唐沢岳幕岩 広島ルート

2003年2月8日から3日間
向畑(記)、倉田


何回も通ったのがばれてしまうので書きたくなかったが、幕岩の広島ルートは4年ごしの課題だったのである。

99年暮れ(すぐに敗退していたので毎年年内に降りてきている)、1ピッチ目を登ったところで腰痛敗退。

2000年暮れ、2ピッチ目をパートナーが登っている時にちょっとしたアクシデントがありそこで敗退。

翌2001年暮れは腰痛が本格的に悪化して直前に中止。

その後翌2002年5月頃には、それまではだましながらも続けていたフリークライミングもできない体となり、半年ほど療養に専念した。

11月も過ぎて例年だと腰痛が最も悪化するシーズンを迎えたが、完治はしないまでも、ここ数年では最もましな状態にまで回復した。

という訳で、「今年は登れる」

と思ってそれなりに気合も入っていたが、本当に何があるかわからないのが山登りだと実感した。

2002年暮れ、幕岩に向かって唐沢を詰めていると、上部岩壁帯に三角形のつららのようなものが見えてくる。

しかも、それは近づくにつれてだんだんと大きくなってきて、そのうち、「もしあれがルート上にかかっているようだったら登れないかも」

と思えるようになってきた。

ところが、さらに近づいてみると広島ルート上に赤いヤッケが二つ動いている。

「彼ら(一人は彼女でした)が降りてこなければ登れるということか」

と思って、とりあえず取り付いてみることにした。

しかし、12月30日にフィックスするつもりで登っていくと、上から人が降りてくる。

降りてきたのは、蒼氷・山岸、JECC・畠山ペアだった。

氷柱はルート上にかかっていて、ピンが掘り出せない上にアイスギアもないので登れないという。

「山岸で登れないのに俺が登れる訳ないよな」

と言うと、パートナーの倉田に「うんうん」

と大きくうなずかれてしまった。

この時点で他のルートへの転進も考えたが、いままで不完全燃焼で敗退してきたことや、長いこと山に行けなくて苦しかった思いも胸にある。

何よりも自分の目で見ないと納得できないと思い、とりあえずは氷柱のところまで行ってみることにした。

また、氷のかかっている上部壁2ピッチ目はかなり短く、すぐにテラスに上がれることも知っていたので、「何とかなるのでは」

とも考えていた。

しかし、翌日松ノ木テラスまで上がり、さらにその翌日上部壁1ピッチ目(下からは9ピッチ目)のボルトラダーを上がっていったが、前傾壁からスラブに上がるところに氷柱がかぶさってきていて登れない。

ピンは厚い氷で覆われとても掘り出すことはできないし、上部壁1ピッチ目上のビレーポイントも完全に埋まっていてどこにあるのかもわからない。

氷柱はルートの終了点である上部緩傾斜帯から垂直に近い傾斜で落ちてきており、スラブで一旦傾斜を落として再びハングから5~6mの三角錐を形成して空中に垂れ下がっていて、全長は50m位はありそうだ。

ダブルアックスで十分に登れる厚さだが、アイスピトンはスラブ帯のベルグラ用に10㎝の短いスクリューを4本持ってきているだけだ。

上部壁に氷柱がたれるということは聞いていたが、過去2回見た限りでは上部壁のつららはほとんど問題なさそうだったので、本格的なアイスクライミングになるようなことは想定していなかった。

何よりも、ビレーポイントが使えなかったのが痛かった。

ラダーの横にボルトを打ち足してビレーポイントを作ることをよっぽど考えたが、それでも手持ちのギアでは不安が残ったし、わざわざラインからはずれた位置にボルトを打つことにも抵抗があった。

「まあ仕方がないか」

と思い、畠山さんが残してくれたカラビナを使い、我々も敗退することにした。

ここから降りるのも登る以上に大変なはずだが、先に1パーティ降りているので気が楽だった。

降りてきて、帰ってきた当初は、仕方がないことだし、通常の核心部は問題なく突破していたので「まあいいか」

と思っていた。

しかし、酔っ払うと登れなかった「つらら」

が頭に浮かんできて、そのうちにだんだんと頭から離れなくなってきた。

こうなったら、なんとしても登らなければ先に進めない。

しかも、あの氷柱が上部壁に残っているうちに。

ずいぶん前置きが長くなったが、そういう訳で私もパートナーの倉田もどちらも仕事が詰まっていて結構忙しかったが、2月の飛び石連休を4連休にして無理やり出かけることにした。

ちなみにあまり関係ないが、つららの幻影に惑わされているうちに私の方はさらに一つ年齢を重ねて、気が付けばなんと42歳になっていた。

2月8日、午前1時15分位に葛温泉に到着。

「せめて3時間位は寝たいよね」

ということで、4時起床にしたが起きれず5時半まで寝てしまう。

後から着いてとなりに車を停めたYCC・神谷、松林ペアが早起きしてくれたおかげで起きることができた。

7時頃葛温泉発、七倉を過ぎ出合から唐沢を詰め、大町の宿の前から大凹角へと向かうトレースと分かれ雪壁をラッセル。

洞穴ハングには12時頃着。

洞穴ハング下で1ピッチだけロープを出した。

お天気は晴れていて気温も高かく、日が当らない幕岩もこんな日は好都合だと思った。

1ピッチ目、12時30分頃取り付く。

洞穴ハングの人工は、夏が1回、冬が4回目で、もうこれきりにしたいもんだと思いながら登った。

2ピッチ目、ラダーの人工から草付きのダブルアックス。

今回は倉田に登ってもらってフィックスしてきてもらう。

「ビレーポイントに不安を感じたらボルトを打ち足してもいいよ」

と言ったら本当に打っていた。

洞穴ハング下に戻ってきたのは17時頃。

この日はハング下で泊まる。

2月9日、この日も4時に起きる予定であったが5時まで寝坊した。

8日夜からから9日夜中にかけて低気圧が通過、寝ている間に何回か雪崩れの音が聞こえていたが、朝起きた時にはもう雪は止んでいた。

ただ、かなりの積雪があったみたいでハングの中まで着雪で真っ白になっていた。

7時にユマーリング開始。

二人が2ピッチ目終了点についたのは8時頃だったが、フィックスロープが引っかかって上がらなくなり、倉田に一旦降りてもらって直してもらったりしてもたもたしていたら、3ピッチ目を登り始めたのは9時過ぎになってしまった。

3ピッチ目の第一スラブは雪に覆われ、正月に登った時よりも状態は良くなかった。

それでも、少しがんばれば次のピンが取れるのでまあなんとかなる。

ホールドが乏しいのでアックスによるフッキングを多用。

スラブを這い上がったところにあるビレーポイントから右の凹角に入り、ダブルアックスで直上、メガネハング下の立ち木でビレー。

4ピッチ目、メガネの鼻を人工で途中まで登り、最後のピンから渾身のダブルアックスを振るうが、ランナウトする上にベルグラが薄く緊張する。

最後はほとんどないベルグラにアックスを押し付け、アイゼンで立ちこんでぎりぎりのバランスで越える。

抜け口のビレーポイントを通り越し、第二スラブ下部の立ち木でビレー。

この日も晴れてきて、高瀬川対岸の山肌に日が当り雪崩れが頻発していた。

第二スラブの5、6ピッチ目は、雪壁から氷の凹角をダブルアックスで登り、雪で埋まった大テラスへ。

7ピッチ目は左へ大きく回り込んで雪壁から草付きの凹角へ。

第二スラブと草付き凹角は、一部氷の薄いところもあるがほとんど問題ない。

正月は1日中日が当らない正面壁にも、2月は午後になると上部には日が差すことがわかったが、気温が高くてかえって暑かった。

8ピッチ目、左のクラックからカムと残置を使い人工。

一部雪に埋まっていてピンを見つけられず不安定なフリーを強いられる。

このピッチ、カムをいくつか持っていないと冬は辛いと思う。

松ノ木テラス17時頃着。

正月は腰掛けだったが、今回は雪に埋まっていて整地すると二人が寝ることができた。

2月10日、倉田は4時から起きていたらしいが私は起きれず、またもや5時過ぎまで寝ていて顰蹙を買う。

この日は1日中曇りだった。

ハングの上に張り出しているつららを見上げると、ここのところ気温が高かったためか正月よりはやせてきている。

9ピッチ目には7時頃に取り付く。

前傾壁のボルトラダーを登り、最後のピンにアブミを残して空中に張り出したつららに乗り移る。

少し登り、やや傾斜が落ちてきたところにスクリュー3本をセットしてビレー。

下から9ピッチ上がってきたハングの上に張り付いた氷の上の、さらにその上に乗っかっているのでものすごい高度感だ。

10ピッチ目、氷は上部岩壁帯の上までまっすぐにつながっていて、上の緩傾斜帯まではおそらく40m程度、1ピッチで何とか登れそうだ。

ただ、17㎝の長いスクリューはビレーポイントで3本使っているのであと5本、その他はベルグラ用に持ってきた短いものしかない。

上部の傾斜が強い氷柱部分は85度程度、長さは20m位ありそうだ。

また、見た感じでは表面がもろそうなので、ビレーポイントのスクリューを1本回収して持っていこうとしたら、ビレーしていた倉田に「2本だけだと恐いからいやだ」

と拒否されてしまった。

仕方がないのでそのまま登るが、中間部のやや傾斜が落ちたあたりで、一回切ろうかこのまま登ろうか迷ってきょろきょろ見回していたら、右のハングにかかったつららの下にピトンラダーの一部が出ているのが見えた。

氷質がもろくなってきたこともあり、ついついそちらに吸い寄せられるように行ってしまい、ピトンを固め取りしてビレー。

11ピッチ目、ここからでも氷柱を直上した方がすっきりするとは思ったが、すぐ右上に山嶺第一ルートと合流するテラスがあるような気がしたので右に行くことにした。

ラダーはすぐに氷で隠れていて、つららが上に覆い被さっている。

ルートにかぶさっているつららをバイルで叩き落し、ハング上の氷にスクリューをねじ込みアブミをかける。

スクリューの人工2ポイントからダブルアックスでさらに真横に右へとトラバース。

山嶺と合流するテラスは雪壁となっていてビレーできそうにないので、手前の潅木とスクリューでビレー。

12ピッチ目、テラスの右にも結構立派な氷瀑がかかっていて、あたり一面氷だらけだ。

ここからだと右でも左でもどちらの氷柱でも簡単に登れてしまいそうだったが、雪壁の最上部へと登っていくと広島ルートのピトンがちょうど目の前にあり、思わずそれにアブミをかけてしまった。

結局、ハングを人工で越えて立ち木でビレー。

結果的に、最後まで広島ルートをほぼ忠実にたどった形となった。

最後は腰までのラッセルで夏の踏み後らしきところまでロープを伸ばす。

終了は14時頃。

尚、上部壁は通常3ピッチだが、荷揚げした関係で5ピッチに切った。

ストッパー付きプーリーとユマールで荷揚げとビレーを同時に行い、セカンドもフォローで登った。

再び腰までのラッセルで右稜の頭へと向かい、懸垂で右稜のコルへ。

大町の宿に17時30分頃着。

七倉経由葛温泉には21時50分着。

途中唐沢では、来た時にはなかったデブリが出ていてさらに谷が埋まっていた。

 

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