利尻山南稜

1997年5月6日~8日
櫻井(記)、荒井、大滝

利尻山南稜から北稜。「岩と雪の稜」というよりも「氷と風の稜」でした。

5月5日

15:30稚内  17:20鴛泊  19:00ヤムナイ沢出合い

羽田から直行便100分で稚内。フェリーに乗り継ぎ90分で鴛泊。東村山の家を出て10時間後にはもう出合いのテントの中にいた。時間だけを見ればもう利尻は「さいはて」とは言えそうもない。

 

5月6日

6:00ヤムナイ沢出合い 7:00大曲り手前の台地で天気待ち 14:00行動再開 16:30
950m地点設営

ヤムナイ沢右岸の林道をしばらく行き沢に降りる。標高300m程度だが沢には十分雪が残っている。大曲り手前の台地にくると雨が降り出したのでテントを張り、中で様子をみることにした。昼過ぎから雨が上がり日も差し始めたのでふたたび歩き出す。砂防ダムのすぐ手前から左の雪の斜面に入り、斜上する。稜線を吹く風がまわりこんで雪面のザラメ雪を吹き飛ばす。露出している手や頬にビシビシと当たってこれがかなり痛い。

700mあたりで稜線に上がる。稜線は弱いブリザード。ハイ松の密生する稜線を避けて左斜面に雪面を拾いながら進む。900mを越えたあたりで雪を削りテントを張る。一時強かった風も日暮れには弱くなり、鬼脇や本土の街の夜景が美しかった。

5月7日

4:40 出発 5:40 1300mピークからのアプザイレン 6:40 最低コル 8:30 大槍基部 10:50 P2ピーク 12:30 バットレス取り付き 15:00 S字状ルンゼ上 16:00 北峰ピーク 17:00 八合目長官小屋

快晴無風の中ブッシュ混じりの雪稜にアイゼンをきかせる。1300mピークからは20mのアプザイレン。大槍、バットレスが目の前に大きく立ちはだかる。思ったより雪が少なく、壁は黒々として困難が予想される。小さな登降をくりかえすと最低コルへのアプザイレンとなる。左へ振られながらの20mとブッシュのなかの15mをつづけて下る。ここから大槍まではフレーク状の岩稜の右の雪面を快適に登る。雪の状態も天気も良く、はるか足もとの海岸線を見ながら鼻歌も飛び出すところだ。大槍は基部5mほどがきびしく、かぶり気味のクラックをブッシュたよりに強引に越す。雪が詰まっていれば楽だったかもしれない。ここから左に回り込んでP2とのコルに出る。風が強くなる。全ての岩の表面はベルグラで厚く覆われている。P2はブッシュの稜を登り20mほど行き最後に岩を抱き込んで右に回り込むと下降点にでる。ここは右の雪のつまったガリーをしたからつめても良い。

いよいよ有名なP2のアプザイレンとなる。最初は20mほどリッジに沿って降り土と石のピナクルに着く。私はヤムナイ側へ下って右に大きくそれてしまったためこのピナクルへのトラバースに大変苦労した。土と石のピナクルは直径1m高さ1mのきのこ土!。たくさんの残置ロープ、シュリンゲが「まあ、我々も大丈夫だろう」と思わせる。ここから泥のナイフリッジに沿って35m降りるとP1とのコルに立つ。強い西風の吹くコルに立ちこの泥のナイフリッジを見上げていると、来ては行けないところに来てしまった気分になる。P1は途中からトラバースしブッシュと泥の浅いルンゼを肩に出る。傾斜が強いのでここからロープをつける。ひだりから回り込み容易なクライダウンでバットレスとのコルに出る。そのまま15mほど岩の詰まった凹角を登りバットレスの基部に着く。ここまで3ピッチ。コルの通過では強い西風にロープが空中で水平に弧を描いた。バットレスの取り付きには新しいリングボルトが2つとハーケンが2つ残置されていた。

ここで12:30と昼を過ぎてしまい、八合目の小屋に着くためにはタイムリミットぎりぎりとなっていた。スピーディーな登攀をするぞっ、と気合いを入れ直してバットレスに取り付く。1ピッチ目はバンドを右はしまで行きA0で4mほど上がり右上してチムニーに入る。チムニーを残置を信じてズリ上がる。フェース状を左上するとハイ松の太いのがたくさん出てきてここでアンカーを取る。35m、IV級A0。2ピッチ目はこのハイ松の中を登り左上の浅いルンゼを目指して傾斜の落ちたフェースを登る。浅いルンゼを登り切ったところでまたハイ松にアンカー。30m、III級。3ピッチ目、広いバンドを右にすすみルンゼへ入る。すぐに2mほどのツララ状氷瀑。これを左から越えてさらにちいさな氷瀑を抜けると雪の豊富に詰まったS字状ルンゼが見えてくる。S字状に少し入って左のハイ松でアンカー。40m、III級。S字状ルンゼを歩くようにして難なく上がると南峰下のリッジにでる。35m、II級。強い風とホワイトアウト。ロープピッチが終わっても少しも楽にならない。これが利尻か、と実感する。岩峰を2つ右から巻くと小さな祠に出会う。これはあとから南峰直下のものとわかった。一般ルートの証拠が現れ、幾分緊張が和らいだ。3人で握手を交わす。風が強く荷物を下ろして休むような気分にはなれない。さらに稜上を忠実にしばらくいくと雪のピーク、本峰に立った。そして立派な祠のある北峰ピーク。いくらか風が和らぎ、話をする余裕ができる。ほんの数分、ガスが切れ、島の大半を覆うマシュマロの様な雲海が見下ろせ、そして雲の波のすぐ先にローソク岩が氷りついたまま立っているのがわかった。台風なみのメイストームはすぐそこまで来ている。急いで八合目の小屋をめざし北峰を駆け下った。

5月8日

16:00 八合目小屋 19:00 鴛泊

7日の夜から8日の昼過ぎまで暴風雪となった。この長官小屋は鉄骨作りの丈夫なもので、われわれは、安心して停滞できた。しかし、ここに7日中にたどり着かなかったら、と思うと紙一重の幸運に感謝せずにいられない。ぶ厚いベルグラ、エビノシッポ、絶え間ない強いブリザード、数時間も一定しない天気。

ここでは細かいルートやテクニックの話だけをしていても全く通用しない。しんどい「山」そのものを楽しめる図太さが求められる。華麗なテクニックをスマートにこなす意味もチャンスも与えられないのだ。5月でさえこんな状態のこの山で厳冬期に記録を残したクライマーたちに敬意を表します。

北アルプス 赤沢岳西尾根(猫の耳)

1997年5月3日~5月6日
瀧島(記)、森広

山の記録は、家に帰ったら早めに書いた方がよい。一ヶ月もたつと忘れてくる。初めの計画では、ダムから赤沢岳西尾根を登りスバリ岳西尾根または中尾根そして最後に針ノ木岳西尾根で決めるという、ワクワクする計画であった。後立山を三回も登下降するヒマラヤにも通ずる長大な高度差だ。パートナーの森広さんは尋常では考えられない登はん意欲と体力の持ち主だ。

5/3 晴れ時々曇り

7:20 ダム発 12:20西尾根上 14:20 2250M 付近の岩小屋

出発前の心配は雪の少ないこと。その予想は見事に当たりかなり時間を食ってしまった。トロリー乗り場で彼女づれで来ていた山本さん達と会い一緒にバスに乗り込む。室堂まで行き剣沢をスノボーで滑るというおじさんらしからぬ計画だ。いつものトイレの横から出て20分ほど林道をトラバースする。登れそうな雪面を左上しすぐにロープを出すはめになった。亀裂の走った不安定な雪面、リッジの木登り、凹状草付×2の計4ピッチ。雪が例年並ならロープはいらなかったと思う。途中クレバスを越えるところからアイゼンを付けた。ひたすら急登で昼過ぎにやっと西尾根上の緩傾斜にでた。見上げる猫の耳は全く雪を付けていない。しばらく進み2250m付近に岩小屋を見つけて、すこし早いが今日の宿にする。

5/4 雨後晴れ

12:40岩小屋発 18:40本峰とのコル手前

完全な庇の下だったのでテントはほとんど濡れていない。朝、出発しようとして庇の外にでると雨は意外と強かったので、もう一度寝直す。おかげで睡眠不足は完全に解消できた。12時40分テント発。雨は完全に上がったが、猫の耳の登りのコルまで雪が少なくヤブこぎで時間を食う。猫の耳は右から回り込む。みごとな奇峰も裏を回れば簡単にクリアーできるとはずだったが、雪面をしばらく進んだあとのやせたリッジにルートを取るがここもひどいヤブ。途中、トップは空荷でザックを荷上げしたりで、時間かかった。猫の耳の上は痩せた尾根でヤブをこぎながら東峰へ。ここからヤブの中をシングルロープ3回の懸垂でコルへ降り立つ。Ⅲ峰の登りは見た目は悪そうに見えたがロープも使わずにクリアーできた。本峰とのコルの手前の雪庇の上にテントを張る。

5/5 雨後晴れ

9:05B.P.発 11:40赤沢岳 13:00スバリ岳中尾根2ピッチ敗退 16:00B.P.

夜中雨だった。夜が明けてもまだ止まない。ゆっくり飯を食べて、雨が上がってから出発。しばらく稜上を進むが途中から右側の雪面にルートを取る。頂上に着いたときは快晴だった。赤沢岳は後立山主稜線上の目立たないピークだけど、途中に猫の耳を持った急峻な西尾根がある。西尾根から登った赤沢岳は立派なピークだった。この時、当初の計画の針ノ木岳西尾根はすでにあきらめ、稜線から少し下って取り付けるスバリ岳中尾根を今日中にかたずける事にする。ルートを良く観察してからスバリ岳とのコルに荷物を置き取り付きまで下る。易しそうに見えたルートはかなり悪くて2ピッチで敗退する。時間はまだあったけど二人ともやけにあきらめが早かった。重い足取りで稜線まで登り返した。

5/6 曇り後雨

5:00B.P. 7:30扇沢

テント場は稜線上の風の通り道で、風が強く夜中にフライをはずす。天気の回復は望めそうもないので、テント場から直接雪の斜面を針ノ木雪渓目指して下る。途中、ふきのとうを摘みながら歩く。扇沢につくと同時に土砂降りになった。

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関電トンネルができてからはトロリーバスが走る春の連休には赤沢岳西尾根にはアプローチゼロで取り付ける。それなのに何故か人気のない静寂を保っている。見おろせば、まさに真下と言っていいほどの眼下に場違いなダムがあり、その上を歩く人の群が見える。愚かにも大自然に勝ち誇ったが如くダムは存在する。赤沢岳の西尾根は途中に奇峰、猫の耳を擁し一気にダムまで切れ落ちている。西尾根に取り付く登山者はダムからいきなり黒部の大自然のまっただ中に放り出され、ひたすら高見を目指す。

思えば今回は赤沢岳の山頂でカモシカの二人パーティに出会ったのみで春の連休の北アルプスとは思えないほど静かな山登りができた。

猫の耳を西尾根上から観察すると壁は急で脆そうに見える。多数の洞窟状の穴がありそのひとつは反対側まで抜けているように見えた。次の機会に確かめてみたいと思う。

以上

 

北穂高岳 滝谷出合い~滝谷第四尾根~D沢下降

1997年4月24日~26日
櫻井(記)、細田

4月24日

9:30 新穂高 13:10 滝谷出合小屋

白出沢あたりからは残雪が深い。チビ谷周辺は底雪崩のデブリで歩きつらい。出合いに着くと、小屋に荷を置きすぐに雄滝の下見に出る。デブリは古く、周囲の斜面も安定した感じを受けた。下見の結果、雄滝は

10mほど岩が出て水流が音をたてて流れていたが、雪と氷がつながっている右から上れそうな印象だった。

4月25日

3:00 小屋発 6:00 B、D沢合流点

ヘッドライトをつけて小屋を出る。零下の気温に雪は締まってアイゼンが良く効く。雄滝は右側の雪渓を上がれるだけ上がって、シュルントをまたいで氷化したスラブに乗る。その後逆くの字にバンドと雪をたどって落ち口上に出た。

20m程度のピッチだった。滑滝は完全にデブリの下。息を切らして合流点左上の雪崩から安全な所に上がり小休止。

7:00 スノーコル

テールリッジ状に落ちてきてC沢とD沢を分ける第4尾根が目の前にはっきりとわかる。この付近の地形については出版されている資料にも間違っているものがあるので多くを当たっておく必要がある。C沢に入り左俣を分けてからスノーコルに上がる。結局、雄滝以外は岩の露出したところは無かった。

16:30 ツルネの頭

雪稜ありゴチャゴチャのミックスあり、フェースの人工ありの3ピッチを終えてAカンテ基部に着く。目の前にせり上がるAカンテとその背景のツルネ正面壁、グレポン、ドームなどがすばらしい。やっと朝日も当たり始め、しばし幸せな気分で休憩する。すべてのホールドは堅雪や氷に覆われてピッケルのブレードが大活躍する。セカンドで登る時でも、これは必要だった。

あとでわかったのだが、私は左利きで左のホールドを丁寧に掘り出すのだがパートナーは右利きで右のホールドを確実にしたい。そんなわけでお互いパートナーがトップで掘り出したホールドに満足できなかったようだ。計8ピッチでツルネ頭に着く。前進用、アンカー用にナッツ、フレンズ、ハーケンを多用した。大半は厳しいピッチでトップは毎回1時間近くを費やした。結局ツルネの頭の雪を削りここにツェルトを張ることにした。ジフィーズを回し食いする夕飯を終えると、西の空、笠が岳の上に彗星がくっきりと非常に美しかった。

4月26日

7:30 懸垂下降開始 11:00 Dカンテ上 12:30 稜線

筆者

残置のすごい束になったのを使って20mのアプザイレンでコル。ここで泊まっても良かったかもしれないが、雪崩、落石の危険があるのと、なによりあの美しい彗星が見られたのはすばらし経験だったのだから。雪壁までの残り2ピッチも厳しかった。Dカンテ上部はカンテラインに戻れず右の凹角をアブミで越えた。稜線までの雪壁は安全を期して、隔時登攀のまま登ったが新雪があったらイヤな斜面だ。岩に手を掛け、「よっこらしょ」と立ち込むと、前穂北尾根が見えた。そしてはるか下に涸沢ヒュッテがあった。またラストピッチをもらってしまった。気分も最高に「ビレイ解除!」と叫んだ。

13:30 D沢下降開始 15:30 滝谷出合小屋

D沢はアイゼンをはずしてかかとのキックステップと尻セードで雄滝まで快適に飛ばす。雄滝はフィックスに導かれて右岸のトラバースから懸垂下降で下る。

以上。


越後 大源太山コブ岩尾根

1997年4月12日
細田、板橋、石井(記) 、畠中

先月の阿能川岳がよかったので、

I氏の「2年越し/マッターホルン・サミッター計画」に乗る。「酒(紙パック)アイゼン突き刺さり事件」によって、新品ザックが酒蔵になるなどの初歩的アクシデントがあったが、とてもよい残雪の山でありました。

4月11日(金)

埼玉・JR武蔵野線新座駅前発21時20分、谷川のトンネルをくぐり、石打で高速を降りる。車は清水までしか入らない。車の脇でテントを張り、酒盛りして寝る。02時。

4月12日(土)

快晴。

8時10分発(おそーい!)。残雪の林道を行き、丸ノ沢が迫ってきた地点で、適当に斜面を降り、登川本谷右岸に降りる(地図の林道分岐をよく探せば、スムーズに岸に下れる、帰りはこの道を登った)。柄沢山に突き上げる東屋沢出合いの丸太橋を渡り、右岸を少し行き、登川本谷を丸木橋を渡れば丸ノ沢出合。

ここまで約2時間。渡渉をしつつ遡れば、わぉ、かっこいい! 上越のマッターホルン、天を突く大源太山の峻鋭な勇姿が見えてくる。 が……! 尾根下部主軸は雪がなく潅木リッジになっている(会話体=「わちゃー、ヤブッピーですぜ」)ので、雪の大畠ノ沢を少し行き、ゴルジュの中の滝が見えるあたりから、コブ岩尾根末端左に上がる。尾根左側の斜面を雪を拾って登り、ニセ4ルンゼに入ってこれを詰める。上部に雪庇があるように見えるが、問題なし。雪崩が怖いのでど真ん中を避けて登る。アイゼンを付ける。上部ではダガーポジションも入るし、爽快。ここから2人組に分かれてロープを付け、スタカット。潅木と小さな岩場、雪稜を交えながら進めば、コブ岩基部。コブ岩左の草付きが核心部で、潅木をつかんで登り、コブに続くリッジに廻り込む。2P。(4ルンゼに降りようなどと思ってはいけない)。さらに潅木リッジとの格闘2Pで主稜線に出、約100mで大源太山頂上。15時20分。

一同、腹減った~コールがかかり、時間もあることだし下ることにする。下降は日陰になった大畠ノ沢左俣。コルまでは小さな岩場があるだけ。コルからはシリセード、シェルントがあるので気を付ける。途中、コブ岩尾根核心部に後続

2パーティのトップが張り付いていた。左俣下の滝を避け、途中で雪の斜面を左側にトラバースしつつ、うまく尾根末端に下る。林道歩きは、各人、「ラーメンと餃子でビール」「やっぱ丼もの」といった食の妄想で速度を出し、車置き着。19時。

完登祝賀夕食会(デリシャス篇)の後は、湯沢付近のアスファルト屋根付きホテル(ゴージャス篇)へ。翌朝はまたしても快晴、わが青春の○○山の岩場偵察など行いながらトンネルをくぐって帰宅。

 

 

タイ クライミング旅行

1997月3月15日~3月24日
中嶋(記)

3月15日

成田~バンコク

成田第二ターミナルにはお店がいっぱいあるが高いので見てるだけ。幽霊ツアーのチケットを手にして飛行機に乗り込んだ。

PIAはしぶい、出発が結構遅れた。スチュワーデスの態度がでかい。マニラ到着の時には酸素ボンベが降りてきた。みんな写真を撮っていた。飯の量も少なく、酒がないのが悲しい。快適とはいいがたい。

ドンムアン、日本時間1:00、タイ時間23:00着。色々やってロビーに出たのがタイ時間0:00。他の日本人はホテルの予約があるということで次々に去っていってしまう。空港で適当に夜を明かすことにした。空港には色々な民族の人がいっぱいいる。でもみんな違和感無く存在している。何時になっても活気がある。

茶店で粘ってウロウロしていたが2:30頃シュラフに入って本格的に寝る。プロのバックパッカーは既に本格的にビヴァークしている。プロのバックパッカーには2種類、汚い白人の若者、アジアの出稼ぎのような人。夜はタイを恐ろしく感じさせた。

3月16日

バンコク~クラビー

7:00頃起きる。うだうだしていたらバス停に着いたのが8:00。既に人が一杯でかなり苦労してバスに乗り込む。日本の地下鉄のラッシュ並、つまりかなり激しい(でも日曜だったからましだったのかも)。女の子達はお年寄りが乗ってくると一斉に腰を浮かして反応している。やさしい国だ。いきなりタイの人達とスキンシップしてしまって感動した(汗でべとべとだったけど)。

ファランポンは終点だったから降りられたに過ぎない。空港なんか比較にならないくらいあらゆる人が沢山いてひしめいている。それらを椅子に座ってぼーっと見ているのは心地よい。出稼ぎの群、旅行者の群、坊さんの群、徴兵の群、客引きの群、物売りの群、無茶苦茶な暑さの中みんなが勝手なことをやっている。変な日本語でVIPバスを700バーツでふっかけてきた。全部無視して、荷物を預け(これも結構怪しいものだ)南バスターミナルに向かった。バスを使いこなすのはかなり難しい。おかげでやたらと歩いてしまった。その散歩も面白かったが、暑さがひどいのにはまいった。犬もねこ並になっている。南バスターミナルの食堂には2回も入ってしまった。初めてのタイ料理は辛かった。男の子が良く働いていて、その兄もいつも最後に「thank you!」と言ってくれるのでまた行きたくなる。果物はパイナップルしか食わなかった。

ターミナルでバスのチケットを手に入れ(540バーツ)、軽く観光に出かけた。国立博物館に1時間位、その横では凧上げ大会をやっていた。すごい盛り上がりだった。その直後にはすごい規模の反政府デモ?にぶつかってしまった。バスの中のテレビニュースでもやっていた。おかげでなかなかバスに乗れなかった。

バスの出発は18:30、乗ってすぐドーナツと缶コーラがでて、テレビドラマやニュースなどを見ていると急にみんな降りるので付いて行くと食事が用意してあった。お粥中心の大したこと無い物だった。それと朝コーヒー一杯。

3月17日

プラナン
Ton-Sai

朝6:00クラビー着、私達以外ほとんど外国人がいなかったのでTAXIの客引きの手から逃れられず。アオナンへ250バーツ、ぼられてないけど高かった。ソンテウを捕まえられれば良かったのだが。アオナンでもあっと言う間にボートに乗せられ100バーツ、高い。ライレイに着いたのが7:00頃で人気が無い。右も左も判らず素直に直進したらYA-YAバンガローに着いた。唯一名前を知っている施設だったこともあり即チェックイン。お姉さんの英語は難しく何か小馬鹿にされているようだった。シャワーを浴びて朝飯を食いに外にでたとたん日本人4人とすれ違いすかさず挨拶をした。彼等を追ってTon-Saiへ。と言っても難しいルートしかないので、Dam’s kitchenの6aと6bを登って、Ton-Sai唯一の6aのエチュードを登ってこの日はおしまい。ウォーミングアップの日。初日を有効に使えて良かった。

3月18日

Ton-Sai

午前中6a(エチュード)とやはりDum’s kichin の6aをやった。7aの予習1回。昼は13:00~17:00位までいつもうだうだする。壁は暑くてとても登れない。浜茶屋の雰囲気が最高で、子供達とねこやヤギがウロウロしている。トカゲ、蛇などを岩の下にすんでいるサドゥーが捕まえて大喜びで持ってくるので子供達が大騒ぎになる。この茶屋にはクライマー以外ほとんどいない。海で泳いで遊んで17:00過ぎる頃から日がかげってくる。

午後一のトライ、7aを登れてしまった。自分でこの日のこの瞬間をフリーデビューと定義した。

3月19日

TAIWAND-WALL

この日は6a+2本と6b1本で、その後cavingしてビーチに行った。6bは25mいっぱいのルートで、ランニングはぼろスリングのみ。高度感もあってかなりスリリング。その名もMonkey Loves。cavingは以外と短い、まあ面白い。ビーチに出たので大喜びで海には行ったら一分以内にクラゲに噛まれた。運が悪い。夕方6人でlow view pointへ、大したこと無い。そしてまたプラナンビーチへ戻って、彗星探しをした。30分くらいぼーっとしたあげく何も見えなかった。でも6人で浜辺で寝そべってぼけっとしているのはとても良い気分だった。

3月20日

Ton-Sai

池田さんを除く3人は今日が最終日。上遠野さんは午前のトライで7a登れてよかったね。石井さんも7bをいくつか登ったみたい。池田さんは相変わらず「まぐれのオンサイト」ねらい。森広さん夕方真っ暗になっても後一歩で6b登れず。私と智子さんは夕方のラストトライで同じ6c+をRP。これはフレークが2/3位のかなり面白いルートだった。1本目のボルトが遠いけど。浜茶屋のメニューが貧弱で笑えた。米と卵とパイナップルの組み合わせが違うだけ。この日の夜はya-yaで豪遊ビールをやたら飲んで魚も食った。その後2次会でまたもビール。その後干潮のビーチに座って観望会をやりました。

3月21日

TAIWAND-WALL

だいぶ疲れが貯まっていたので朝はだらだら。いきなり2ピッチのマルチ。1p、6bなかなか面白い。2p、6a+とにかく長い。2pの終了点が洞窟になっていてくつろげる。1pを登っている途中に日本人3人がボートでkrabiへ向かうところで下を通った。大きく手を降ってさようなら。その後6b、6a+でかなり疲れたが、だめ押しで6b+、35mこれはRPすらできなかった。バックロープが重くて大変、やたら難しく感じた。へろへろになってこの日は終わり。

3月22日

レスト

起きたらかなり疲れていたのでとりあえず午前中はレスト。View Point でビールを飲んだまま海を見ていた。夕飯の時のイタリア人クライマーの話が興味深かった。「プラナンはビーチ、岩、音楽、女の子の全てが揃っている。」「いずれは資本が投下されて巨大ホテルが立ちクライミングは禁止なるだろう。ここの政府はバカだ。」「1週間で帰ってしまうなんて日本人は変わっている。私は3カ月働いて3カ月遊ぶ。」どの意見も賛否両論。

3月23日

1-2-3  BKK

昨晩のみ過ぎたせいで夜に暑く、虫に刺されて何回も起きた。この朝は1-2-3に日本人6人で大集合。我々は早目に切り上げ、11:00ちょうどにcheck out。他の4人はthe Keepで遅くまで登っていたようだ。池田さん、お姉さん、とはこれが最後になった。北海道の2人組はkrabiまでボートが一緒。旅行代理店で別れたが飛行機も一緒らしいからまた会えるだろう。

・ボート:行きもこれにすれば良かった。50 分位。全員無口で不思議な時間。結構沖にでて少しづつ景色が変わる。なんだか判らないけど良かった。

・krabi:こんなにナイスな町とは思わなかった。プラナンより心地よい。

・代理店:おじさんはムエタイ?に夢中で北海道の2人は乗り過ごしたみたい。熱心に電話しまくっていろいろやってくれたようだ。子犬がいた。

・ソンテウ:タイの女の子はけっこう体が触れても平気なようで、素肌がぎゅうと触れてくる。また降りると事を見極めるためにかなりキョロキョロしているので、こっちも負けずに景色を眺めまくっていると目があったりして非常に緊ちょーした。いや、みんなかわいかった。

・VIP:VIPといえばみんなOfficialかもしれない。同じチケットと同じようなバスだった。ただし飯が完全なディナーだった(タイ式)。喰いきれないほどでて、実際みんなさっさと引き上げてしまったので満足に食えなかった。途中ですごい雨。隣の娘がやはりかわいかった

・krabi:バスターミナルは街の中心から遠かった。街の中心にうまく行くのが難しそうだ。ライレイになれていたせいか、何もかも新鮮だった。

3月24日

BKK

VIPは南バスターミナルについた。トイレにもよらないでNo11-No29で空港へ。かなり正解だと思う。空港でザックの整理、着替え、ガチャ干し、歯磨き、くそ、etc。ザックをあずけてバンコクへ繰り出す。

No59~敗退~No3~歩いてボート乗り場・ボート~ノンタブリノンタブリが実はターミナルではなく、切符切りのお姉さんがボートを止めてくれなければ次の町まで行ってしまうところだった。お姉さんが泣きそうな声で「ノンタブリ~」と言ったのがかわいかった。

ノンタブリからNo63敗退。63のお姉さんがポストイットに書いてくれたのでNo114~No29がうまくいった。ドンムアンに着いたのが18:00頃、これから暇な時間をどうするか。

空港のファミマでシンハビールを買って飲んでいたら、知らないうちに廊下の隅で寝ていた。起きたら周りはイスラム教徒しかいなくて(それもかなりの数)、ちょっとあせった。3時間ほど眠ってしまったようだ。おかげで良い時間つぶしにはなった。

おぼえ

・タイの子供はまゆが困っている。

・タイの子供は良く店の手伝いをする。

・タイは子供のしつけが厳しい。母が「バシッ」

・タイのお坊さんに触られた。以外とフランクだ。船で何か話しかけられた。「お座りなさい、お若いの」たぶん。私がニコッとすると、彼もニコッとした。

・タイのお坊さんは試験勉強が忙しそうだ。

・日本人似のタイ人と、タイ人似の日本人は交換してもばれない。

・タイ人は英語がうまい。日本人へた。ウェイトレスなどに「Japan~!」と何回か言われた。(笑われた)

・タイ人は凧上げがすき。

・華僑のおじさんはまだ家長の威厳が残っている。給仕をしてくれた。大阪にいたことがあるらしい。英語が話せたい。

・タイ人の仕事は店番が多い。それと運転手と切符切り。

・ボート乗り場は雰囲気がすごい。店のトンネルを抜けなければ行けない。

・タイの女の子は強そうだ。(ボートのお姉さん)

・不良ボートはかっこいい。

・水上生活者がいっぱい。

・チャオプラヤの水を結構浴びた。

・タイの女学生の制服はかわいい。

・プラナンにはトップレスどころかフルがいた。

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以上です。

 

槍ヶ岳 北鎌尾根

1997年3月1日~3月5日
中嶋(記)、畠中

平日だったので他のパーティにもまったく会わず、貸切り状態だった。

3月1日 雨のち晴れ

雨が降っていたのでとても行動する気になれず、トンネルでシュラフに潜って朝寝。

昼頃から雨が上がり天気が急速に回復して行く。勇んで林道歩きに出発。雨が降るだけあって雪は締まっている。きれいなダムの横をひたすら歩くだけ。一回だけはるか彼方に槍が見えた。キャラバンの気分。あまり期待していなかった名無避難小屋というのがこのうえないほど快適で、時間も丁度良かったのでここで泊まることにした。なんと薪ストーブと畳があり、快適と言うより幸福の域に達していた。

2日 曇り~雪

この日のうちに尾根にあがってしまおうと勇んで出発。噂のとうり千天出合までがけっこう悪かった。ワカンとアイゼンの使い分けが難しい。しかし気になっていた渡渉はデブリのおかげでまったく問題なかった。尾根に取り付いてからはトレースはほとんどない。けっこうな急登をひたすら続け1回ロープを出す。結局ここが一番難しかった気がする。

P2上で泊。

3日 晴れ、曇り、小雪

目的地を4・5のコルか北鎌のコルに決め、天気が回復しつつあるのを確認して遅めの出発。表面がクラストしていて、もぐらなそうでもぐるラッセルがけっこう疲れる。4・5のコルの時点で時間に余があったので北鎌のコルに進む。体系ではここから大トラヴァースとなっているが、>

P5ギリギリまでつめて、左に普通に巻いてクリアできた。雪が締まってなかったら恐いと思う。

P6は右から行ったが、落ちたらやばそうなところが1ポイントあったので一応ロープを出す。P7周辺はナイフリッジになっていて、リッジごと落ちてしまいそうな気がしてかなり恐かった。雪屁を崩して25mの懸垂1回。北鎌のコルは思ったとうり風が強かった。スコップで念入りに整地。そろそろ冬型が弱まって天気が良くなるだろうと思っていたが甘く、南岸に低気圧が通るらしい。なんとしての次の冬型本番前に槍を越えたい。

4日 晴れ~吹雪

朝は弱い冬型で、硫黄より向こうがガスの中。そのガスが次第に近づいて来るのが判る。朝一の元気で急登の

P8,P9をクリアし独標に立つと、かっこいい槍が大きく立っていた。天気はどんどん悪くなっていき、大槍に取り付く頃には槍はガスの中だった。ロープは頂上直下1ピッチだけ。頂上ではブロッケンが見えた。さっさと降りて槍岳山荘の冬期小屋に逃げ込む。此の夜冬型で大いに荒れたが、小屋で泊まれて本当に良かった。寒かったけど。パートナーもモチが下がっていて、この先縦走するのは現実的ではないので明日の一番で飛騨沢を下降することにする。夜は飲み食いし放題。

5日 吹雪~下は晴れ

すごい風の稜線から飛騨沢に飛び込む。尻セードでガンガンとばせる。滝谷出合まで2時間、途中初めて他のパーティを見た。南岳西尾根らへん。新穂高

12:00、久々の風呂は感動ものだがビールがなかったのが残念だ。

タダの温泉万歳!

高山ではムーンライトの指定席が取れず駅でさらにビヴァーク、6日の昼に東京に着いた。

 

八ヶ岳 獅子ヶ岩第一尾根、裏同心稜左稜

1997年2月20日~2月23日
大滝、中嶋(記)、畠中[獅子ヶ岩]
滝島、細田、中嶋、水柿[裏同心稜]

20日

晴れ 獅子ヶ岩第一尾根

21日

雪  立場山~阿弥陀南稜上P1のコルBV

22日

吹雪 BP~阿弥陀頂上~行者小屋~赤岳鉱泉

23日

晴れ 裏同心稜左稜

獅子ヶ岩第一尾根

獅子ヶ岩と言ったらこれしかないと云うような良いルートだと思います。

広河原の方から南稜にでて青ナギから尻セードで下り、深雪のラッセルをして獅子が岩に取り付く。ラッセルで時間を食い取り付いたのは14:00。3人パーティだったので全てのピッチ私がリード、全6ピッチ。全体的に岩はコケっぽく残置も少ない。良いホールドとなる岩が多いが脆い岩も多い。1ピッチ目は快適な岩登り、ピンは少ない。3ピッチ目に当たる人工のピッチは意外にもボルトが多く、まあ効いている感じで楽にこなせた。4ピッチ目で第4フェースに出るが、この時にはもう暗く、ラインが分からなくなったので左から卷いてしまった。獅子ヶ岩の頭に抜けたのが(19:00)。

阿弥陀南稜

21日、前線が通過しひどい天候のため、無名峰を越えP1を越えたところで行動中止。ここは大系にも書いてあるナイスなBPだ。22日、前日と比べると風が弱まったので吹雪の中出発。吹雪の中からP3立ちはだかって見えるのがかっこよく、とてもあの南稜とは思えない。P3の巻きは快適な氷雪が詰まっていてダブルアックスで楽に抜けた。P4もなんの苦労もく越えると一瞬ホワイトアウトになり、突然お地蔵さんが目の前にあった。頂上に雪屁なんかが出来ていて、穏やかなときとはまるで違う阿弥陀の頂上だった。視界がほとんど無かったので中岳のコルまでの下降には気を使った。鉱泉(10:30)

裏同心稜

体系にも記録がでていない稜で、会の瀧島さんの「初登かもしれない」という呼びかけに5人も集まりました。実際は残置があったわけですが。朝から快晴、アプローチに裏同心ルンゼをとるがラッセルがかなり辛い。下から見て一番右手の、大同心よりの稜に取り付く。登攀中大同心をじっくり見ることが出来る。1ピッチ目が一番難しく、かなり傾斜のある草付のダブルアックス。2~4ピッチ目、雪稜とたまにやや悪い草付。5ピッチ目、ちょっとした岩を右上してカンテを回り込む一番岩らしいピッチ、取り付きにはリングボルトが打ってあった。残置があったのはこのピッチだけだったが、やはりどこでも登られているものだ。6ピッチ目で稜の上にでて後はコンテで行く。最後のせこい岩の下で大休止、ここでロープを解いて後はひたすら縦走路を目指して登って行く。実質登攀時間3~4時間。

裏同心稜は全部で3本くらいあるが、今回登った稜の1本左の稜が岩が多く、手応えがありそうだった。


唐沢岳幕岩 S字状ルート、左方ルンゼ

1997年2月8日~2月10日
細田、中嶋(記)

2月7日

新座19:00集合 上信越経由 葛温泉着23:00

関越回りで豊科まで5250円、かなり早く着いた。

2月8日

晴れ

葛温泉に車を止めて寝ていたが、タクシーが何台か通ったので七倉までタクシーに乗った(1000円)。アプローチは程良く雪が着いていてトレースもあったため、夏と大差なく着く。B沢出合い、10:00頃、カモシカバックにいろいろデポしてS字の取り付きを目指す。基部で出来る限り偵察したが、ラインは判りづらい。どうやら氷の発達は良くないようだ。トポどうりに雪の斜面をノーザイルで右上して行く。ラッセルが深く疲れる。垂壁下部の洞穴でロープを結んでトラヴァースを開始。トポにある氷バクは登れるほど発達していなかったので、夏のラインをたどることにした。トラヴァース2ピッチで夏ライン上の氷バクにでて直上1ピッチ。今度は左にトラヴァースしなければならないが、スラヴ上には利用できるような氷雪はまったくない。スラヴに前爪を立て、グルーヴにわずかに詰まった氷を拾って、ピンも乏しい中気合いで進んで行く。2ピッチ弱で大テラス。トポではここから右の氷壁の出ているが、登れそうもない薄いベルグラが張っているので、ここもやはり夏のラインをたどる。似たような状況の中2ピッチ伸ばした所で日が落ちたので腰掛けビヴァーク。そんなに寒くなかったので助かった。

2月9日

晴れ

1ピッチ分FIXしてあったのでユマーリングから。次の1ピッチでハングに突き当たるので、左から卷いて雪壁に出る。後はラッセル1ピッチで登攀終了。右稜の頭までのラッセルはきつかったが思ったほど時間はかからなかった。12:00デポ地点。

大町の宿は満杯でB沢の脇を整地してツェルトを張る。その後左ルンゼの偵察。丁度先行パーティが登っていて、氷の発達もかなり良いようだった。明日の朝一で登ることにしてテントに戻る。この日豪快に食料を食べた。2人で6食分。

2月10日

晴れ

意外にも天気はまだ良い。早起きして6:30テント出発、登攀開始7:30頃。F2下でロープを出す。トポの写真よりも明らかに発達している。トポでは5級とあるが、氷の発達が良いので垂直部分は3手ほどのトラヴァースでごまかせてしまう。ここから上も思ったほどは雪がなく氷が楽しめる。実質6ピッチ、2時間半で登攀終了。トレースに助けられ下降は容易だったが、注意しないとB沢右股の1本手前の沢に入ってしまいそうだった。テントに戻ったのが11:30、状態さえよければ入、下山日の1本として最適だ。

この後葛温泉まで2時間で下れたので、薬師の湯に寄って、蔓で焼き肉を食べ放題するというリゾートをした後でも、余裕で東京まで帰ることが出来た。

 

 

南アルプス 尾勝谷塩沢右俣、左俣

1997年1月1日~1月4日
大滝、大橋、櫻井 櫻井(記)

*この谷は廣川健太郎さんが「岳人」5月号と12月号に紹介されています。以下、この内容を「記録」と呼びます。

1日

毎年恒例、中央高速の暴走族のお祭り騒ぎのおかげで、昨夜は予定よりずっと遅れて戸台に着いた。爆竹、横一列の徐行、逆走、改造、「パリララ、パリララ」。ああ、思い出しても腹が立つ。みなさん大晦日の中央高速には行かない方がいいですよ。

で、この日はベースを張る予定の塩沢二股まで。記録では水がないとのことだったが、細い流れがあった。テントの跡が3カ所。そのうちの一つに4、5人用を張る。夜半から翌朝まで雨、時々みぞれ、雷も鳴り激しく降り続いた。

2日

昨夜の悪天に剱岳や錫杖に行っている仲間を心配しながら左俣へ出発。天候の回復を待っていたので8:00AMになった。小雪、-2度。積雪3から5cm。

F2は大滝さんがリード。ほとんど80度で50m。遠くからはモコモコで近づくと一つひとつつららの集合体でなっている。ルートは中央から右へトラバースをしながらモコモコをつなげていく。長くて厳しかった。

F3は桜井リード。30m、70から部分的に80度。状態も良く快適。

F5は左から幅の広い氷瀑を合流させている。この辺から「記録」との一致が難しくなる。

本流の上部には大きな垂直に近い滝が見えていて「あれがF10か、どうか」で議論。雪の下に倒木や氷床が見え隠れしている状態だった。2、3の小さな滝を越すとその大きな氷瀑に着く。大滝は40m程度で70から80度程度。上部は2つに分かれて左の安定しているほうをルートにとった。大滝さんのリード。

沢はこの先、左からの支流を合わせた上でT字になる。氷の続く右のルンゼ状に入ったが稜線も近くに見え高度計も2200mを越えていたので、さきの大滝が「記録」の言うF10だろうということで引き返す。時刻14:20。

この沢の下降は立木、倒木が多く懸垂の支点は容易に得られる。懸垂そのものはヤブや空中も多く容易とは言えないが...16:20ベース帰着。

3日

6:30 右俣へ出発。小雪。-5度。

F2は40m、70度部分的に85度。もろもろで薄いところもあり、気持ちよくない。桜井リード。左から右に斜上。

F3、大滝さんリード。45m、80度。やや右の氷柱状から取り付き左へトラバース気味にのばす。垂直に近い氷柱の腹をトラバースするのがつらい。桜井がランナーのスクリューを回収中にピッケルが抜けそのスクリューに片手でぶら下がったため、軽いケガ。ゴアのオーバーミトンの先が破ける(こっちの方が痛い!)。

F5、桜井、気を取り直してリード。下段は右のリッジ状から中段へ。中段は腰まである雪のテラス。これを左にトラバース。一度ピッチを切る。「記録」ではF5で沢は大きく左へ曲がることになっている。実際は右にも支流はあり3:1の二股状になっている。このピッチで大橋さん落ちる。またロープの流れで小さな雪崩を誘発してしまう。F5の中段から上は左のモコモコを行く。合わせて45m、70度から75度程度。

F5の上からF9まではひざから腰のラッセルも出てくるが氷瀑は傾斜が無く歩いて進む。沢はルンゼ状になり気分はアルパイン!

F9は30mほど。桜井と大滝さんがフリーで登り始めるが中段で傾斜を感じ始めたのでアンカーを作り大滝さんが残りの10mをリード(ルーズなやりかた!)。大橋さんだけが完全なフォローをする。さらに続くラッセルにうんざりしたころ、とうとうF10が見える。

左右に翼を広げたように下まで届かないつららを連ねて、中央に2つの氷柱を張り出している。両翼の幅は15m、氷柱の高さ15m、その上の傾斜を落とした部分も含めて50m程度に見えた。氷柱は融合していないつららの集合体で叩けばつららの一本づつが落ちていきそう。アンカーもすきまだらけの氷にどう効かせればいいのか?「記録」には大同心大滝と同程度とあるが、この日我々の印象ではワングレード上!気分は荒川出合のブライダルベールだ!。これは我々の相手では無かった。氷柱にさわれる所まで上がると裏側が2mくらい岩と氷が離れていて空間ができている。直径3mくらいの氷柱2本が壁になりその間から空が見える。床は完全に氷。岩の庇に氷瀑が覆いをしてくれたよう。10人は泊まれるが上を見ればあちこちからするどいつららが垂れている。この氷の小屋をゆっくり見物して、引き返すことにした。14:30。

全般にスケールと傾斜のある氷瀑にめぐまれた沢でした。状態はもろもろでツララ主体の氷。雪の多くなるシーズンには二股から上で雪崩に注意。

大滝(記)

1日

11:00 尾勝谷出合い出発  15:20塩沢左俣・右俣出合着。テント設営

2日

7:40 左俣へ出発

F2取り付き 8:20 50m IV+~V- 右を登った。つららの集合体。ランニング5本。小雪舞い始める。

F3 11:00 15m 左から中央へ。ランニング1本。いい氷。

F4~F9まではっきりしない。支沢凍っている。

F10 40m 右を登る V~V+ ランニング3本。3段になっている。抜け口がとても恐ろしい。15:00下降する。 滝をすべてアプザイレン。木で支点をとれる。 16:20テント場着

3日

6:30 右俣へ出発 小雪

F2 50m IV+~V- 左より登る。ランニング3本

F3 40m V ランニング5本。つららの集合体 難しくて苦労した。

F5 10:50 30m IV 左より登る ランニング3本

F6~F9まで容易

F10 45m はカナダにあるような大きな氷柱。完全に岩から離れている。垂直部15m位。表面に小さなシャンデリア状のつららがびっしりとあり、もし登ったとしたらまずそれを壊してから基盤の氷にピックやアイゼンを効めなければいけないだろう。恐ろしいため登らなかった。

14:30下降開始 木でアップザイレン可能。17:00テント場着。

* 高度がないためラッセルは大した事ない。雪崩の可能性は低い。アイスピトンはランニング5~6本、取り付きに2本で計7~8本。 氷の抜け口には木があるためアイスピトンは不要。テント場の左に少々流水があったが厳冬だと凍る可能性あり。 左・右俣ともに沢に流水あり。 上手な人達が覚悟を決めてスピーディに登らなければいけない。初心者は同行させない方がいい。ロープは50m x 2本。

 

 

南ア 鋸岳 第二尾根

1996年12月21日~12月22日
滝島、森広、中嶋(記)

戸台で車中泊。ここらに雪は全くない。

12月21日

数年前に来たときと比べ谷の様子が全く違っている。谷が埋まってしまったようだが、かえって歩きやすくなった気がする。途中8mくらいのボルダーにボルトが打ってある。他にもあちこちに岩がある。一ヶ所、やたらきれいな石灰岩の壁があり「我々の岩場」と呼んで夏に来ようという話になった。

角兵衛沢出合いまではさくさく歩いて2時間くらい。出合いから2時間ほど夏道をたどると角兵衛大岩の基部に着く。ここの岩小屋が超快適でなんと水まで出ている。ここに着いたのがPM2:30か3:00位だったが、ひよってテントを張ることにした。本当は行けるところまで行くはずだったのだが。習志野の山岳会の人が来ていた。すぐに酒を出してのんびりした。

12月22日

角兵衛大岩の頭に出るまでがルートが判りづらい。しかし随所に赤テープがあるので助けられた(つまらなかったが)。ロープはかろうじて必要ない。ラッセルもほとんどない。尾根上をしばらく行くと60m岩壁に突き当たる。1ピッチ目、3級くらい、良いテラスがある。2ピッチ目結構難しい。3手くらい人工が入るが抜け口がかなり難しい。どちらも瀧島さんのリードでなかなかうまかった。この壁を越えればロープはこれっきり、程なく稜線に出る。下りの沢は尻セードが出来ないくらい雪が少なかった。車に戻ったのは5:00近く、高遠城見学は次の課題となった。伊奈で銭湯に入ったり飯くったりしていたので千葉には終電で帰った。