2003年1月12日から2日間
三好、堀田、池﨑(記)
1月11日
美濃戸口-行者小屋
時間は十分にあったので、いい天気の元、行者小屋のちょっと下の樹林帯でロープワークの確認などをやっておく。
1月12日
行者小屋-赤岳西壁主稜-行者小屋
3:30に起床して5:30出発。
ヘッドランプを点けて、分三郎道をゆっくり登る。
取り付きへのトラバース地点で先行は3人組1パーティ。
取り付きでこの先行パーティが登るのを待っている間に、途中で抜かした団体のガイドパーティがあとからやってくる。
既に混み気味。
先行パーティのアイゼンが外れたりしてしばし待った後、池崎が登りはじめる。
1ピッチ目出だしのチョックストーンにはスリングが通してあった。
新設のビレイ点のボルトに掛かっているのと同じスリングだ。
前回あったっけ?とりあえず掴んで登っておく(!)。
そのまま上がってビクナルでランナーを1つ取って右上。
立派なボルトでビレイ。
その後もビレイ点やランナー用のボルト(全部で4箇所くらいかな?)が要所に設置されていて、自然の岩を使ったランナーはルートを通して一生懸命取っても2,3ヶ所程度だった。
ボルトが多いので、ヌンチャクも1~2個持っていても便利かも。
あとは最後の2ピッチはボルトが設置されていない(見つけられなかった?)ので岩角でビレイ点を作った。
どのみち長いスリングは必要。
登り始めはガスの中を登っていたが、途中から青空が見えてきて、山頂では快晴。
しばし小屋のかげで風を避けながら休憩の後、頂上で記念撮影して地蔵尾根から下山。
ヤマケイの記事にも載っていた通りで、ルートの要所にはボルトが設置されていてビレイ点に関してはとても安定していた。
でも混んでるとビレイ点に近づけないのがたまにきず・・・。
<行程>
05:30 行者小屋出発
07:00 主稜取付き(順番待ち)
07:40 登攀開始
11:30 終了点、頂上往復
12:10 下山開始
13:00 行者小屋
1月13日
行者小屋-阿弥陀岳北稜-行者小屋-美濃戸口
前日と同じ予定であったがちょっとだけ寝坊して6:40にヘッドランプを点けて分三郎道に向かう。
途中、指導標に導かれて道を右に入り、阿弥陀岳北稜の途中まで夏道を辿るが、トレースはバッチリでラッセルは皆無。
夏道のトラバースを左に分けて一登りしたところでアイゼンをつけて登攀の準備をする。
最初急な斜面はロープ無しで上がって、JPまで行くと学生さんのグループと他にもう1パーティ程が壁に取り付いていた。
ここで5~6パーティ程が取り付きに溜まるが、この学生さんパーティを待っていたら結局最後から2番目の取り付きとなってしまった。
学生さんパーティはそれこそ苦戦していて、「早くのぼってくんないかなぁ」が、そのうち「もう少しだ、がんばれ」と声を掛けたくなるくらいであった。
おつかれさんでした。
ということで、この日は三好さんトップで取り付く。
「登れなかったらはずかしーな」
とか言いながら相変わらずさくっと1ピッチ目を登っていく。
その後二人が続く。
その後は数パーティが入り乱れての大混乱状態で、訳判らずのうちに終了点。
学生時代に来たときは相方と二人っきりだったのに、こんなもんなのか。
このルートも真新しいボルトが打たれていたが、1ピッチ目のビレイ点は人が多くて近づけなかったみたいで三好さんはブッシュ(?)でビレイしていた。
この日も快晴で阿弥陀岳山頂でチョー大休止。
空気も澄んでいて360度ぜーんぶ丸見え。
2本も持っていたテルモスのお茶をがぶ飲みして、いざ見えてしまうとじつななんだかよくわからん山並みを地図で調べたりしたのち下山開始。
まだ日のあたっていない中岳沢をシリセードで一気に下り30分程で行者小屋に付いた。
撤収して美濃戸口へ。
林道をあるいていると荷物を背負ったままでときたま三好さんは走りだすのであった。
他の二人は早足で追いかける。
三好さんが走るのをやめて歩き出すと二人は追いつく。
しばらくすると三好さんはまた走る。
これを繰り返すうちに、美濃戸手前の大きなS字にたどり着く。
S字の向こうの最後の上り坂が勝負だ。
三好さんは上り坂をまたまた走る。
いままで走ってきた三好さんは体力を消耗しているはずである。
勝負するならここしかない。
上り坂の途中で三好さんが歩き出したところで、試しに池崎ダッシュをかける。
池崎がなんとか三好さんに追いつく。
それからちょっと二人とも走る。
さて、誰が最初に坂を登り切って美濃戸についたのかそれは秘密。
ちなみに残りの一名は静観・・・。
<行程>
06:40 行者小屋出発
07:40 JP取付き(順番待ち)
08:40?登攀開始
09:50 終了点
09:55 阿弥陀岳頂上
10:40 下山開始
11:10 行者小屋着