2000年12月30日から3日間
井上、赤井(記)
12月29日
小田急線 向ヶ丘遊園駅に20:00集合、私の車で沢渡へ行く。
釜トンネル手前のスペースにはすでに車が在って止められないため、トンネルをひとつ戻ったところにあるスペースに車をとめ車の中でビールを飲み仮眠。
12月30日
7時半頃起床。9時出発。
釜トンネル手前の県警に登山届を出す。
屏風東稜と提出した所、昨日先行パーティがいたと県警の人が教えたくれた。
釜トンネルの中は所々凍っており歩きずらい。
井上君は途中アイゼンを出して歩いていた。
途中休み休み歩き、横尾の避難小屋着15:00ぐらい。
中には4人ほど先着がいた。
早めに食事し、18:00ごろ睡眠。
12月31日
3:30起床。
朝飯を食べ、5:00ごろヘッデンをつけ出発。
一ルンゼに向かうトレースはあり。
6時過ぎにT4取り付き手前につき準備する。
T4取り付きにはツエルト2張りがあった。
(YCCと九州の人だった。なんと前日10:00に取り付きに着いたが、16:00まで順番待ちで、T4にロープのフィックスだけしたとのこと。)
YCCパーティ3人がユマーリングにて先行していき、7:00登攀開始。
1P目赤井。
左側から取りつき右に7メートルほどトラバースする。
そこから上にあがろうとするが、フリーでは何気に悪く、アブミを出す。
このころより雪が降り始める。
途中、九州パーティの先頭にユマーリングで追いつかれた。
声をかけられて、話をしたら、10月に丸山東壁でお会いした人だった。
世の中は狭い。
ビレイ点にはフィックスロープもあり邪魔くさい。
もうすこしあがろうかどうしようか、考えていると左上にあがった所に雪に半分隠れた残置のスリングがあり、これを掘り出してビレイ点にした。
ここで、セカンドのビレイしていると先行が落とす雪であまり快適なビレイ点ではなかった。
2P目 赤井。
右上の潅木目指して人工。
潅木にもスリングを巻きつけ人工で5mほどの壁を越える。
下をみると一ルンゼを詰めてくるパーティあり。
ここからは楽かと思ってが期待したのとは逆に、凹状の草つきに雪が乗っかり悪い。
ひたすら悪くカメのような進行スピードである。
(ただ単に私がヘボなだけのような気もするが。)
途中のホキげなブッシュや立ち木にスリングを巻きつけて支点として登ってく。
途中遠くから雪崩の音が聞こえた。
井上君から「一ルンゼが雪崩れた。」との声がかかりピッチの途中だったがロワーダウンにて下降した。
(ビナ2個、スリング多数残置。は、恥ずかしい。)
もう一ピッチ懸垂して取り急ぎ撤収した。
小川を越え安全地帯に着いたのが11時。
とりあえず行動食をくい、写真を撮って、小屋に戻る。
小屋でお茶を飲んでいると、私の愛媛時代の友人,石原君と横田君が3時ごろきた。
少し酒を飲み、19:00睡眠。
1月1日
天気は晴れであるが、風あり。
井上君の体の調子が悪く(夜中2回ほど吐いたとのこと、私は全然気付くかずぐっすり寝ていた。)
また、明日からの天気も悪い様なので撤収することにした。
9:30頃出発。
15:00頃釜トンネルの出口着。
温泉に入って、帰京した。
井上君お疲れ様でした。