1999年8月3~4日
中嶋、櫻井(記)
天候不順、氷河の状態、メンバーそれぞれの体調などを考えてビバークを必要とするようなルートはもうできないと判断していた。
しかし、シャモニー滞在の最後に、ある程度手応えのあるところに行っておきたいという気持ちも強くあった。
トリノ小屋はミディのケーブルカーからゴンドラに乗り継ぎエルブロンネルというイタリア国境のケーブル駅にある。
モンブランとグランドジョラスをつなぐ尾根の上標高約3400mに建っている。
このトリノ小屋をベースに2日間でグランカピサンとジュアンのふたつを登ろうという計画をたてた。
8月3日 シャモニーからトリノ小屋
朝5:00まだ暗いアパートの窓からのシャモニー針峰群はどんよりとした雲の中にある。
まだ寝ている人たちを起こさないように気使いながらキッチンで立ったまま堅くなったバゲットにスープを浸してかじって飲み込む。
ミディのロープウェイ駅までは歩いて10分かからない。
早朝の石畳の道には午後の雑踏では感じられないすがすがしさがある。
駅に着くとクライマーが20人くらい出発待ちをしている。
天気予報が悪いので、いつもと比べてとても少ない。
エルブロンネルまでのチケットを求めようとすると、悪天でミディーから先のゴンドラの予定が立っていないため、チケットは発売できないと断られる。
そうではないか、という予想があたってしまい駅の入り口の階段でぼんやりとしていると、今度は雨が降ってきた。
見知らぬフランスのクライマーと「この天気じゃねえ」と目で話をする。
「とりあえず、出直そう」ということで、アパートに戻る。
昼近くなると青空が戻りアパートからモンブラン方面も見えてきた。
残り日数もなくどうなるかわからないが、ワンチャンスに賭けてトリノ小屋まで入っておこう、と気をとりなおして昼過ぎにまた出発する。
この間の気持ちの整理とモチベーションの維持にはエネルギーが必要で、しかも繊細なこわれやすいものだった。
今度は順調にエルブロンネルまで乗り継ぐことができた。
ゴンドラの中からはモンブラン山群の主だった山をすべて見ることができた。
残り1日となった翌日のルートをカピサンとジュアンのうちどちらにするかを決めていなかったが、ここでジュアンにすることに一致した。
カピサンは技術的にはジュアンより上でムーブは楽しめるはずだが、このゴンドラから見るといかにもモンブランタキュールの前衛峰であり山としての存在感に欠ける。
一方のジュアンは支稜の上にどっしりと根を張り、青空をバックに尖塔を突き出し堂々いかにも「巨人の歯」である。
アルプスらしい、高所の山旅気分を優先することにした。
駅の展望台で展望を十分楽しみ、無料の双眼鏡でジュアンのルートをしっかり下見し、ここまでいっしょに来た妻と別れる。
トリノ小屋までは安全な雪面を200mほど歩けばいい。
ちなみにこの駅の出口の扉には
「ここから先は高山の世界であり十分な準備をし、リスクを認識した者だけがこの扉を開けることができる」
といった趣旨の警告が書かれている。
気持ちのよい、自己責任の表現だった。
トリノ小屋はイタリアだった。
従業員は皆それぞれ個性的で明るく、かたことの会話でも楽しくなってくる。
客は皆クライマでそれぞれ翌日のルートを考えている。
イタリア人、フランス人、スイス人…アジアからは我々2人だけだった。
盛り放題、お代わり放題の夕食もおいしく、楽しかった。
翌朝、相部屋になったスイス人パーティの目覚ましが鳴った。
4:00前、ひとりが窓の外をのぞいている。
「How’s the weather?」私が聞くと
「Good」と短く返ってきた。
食堂では、若い従業員がまだ眠い目をしながら給仕をしている。
まだ高校生かもしれない、おどおどしている憎めないやつだ。
8月4日
5:00小屋発
ジュアンには不要なものを小屋の乾燥室にデポし、出発。
南の空にはやや厚い雲があるが、モンブラン山群は薄雲がすこしある程度だ。
ヘッドランプをつけて行く。
アイゼンが気持ち良く効く。
アプローチは一度ジュアンのコルから下り岩峰を右から巻き込みながら、ジュアンの支稜に取り付く。
同じ方面への5パーティーほども適度にちらばり、気分は穏やかだ。
支稜のとりつきは斧形をした雪面をシュルンドに注意しながらまっすぐ上がり、支稜の肩に出てから今度は右にガラガラの岩稜を上がっていく。
岩稜には残雪やベルグラも時々あらわれる。
ロープは使わなかったが短いⅣ級程度のムーブは出てくる。
7:30 ジュアンの基部
青空がずいぶんと少なくなって、南の雲が厚みを増してきた。
谷からも雲が湧き上がってどうみても悪化の兆候だ。
ここはもう4000m近いが、慎重にゆっくりとアプローチしたためか、頭痛などは起きていない。
モンブランを速攻してきた中嶋はもちろん体調万全だ。
あきらめるにはまだもったいない天候だ。
プラ靴とアイゼン、ピッケル、ストックをデポしロープをつける。
8:00 登攀開始
ルートは本峰から40cmほど離れて立つ岩のトラバースを10mほどしたあと、回り込んで本峰に立ち少し上ると、立派な?形の鉄のアンカーに出合う。
このルートは要所に必ずこの鉄ペグが打たれている。
2ピッチ目、さらに左上トラバースをすると、ガラガラのクーロアールにでるのでこれを直上する。
残雪のテラスに出てピッチを切る。
3ピッチ目、有名な残置ロープがここからスラブに続く。
このころになるとジュアンは完全に雲の中、雪まじりの東風がやや強く、岩も冷たく手袋のなかの手の感覚が無く、岩に叩きつけたり脇にはさんだりして回復させる。
毛の靴下を履いてのフラットソールだったがつま先も冷えてジンジンしてくる。
こんなはずじゃなかった、という思いが強くしてくるが、あと数ピッチ、雷さえこなければなんとかなるだろう。
「雷が聞こえたら、すぐ下ろう」
櫻井 と話して、登攀続行。
条件がよければ楽しめそうなクラックも、太いフィックス頼りにゴボウで登る。
岩も濡れてフリクションも悪くなってきた。
4ピッチ目も同じスラブ。
後半はオープンブック状なところも出てきてフィックスをつかむと体が岩から離れてバランスがとれず苦労した。
風は強く、フィックスやジャージズボンにもエビの尻尾が出来始める。
フィックスを握ると手袋にべったり霜が着く。
5ピッチ目、ルートはスラブからリッジラインになり風下にあるテラスでは一息つける。
リッジをしばらくいくと遭難プレートが出てきてすぐに南西ピークに達した。
北東ピークにはガスに霞んだマリア像が見える。
ほとんど吹雪のなか、頂上にいたのは3分程度でマリア像に触るのも考えられずすぐに懸垂下降に移る。
3ピッチの懸垂下降で基部の高さまで降りたが、最後の回収でロープがエッジをまたいで引っかかってしまった。
これの回収に登り返し、トラバースをして基部に戻る。
このトラバースは戻るときのほうが難しい。
11:30ジュアンの基部
デポした靴やアイゼンの上にはうっすら雪が積もっていた。
下り始め主稜から支稜に移ればもう風は強くない。
あとは来た道を慎重にたどるだけだ。
ここジュアン氷河の上部は穏やかでクレバスの心配もない。
13:00トリノ小屋
風雨で心配だったゴンドラの運転もなんとか再開されて、その日のうちにアパートにもどることができた。
山旅気分が、上部ではかなり冬季登攀風になってしまった。
よく言われる「5月の北アルプスと同じ」をまた実感した。
ちなみに前後にいたパーティは皆、ガスがかかった時点で引き返しトリノ小屋からこの方面に出たパーティで粘ったのは我々だけだった。
「遠いアジアから来たジャポネは、こんな天気なのにガツガツしているねえ」
とどこかで言われていそうだ。