2000年11月5日
柴田(記)、他6名
昨年11月初めに小川山に行ったところ寒くなく登れたので今年も同じ時期の小川山ツアーを企む。
朝4時頃廻り目平入りし準備していたら駐車場で本郷さん・三好さんに偶然会った。
この時期の小川山はすいている。
今回はミーハーにもこれまで混んでて登る機会がなかった小川山ストーリーと小川山レイバックという人気ルートに目標を絞りまず父岩に向かう。
(細かく書いてしまいました。まだ登っていないOS狙いの人はここで読むのを止めてください。)
小川山ストーリー (5.9) OS
父岩の取り付きには予想通り誰もいない。
西に向いているので朝は日陰になっていて少々寒いがフリースを脱ぎ、ヌンチャクを沢山ぶらさげて登り始める。
今回はデジタルビデオを持ってきており、今野さんが左側のテラスから撮影していてくれる。
カチ系のしっかりしたホールドが続き、フリクションが充分効く上、ところどころで休めるので快適に登る事が出来る。
しかし長い。
ハンガー5個目で結構登ったなあと思って上を眺めるとまだまだ終了点が遠い。
結局全部で9つにクリップしてやっと終了点にたどり着いた。
終了点では風が強いが日があたり暖かい。
50mロープではトップロープに出来ないので2番目の千代川さんにロープを引いて上まで登って来てもらい2人でラペルで戻る。
3・4番目の片山さんと今野さんには50mロープ2本を使いトップロープにしたが50mロープで登る場合はこのルートは終了点でビレーしたほうが良いのかもしれない。
日帰りなのでのんびりとは出来ない。
小川山ストーリーを登ったあとはいったん廻り目平に戻り、行動食を食べつつ飯田ファミリーと合流し7歳のりなちゃんを交えて親指岩を目指す。
小川山レイバック (5.9) OS
写真で何度も見ているがやはり美しいルートだなあ、と思いしみじみと眺める。
ナチプロで登らねばならないというプレッシャーを感じつつ準備を整える。
考えてみたらクラックを始めてまだ数回目でナチプロのリードはこれが最初だ。
それにここは案外事故が多いと言う記事がロクスノにあったなぁ、と思いつつ、今野さんにヘルメットを借り覚悟を決めて発進。
出だしをレイバックで数手登ったあとステミングに移る。
3-4m位で最初のキャメロット1番を取り出しセットしたが若干クラックには大きかったようでキャメロットは窮屈に身を縮めて何とかクラックに収まる。
数度引っ張ってチェックしたが大丈夫のようなのでこのままとする。
その後もステミングとクラックの中途半端なジャミングで登り続け中間テラスの下で2つ目のランニングをキャメロット0.75番で取ろうとしたら小さすぎてスカスカ。
「クッソー」と思いながら2番をセットする。
これも窮屈そうだが何とかクラックに収まった。
カムロックの番手を一つ間違えるだけで精神的にも疲れ、これがナチプロの厳しさか、と思う。
右のガバに手がかかり中間テラスに着いてヤレヤレである。
しばし休ませてもらう。
ここでフレンズ2.5(だったと思う)で満足の行くランニングが取れほっとする。
上を見ると終了点まではもう3-4mと言うところで結構かぶって見えるが、左右の壁にスタンスになりそうな凹凸もあるようだ。
3つ目のフレンズを信じて登り始めるが、途中でランニングを取っていると力尽きて落ちてしまいそうな気がして結局中間テラスから終了点まではランニングを取ることなく一気に登ってしまった。
(ひどいねー。)
終了点にあがるところも本来はクラックにジャムを決めて登るところなのだろうが、クラック初心者の自分にはそれが恐くて結局左のホールドを使ってしまった。
(情けない。)
下ではりなちゃんも含めて5人がトップロープを待っているので2ピッチ目はまた今度の機会としてロワーダウンで降ろしてもらう。
今野さん、片山さん、飯田さん、りなちゃん、千代川さんと順番に登る。
それぞれに個性的な登り方をするので感心してしまう。
7歳のりなちゃんは勿論登れなかったが途中まで補助で支えてあげると自力でレイバックの体勢を決めたのには感心、将来大物になるかもしれない。
(そのあとの「あいつが高校くらいになって小川山レイバックを登れてももうオンサイトとはいえないもんねー」と言う父親の飯田さんのつっこみにも笑えた。)
全員が登り終え廻り目平に戻りビールを飲むともう登る気が失せてしまった。
今回目的ルートを何とか2つともオンサイトで登れたのは嬉しいが登り方は満足できるほどではなかったので「嬉しさも中くらいなり小川山」と言うところである。
「まあでも怪我することなく登れた事だけでも感謝しなくては、よかったよかった」
と思いつつ陰りゆく屋根岩を眺めていた。
以上