北アルプス 硫黄尾根~飛騨沢

1999年12月28~31日
森広、三好(記)

黒部から戻ってきて、もう、他の場所には行きたくないといった気分に陥るが、そんな事を言っていられるだけの経験も体力も気力も何もかもがないことだけはわかっている。

気を取り直して出発しよう。

行きたい場所・・・。

日数がかかるルート。

尾根がいい。

北鎌尾根・・・は私が知っているだけでも、横浜山岳会と千葉大山岳部が入る予定だ。

人の入らない時期をねらって行くとしよう。

じゃあ、隣の硫黄尾根はどうだろう。

以前縦走した時に、あの目立つ長ーい赤い尾根を見て、行ってみたいと思っていたところだ。

ルートファインディングさえしっかりやれば、難しくないとのことだが。

気持ちを切り替えるのに1日かかり、硫黄尾根に行くと決ったのが26日の夕方だったので、27日の夜の急行アルプスに乗ることにする。

休む筈が会社に出勤し、職場の人々に笑われながら仕事をして、再び「よいお年を」なんて挨拶して出発。

12月28日(火)

信濃大町駅で千葉大山岳部の2人(OBと現役1人ずつ)に声をかけ、一緒にタクシーに乗りこむ。

七倉では、硫黄尾根に向かう5人パーティと会ったが、6:30に先行して出発した後は、結局追いついてこなかった。

踏み跡が残っている平坦な道をひたすら歩き、硫黄尾根の取付きには11:30到着。

服装の準備をしていると、千葉大山岳部が追いついてくる。

予備を含めて10泊分以上も持っていて、荷物が異常にでかいのに追いつかれるとは、自分って歩くの遅いんだと再確認する。

12:00登り始め。

硫黄尾根側には23日に入山すると言っていた都庁山岳部のものだろうか、踏み跡が残っている。

これは楽勝かなぁ、つまんないかなぁと思っていると、しばらく登って樹木もまばらになり踏み跡も消える。

ヒザ程度のラッセルなのに段々辛くなってきた。

行けるところまでということで、15:30、硫黄岳前衛峰群のP1手前でテントを張る。

天気もよく、大天井岳などがなかなかかっこよく見えるのであった。

12月29日(水)

7:00出発。

P1(だったと思う)は、1段乗っ越すのにやな感じのところがあって、ロープは出さなかったが、ザックを置いて登ってから引き上げる。

P2~P4で2回ほど懸垂したのを含めて、登り降りを繰り返す。

10:00に小次郎のコルに到着。

時々硫黄の香りが風で運ばれてくる中を、ラッセルしながら進んで行く。

硫黄岳には13:00到着。

段々疲れてきてスピードが出なくなってきたのが自分でもわかるくらいだ。

それでも頑張って1時間ほど歩く。

硫黄台地と呼ばれているらしい広々とした雪原に着くと、幕営跡が残っていたので、そこにテントを張ることにした。

とても快適なテン場だ。

今日も一日天気がよかった。

北鎌尾根も良く見える。

12月30日(日)

7:00出発。

雷鳥ルンゼで2回ほど懸垂した後、しばらくして、核心の赤岳前衛峰群に到着する。

湯俣川側を巻いて行く場所ではうっすらトレースがあったのがわかるし、懸垂箇所には新しいスリングも掛かっていてあまり頭を使わない。

それでも所々行ったり来り確認しながら進む。

トレースも残置も全くなかったら、もっと時間がかかっただろう。

ということは、一番面白いパズルの解き方の部分を教えてもらってしまったようなものか。

でも、岩峰や急な雪壁で、足場を一段一段作りながら、また、ホールドを確かめ確かめしながら、着実に登って行くのは楽しいものだ。

結局、ロープは懸垂に数回使用したのみで、登りの部分では出さなかった。

13:00には中山沢のコルに到着。

所々にテント1張り程度張れる場所はあるが、もう少し先、もう少し先と赤岳主峰群の急な雪壁や、やせ尾根を越えて行き、17:00まで歩いて西鎌尾根の手前(白樺台地)でテン場とする。

ガラガラした岩場に気を使いながらの上り下りが終わったかと、安堵感にひたることができる。

念入りに整地すると、昨日にもまして気分のいいテン場となった。

森広さんもトイレまで作って、ご満悦の様子。

この後、予備も残っているので、槍ヶ岳経由でもよいのだが、槍ヶ岳は北鎌尾根から登るんだと決意してからというもの、肩の小屋まで行っても未だ山頂を踏んだ事はない。

今回もパスだ。

明日は31日、大晦日。

明日中に帰るぞと気合を入れる。

12月31日(月)

と思っていたら、寝坊する。

なんとか7:15に出発して、西鎌尾根には8:00に合流。

稜線に出ると風も強い。

途中、SAC?だかの旗を持った集団とほぼ一緒になる。

荷物が大きくて大学生っぽいが、あんなに人数がいるなんてのも珍しい。

12:00には千丈乗越に到着し、飛騨沢経由で下山することにする。

人がうじゃうじゃ入っていて舗装道のように踏み固められた道を、走る走る。

しかし、14:30に新穂高に到着したものの、14:00にはすでにバスが出てしまっている。

ガーン。

でも、高速バスが平湯から出ているのを発見。

タクシーを呼べばなんとか間に合う時間だ。

どうしよう。

秀峰に入って半年経った。

私の正月も終わった。

この半年、放ったらかしにしていた彼氏殿に会いに帰ろう。

ということで、タクシーなんてとっても贅沢なものまで使って、21時過ぎには東京に帰りついたのだった。

今回は、なんといっても天気に恵まれた4日間で、またもや山の怖さを見ずに帰ってきてしまったようです。

森広さんには、氷瀑に行きたいところを私の希望に付き合って頂いて、本当に有難うございました。

おわり。

 

 

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