2002年10月13日から2日間
堀田、櫻井(記)
出発地になる土合に着いたのはもう昼を過ぎていた。
夜出のほうが効率が良いのは知っているが、この日は半日行動ができれば目的地に着ける計算だったので、敢えて普通に起きて家を出た。
普通のことをすると渋滞に巻き込まれるのも当然で夜の時間の2倍以上、6時間を運転に要してしまったが。
アプローチは白毛門への一般道を左に見送り東黒沢を登る。
2万5千図には道があるように記されているが、あったりなかったりする道を探すより気持ちをすぐ沢登りに切り替えて進むほうが正しいようだ。
沢靴に履き替え流れの中を歩く。
暑いほどの晴天のなか美しい平ナメを歩くのは楽しい。
湯桧曽の支流となるとこれまで右岸の西黒、マチガ、一の倉、幽の沢のことしか思いつかなかったがすぐ対岸にこんなに美しく穏やかな流れがあったとは知らなかった。
これまで気が付かなかったというより、激しい山ばかり求めていた自分が変わって気が付くようになったのだろう。
この東黒沢は1350mのコルに上がるまで何度もはげしく屈曲している。
今回トポを持たずに来たので読図の良い練習になる。
土合から3時間で1350mのコルに出る。
笹藪だが顔は出るのであたりの様子は良くわかる。
この標高あたりでちょうど紅葉が盛りだ。
地形はおだやかで笹を刈り払えばキャンプも楽しそうだ。
コルをまっすぐ突っ切り水の気持ちになって沢を目指す。
この辺は赤布も豊富に付けられている。
すぐにちょろちょろとした流れがドロの溝にあらわれ始める。
脇の笹藪からも細い流れが合して沢床が岩になり、小さな滝も作られてくる。
そのうちに滝壺の大きいのも出てきて小さく巻いたりする。
その時だ。
「ああ、この滝をこんな風に巻いたことがあったなあ」
と思えてしまった。
私が宝川の流域に入るのは初めてのことでこの小さな流れを下った事実は無い。
どこかで似た沢を下っただろうかなどと思いながら歩き続けていたが、次の滝の巻きでもまったく同じ既視感を味わってしまった。
類似のものを意図的に結びつけて過去に在ったことと思い込むのではなく、何の苦労もなくわき出てくる既視感:デジャブ。これだけ明瞭なのはたぶん現在の体験が頭のなかで過去の記憶領域に入り込み即席の過去を作り上げているのだろうと思う。そしてすぐに過去のこととして現れ、目の前の出来事と照合されてしまうため、非常に正しくそれらが一致してしまうのだ。その証拠に既視感は普通の記憶と異なりそのすぐ後に起きることを言えないのだ。言えたら予言者として身を立てられるのだろうが。
その既視感も5分程度で治まり暗くなる前に宝川の広河原に出た。
土合からは4時間かからない。
車で宝川温泉に回らず土合から来て良かった。
単調な長い林道歩きを割愛するどころか美しい一つの沢を喜びながらのアプローチができた。
ここは人が多く入る沢で河原に流木が見あたらない。
増水時にやぶに止まった細い枝を集めなんとかたきびの形にする。
球をまっ二つに割った半月が南の空に低く浮かぶ。
酒が始まる。
暗くなる。
くすぶり煙いたきびに文句を言いながら河原に横になる。
秋の沢の幸せ...
13:00 土合 – 16:00 1350mコル – 16:40 宝川広河原
翌朝は暗い雲が低く速く流れている。
大石沢の出合までは一般道をたどる。
一般道と別れナルミズの沢に降りるところで、堀田と相談する。
ここの天気は良くない。
しかし基本は大陸からの高気圧帯が支配しているはず。
悪化する天気ではない。
今は午前7時、時間も充分ある。
「よし、行くか!」と気持ちで歩き出す。
昨日の東黒沢より広く明るいナメが続く。
それにしてもこの沢は傾斜が無い! 前後4パーティほどがかたまりになって進むことになった。
何カ所か少ししがみつくような滝もあったがロープは出さずに奥の二股に着く。
小休止している間に他のパーティはもれなく左俣を登っていく。
我々は二股の間の中尾根とも言える枯れ草の穏やかな斜面に気をとられている。
ガスで上部までは見通せないが楽しそうな斜面が続いているじゃないか。
標高差にして大烏帽子山頂まで200m、藪こぎにはまっても大したことは無いだろうと、水筒に水を満たして沢から離れ踏み跡もない斜面を登り始めた。
この斜面は中間部に猛烈な笹やぶがあって30分ほど奮闘することになったが1時間程度で頂上に立つことができた。
朝日岳からのジャンクションまでは、刈り払いもはっきりしてない道が続き神経を使う。
風があってガスが濃く薄く流れていく。
薄ら寒くぱっとしない尾根歩きだ。
笠の避難小屋で小休止をする。
頑丈で良い小屋だが冬は埋まっているのだろうか?このころからガスがだいぶ減って、薄日も差すようになってきた。
笠の東側斜面はドウダンの赤と笹の緑、岳樺の葉の黄色をバックに幹の白が浮かび上がって、ひゃーこれは錦絵だ! ガスがあがったばかりのせいか葉の一枚一枚が日射しに光って輪郭があざやかだ。
反対側の国境稜線は積乱雲を巻き上げて、一の倉は暗いガスをかぶっている。
「今年は本谷の雪渓が消えなかったんだ」
「ここからだとカールボーデンも絶壁だなあ」
などとつぶやきながら、しかし頭の中はもう山から離れてふもとの温泉のことを考え始めていた。
6:00 広河原 – 7:00大石沢出合 – 10:00大烏帽子山 – 16:30土合