中央アルプス 麦草岳 小野川正股沢、奇世美の滝(下見)

2000年9月16日
櫻井(記)、高橋

台風と秋雨前線でパッとしない天気。

朝からパラパラと雨が落ちてくる。

キャンプ場のすぐ上にゲートがあるので車はキャンプ場に置く。

このキャンプ場はボーイスカウトの管理らしくカマドや水場がきちんと自然のなかに配置されていてなつかしい。

林道を登ると1時間しないで通行止めとなり迂回路へ入ることになる。

発破を使った林道工事で本来の右岸の道は土砂崩れ状態になっている。

「入って死んでもしらないよ」という趣旨の看板が立っている。

迂回路は左岸にけっこう無理やりつけられている。

トポによれば林道終点から数分で正股沢に出合うことになっているが、それらしい沢はなかなか現われない。

2万5千図で見当をつけて3本目に横切った沢に入る。

すぐに古い堰堤が出て、変だなと思っていると30分もしないうちにチョックストーンを持った10mの滝が出てきた。

これで決定的に沢を間違えている事がわかって引き返す。

良く見れば2万5千図に堰堤記号があるではないか。

青い線の水流は書かれてないが沢地形の中にポツンと書いてある。

めざす正股沢はまだ先だ。

今度は間違えないようにと、迂回路が小野川沿いの本来の登山道に合流するところまで行ってから考えることにする。

古い登山道に合流しトポの記述と照合するためにその登山道を登ったり、下ったりして地形図との関係を確かめて見た。

トポによると小野川本流を渡り次に出てくる小橋が正股沢というので、その沢に入ってみる。

しかし10分も行くと水流があまりに情けなく湿地状になってくる。

これもまた違うだろうと、もとの登山道に戻る。

何が何だか混乱してきたので、気をとりなおし登山道をそのまま、奇世美の滝を見に行くことにする。

この滝は下から見上げると滝本体だけでなくその下の小台地の高さも含めてのスケールを感じるので高差100mを超える迫力がある。

滝の本流を取り囲んで半円筒形に側壁がありその表面を水流が伝っている。

こいつは評判通り凍ったらすごい!その滝の迫力を堪能して(夏はまったく登る対象に思えない)また正股沢探しに戻る。

迂回路は6本の沢を横切るのだが、こんどは登山道に合流する手前の沢に入ってみる。

この沢は本来の登山道とは交差しないのでトポとはまったく違うアプローチとなるのだが、入ってみるとゴーロが続き、それらしい谷の広さもある。

地形図の青い水流の線とも一致しているようだ。

しかし40分ほどゴーロを登るとパラパラと降っていた雨が本格的なザーザー降りになってきた。

雲の動きも早く台風の影響を感じてきた。

結局ここまでで引き返すことにする。

急いで迂回路に戻ると沢はかなり増水してきた。

高橋君には悪いが氷のためのアプローチを調べるという意味では満足できたので、山行はここまでとして帰ることにした。

しかし「登山大系」と「アイスクライミング」にあるアプローチの解説はなんだったろうか?堰堤や道、橋などといった人工物を目印にしているとこんな目にも遭うのだなと実感した。

また、長雨の中では、普通、沢と思わない涸れ沢も一人前に見えてしまったため、余計に頭がこんがらかってしまったとも思う。

あまり人の入らない沢などではアプローチを軽く見ると失敗するというよい教訓でした。

温泉情報:木曽福島近くの国道から木曽駒高原へ分岐する道(信号のある立派な交差点)を500mほど木曽駒方向に入ると右手に国民宿舎がある。

ここの温泉が渋い。

500円。

アヒル、鯉、やぎ、チャボが遊ぶ庭と檜作りの湯船、FRPのバブル露天風呂など興味が尽きない。

 

ヨセミテ他 クライミングと観光

2000年8月19日~9月10日
中嶋学 (8/19-9/2)・中嶋愛(妻) (8/19-8/26)
森広信子・三好弘子 (8/28-9/10)
倉田薫 (8/19-9/10)

文章:倉田薫

○ はじめに

<ヨセミテへの思い>

約7年前、ヨセミテでのクライミングのスライドを見せてもらったことがあった。

真っ白い岩に一筋のクラックがどこまでも伸びている。

手がボロボロになるまで、思う存分登って、岩と自分だけ。

いつか行きたいと思った。

実は、約2年前、秀峰に興味を持ったきっかけも、ヨセミテに行ったことがある人がいるというキャッチフレーズがホームページにあったから。

今回の私の場合、今年の正月明けから徐々に準備をしてヨセミテ行きが実現したのは中嶋さんのお陰です。

なにかとお世話になってしまい申し訳ありませんでした。

あと本当に感謝しています。

帰ってきてからの私は今度はどうしようと考えている最中です。

もっと総合力つけて今度は挑戦しよう。

<生 活>

倉田は初めての海外クライミングなので取り合えず現地の生活に慣れる事が大切と考えて出掛けてみた。

でも、日本とほとんど変わらない生活が出来たので安心した。

もう一つの心配事、言葉。

英検3級程度の私でも観光地のせいか周りの外人が親切でBODY LANGUAGEを交えるとなんとか通じていた(?)ように思う。

あと、食事。

ハンバーガーが日本のより結構うまかった。

<クライミングと気候> クライミングは又今度行くことを考えて各岩場の取付きの下見や、ハーフドームのレギュラーを中心に、有名どころのフリールート・ボルダーを登ったり、触ったりしたいと日本では思っていた。

実際は気候に左右された。

//気候//

実際は8月いっぱいは雲一つ無く、空気はカラリと乾燥しているが、かなり暑くて昼間は登れる所が限られていた。

朝早くか、夕方から8時までが登り頃(注意:サマータイムなので時間が一時間ずれている)。

ちょうど秋に変わる頃は雨が降り続けて気温も一気に寒くなった。

天気が落ち着くと、今まで暑くて触れなかった南面も昼間でも登れそうだった。

この頃になるとBIG WALLを登りにクライマーがどっと増える。

サンタバーバラなどロスアンゼルス付近にはクライミングスポットが沢山ある。

これらは、かなり暑い地域なので、適当な時期は冬らしい。

9月8日にサンタバーバラで、ボルダ―をしたが、暑くて下着1枚で登った。

//クライミング//

クラッククライミングは、ヨセミテ前にやっとクレイジージャムなどがやっと登れるようになった程度の私でもかなり楽しめた。

日本のクラックは短いのにいろんな要素が詰まった感じのクラックが多いと思うが、ヨセミテはとにかく長くて同じサイズのクラックがずーっと続く感じだった。

グレード的には日本もヨセミテも同じぐらいに感じた。

ヨセミテには簡単で良質なルートが沢山あるので、クラックをヨセミテで学んで帰る人もいる。

<CAMP4での生活>

//クマ//

熊が夜になると平然と歩いているらしい。

レンジャーがしきりに注意を促していた。

中嶋夫妻が食事をしている時に横にある熊BOXをガサガサしている黒い物体がいると思ったら熊だったらしい。

その直後に私が酒に酔っ払ってヨロヨロと戻ってくると今すれ違ったかもよと興奮しながら話していた。

あと、ほかの車がクマられていた。

ドアがめくれ上がってべコベコ。

//キャンプ//

1週間以上の連泊ができるかかなり不安だったがKOSKの受け付けの人が一週間後には変わっているので、何時も私が申し込みをしていたが特別問題無かった。

ホントは一週間しか泊まれないんだけど。。

<各岩場へのアプローチ>

はっきり言って最初は心配だった。

けど、日本の感覚で行くとはまる。

たいてい道路からは、はっきりした登山道(踏み後)を辿って、岩場を目指せば間違い無く着く。

<遭難対策…倉田が思うこと>

①保険(98年8月NO614・岳人より)

日本山岳協会の山岳保険は死亡後遺障害までしか保険が利かないらしい。

セブンエーの小日向さん保険は、賠償や捜索費用以外は支払い可能だが、事前に確認を、と岳人に書かれていた。

又、日本勤労者山岳連盟の山岳保険は国内同様に支払われる。

雪・岩・沢を含む全ての山行で登山口から下山口までの山行中が対象らしい。

ちなみに、事前に計画書を基金管理委員会と全国連盟海外委員会に提出が必要らしい。

②救助

救助は現地でレンジャーと相談して行うことになるので臨機応変に対応するしかない。

③ 日本の在京への連絡

日本へははっきりした時点で報告をするのがいいと思う。

あやふやな情報で報告してしまうより、しっかりした情報で無いと何も出来ない日本側の人が動揺してしまう為。

臨機応変に考えた方がよいと思う。

○ 日 記

<ロス~トォルムメドウ>

8/19 SAT.

1日目: 快晴  成田(日本時間18:30発)→ロスアンゼルス(現地時間12:40着)→HERTZでレンタカー借りる→砂漠地帯をひたすら北へ。

景色が大きすぎて速度感覚が麻痺。。。

→暗くなるが小さい町ばかり、やっとLONE PINEでモーテルをいっぱい見つける(泊)

8/20 SUN.

2日目:快晴   LONE PINE→BISHOP・マウンテンショップはいろいろクライミング用品が充実している。

→MONO LAKE→YOSEMITE TUORUME MEDOW(泊)かなり寒い。

8/21 MON.

3日目:快晴 ハイキング(SODA SPRING~LEMBERT DOME) ボルダー→TUORUME MEDOW(泊)あまりにも寒い。

トォルミを甘く見ていた…。

<CAMP4>

8/22 TUE.

4日目:快晴 TUORUMEから逃げるように移動→CAMP4 KIOSKで申し込み→YOSEMITE VILLAGEの探検→CAMP4でボルダ―

8/23 WED.

5日目:快晴  中嶋夫妻:マリポサグローブ・ハイキング→GLACIER・POINT

倉田:昨日KIOSKで並んでいる時に、偶然84の山崎さんに会った。

同じ84の森上さん、CAMP4で知り合った東海山岳会の寺田君、島根の渡辺君、私の計5人でCHAPEL WALLでクライミング

8/24 THU.

6日目:快晴  中嶋夫妻:HALF・DOME・ハイキング

倉田:HOUSE KEEPINNG(寺田君・渡辺君・倉田)でボルダー他→REED’S PINACLEでクライミング

8/25 FRI.

7日目:晴れ時々曇り CAMP4でボルダー(森上さん・山崎さん・寺田君・渡辺君・福岡の竹下さん・中嶋夫妻・倉田)→CURRY VILLAGEのMOUTAIN SHOPでハーフドーム用に6mm×60mロープ買う→CAMP4で小柳さんにハーフドーム・レギュラーについてかなり詳しく教えて頂いた→CAMP4でボルダー→HOUSE.KEEPINNGでシャワー→ボルダーした人達他と酒宴

8/26 SAT.

8日目:曇りのち晴れ  中嶋:FREZNOに奥さんを車で送る→HALF DOMEの準備
倉田:HALF DOMEの準備

<HALF DOME>

8/27 SUN.

9日目:晴れ 中嶋・倉田:車でTRAIL AHEAD→一般登山道経由でアプローチ→
HALF DOME、REGULAR NORTH WEST FACE→11ピッチ目終了してビバーク

8/28 MON.

10日目:晴れのち雷・小雨のち曇り REGULAR NORTH WEST FACE→終了後、一般登山道経由で下山(中嶋さんはこの日の内に下山)(倉田は中嶋さんと離れた後、暗くなって道が判らなくなり、LITTLE YOSEMTEに泊まって翌朝下山した)

<CAMP4>

8/29 TUE.

11日目:雨のち曇り、夜は雨(この日から急に気温下がる) 倉田下山→中嶋さん他に心配を掛けてしまう…。

CAMP4・KIOSK新たにキャンプの申し込み→HOUSE KEEPINGで洗濯・シャワー→HALF DOMEの反省会→森広・三好の到着→三好さんがロストバゲージに遭いVISITER CENNTERとMOUNTAIN SHOPにいく→CURRY VILLAGEのBUFFEで食事

8/30 WED.

12日目:曇りのち晴れ CAMP4でいろんな人がわらわら集まってきてボルダー。

キングコブラとかを、菊地夫妻・杉野さん・中嶋さん・寺田君・塚崎君・堀場君・竹下さんがやっていた。

簡単な別の所で、鈴木さん・森広さん・三好さん・倉田でクラックのボルダーなど。

→CHURCH BOWL(鈴木さん・森広・三好・倉田)に移動してクライミング

8/31 THU.

13日目:曇り MOUNTAIN SHOPで三好さんが道具一式を買う。

(ロストバゲージで荷物出てこなかった。)

→MANUALE PILE BUTTLESS・NUT CLUKER登る

9/1 FRI.

14日目:雨のち夕方から曇り HOUSE KEEPINGで洗濯・シャワー→CURRYでPIZZA食べる→MOUNTAIN SHOPで買い物→AHANEE HOTELでお茶して読書→夕方になってやっと雨上がったので、皆でWASHINGTON COLUMN他を見に行く。

9/2 SAT.

15日目:雨のち晴れ午前

森広・三好・他1名:マリポサグローブを見にハイキング→別の車でFREZNO空港へ

倉田:中嶋さんをFREZNO空港に送る 午後 森広・三好・倉田他2名:FREZNOで買い物。

森広・三好がロストバゲージの手続きをしている最中に倉田他2名で、3つほどスポーツショップに行ったが、山道具の品揃えが良くない。

でも、食料品のお店はでっかくて、品数多くしかも安い。

かなり楽しめる。

9/3 SUN.

16日目:晴れ時々曇り CAMP4 WALLでクライミング→AWHANEEで日曜だけのLUNCH BUFFE。

かなり美味しい。

→EL CAPITANの各取付きへ

9/4 MON.

17日目:晴れ時々曇り POST OFFICE(はがき1枚6¢切手で、日本に届く。)

→最近、なぜか運が良くない三好さんと一緒に魔よけのペンダントを買いにANSEL ADAMSのお店に行く。

昔からヨセミテ周辺に住んでいたインディアン(ホピ族とかズニ族など)のお守り。

20ドル~ある。

→EL CAPITAN BASEでクライミング→夕方、GLACIER POINTへ。

ヨセミテバレーが一望できる。

9/5 TUE.

18日目:晴れ  森広・三好:HALF DOMEへハイキング

倉田:CAMP4・KIOSK新たにキャンプの申し込み→CATHEDRAL他、偵察

9/6 WED.

19日目:晴れ COOKIE CLIF(道路が不通だった頃は行くのが難しかった様だが、ちょうどこの頃開通したらしい)とREED’S PINACLE→WAWONAで給油→CHURCH BOWLでクライミング→HOUSE KEEPINNGでシャワー・洗濯

<ヨセミテ~サンタバーバラ~ロス>

9/7 THU.

20日目:晴れ テント撤収→YOSEMITEを去る→MERCED・思っていたより小さい町。

→海岸沿いを葡萄を摘みつつドライブ。

内陸の砂漠に負けず不毛地帯が続く。

海岸にはペリカンがいっぱい飛んでた。

途中テキサス料理食べたが肉がうまかった。

→海岸にぽつんとあるモーテル(泊)

9/8 FRI.

21日目:曇りのち晴れ →ORCUTでお昼→SANTA BARBARでボルダー。

JANDO MOUNTAINEERINGというSHOPで買い物した後、SOMETHING FISHEYでカリフォルニア寿司を食べる。

コックさんの格好をしているのに帽子に根性とか変な文句が書かれた鉢巻をしていた。

結構面白い。

→VENTURE近くのモーテル(泊)

9/9 SAT.

22日目:晴れ  →ロスのスポーツショップで買い物→HERTZに車返す→ロスアンゼルス(現地時間14:50発)→成田(日本時間9月10日・日曜日・17:30着)到着ゲートに倉田の両親が待っていてビックリ。

ここで三好さんと別れて、森広さんと倉田は車で帰宅。

お疲れ様でしたー。

 

一ノ倉沢 烏帽子沢奥壁南稜

2000年9月10日
本郷、関、一ノ瀬(記)


9月8日

夜、本郷号で出発。

あやしい天気とは思っていたがまさか水上が土砂崩れ&道路が川になっているとは。

初めての本チャンも水に流れてしまうのだろうか・・・。

9月9日

凹状を予定していたが、相変わらず雨模様の為、今日の本番はおあずけ。

午前中は前夜合流した柴田さん、赤井さん組と水上道の駅で室内壁を登る。

私だけ汗びっしょり。

午後は谷川岳入口で私は懸垂下降の特訓、その他メンバーはにわかレスキュー講習会となる。

9月10日

ちょっと寝坊ぎみで今日は南稜へ。

初めての本番、初めてのアルパインである。

緊張と興奮でほとんど取り付きまでは覚えていない。

ただ、本郷さんの「落ちるな」

「ここ落ちたら死ぬぞ」

とか「ここで落ちて死んだ奴はたくさんいる」

などの脅し文句が耳に残っている。

必死で本郷さん、関さんの後をついて南稜テラスへ。

取り付きまでがこんなに大変だとは思わなかった。

テラスで一服して取り付くがまたここからあまり記憶にない。

最初の数ピッチを本郷さんがリード、あとは関さんがリードする、あとは場面がフラッシュバックするのみだ。

それと最後の馬の背リッジ、終了点手前のフェースがちょこっと覚えてるかな程度。

終了点で「物足りないだろ」と言われたが答えようがなかった。

終了点到着時間は13:30、ここから同じルートを懸垂下降で降りる。

最終フェースを降りてザイルを引くと終了点の岩にザイルがひっかかってしまった。

私の懸垂の仕方が悪かったのだろう。

難儀をして関さんが登り返し直してくれた。

そこらへんから天候が崩れてきて雷雨模様。

ガスも谷川を包み込み始めた。

雷こわーい、などと言っている状態じゃあない、必死の懸垂下降は続く。

そういえば後続パーティーがいたような気がしたが、天候不良で引き返したのだろうか?
人気のあるというこのルートは結局私達だけだったようだ。

神経集中眉間にしわをよせながら懸垂し南稜テラスに到着。

問題はここから。

実は一番恐かったのがこのアプローチの下りだった。

雨に濡れたスラブは恐く、びびり腰で歩く。

「落ちる時は声出してから落ちろ」

「・・・。」

ここでも脅される。

なんとか無事に一ノ倉沢出合へ着いた。

登ってしまった喜びと満足感でにたーっと笑みがこぼれる。

以上が私のアルパインクライミング初体験の記録とはいえない感想です。

とにもかくにも今回私を完全バックアップしてくださった本郷さん、関さん、ありがとうございました

 

Regular Northwest Face, Half Dome

2000年8月27日から2日間
倉田、中嶋(記)


今回のヨセミテ行きでメインととらえていた課題。

壁で数泊してエイド主体で登るパーティもいると同時に、登攀装備以外ほとんど持たずにワンデイで登るパーティもいるということで、スタイルや装備などをパーティの力に応じて選択しなければならない。

こんな時のためにフリーを頑張ってきたのだから当然選んだのは速攻スタイル。

運良く小柳さんと森上さんからルートに関する詳細な情報を伺うことが出来たので、特にギアに関してはその量を大幅に減らすことができてスピードアップにつながったと思う。

Camp4を5:00起き、6:00出発、車でHappy Islesまで行き6:30出発、ハーフドームの肩に着いたのが10:30、まずまずのペースだ。

途中目をつけておいた泉で水を6L満タンにした。

壁の取り付きでも水が出ているという情報もあったが、時期が遅いと枯れている可能性もあるということで用心のため下から水を確保した。

実際は枯れてはいないものの湧いてもいなくて小さな水たまりがあるだけだったので当てにしなくて本当に良かった。

ケルンが随所につまれた取り付きへのアプローチをたどるとだんだんと北西壁が見えるようになってくる。

正直いって思ったよりも小さく感じた。

ただ傾斜の強さと壁の美しさは想像していた通りで、特に壁の右半分などはラインを引くのが絶望的に見えた。

今回登るRegular NW Faceは壁の弱点を見事に突いているが、それでもフリーでは5.8以上のピッチが連続し、エイドも頻繁に入るのだから、壁全体の弱点の少なさは日本の壁では考えられないレベルだ。

この壁はエルキャプなどと違いぎりぎりまで間近で眺めることが出来ないのでルートファインディングに少し不安があったが、取り付きから眺めただけで13、14、15ピッチ目のチムニーが明瞭に判り、先行パーティもいたためライン取りへの不安はほとんど無くなった。

各自用足しなどをすませて11:30登攀開始。

一日目のうちに11ピッチ目までを登り、トポにpoor bivy と記載してあるテラスでビバーク。

狭くて岩がごつごつしていて快適とは言い難いけど、横になって眠れただけでも良かったかもしれない。

翌日明るくなると同時に登り始め、頂上に着いたのがちょうど18時だった。

頂上に30分程いた後下降を開始するが、途中で倉田さんとはぐれてしまい自分だけCamp4に戻るという事態になってしまった。

正直言って本当に死んでしまっているのではと思って気が気ではなかった。

翌朝倉田さんが戻ってきたときにようやくハーフドームが終わった。

次はロストラムやアストロマン等のより難しいロングルートをやりたくなった。

その次はエルキャプ、いつかはトランゴと夢はひろがります。

その時のためにもっと上手にならなくては。

<以下資料編 各ピッチ毎の概要>

(1P: 5.10c) 中嶋

いきなり50m以上のスケールなので結構疲れる。

この10cは冷静に考えればフリーで行くつもりのピッチの中では最高グレードだったことに登りながら気がついた。

10cのところは1point、せいぜい2手ぐらいだがかなり難しく感じた。

(2P: 5.9) 倉田

トポが良いのでルートが判りやすい。

5.9だけど、荷をしょってのフォローは思った以上に悪い。

(3P: 5.8) 中嶋

快適。

目指すビレーポイントの岩の形に特徴があるので分かりやすい。

(4P: 5.9) 倉田 (中嶋ユマール)

出だしから人工。

ユマールで楽させてもらった。

(5P: 5.9) 中嶋

気持ちの良いクラックが続く。

(6P: 5.9) 中嶋

同じく気持ちの良いクラック。

時間を稼ぐため中嶋リード。

(7P: 5.8) 倉田

みんなから唯一迷いやすいと忠告をもらっていたピッチ。

おかげでスムーズに行った。

(8P: 5.8) 中嶋

いきなりかなり右にトラバースするのだが、ラインを外してしまった。

フォローには悪かった。

(9P: 4th) 倉田

4級ってこんな感じか?なにしろルートファインディングが面白い。

さすが古典。

(10P: A1) 倉田 (中嶋ユマール)

久々のA1、この後のピッチも含め振り子用の残置支点や振れ止めのスリングは充実している。

(11P: 5.9) 中嶋

ロビンストラバースのピッチ。

怖くて難しい。

ロビンスすごい。

トラバースが終われば快適クラック。

倉田さんが着くころには暗くなってきたのでこのピッチの終了点でbivy。

狭くて快適とは言い難い。

それでも憧れの岩でのbivyは良いものだ。

星がきれいだったが運良くそれほど寒くなくてよく眠れた。

(12P: C1) 倉田 (中嶋ユマール)

スクイズチムニーは難しそうなので、左のクラックをエイドで倉田さんに行ってもらう。

時間はかかっても着実に登っていってくれるので助かる。

振り子の後のロープの回収ではまってしまった。

唯一の失敗とはいえ情けない。

(13P/14P: 5.7) 中嶋

チムニーが連続する2ピッチ分をつなげて登る。

後半チムニーのサイズが大きくなり、露出感満点なのは良いけどちょっとこわくてとても疲れた。

ザックを始めからぶら下げておけばもっと楽だったと思う。

ピッチを切るところが少し判りづらい。

(15P: 5.8) 中嶋

さらに続く狭めのチムニーから抜けるまで。

ここは5.8にしては悪い。

(16P: 5.9) 中嶋

凹角を右上していくとだんだん傾斜がましてきて気持ちの良いクラックになる。

(17P: 5.9) 中嶋

ちょっとクライムダウンして右にトラバースしてからクラックを直上。

登り詰めたところがBig sandy Ledge。

このピッチで先行パーティに追いついてしまいあせったが、ここまで結構とばしてきたのでゆっくり休憩する。

(18P: C1) 倉田 (中嶋ユマール)

フリーだと11d、とてもきれいでいずれはフリーで是非とも挑戦したいと思わせるピッチだった。

(19P: 5.10b) 中嶋

わざわざZig Zagsなどという名前がついているだけあって面白い形状のコーナークラックのピッチ。5.10bだからフリーで狙えると思っていたが、疲れのせいか高度感によるびびりからかテンション交じりで情けない結果に終わった。

傾斜がとても強く感じた。

(20P: C1) 倉田 (中嶋ユマール)

長めで苦労しているようだった。

ユマールで楽させてもらった。

(21P: 5.8) 中嶋

このピッチはすごい。

信じられないような高度感の絶妙なレッジが10m以上続いている。

写真を撮っておけばよかった。

なにしろ迫力満点で自分としてはめずらしく足がすくみまくった。

続くオフィズスでもキャメ4は使わなかったので持ってこなくても問題なかっただろう。

このピッチを登りだしたころに雨が降りだした。

ビレー中は向かいの山にバリバリ雷が落ちていてけっこうビビった。

(22P: A1) 倉田 (中嶋ユマール)

人工のピッチ。

いよいよ頂上の庇が迫ってくる。

おかげで雨には濡れにくそうだった。

(23P: 5.7) 中嶋

アンダークリングとちょっとA0した後、庇を左に回り込んでひたすら登ると広大な頂上。

頂上では先行のフランス人パーティがラーメンをご馳走してくれた。

飢えていたから本当にうまかった。

登攀終了18:00

全22ピッチ、中嶋はうちユマーリングが6ピッチで残りはすべてフリーでリードかフォロー。

予定していた通りの素晴らしいスタイルで登れたと思う。

<装備一覧>

ロープ 10.2mm×60m

補助ロープ 6mm×60m (お守り、使用せず)

スリング短 10 長 3

カラビナ 14

環付ビナ 6

下降機 2

確保機 2

ユマール 1 set

デイジー 4(各自2)

アブミ 5(各自2+予備1)

ヌンチャク 8

キャメロット 0.5~4(計7) 4はなくても良い

フレンズ 1.5~3.5(計5)

エイリアン 青~赤 2 set (計8)

ロックス 0~9(計10)

ナッツキー 2

シューズ

チョークバッグ

テーピング

ツェルト 1

水 6L

食料 パワーバー20 リンゴ1 ビーフジャーキー2

 

谷川岳 幽ノ沢 左ルンゼ敗退

2000年8月26日
本郷、関、宮島(記)

完全に寝坊した。

時計はすでに8時をまわっている。

ダラダラと準備をしてとりあえず幽ノ沢へ向かうが、足取りもはかどらない。

二俣の大滝上にて大休止する。

時間的な問題によりルートを左方ルンゼ登攀~同ルート下降とする。

結局核心部のA1ラインが崩壊しておりTHE END。

アプザイレンを開始した。

だが今日の敗退の原因はルートの崩壊などではない。

予定通り出発したと思われるM山岳会のパーティは緊張したコールを連発させながらも我々の予定していたルートを登っていた。

又、左方ルンゼにはもう一つラインがあり、最初から予定していてルート図があれば完登できていたかもしれない。

つまり直接の原因は寝坊だと考えた。

確かに夕べの到着は少々遅かったが、明日の登攀にそなえてすぐ眠っていれば少々朝寝坊したとしてもこんなことにはならなかっただろう。

クラシックルートなどいつでも登れるくだらないものかもしれない。

ぼくの登山歴だって人に言えるようなたいしたものではない、自己満足の積み重ねだ。

しかし今日の自分の不快な姿には自己満足もできない。

情けなく、ただくやしい思いだけが残った。

思い返しても、ただただ自分自身に対して腹立たしく情けなくくやしい。

 

 

北ア 黒部丸山 1ルンゼ~剱岳 平蔵谷フェース中央ルンゼ~名古屋大ルート

2000年8月17~20日
本郷、関、宮島(記)

今回のプランは、丸山から立山、さらに剱岳と3つの壁を登攀しながら縦走するという壮大なものだ。

岳人に憧れる私好みのプランであるが、何せ復帰2戦目でもある。

同行の二人には本当に感謝したい。

~入山日(丸山1ルンゼ 左ルート)~

1ルンゼ取り付きは落石の集中する所だ。

取り付き手前でザイルをつけ登攀開始。

全装備、水を背負っての登りはIII級でもシンドイ。

特に核心のIV+は泣きそうだった。

トップの関くんを本郷さんとほめたたえる。

終了点で傾斜はぐんと落ちる。

ザイルをといて、踏み跡を歩き出す。

が、そのうち草がやたら濃くなり、所々現れる露岩もいやらしく、再びザイルをつける。

そうこうしていると、ついに草におし戻されるように、前に進めなくなってしまった。

稜線まであと3ピッチ程度という所で、検討委員会を開く。

壁にとどまり不確定要素の多い状況下で翌日再び稜線を目指すか、より確実(快適そう)な内蔵助平へ下降するかだ。

安全重視(快適重視)の我々は全会一致でアプザイレンを開始(16:30頃)。

明るいうちに1ルンゼの下降を終了した。

後はダラダラを内蔵助平へ下るだけだ。

~2日目(内蔵助平~真砂沢)~

再び検討委員会を開く。

結局予定を変更し、行ってみないとよくわからない立山ではなく、勝手知ったる真砂沢を目指すことにする。

入山2日目ではあるが休養を兼ねて本日は移動日としたのだが、キャンプ場に着いた頃は、みんな必死の形相となっていた。

本郷さんの友人の加藤さん一行のテントで酒と食事をごちそうになり生き返った。

~3日目(真砂沢~平蔵谷下部上部~剱沢)~

みんな今日が勝負の日と心得ている。

今日登っておかないと、丸山の1本だけで合宿が終わってしまうかもしれない。

平蔵谷の雪渓は、取り付きがバックリと口を開けている。

本郷さんトップでボラードにてアプザイレンするが、恐ろしかった。

中央ルンゼルートは壁の中の自然なルートでいかにもクラシックという感じがする。

それにしてもルート図はメチャクチャだ。

合っているのはラインだけで、ここまでいい加減なルート図も初めてだった(「日本の岩場 下」)。

大休止のあと上部岩壁へ。

成城大ルートは先行パーティがおり、天候も不安定な様子の為、(本郷さんには申し訳ないが)以前登っている名古屋大ルートを登攀する。

まさにこれしかないというライン取りに感動する。

あわよくば成城大ルートもなどとのたまわっていた私が一番ホキている。

源治郎尾根の下降では、少々遅れてしまった。

翌日の為、テント場を剱沢へと移動するが、新人の頃のホキホキだった事を思い返したり、今日の充実した登攀をかみしめていた。

~4日目~

最終検討委員会を開く。

計画を遂行する為にも、立山を目指すか。

早めに安全地帯である、室堂を目指すかだ。

だが決をとるまでもなく、パーティの心は一つになっていた。

敢えて最終日に危険を冒してギリギリのアタックをかけるべきではない(早く温泉につかり、下界のメシを食らおう)と英断したのだ。

「桜」では合宿が無事終了した事、天候にも恵まれた事などを、ギョーザを8人分注文して祝った。

 

 

剱岳 八ツ峰 Ⅵ峰Cフェース剣稜会、本峰南壁A2ルート

2000年8月14日から19日
櫻井(記)、高橋

8月14日

黒四ダム – 真砂沢出合い

夏の内蔵助平は初めてだった。

雪のある時は疎林の雪原といった感じだが、夏は濃い緑の中少々息の詰まる歩きだ。

昼過ぎに真砂小屋前のキャンプサイトにテントを張る。

この日の核心は二俣に1年前デポされた食糧などの回収だ。

二俣までは河原の散歩を40分ほど。

八ツ峰側の大岩わきの急斜面にある、と聞いていたがどこも背たけを越すフキのような草で覆われている。

河原を歩き回りこの辺だろうという所を下から角度を変えながら眺めると吊ってある細ひもがなんとか見つかった。

草をかき分けゆるい泥壁をずるずるさせながら登って一斗缶に触れるところまできたが、頭の上に吊り下がっている重い缶はどうにも手では支えられそうもなく、結局、缶を別のラインで確保しなおし、古いひもを切り落として何とか回収できた。

なんだか救助訓練をしているようだった。

隣にはサンナビキの青い袋がやはり枝にぶら下がっていた。

食糧(冬用で楽しいものは含まれてなかったけれど)、燃料をたっぷり調達してこれで一安心。

キャンプサイトは雪渓のすぐ下で夜は吹き降ろしの冷風で寒かった。

8月15日

長次郎雪渓-Cフェース剱稜会ルート-Ⅴ、Ⅵのコル-長次郎雪渓

早起きしたつもりだったが長次郎の雪渓には先行パーティが10人くらい見える。

結局5パーティの4番目に取り付く。

岩とのコンタクトラインも開いたところもなく安定していた。

評判の通り簡単だが景色が良く爽快なルートだった。

昼過ぎには終了点に着いたがガスが濃くなってきたので八ツ峰の上を回るのは止めⅤ、Ⅵのコルに降りた。

この辺はゆるいスラブ状に石がゴロゴロしていてやっかいだった。

雪があればスタスタだろう。

長次郎雪渓を下りテントにもどった。

8月16日

休養日(櫻井)

長次郎雪渓から本峰頂上往復(高橋)

8月17日

真砂沢出合いから別山平

8月18日

別山尾根から平蔵谷のコル-南壁A2取り付き-A2-頂上-別山尾根

平蔵谷のコルの下は山靴にアイゼンをつけての雪渓トラバースとなりちょっとしたアルパイン気分だった。

ここには我々を含め3パーティが取り付いていた。

上部はスレート状の岩のエッジが非常に鋭く、しかもはがれ易いのでロープを傷めないように気を使ったが、登り自体の難しさは無かった。

この日は天気も良く1日中のんびりした気分だった。

私は頂上に抜け出るバリエーションが大好きなのだが、穂高の稜線を歩いた程度の感じしか無かった。

8月19日

室堂から下山

去年のヨーロッパの後から肩を傷めてしばらく岩から遠ざかっていたことと、新人を連れての山行でバリエーションとしての刺激は無かったが、初めて夏の剱岳を体験しその良さも、人の多さも納得できた。

夏山とは言え山靴とアイゼンは必携だった。

 

前穂高岳 屏風岩トリプルジョーカー

2000年8月13~16日
向畑(記)、倉田

倉田さんからタイムレコードを渡され、「私はアメリカに行ってしまいますので記録をお願いします。」と言われてしまった。

でも、そうこうしているうちに、早くも9月になってしまった。

日本に帰ってくる前に記録を書いておかないとおこられそうなので、さっさと書いてしまおう。

とりあえず、本当にヨセミテ行きの直前になってしまったけど、なかなか実現できかったエイドの練習に、何とか付き合うことができて良かったと思った。

実際、ハーフドームもフリー主体で登るはずなのに、エイドクライミングの練習が必要なのかどうなのかは私にはよくわからなかったけど、次に考えている課題のこともあるのかなと思った。

私の腰の調子は結局良くならず、出かける3日くらい前に行った、西武ライオンズの選手も通っているという新所沢の整体の先生にも、山に行くのは「無理です。絶対にやめた方がいいです。」と断言されてしまった。

けれど、今まで10年近くも無理をしながらやってきたので、もう1回くらい無理をしても、別にどうってこともないだろうと思って出かけることにした。

当初、屏風の取り付きまでザックを背負って歩けるかどうかがとても不安だった。

担ぐ自信がなかったので、めずらしく酒も持って行かなかった。

そんな状態でも、倉田さんに引っ張ってもらって、何とか登ることができてしまった。

ただ、腰痛だけでなく、最近全然山に行っていなかったこともあって、荷物をたくさん持ってもらっていた倉田さんに、常に遅れて歩いていた自分が結構情けなかった。

まあ、そういったいろいろなことは差し置いて、トリプルジョーカーは、斉藤3兄弟(注、本当の兄弟ではない)のルートなので、以前から一度登ってみたいと思っていた。

青白ハング沿いのコーナークラックを目指せば良いので比較的ラインもわかりやすく、屏風のエイドルートのなかでも登りやすいルートだと思う。

8月11日

台風がきている。

進路予想では日本列島に上陸しそうだし、天気予報も13日以降は雨になっている。

事前の打ち合わせでは、①とりあえず突っ込む。

②12日は横尾泊まりとし、様子を見る。

③中止にし、小川山等に転進する。

④中止にする。

という4案が出された。

私は内心③④を期待していたが、倉田さんによって①と④は直座に却下され、②にするか③にするかは出かけてから考えることにした。

21時に出発。

中央道に乗ってから、とりあえず、晴れの予報の12日は小川山に行って様子を見ることにしたが、万一の場合、一度インターから出てしまうと高速料金がもったいないので、八ヶ岳サービスエリアのバス停から階段で下に降りたところにある、高速バス利用者のための駐車場にテントを張った。

8月12日

台風の速度が遅く、朝の予報でもはっきりしないので、一度高速を降りて予定どおり小川山に行った。

その日のうちに再び中央道に乗り沢渡を目指すが、駐車場に車を入れるとお金がかかってしまうので、手前の奈川渡ダムの駐車場にテントを張った。

8月13日

朝起きたら晴れている。

天気予報を聞くと、台風は東の方にそれて行きそうな気配だ。

とりあえず横尾まで行ってみようと思い、連絡先の小谷さんに最終下山を15日から16日に変更してもらって、沢渡から上高地行きのバスに乗った。

上高地から横尾に向かう途中、自分のザックの上にさらにザックを乗せ、ダブルボッカしてトレーニングにはげんでいる本郷さんと息子さんに遭遇した。

倉田さんは、耳のピアスをいきなり本郷ジュニアに引っ張られて痛がっていた。

おもしろかった。

後から、しばらく遅れてうわさの奥さんと娘さんにも会うことができた。

娘さんには、飴をめぐんでもらった。

徳沢までは晴れていたが、横尾に着いた頃から雨がぱらつき始めた。

それでも、もう少し行ってみようと思って歩いて行ったが、梓川を渡渉した頃から本降りとなったので、13時頃対岸の1ルンゼ出合いにツェルトを張った。

こんなことなら横尾で泊まればビールが飲めたのにと思ったが、もう遅かった。

渡渉する時、最初の飛び石に乗ったらいきなり滑って川にはまり、靴が濡れてしまったので靴をはいたまま渡渉した。

靴は、16日に上高地に着くまでずっと湿ったままだった。

その日は、暇だったので雨の中、流木を集めて盛大な焚き火をした。

小川山と違い、立派な薪がいくらでも落ちていた。

8月14日

4時30分起床。

連日の睡眠不足で、前日2人とも明るいうちに寝てしまったにもかかわらず、早起きができずに出発は6時頃になった。

横尾を朝出てきたクライマーに次々と抜かされていく。

天気は1日中晴れで、とっても暑くて、この日は2人合わせて水を2.5リットル程度飲んだ。

T4尾根取り付きに7時、T4に9時、緑ルートの1ピッチ目をトラバースし、トリプルジョーカー取り付きへ。

このⅢ級のトラバースが意外と悪く、「ホールドがはがれて落ちそうになった。」とかしゃべっていたら、倉田さんに「下に道があるのに、なんでわざわざ難しいところを登るんですか。」

と冷たく言われてしまった。

トリプルジョーカーに取り付いたのは10時。

荷揚げの練習もしたいとのことなので、1つのザックに荷物をいっぱい詰め込んで荷上げした。

特に、デポしていくものもないので、フォローはほとんど空のザックを背負いユマーリングした。

1ピッチ目、倉田リード
緑ルートから、右のクラックに移る。

倉田さんはけなげにも残置には触れずに登っていたが、クラックと緑ルートのピンは50㎝くらいしか離れていない。

2ピッチ目、向畑リード
見栄えのするコーナークラック。

カム類が足りなくなるかもと思い、上でも使いそうなギアは回収しながら登る。

かなり斜上するので、フォローは苦労したみたい。

私の方は、今年に入ってからはまともに壁を登っていない。

また、エイドクライミングにいたっては2年ぶりなので、慣れるまで怖くて腰が引けているのが自分でもわかった。

ビレーポイントについて久しぶりに荷揚げをしてみたが、荷揚げはとっても腰に悪いことがよくわかった。

3ピッチ目のバンドをトラバースして16時30分に大テラスへ。

ザックを置き、バンドを少し戻ってフイックスに向かう。

4ピッチ目、倉田リード
緑ルートの左にあるクラックやリスをつなげ、フリーフォールと合流する緑ルートのビレーポイントへ。

ラインが多少わかりづらい。

ビレーポイントは上と下に2ヵ所あり、下から指示して上の方まで行ってもらったが、ルートの形状やテラスの安定度から「下で切るべきです。」と言われてしまった。

自分も次の日に登ってみてそのとおりだと思った。

また、倉田さんに「右のクラックがフリーフォールですね。」と言われるまで気づかなかったが、6年前に登った時にリードした、逆三角形ハングのトラバースがはっきりと見えて懐かしかった。

フィックス終了18時30分。

大テラスに戻りビバーク。

事前に場所取りしていたにもかかわらず、この日の大テラスは貸切だった。

8月15日

5時起床。

取り付きまで戻り、6時30分ユマーリング開始。

ザック1つを大テラスにデポしたので、フォローも空荷となった。

この日も1日晴れたが、風があって前日よりも涼しかったためか、水は2人で1.5リットル程度しか飲まなかった。

5ピッチ目、向畑リード
緑ルートのラダー。

トラバースなので、荷揚げを終えてからセカンドもフォローで登った。

6ピッチ目、倉田リード
緑ルートのビレーポイントから、すぐ横を通過しているディレッテシマのラダーをたどり、ディレッテシマがハングを直上するところで分かれてハング下を左にトラバース。

ハングに沿ってクラックを使い回りこみ、青白ハング下の立ち木まで。

7ピッチ目、向畑リード
小倉ルートのラダーに移り、小倉ルートが青白ハングを右に超えているところで左に分かれ、ハング下のコーナークラックへ。

一応、ここがAA2で核心となっているようだ。

ただ、下のコーナークラックと異なりこのピッチはネイリングも必要なため、回収できなくなったと思われるピトンが数本残置されている。

コーナークラックの出口からはフリーになる。

それほど難しくはないが、多少岩がもろそうなのと、緑ルートと合流するまでの5mほどはピンが取れない。

8ピッチ目、倉田リード
緑ルートのラダー。

ここから上部は緑ルートをたどる。

9ピッチ目となる緑ルートの最終ピッチの草着きバンドを右にトラバース。

立ち木のところから、さらに上部の樹林帯へと踏み跡は続いているが、懸垂できそうなのでここから下降することにした。

終了は15時30分。

大テラスを目指し、右へ右へと斜めに下降。

懸垂2回で鵬翔ルートと思われるビレーポイントへ。

ここから45mの空中懸垂で大テラスへ。

大テラス下側の支点に回りこみ、50mいっぱいの懸垂でT4へ。

T4着17時。

T4尾根下降は多少の順番待ちがあり、T4尾根取り付きに戻ったのは18時30分。

横尾着は19時30分。

私は例によってらふらになりながら、倉田さんに大きく遅れてついていったが、「遅くなって小屋が閉ってしまうとビールが買えなくなってしまう。」

という私の切実な訴えを聞いたとたん、倉田さんは横尾に向かって猛然とダッシュ。

ものすごい勢いで横尾の小屋に駆け込んで、ビールや酒、つまみなどを買い集めていた。

一応、下山の連絡を入れてからツェルトを張ったが、外の方が気持ちが良いので表で飲んでいたのがいけなかった。

寒さで目がさめると、1人だけツェルトの外で寝ていた。

ツェルトの中に入って入り口を閉めようとしたら、どういう訳か入り口のチャックが壊れていて締まらず、結局朝まで寒かった。

8月16日

何時に起きたか不明、出発も不明。

とりあえず午前中は天気が良くて、とても暑かった。

2日酔いで頭が痛かったが、多分上高地には昼前に着いた。

沢渡行きのバスには長い順番待ちの行列ができていたが、不景気のためかタクシー乗り場はガラガラだった。

同じような2人組が来るまでちょっとだけ待って、乗合タクシーに乗った。

沢渡に着くと同時に雨が降ってきた。

逆巻温泉もちょっとだけ飽きたので、少し足を伸ばして白骨温泉に行ってみた。

ちょうどお盆の観光シーズンのため、人がいっぱいで日帰りの露天風呂も込んでいた。

倉田さんが順番ノートに名前を書いてもらって待っていたら、名前を呼ばれたので受付に行くと、受付のおじさんは、倉田さんの顔をまじまじと見ながら「男性の方2名ですね。」といって男性用のロッカーキーを渡そうとしたらしい。

激怒した倉田さんに、「男1人、女1人です。」

と言われたおじさんは、恐れおののいて、慌てて1つを女性用のロッカーキーと交換して渡してくれたらしい。

その時私はその場にはいなかったが、多分おじさんはその場にいなかった私のことを女だと思って、女性用のロッカーキーを渡したのだと、内心思っている。

●持って行ったギアなど

ロープ 10.5㎜×50m=1本

9  ㎜×50m=1本

フレンズ         =1セット

キャメロット       =#1~4.5(#3、4は2個ずつ)+#0.5、0.75

エイリアン        =1セット(#3/8、1/2、3/5は2個ずつ)

ロックス         =1セット

ピトン          =ナイフブレード、ロストアロー、アングル、普通のクロモリ、軟鉄ウェーブなど適当

※ピトンはあんまり使わなかった。

ナイフブレード、ロストアロー、アングルが数枚ずつあれば十分でしょう。

スカイフック、ラープなど =各種
※使わなかった。

水            =6リットル

●その他

白骨温泉では、私たちは旅館がやっている日帰り露天風呂(800円)に入ってしまったが、公営の日帰り露天風呂(500円)もあった。

観光客の多さに比べて駐車場が少ないのが難点。

下山した3日後、倉田さんと中嶋夫妻がヨセミテへと旅立った8月19日、私は再び新所沢の整体を訪れた。

その時の先生と私の会話。

先生「やっぱり行ったんですか。まあ、断れない約束とかもありますからね。でも、もう絶対だめですよ。」

私 「山じゃなくって、フリークライミングとかもだめですかねえ。」

先生「そういうことは関係ありません。絶対にだめです。」

私 「大体いつ頃までだめそうでしょうかねえ。」

先生「期間の問題じゃなくて、私がいいと言うまでは絶対にだめです。」

私 「・・・・・・・。」

最後にとどめの一言。

先生「私は、普段はだめだということはあまり言わない方なんですが、それでも、絶対にだめです。」

ということで、また、しばらくはクライミングができない苦しい日々が続くことになってしまいました。

 

 

谷川岳 幽ノ沢 V字状岩壁右ルート

2000年8月6日
関、宮島(記)

久し振りの岩登り。

それも幽ノ沢。

昨年までシビアな沢に行っていた訳でもない。

ルートは入門ルートのV字右ルートだが、全ピッチ関君にリードしてもらう。

気分は新人、というより、トーシロといったところだ。

~アプローチ~

二俣手前で雪渓が出現するが、途中で終わっている。

ガチャをつけ始め何げなくアイスハンマーを雪渓に刺すと”ボコッ”という恐い音が、響きわたる。

壁に貼りつくように準備する。

先行はいやらしい草付きから展望台を目指しているが、我々は大滝を渡り左のカンテから二俣に至る。

~ルート~

所要時間2時間半

カールボーデンが急になった所でザイルをつける。

3ピッチで取り付きへ。

ルートはルンゼ状を登り、ラインは明瞭だ。

開放的なロケーションと適当なグレードで快適なクライミングを味わえた。

~下降~

堅炭尾根までは二人共初めての為スタッカットで登る。

芝倉沢の下りで足が笑い出した頃、目の前にズタズタの雪渓が広がっている。

上を行くか下を行くか協議するが、下を行くことにする。

ブッシュ支点でアプザイレンし、沢床へ降りる。

その後はスノーブリッジを3~4回くぐり抜け滝を下降する。

出合いについて、よかった、よかったと思った。

1時間後に、鉄砲水があったとのこと。

有名人にならなくて本当によかった。

 

北岳バットレス ピラミッドフェース~4尾根~中央稜

2000年7月22~23日
関、本郷、椛島(記)、他

今回のメンバーは、関さん、本郷さん、私の他に、本郷さんの友人の都岳連遭難対策委員の方が三名、というもの。

大人数で賑やかな山行だった。

金曜日の晩広河原に午前2時半頃着く。

4連休の最中とあってか、物凄い車の数。

本郷さんも「こんなの初めてだ」と目を細めていた。

軽く酒を飲んでいると空が白みがかかって慌てて寝入る。

7月22日(土)

容赦なく日が照り付ける下ゆっくりとアプローチをこなす。

昼前に大樺沢二股手前の大岩の下にベースを置く。

大樺沢は幕営禁止になっているが、結構いいテン場が点在する。

中でもこの大岩の下は白眉だと思う。

大岩ではボルダリングも楽しめる。

時間が中途半端だったので下部岩壁あたりで遊ぼうと思い上まで行くが、雨がぱらついてくる。

ガチャをC沢出合いにデポしてあとは宴会に突入。

遭対の方にひとり往年のバックパッカーがいらっしゃって、30年前のインドの話など伺う。

またべろんべろんに酔って

ボルダリングに挑戦しようとしたら、死にそうになって焦った。

7月23日(日)

3:00起床 4:00テン場発 5:30ピラミッドフェース取付き 8:30 4尾根上 13:00頂上

天気は上々。

いかにも梅雨明け直後といった感じの蒼い空。

関・椛島パーティーはピラミッドフェース~4尾根~中央稜の継続へ向かう。

本郷パーティー4人はCガリー大滝から4尾根へと向かう。

以下、関パーティーの記録と感想。

ピラミッドフェースでは、トポにある4P目の「小ハング帯の切れ目に食い込むバンドを右上」というところを、間違えて手前のバンドからまわってしまったようだった。

4尾根は、気持ちよかった。

炎天下のIII級ピッチのフォローはスタミナを消耗させる。

4尾根から中央稜への懸垂は、枯れ木テラスからダブルで一回。

ザイルの回収でラクが起きるくらい浮石が多い。

取付きは雪渓が厚く残っていた。

その上に威圧的に中央稜が聳え立っている。

中央稜ノーマルルート1P目関さんリード。

かぶり気味のフェースⅣ+から(本来2P目の)ルンゼで50mいっぱい。

フォローしていて怖かった。

2P目椛島リード。

バンドを20mほどトラバースしてハングを超え、稜に出る、IV+。

トラバースしていて、どこからハングを超えていいのか見えなかった。

緊張感溢れるピッチ。

お勧めです。

残りの簡単な2Pで中央稜も終了。

後は頂上まで踏み跡を3分行くだけ。

ところが…

最後の最後で関さんが「よし、かば、Cガリー奥壁に継続だ」と言い出す。

私は関さんの言うその2ピッチの壁が、ボロボロで登り様がないものに見えたのだが、関さんは「これで最後頂上に直接行くのがかっこいいよなあ。たまんないよなあ。 」と壁に見入っている。

どうしようかと思っていたところで、頂上に先に着いていた本郷さんの姿が見えた。

「おーい、早く来なよ。新聞記者が写真を取りたいってさ。全国紙だってよ。 」

我々はCガリー奥壁のことは忘れ、乱れた呼吸を整え、眼鏡のずれを直し、額の汗をぬぐって意気揚揚と頂上に上がった。

そしてそこには記者とおぼしき人がいて、我々に向けてシャッターを切っていた。

頂上でくつろいでいる縦走のおばちゃん達も一斉に我々に目を向ける。

気分はまさに英雄。

記者さんいわく、あと数日もすれば、その某○旗誌に我々の勇姿が載るとのことだ。

何はともあれ全国版。

嬉しい限りである。

くだりは八本歯のコルのあたりから下る。

「冬のアプローチはあそこをああ行くんだ」などといいながらゆっくり降りる。

薄暗くなる頃広河原を後にした。

いい山だった。