甲斐駒ヶ岳 大武川支流唐沢キャトルキャール

 

Quatre-Quarts
仏語で四分の一ずつと言う意味(難しい氷瀑が四段繋がっている)。

 

2000年1月19(水)~21日(金)
大滝(記)、森広

キャトルキャール、何と素敵な響きだろう。

昔、実力のなかった頃 クライミングジャーナル34号に発表されていた記録を
憧れと共に大事にしてきた。

何時か登れるとも思わず、時々、思い出しては
未だ見ぬ大氷瀑を夢想した。

先シーズン、篠沢七丈瀑と八ヶ岳摩利支天沢大滝をリード出来た僕は、氷に対して少し自信がもてる様になった。

僕が今思っている氷登りの基本とは、落ち着いて振っていない方の腕は引きつけておく、と言うことだ。

こうすれば疲れずに先を読める。

このルートの初登は、1987年12月30日、北川勇、中根穂高、のお二人。

第二登は、二日後、池学、白井秀明の両氏。

北川さんは数年前、南の島のスキンダイビング中に落命された。

面識はないが昔から雑誌に発表されていた沢山の記録は、登攀意欲を沸き起こしてくれた。

池学さんは昨年12月単独で北鎌尾根に向かい、行方不明のままだ。

池さんも親しい訳ではないが僕には一つの思いがある。

6、7年前だろうか。

池さんがカモシカに買い物に寄られた。

有名人なのですぐに気づいた。

何かの部品を買い求め、レジにいた面識のない僕に向かって、「田舎に住んでいるんで、こう言う物が手に入らないんですよ。」と言った。

凄い登攀実績を持った、あの池さんが知らない僕に向かって、「田舎にいるから・・・」などと、地味な事を言う。

僕は、「あー、この人は素朴でいい人なんだろうなあ。」

と感じ、その後、ずっといいイメージを抱いて来た。

白井君は好青年だったが、黒部丸山の1ルンゼでアプローチ中落石で亡くなった。

池さんの事故を知って少し経ったら、「キャトルキャール」の事が不意に浮かんできた。

そうか、今の力なら登れるかもしれない。

よし、北川、池、白井氏の追悼登山を計画しよう。

柄にもなく殊勝な事を考えた。


1月19日(水)
7:25 人面ダム出発 曇り 0℃
8:30 1100m地点 途中に平地があって赤松が植林されていた。無風、曇り。
9:50 1350m地点 笹藪 踏み跡あり
12:30 つづみ 1714、8m 笹藪の少し窪んだ所。どんより曇り。積雪10cm。
16:00 ヤニクボの頭 2165m 晴
17:00 燕の巣(岩小屋)1830m 3人用ツエルト張る。5m下に水流有り。

1月20日(木)
6:20 起床 薄曇り
7:40 出発
8:30 キャトルキャール着 快晴
9:00 登攀開始
14:25 終了
15:25 左岸を歩いて下降し、河原着
16:10 燕の巣帰着

1月21日(金)
4:20 起床 晴
6:35 出発
8:00 ヤニクボの頭
10:05 つづみ
12:40 取り付き


1月19日

取り付きは、篠沢橋を渡って
人面ダムの看板のある、緩く右に回り込む、少し広くなった所。

車3台くらい置ける。

踏み跡に沿って登っていくと、仕事道に合わさる。

緩く進むと湿原が現れる。

冬の為か水は無い。

夏に水があるなら来てみたい所だ。

950m地点で尾根に上がる。

段々と道が無くなる。

1140mで坊主尾根に出る。

伐採の跡がある。

そこからは所々仕事道がある。

途中、岩場で越えられないギャップがあって困ったが、少し戻って右の藪を下って迂回出来た。

その後、猛烈な笹藪に奮闘し つづみに着いた。

延々と踏ん張って登り続けて、ヤニクボの頭に着いたのは 夕方になった。

ここで泊まるとすると、雪を溶かして水を作らなければならない。

それも嫌だし陽もまだあるので 燕の巣まで行くことにした。

浅い沢状を下っていくと宮の大岩が登場してきた。

確かに大きいが藪っぽくて余り魅力を感じない。

岩場の中央辺りを下っていくと5、60m位の所に燕の巣はあった。

3人用ツエルトを張る。

4人は泊まれると思うが、5人はどうだろう。

岩小屋は段に成っていて2mのスラブを登って、ツエルトに達しなければならない。

酔っぱらうと危険なのでお酒は少なめがいい。

1月20日(木)

ついに来た決戦の日。

去年の暮れからずっとナイーブになっていたが、今日は戦うしかない。

落ち着いてじっくりやろう。

登り続ければ何時か氷は傾斜が無くなって終了点に着く。

この当たり前の法則を頭の中で繰り返す。

燕の巣からトラバースし、唐沢本流を下る。

巨岩累々たる明るい沢を下りていくと、キャトルキャールは明瞭だ。

良く凍っている。

快晴。

風弱し。

明るい。

対岸のヤニクボルンゼが指呼の間だ。

1P目 Ⅱ~Ⅲ 50m
大滝、確保無しでロープを引いて行く。

登り終わって下を見ると高度感があるので、森広さんを確保する。

50m程斜面を歩くと

2P目 Ⅳ 40m
森広リード。

出だし厚くない氷にスクリュウ2本を埋め、ランナー4本、終点2本。

乾燥してばりばりと壊れ易い氷。

3P目 Ⅳ 40m
大滝リード。

ここはヴァーチカル。

来たぞ!意気込む。

ビレー点は登り出す中央でしか作れず、氷をたたき落としたら、森廣さん すいません! 表面が凹凸していてスクリューを埋め難い。

落ち着いて、一歩一歩、ランナー3本で切り抜ける。

傾斜が緩くなって、巨大ハングの軒下でスクリュー2本でビレー。


取り付きから見た、このハングの氷柱は思ったより細く、人二人分位しかなく、とても登れる代物ではない。

フォローの森広さんに、「右か左か登れそうですか。」と大声で聞くが、右には恐そうな岩がある、左にも氷は繋がっていない、との返事。

うわー!うそー!去年の暮れからこの日の為に研究して、垂直に負けそうな心と戦って来たのに、胸の中の握り拳に力を込めて来たのに、追悼登山もこれで幕切れか。

やりきれない。

下降は、右岸に15m程歩くと大木があるので、そこから懸垂下降が出来そう。

森広さんに先行してもらう。

僕が未練一杯で氷のない壁を見ながら、フォローして行くと氷から4m程離れた所に、古いリングボルトがあった。

これは87年に中根穂高さんが打った物に違いない。

壁を暫く観察した。

直上はスラブなので、到底無理だし危険だ。

しからばボルトにランニングを取って右に岩をトラバースして行けないか。

ボルトを叩いたりシュリンゲをかけて力一杯引いてみた。

効いている。

もし、落ちたとしても、今歩いてきた雪の上にどさっと落ちるだけだから、怪我はしないだろう。

ボルトの右方4m先のスラブに2~3cmの厚さの氷がある。

薄いけど効きそうな感じがする。

傾斜も緩い。

落ちて元々、行ける可能性25%位。

ここ数年、世界のトップクラスの間で、モダンミックス、ドライツーリングが標榜されている。

この動きがなければ、こんな壁を見て考え込まなかっただろう。

さっさと懸垂下降の準備をしていただろう。

賭けてみよう。

ふつふつと登攀意欲が沸いてきた。

ボルトにランニングを取り、スタンスを捜す。

小さく雪がこんもりしている所がある。

左手のシモン・ナジャのピック先端をリングボルトのリングに掛け、左腕を一杯に伸ばし、思い切り体を右に振る。

体を移動したら右向きの縦クラックがあるのが分かった。

ジェフ=ロウのビデオや本を思い描き、右手のカジタ・マークⅡベントのピックをごりごり差し込んでみる。

決まった。

両足をクラックの下に持ってくる。

ずっとボルトに掛けていた左腕をいよいよ外す。

恐い。

やっ、外してカジタの上のクラックをまさぐる。

決まった。

次にカジタを上に決める。

OK。

更にナジャを上に、ところが、幾らまさぐっても虚しくがりがり鳴くばかり。

どうしよう。

クラックの右に厚み5mm程度の氷がある。

これにナジャのピックをコチンとあてがい、外れぬことを祈りつつ、右足を厚み2~3cmの氷に向かって大きく振る。

OK。

すかさずカジタを抜き右にカチンと決め、左足も揃え、ナジャをそっと移動した。

ほっ。

ふう。

ここまでのムーブ、まるで夢のようだ。

その後はそんなに難しくなく、40mをスクリュー3本で終える。

ビレー点は直径20cm程の氷柱を使う。

近くにぼろぼろのハーケンがあったが、氷の方がましだ。

5P目 Ⅳ+ 45m
大滝リード

さっきボルトに掛けたナジャを握っていた腕を疲れない様に伸ばしていたのに、少しだけ萎えてしまった。

森広さんに代わって欲しかったが、ここもヴァーチカル。

僕が行くしかないかと考える。

ビレー点は左で、登るのは中央凹角。

うーん、立っている。

落ち着いて確実に行こう。

途中、左腕がふらついて来た。

まるで初心者の女の子の様にナジャを何度も叩く。

これはまずい。

右のカジタに荷重を懸ける様に努力する。

氷が凸凹していて、ランニングが取りにくい。

さっき2本取っただろうか。

3本目を取りたいが取りにくい。

下を見ると結構ランナウトしている、上を観察すると、立ってる部分はそろそろ終わりに近い様に見える。

迷うが、そのまま登る事にする。

確実に一手一手決めていく。

緩傾斜になり左上にブッシュがあるので、ピッチを切る。

あー辛かった。

6P目 Ⅲ 40m
森廣リード

傾斜の緩い最終ピッチをスクリュー3本で通過する。

池パーティーは左岸を歩いて下っているので、右のブッシュで切る。

2時45分 登攀終了 実働5時間45分 大いなる氷だった。

下降は、50m程トラバースして行くと尾根上になってくるので、そこを降りる。

本当にロープ無しで歩いて下れた。

唐沢本流3時25分。

握手を交わし、この山行が追登山の積もりであった事を森広さんに話した。

巨岩を乗り越え、燕の巣には明るいうちに戻れた。

ツエルトでくつろいで居ると、上空を飛行機が何度か飛来してくる。

森広さんが、あれは関西方面に向かうのでしょう、と言う。

頭の中に日本地図を描き、遙かな西国を思う。

19日の夜は寒くはなかったが、20日の夜は風が強く、冷えた。

1月21日(金)

下山も時間がかかるので、真面目に早起きをする。

朝焼けが宮の大岩をいっぱいに染め、真っ赤な勇姿が我々を何度も振り向かせた。

途中、つづみを過ぎたところで左へ行くべきを真っ直ぐに下りてしまい、何度かトラバースする羽目になった。

幸いそんなに危険な個所も無く済んだ。

笹藪を漕ぎながら、高校の時覚えて以来、山で口ずさむ歌を一人詠んだ。

笹の葉は 全山もさやにそよげども 我は妹思う 別れ来ぬれば
みやまいもこ

下山もどれだけ時間がかかるかと不安だったが、12:40意外と早く戻れた。

登り始めに810mに合わせたトーメンの高度計が、山中数度補正したが、車の所でぴったり810mだった。

流石トーメン、やったね!

ギヤ:使用したスクリューは8本だったが10本程度は持参した方がいいと思う。

注意点:岩小屋下の水流は夜間凍結の可能性有る為、寝る前に汲もう。

文献:クライミングジャーナル34号
岩と雪128号

 

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