2000年3月17~19日
横山(昭和山岳会)、堀内(昭和山岳会)、小谷(記)
黒部の記憶にはいつも畠中がいた。
「畠中!ビレー解除!」
このコールと雪をかぶった黒部の風景が交差する。
後立から黒部別山~剱へのラインを、いつも熱く話し合えてきたが、彼も卒業。
休みさえ取れれば行きたいと、熱い人も何人かはいるが社会は厳しい。
居ても立ってもいられず、年末に黒四で一緒になった堀内さんのいる昭和山岳会の集会に出て話したところ快諾をもらった。
横山さんも大滝尾根を登りたかったとのこと。
お二人とも私より遙かに体力・気力が充実している。
3月17日
風雪時々曇り
信濃大町で急行アルプスを降りると、長野県警の方に登山者カードへの記入を呼びかけられた。
今年は異常に積雪が多いらしい。
その県警の人に混じって(地元山岳会の長老?とおぼしき)人にいきなり「中止した方がいいよ!」と。
「何でですか?」
と正面切って聞くと、ぼそぼそとなにやら口ごもって顔をそむけ、また別の登山者に・・・。
気分が悪い。
6:30頃大谷原入り口でタクシーを降りるといきなりラッセルが始まる。
誰も入っていない。
橋は欄干の上3~40cmの積雪で一枚の雪面になっている。
途中からワカンを付けるが、雪がふかふかで腰まであるラッセルを、途中から単独行の人を交え4人で繰り返す。
赤岩尾根取り付きには、まだデブリがない。
ここで単独行の人はリタイア。
急登になると腰を越える雪を膝で踏みかため進むがペースは上がらない。
高千穂平まで行けず幕営(4:30)。
結構疲労した。
堀内さんが風邪で震えが止まらなかったが、翌日には回復。
3月18日
晴れ
5:30出発。
多少雪は落ち着いてきたが、ラッセルはきつく7:45高千穂平着。
ここより上部は、膝からもものラッセルになる。
途中から頭痛がひどく、堀内さんのラッセルに追いつかない。
戦力にならないまま遅れがちになり、稜線直下の斜面は横山さんが一気に登り詰めてくれた(12:30)。
冷小屋の冬季開放部屋にテントを張り早々に休養。
夕方、冷尾根からの登山者3人が着いた。
3月19日
晴れ
3時半に起床し朝食を作るが、体の不調は相変わらず。
横山さんの調子もおもわしくなく、いろいろ話し合った結果、本日の天気は崩れるだろうということで、停滞・休養日とする。
6:30 昨夕来た登山者3人が出発するので挨拶すると、十字峡から北尾根~三の窓尾根~剱へ行く明大OBパーティだった。
がっくり。
このままだと彼らのトレースを追うだけになる。
このとき横山さんの頭痛が更にひどくなってきたようだとの事なので、計画は中止して下山することにした。
小屋発8:00、高千穂平9:40、大谷原
雪は嘘のようにしまり始め、腰までのラッセルをした林道など信じられなかった。
終わった。
情けなさで胸が一杯。
せっかく計画に賛同してくれ、一緒に登った横山さんと堀内さんに申し訳ない気持ちではち切れそうだ。
天候やルート状況等でリタイアするならまだしも、自分の体調不備。
願わくば、もう一度お二方と一緒にリベンジしたい。