谷川岳 幽ノ沢 中央壁左方ルンゼ

2006年11月4日
森広(記)、倉田

晴れ~曇り。

明るくなるのを待って幽ノ沢に入る。

今日はほかに誰もいない。

我々だけの貸切状態だった。

カールボーデンから左方ルンゼに向かって少し登ったところでロープを出し、2ピッチでT4、さらに左上に2ピッチでルンゼの中に入る。

ここまで残置支点がほとんどなく、確保支点もピトンで補強する。

5ピッチ目は残置支点がかなりあるが、どれも腐っている。

見るからに腐食の進んだピトンは、軽く触れるだけで動いたり、折れたりする。

左から登り、中間のバンドで右に移って、人工で右のカンテに移るが、腐れピンに荷重するのは度胸がいる。

残置支点がゴミに埋まっているところを見ると、ほとんど人が来ていないのかもしれない。

このあたりの高さで、中央壁は岩質が変わって、割れ目が細かく入ったもろいものになり、傾斜も強くなっている。

カンテから小ハングの上に出てピッチを切る。

6ピッチ目から、また残置ピンは乏しくなる。

しかし岩質は比較的硬くなる。

2ピッチで狭いルンゼに入り、少し水の流れている中央を左右に避けて登る。

最終ピッチの確保支点だけ、なぜかぺツルのボルトが打ってあった。

冬用だろうか?コルに出て終了。

カム類が有効に使えた。

中央壁の頭に出て、中芝新道を下るが、芝倉沢に雪渓のかけらが残っていたのには驚いた。

これは越年するかもしれない。

 

 

湯檜曽川 ゼニイレ沢

2006年10月21日
森広(記)

土合駅に泊まって、明るくなってから駅舎を出る。

夜に雨が降ったようだ。

湯檜曽川に沿った道を一ノ倉沢出合まで歩き、沢靴に替えて湯檜曽川を渡ってゼニイレ沢に入る。

出合から二俣まではただガラガラしているだけだ。

少し登ったところにカメラを構えたおじさんがいた。

背後に一ノ倉沢を眺めながら登るはずだが、あいにく霧が低く下りていて、一ノ倉沢は全く見えない。

側壁は泥流堆積物のようで、これが多量の礫を出し続けているのだろう。

この壁は二俣の少し上まで続く。

二俣から川床は長い長いナメになる。

どこからが滝で、どこまでがナメなのか、区別がつかない。

傾斜は微妙に変わり、所々礫の堆積をはさんで、延々とナメが続く。

水は冷たいが、岩の表面を濡らす程度なので、気にならない。

空気もかなり冷たい。

周囲の草や低木が、赤や黄色に染まっていて、日が当たればもっときれいだろう。

スラブが一時狭くなって、再び開けると三俣、ここから藪の中の溝のようになり、正面には岩壁が近づいてくる。

真ん中の溝を登って、ブッシュをこいで一旦小尾根に出て、少し登ると白毛門の登山道に出る。

少し下ったところに展望のいいところがあり、一ノ倉沢が本谷バンドあたりまで見えている。

午後になっていくらか晴れ間も見えてきたとはいえ、稜線はずっと霧の中だ。

紅葉も遠くはかすんで見えない。

ブナだけが既に落葉しているのが目立った。

無人の土合駅には何もないが、電話もなくなってしまっていた。

 

船形連峰 大倉川 笹木沢

2006年9月29日
横田川、森広(記)

笹木沢下降点まで車でいけるはずだった。

その場合、稜線に出てから車に戻るまでのルートが問題で、下降点がはっきりしない上に、林道の奥は崩落していて、懸垂下降して登り返す必要があるかもしれない。

ところが、定義林道は笹木沢下降点のかなり下で通行止めになっていた。

新しい崩壊があったらしい。

笹木沢下降点までは、まだ6kmほどある。

下降ルートも、わからないルートを定義林道に戻るより、船形山を越えて登山道を下ったほうが早いか?途中で泊まることは考えないで、最小限の荷物で出る。

曇り。

林道は崩落現場を修復工事中だった。

林道から小沢を、大倉川に下る。

笹木沢出合まで大倉川を700mほど登る。

笹木沢は、ここから稜線まで標高差が約600m、ゆるやかに登る沢だ。

奥羽山脈に多い明るい色の凝灰岩の川床が延々とナメをつくり、小さい滝を連ねる。

滝は、ほとんど全部直登できる。

後半はやや大きな滝が続き、1つだけ小さく巻いた。

少し途切れながらも延々と続いたナメが終わったように見えるあたりから、ブナ林の中を歩くようになる。

沢の中の倒木に、ナメコが出ていた。

これを収穫するために、最初の休憩。

ナメコのほかにも、ブナハリタケ、ニカワハリタケが少し出ていた。

沢が小さくなって、水が消えてまもなく、12:30、稜線の道に出る。

ところどころでブナハリタケを収穫しながら、緩やかな道を辿り、定義林道への下降点を確認して、船形山へ登る。

思っていたより長い。

樹林が低木林になり、霧で濡れたブッシュをかき分けていると、せっかく乾いた服が、また濡れる。

山頂付近、展望はよさそうだが、今は霧しか見えない。

後白髪山コースを車の近くに下るはずだったが、後白髪山の先で横川コースに入ってしまい、薄暗くなってくる頃に横川林道に下った。

ここから車までまだ4kmあまり。

暗くなっても何となく見えるので、ヘッドランプを使わずに歩いていたら、路面が荒れてきて、何度も足をとられた。

 

南アルプス 大井川 明神谷本谷

2006年8月30日~9月2日
森広(記)、倉田

8月30日

1号線から安倍川に沿って登り、富士見峠を越えて井川ダムに下るころには暗くなる。

田代の駐車場に泊まる。

8月31日

晴れ。

11:03のバスで明神谷出合を通り過ぎて白樺荘まで。

バス停以外には止まらないということだ。

少し戻って明神谷沿いの道へ入る。

取水堰堤の柵を越えて階段を登り、ハシゴを使って沢に下る。

すぐに渡渉。

しばらくは河原だが、まもなく渡渉を繰り返すようになる。

寒いので泳ぎはパスして、ゴルジュ内の小滝を巻き、まもなくオウダ沢出合。

台地があるはずだったが、削られたらしく、奥に狭い場所を見つけて、焚き火をして泊まる。

9月1日

夜から雨、日が高くなっても気温が上がらず、寒い。

カッパを着て前進、瀞や釜は泳がず、小さく巻いて通過する。

西魚岳沢が大きく開けて出合う頃、いったん雨が上がって明るくなった。

天気が回復するのを期待したが、再び雨になる。

ヒルが多いという噂だが、この天気と寒さのためか、全く見ない。

アザミ沢を過ぎて魚無沢に入ると、沢は目に見えて小さくなり、倒木も多くなる。

器械体操のように石積みを越えていく。

伏流になりそうなところで水を汲み、右へ獣道のような踏み跡を見つけて、尾根に取り付く。

稜線まで1時間ほど、三方峰の少し下に出る。

稜線の道は最初やや急だが、やがて緩やかになって、針葉樹林の中を延々と続く。

スカイラインが見えているようで、なかなか登りきらない。

大無間山の頂上に着いたのは、日没近くなった頃だった。

山頂のちょっと下にテントを張る。

9月2日

晴れ。

早朝はかなり冷え込んで寒かった。

緩やかな尾根道を歩いていると、昆虫少年が一人やってくる。

いまどき、針葉樹林で何の虫だろう? 日が高くなると、暖かい。

所々崩壊地のそばを通り、樹林が途切れて眺めがよかった。

小無間山から少し急な下りになり、小さいピークを越えていくが、4つ目のピークに居心地のよさそうな小無間小屋がある。

針葉樹林から落葉樹林に変わり、さらに単調な人工林の中を下って諏訪神社に出る。

昨日と取り替えたいくらい、いい天気だ。

 

谷川岳 一ノ倉沢 滝沢ルンゼ状スラブルート

2006年3月11日
向畑(記)

今年の滝沢はお買い得、ほとんどそれだけの理由で登りに行った。

少なくともここ10年以上毎年見ているが、こんなに滝沢下部が埋まっているのは初めてだ。

そこで、まだ登ったことがないルンゼ状スラブに行くことにした。

11日

2時30分に指導センター出発。

旧道には先週のトレースが残っていたが、標高の高いところは2~3日前に雪が降ったようで、一ノ倉沢の上部では多少新雪が乗っていた。

ただ、くるぶし位までもぐる程度なので、膝やかかとに古傷を抱える身には、かえって歩きやすくて楽だった。

滝沢下部には暗いうちに到着。

10年以上前に第三スラブと間違えて第二スラブを登っていて、今回また、ルンゼ状スラブを登るつもりで三スラを登ってしまうとかなり恥ずかしいので、5時30分を過ぎ、明るくなってから取り付いた。

取り付きのクレバスを慎重に乗っ越すと、わずか一歩で滝沢下部が終わってしまった。

何年か前に三スラを登った時に、ルンゼ状スラブも確認したはずだったが、雪が多いためか、Y字川原もどこだか良くわからない。

行き過ぎたような気がしてかなり急な雪壁を強引にトラバース、左のルンゼに入る。

随分狭いなあと思いながらも登っていると、だんだん岩が出てきて薄いベルグラ登りになる。

さらに50mほど行くと雪壁から小さなリッジに出て、ルンゼは終わってしまった。

何となく、ルンゼ状スラブのさらに左のルンゼを登ったみたいだが、技術的にはそこが一番難しかったかも。

結局、その小さなリッジの右側がルンゼ状スラブで、ブッシュ伝いにスラブ内に降りることができて本当に良かった。

見上げると、200mほど上に一応カーテン状の第一の氷瀑がかかっている。

しかし、近づいてみると、傾斜もスケールも大したことはない。

それでも、失敗は絶対に許されないので、意識して、ゆっくりと、呼吸を整えながら登る。

スクリューが良く効きそうなので、ロープがあれば快適だろうなと思った。

氷瀑の上は再び雪壁で、さらに100mほど上には第二の氷瀑が見えている。

こちらはさらにスケールは小さいが、途中からモナカになってきて焦ってしまう。

その上はさらに雪壁で、7時30分には滝沢リッジに到着。

ルンゼ状スラブは滝沢の他のスラブと異なり、雪壁から直接滝沢リッジに出てしまう。

草付き帯がないのですっきりしていると言えばすっきりしているが、その分滝沢リッジ最上部のドームに続く切れたリッジを登らないといけない。

トレースがついてしまえば簡単になってしまうが、今回、ルンゼ状スラブは2時間程度で終わってしまったのに、滝沢リッジを抜けるのに1時間半もかかってしまった。

どちらかと言えば、こちらの方がロープが欲しかった。

滝沢リッジに出た所で、二ノ沢右壁を上がってくるパーティが見えた。

この2人、後で分かったがYCCの佐野(耕)、畑パーティだったらしい。

右壁側にはできるだけ雪を落とさないようにしていたが、そんなことならガンガン落とせば良かっ………たとは決して思ってません。

ドーム基部9時着。

ここに来るのは4回目だが、ドームも今までで一番埋まっている。

何となく、5~6手程度で抜けられそうな(そんなに甘くはないかな?)気がして、ドームもかなりお買い得かなと思ってしまった。

国境稜線10時着。

西黒尾根を降り、指導センターには11時45分に着いた。

 

谷川岳 幽ノ沢 中央壁正面フェースルート


2006年2月19日
向畑(記)、清水(東京YCC)、長門

18日、23時に湯檜曽駅で清水君と待ち合わせ、指導センターでパッキングして19日、0時30分に出発。

スキーを履いていくが、向畑の20年もののシールはあまり役に立たず、特に斜め斜面でははがれてずれてエッジにかぶさり、何度も滑落しそうになった。

幽ノ沢出合3時頃着、スキーをデポして中央壁を目指す。

2年前に来た時は、気が付いたら左股に入っていて敗退したが、今日は月が出ているので間違うことはないだろう。

取り付きに着く頃ようやく明るくなってきた。

6時30分頃到着。

正面フェースの氷柱は出だしがやや薄そうだが、状態は割りと良さそうだ。

手前のクレバスでロープを結び、向畑リードで7時頃スタート。

1ピッチ目、雪壁をコンテでトーフ岩の基部まで、腐りかけのピトンとスクリューでビレー。

10㎝スクリューが3分の2ほどしか入らなかった。

2ピッチ目、トーフ岩の右側の薄い氷を登り、トーフ岩の上を左に斜上。

「ロープいっぱい」のコールがかかるが、さらに伸ばして左のリッジ状のビレーポイントへ。

ビレーしていると、中尾根に取り付いた佐野(友)、青山パーティが、ものすごいスピードで抜かしていく。

我々が湯檜曽を出た時には、まだ駅で飲んでいたはずなのに。

3ピッチ目、一旦左に戻り、傾斜はあるが安定した氷を登る。

ほぼ垂直の最上部を巻こうとして左に行ったが、氷が薄く岩をたたく。

再び右に戻り、最後のカーテン状を左から越える。

傾斜の落ちたところの安定した氷でビレー。

4ピッチ目、清水君にリードを代わってもらう。

2~3mで傾斜はさらに落ちて雪壁となる。

50mいっぱい伸ばし、ルンゼ状となったところでスクリューをセットしようとした瞬間、ものすごい量のスノーシャワーに直撃されたらしい。

下でもかなりびびったが、さすが重量級、何とか持ちこたえたようだ。

5、6ピッチ目、再び雪壁。

佐野、青山パーティは、すでに石楠花尾根下部を歩いている。

7ピッチ目、長門君にリードを交代。

草付きを直上後、リッジを右から回り込んで左上。

8、9ピッチ目、雪壁2ピッチで中央壁の頭へ。

14時頃終了。

抜けたところのすぐ先で、佐野、青山パーティのトレースと合流。

堅炭尾根からベータルンゼ経由で17時頃幽ノ沢出合へ。

スキーを回収し、19時30分位に土合着。

焼肉屋でビールを飲んでしまったため、帰宅は長門君が翌3時30分、向畑が4時30分。

さらに、1人宇都宮に向かった清水君が自宅にたどり着いたのは、翌朝5時だったそうだ。