北ア 唐沢岳幕岩 畠山ルート

2017年8月13~14日
薄田(記)、野澤

成功時だけ報告を書くのは違うと思うので敗退報告(事故報告)も重要と考え、正月山行の計画も無い(立てられない)ので重い筆を執ることにしました。
長文に成りますの記録としての興味だけの方は読み飛ばし願います。

(PART1)「記録」
クラブのH/Pにもある言葉として「リスク」が有り、「クライミング」特に「アルパインクライミング」のそれは大きいものがあると思います。
まず、概要から報告します。
今年の7、8月(特に梅雨明け以降)は天気が悪く山には入るチャンスが少なく毎年のことだが暑いので体調もベストでは無かったがそこは病気なので致し方なく夏の山岩クライミングを計画した。
最初、屏風右岸壁の「ルンゼ状スラブルート」等を考えたが野澤君の希望を入れ(唐幕初めて)「畠山ルート」に決まった。
8月12日の夜行で道の駅安曇野にテントを張る。
翌13日、5:00出発で七倉を7時前に出発。
薄田は2001年以来の唐幕であり、相変わらず最初のトンネルの長さには閉口すると共に高瀬ダムまでのアプローチが長く感じたのは年のせい?
高瀬ダム直下から左の沢に入るのだが「何か違う」。野澤君は直近のNET記録からアプローチは沢靴がベターと連絡を受けたが過去の経験からそんなもの必要な所じゃないよと言葉を返した自分に反省。(野澤君ごめん)
16年前以前にはジョギングシューズで簡単に乾いた岩を飛び越えていたがこの2017年現在は両岸から木が枝を長く伸ばし水線通し近辺を進まざるを得ない状況に変わっていた。これも地球温暖化の影響であるでしょう。
さて、9:30位に岸壁下部に到着するが相変わらず空はどんより曇り、壁を見上げると汚い草付きから水が滴っている。

取り敢えず「大町の宿」に向かおうとするがB沢から「右稜」のコルに上がるガリーを草が邪魔して分かりづらくなっていた。何とか昔の記憶をたどり「宿」に到着。当然誰もいない。少なくとも16年以前にはこの夏場の時期に貸し切りはあり得なかった。
取り敢えずテントを張って様子を見ていたが、ガスが上がってくるだけで小雨も降ってきた。野澤君持参の缶ビールを回し飲みして今日はお仕舞い。
8月14日、5時前に起床。相変わらず曇っていたが取り敢えず装備を整え取り付きまで行って見ることにする。
現着してしげしげとルートを追ってみると16年前のそれと明らかに様子が違う(下部の核心くらいまでは見える)。草付きが極端に増え、記憶が正しければ核心のハング脇には木まで生えている。
昨日よりはましだが、相変わらず壁は濡れている。薄田はそのままギアをリバースに入れたかったが野澤君は取り敢えず1Pだけでも行きたいというので彼に行って貰う。

確か3級ない位なのでOKして行って貰うが濡れて岩が滑るのか時間がかかっていた。
「ビレー解除」のコールに薄田も登るが超不快適。ビレー点に着くと野澤君も納得で敗退決定。残地ボルト(?)1本しかないのでそこから「右稜」側にトラバースして藪中に生える信頼できそうな立木にロープ直巻してB沢まで懸垂下降。その後テント他を回収してGo Home。

(PART2)事故詳細
それは「金時の滝」巻道である右岸のルンゼで起きました。後5mも降りれば両手が離せる地点まで降りたときに落石の飛来音「ヒュー」と聞こえた瞬間、右手中指に衝撃が走った。バシー!
見れば黒い軍手は破けグチャグチャの中指が目に飛び込む。砕けて鋭利になった骨も見える、しかもぶらんと垂れ下がっている。「やってしまった!」
考えてる場合じゃ無いので何とか河原まで降りて気合いで軍手を抜き取り沢水でじゃぶじゃぶ洗う。不思議と痛みがあまり無い。(薬指側の太めの血管と神経を切断)急ぎ雨蓋内のウエットティッシュを数枚取り出しぐるぐる巻きにして左手で押さえた。利き手の右手が使えないのでここまで。
そうこうするうちに野澤君が降りてきたので簡単に説明し40mmテーピングテープで親指除く4本をぐるぐる巻きにしてもらう。
未だ両手を使わざる得ない状況なので軽量化のため、ロープ等重量物を野澤君に託す。
途中2ヵ所は野澤君にロープを張って貰って降りました。
高瀬ダム迄来ると登山者送迎のタクシーが上がってきたので事情を説明し帰りに乗せて貰った。(本来途中乗車はNG)
七倉のタクシー詰め所で病院を教えて貰い2件目の池田町に有る「あづみ病院」(14:30位)に行き受付、受診するも先客(ストレッチャーに乗った足を怪我した登山者)がいて手術は17:00からになるとのこと。もう移動不可なので野澤君には悪いが手術終了まで待って貰うことにした。
結局手術は16:30~20:00位までかかった。手術直後執刀医から第二関節は消滅し曲がらない等の説明を受ける。落石Hit直後は第二関節以上は無くなることも覚悟したので不自由になるけど仕方ないと納得して1週間の入院生活に入った。

(PART3)総括
1.「唐沢岳幕岩」
時代の流れ(自然の変化)は止められないが、それは夏のクライミングの快適性を奪い(冬期にはある意味良いかも)それは繁茂した草付きであったり、邪魔な低木であるが特に草付きは滑って危ないしホールドを隠してクライミングの邪魔になり結局危険性を高める。
約40年前に新潟の仲間と初めて登った唐幕の快適さが失われたのは純粋に悲しい。
2.「金時の滝巻道」(右岸ルンゼ)
ほぼ40年前と状態は変わっていないと思うが相変わらずグズグズボロボロの落石危険箇所。上りは致し方ないが下りは懸垂下降がベターでしょう。(クラブ代表のアドバイス)素手での下降より上方に注意を向けることが可能。
3.「クライミング全般の危険回避」
私の仕事(業界)は建設業であり、足場、鉄骨からの転落、墜落災害が大きい事故に上げられます。然るに作業前には当日作業に内包するで有ろう危険についてKY(危険予知)活動を実施し安全作業を進めます。
山の場合は危ない所に行かないことが最大の予防策でしょうが、我々は(特に私は)危ない所に行かないと楽しく無いというある種の「薬中患者」なので致し方有りません(?)
しかし社会生活を営む一社会人として最低のルール(人に迷惑を掛けない、関係各位を悲しませない等)が有ると思います。
私も先輩、仲間の多くを山で失って来ましたから年齢的なことも含めて卒業(アルパイン)の二文字をポケットに忍ばせもう少し活動を続けたいと思います。
最後にあづみ病院はじめ多くの医療関係者には大変御世話になりました。(勿論野澤君も)感謝申し上げます。
これは内緒ですが、こちらの病院の主治医と理学療法士さんにはもう危ないことはしないようにと暗に言われております。