南アルプス 仙丈ケ岳 尾勝谷本谷

2002年12月30日から4日間
森広、赤井、石原、大滝(記)


予定していた農鳥岳・滝ノ沢は大量の積雪が予想され、雪崩の可能性が高いと判断し、延期した。

ROCK&SNOW・15号に発表されていた尾勝谷本谷に入る事にした。

以前、塩沢右俣、左俣は登っている。

マイナーな場所なので予想通り誰も居なかった。

12月30日

8:15戸台大橋手前の工事現場、出発。

晴れ -7℃ 凄く寒い。

仙丈を遠望するが雪は多くは感じられない。

でも谷は分からない。

林道の雪は数cm程度。

奥の方で堰堤工事をしていた。

9:15塩沢出合。

林道が伸長されていたので様子が一変していた。

2℃ ここから400m位で林道は途切れ、沢に降りる。

積雪15cm位。

道無き沢を遡行する。

凍っている石を見きわめながらこわごわ徒渉する。

倒れている木を馬乗りになって渡ったりして、面白かった。

往路は10回徒渉した。

所々、古いテープが有る。

林業関係者が付けたのかも知れない。

進むにつれて積雪が50cm程になりラッセルになって来た。

12:30口南沢出合。

広い所だ。

雪のベースがないので、時々腰まで落ち込む。

想像はしていたが本当に今シーズンは雪が多い。

鹿の足跡が沢山有る。

彼らは実に合理的なラインで歩いている。

大概はその跡を利用した。

15:20中南沢出合。

幕営予定地はこの先の1700m地点だが、この先、平らな所が余り無さそうだし、時間も押して来たし、そこはテント場に適しているので決めた。

水も近くで汲める。

この沢は、奥の右俣、左俣出合まで水は得られる。

どんな年でも得られるだろう。

夜、4人でくっ付いて寝たらとても暖かかった。

12月31日

朝寝坊して6:10起床。

8:00出発。

中南沢を詰める。

ラッセルを交替で頑張り、10:50 F1取付き。

-4℃。

記録では、90mとなっているが、40m程にしか見えない。

下部が埋まっているらしい。

それでも堂々としていてラッセルの苦労を忘れる。

グレードは下からⅣ位の連続で最後の5m程がⅤ。

段々になっているので、ランニングは採り易い。

中央が艦船の先端みたいにせり出しているので2組が左右に分かれて登れば、互いに落氷に当たる心配がない。

大滝、森広組は右側を登った。

大滝リード。

登る前にスクリュウを決める位置を考える。

最後の立っている部分はもう1本採った方が良かったが、ぐずぐず作業するより、さっさと登ってしまった方が良いと考え一気に行ってしまう。

立っている所でランニングを採るか採らないかは何時も悩む。

アイスクライミングの永遠の問題だ。

露岩が大きく段になって居る所で、スクリュウ2本でピッチを切る。

40m位。

森広がフォローして来て、そのまま4m位の氷を越えたらF1は終わった。

満足できる滝だ。

少しラッセルすると、F2 20mがある。

中央はⅢ位だが、右側が立っていて面白そうなので登った。

後半、アックスの音がどーん、どーん、として来て、抜け口に行ったら、広く隙間が空いていて、覗いたら、滝がまとった氷の鎧に自分が張り付いて居るのが見えた。

そして生暖かい空気が上がって来る。

滝の中はこんなに暖かいのか。

F3 17m Ⅲもあり登った。

更に奥に氷が見えたが時間が無いので止めた。

下降は、F3は木で懸垂し、F2は右岸を歩いて降りる。

F1は大きいので1回では届かない。

初め木で懸垂すると急なブッシュ帯で一杯になる。

そこのブッシュで下りてもいいが、右を見ると、石原が1P目終了点で登って来る赤井を確保している。

四人一緒になった方がいいと考えて、トラバースした。

時間が押しているので、皆でそこから降りた。

アバラコフではないが、氷柱に穴を開けて、シュリンゲを通して下降した。

16:00 F1取付き着 -4℃ 17:00テント場

1月1日

4:30起床 6:00出発 3℃ 小雪 本谷の奥に向けて、ラッセルに精を出す。

暫く行くと、左岸にとてつもなく立派な氷瀑が現れた。

下の方が被った氷柱状で15m位。

それが終わっても急なナメが延々続いている。

50mで終えられるだろうか。

終了点付近は下降支点を作れそうな様子が無い。

今後の夢の一つに入れよう。

また暫く行くと、岩陰にかもしかの泊まった痕跡に出会った。

草が敷き詰められていた。

8:10奥南沢出合 -6℃ 左俣に入る。

4m位の簡単な滝をロープレスで越えるとF1 13m。

これも容易そうなので、ロープレスで行く。

(赤井、石原はロープを使用)そこから延々とラッセル。

F2 10m F3 3段60mが無い。

後で分かったが、それらは雪の下になっていたのだ。

やがて左に大きな沢を分けると、立派な氷瀑が姿を見せた。

中々に良い。

F5 50mだ。

10:50 -4℃ 大滝リード。

Ⅳ位で難しさは無いが長い。

ランニングを6本採った頃、50mロープが一杯になって来た。

氷の途中でスクリュウ2本のビレー点を作る。

森広がフォローして来て、そのまま行く。

氷は数mで終わり、雪になる。

10m程先のブッシュで確保。

F6 10mは容易なのでロープレス。

最後の滝F7 35mはⅢ位。

快適な登り。

後半は堅雪壁みたいになって来て、さくさく登れ楽しかった。

記録通り、これで滝は終わったらしい。

雪の斜面が馬の背まで続いている。

13:20 下降は、右岸を歩いて下り、F6はブッシュで懸垂。

F5の上まで来たら、石原がF5の上部に来ていた。

氷上でピッチを切らずに雪のブッシュ帯まで来たが、太いブッシュまではまだ足りないので困っていた。

上の方からロープを渡し支点の一つにして貰う。

F5の下降は、右岸のブッシュ帯だが藪がひどく込んでいる。

ロープ2本を繋ぐと引っ掛かりそうなので、1本の懸垂にする。

4回でようやく取付きに着く。

F5を横から見るととても大きく惚れ惚れする。

16:50出合。

暗くなってから、テント場に着いた。

夜から雪が降り始め、朝方まで続いた。

夜中にフライシートを雪が滑り落ちる、ざ、ざーっと言う音がしていた。

1月2日

朝起きたら、フライシートと本体の隙間が雪で埋もれていた。

直ぐに除雪して酸欠にならない様にした。

雪崩の可能性が増したので、強い未練は残るが、下山を決めた。

右俣は課題の一つに入れよう。

生きて居れば又来られる。

7:25 -8℃ 快晴の中、徒渉に怯えながら下山した。

帰路は8回の徒渉で済んだ。

11:10 車の所に到着。

山に入り カモシカの床(とこ) 垣間見む 人の世ばかりに 新年(あらとし)来る   大滝明夫

甲斐駒ケ岳 黄蓮谷右俣

2002年12月7日から2日間
浅野、柴田(記)


今年は結構雪が早そうだが、12月上旬ならまだ埋まってはいないだろうと読み、アイス始めとラッセルトレを兼ねて黄蓮右を計画した。

しかし結果的にはアイスが楽しめたのは奥千条の滝までで、その先は延々としたラッセルに終始した。

旬よりは2週間ほど遅かったようだ。

3年前に左俣を登ったときには足かけ3日間の余裕ある行程だったが今回は1泊2日の普通の週末なので時間的にそれほど余裕はない。

できれば初日のうちにピークか黒戸尾根の稜線に出ておきたいのでまだ暗い3時50分に竹宇駒ケ岳神社を出発した。

パートナーは5ヶ月間の残業地獄からようやく解放されたという浅野さん。

今回は残業代で購入しましたという新品の登山靴で臨んでいる。

黒戸尾根はいつもの事ながら長くていやになるが今回は5合目までなので多少は楽と自分に言い聞かせ、黙々と登り続ける。

横手からの登山道と合流したあたりでヘッデンが要らなくなり、刃渡り、刃利天狗を経てちょうど5時間で5合目に到着。

黒戸山のトラバースの部分がちょっと凍っていた以外は雪も氷もなし。

篠沢七丈瀑はしっかり凍っているように見えた。

曇り空に枯れ木と灰色の氷瀑とモノトーンの寒々とした景色が広がる。

5合目小屋裏手の明瞭な踏み跡を1時間ほど下り黄連谷に降り立つ。

最初の滝は凍っていないので左岸の巻き道から越えちょっと進むとすぐ坊主の滝が現れた。

まだ水も流れておりラインが取れるのは中央部のみ。

1P目柴田(Ⅲ+)、2P目浅野(Ⅳ-)とつるべで越える。

氷床はまだ完全に固まっていないので踏み抜かないように注意しながら進み、二俣で左俣を見送る。

その後は冬の沢登りと言った風情で1時間ほどで奥千丈の滝に出会うが、傾斜もさほど強くないのでロープを出さずに各自勝手に登る。

ここは200mほどの滑り台になっているので滑ったら止まらないが傾斜はゆるく適当に休めるのでまあ問題ない。

5年前に沢登り初めて黄蓮谷に入ったときにビバークに使った台地や滝の岩肌などが記憶のままの姿で懐かしかった。

午後3時30分にインゼルに達したころにはだいぶ雪が本格的に降りだしており、また滝も完全に埋まりアイスクライミングの要素は既に無くなっていた。

このあたりで先行パーティ(外人さん2名)に追いつき言葉を交わすが彼らは既に出発してから5日目?ということで結構お疲れの様子だった。

今日はどこまで、との問いにできれば5合目小屋と言っていたが彼らの様子からしてそれはちょっと難しいだろうと思われた。

そういう柴田も結構疲れており薄暮の5時くらいになり「適当に岩小屋を見つけてビバークをしては」と浅野さんに提案するが「雪の降り方から見て一気に抜けたほうが安全」との浅野さんの判断に従いそのままチンタラ登り続けることになった。

まあセオリーから言えばその通りなのだけど、疲れているとつい弱音が出てしまう。

外人さん2人は途中まではトレースをフォローしていたが途中で適当な岩小屋に張ったのか見えなくなった。

右俣の詰めは割と地形が複雑でおまけに既に暗闇なので2.5万図を見ても現在地は確信が持てない。

時計の高度計で凡その位置を判断し、迷うところでは左の黒戸尾根側を取るようにして更に3時間ほどヨレながら登り続けるが、大半を浅野さんがリードしてくれた(申し訳なし。)

午後8時過ぎにようやく吹雪の稜線に達したが、祠や石仏から見てどうやらピークのすぐ横に出たようだった。

できれば七丈小屋で泊まりたかったので黒戸尾根と思われるラインをそのまま数十分下るがトレースは全く無く暗闇の吹雪の中では確信持てず。勘で下るうちに赤石沢奥壁方面に下っているような気がしてきた。

これはいかん元に戻ろうと浅野さんに声をかけ、結局黄蓮谷から抜けた稜線の地点付近まで戻り、吹き溜まりをスコップで50cmほど掘り返してツェルトを張りビバークとした。

薄ツェルト1枚でも有ると無いとは大違いで夕食も済ませてそれなりに寛いだ気分になってきたが着ているもの初めツェルト内はビショビショ状態でとてもシュラフを出す気になれなかったのでフリースを着なおした以外は登攀時の格好で朝までいた。

(このときプラブーツを脱ぐべきだったのにズボラしてそのままでいた柴田は足指が軽い凍傷になっていることが下山後わかった。)

暗くして横になっても30分か1時間で寒さのために目が覚めてしまう。

前夜も2時間程度しか仮眠できなかったがこの夜も2-3時間しか実質は眠れず。

4時頃からガスで温まり朝飯のカレーうどんなども作りゆっくり用意して7時頃出発。

甲斐駒ピークとは直線距離で100mも離れていないところだった。

朝一で頂上まで往復した後は膝から時折腰くらいまでの新雪をかきわけひたすら黒戸尾根を下る。

それにしても昨日午後からよく降ったもんだ。

黄蓮谷の中にいたら雪崩の危険もあるし登ってくるのも大変だっただろう。

やはり浅野さんの意見の通り昨日のうちに抜けておいてよかった。

そういえばあの外人さんたちはどうしたのだろうか、とふと気になった。

8合目鳥居、7丈小屋、5合目小屋と通過し、刃渡り下の登山道となっても根雪で前日登ったときとはまるで別の山状態。やはり相当降ったのである。

肩と首がやけに痛く休み休み降りたので駐車場に戻ったときには午後4時を回ってしまっていた。

 

12月7日(土曜日)

竹宇駒ケ岳神社(3:30)→ 5合目(8:50)→ 黄蓮谷(10:30) → 奥千条の滝(13:05) →
インゼル(15:30) → 頂上直下の稜線(20:15) → ビバーク体制(21:30)

12月8日(日曜日)

BS(7:00) → 甲斐駒頂上(7:15) → 7丈小屋(9:20) → 5合目(12:30) → 駐車場(16:05)

 

湯桧曽川東黒沢から宝川ナルミズ沢

2002年10月13日から2日間
堀田、櫻井(記)


出発地になる土合に着いたのはもう昼を過ぎていた。

夜出のほうが効率が良いのは知っているが、この日は半日行動ができれば目的地に着ける計算だったので、敢えて普通に起きて家を出た。

普通のことをすると渋滞に巻き込まれるのも当然で夜の時間の2倍以上、6時間を運転に要してしまったが。

アプローチは白毛門への一般道を左に見送り東黒沢を登る。

2万5千図には道があるように記されているが、あったりなかったりする道を探すより気持ちをすぐ沢登りに切り替えて進むほうが正しいようだ。

沢靴に履き替え流れの中を歩く。

暑いほどの晴天のなか美しい平ナメを歩くのは楽しい。

湯桧曽の支流となるとこれまで右岸の西黒、マチガ、一の倉、幽の沢のことしか思いつかなかったがすぐ対岸にこんなに美しく穏やかな流れがあったとは知らなかった。

これまで気が付かなかったというより、激しい山ばかり求めていた自分が変わって気が付くようになったのだろう。

この東黒沢は1350mのコルに上がるまで何度もはげしく屈曲している。

今回トポを持たずに来たので読図の良い練習になる。

土合から3時間で1350mのコルに出る。

笹藪だが顔は出るのであたりの様子は良くわかる。

この標高あたりでちょうど紅葉が盛りだ。

地形はおだやかで笹を刈り払えばキャンプも楽しそうだ。

コルをまっすぐ突っ切り水の気持ちになって沢を目指す。

この辺は赤布も豊富に付けられている。

すぐにちょろちょろとした流れがドロの溝にあらわれ始める。

脇の笹藪からも細い流れが合して沢床が岩になり、小さな滝も作られてくる。

そのうちに滝壺の大きいのも出てきて小さく巻いたりする。

その時だ。

「ああ、この滝をこんな風に巻いたことがあったなあ」

と思えてしまった。

私が宝川の流域に入るのは初めてのことでこの小さな流れを下った事実は無い。

どこかで似た沢を下っただろうかなどと思いながら歩き続けていたが、次の滝の巻きでもまったく同じ既視感を味わってしまった。

類似のものを意図的に結びつけて過去に在ったことと思い込むのではなく、何の苦労もなくわき出てくる既視感:デジャブ。これだけ明瞭なのはたぶん現在の体験が頭のなかで過去の記憶領域に入り込み即席の過去を作り上げているのだろうと思う。そしてすぐに過去のこととして現れ、目の前の出来事と照合されてしまうため、非常に正しくそれらが一致してしまうのだ。その証拠に既視感は普通の記憶と異なりそのすぐ後に起きることを言えないのだ。言えたら予言者として身を立てられるのだろうが。

その既視感も5分程度で治まり暗くなる前に宝川の広河原に出た。

土合からは4時間かからない。

車で宝川温泉に回らず土合から来て良かった。

単調な長い林道歩きを割愛するどころか美しい一つの沢を喜びながらのアプローチができた。

ここは人が多く入る沢で河原に流木が見あたらない。

増水時にやぶに止まった細い枝を集めなんとかたきびの形にする。

球をまっ二つに割った半月が南の空に低く浮かぶ。

酒が始まる。

暗くなる。

くすぶり煙いたきびに文句を言いながら河原に横になる。

秋の沢の幸せ...

13:00 土合 – 16:00 1350mコル – 16:40 宝川広河原

 

翌朝は暗い雲が低く速く流れている。

大石沢の出合までは一般道をたどる。

一般道と別れナルミズの沢に降りるところで、堀田と相談する。

ここの天気は良くない。
しかし基本は大陸からの高気圧帯が支配しているはず。
悪化する天気ではない。

今は午前7時、時間も充分ある。

「よし、行くか!」と気持ちで歩き出す。

昨日の東黒沢より広く明るいナメが続く。

それにしてもこの沢は傾斜が無い! 前後4パーティほどがかたまりになって進むことになった。

何カ所か少ししがみつくような滝もあったがロープは出さずに奥の二股に着く。

小休止している間に他のパーティはもれなく左俣を登っていく。

我々は二股の間の中尾根とも言える枯れ草の穏やかな斜面に気をとられている。

ガスで上部までは見通せないが楽しそうな斜面が続いているじゃないか。

標高差にして大烏帽子山頂まで200m、藪こぎにはまっても大したことは無いだろうと、水筒に水を満たして沢から離れ踏み跡もない斜面を登り始めた。

この斜面は中間部に猛烈な笹やぶがあって30分ほど奮闘することになったが1時間程度で頂上に立つことができた。

朝日岳からのジャンクションまでは、刈り払いもはっきりしてない道が続き神経を使う。

風があってガスが濃く薄く流れていく。

薄ら寒くぱっとしない尾根歩きだ。

笠の避難小屋で小休止をする。

頑丈で良い小屋だが冬は埋まっているのだろうか?このころからガスがだいぶ減って、薄日も差すようになってきた。

笠の東側斜面はドウダンの赤と笹の緑、岳樺の葉の黄色をバックに幹の白が浮かび上がって、ひゃーこれは錦絵だ! ガスがあがったばかりのせいか葉の一枚一枚が日射しに光って輪郭があざやかだ。

反対側の国境稜線は積乱雲を巻き上げて、一の倉は暗いガスをかぶっている。

「今年は本谷の雪渓が消えなかったんだ」

「ここからだとカールボーデンも絶壁だなあ」

などとつぶやきながら、しかし頭の中はもう山から離れてふもとの温泉のことを考え始めていた。

6:00 広河原 – 7:00大石沢出合 – 10:00大烏帽子山 – 16:30土合

東北ツアー 縫道石、侍浜

2002年10月12日から3日間
宮川、三好、赤井、瀧島、中嶋(記)


夜の10時に調布集合で、八戸に着いたのが朝の6時、むつ市が8時頃で縫道石の登山口が11時頃だった。

夜通しの運転が疲れたが、約1名寝っぱなしのずるいメンバーがいた。

むつ市での朝食は魚市場の食堂のようなところで、日替わり定食とホタテラーメンの2択。

地元の人しか来ないらしく非常にアットホームなセルフサービスの食堂だった。

ちなみにこの日のメニューはカレーライスと煮干の天ぷら。

後者はメンバー全員の体調を悪くさせた。

むつ市の大きなスーパーで買出しをし、準備万端で縫道石の登山口まで行く。

初日は4人で西稜を登るが、取り付きを間違えてしまい1・2ピッチをチョンボ。

いずれまた来ないと。

頂上はとても気持ちがいいが、ハイカーが多いのが唯一の難点。

夜はそのまま湯野川温泉に向かい、食事も出来るかと思ったが甘く、近くの道の駅で念のため買っておいたスパゲティをおいしく食べて、そのまま北の大地で宴会となった。

2日目、勝手がわかってきたこともありあまりがっつかずにアプローチを開始。

瀧島・三好が東南稜で赤井・中嶋が緑友ルート。

それぞれ登り終わったところでみっちょんが青森の友達の家に遊びに行くということなので大急ぎで下北末端のフェリー乗り場に急ぐが、はたしてこの日の便があったのかどうか怪しいくらい閑散としていて(終わってる)、そのまま大急ぎで今度は野辺地を目指す。

適当な電車にみっちょんを乗せることが出来たので、残る3人は駅前の食堂でゆっくりリッチな食事となったが、楽しみにしていたホタテが全部売り切れていたのは非常に悲しいことだった。

あとで宮川さんに「あそこ(野辺地)はホタテだけですからねえ」

と言われますます悲しくなってしまった。

お約束の温泉はこの夜は三沢の「大衆温泉旅館」

これは渋くてお勧め。

そのまま八戸経由で久慈の侍浜まで。

宮川さんが先に来て寝ていたところを起こしてささやかな宴会。

3日目、4人でボルダリング大会。

難しくない課題も多いので全員それなりに楽しめたようでよかった。

高波が死者が出るほど激しかったため登れない課題も少なくなかったけど、まあそのうちまた来ることもあるでしょう。

2時ちょっと過ぎに侍浜駅に着いたみっちょんを拾って、近くの聞いたことも無い町の道の駅で食事を済ませて大急ぎで東京へ向かった。

赤羽の駅に着いたのが夜の11時。

なんとも忙しくて充実した楽しい旅だったことか。

 

フリーで登れちゃった縫道石山南東稜

2002年10月13日
三好、瀧島(記)


地の果て、本州の最北端の下北を目指した。

下北半島がちょうど斧の形をしているが、斧の刃先に今回の目的地の縫道石山はある。

大体こういうツアー話は飲み会の席で話が決まる。

今回も例外ではなかった。

下北が遠いのは承知の上だったが、どの位遠いかまでは考えずに参加を決めた。

調布を10時頃スタートし交代で運転しながらひたすら北を目指した。

東北道をかっ飛ばしていると正面に北斗七星が見える。

眠いけれど気分は悪くない。

初日は眠い中、西稜を登った。

そして2日目は眠気も抜けて南東稜にむかった。
良いルートの条件を列記すると、
岩が堅い。

(一部の変人を除いて)
見栄えがする。
内容が変化に富んでいる。
景色が良い。
頂上に突き上げる。
適度な難しさ。
ルートファインディングの楽しみがある。
カムが気持ちよく決まる。
などなど

南東稜はこのすべてを満たすルートだ。

途中には巨大な岩峰のツルムがありそれを正面からよじ登る。

これがまたそそられる。

さらに言えば,だいたい山自体がかっこいい。

縫道石山は下北のおだやかな大地の中にエルキャピタンのようにそそり立つ岩峰だ。

それに海が見える。

遠いというハンディーを持っているがわざわざ来た甲斐があった。

こんなルートを登れて今回はしあわせだった。

頂上からは下北の大地が穏やかに広がっているのが見える。

反対側には海だよ。

漁船がのんびり走っている。

うっすら見えるのは津軽半島でしょう。

その先にはきっと北海道が見えるんだ。

道の駅で目を覚ますと低い雲が垂れ込めていたが、天気は大丈夫そうだ。

中島、赤井パーティーはルート図でエイドのピッチがない緑友ルートを目指した。

登山道から東壁基部に行く踏跡が分かれる所に要らない荷物をデポした。

南東稜の取り付きは東壁基部を回り込んだ稜の末端を一段登ったところだ。

1P目30mⅤ+
瀧島が行こうとしたが出だしで躊躇して、みっちょんにタッチ。

彼女はハーネスを装着すると眠る女から登る女に変身する。

出だしの凹角は左からクリアーして後はスルスルとロープを延ばす。

自分もセカンドの安心感も手伝いフリーでクリアーした。

以下つるべ。

2P目30mⅣ+
岩茸のはえたフェースを登りクラック下のビレー点まで。

3P目40mⅤ+
登る女は刺激的なクラックにカムを決めながらレイバックで豪快に登っていった。

彼女は太りぎみの小さな体からは想像できないパワーを秘めているのだ。

上部はクラック通しに左から乗越していった。

岩は堅いので豪快に動ける。

気分は最高だ。

4P目40mⅤ
裏側のチムニーを登る。

上部は左から回り込む。

見た目より悪い。

登りついた所がツルムのテッペンだ。

緑友ルートでビレーしている赤井君にコールする。

頂上のハイカーが見物してくれている。

5P目15m懸垂下降
ツルムの裏のコルまで15mの懸垂。
そこから草付きを50m歩き。

6P目15mⅥ-
登る女はアブミのスタンバイもしてから取り付くがフリーでクリアー。

瀧島もセカンドの気軽さも手伝いあっさりフリーで。

ホールドは探せばあるしランナーも取れる。

7P目40mⅤ+
左にラダーがあるが陸奥ルートだろう。

フェースの弱点を探しながらじりじりと高度を上げる。

アドレナリンが体中を駆け巡る。

指先と足先に神経を集中する。

残置も少しはあるがカムを決めたほうが安心だ。

一面岩茸だらけの感動のピッチだ。

8P目Ⅲ+45m傾斜が緩むが気は抜かずに登る。

9P目ⅡからⅢ45m

頂上では緑友ルートを登った中島、赤井が迎えてくれた。

ルート図にはA1のピッチが含まれていたので、ふたりともアブミは持っていたが、使わずにフリーで登りきることができた。

内容はたとえば明星山P6南壁の数本のフリールート、東北で言えば黒伏山の中央ルンゼと比べても遜色ない。

それほどすばらしいロングフリールートだった。

 

縫道石山 緑友ルート

2002年10月13日
赤井、中嶋(記)


10月13日(日)

晴れ

全体的に岩は堅く、フリクションもまあまあでクラックも多い。

開拓から時間がたっていて、また海から近いせいもあるのだろうか、残置ピンが錆びだらけであまり当てにならない。

積極的にカム類を使うある意味今日的なフリークライミングが出来た。

岩の種類は火山の根っこなんかに多いヒン岩だと思うのだけど、花崗岩をもっとパキパキにしたような感じ。

クラックがきれいにパラレルで、中のフリクショも花崗岩ほどではないため、チョック類はすわりがわるそうでほとんど使わなかった。とうぜんカムも花崗岩ほどは安定感が無いので、ランナウトと相まってなかなか緊張感が味わえる

緑友ルートは東壁の真ん中あたりを「オールフリーで登るラインで人気がある」ということで登りたいと思った。

前日西稜を登っているので、東壁のルートにしても少しはルートが見つけやすいだろうと思っていたが、近づいてみてもなかなか判然としない。

朝日を浴びた東壁をアプローチ途中から眺めると左に開いた大きなジェードルが陰影の関係で目立つので目が行ってしまうが、後でわかったが同じ岩の右の方に右に開いたジェードルがあってそこがラインになっている。

上部はもっとラインがわかりづらい。

どこが取り付きかも判らないまま藪を漕いで基部に出たところ、いかにも弘前ルートの取り付きらしいちょっとした広場があり、そこから左にトラバースすれば緑友とおぼしきラインに入れそうだったので行ってみることにした。

古いトポでは6ピッチになっているが途中のスケールなどあまり一致していなくて、計5ピッチで頂上まで抜けた。

以下ピッチごとの概略

1P 5級位 45m中嶋

残置ピンはあまり当てにならないが、ラインを確認できる程度にはある。

快適なジェードルをフリーで登ると30m位で安定したテラスに出るが、次のピッチの見通しが立たないのでもうちょっと伸ばす。

2P 3級+? 40m 赤井

ブッシュが多くラインが判りづらいが、さすがは赤井さん、見事に藪の弱点を突いて次のピッチのチムニー下のテラスへ。

3P 5級位 45m 中嶋

トポと現在位置を確認できた数少ないポイントで、開いたチムニーというか、右向きの狭めのジェードルを登ると中央バンドの右端に出る。

全体に大きな構造がなくなって判りづらくなるけど、思いきって直上すると素晴らしいフリーのラインになっている。

ただしビレーポイントがよくわからず、残置ピンにカム2つ追加でアンカーを作る。

4P 5.10a? 45m 中嶋

ここまで引っ張ってしまったので責任を取ってこの先もリードさせてもらう。

相変わらずラインは判りづらく、左に逃げればすぐブッシュだし、右に行くともうちょっと傾斜があって明瞭な弱点は無い。

結局直上気味に浅い凹角を登るが、ピンは少ないし何よりこの手のルートにしては非常にムーブが厳しかった。

ぎりぎり楽しみながらリードできたという感じ。

ここいら辺はクラックやリスも乏しくて、ランナウトに耐えながらなんとか頂上直下のブッシュに入って終了。

このピッチに関してはラインをはずしていたような気もするが、当たりのラインがどの辺だったかはいまだに判らない。

5P 3級-? 25m 赤井

頂上まであと少し。

見た目よりは難しくてうかつにロープは解けない感じ。

程なく海の見える気持ちの良い頂上へ。

東南稜を登っている瀧島・三好パーティを待って頂上で優雅にお昼寝をした。

頂上直下でビレー中に、昔ここで登っていたという年配の方が声をかけてくれたが、「地元のクライマーたちは今でも一応岩茸のために登りたくても登らないようにしている」

と言っていた。

現にこうしてそこまで登ってきてしまっていたのでなんと返事をしてよいものか困ってしまった。

おわり

 

明星山P6南壁

2002年10月12日から3日間
井上、柴田(記)


明星には2年前の2000年11月に来て以来。その時は3日間の日程だったが

初日:小滝川が増水して渡れず(森広さんは危うく流されそうになった)
2日目:クイーンズウェイに取り付くが2P目の核心がヌレヌレで登れず左フェースに転進
最終日:フリースピリッツ4P目でルートをミスり下降

とさえないもので、ヒスイ峡キャンプ場を根城にするドラネコくんにレーションを取られたりテントをかじられたりしてた。

懐かしくもほろ苦い思い出だ。

昨年は訪れたいと思っていたものの機会がなく、2年ぶりに2度目の明星に今回ようやく来る事が出来た。

今回のパートナーは井上さんでお互いに車を持たないので夜行列車とローカル線を乗り継ぎ朝6時前に小滝駅に降り立った。

10月12日

天気はいい。

郵便局の前を通り2年前と同じく犬に吼えられてヒスイ峡への道を分け歩く事約1時間でドーンとP6南壁が姿を現し、ここで突然ヘルメットを夜行列車の中に忘れてきた事に気づく。

とりあえずキャンプ場まで進み居合わせたクライマーに「まさかヘルメットを余分に持っていませんよねー。」と聞くが予想通り持っていないとの返事。

最悪初日を犠牲にしても糸魚川まで買いに行こうと思い、事情を話して車を貸していただけないかとお願いし快諾を得た。

借りた車を一目散に小滝駅方面に車を走らせるが、考えてみるとまだ朝の7時30分であり運良くヘルメットを売っている店があったにしても開いているわけがない。

とりあえず通りがかった民家で「このあたりでヘルメットが手に入るところはありませんか」と間抜けな質問をしたところ対応してくれたおじさんは「ヘルメット?うーん、ちょっと待てよ」といいながらあたりをがさごそ捜し、「ほら」と緑色の工事用ヘルメットを貸してくれた。人の情けが身に沁みる。

平身低頭お礼を述べて3日間お借りする事にした。

ダッシュで車でヒスイ峡に戻ると井上さんはシュラフで寝かけたところであまりに早いカムバックに驚いていた。

約1時間ほど遅れたが予定通り初日の直上ルートに向かう。

<直上ルート(4級/ 5.9 グレードは新版日本の岩場のもの)>

1P  Ⅴ(柴田)
出だしの土斜面で掴んだブッシュが抜けて体勢を崩しシューズの裏が泥まみれに。フェースに走るクラック沿いに登るが小カンテの右を登るところで途中まで左を登ってしまいクライムダウンし登り直し。正規ルートのフェースにはピンが充分打ってある。30mで安定したレッジへ。

2P Ⅴ(柴田)
レッジから左のかぶり気味のバンドに上がり左上。15m程度と短い。

3P 5.9 (井上)
ややかぶり気味のフェースを右足のヒールフックを使い次いで右にトラバースする。ハングの出口には真新しいピンが打ってあり安心。これがないと恐いだろうなー。

4P Ⅳ+(柴田)
傾斜が落ち容易なフェース。

5P~8P目Ⅲ~Ⅳ(ツルベ)
上部はブッシュ交じりの容易な凹角やフェースなど。

左岩稜に出たところでコンテに切り替え容易な凹角を登り左にトラバースすると下降路に合流する。1時間足らずで小滝川に出て渡渉することなく飛び石で渡ることが出来た。

展望台の横から翌日のフリースピリッツをじっくり観察してキャンプ場に戻る。

8時前に就寝するもこの夜のキャンプ場は大賑わいで酔っ払いクライマーの雄叫びや車の音に何度か目が覚める。

10月13日

<フリースピリッツ(5級下/5.9)>

朝5時30分ころキャンプ場を出発。

先行する2パーティは共にマニフェストとのことでフリースピリッツには運良く1番で取付く事が出来た。

すぐ後ろにタッチの差で3人パーティが後続。

1P Ⅲ (柴田)
ブッシュ交じりを左にトラバース。ランナーはブッシュで。

2P Ⅳ (井上)
レッジの上のフェースを登り更に左上。割と短い。

3P Ⅵ- (柴田)
フェースからクラックを登る。左右にラインがあり割と細かいが上部に入るとピンも多くなり落ち着いて登れば楽しいピッチ。
ビレーポイントに着くと2年前にミスったルートが目の前にあり懐かしかった。
あの時はここを左の大き目のクラック沿いに登ってしまったのでした。

4P Ⅴ (井上)
ビレーポイントから白いフェースを一旦右下にくだり(パイパントラバース)その後ランペを右上する。一段下る所は濡れていると滑りそう。

5P Ⅵ-  (柴田)
ハングの下をハングに沿って左上する。写真などでよく出てくるピッチで「ああ、ここかぁ」と思う。
左上後被ったクラックを腕力で越えて右下へトラバース。ホールドはガバが続くので紹介されているほど難しくはない。
あそこをなんでうめぼし岩と呼ぶのかなぁ。

6P Ⅴ+ (井上)
ビレーポイントの上に続く凹角を直上後カンテを右に越えるが右に移る部分は結構細かい。
左に行くとハングにぶつかるよ。

7P Ⅳ+ (柴田)
やや傾斜が落ち易しくなるがその分もろくなったフェースを登る。上部が開け中央バンドが近くに見える。右手のフェースにあるビレーポイントで切ったがマニフェストを登っているパーティ(昨日車を貸してくれた人)から「フリースピリッツはもっと左だよ」と教えられ、井上さんには左側下で切ってもらう。

8P Ⅴ+ (柴田)
順番が前後してしまったが井上さんのビレーポイントを通過しそのまま柴田が登り続ける。かぶり気味のクラックが2本走るハングの更に左の凹角をクラックを使い登る。

9P Ⅱ (井上)
中央バンドをまたぎ、一段上のレッジまで。登る前に上部岩壁のルートを観察するがいまひとつ良く分からん。

10P Ⅲ (柴田)
ほんとにこれで良いのかなーと思いながらビレーポイントから容易なフェースを右上。ピンがほとんどないのでエイリアンやブッシュで所々取る。
40m以上ロープを出してはっきりとしたビレーポイントに着くが鷹ノ巣ハングの下でかなり右に登ってしまったように思えた。フィックスロープが垂れていた。

11P Ⅴ (井上)
頭上の凹角からクラック。その後左右にあるビレーポイントは下から指示し左側を選ぶ。
アップルジャムクラックがあるはずのピッチだが判然とせず。
このあたり一部オリジナルラインを外していたかもしれない。

12P Ⅳ (柴田)
更に左側にルートを求めカンテを越えるとボルトが2本離れて打ってありバンドが走っている。
一段降りてバンドにハンドホールドを求めると比較的安心。
でも残置ピンはピッチを通して少ない。
15mほどでビレーポイントが現れその上に写真で見覚えのある凹角状フェースが広がり正しくパノラマトラバースを辿っていた事が分かる。
下を見ると後続の3人パーティは中央バンドの手前あたりを登っている。

13P Ⅵ- (井上)
上部岩壁の核心だがピンは多い。2本目のピンにランナーをとった後の数mが細かいがフリーのゲレンデで登ればやはり5.9くらいかなと思う。
その後は右手のクラックに移り直上。

14P Ⅳ (柴田)
傾斜が落ちたフェースを登る。

15P ~18P Ⅲ~Ⅳ+(ツルベ)
ブッシュ混じりのフェース、凹角など。残置支点少なく所々エイリアンを使う。
井上さんには黙っていたが横から簡単にパスできるのにわざわざ難しいクラックを不安定なエイリアンを1つ取っただけで正面から登ったところは実は結構恐い思いをしながら登ったのでした。

最後は判然としない左岩稜の踏み跡らしきに出て終了。二人ともここからの下り道がはじめてでよくわからず苦労する。

P6の頭まで行けば西面に直接降りるトレールがあるかなと思い柴田が登るが結局そんなものはなく、左岩稜からやや右をブッシュに掴まりながら下ったりトラバースしたりするうちにようやく昨日の踏み跡に合流するが途中で井上さんとバラバラになってしまう。

途中コールを掛け合って所在を確認していたのでまあ大丈夫だろうと思い、先に降りて下の水場横で井上さんを待つ。

暗くなりヘッデンを点け大分経ってから下りてきた井上さんは柴田が差し出した0.9Lのペットボトルの水を一気飲み。喉が渇いていたんだねー。

前日通り小滝川を飛び石で越える。

テントに戻り夕食中漆黒の中に佇む南壁に目をやるとヘッデンの灯かりが肩の少し下の所でチラチラしていた。

10月14日

夜中に雨が降り出し、起床時間の4時になっても止まず。

7時前になりようやく止んだが壁は濡れていると思われ石灰岩ということもあり予定のクイーンズウェイを諦めて下山する事にした。

途中ヘルメットを貸してくれた民家に返しに行ったが留守だったので番犬の頭をなでてそっとヘルメットを置いてきた。

今度こそ車で来たいもんだなー、と思いつつ小滝の集落を通り抜けて駅まで約1時間歩く。

北陸線から信越線に乗り継ぎ長野新幹線で帰京。

せっかくの高速バスの予約が無駄になってしまった。

井上さんお疲れ様。

また行きましょう。

 

奥鬼怒 湯沢

2002年9月21日から2日間
堀田、櫻井(記)


金曜日仕事を終えてから、苦手な夜更かしをして車を今市-川治温泉-奥鬼怒温泉へと走らす。

浦和を22時に出て川俣湖畔に3時間で着けば上等か。

翌朝見ると、出合には真新しい白い橋が懸かっていた。

この橋へ下るところがわからず結局車道から適当なやぶの斜面を下った。

橋を渡ると登山道が新しく、噴泉塔までは導いてくれるものと信じてこの道をたどる。

左下には穏やかな湯沢の流れが見える。

ぶなが中心の広葉樹林は緑が柔らかく、やぶも薄いのでとても明るい。

栃の実がたくさん落ちている。

ほとんどは外皮を剥かれ持って行かれているがはたしてどの四つ足の仕業だろう。

湯沢という名の通り、ところどころに湯が湧いている。

硫黄のにおいがきついところもある。

もっとも整備された河原の噴泉にはブルーシートで湯殿ができており単独の先客が浸かっていた。

脱いだものを遠くに干したその人は、私の連れが若い女性だと気が付いたときにはいくらかバツの悪そうな顔をしていたが、剃毛を得意とする現役の看護婦であるH嬢は「あら、何も履いてなかったのね」

と涼しい顔で小さく言っただけだった。

湯の温度を聞くとその若い男性はこちらを向かないまま「熱いです」と返事をした。

さらに進むと左からの枝沢の奥にモクモクと水蒸気を吐いている岩場がある。

荷物を置いてその枝沢を50mも進むとみごとに熱い湯が岩のすきまから湧いている。

足下を流れる沢の水がちょうど良い湯温になっている。

周囲は狭い沢地形だが、ここに湯殿を作って一夜の宿としたらさぞかし爽快だろう。

沢を詰めて尾根に出るばかりが山じゃないという心境に達したら、もう一度ここに来ようと思う。

出合から約3時間で憤泉塔に着く。

なるほど奇景だ。

左奥には湯沢のゴルジュ帯が暗く奥へ続いているが、右手にはわき出した噴出物が小さな塔を作り、周囲の岩も白、黄色に塗られている。

ゴルジュのドウドウと、噴泉の水蒸気、足元の熱気もあり非日常もかなりなものだ。

小さな湯だまりがあったのでその縁に腰掛けて膝までの湯治としゃれる。

この湯で自分に治すべきものがあるとすればそれは山に来てからの怠惰だろうか?

噴泉塔からは左手にしばらくの高巻きでゴルジュ帯をやりすごし1時間ほどで大岩沢の出合に着く。

谷の浅い明るい広い河原だ。

砂地も流木も豊富でその魅力に負けてこの日の宿とする。

充分な時間をかけて岩、小石を取り除き、隙間を詰めてツエルト一張り分の平坦な砂地を作る。

流木を2時間分程度集めれば、あとは明るいうちからの酒と昼寝になった。

不思議にブヨや蚊は出なかった。

足の長いクモのようなザトウムシはうようよといてH嬢、こちらは苦手らしく見つけるたびに大きな声を上げていた。

乾いた流木は苦もなくたきびの火となってあすの早朝また着なければならないシャツを乾かす。

5合持ってきた日本酒も意識を乱す前にはなくなり、沢の流れと時々はぜるたきびの音だけが暗闇に聞こえていた。

次の朝、やや重暗い雲が樹間の空に見えているがまだ高く密度もない。

歩き出すとすぐに連瀑帯だ。

ほとんどが階段状の容易な滝だがチョックストーンの滝は側壁が迫る暗いなかに厳しく立ち上がっていて登れない。

やや手応えのありそうな左の側壁を巻いていくことにする。

灌木でランナーは豊富にとれるが傾斜がきついのでバランスが難しい。

針葉樹の落ち葉がたまった草付きも安定せずにいやらしい。

ここを2ピッチ巻くと懸垂なしでまた沢床に戻る。

ここから先にはもう緊張するところはなかった。

2050mまではなるべく右手の沢へ入り2050mからは左へ寄りながら流水をたどると2200mくらいで水が枯れる。

あとは下草の少ない樹林をどんどん登って昼前に念仏平の上の一般道と出会った。

下り着く加仁湯は一流の温泉旅館になっていた。

ランプの湯としてあこがれたのはもう20年も前だったことを思い知らされた。

連休の中日でもあり、宿の湯はあきらめて共同の「上人一休の湯」

で汗を流した。

新しい清潔な施設で500円、無難な選択だろう。

明るい樹林と噴泉、河原のたき火と期待通りの沢だった。

途中長年会いたくても会えなかった日本一小さな鳥キクイタダキにも会えた。

欲張らずに向かったこの沢からは思った以上のおみやげをもらった気分になれた。

 

谷川岳 幽ノ沢 中央壁正面フェース

2002年9月20日
森広、大滝(記)


幽の沢は3回目だ。過去に中央壁右フェース、左フェースと登った。

5:50一ノ倉出合。
7:25カールボーデン上部。
14:45堅炭尾根。
16:55旧道。
17:50一ノ倉出合。

快晴の中、カールボーデンに向かう。やはり所々緊張する。カールボーデンを快調に登り、行き詰まった所でアンザイレンし、2P伸ばす。ここは結構怖く感じた。

ルートに入り、1目は草つきを左上して行くPとブッシュがあるので、それにランニングを採る。

左下を見ると、草付き帯が終わった所にボルト2本のビレー点があった。豆腐岩の右上10m位の地点だ。

2P目はホールド、スタンスともに豊富で快適だが、残置は無いので森広さんは20m程進んだ所にハーケンを打った。これはしっかり効いていた。最後、リッジに出て切る。

3P目はやや左寄りに行く。傾斜がきついのでゆっくり登る。残置は適度に有る。ハング下で、左上にビレー点らしきものが有ったが、納得出来ない。右のリッジに向かって確実にトラバースする。高度感が凄い。リッジ上にて切る。

4P目は出だしが少し難しいリッジを登って行って、ハング帯の切れ目を乗越すが、切れ目なので難しくなくA0にはならなかった。左上すると、草付きテラスだ。

5P目は右にトラバースしてカンテを回り込むと、後半の緩い大スラブ帯に出る。急に気分が明るくなる。真白なカールボーデンが遥か下だ。

この感覚はたまらない。この後、4P分進むと、草付き帯に達する。意外と残置があったので、ハーケンは打たなかった。

草付き帯はロープを外すべきか迷ったが、出だしが少しやばそうなので着けたままにしたら、引いてもらう時に見事に流れ難くなった。草付き帯を1Pで終えると、踏み跡に出た。

堅炭尾根に着くと半袖では寒い位だった。

気を使う嫌らしい道を下って行った。

 

奥秩父 笛吹川久渡沢ナメラ沢

2002年9月7日から2日間
堀田、櫻井(記)


今年は5月から山に行くと雨に遭うことが多くて、さわやかな夏山をほとんど楽しめてない。

そのうち「xxさんと行くと雨が降る」

などという話が出てくるからこわい。

この日も天気予報では勝算がないと知りつつも、家のなかでグチっているよりましだろうと、出発する。

9月7日

久渡沢の出会いには道の駅ができていた。

秩父と通じた雁坂トンネルの工事と抱き合わせのものらしい。

笛吹川上流の山深い感じがすっかりうすっぺらくなってしまった。

天気も悪く、時々雷が鳴る大雨だ。

その道の駅で小一時間ほど暗い空を見上げていたが、小降りになったのを機に車を登山道の入り口に置いて歩き始める。

久渡沢はこのトンネル工事のために激しく変えられてしまっていた。

料金所、トンネルの入り口と駐車場など、沢筋に作られた施設を横目に舗装された道を進む。

この舗装道は唐松尾沢まで続いており、おかげでナメラ沢のアプローチは随分
とわかりやすくなってしまった。

この日は林道の終わる唐松尾沢でテントを張った。

なんでトンネルとは関係もなさそうなこんな奥まで舗装の林道を延ばしたのだろう?

9月8日

晴れた。

昨日、憂鬱な気分で何もせずに帰ることまで考えていたが、粘ってよかった。

山が自分の計画を祝福してくれたのはほんとうに久しぶりだ。

唐松尾沢を下る。

久渡沢に降り立つ手前の巻きがあまりよくない。

雨上がりで地盤がゆるんでいるためか結構怖い。

久渡沢からは特に迷うところもなく、日差しにきらきらとはじける平ナメを喜びながらどんどん登る。

源頭では鹿の道に誘われるままけっこう深いやぶに入ってしまったがそれでも午前11時ごろには西破風山に出る。

下りは誰もいない雁坂峠から久渡沢に戻る。

結局この日はほとんど晴れていた。

雨ばかりだったこの夏の不運を少しだけ、やり返せた気分だった。