屋久島紀行

2000年10月16日から5日間
三好(記)


屋久島。

今回で8、9回目。

屋久島に行けば自分の中のもやもやが解決できるのではないかと、出かけることにする。

最近は土日の出勤が多く、代休が貯まっている。

なんとか代休を消化しないともったいない(職場の人には、代休なんて取れないのが普通と言われる)。

本当は9日~13日の予定で行くはずだったか、仕事の目処がつかず、一週間遅らせることにする。

これが雨が降るかどうかの運命の分かれ道とは知らず。

今回は屋久島で調査をしているS氏が1泊したりは出来ないとのことで、沢には入れないため、近場の岩を目当てに道具を持ってゆく。

10月16日(月)

金曜は懸命に仕事をするも終わらず、土日は黒部十字峡、月曜は早起きして、また職場に向かう。

必死の形相でなんとか一段落がつく。

さて、出かけようと思うと、S氏から電話。

データロガーのデータを読み取るのに必要だから、パソコン持ってきてよとのこと。

またバタバタし始める。

S氏のガチャまで持っているので、大変な重さだ。

持ち運ぶだけで精一杯。

なんとか、屋久島に到着。

ヨセミテ行きで荷物が全部無くなってからというもの、飛行機に荷物を預けるのが不安だったが、屋久島空港でちゃんと出てきて一安心する。

S氏が空港で待っていてくれるはずなのに、いない。

間に合わないから、どこかで時間をつぶしていてと電話が入る。

「樹林」という喫茶店に移動することにする。

重たい荷物を持ってふらふら歩いていると、ワゴンに乗ったお兄さんが乗せていってあげるよ、と声を掛けてくれた。

ありがたい。

阪神淡路の震災後に、屋久島に来て、やどりぎだかとまりぎだかのペンションをやっているという人であった。

屋久島に初めて来たのは7年前だが、どんどん変化しているのだ。

樹林でパッションフロートを飲みながら待つ。

パッションジュースはとてもうまい。

S氏がやっと迎えに来てくれたので、移動する。

今日は、もうゆっくり休みたいと思っていたら、実験室に連れて行かれて手伝いをさせられる。

しかも、日程の相談をしたら、水曜は土を採取しなくてはいけないから駄目だのなんだの、他の日も行けるかどうかわからないとのこと。

騙されたのかもしれないとやっと気付く。

せっかく持ってきたパソコンをデータロガーに繋ぐと、読み取れない。

後で業者に聞いたら、相性が悪いパソコンがあるとのことである。

私の苦労はなんだったんだ。

結局、土壌の成分抽出の準備をさせられて、0時過ぎまで作業をする。

ひたすら雨が降り続いている。

天気予報を見ると、明日も夕方から雨だとのこと。

明日はとりあえず、岩はやめて、仕事を手伝ってあげるよとなった。

宿泊は、(財)自然保護協会の小屋に移動。

麦生にあるのだが、最近は、研究者も泊まらなくなり、サブレンジャーも泊まらなくなり、だんだん荒廃が進んでいるような気がする。

アシダカグモがうろついていたり、ときどきイモリが天井から落ちてきたり、ヘビのぬけがらがころがっていたりして、味があっていい小屋なのだが。

ただ、ジャージの裾からでかくて丸いサツマゴキブリが入り込んできた時だけは、さすがにショックだった。

10月17日(火)

朝はどんよりとした天気。

岩に行きたいところだが、昨日の雨で乾いてもいなさそうなので、とりあえず、外での作業を行うこととする。

帰りは大川の滝を見物。

登るラインと言っても、それほど行きたいとは思わない。

その後、お役所に寄るとのことでついて行く。

必要な資料は揃っているというので信用していったら、全然資料も揃っていない。

手続きする部署も何もわからない。

学生を10年もやっていると手続きものは出来ないらしい。

こっちは申し訳なくて、汗かきまくり。

戻ってから、土壌の乾重測定。

また、0時まで作業させられる。

10月18日(水)

6時起き。

雨。

雨。

悲しい。

午後にでも天気がよくなるかもしれないと、期待する。

午前中に土の採取は終わるから、午後は岩に行こうと言っていたが、一向に止む気配はない。

もう、今日はだめだ。

しかも、土の採取に15:00くらいまで掛かった。

大雨の中、辛かった。

仕方がないので、気分転換に宮之浦周りで、帰ることにする。

宮之浦は台風が来たかのような暴風雨。

すごかった。

一湊で、サバブシを買えたので、まずまず満足する。

ここで買うサバブシはうまい。

ここのを食べたら、お土産用の真空パックなんて食べられない。

一杯だけ、三岳を飲んで、サバブシをつまんで、また作業。

今日も0時まで手伝わされた。

10月19日(木)

6時起き。

今日は大川(おおこう)に向かうことにする。

雨が降るのはわかっているので、花山歩道と交差する部分から入って、行けるとこまで行って、引き返そう。

以前知り合った鹿児島大出身の安ちゃんは、花山歩道をずっと登って行って、上部だけ楽しむのがいいとこどりで、最高だと言っていたが。

大川は「屋久島の山岳」に書いてある滝もあまり判然としない。

大きな石をひたすら乗り越えてゆくということになる。

こんな沢は、足がかりを作ったり、上から引っ張りあげたりと、二人が一番楽だ。

おそらくサメヤンのホテルという岩小屋でお茶をゆっくり飲んで引き返すことにする。

雨は強くなったり、弱くなったり。

実はこの天気が続いてくれてよかったのかもしれない。

S氏の使っている車は借り物で、借りた先の名前が大きく車体に書いてあるので、えらく目立つ。

後で、花山に居たでしょと、情報が回り回って聞かれたらしい。

もう、山に入るのにこの車は使えないのかも。

データロガーのバッテリーが減っているのをリセットする部品が届く。

またもや手伝いを0時まで。

10月20日(金)

5時起き。

今日は晴れている。

しかし、昨日の大雨で、スラブが乾いているとも思いにくい。

今日はしかも帰らなくてはいけないのだから。

ついでにS氏の心の中では、データロガーを交換しに花山歩道に入るのだと決まっていたらしく、岩に行けるかなぁといった言葉には耳も貸さない。

花山歩道をひたすら登って、3箇所のデータロガーの取り替え、1箇所のデータロガーの新設。

何をしてるんだろう私は、とも思うが、屋久島の原生の森に入り込むのは、いい気分だ。

大急ぎで仕事を終わらせ、下山。

汗をかいたので、尾ノ間温泉に入って帰る途中、懐かしのドクターAと出くわす。

居候もさせてもらったし、瀬切の調査の手伝いもやった。

そういえば、あの時は、S氏が沢に行ってしまったので、私は置いていかれたのだ。

それが悔しかったのもあって、その後、徒登行山岳会に入ったんだなんてことを思いだす。

土日は仕事だから帰らなくちゃならない。

なんとかギリギリ空港にたどりつき、一人、飛行機に載る。

家に帰ったら、2級土木施工技士の合格通知が届いていた。

とりあえず、山に行かずに勉強に励んでいてよかった。

岩に登れず、残念だったが、これで気分は大分よくなった。

また、屋久島は行けばいいや。

でも、なかなかパートナーが見つからないんだよなぁ。

 

 

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