2000年7月22~23日
関、本郷、椛島(記)、他
今回のメンバーは、関さん、本郷さん、私の他に、本郷さんの友人の都岳連遭難対策委員の方が三名、というもの。
大人数で賑やかな山行だった。
金曜日の晩広河原に午前2時半頃着く。
4連休の最中とあってか、物凄い車の数。
本郷さんも「こんなの初めてだ」と目を細めていた。
軽く酒を飲んでいると空が白みがかかって慌てて寝入る。
7月22日(土)
容赦なく日が照り付ける下ゆっくりとアプローチをこなす。
昼前に大樺沢二股手前の大岩の下にベースを置く。
大樺沢は幕営禁止になっているが、結構いいテン場が点在する。
中でもこの大岩の下は白眉だと思う。
大岩ではボルダリングも楽しめる。
時間が中途半端だったので下部岩壁あたりで遊ぼうと思い上まで行くが、雨がぱらついてくる。
ガチャをC沢出合いにデポしてあとは宴会に突入。
遭対の方にひとり往年のバックパッカーがいらっしゃって、30年前のインドの話など伺う。
またべろんべろんに酔って
ボルダリングに挑戦しようとしたら、死にそうになって焦った。
7月23日(日)
3:00起床 4:00テン場発 5:30ピラミッドフェース取付き 8:30 4尾根上 13:00頂上
天気は上々。
いかにも梅雨明け直後といった感じの蒼い空。
関・椛島パーティーはピラミッドフェース~4尾根~中央稜の継続へ向かう。
本郷パーティー4人はCガリー大滝から4尾根へと向かう。
以下、関パーティーの記録と感想。
ピラミッドフェースでは、トポにある4P目の「小ハング帯の切れ目に食い込むバンドを右上」というところを、間違えて手前のバンドからまわってしまったようだった。
4尾根は、気持ちよかった。
炎天下のIII級ピッチのフォローはスタミナを消耗させる。
4尾根から中央稜への懸垂は、枯れ木テラスからダブルで一回。
ザイルの回収でラクが起きるくらい浮石が多い。
取付きは雪渓が厚く残っていた。
その上に威圧的に中央稜が聳え立っている。
中央稜ノーマルルート1P目関さんリード。
かぶり気味のフェースⅣ+から(本来2P目の)ルンゼで50mいっぱい。
フォローしていて怖かった。
2P目椛島リード。
バンドを20mほどトラバースしてハングを超え、稜に出る、IV+。
トラバースしていて、どこからハングを超えていいのか見えなかった。
緊張感溢れるピッチ。
お勧めです。
残りの簡単な2Pで中央稜も終了。
後は頂上まで踏み跡を3分行くだけ。
ところが…
最後の最後で関さんが「よし、かば、Cガリー奥壁に継続だ」と言い出す。
私は関さんの言うその2ピッチの壁が、ボロボロで登り様がないものに見えたのだが、関さんは「これで最後頂上に直接行くのがかっこいいよなあ。たまんないよなあ。 」と壁に見入っている。
どうしようかと思っていたところで、頂上に先に着いていた本郷さんの姿が見えた。
「おーい、早く来なよ。新聞記者が写真を取りたいってさ。全国紙だってよ。 」
我々はCガリー奥壁のことは忘れ、乱れた呼吸を整え、眼鏡のずれを直し、額の汗をぬぐって意気揚揚と頂上に上がった。
そしてそこには記者とおぼしき人がいて、我々に向けてシャッターを切っていた。
頂上でくつろいでいる縦走のおばちゃん達も一斉に我々に目を向ける。
気分はまさに英雄。
記者さんいわく、あと数日もすれば、その某○旗誌に我々の勇姿が載るとのことだ。
何はともあれ全国版。
嬉しい限りである。
くだりは八本歯のコルのあたりから下る。
「冬のアプローチはあそこをああ行くんだ」などといいながらゆっくり降りる。
薄暗くなる頃広河原を後にした。
いい山だった。