黒四ダムから八ツ峰~早月尾根

2001年5月1日から4日間
櫻井、柴田(記)


腰を痛めてパッとしなかった今年の冬だったが雪山シーズン最後のGWくらいはひと花咲かせたいと以前から行きたかった剣の八ツ峰にR4とチンネを加えた欲張り山行を計画、櫻井さんと共に勇んで黒四を出発した。

結果的にはR4とチンネが登れずで八ツ峰~本峰~早月尾根になってしまったが、でもまあ本峰から見る八ツ峰はいい感じだったし早月尾根も初めてトレースできたのでそれなりに満足しています。

4月30日

横浜線で八王子に着くと駅の売店がすべて閉っていてビールが買えない。

急行アルプス号発車までの10分くらいで改札を飛び出し外のコンビニまで走って調達。

まわりは大学のサークルの合宿行だかで若者が大騒ぎ。

とってもうるさい。

5月1日

晴れ

黒四(8:15) → ハシゴ谷乗越(12:00) → 真砂(13:00) → Ⅰ・Ⅱ間ルンゼ出合(15:00) →
Ⅰ・Ⅱコル(17:45)

大町から扇沢までタクシー。

運転手のオバサンは「私が乗せた人で遭難した人はまだいないので頑張ってくださいねー。」と励ましてくれる。

始発のトロリーバスを黒四ダムで下り黒部川から丸東の脇を通り内蔵助平に向かう。

黒部川の水量はそれほど多くなく所々スノーブリッジがかかり歩いて渡れる状態になっている。

雪原に疎林の内蔵助平を横切りハシゴ谷乗越を越えるとその向こうには八ツ峰Ⅰ峰がジャーンと大きな姿で立っていた。

グサグサ雪の斜面を時折膝くらいまで潜りながら下り剣沢に降り立つ。

真砂小屋は雪の下で屋根も見えずテントが数張適当に張られているばかりである。

ちょうど12時。

本日の予定ではここまでだが天気もいいし時間もあるので櫻井さんと相談の結果Ⅰ・Ⅱのコルまで上がってしまうことにした。

真砂沢を分けて長次郎谷に入りⅠ・Ⅱ間ルンゼを目指すが、暑くてペースが上がらない。

Ⅰ・Ⅱ間ルンゼに入ると傾斜は大体40°前後と大したことないが平坦部がなく休めない斜面が標高差約400メートル続き、大いに疲れる。

雪面は所々切れていて要注意だが一ヵ所だけ大きく切れている所で雪の下の岩盤を流れる水で喉を潤すことが出来一息つく。

櫻井さんも結構ヨレていたみたいで「あの岳樺に固定してツェルト張れないかなー」などとぼやいてる。

ヒーヒー言いながらようやくコルに上がると既にたそがれ時で、急いで雪面にL字を切ってツェルトを張る。

櫻井さんが担ぎ上げたウィスキーを少々楽しみ、ジフィーズドライカレー味でこの日は終わる。

この日は800m登って300m下りまた800m登った勘定になる。

黒部横断中の三好Pに交信を試みるが応答無し。

この日は、本当に疲れました。

久しぶりの夜行列車に睡眠不足で、Ⅰ・Ⅱ間ルンゼの登りでは眠くて意識が薄れた時が何度もあった。

最後の1時間は”高速道路の運転中に居眠りと闘っている状態”が続いていました。(この行 櫻井 記)

5月2日

曇り時々晴れのち小雪とガス

Ⅰ・Ⅱ峰コル(6:30) → Ⅴ・Ⅵ峰コル(9:30) → 長次郎のコル(13:30)

朝方の天気は高曇りで後立山方面ははっきりしないが源治郎尾根や三ノ窓尾根は見えていた。

Ⅱ峰の登りはすぐ終わり懸垂で下りるとまた雪壁登りになり以後八ツ峰の頭を越えるまでひたすら雪稜や雪壁を登り稼いだ高度を懸垂で払い戻す事を繰り返す。

途中晴れ間がのぞき源治郎尾根を登るパーティが見えた。

Ⅴ峰からは懸垂2回だが最後はロープが少々足りなくなり雪壁を左に逃げてⅤ・Ⅵのコルに降り立つ。

Ⅵ峰への登り返しはわりと急な雪壁だがトレースも残っていてどうということはない。

右手にはチンネやニードルがガスの合間に姿を見せてくれる。

チンネは鏡に写したように三ノ窓側からの姿にそっくりだ。

うねうねとしたリッジの隆起を忠実に追いⅦ峰の下りにかかる。

さて、この懸垂の為に娘に案内させて彼女の通う幼稚園の近所の竹薮に行ってまで用意した竹ペグを持参したが、支点はピンでしっかりしたものが残置されている。

岩混じりのルンゼを右下にトラバース気味に懸垂、岩に擦れていたので少々気がかりだったがロープを無事回収。

いつのまにか小雪がちらつきガスがまわりをおおい始めている。

Ⅶ峰から八ツ峰の頭までは近いようで遠いと聞いていたのでのんびり登る事につとめ相変わらずの雪稜の上り下りを繰り返す。

途中広い平坦地を過ぎて更に途中まで柴田が登った所で下の櫻井さんから「オーイ、ここが池ノ谷乗越だろー」と声がかかる。

言われてみるとそんな気がしてきたし反対方向から降りてきたクライマー2人に確認すると肯定的な返事だったので池ノ谷乗越であることを確信、本日の予定は三ノ窓までだったが雪も大分勢いを増してきたし「ここまでにすっか」と言うことでここに雪洞を掘ることに決定。

約2時間かけて雪洞を作製し即入居した。

実は柴田は雪洞で寝るのは初めてだがテントと違って広いのが良い。

スープやら紅茶やらで一息つき夕飯は櫻井さん持参のポークチャーハンを作って食べる。

天気予報では明日はあんまり良くないようなのでとりあえず午前中は停滞と決める。

寝る前に息苦しく感じたので頭を出口に近い方に変えて寝る。

三好パーティとは相変わらず交信出来ず。

5月3日

小雪及びガス

朝起きると入り口に数十cmの雪が積もり埋まりかけている。

柴田がウトウトしているうちに小キジに起きた櫻井さんが除雪してくれた。

天候は予想通り小雪・ガスなので朝食の後昼まで寝て午後はついつい酒盛りになってしまった。

12時の交信で小窓尾根を登る大滝パーティと交信が出来たが彼らは小雨の中頑張って登っているようだ。

夕方の天気予報では翌日以降の天気の好転を告げており、「よーし、これでR4は登れる」

と櫻井さんと二人して気勢を上げる。

5月4日

快晴 のちガス

天場(5:30) → 池の谷右俣経由で天場(7:30/8:30) → 剣本峰(9:15/9:30) → 伝蔵小屋(12:40)→馬場島(14:50)

3時に起き予定通り準備を済ませ、アイスの登攀具とビバーク用具を持って5時30分過ぎに西側に急なルンゼを下る。

北方稜線の山々は朝日に染められ色づき、ルンゼの下から上に凍るような風が吹き渡り気分が盛り上がる。

「この感じ、これこそアルパインだぜ。」

と思いつつ下降を続ける。

ところでこのルンゼを我々は池ノ谷ガリーと信じて下降を続けたが相当下っても一向に右手にはトラバースできるような場所が出てこない。

なおも下降を続けるとルンゼは狭まり急に傾斜を増し立ってきた。

いくらなんでもこれは違うだろう。

という事は上部でトラバースする部分を見過ごしたか、と左側を注意しながら今度は登り返すが左手には大きな岩尾根が続くばかりで一向に解決策を見出せないまま天場のあるコルまで戻ってしまった。

櫻井さんと「いやー、どーなってんですかね」

と話すが「うーん、よくわからない、やっぱりさっきのルンゼの下降をもう少し続けるんだろうか」

と結論は出ない。

いずれにしても三ノ窓に行けないなら本峰経由で早月を降りるしかない。

「じゃ、天気も良いし良い写真でも取りながら降りますか」

と変わり身の早い二人はあっさりR4もチンネも諦め本峰に向かう事になった。

全装備をパッキングし直し本峰を目指す。

昨日おとといの雪でトレースは消えて新鮮な気分で歩くことが出来る。

しばらく登って後ろを振り返ると剣尾根と長次郎の頭が我々の後ろに見え、ようやく全てが理解できた。

つまり我々が池ノ谷ガリーと思って下っていたのは池ノ谷右俣で我々が池ノ谷乗越と考えていた天場は長次郎のコルだったのだ。

2日目に小雪とガスの中八ツ峰を詰めた際に自分たちで考えるよりも進みすぎていたのだ。

情けないが仕方ないのでそのまま本峰に向かう。

新雪にトレースを刻むこと少々ですぐに本峰に着いた。

快晴。

ここに来るのは15年ぶりで4回目だな、とぼんやり思いながらレーションを食し、写真を撮る。

源治郎も八ツ峰も別山尾根も大賑わいだ。

15分ほどで頂上に別れを告げ早月尾根を下り始める。

カニのハサミも獅子頭も別にどうと言うことはないが、むしろその下の急な雪面はスリップしたらヤバイなと思った。

結局ロープは出さなかったが出すか出さないかと言うところが数箇所有りこういうところで事故は起きているようである。

伝蔵小屋の手前で12時の定時交信をすると大滝パーティ以外にも向畑パーティ、三好パーティとも入感が有り各パーティの状況を確認することが出来た。

残雪期の下りは早い。

滑るようにしてスタコラと早月尾根を下り松尾平からは右手の湿地帯を経由し3時前に警備隊詰所に下山報告をした。

R4には来年また登りに来よう、と思った。

泊った場所の特定を間違えたのは、残念でした。

結局、残雪の稜だけに終わりましたが、それはそれで楽しかった。

それにしても頂上で塩をつけて食った柴田さんの生キュウリは美味かった!(この行、櫻井 記)

 

 

剱岳 八ツ峰 Ⅵ峰Cフェース剣稜会、本峰南壁A2ルート

2000年8月14日から19日
櫻井(記)、高橋

8月14日

黒四ダム – 真砂沢出合い

夏の内蔵助平は初めてだった。

雪のある時は疎林の雪原といった感じだが、夏は濃い緑の中少々息の詰まる歩きだ。

昼過ぎに真砂小屋前のキャンプサイトにテントを張る。

この日の核心は二俣に1年前デポされた食糧などの回収だ。

二俣までは河原の散歩を40分ほど。

八ツ峰側の大岩わきの急斜面にある、と聞いていたがどこも背たけを越すフキのような草で覆われている。

河原を歩き回りこの辺だろうという所を下から角度を変えながら眺めると吊ってある細ひもがなんとか見つかった。

草をかき分けゆるい泥壁をずるずるさせながら登って一斗缶に触れるところまできたが、頭の上に吊り下がっている重い缶はどうにも手では支えられそうもなく、結局、缶を別のラインで確保しなおし、古いひもを切り落として何とか回収できた。

なんだか救助訓練をしているようだった。

隣にはサンナビキの青い袋がやはり枝にぶら下がっていた。

食糧(冬用で楽しいものは含まれてなかったけれど)、燃料をたっぷり調達してこれで一安心。

キャンプサイトは雪渓のすぐ下で夜は吹き降ろしの冷風で寒かった。

8月15日

長次郎雪渓-Cフェース剱稜会ルート-Ⅴ、Ⅵのコル-長次郎雪渓

早起きしたつもりだったが長次郎の雪渓には先行パーティが10人くらい見える。

結局5パーティの4番目に取り付く。

岩とのコンタクトラインも開いたところもなく安定していた。

評判の通り簡単だが景色が良く爽快なルートだった。

昼過ぎには終了点に着いたがガスが濃くなってきたので八ツ峰の上を回るのは止めⅤ、Ⅵのコルに降りた。

この辺はゆるいスラブ状に石がゴロゴロしていてやっかいだった。

雪があればスタスタだろう。

長次郎雪渓を下りテントにもどった。

8月16日

休養日(櫻井)

長次郎雪渓から本峰頂上往復(高橋)

8月17日

真砂沢出合いから別山平

8月18日

別山尾根から平蔵谷のコル-南壁A2取り付き-A2-頂上-別山尾根

平蔵谷のコルの下は山靴にアイゼンをつけての雪渓トラバースとなりちょっとしたアルパイン気分だった。

ここには我々を含め3パーティが取り付いていた。

上部はスレート状の岩のエッジが非常に鋭く、しかもはがれ易いのでロープを傷めないように気を使ったが、登り自体の難しさは無かった。

この日は天気も良く1日中のんびりした気分だった。

私は頂上に抜け出るバリエーションが大好きなのだが、穂高の稜線を歩いた程度の感じしか無かった。

8月19日

室堂から下山

去年のヨーロッパの後から肩を傷めてしばらく岩から遠ざかっていたことと、新人を連れての山行でバリエーションとしての刺激は無かったが、初めて夏の剱岳を体験しその良さも、人の多さも納得できた。

夏山とは言え山靴とアイゼンは必携だった。