黒部別山 大ヘツリ尾根

2005年5月4日から3日間
森広、大滝(記)

5月3日

新宿駅23:54発のムーンライト信州81号は4日5:08に信濃大町駅に着いた。

連休の中日なので列車は空いていた。

5月4日

5:35発のバスで扇沢へ、6:30のトロリーバスで黒部ダムへ。

7:05ダムを出発。
快晴。

ダムの出口は雪のトンネルになっていた。積雪の多さに喜ぶ。

内蔵助谷出合は雪が繋がっていた。
これで一安心。

ここから先、私は初めて通る所だ。長年の憧れの地に心がはやる。大タテガビン南東壁に正面から対峙する。凄い迫力。

凄く悪い壁。
圧倒される。

概念図で現在位置を頻繁に確認しながら進む。新越沢の二段の直瀑は聞きしに勝る迫力だ。大タテガビン沢出合付近に来ると壁尾根が遠望される。本当に壁、屏風、衝立のようだ。大ヘツリ右ルンゼを特定すべく慎重に観察して行く。目星はついたが、不安なので別山谷右俣出合まで行って見る。10:30。

とても良い所だ。

別山谷右俣がとても興味深く見え、このまま詰めて行きたい衝動に駆られる。

下ノ廊下下流も歩いて見たい。

一休みしてルートを協議した。

目星をつけたルンゼから先は滝になっているルンゼと岩のみのルンゼと二本入っている。

それらは登れないので、雪がずっと上まで繋がっていて、右から雪の無いルンゼが入っていてそこに岩がある所だろうと考えた。ルート図と同様に思える。数分戻ってアイゼンを着け登り始めた。11:00。

急なルンゼを詰めて行く。恐い部分が二ヶ所あった。

右のルンゼは傾斜の緩い滝になっていて水流がある。

泥の部分で靴が滑るのが恐いのでアイゼンを着けたまま登る。

水は飲み放題だ。70m。

乾いて傾斜の緩い岩場に出る。

アイゼンを外す。右端まで覗きに行ってみた。崖の下にチムニー状ルンゼの雪渓が見える。戻って藪を掴みながら右上する。

岩に阻まれて右カンテの藪に突入する。ザックが大きいのでムーブを考えながら藪を漕ぐ。露岩が現れ、左から巻くと岩のカンテに出た。Ⅱ級+位だが、濡れて居るのでゆっくり登る。15m。

雪が出て来たのでアイゼンを着ける。

P3の藪岩峰が登場する。物凄い藪なので予定通り右のチムニー状ルンゼにトラバースし、P3、P2、P1と全て巻くことにする。雪が繋がっていたので上手くルンゼに移れた。後はこの先も雪があることを願いつつ登る。

しかし、暫くすると雪は無くなっていて、スラブ状の岩場になっていた。

慎重に進んで行く。一ヶ所難しい段差があり何とか越えたが、森広さんが越えられないので、左から巻いてもらう。少し登ったら、ブッシュに残置シュリンゲがあった。

森広さんが左の方で困っていたのでロープを出し、斜めに懸垂下降して助けに行く。合流してゴボウで登ってもらう。

左上に雪が見えたので20m草付きにロープを伸ばし、雪上の人となり一安心。

ここから先は、ひたすら急な雪斜面を登る。壁尾根、中尾根支稜を眺めながら頑張る。時間との闘いで時計を見ながら
テント適地を探す。途中、水流が出て居る所があり、水筒を満たす。17:30。

雪が段差になっていて雫も落ちているので水が採れる所を整地してテントを張った。18:30。
やっと落ち着く。ラジオは入らず天気予報は聞けなかった。

5月5日

3:00起床。

晴れてはいるが、雲が多めだ。4:30出発。
4℃。

急斜面を登り続ける。

P0辺りに来て下を見るとP1上にしっかりした踏み跡があった。

なんと尾根上を辿ってきた人が居たのか。

ショックを受ける。凄まじい藪と切れ切れの雪なのに。

凄い。

5:45南尾根に合流。

真砂岳が格好良い。

部分的に藪を漕いだりして別山主稜線を行く。8:30。

西尾根分岐で休み、天気予報を聞こうとするが、「今日はいい天気です。」と言うだけで、6日、7日の事は言ってくれない。出掛ける前の予報では6日曇り、7日雨、8日晴れとなっていたので八ツ峰に継続する計画だが、危険かも知れない。迷いつつハシゴ谷乗越に向かう。

乗越で天気予報が聞けた。6日の午後から雨になる予報だ。7日は不明だが良い可能性は低い。取り付いてしまって悪天に捕まったら大変だ。

協議の結果、八ツ峰は諦めた。快晴の中、内蔵助平経由でダムまで行き、1泊で帰るのももったいないのでダムの下で泊まった。13:30。

5月6日

下山。

 

黒部別山チムニー状ルンゼ~丸山南東壁ダイレクト

1999年8月7日~9日
瀧島、三好、本郷(記)

8月6日

の夜、免停中の本郷の車で八王子を出発。

(もちろん運転はしていない)1時過ぎに扇沢に到着し、少し飲んでから寝た。

今回の計画は、別山チムニー状ルンゼから丸山東壁である。

暑いことは最初から解っていたが、結局最後まで苦しめられた。

8月7日

寝過ごして1番バスに乗れず、飯も食わずに8:00のバスに乗った。

あいかわらず物凄い人の数で面食らってしまう。

黒部ダムで水を汲んで出発。

先頭を行く瀧島さんは張り切ってズンズン歩き、最後尾の三好さんはコンパスの違いからずっと走っている。

内蔵助谷出合に9:00に到着。

ここから日電歩道となるがまだ開通前なのでところどころ悪い部分もある。

大タテガビン沢出合にもデカイ雪渓が残っており、通過する時涼しい思いが出来る。

大ヘツリ左ルンゼのあたりでついに通過不可能かと思えるブロックに遮られる。

ここで水汲みをして1時間くらいどうするかミーティングするが先の雪渓が悪そうで行けそうもない。

そしたら、日電歩道を整備しているオッチャンが向こうからヒョコヒョコ歩いてきた。

「そちら行けますか~」と聞いたら

「ここから先は問題ないチャ。」と言うので拍子抜けした。

そんなことで、結局チムニー状ルンゼについたのは12:30になってしまった。

さて登ろうかと思ったら、ザーと雨が降り出した。

なんでこう~なるの。

1時間以上待って小降りになってきたので瀧島さんのリードで出発するころには14:00になっていた。

全装備を背負っているが、ルートは快適で、フリクションの効くスラブが続いて気持ちがいい。

8か9ピッチ登ったあたりで二俣になり、どっちに行くか迷ったが右へ行った。

(本当は左、後で調べたらここはチムニー状ルンゼ右俣で一応ルートになっているようである。)

そろそろビバーク地を探しながら登るがいいところが無い。

本郷がロープを付けて奥壁が見える方へ2ピッチ程さらに登ってみるが傾斜が強く寝るところがない。

そこでいいところまで降りようと懸垂を始める。

1ピッチ降りたところで懸垂ロープを回収しようと引いた時、足場が崩れそこをきっかけに落石が起こる。

本郷のヒザに5、6発命中。

ヒザが伸びたところに上から当たったので、外側側副靭帯を傷めた。

そこで、明日は上に抜けるのを諦めて、同ルート下降することにしてビバーク地で酒を飲んだ。

翌日、下降に入るが残置は少なくほとんどブッシュでの懸垂であった。

足の具合を見ながら2人に遅れてゆっくり歩いて内蔵助沢出合へ向かった。

明日の丸東はなんとか登れそうだ。

14:00にテン場について、早速酒を飲みだした。

しばらく、飲んでいると大荷物を背負った寡黙な人がテン場に歩いてきた。

なんとビックリ小谷さんであった。

畠中君が付き合ってくれず一人でのデポ回収だとのこと。

ダブルボッカで往復しているとのことで真の岳人は違うなあと感動した。

その晩は小谷さんを交えての楽しい夜となった。

翌日は、気合入れて3:00に起きて、3:30に出発。

小谷さんに見送られて丸東へ向かう。

取り付きに4:30。

5:00に本郷リードでダイレクトに取付こうとするが、なんだかトポとずいぶん違う。

草付クラックで階段状となっているが、ぜんぜん階段状でなく、草が元気に生えすぎていて、しかもほぼ垂直。

古い残置ハーケンが所々草の間から見えるが、登っている感じがしない。

無理すれば登れるが、下部は登研ルートを登ることにした。

1ピッチ目と2ピッチ目は、特に悪くもなく3ピッチ目を三好さんに変ったらここがかなり悪かった。

草付をだましながら登る神経を使うピッチであった。

4ピッチ目は、島テラスまで。

この辺から太陽が昇りもの凄い暑さで、昔の岩雪に書いてあった8月の丸山はフラットソールの底が融けるようだというのを思い出した。

本当に融ける寸前であるのが解る。

以前に8月の丸東は3回登っているが、これだけの暑さは始めて。

島テラスからは、瀧島さんのリードで登りだす。

2m程のハングを超えてハンギングビレー。

三好さんは、本格的なハングは始めてということで少し時間が掛かったが乗っこしてきた。

次の5mのハングを超したら終了なのだが、あまりの暑さにここで敗退することにした。

根性無しと言われようとも、もう我慢の限界であった。

同ルートを空中懸垂で降りる。

今回は、満足の行く結果ではなかったが、暑さがある程度の充実感を与えてくれた山行であった。

特に、別山には惚れた。

帰ってからルートを見ていたら行きたい所がいっぱい出てきた。

しばらく、通いたいところだ。

最後に、瀧島さん、三好さんにはけがで迷惑をかけて申し訳なかったです。

以上