1999年3月7日
向畑(記、♂38歳) 中嶋(♂26歳)
当初、中嶋君とフリークライミングの予定だったが、天気予報を追っかけているうちに、日曜日(3月7日)だったらルンゼを狙えそうな感じになってきた。
中嶋君に話したら、同行してくれるとのことだったので、急遽、谷川に変更した。
休日を有効に使おうということで、土曜日(3月6日)9時、いつも通りに仏子駅集合。
榛名山・黒岩に向い、ちょっとだけ、予定通りフリーをやった。
ちなみに、中嶋君は11cのルートをオンサイトしたが、私は登れなかった。
早めに切り上げて、水上で夕食後、18時頃には土合に到着、立体駐車場の下の駐車場にテントを設営(ここは、今のところタダで使える)。
飲みすぎると中嶋君に怒られそうだったので、ビール1本だけにして19時過ぎには寝たが、私のような一般人は普通の状態でそんなに早くから寝られる訳がない。
時間帯に関係なく、みさかいなく寝ることのできる中嶋君の能力に、心の底から感心した。
3月7日
1時に起床して、2時過ぎに出発。
天候は、昨日の午後は晴れていて、沼田付近からは谷川がきれいに見えていたが、今日は曇っている。
気温が高いのが気になるが、今のところ雪は降っていない。
数日前の降雨と晴天で雪面は固く締まっており、5時頃には第三スラブ取付きの下部氷瀑下に着いた。
いつも通り右に本谷からの、左に滝沢スラブからの2本の氷瀑がかかっているが、今年も谷川は雪が少ないようで、ほとんど埋まっておらず、傾斜もかなりきつい。
下から見た感じでは、右の氷瀑の方が簡単そうに見えたが、右を登ると3年前と同じ過ちを再び犯してしまいそうな気がしたので、左側を登ることにした。
登り始めたのは5時30分位。
ラインは、左端からクレバスをまたいで取りつき、斜上後ほとんど真横にトラバースし、上部を直上。
下部から傾斜はきついが、上部の2~3mは90度ある。
中嶋君が同行してくれない場合は1人で来るつもりだったが、登っている時に、ビレイヤーがいてくれてほんとうによかったと思った。
左側を登り始めると、ほぼ同時に後続してきたチーム84の4人パーティが、右側氷瀑に取付いた。
登りきってピッチを切った時、ロープが40mほど出ていたので、氷瀑部分だけでも30m位あったと思う。
下部氷瀑は越えたが、ビレイできそうな安定した足場がない。
ナメ状の氷の斜面が、さらに上部まで続いている。
著名な某アイスクライマー編によるルート集には、アイスピトンは5本もあれば充分と書いてあったので、その通りに5本しか持って来なかったが、登はんの際に全部使ってしまっていた。
仕方がないので外傾した狭いスタンスに立ち、ピッケルのピックを氷に叩き込み、バイルからもセルフを取って、肩がらみで「支点がないから落ちるな」
と叫んでいたら、右氷瀑上からベルグラの乗った悪いスラブをトラバースして来た84パーティのトップが、見かねて「ビレイポイントを使って下さい」と言ってくれた。
彼のセットしたビレイポイントからも、有り難くセルフを取らせてもらってビレイしていたら、中嶋君が墜落、ロープにテンションがかかった。
抜け口に打ったスナーグを回収しようとして、ピッケルにテンションをかけたらピッケルがはずれたらしい。
いったんは墜落を止めたが、悪い足場で体重を支えきれなくなり、よろけてアックスに2人分のテンションをかけたら2本とも吹っ飛び、84パーティのビレイポイントにぶら下がって止まった。
もし、支点を使わせてもらっていなかったら、下にいた中嶋君より、上から落ちた私の方が、確実に致命的なダメージを受けていたと思う。
下部氷瀑上は、緩い傾斜の氷と雪壁がF4まで続く。
F4自体は難しくないが、中嶋君から「支点を作りましょうか」
と言われた時に、「支点で2本使ったら、3本しか残らなくなる」
と言った会話を聞いていたみたいで、先に取付いた84パーティが、「使って下さい」と言ってビレイポイントを残していってくれた。
ビレイポイントのスクリューは回収して、その後も使わせてもらったのでずいぶん助かった。
ただ、ピトンが充分にあっても、氷が薄くて効かないことや、雪壁上でまともなビレイができないことの方が多く、トップ、セカンドともに、絶対に落ちれない状況に変わりはない。
F4から上も、ナメ状の氷壁と雪壁が続くが、氷が薄かったり、岩が出ていて岩登りをしたりと、状態はあまり良くはないようだった。
上部は、通常登られている第二スラブとのリッジのコルには向わず、三スラをほぼ最後まで詰めてしまったみたいで、草付き帯は1ピッチ程度しか登らなかった。
草付き帯の上は急な雪壁がしばらく続き、ドームのかなり滝沢リッジよりに出たようで、ドーム基部を20mほどトラバースし、Aルンゼへの下降点へ。
懸垂でAルンゼに降り、ルンゼの途中から左側のドームのコルへ上がり、雪壁を登って国境稜線に抜けた。
稜線上はホワイトアウトで、何度かルートをはずしそうになりながら、13時30分、トマの耳に到着。
逆算すると、稜線に抜けたのが13時頃、ドームの基部に到着したのが12時~12時30分頃だと思う。
西黒尾根をかなり下ったころから吹雪いてきて、16時頃に到着した土合では、雨のような湿った雪が降っていた。
センターに、84のメンバーの1人が残っていて、借りっぱなしになっていた、スクリューの持ち主の鈴木さんの連絡先が聞けたので一安心した。
水上で、雨の中、露天風呂につかり、スキーヤーとスノーボーダーで渋滞する関越道に乗ったが、帰りの車の運転が核心となった。
途中、休憩した時に中嶋君が、ほとんど寝たままの体勢で薄目を開けて、「運転変わりましょうか」と言ってくれたが、かえって身の危険を感じたので、がんばって全部自分で運転した。
途中、何度か意識を失いそうになったが、無事に帰れてほんとうによかった。
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~最後に反省~
中嶋君は、自分が落ちたことにかなり責任を感じていたみたいで、めずらしく、しおらしくなって反省していたけど、どちらかというと問題の多くは私の方にあったように思うので、自分なりにいろいろ考えてみたことを書いておきます。
まず、持参したピトンの本数についてですが、本には5本で充分と書いてあっても、この手のルートはその時の状態によって全然違ってくる位の判断力はあるつもりですが、3年前にとなりのスラブを登った時や、上部草付き帯から眺めた感じ、さらにその数年前に滝沢リッジから見た感じからも、そんなもんだろうなというふうに、軽く判断していました。
それと、これまでアイスクライミングにはあまり真剣に取組んで来なかったので、取付く時も、5本あれば登れるという計算はできたけど、上に抜けてからのビレイポイント用に、ピトンを残しておかなければならないという当たり前のことが、感覚として充分には身に付いていませんでした。
また、上に行けばなんとかなるだろうという意識があったことも、事実だと思います。
上でビレイする時も、ほとんどどうしようもなかった状態には変わりはなくても、もう少し何とかしようと、とりあえず、いろいろと試みることも必要だったのかも知れませんが、ビレイについても、同様になんとかなるだろうと考えていました。
何とかなるだろうからとりあえず突っ込むというのは、アルパインクライマーの悪いところであり、逆に、いいところでもあると個人的には思っていますが、とりあえず突っ込む時にも、起こり得るあらゆる危険を想定する、より深い洞察力が必要だとつくづく感じました。
最後に、ビレイポイントを使わせてくれた84の鈴木さんには、ほんとうにお礼を言わないといけないんですが、貸していただいた支点も、氷質があまり良くなかったため、2本のうちの1本は効きがあまく、実質1本のスクリューで止まったんだと思います。
もし、その1本が抜けていたら、関係のない、他パーティまで巻込んだ事故になるところであったことが、最も深く反省しないといけない点だと思います。