすると極端に多くの雪片が落ちてきて「まさか、この雪質で雪崩はねぇーよな」

と思いつつもピッケルバンドとザックベルトをはずして上部をキョロキョロすると、親子連れの獣がAルンゼ中央稜の取付付近をトラバースしていた。

カモシカ?それとも・・・クマ?どっちかよくわからなかったが、顔がやたらでかく見えたのでクマかもしれない。

彼らは中央稜取付きから東壁左岩稜へとトラバースしていたので、私は左から大きく迂回してAルンゼ中央稜にとりついた。

ここから先は傾斜が最も強く雪壁となっている。

アックスを小気味よく利かせて一気に登りきるとひょこり頂上付近にとびでた。

下降は真教寺尾根から大門沢左俣をへてスキー場へ戻った。

とりたてる程のルートではありませんが、日帰りで登れて昼前に下山できるところが魅力と言えるでしょう。

なんてったって2時に帰宅できたのですから。

おかげで当日に記録をまとめることができました。

4:30八ヶ岳スキー場出発  8:40赤岳頂上  10:40スキー場下山

 

 

谷川岳 一ノ倉沢 4ルンゼ

2000年3月23日
小谷(記)

立体駐車場1:05発。

センターに計画書を出しラッセルに励む。

雪は踝から脛で、所々膝上になったりトレースが出てきたりと相変わらずだが、積雪量は多い。

2:50一ノ倉沢出合い着。

し~んと静まりかえり、下弦の月があたりを照らす。

快晴無風、-5℃。

装備を付け、ここ数か月間溜め込んだものを一気に吐き出すように歩き始めた(3:15)。

衝立前沢からのデブリが歩き難いが、ここ以外デブリらしいデブリが無い。

雪は踝くらいまでもぐる。

月が沈み、ヘッデンをつける。

5時滝沢下部氷瀑近くに着く。

明るくなってきてしまった。

下方に2人パーティが登ってくる。

ヘッデンを外し、用足しをして出発するも本谷バンドのクレバスが大きく越えられない。

狭くなった所を右へ右へと探すがうまいところが無く南陵近くまで行くと、ヒドンクレパスが突然出てきて危うく落ちそうになる。

少し戻り、下がしっかりしていそうなところを勝負で乗越す。恐かった(5:25)。

後はひたすら雪壁を登るのみ。

2ルンゼを過ぎ、3ルンゼの氷瀑が綺麗だ。

滝沢スラブが真横から見える。

後続パーティは3スラに張り付いている。

3スラのF1近くには氷がびっしり張っている。

周りに見とれながら、4ルンゼの最狭部F4を7時過ぎに通過。

F4と言っても単なる雪面が続いているだけで、ダガーポジションでぐいぐい登れる。

これがやりたかった。

上部カール地帯に入るとあたりは開け、カチカチに凍った雪壁が延々と続いている。

アイゼンの前爪しか入らない雪面にダガーポジションでの登高は疲れる。踏み外すと一気に下まで飛んでいきそうだ。

早く右の尾根に乗りたいが、尾根上も岩が出ていて面倒そうなので、慎重に蹴り込んでは
疲れるとがに股に足を置き最後の詰めまで雪面を登る。

8:05頂上直下の一ノ倉尾根に抜けた。

雪煙を舞上げた風が心地よい。

疲れたのか、緊張が解けないのか、鼓動が収まらない。

快晴で遠くまで雪山が続いている。稜線上は風が強いが、厳冬の寒さは無く歩きやすい。

トマの耳手前でヘリコプターが頭上を何回も旋回してくる。何か連絡した方がいいのかと思いあわててトランシーバーを出すが、出したとたんに行ってしまった。

巻き上がる雪煙で西黒尾根の下降点に迷うが降りてしまえば難なく歩けた。

一ノ倉岳8:30発、肩の小屋9:38、登山センター11:10着。

4ルンゼは特に難しい箇所もなく、一ノ倉沢のど真ん中を一ノ倉岳頂上直下まで一気に上り詰められる気分の良いルートだった。