1999年8月3日(火)
桜井、中嶋(記)
トリノ小屋に入っていってまずチェックイン、予約はあるかと聞かれ桜井さんが「無い」
と答えると、受け付けのお兄ちゃんは「No problem!」
と軽いノリと大きなアクションで答えてくれた。
払いはリラが基本らしく、当然といえば当然なのだがこれでイタリアを実感した。
フランへの単純な計算式があるらしく紙に書いて一生懸命説明してくれて、出したフランを「ウーノ、ドゥーモ、トゥーレ、カトロ、チンクエ…」とリズミカルに一生懸命数えていた。
バーでビールを飲んでいると、さっきのお兄ちゃんを含む従業員らしき人達がとにかくみんな、ひたすら早口(に聞こえる)でしゃべりまくってじゃれたりしている。
これがイタリアかと酔った頭でひそかに感激していた。
トリノ小屋からの景色は素晴らしく、南を見るとモンテ・ビアンコやモディとそれらに突き上げるプトレイ稜やブレンバ側稜が見え、北を見れば明日登ろうと思っているダン
デュ ジュアンが見える。
でもイタリア側のアオスタの里の風景もとても素敵で、いつかは車で気ままに回ってみたいなあと思いながら、小屋のテラスから随分長い時間眺めていた。
夕食の時間をはっきり聞いていなくて、せいぜい夕方6時くらいだろうと思っていたらなんと8時からだった。
7時半くらいにはかなり良い匂いがしてくるのだが、学食のような食堂では入り口に宿泊客が並んでいるのを気にもせず、食堂のテーブルでまずは従業員が皆で夕食を食べていた。
かといって、並んでいる客がイライラしているかというとまったくそんなことは無く、誰もが楽しそうに一生懸命に会話を楽しんでいた。
ほかにもチェスをやったり山のトポをみて議論していたり、なにしろ一生懸命に自分の事をやって有意義に過ごしている感じなのだ。
待ちに待った食事はとってもおいしくて事実上おかわり自由、従業員との交渉次第でなんでも可能な感じだった。
ワインもおいしかったし、まわりの宿泊客(全員登山者)の様子を見ていても楽しかった。
食事の時間帯は日本とヨーロッパの価値観の違いを一番強く感じた。
さて、翌日無事にジュアンを登って小屋に戻ったのが13:00頃、荒天のためゴンドラが動いているか気になる。
小屋のおばちゃんに桜井さんがとりあえず「英語はなせるかい?」
と尋ねたところ、片足をイスにかけその上に肘を置いて、自信に満ちた笑みを浮かべて
「NO!」
と答えてくれた。
客のおじちゃんが通訳してくれたが、いろいろ話したあげくよくわからなかった。
しかたが無いのでエルブロンネルの駅まで行くと、案の定動いていなかった。
整備のお兄ちゃんをつかまえて「シャモニに帰らせてくれ~」
と主張しておいて、後はやることもないので駅の茶店でビールを飲んでそこらの雑誌を見たり、何故かエスキモー展をやっている駅をうろうろしたりして暇をつぶした。
2時間くらい待ってようやく動かしてくれて、他にフランス人クライマー2人と我々の計4人のためにすべてのゴンドラが動きはじめた。
風が強くてゴンドラがえらい揺れてなかなか怖かった。
ガスの切れ間からたまーにジュアンとかカピュサンが見えてかっこよかった。
また、こんな嵐の中行動している人がけっこういてびびった。
こうして無事シャモニにもどることが出来たのでした。