谷川岳 一ノ倉沢 変形チムニールート

2005年3月6日から2日間
向畑(記)、長門


2月も中旬を過ぎて、今年もそろそろ谷川と思っていたが、なかなかお天気が良くならない。
雪も結構多いらしい。
しかし、週間天気予報を見ると、3月7日の月曜日には新潟県も晴れることになっている。
どうやら、今シーズン初めての本格的な移動性高気圧が来るようだ。

有給休暇どころか休日出勤の代休も消化しきれずに終わってしまう身で、決算の3月に平日休むのはなかなか大変なのだが、移動高が来てしまったものは仕方がない。

今シーズンはあまり山に行けてなかったこともあって、月曜休んで日月で出かけることにした。
ルートは、前から行ってみようと思っていた変形チムニーにした。

パートナーの長門君は、26歳でやっと大学を卒業するというのに就職が決まらず窓拭きのアルバイトをしているという、将来非常に有望な若者だ。

一応、月曜日休めるか聞いてみたところ、「月曜日っすか、全然問題ないっすよ」との、何とも心強いお言葉。

ただ、水上でも19年ぶりの大雪とのこと。万全を期して、5日土曜日午後から出かけ、その日のうちに一ノ倉沢出合まで入っておくことにした。

13時過ぎに関越に乗った時は土樽から先でまだチェーン規制をしていたが、土合に15時過ぎに着く頃には雪は止んでいた。

一応、一ノ倉沢出合までのアプローチ用にワカンを持って行ったが、出合まではハイキングツアーか何かでかなりの人が入ったようで、立派なトレースがついていて全く不要。

1時間強で出合の小屋に着いてしまった。

3月6日

当初、1時、遅くても2時には出発とか言っていたが、小屋の中に張ったテントはあまりにも快適で寝込んでしまい、2時30分出発にずれ込んでしまう。

「せっかくワカンを持ってきたんだから持って行って見るか」
と半分冗談で言ったら、ワカンを使ったことがないという長門君に
「ぜひそうしましょう」
と言われ持って行くことに。

しかし、これは結果的に大正解。

もし、ワカンがなかったら、時間がかかり過ぎて取り付きに着くまでに敗退していたと思う。

一ノ倉沢に入るとさすがに雪が深く、衝立沢に回り込んで傾斜が増してくるとワカンを履いても腰までもぐるが、それでもなかなか調子がいい。

最初はどこまで行けるかと思っていたが、雪がたっぷりあるので斜面を回り込んでワカンを履いたままテールリッジに上がれてしまった。

まさか、テールリッジでワカンが使えるとは思ってなかったが、上のスラブの松の木あたりまでそのまま登れてしまう。

ブッシュ交じりとなり、さらに傾斜が上がってくるあたりでアイゼンに履き替え、ワカンは最後の立ち木にデポしていく。

中央稜基部でロープを付け、そこからはコンテで変チの取り付きを目指す。

結局、この日も快晴となり、この2日間は絶好のクライミング日和となったが、取り付きについたのはすでに9時。

割と快調に来たつもりだったが、それでも出合から6時間半かかっていた。

日が当たって気温が上がり、そろそろ上部からの落氷が始まりかけていた。

1ピッチ目、取り付き手前のクレバスを苦労して乗っ越し、スラブに張り詰めたベルグラをダブルアックスで登る。

ベルグラは薄いながらも何とか続いていた。

一ノ倉沢全体に日が差して、二ノ沢、滝沢、三ルンゼあたりから、規模の大きな雪崩が頻発、ものすごい迫力で雪煙が舞い上がっている。

2ピッチ目、ベルグラは続いていないので岩登りになる。

残地支点から垂れたスリングをピックでひっかけてずり上がる。

さらに、雪壁をダブルアックスで変形チムニー下へと行くが、2ヵ所くらいあったと思ったビレーポイントが埋まっていて見つけられない。

残地ボルト1本に、ハーケン2枚を叩き込むが効きはいまいち。

気休めにスクリューもねじ込むが、氷が緩んできていて、長門君が手で引っ張ると取れてしまったらしい。

ちなみに、壁も雪が多く、下降も含めて支点が見付からなかったり、場所は分かっていても雪や氷が厚くて掘り出せないところが結構あって苦労した。

また、ビレーポイントがないので仕方なくロープを伸ばしたため、トポのピッチ数よりも少なくなっている。

3ピッチ目、変形チムニーは完全に雪に埋まっていて雪壁のようになっている。

もしかして楽勝?とか思ってしまったがやっぱり甘かった。

実際は詰まっている雪を全部掻き出さないと登れず、最初のピンを掘り出すのにかなりの時間を使ってしまった。

また、上から直径20㎝ほどのつららが垂れていてじゃまで仕方がない。

しかも、つららを伝って流水が水道の蛇口をひねったように流れてきてちょうど頭を直撃。

体が上がるたびにつららをバイルで叩き落すが、落としても落としても水が同じところから落ちてきて(当たり前か)体を濡らす。

抜け口のフリーは背中を付けてバックアンドフットの体勢になればいいことは分かっていたが、躊躇しているうちに全身ずぶ濡れになってしまった。

ここでも、チムニーを抜けたところにあったと思ったビレーポイントが見付からず、さらにフェースを登りその上のビレーポイントへ。

濡れて寒くて仕方がないのでザックからフリースを出してみたら、フリースもぐっしょり濡れていた。

また、ヤッケのポケットに入れていた替えの手袋も目出帽も、この時点で全て濡れてしまった。

4ピッチ目、バンド状から雪壁を下り気味に右にトラバースして正面ルンゼへ。

しかし、ここでもビレーポイントが見付からず、氷雪の詰まった正面ルンゼを直上。

中央カンテと合流する当たりでも支点が取れず、仕方がないので長門君にビレーを解除してもらい、さらに上にある正面ルンゼダイレクトのビレーポイントまでコンテでロープを伸ばす。

5ピッチ目、右にトラバースして中央カンテに戻り、直上後左に回りこんでハング下のビレーポイントへ。

6ピッチ目、ピトンベタ打ちのハングの人工から四畳半テラス下のクラックへ。

カムを交えた人工と、ワンポイントのスカイフックからダブルアックスで抜ける。

中央カンテに合流してからも、雪の付着が多く決してやさしくはない。

しかし、このあたりは冬だけでも3回ほど登っているのでほとんど覚えてしまっているのだった。

四畳半テラスも完全な雪壁になっていて、過去に2泊もしたのに気付かずに通り過ぎかけた。

何とかビレーポイントの端っこを掘り出しビレー。

長門君が上がってきた時には既に日が暮れていた。

時計を見る余裕がなかったけど6時半位かな。

雪に埋まった四畳半テラスは、本来上の方にあるはずの支点が足元になっている。

取りあえず掘り下げようとするが、埒が明かないので2人が腰掛けられるスペースを作ってあきらめ、ツェルトをかぶってしまう。

狭い上に全身ずぶ濡れでのビバークはさすがに辛く、2時ころからは寒くて寝ていられなくなり、ガスを付けて雪を溶かしたり、お茶を飲んだりして過ごした。

夜は雪が降っていて風が強く、明るくなってからもしばらくは小雪が舞っていた。

寒くて体が硬直し、なかなかツェルトから出られないでいたが、そのうちに薄日が差し始めた。

もし、朝になっても吹雪いていたとしたら、この状態で登るのはかなり辛いかなと思っていたが、今日は予報どおりに晴れてくれて本当に良かった。

3月7日

7時半頃出発。

7ピッチ目、氷の詰まったルンゼを登るが、支点も氷で埋まっている上に、落ち口にはきのこ雪のようなのができていてハングしている。

登って行ってピックを刺してみると全くスカスカで、だましながら右から巻くように超える。

ここでも、テラスにあるはずのビレーポイントは掘り出せないため通り越し、ハーケンが縦に並んだ支点を補強して使う。

8ピッチ目、雪壁からバンドを左にトラバースし、凹角を人工で登り烏帽子岩の基部へ。

ここも、ピンがベタ打ちになっているはずのビレーポイントが完全に氷に埋まっている。

何とか掘り出したスリングの端を連結しビレー。

終了は大体10時頃。

下降は懸垂で中央カンテのチムニー上から凹状岩壁沿いに降りたが、昨日は氷雪に覆われていた凹状核心部も、この2日間の好天で岩が完全に露出している。

ここは晴れた日に水が流れているのはいつものことだが、雪が多いたためか今までで見たことがないほど大量の水が流れていて、壁から離れたところにもシャワーのように降り注いでくる。

そのため、せっかく日に当たって乾きかけていたのに、ここで再び全身ずぶ濡れになってしまった。

変チの1ピッチ目のベルグラも落ち、スラブには水が流れ、夜中に降った雪がところどころに乗っかっている。

また、昨日は結構つながっていた大氷柱もほとんど落ちてしまっている。

もしも、今日だったら取り付けなかったかも知れない。

テールリッジでワカンを、出合の小屋でデポをそれぞれ回収、重荷を背負い、緊張感が途切れた途端、20歳近く年の離れた長門君について行けなくなる。

2年前に骨折した足首が痛み出し、トレースを踏み外しこけまくり、土合に着いたのは17時近くになっていた。

 

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