1998年12月17日~19日
平良、増子(記)、小野寺
1998年12月16日
午後10:30西国分寺集合。
白州に17日の0:20着。
甲斐駒がこんなにも近かったことに改めて驚く。
久しぶりに見る郊外の夜空は満天の星空で明日の天気も良さそう。
但し、気温が高いのでアイスクライミングをやめて縦走にするべきではと早くも寝酒をのみながら弱音がでてしまった。
12月17日
(快晴)
8:30位に白州神社を出発。
あまりの雪の少なさに、5合目での水の確保が困難ではとの不安がよぎり、各自1.5~2Lの水を荷揚げすることにした(実際には雪があり、水の荷揚げは必要でなかったがうまい水を得ることが出来た)。
13:30位に五合目の小屋に到着。
日頃怠けて(増子)いたため、山を始めた頃のふがいない体力に逆戻りしており、特に太股・尻筋の衰えが大きく、アプローチの時間を余分に費やし、二人に迷惑をかけてしまった。
五合目には学生パーティ(?)が1パーティ入っているものの、他は入山しておらず優雅な山行となりそうである。
12月18日
小屋の中に張ったテントの中は湿度が少なく霜も降りず暖かく、平日のクライミングなればこその特権で、快適であった。
3:00起床、4:00まで食事、小屋の中での準備のため快適に準備出来4:30出発。
途中道を間違えながら下降し、黄連谷に5:30到着。
案の定F1、F2は氷結しておらず、高巻いて坊主の滝に到着。
ここも氷結は甘く滝中央部を水が流れているが、両サイドは氷結しているので何とか登れると判断し6:30クライミング開始。
平良がトップ、小野寺セカンド、増子ラストの順番で登る。
途中大滝下のなめ滝でザイルを出したが、他は2~3級の小滝のアイスクライミングであるためノーザイルで通過する。
さすがに平日とあってラッセルの後がなく難儀する。
どこまであがっても、足下から水の音がして、大滝の氷結が心配。
大滝に到着。
案の定氷結が甘く、水流が見える。
しかし、よく見ると要所は氷結しているため登ることにする。
平良がトップでチャレンジするが、アイスクライミングの鍛錬が足りず、2回テンションの末、増子と交代。
大滝は、高さ60mの滝であるため1ピッチで突破出来ないので、一段下でピッチを切ることに決めて取り付くが、いざ登ってみるとアイゼンの振動が響くような薄い氷であるため決死の思いで岩のスラブをトラバーして灌木でビレーをする。
氷よりもトラバースが悪くここが核心だなどとみんなで笑い合った。
大滝をバックに
大滝を登る平良(この後何かが)
最後の滝に来てようやく十分に氷結していた。
ここを小野寺がトップでチャレンジ、バイルが思うように決まらず首を傾げながら突破。
次に、増子、平良の順番で登る。
最後の滝を登る小野寺
アイスクライミングを(3:30)に終了して8合目を目指すが、疲れている上に腰ぐらいのラッセルでなかなか進まず、あえぎながらようやく稜線に到着(5:00)、すっかり日が陰って暗くなってしまった。
予定では2:00には稜線にでて下降する予定であったが、全体的にラッセルが多く、3人であったため時間を費やしてしまった。
しかし、楽しかったことと無事終わったことを祝い握手を交わし、下降開始。
今日中に下山する予定であったが、5合目到着時点で音を上げて(特に増子)明日早朝に下山することをCLに懇願する。
入山していた人の携帯電話を借りてそれぞれの仕事先・友達・家庭に予定変更の知らせをし、心おきなく休むことにする。
予備食は、ほとんどないものと思っていたが雑炊・ラーメン(1個を3人で分ける)があり空腹を満たし、食後は鯣を肴に前日の残りの酒・ウイスキーをのみ満足する。
12月19日
それぞれの予定のために、4:00に起床し、6:00出発。
やはり十分に休養すると力がわいてくる。
昨日の内に下山していたらばどのような苦しさだったろうかと考えてみるとぞっとする。
途中入山してくる多数の人たちを見送りながら、改めて平日のクライミングの優雅さを実感した(あれだけ人が入ったらば氷がなくなるよなあ!:小野寺談)。
白州9:30?着。