広沢寺アイゼントレ

2000年11月19日
三好(記)、他2名


東京岳人倶楽部の木下さんとは、日本山岳会青年部の例会で知り合った。

でも、これは偶然ではないのだ。

行きたいと思う山域やルートを検索していると(それは冬剱雪黒部であり、戸隠であり、ついでに、あのマイナーリッジなども含まれる)、木下さんにぶち当たることが多くて、敗退してもまだモチベーションを保っていられる人で、また、固定したパートナーが居るわけではないらしいことがわかって、これは何としても知りあいにならなくてはいけないと思って頑張った結果なのだ。

以前から、日本山岳会青年部に所属している(だけの)彼氏殿に、青年部には所属しなくても、例会では色んな報告やスライド上映があるので顔を出してみればと誘われていた。

でも、青年部というものがどのような組織なのか今ひとつわからなかったし、うちの彼氏殿みたいに山岳部出身の仲間意識の強い人や現在はほとんど山に行けない人ばかりだったら全然面白くないなと思っていたし、ついでにあまりにも例会場所が自宅から遠いので躊躇していた。

しかし、どんな人が来るんじゃいと聞くと、木下さんも来るという。

試しにとある所に質問書き込みをしてみると木下さんが返信してくれたのもあり、ついでに土日の山行がぽしゃってしまったのもあり、金曜の夜に仕事をなんとか片付けて市ヶ谷まで出掛けることにする。

市ヶ谷にたどりついた時には、すでに報告及びスライド上映は終わっていて、懇親会となっていた。

彼氏殿にどれが木下さんかと聞くと、でかい声でしゃべっている重そうな後ろ姿の人がそうだと言う。

紹介してくれと彼氏殿に言うと、自分で話し掛ければいいじゃんと言って冷たい。

異常に人見知りをする私が、どうしよう、どうしようと思っているうちに、懇親会も終了、片付けに入ってしまった。

とりあえず、ごくごくっとビールを飲んでその勢いで、話し掛けることがやっと出来た。

ちょっと話し始めた段階で、いきなり「薬師のメンバーが一人足らないんです。一緒に行きましょう。」と言われる。

かなり酔っ払っている様子であり、大丈夫なんだろうかこの人はと心配になるが、山岳部の合宿に行くことになっているのでと断る。

しかし、日曜にアイゼントレに行きたいと言っているのを聞きつけ、彼氏殿をたたきつけて、いきなりその場で約束して、日曜は一緒にアイゼントレに出掛けたのであった。

懇親会が終わったのに、市ヶ谷の街中で紙コップを持ってふらふらしながら、山の話ばかりしている木下さんを見て、のんべえなりの直感で、私はこの人とは一緒に山に行ける気がした。

えーと、アイゼントレはというと、確か、左の方を2ルート、右の方を2ルート、あと、大ハングを登っていたら、もう辺りは暗くなっていた。

久しぶりのアイゼンだったので、緊張しまくり、左の方の直登ルートはぶら下がってばかりだった。

重そうな木下さんも、ブランクありありの彼氏殿も安定して登っていたので、非常―に情けなかったっす。

もっと頑張らんとねぇ。

ついでに、土曜は千葉大の体育館にあるボルダーをやった(最近授業用に作られたらしい)。

ホールドが少ないのもあって、とにかくリーチの必要なルートが多かったので、ちびっこ専用手足限定ルートを2つばかし作ってみた。

後日、山岳部の後輩があのルート登れないと言っていたし、自分でルート設定するのも面白いなぁと思った。

おわり。

 

コメントを残す