北ア 唐沢岳幕岩 畠山ルート

2017年8月13~14日
薄田(記)、野澤

成功時だけ報告を書くのは違うと思うので敗退報告(事故報告)も重要と考え、正月山行の計画も無い(立てられない)ので重い筆を執ることにしました。
長文に成りますの記録としての興味だけの方は読み飛ばし願います。

(PART1)「記録」
クラブのH/Pにもある言葉として「リスク」が有り、「クライミング」特に「アルパインクライミング」のそれは大きいものがあると思います。
まず、概要から報告します。
今年の7、8月(特に梅雨明け以降)は天気が悪く山には入るチャンスが少なく毎年のことだが暑いので体調もベストでは無かったがそこは病気なので致し方なく夏の山岩クライミングを計画した。
最初、屏風右岸壁の「ルンゼ状スラブルート」等を考えたが野澤君の希望を入れ(唐幕初めて)「畠山ルート」に決まった。
8月12日の夜行で道の駅安曇野にテントを張る。
翌13日、5:00出発で七倉を7時前に出発。
薄田は2001年以来の唐幕であり、相変わらず最初のトンネルの長さには閉口すると共に高瀬ダムまでのアプローチが長く感じたのは年のせい?
高瀬ダム直下から左の沢に入るのだが「何か違う」。野澤君は直近のNET記録からアプローチは沢靴がベターと連絡を受けたが過去の経験からそんなもの必要な所じゃないよと言葉を返した自分に反省。(野澤君ごめん)
16年前以前にはジョギングシューズで簡単に乾いた岩を飛び越えていたがこの2017年現在は両岸から木が枝を長く伸ばし水線通し近辺を進まざるを得ない状況に変わっていた。これも地球温暖化の影響であるでしょう。
さて、9:30位に岸壁下部に到着するが相変わらず空はどんより曇り、壁を見上げると汚い草付きから水が滴っている。

取り敢えず「大町の宿」に向かおうとするがB沢から「右稜」のコルに上がるガリーを草が邪魔して分かりづらくなっていた。何とか昔の記憶をたどり「宿」に到着。当然誰もいない。少なくとも16年以前にはこの夏場の時期に貸し切りはあり得なかった。
取り敢えずテントを張って様子を見ていたが、ガスが上がってくるだけで小雨も降ってきた。野澤君持参の缶ビールを回し飲みして今日はお仕舞い。
8月14日、5時前に起床。相変わらず曇っていたが取り敢えず装備を整え取り付きまで行って見ることにする。
現着してしげしげとルートを追ってみると16年前のそれと明らかに様子が違う(下部の核心くらいまでは見える)。草付きが極端に増え、記憶が正しければ核心のハング脇には木まで生えている。
昨日よりはましだが、相変わらず壁は濡れている。薄田はそのままギアをリバースに入れたかったが野澤君は取り敢えず1Pだけでも行きたいというので彼に行って貰う。

確か3級ない位なのでOKして行って貰うが濡れて岩が滑るのか時間がかかっていた。
「ビレー解除」のコールに薄田も登るが超不快適。ビレー点に着くと野澤君も納得で敗退決定。残地ボルト(?)1本しかないのでそこから「右稜」側にトラバースして藪中に生える信頼できそうな立木にロープ直巻してB沢まで懸垂下降。その後テント他を回収してGo Home。

(PART2)事故詳細
それは「金時の滝」巻道である右岸のルンゼで起きました。後5mも降りれば両手が離せる地点まで降りたときに落石の飛来音「ヒュー」と聞こえた瞬間、右手中指に衝撃が走った。バシー!
見れば黒い軍手は破けグチャグチャの中指が目に飛び込む。砕けて鋭利になった骨も見える、しかもぶらんと垂れ下がっている。「やってしまった!」
考えてる場合じゃ無いので何とか河原まで降りて気合いで軍手を抜き取り沢水でじゃぶじゃぶ洗う。不思議と痛みがあまり無い。(薬指側の太めの血管と神経を切断)急ぎ雨蓋内のウエットティッシュを数枚取り出しぐるぐる巻きにして左手で押さえた。利き手の右手が使えないのでここまで。
そうこうするうちに野澤君が降りてきたので簡単に説明し40mmテーピングテープで親指除く4本をぐるぐる巻きにしてもらう。
未だ両手を使わざる得ない状況なので軽量化のため、ロープ等重量物を野澤君に託す。
途中2ヵ所は野澤君にロープを張って貰って降りました。
高瀬ダム迄来ると登山者送迎のタクシーが上がってきたので事情を説明し帰りに乗せて貰った。(本来途中乗車はNG)
七倉のタクシー詰め所で病院を教えて貰い2件目の池田町に有る「あづみ病院」(14:30位)に行き受付、受診するも先客(ストレッチャーに乗った足を怪我した登山者)がいて手術は17:00からになるとのこと。もう移動不可なので野澤君には悪いが手術終了まで待って貰うことにした。
結局手術は16:30~20:00位までかかった。手術直後執刀医から第二関節は消滅し曲がらない等の説明を受ける。落石Hit直後は第二関節以上は無くなることも覚悟したので不自由になるけど仕方ないと納得して1週間の入院生活に入った。

(PART3)総括
1.「唐沢岳幕岩」
時代の流れ(自然の変化)は止められないが、それは夏のクライミングの快適性を奪い(冬期にはある意味良いかも)それは繁茂した草付きであったり、邪魔な低木であるが特に草付きは滑って危ないしホールドを隠してクライミングの邪魔になり結局危険性を高める。
約40年前に新潟の仲間と初めて登った唐幕の快適さが失われたのは純粋に悲しい。
2.「金時の滝巻道」(右岸ルンゼ)
ほぼ40年前と状態は変わっていないと思うが相変わらずグズグズボロボロの落石危険箇所。上りは致し方ないが下りは懸垂下降がベターでしょう。(クラブ代表のアドバイス)素手での下降より上方に注意を向けることが可能。
3.「クライミング全般の危険回避」
私の仕事(業界)は建設業であり、足場、鉄骨からの転落、墜落災害が大きい事故に上げられます。然るに作業前には当日作業に内包するで有ろう危険についてKY(危険予知)活動を実施し安全作業を進めます。
山の場合は危ない所に行かないことが最大の予防策でしょうが、我々は(特に私は)危ない所に行かないと楽しく無いというある種の「薬中患者」なので致し方有りません(?)
しかし社会生活を営む一社会人として最低のルール(人に迷惑を掛けない、関係各位を悲しませない等)が有ると思います。
私も先輩、仲間の多くを山で失って来ましたから年齢的なことも含めて卒業(アルパイン)の二文字をポケットに忍ばせもう少し活動を続けたいと思います。
最後にあづみ病院はじめ多くの医療関係者には大変御世話になりました。(勿論野澤君も)感謝申し上げます。
これは内緒ですが、こちらの病院の主治医と理学療法士さんにはもう危ないことはしないようにと暗に言われております。

唐沢岳幕岩 左方ルンゼ

2017年3月18日~19日
赤井、河合(記)

3連休は今シーズンのアイスクライミングの締めくくりに、唐幕左方ルンゼに行ってきました。
3月18日
初日は大町の宿までのアプローチだけなので、夜行せず朝発。葛温泉のゲート前から只管除雪された道を歩き(途中のトンネル出口には氷瀑8m(Ⅴ級程度))、高瀬ダム手前で唐沢へ。唐沢は雪崩がほぼ落ちきっており、沢が雪に埋まっていました。高瀬ダムの水の出口には15m氷瀑(Ⅴ級程度)ができていました。

デブリに埋まる唐沢

先行トレースは沢を右に左に。途中、堰堤をはしごで登る所あり。飛び石が沈められていました。金時の滝は左ルンゼから巻き。B沢出合の鷲ノ滝は一部露出し口を開けていました。幕岩には大凹角1パーティ+下見1パーティ。大町の宿は大凹角パーティが使用中だったので、横の尾根の雪を踏み固めてテン場にしました。大町の宿の真下にある水場はちゃんと出ていました。4時間位で着いたので、さっさと飯、酒、睡眠。
凍る幕岩

3月19日
朝4時に起きてみると、雪降っていて、どんどん積もっている。これはマズイかもしれない…雪が小降りになるまでスタートは見合わせ。埒が明かないので6時45分、とりあえず取付へ出発。
アプローチのB沢

B沢を詰めて35分で着きましたが、降り続く雪。新雪はくるぶしちょっと上位。昨日までの雪は落ち切っていたみたいなので、登ってみることに決定。時間は7時40分。ルート貸し切りです。
1ピッチ目(リード:赤井。体感Ⅱ。50m)
核心の直瀑手前まで。ロープなしで問題ない感じだったけれど、上がってからロープ出すのは面倒なので、取付でロープつなぐことにしました。50mいっぱいで、赤井さんスクリュービレイ。
2ピッチ目(リード:河合。体感Ⅴ~Ⅴ+。50m)
本ルートの核心F2。ばっちり発達。垂直部が10m強、全体で20mはあり。凹角の弱点ラインを選択。氷質は柔らかく登り易かったですが河合は調子悪く、手前のスクリューが2/3しかねじ込めなかったこともあり、垂直部終了2m手前で痛恨のアックステンション。落ちられないので早めに安全策を取りましたが、悔しい。難度、長さともに大谷不動本流二ノ滝1ピッチ目と同じような感じ。F2を越えた後のナメ部で、ロープほぼ一杯でスクリュービレイ。リード+フォローで1時間半位かかり、遊びすぎました。
F2

3ピッチ目(リード:河合。体感Ⅳ。50m)
赤井さんの順番ですが、F2でヨレたということで河合リード。F3は5m位の垂直部が見えてましたが、段ができており80°弱位で快適に乗越。その後F4のナメ滝を無理やり登り切り、ロープいっぱいでスクリュービレイ。途中左壁に懸垂用と思われる支点を発見。少し晴れ間が覗き、眼下に高瀬ダムが見えました。雪は降ったり止んだり。
F3

F4方面を振り返る

4ピッチ目(リード:赤井。体感Ⅲ+。50m)
F5は直登すれば70°程度ですが、左のスラブからなら60°位。赤井さんは快適そうにロープを伸ばしていました。またロープいっぱいで、左岸側の灌木でビレイ。
F5を登る赤井さん

5ピッチ目(リード:河合。体感Ⅳ。50m)
緩い雪壁を膝ラッセルで直登しF6へ。取付はシュルントが開いており、気合で乗越。氷は部分的に薄く、レーザースピードを気持ちよくねじ込んだところ、「ゴリッ」思わず叫んでしまいました。ちょうどよくピッチを切れる場所はなく、抜け口にスクリューねじ込みハンギングビレイ。またロープ一杯。
F6

F6下部をフォローする赤井さん

6ピッチ目(リード:赤井。体感Ⅲ+。50m)
傾斜の緩い雪壁をラッセルし、最後60°位の氷を登ると、左壁に残置の終了点。またほぼロープ一杯。13時到着で、取付から5時間20分とちょっと時間食ってしまいました。
F6上部雪壁

F6最後の氷と終了点に赤井さん

さて、下降どうしよう。とりあえずB沢右俣を目指し、雪壁を河合リードで50m伸ばしトップアウトして、小ルンゼを跨いで左の小尾根を越えてみましたが、次の小沢の前に立ちはだかる5~10mの岩壁。上から巻けそうでしたが、これはハマりそうということで諦め、懸垂1回を交え終了点に戻りました。
小沢と小岩壁

この探索で1時間半以上時間をロスし、下降開始は14時40分。赤井さんと交互にトップ交代しながら6回懸垂。懸垂は基本左壁側の立木を使用。(一回右側の灌木使用)途中左壁にある残置支点は使わず。木に残置はほぼなく、木にロープ直がけと捨縄×2。注意点は、登る時に立木の位置と距離をよく把握しておくことと、最後の懸垂(F2)は、面倒でも左壁側なるべく下にある立木を使うことでしょうか。(50mロープだと、上の立木で降りるとF2スカート上でロープが尽きる)
赤井さん下降中

F2横から

取付に戻ったら17時10分。降り続く雪は強くなってきて、積雪明らかに増えてる・・・このまま降り続くと、下山ヤバくない?ということで、もうひと踏ん張りしてこの日中に下山することに決定。18時45分。テントたたんで残業中の大凹角ヘッドライトを見送り、真っ暗な中下降開始。鷲ノ滝は懸垂。その後消えかけたトレースをたどり、金時の滝横のルンゼも念のため懸垂。途中、川上のトレースが陥没してはまりかけたり、なんか暗いなと思ったらサングラスかけっぱなしだったりしましたが特に迷うことなく唐沢脱出。でも、晴れてきたじゃないか・・・
車に戻ったら23時40分。暗いとトレースがわかりにくく、5時間もかかってしまいました。日付変わる前に降りられてよかった。17時間行動で河合も赤井さんも燃え尽き、空いてるコンビニ探して飯をかきこみ沈没。20日月曜の朝、まったり運転して帰りました。月曜が休日でよかった。

ルートはやはり出だしF2が核心、その後は簡単で快適なアイスクライミング(上手い人には物足りないかも)と雪壁で、長さ300m近くあり(トップアウトすれば350m強)、充実の1本でした。シチュエーションもよく、きっと晴れたら素晴らしい景色が広がるだろうなと思います。力不足で時間かかってしまいましたが、雪崩以外特に不安は感じませんでした。トップアウトすればわかりますが、ルート上のルンゼに雪が溜まっており、これが雪崩れるとヤバい。滝間の雪壁もそこそこ雪が溜まっており、アタックするタイミングはよく検討すべきと思いました。
ちなみに、この3連休の唐幕は、大凹角2パーティ(4人)、左方ルンゼ2パーティ?(月曜に入るパーティーと下山時会った)とガラガラでした。人気ないのかな。

唐沢岳幕岩 大凹角ルート

2004年7月6日から2日間
大滝、菅野(記)


7月6日(快晴)

七倉ダム5:55・・・高瀬ダム7:00・・・9:00大町の宿・・・10:10大凹角ルート登攀開始・・・15:20登攀終了・・・右稜懸垂下降・・・17:00大町の宿

7月7日(快晴)

大町の宿6:10・・・8:40高瀬ダム

高瀬ダムから沢沿いに行くが斜面が崩壊していて歩きにくい所もあった。

大町の宿は水が流れていて快適そのもの。

大凹角までの取り付きは南稜のコルから左にトラバースする所が崩壊している為、2m程直上してから草付きを下りぎみに行く。

3Pは洞穴テラスから人工で登るが、壊れそうな支点や3mm程のスリングに体を預ける時に怖さを感じた。

人工からスラブに移るがボサテラスの上まで行きピッチをきる。

私はボサテラスから上はあぶみになっているスリングがあるので人工と思い、人工で登るが、中間部からは足場あるなと思っていたら本来はフリーで行くらしい。

冬の登攀用のスリングだったようだ。

8Pはフェースから右上してランぺを左上してチムニーに入る。

ここはフリーで行けるとなかなかおもしろい。

9Pはチムニーの右壁を人工でこえてフェースからルンゼ上に登る。

人工を大滝さんは華麗に登っていくが私には支点が遠くて時間がかかった。

終了点で休憩してから右稜に出て懸垂下降する。

ロープも引っかからずに無事

 

北アルプス 唐沢岳幕岩S字ルート

2003年10月16日から2日間
森広、大滝(記)


幾度も計画してようやく登れた。

数年前、一度取り付きまで行ったが、取り付きが崩壊していた。
右隣の明峰ルートも判然としなかったので、更に右の雲峰ルートから合流しようとした。
しかし、2P目の2段ハングを越えようとして頭上のボルトを見たら、真っ黒に錆びた逆さボルトだったので、どうしてもアブミでぶら下がる気になれず退却した。

10月16日

7:20七倉登山補導所。

快晴12℃ 紅葉が綺麗。

8:10高瀬ダム6℃。

快晴による冷え込みで寒い。

沢沿いのアプローチは夏の大雨のせいか、荒れていた。

10:40大町の宿。

10℃ ツェルトを張る。

快晴だったのに、曇り初めて来た。

降雨が心配になってきたが、とりあえず大凹角に向かう。

いつものように右稜のコルで左に進むが、踏み跡が崩れていて、行けない。

引き返し、コルを4m程登って左を見ると何となく道っぽい。

草付に出ると取り付きの少し上に居る事が分かったので草を掴んで下ったら、ぽつりぽつりと来た。

秋の氷雨に打たれて悲惨な思いをしたくは無いので、中断し、大町の宿で長く寝た。

10月17日

4:30起床。

半月と星の空。

期待出来る。

S字初登ルートから取付く。

(出発前日、廣川健太郎さんに会えたので話を聞いたら、初登ルートが良いとアドバイスを受けた。)

B沢を詰めて行くと最後に巨大なチョックストーンが出て来た。

右から越えるか、左を登るか思案した。

ロープを結んで、初め左を少し登って見たが、ボロボロなので止めた。

右に行って見たが、恐いが、しっかりしていたので大丈夫だった。

越えたそこが取り付きの草付だった。

ロープを仕舞って運動靴のままバンド状を20m程右上する。

後はブッシュを掴みながら、適当にどんどん右上する。

垂壁の辺りの笹には氷がびっしりと着いていた。

ギアを身に着ける。

大滝、少し下って広いルンゼに出る。

図にはA0とあるがそれは無かった。

広いルンゼの何処を行ったら良いのか悩む。

登り過ぎず、下り過ぎずトラバースしてブッシュで切る。

森広、少し登りぎみに行くと、A0を使う所が有った。

雲峰のビレイ点が下に見えた。

2番目のルンゼを越えたブッシュの中でビレイ。

大滝、ルート図のとおり右上するが、右過ぎたので、一旦下って左気味に行ったら、太い枯れ木が横たわっていて、リングボルトがある所に出た。

左前方には、雲峰のルンゼとビレイ点が見える。

森広、ブッシュをカンテ基部まで登り、下り気味にトラバースするが、濡れていて悪い。

ビレイ点は雲峰のルンゼの真中だが、びしょびしょなので更に進み、スラブにあったビレイ点で切る。

大滝、広いスラブで何処を登ったら良いのか迷う。

残置ピンは見えない。

右上して左にトラバース可能か覗いてみたが、到る所濡れていて、滑りそうだ。

一旦、クライムダウンして 直上してみる。

こちらも滑りそうなので慎重に行く。

右足が一瞬滑り、ひやりとする。

バンドに出ると、ビレイ点が有った。

このまま進むとロープが足り無くなりそうだし、しっかりしたビレイ点なので切った。

森広、出だしのスラブが難しい。

小川山の5.9位の感じだ。

1本目のハーケンに足を乗せ越えて行った。

僕が後続した時、森広がアンダーホールドに使用したフレークの更に右の隙間に手を入れたらフレークが剥がれフォールした。

後は緩い溝状のスラブを進むと大岩テラスに着いた。

次の凹状スラブは到る所氷が貼り着いていてとても危ない。

即座に明峰のボルトラダーを登る事にする。

大滝、快適に乾いたA1をぐいぐい登る。

次もA1。

森広、出だし逆さハーケンなので慎重に乗ってみて越えて行く。

僕の番になった時、逆さハーケンが抜けてフォール。

幸い、アブミを掴んでいたので無くさなかった。

ハーケンを打ってあった位置よりも右のリスに打ち直して越えた。

大滝、クラックと言うよりも、狭い凹角と言う感じのピッチだが、全部濡れて居る。

見ているだけで恐ろしい。

残置もたまにしか見えない。

しかも1本目のハーケンは浅打ちでひびも入っている。

絶対に落ちられない。

昔の人がよく言った「本番では絶対に落ちてはいけない。」

と言う言葉が思い出された。

少し登るとホールドに氷が張り付いているので、ハンマーで壊しながら手を置き、足を乗せる。

息詰まる恐さだ。

時々現れる残置が非常に待ち遠しい。

空は快晴なのに、染み出しで濡れて居る。

冬に氷壁になるというのが理解出来る。

やっとの思いでハング下に着く。

物凄く長く感じたピッチだった。

ブッシュでビレイ。

落ちないで良かった。

左下にS字の振り子トラバースの支点が見える。

カラビナがセットされている。

この後が良く分からない。

図には左上クラックとあるが、そう言う物は無く左側に垂直フェースがある。

そこには1本しっかりしたハーケンがあるがその後どう登れるのか分からない。

真上は泥のハングだ。

右にブッシュをトラバースして行くのか。

森広の番だが、ビレイ点が狭くて交代し難いので大滝が行く。

右に行って見ることにする。

不安な草付きを渡り、強引にしっかりしたブッシュに抱きつく。

ブッシュにシュリンゲを巻き一安心。

すると快適なA1フェースが登場。

楽しくこなし、緩傾斜帯に出た。

そのままぐいぐいブッシュを登り、左の平らな所で切る。

登攀は実質終わった。

左上にもう1ピッチ伸ばしてから、ロープを解いた。

明峰交じりになったが、登れた。

あー、良かった。

時計を見ると、14:30遅い。

12時位なら良かったが、初めてだし、濡れていたので時間を食ってしまった。

さあ、下降だ。

岩場だけは明るい内に抜けなくてはいけない。

はやる心を抑えながら右へ右へと行く。

はっきりした踏み跡は無い。

やがてルンゼに行き当たる。

西壁ルンゼの上部ルンゼだ。

右に左に迷いながら下るが、最後に赤いテープに導かれてルンゼ自体を下ると右に見慣れた右稜下降点に着いた。

16:00。

大町の宿17:20そそくさとツェルトを畳む。

B沢と合わさる辺りからヘッドランプを点ける。

慣れた道なので特に不安は無かったが、金時の滝の高巻き道に入る所が分からず戻って探した。

高巻きルンゼの下降では懸垂ロープが残置ロープに絡まり解くのに何分も掛かってしまった。

壊れたアルミ梯子上の高巻き入り口も分からなかったが、虎ロープが目に入ったので助かった。

高瀬ダム21:20大町で下山連絡をしたのは11時。

家に着いたのは朝4時。

約24時間営業だった。

(感想と反省)

感想:ルートファインディング、濡れた岩、氷が付着した岩、長いランナウト、悪い残置ハーケン。

草付き、本番の岩登りだった。

とても充実した。

反省:セカンドとは言え、大岩テラスのピッチで確認しないで採ったアンダーホールドが剥がれて落ちた。

確認しよう。

明峰ルートの人工ピッチで逆さハーケンを森広さんが抜けなかったから大丈夫だと思いハンマーで確認しないで使用し、抜けて落ちた。

確認しよう。

 

唐沢岳幕岩 広島ルート

2003年2月8日から3日間
向畑(記)、倉田


何回も通ったのがばれてしまうので書きたくなかったが、幕岩の広島ルートは4年ごしの課題だったのである。

99年暮れ(すぐに敗退していたので毎年年内に降りてきている)、1ピッチ目を登ったところで腰痛敗退。

2000年暮れ、2ピッチ目をパートナーが登っている時にちょっとしたアクシデントがありそこで敗退。

翌2001年暮れは腰痛が本格的に悪化して直前に中止。

その後翌2002年5月頃には、それまではだましながらも続けていたフリークライミングもできない体となり、半年ほど療養に専念した。

11月も過ぎて例年だと腰痛が最も悪化するシーズンを迎えたが、完治はしないまでも、ここ数年では最もましな状態にまで回復した。

という訳で、「今年は登れる」

と思ってそれなりに気合も入っていたが、本当に何があるかわからないのが山登りだと実感した。

2002年暮れ、幕岩に向かって唐沢を詰めていると、上部岩壁帯に三角形のつららのようなものが見えてくる。

しかも、それは近づくにつれてだんだんと大きくなってきて、そのうち、「もしあれがルート上にかかっているようだったら登れないかも」

と思えるようになってきた。

ところが、さらに近づいてみると広島ルート上に赤いヤッケが二つ動いている。

「彼ら(一人は彼女でした)が降りてこなければ登れるということか」

と思って、とりあえず取り付いてみることにした。

しかし、12月30日にフィックスするつもりで登っていくと、上から人が降りてくる。

降りてきたのは、蒼氷・山岸、JECC・畠山ペアだった。

氷柱はルート上にかかっていて、ピンが掘り出せない上にアイスギアもないので登れないという。

「山岸で登れないのに俺が登れる訳ないよな」

と言うと、パートナーの倉田に「うんうん」

と大きくうなずかれてしまった。

この時点で他のルートへの転進も考えたが、いままで不完全燃焼で敗退してきたことや、長いこと山に行けなくて苦しかった思いも胸にある。

何よりも自分の目で見ないと納得できないと思い、とりあえずは氷柱のところまで行ってみることにした。

また、氷のかかっている上部壁2ピッチ目はかなり短く、すぐにテラスに上がれることも知っていたので、「何とかなるのでは」

とも考えていた。

しかし、翌日松ノ木テラスまで上がり、さらにその翌日上部壁1ピッチ目(下からは9ピッチ目)のボルトラダーを上がっていったが、前傾壁からスラブに上がるところに氷柱がかぶさってきていて登れない。

ピンは厚い氷で覆われとても掘り出すことはできないし、上部壁1ピッチ目上のビレーポイントも完全に埋まっていてどこにあるのかもわからない。

氷柱はルートの終了点である上部緩傾斜帯から垂直に近い傾斜で落ちてきており、スラブで一旦傾斜を落として再びハングから5~6mの三角錐を形成して空中に垂れ下がっていて、全長は50m位はありそうだ。

ダブルアックスで十分に登れる厚さだが、アイスピトンはスラブ帯のベルグラ用に10㎝の短いスクリューを4本持ってきているだけだ。

上部壁に氷柱がたれるということは聞いていたが、過去2回見た限りでは上部壁のつららはほとんど問題なさそうだったので、本格的なアイスクライミングになるようなことは想定していなかった。

何よりも、ビレーポイントが使えなかったのが痛かった。

ラダーの横にボルトを打ち足してビレーポイントを作ることをよっぽど考えたが、それでも手持ちのギアでは不安が残ったし、わざわざラインからはずれた位置にボルトを打つことにも抵抗があった。

「まあ仕方がないか」

と思い、畠山さんが残してくれたカラビナを使い、我々も敗退することにした。

ここから降りるのも登る以上に大変なはずだが、先に1パーティ降りているので気が楽だった。

降りてきて、帰ってきた当初は、仕方がないことだし、通常の核心部は問題なく突破していたので「まあいいか」

と思っていた。

しかし、酔っ払うと登れなかった「つらら」

が頭に浮かんできて、そのうちにだんだんと頭から離れなくなってきた。

こうなったら、なんとしても登らなければ先に進めない。

しかも、あの氷柱が上部壁に残っているうちに。

ずいぶん前置きが長くなったが、そういう訳で私もパートナーの倉田もどちらも仕事が詰まっていて結構忙しかったが、2月の飛び石連休を4連休にして無理やり出かけることにした。

ちなみにあまり関係ないが、つららの幻影に惑わされているうちに私の方はさらに一つ年齢を重ねて、気が付けばなんと42歳になっていた。

2月8日、午前1時15分位に葛温泉に到着。

「せめて3時間位は寝たいよね」

ということで、4時起床にしたが起きれず5時半まで寝てしまう。

後から着いてとなりに車を停めたYCC・神谷、松林ペアが早起きしてくれたおかげで起きることができた。

7時頃葛温泉発、七倉を過ぎ出合から唐沢を詰め、大町の宿の前から大凹角へと向かうトレースと分かれ雪壁をラッセル。

洞穴ハングには12時頃着。

洞穴ハング下で1ピッチだけロープを出した。

お天気は晴れていて気温も高かく、日が当らない幕岩もこんな日は好都合だと思った。

1ピッチ目、12時30分頃取り付く。

洞穴ハングの人工は、夏が1回、冬が4回目で、もうこれきりにしたいもんだと思いながら登った。

2ピッチ目、ラダーの人工から草付きのダブルアックス。

今回は倉田に登ってもらってフィックスしてきてもらう。

「ビレーポイントに不安を感じたらボルトを打ち足してもいいよ」

と言ったら本当に打っていた。

洞穴ハング下に戻ってきたのは17時頃。

この日はハング下で泊まる。

2月9日、この日も4時に起きる予定であったが5時まで寝坊した。

8日夜からから9日夜中にかけて低気圧が通過、寝ている間に何回か雪崩れの音が聞こえていたが、朝起きた時にはもう雪は止んでいた。

ただ、かなりの積雪があったみたいでハングの中まで着雪で真っ白になっていた。

7時にユマーリング開始。

二人が2ピッチ目終了点についたのは8時頃だったが、フィックスロープが引っかかって上がらなくなり、倉田に一旦降りてもらって直してもらったりしてもたもたしていたら、3ピッチ目を登り始めたのは9時過ぎになってしまった。

3ピッチ目の第一スラブは雪に覆われ、正月に登った時よりも状態は良くなかった。

それでも、少しがんばれば次のピンが取れるのでまあなんとかなる。

ホールドが乏しいのでアックスによるフッキングを多用。

スラブを這い上がったところにあるビレーポイントから右の凹角に入り、ダブルアックスで直上、メガネハング下の立ち木でビレー。

4ピッチ目、メガネの鼻を人工で途中まで登り、最後のピンから渾身のダブルアックスを振るうが、ランナウトする上にベルグラが薄く緊張する。

最後はほとんどないベルグラにアックスを押し付け、アイゼンで立ちこんでぎりぎりのバランスで越える。

抜け口のビレーポイントを通り越し、第二スラブ下部の立ち木でビレー。

この日も晴れてきて、高瀬川対岸の山肌に日が当り雪崩れが頻発していた。

第二スラブの5、6ピッチ目は、雪壁から氷の凹角をダブルアックスで登り、雪で埋まった大テラスへ。

7ピッチ目は左へ大きく回り込んで雪壁から草付きの凹角へ。

第二スラブと草付き凹角は、一部氷の薄いところもあるがほとんど問題ない。

正月は1日中日が当らない正面壁にも、2月は午後になると上部には日が差すことがわかったが、気温が高くてかえって暑かった。

8ピッチ目、左のクラックからカムと残置を使い人工。

一部雪に埋まっていてピンを見つけられず不安定なフリーを強いられる。

このピッチ、カムをいくつか持っていないと冬は辛いと思う。

松ノ木テラス17時頃着。

正月は腰掛けだったが、今回は雪に埋まっていて整地すると二人が寝ることができた。

2月10日、倉田は4時から起きていたらしいが私は起きれず、またもや5時過ぎまで寝ていて顰蹙を買う。

この日は1日中曇りだった。

ハングの上に張り出しているつららを見上げると、ここのところ気温が高かったためか正月よりはやせてきている。

9ピッチ目には7時頃に取り付く。

前傾壁のボルトラダーを登り、最後のピンにアブミを残して空中に張り出したつららに乗り移る。

少し登り、やや傾斜が落ちてきたところにスクリュー3本をセットしてビレー。

下から9ピッチ上がってきたハングの上に張り付いた氷の上の、さらにその上に乗っかっているのでものすごい高度感だ。

10ピッチ目、氷は上部岩壁帯の上までまっすぐにつながっていて、上の緩傾斜帯まではおそらく40m程度、1ピッチで何とか登れそうだ。

ただ、17㎝の長いスクリューはビレーポイントで3本使っているのであと5本、その他はベルグラ用に持ってきた短いものしかない。

上部の傾斜が強い氷柱部分は85度程度、長さは20m位ありそうだ。

また、見た感じでは表面がもろそうなので、ビレーポイントのスクリューを1本回収して持っていこうとしたら、ビレーしていた倉田に「2本だけだと恐いからいやだ」

と拒否されてしまった。

仕方がないのでそのまま登るが、中間部のやや傾斜が落ちたあたりで、一回切ろうかこのまま登ろうか迷ってきょろきょろ見回していたら、右のハングにかかったつららの下にピトンラダーの一部が出ているのが見えた。

氷質がもろくなってきたこともあり、ついついそちらに吸い寄せられるように行ってしまい、ピトンを固め取りしてビレー。

11ピッチ目、ここからでも氷柱を直上した方がすっきりするとは思ったが、すぐ右上に山嶺第一ルートと合流するテラスがあるような気がしたので右に行くことにした。

ラダーはすぐに氷で隠れていて、つららが上に覆い被さっている。

ルートにかぶさっているつららをバイルで叩き落し、ハング上の氷にスクリューをねじ込みアブミをかける。

スクリューの人工2ポイントからダブルアックスでさらに真横に右へとトラバース。

山嶺と合流するテラスは雪壁となっていてビレーできそうにないので、手前の潅木とスクリューでビレー。

12ピッチ目、テラスの右にも結構立派な氷瀑がかかっていて、あたり一面氷だらけだ。

ここからだと右でも左でもどちらの氷柱でも簡単に登れてしまいそうだったが、雪壁の最上部へと登っていくと広島ルートのピトンがちょうど目の前にあり、思わずそれにアブミをかけてしまった。

結局、ハングを人工で越えて立ち木でビレー。

結果的に、最後まで広島ルートをほぼ忠実にたどった形となった。

最後は腰までのラッセルで夏の踏み後らしきところまでロープを伸ばす。

終了は14時頃。

尚、上部壁は通常3ピッチだが、荷揚げした関係で5ピッチに切った。

ストッパー付きプーリーとユマールで荷揚げとビレーを同時に行い、セカンドもフォローで登った。

再び腰までのラッセルで右稜の頭へと向かい、懸垂で右稜のコルへ。

大町の宿に17時30分頃着。

七倉経由葛温泉には21時50分着。

途中唐沢では、来た時にはなかったデブリが出ていてさらに谷が埋まっていた。

 

唐沢岳幕岩 京都ルート

2000年10月7日(土)~9日(月)
向畑、倉田(記)

10月6日(金)

23:56新宿発・急行アルプス

10月7日(土)

晴れ

5時過ぎ信濃大町。

5:45に相乗りタクシーで唐沢出合へ。

7時前出合付近に私達の他に5人程いた。

徒渉が下手な私は足袋を持ってこれば良かったと後悔しつつ唐沢を詰めて大町の宿へ。

先客がいたので私たちは河原にテントを張る。

10時ごろS字に向かう。

取り付きが崩壊しているらしく岩が白く、鋭い岩がゴロゴロしている。

A1の明峰の始めもちょと遠い。

一本打ち足せば登れるが止めて、明日の京都ルートの1ピッチ目のFIXを張りに行くことにする(11時頃)。

13時、京都ルート1ピッチ目取付き。

13:30倉田が登り始める。

瑞牆の燕返しのハングより張り出しは小さく、先が少し垂れ気味。

時間がかかり、14:40終了。

向畑フォローで15:10に着く。

FIXして、テントに戻る。

河原は気持ち良く、焚き火をして星空を眺めながらビール飲んで20時ごろ寝る。

10月8日(日)

曇り

4:30起床。

5:30テント発。

6:30頃FIX登り始める。

6:45、FIX終了点着。

2ピッチ目:倉田リード。

フェースから小さいハング。

ラダ―の人工。

3ピッチ目:向畑リード。

カチのスラブ。

4ピッチ目:倉田リード。

メガネハングの人工。

5、6ピッチ目:向畑リード。

ピンほとんど無し。

スラブ。

7ピッチ目:はじめ左の方に倉田リードしたが、濡れていて悪そう。

3級なんだから悪かったらルートが違うはずだ、戻って来いと向畑さんに言われる。

でも、行って見ようと行きかけると怒鳴られ、懸垂で戻る。

結局、向畑さんがリードで右側からのぼる。

8ピッチ目:向畑リード。

左側詰める凹角のルンゼから濡れ濡れの右側の壁へ直上。

9ピッチ目:倉田リード。

松の木登って、ハングの人工。

10ピッチ目:向畑リード。

ベチャベチャの岩をラダ―の人工。

ハングから抜ける所で足をあげて立ちこむのに苦労する。

11ピッチ目:倉田リード。

すぐにブッシュ帯で、17頃に終了。

だんだん暗くなる中、右稜のコルへ。

懸垂途中、反対側の沢音がだんだん大きくなる。

正しい方に戻ろうとして、トラバースしすぎたりして、やっとテントに戻ったのが19時。

まずビール飲んで23時には倉田寝る。

向畑さんはゾロアスター教だからとかなんか良くわからないことを言って一人で夜の1時頃まで焚き火をしていたそうだ。

10月9日(月)

寝ながら6時ごろもう下山している人たちがいるなあとお互い気付いていたが、二人ともなかなか起きずやっと8時に起きる。

七倉まで帰る途中の長いトンネルの電灯の数を数えたりして下山。

七倉の温泉は500円。

信濃大町の小林でそばを食べて17:17の特急あずさで帰る。

 

 

唐沢岳幕岩 大凹角状ルート

1997年6月5日~6月6日
大滝(記) 、森広

5日

6:30七倉ゲート出発

7:20高瀬ダム

8:30金時の滝左高巻き終わり

9:40大町の宿(幅12m奥行き5m 水あり フライシート不要でツェルトも吊り下げて張れる)

10:50取り付き

1P3級 部分的に濡れていて怖い。

2P3級 個々も少し濡れていて怖い。

3PA1、4級 洞穴上をトラバースしていたらフレーク状の大きなスタンスが剥がれ大落石となって取り付き及びアプローチのルンゼに落ちていった。(登る人もアプローチ中の人も要注意)。

4P4級 ボサテラスより左へのトラバースが怖くA0にする。

5P4級 緩く開いたジェードルだが窪みの部分がずうっと濡れていて怖い。乾いていれば快適そう。

6P3級 傾斜の緩いスラブだがピンが2本のみなのでじっくり進む。

7P2-3級 容易な草付き。

8PA1 ここはA1フェースの基部でピッチを切ったほうがスムーズになる。

9P4級 快適にスラブっぽく左上。

10P4級A1 あぶみでチムニーを快適に右上(ピン多い)回り込んだ所はテラスになっていて、大きな岩のブロックが積み重なっている。微妙に前傾っぽいここをフレンズ1ハーフを噛ませて岩の縁を掴んで登るがぐらりと動きそうで怖い。このピッチが一番面白く感じた。最後のルンゼに入る前にザイルの流れを考えて木でピッチを切る。

11P 緩い泥ルンゼを15m、最後右に出て終了。そこが右稜の頭。

16:0024度C

踏み跡を15m下ってドーム壁の落ち口に立つ。懸垂下降で右稜のコル到着。

18:00

6日

朝からガスが濃く、岩も濡れているし午後雨がふるらしいため下山。

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・アプローチの唐沢は怖い。

・残雪はA沢とワシの滝との間にあったが通過に支障はなかった。

・B沢には多くの雪がありシュルンドが開いているように見えた。

・正面壁左側のルートは取り付きにくいかもしれない。

・人工の箇所では5、6ヶ所リングなしシュリンゲ代用のボルトがあった。

(誰か打ち替えて下さい。)ハーケンは打たなかった。

以上