2003年3月16日
浅野、柴田(記)
前年の3月に3スラを登ったあと浅野さんが「次は3ルンゼに行きたいっすねー」
と呟いていたが自分としては危険なルートと言う認識が強かったので「そうねー、でもあそこはチャンスをつかむのが難しいと言うし、とりあえずその前に滝沢リッジが良いかなー」と呟き返していた。
1年が過ぎ前年に敗退した中央稜もほぼ完登、いよいよめくるめく谷川の3月がやってきた。
妻には以前から「3月は特別な月なのだ」と独り言のように言い聞かせており(ぜんぜん聞かれていないかもしれないが)、少なくとも2回、条件がよければ3回谷川に向かうつもりで計画を考えた。
まず手始めに一ノ倉尾根を登りその経験を生かして滝沢リッジを登る事とした。
浅野さんはやはり雪稜には興味はないということで滝沢リッジはYCCのKさんと登ることで連絡を取り合う。
3月第2週は悪天候で登れず。
谷川の風雪はこの時から結局1週間近く続き、第3週木曜日あたりでようやく収まった。
ところが今度はKさんが体調不良でとても山に行ける状態ではないとの事。
がっくりしながらそれでも「浅野さんはどうしているかなー」
とメールすると3ルンゼに行くつもりだが単独は奥さんがなかなか許してくれず困っているとの事だった。
後から考えると結構軽率なのだがとにかく3月の谷川に登りたいと言う願望が優先して
「私も同行したい」
と言うと
「了解」
との事で木曜日夜に3ルンゼの山行が決まった。
金曜日の夜仕事が終わってから車で谷川に向かい午前1-2時頃駐車場を出るいつものパターンを想定していたが浅野さんは別のタクティクスを考えていた。
それによれば雪崩の通路である3ルンゼを登るには夕方駐車場を出て夜登攀し朝になる前に国境稜線に抜けるというものだ。
と言うことで土曜日の午後3時に鶴ヶ峰に集合、多少時間はかかったが環八と関越経由で夜8時頃駐車場のいつもの場所に着く。
身繕いをして9時過ぎに駐車場を出発。
迷ったが結局カメラは置いていく事とした。
月が煌々と明るく雪面を照らし、ヘッデン無しでも問題なく歩ける。
時間が早いため残業帰りクライマー数名の帰還に遭遇するがこちらがヘッデンなしで歩いていることを不思議がっていた。
1時間ほどで一ノ倉沢出合いに着く。
満月とはいかないが13夜くらいの月に照らされて一ノ倉の壁やルンゼは静かにたたずんでいた。
一ノ倉沢出合から奥壁を目指しトレースを進む。
デブリはほとんど出ておらず歩きやすい。
二ノ沢出合を過ぎ、トレースは滝沢のデルタに向かっているがデルタピーク手前で雪崩に埋もれて終わっている。
見上げると滝沢スラブは月光を反射して青白く光りその上のドームは黒い影を落としている。
この世のものとも思えない美しさだった。
デルタから右に大きくトラバースし暫く登ると大きなクレバスに出合う。
中央部からダブルアックスで頑張れば越せそうに見えたので途中までその気で取り付くが、ミスるとクレバスに吸い込まれるのは必定で冷静に考えれば何もこんなところで無理する必要はない。
思い直して右端まで回りこみ繋がっている部分から越える。
奥壁に近づいた為ずっと我々を照らしてくれていた月明かりとはお別れになったが、ヘッデンではっきりと2ルンゼ出合いを確認しそこからわずかの距離でに2ルンゼ出合いに着いた。
かすかにトレースらしきものがあるような気がしたが、雪に埋もれて確信持てず。
ここで改めて登攀準備をすると浅野さんはロープを引いてフリーで登り始め柴田がその後に続く。
すぐにF2の取り付きとなる。
4年前の秋に登った3ルンゼの記憶と地形は一致している。
ルンゼは丸2日は降雪がないはずなのにスノーシャワーがザーザーと数十秒続き、思わず浅野さんと顔を見合わせる。
降雪のあとこのルートを登るのは自殺行為だな、と思う。
柴田がセルフビレイを取るまえに浅野さんが取り付いてしまったので途中で待ってもらったがセルフ用のスクリューもピンも取れるところがない。
数メートル上でランニングを1つ浅野さんが取り、それが比較的効いているとの事を信じ、セフル無しでビレー体制をとる。
F2は左側の方が傾斜が寝ていて登りやすそうだったがそちらは雪の状態が悪いとの事で右端に近い傾斜が強い雪壁を登る。
フォローしてみると確かに傾斜は強いがラビーネンツークの為か雪はしっかり固まっていてバイルが良く効き割と登りやすい。
F2終了点から柴田がロープを引きF3をヘッデンで照らすが登れるように見えなかったので右側のルンゼ状のミックスの方向に向けトラバース、露岩にイボイボを打ち込み(半分も入らなかったが)アックスとともにセルフを取り、浅野さんを迎える。
ルンゼ状のミックスは浅野さんリード。
F2同様割とバイルは決まったが傾斜がきつくなりリード、フォローとも墜落は絶対出来ない。
途中1箇所だけ残置ボルトを確認、YCC松本氏が以前打ったボルトかな、と思いを馳せる。
F3を下にしたあとは雪の斜面を大きく左上する。
本流からは結構高くなっておりちょっと降りられない。
ロープ一杯となっても支点がないのでやむを得ずスタンディングアックスで浅野さんを迎え、その後はロープを伸ばしたままコンテで進む。
途中柴田のヘッデンの電池が切れたので交換する。
夏の終了点が終わると今度は雪壁をまっすぐ登るようになる。
一度立ったまま少憩しテルモスのお茶を飲む。
後ろを振り返ると地平線の縁がかすかにオレンジ色に彩られ、夜明けが近いことが分かる。
本谷にもヘッデンが数個動いている。
既にルンゼは抜けているので雪崩に持ってゆかれる可能性は少ないがところどころに小クレバスがあったりと気は抜けない。
凍った草付きとミックスが現れ再びスタカットに切り替える。
浅野さんにリードをお願いしたがアンカーは凍った草付きにバイルを2本差したものしか取れず、もしもリードが墜落したら二人とも本谷に落ちるのは明らかで非常に緊張した。
フォローしてみるとバイルは割としっかり決まったがアンカーとしていたのは直径3cmくらいの潅木で恐らくフォローが落ちても二人とも本谷直行だっただろう。
こういったピッチは本来はフリーソロで登るべきなのかもしれないが、ロープを着けた安心感は理屈ではないとも思う。
この草付を越え右を見ると一ノ倉岳からの国境稜線がピンクに色づいているのがとても美しく見えた。
前日のものと思われるトレースにも合流し、登攀終了が近いことが分かる。
雪壁をトラバースしブッシュを掴んで慎重に段差を越え、バイルを振るうとそこが国境稜線だった。
「抜けたよー」
と浅野さんに声をかけ、柴田の落としたスクリューを回収しフォローする浅野さんを迎える。
二人でがっちりと握手。
最高の瞬間だ。
それにしても本当に無事でよかった。
二人を守ってくれた全てのものにただただ感謝だった。
一ノ倉岳から二人のクライマーが下ってきて立ち話をすると3ルンゼをかつて登り我々も記録を参考にさせていただいたYCCの松本さんのパーティだった。
記録が参考になりましたとお礼を言って別れる。
ギアをまとめてザックに詰め込み谷川岳を目指すが、緊張感が抜けたためか左手と右足が疲れきっておりヨタヨタと歩く。
トマの耳を経由して西黒尾根を少し下ったところで駐車場を出て以降初めて腰をおろして休みレーションを食べる。
東尾根を登っている数パーティがあり、マチガ沢にはシュプールが残されている。
谷川はいいなあ、としみじみと思う。
下るにつれて腐り始めた雪に足を取られながら西黒尾根をゆっくり下り指導センターに10時に到着。
タイム
駐車場 21:07 → 一ノ倉沢出合い22:00 → 3ルンゼ登攀開始 0:15 → 夏の終了点 3:30 → 国境稜線 6:00頃 → トマの耳 7:15 →指導センター 10:00